大阪地検特捜部、またもや大失態! プレサンス事件の取り調べ特捜検事、刑事裁判へ! 尾﨑美代子

プレサンス事件で被疑者の机を叩き、長時間に渡って怒鳴り続けていた大阪地検特捜部の検事について、大阪高裁が「特別公務員暴行凌辱罪」で刑事裁判にかけるとした。


◎[参考動画]「刑事司法の歴史変わると言っても過言ではない」不動産会社元社長“違法捜査”、担当検事を刑事裁判へ(読売テレビニュース 2024年8月9日放送)

Xでこの速報をポストしたのは、元裁判官の弁護士、プレサンス元社長・山岸氏の最強弁護団の一人・西愛礼(よしゆき)氏だ。私は、プレサンス事件について、春先、西弁護士を取材していたが、執筆が遅れ、今必死で原稿をまとめている。

無罪判決を勝ち取った山岸氏は、国賠を提訴すると同時に、捜査に関わった特捜検事2人を刑事告発していた。特捜検事を「特別公務員暴行凌辱罪」で刑事裁判を開くよう求める不審判請求で、大阪高裁は8月8日、田淵大輔検事を審判に付す決定を出した。今後、刑事裁判が始まる。

プレサンス事件では、ある「業務上横領事件」の共犯としてプレサンス元社長・山岸忍氏と部下のKと不動産会社のYさんも逮捕された。

今回裁判にかけられるのは、Kを取り調べた田渕大輔検事だ。
 
しかし、Yさんを担当した末沢岳志検事もなかなかの曲者だった。Yさんもいったんは末沢検事に脅され、山岸氏関与を認めるウソの供述を強いられたが、その後「あの供述を撤回してください」と末沢検事に頼み込んだ。しかし、末沢検事は撤回はしなかった。そればかりか、必死で頼み込むYさんをせせら笑っていたようだ。

じつはプレサンス事件の最強弁護団は、KとYさんが取り調べられた録音録画の反訳(書き起こし)を行った。その時間は2人で142時間32分にも及ぶ。カメラに映るのは被疑者の方だが、Yさんが「笑わないで下さい。真剣にしゃべっているのに」というような場面が残っている。

そして最後の最後にYさんが再度「僕の山岸さんについての調書、あのままにしとくんですか」と尋ねると、末沢は「それだけいうんやったら、法廷でひっくりかえせばよろしんやん」などと言っていた。そして……Yさんは実際に法廷でひっくり返してやったんだけどね。詳細は、記事になったら読んでね。

大阪地検特捜部は2009年の村木事件で大失態をおかした。そこからの挽回を図ろうと思ったのかどうかしらないが、今回、関西経済界の大物中の大物、プレサンスを一代で築き、東証一部上場企業に押し上げ、飛ぶ鳥落とす勢いだった山岸忍氏を逮捕した。

起訴し、有罪にできると思ったのだろうか。しかし、あまりにずさんな捜査だった。次々とでてくる証拠はいずれも山岸氏無罪を証明するものだった。検察は「大川原化工機事件」と同様に起訴を取り下げるかと思いきや、ずんずん進んでいき、山岸氏に有罪を言い渡して結審した。

しかし山岸氏には無罪判決が下された。そして山岸氏は最強弁護団とともに「負けへんで」「とことんやったるで」と国賠訴訟を提訴した。同時に取り調べた田渕検事を刑事告発していた。田渕検事は大阪地裁によって不起訴とされたが、弁護団は裁判所に対して起訴するよう申し立てる「付審判請求」を行った。

これに対して地裁は、田渕検事について「特別公務員暴行陵罪の嫌疑が認められるべきである」などと判示したが、起訴までは行わなかった。その後弁護団は高裁に不服申し立てを行っていたところ、大阪高裁で追訴された、ということだ。いけいけ、もっとやったれ!

しかし、なぜ警察も検事も「自白」をとることだけに必死なのか? プレサンス事件でも、税金使って大々的な強制捜査やって、プレサンス、Yさんの会社、山岸氏の自宅などからそれぞれ100箱もの証拠物を押収してきたのに。それをきっちり精査することなく、いや、そんなに時間もかけずに、慌ててKとYさんを逮捕し、2人に嘘の供述を強いて山岸さんを逮捕した。

証拠品を精査せず、とにかく「自白」をとりたい。自白といっても、検察の思うような自白、つまり罪を認めるような自白だ。本当におかしい。なんのために、どういう仕事をしてんだよ! 大阪地検特捜部!

 
山岸忍氏の著書『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』(文藝春秋社)

山岸忍さんの著書『負けへんで!』から、改めて、田渕検事の怒鳴っている個所を読んでみた。本当に凄まじい。

「開き直ってんじゃないよ。なにこんなみえすいたウソついて、なおまだ弁解するか。なんだ、その悪びれもしない顔は。悪いと思っているのか。悪いと思っているのか。悪いと思っているんですか(しつこいな)。私は何度も聞いた。ウソはひとつもついてないのかと。明らかなウソじゃないか。なんでそんな悪びれもせずにそんなこというんだ。なぜですか?なぜだ。大ウソじゃないか。よしんばこれでウソを認めて、会社のなかで口裏合わせをしてましたと認めるならまだしも、そこからまた悪あがきをするとはどういうことだ。そういうことなんですか。何を考えているんですか、あなたは。ウソじゃないですか。ウソつきましたね。ついたよね。」
 
「命かけてるんだよ!検察なめんなよ!命かけてるんだよ、私は。かけてる天秤の重さが違うんだ、こっちは。」

そして最後にKさんに

「もうさ、あなた、詰んでるんだから。もう起訴ですよ。ってゆうか有罪ですよ、確実に」

「あなたはプレサンスの評判を貶めた大罪人ですよ。会社から今回の風評被害とかうけて、会社が非常な営業損害をうけたとか、株価が下がったとかいうことをうけたとしたら、あなたはその損害を賠償できますか。10億、20億の話じゃないですよ。それを背負う覚悟で今はなしてますか」

などと脅したのだ。

「あなたは大罪人……10億、20億の損害を賠償できるか」と詰められたら、そりゃびびるわな。

実際、?はこうして脅されウソの供述(山岸さんも関与)をしたが、その後の裁判でも検察側について、うそをつきとおしたのだ。それでも山岸さんは、この部下Kを取り調べた田渕検事を告発したのだ。

もう30年ほど前、ある冤罪の専門誌みたいな本を読んだ。そこには、「日本は未だに自白中心主義で……」と批判する箇所があった。30年経った今でもそのまんまじゃないか? 自白をとることだけに必死ではないか? どうなってんだ。日本の司法は? 警察、検察は? 税金で集めた証拠をちゃんと精査して、事件を解明しろや!

それにしても大阪地検特捜は、村木事件に続く今回の大失態をどう「決着」つけるのか。


◎[参考動画]【独自取材】特捜部検事に対する刑事裁判を開く異例の決定 冤罪事件となった「プレサンス」事件〈カンテレNEWS〉(2024年8月9日放送)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

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◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/

《墓碑銘》志半ばに斃れた反原発の闘士 その志を継いで『季節』は継続します! 鹿砦社代表 松岡利康

『季節』を発行し始めてから多くの稀有の闘士に巡り合いました。みなさんに『季節』は支えられてきましたが、志半ばに斃(たお)れ、『季節』の発行に痛手となりました。

特に、創刊から報告記事を寄稿いただいた渕上太郎さん、『季節』を創刊するや、待ってましたとばかり連絡してこられ2号から毎号独特の反原発記事を寄稿いただいた納谷正基さん、私と同期で妙にウマが合った北村肇さん──。

渕上太郎さんは、3・11後、すぐに経済産業省前にテントを張り座り込み行動を開始、渕上さんはその代表でした。渕上さん亡き後も、それはいまだに続いています。中心になったのは、いわゆる団塊の世代で、かつて全共闘運動やベトナム反戦運動に関わった方々でした。渕上さんの後の報告記事は三上治さんが引き継ぎ綴っておられます。

渕上太郎さん

納谷正基さんは、教育ジャーナリストといおうか、全国の高校を回り講演活動を続けてこられました。これだけだったらざらにいるわけですが、彼はそこで原発や原爆の怖さを語り、年々呼ぶ高校が減っていきました。それでも彼は頑固にみずからの主張を亡くなるまで曲げませんでした。それは、お連れ合いが広島の被爆2世で苦しみながら亡くなったことが原体験となっています。

私たちが『季節』を創刊する以前から陰ながら当社の本の熱心な読者でした。しかし、そうした彼のファンは多くいて、ある時、関西を訪問し当社と交流する機会があり、ある大学の学長は、大学の業務を済ませた後、わざわざ関西まで駆け付けられたほどです。

納谷正基さん

北村肇さん、『サンデー毎日』編集長の際、「芸能界のドン」バーニング告発の連載を行い、その後は『週刊金曜日』編集著兼発行人として活動され、『季節』や『紙の爆弾』とも連携し、大手メディアが腐敗していく中で獅子奮迅の闘いを持続されました。

私と同期(1970年大学入学)で、妙にウマが合い連帯を強めました。しかし、病が彼を襲い、残念ながら共闘関係はなくなりました。その後、『週刊金曜日』から広告掲載拒否、事実上の絶縁を宣言されました。私に言わせば、現在『週刊金曜日』から北村色は一掃され、北村さんの志を蔑ろにし、自由な言論を体現するというメディアとしての使命を忘れ、北村さんの望まない方向に向かっているといえるでしょう。

北村肇さん

渕上さん、納谷さん、北村さん ── 私たちは、あなた方の志を忘れることなく、この小さな雑誌『季節』を持続し反(脱)原発の唯一の雑誌として在り続けることを誓います。

(松岡利康)

8月5日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年夏・秋合併号(NO NUKES voice 改題)

A5判 148ページ(本文144ページ+巻頭カラー4ページ) 定価880円(税込み)
お陰様で10周年を迎えました!

《グラビア》
「幻の珠洲原発」建設予定地 岩盤隆起4メートルの驚愕(写真=北野 進
「さよなら!志賀原発」金沢集会(写真=Kouji Nakazawa

《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 原子力からこの国が撤退できない理由

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 なぜ日本は原発をやめなければならないのか

《報告》井戸謙一(元裁判官/弁護士)
 事実を知り、それを人々に伝える

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 核武装に執着する者たち

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
 課題は放置されたまま

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
 原発被害の本質を知る

《インタビュー》北野 進(「志賀原発を廃炉に!訴訟」原告団団長)
 珠洲原発・建設阻止の闘いは、民主主義を勝ち取っていく闘いだった

《対談》鎌田 慧(ルポライター)×柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)
 東京圏の反原発 ── これまでとこれから

《報告》今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
「核融合発電」蜃気楼に足が生え

※          ※          ※

《回想》松岡利康(鹿砦社代表)
 創刊から10周年を迎えるまでの想い出

《墓碑銘》松岡利康(鹿砦社代表)
 お世話になりながら途上で亡くなった方への追悼記

《季節創刊10周年応援メッセージ》

 菅 直人(衆議院議員・元内閣総理大臣)
 守りに入らず攻めの雑誌を

 中村敦夫(作家・俳優)
 混乱とチャンス  

 中嶌哲演(明通寺住職)
「立地地元」と「消費地元」の連帯で〈犠牲のシステム〉を終わらせる

 水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
『季節』丸の漕ぎ手をふやして、一刻も早く脱原発社会を実現しよう

 山崎隆敏(元越前市議)
「核のゴミ」をこれ以上増やさないために

 今野寿美雄(「子ども脱被ばく裁判」原告代表)
 裁判も出版も「継続は力なり」

 あらかぶ(「福島原発被ばく労災損害賠償裁判」原告)
 隠された「被ばく労働」問題を追及し、報じてほしい

※          ※          ※

《報告》なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)
《検証》あらかぶさん裁判 原発被ばく労働の本質的問題 

《報告》北村敏泰(ジャーナリスト)
 棄民の呻きを聞け 福島第一原発事故被害地から

《講演》和田央子(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
「復興利権」のメガ拠点 「福島イノベーション・コースト構想」の内実〈前編〉

《報告》平宮康広(元技術者)
 水冷コンビナートの提案〈1〉

《報告》原田弘三(翻訳者)
 COP28・原発をめぐる二つの動き
「原発三倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
 総裁選より、政権交代だ

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
   タイガー・ジェット・シンに勲章! 問われる悪役の存在意義

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
   山田悦子の語る世界〈24〉
   甲山事件50年を迎えるにあたり
   誰にでも起こりうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか(下)

《報告》大今 歩(高校講師・農業)
   洋上風力発電を問う 秋本議員収賄事件を受けて

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
 時代遅れの「原発依存社会」から決別を!
 政府と電力各社が画策する再稼働推進の強行をくい止める

《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
 6・9大阪「とめよう!原発依存社会への暴走大集会」に1400人超が結集

《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
 女川原発の再稼働はあり得ない 福島事故を忘れたのか

《福島》黒田節子(請戸川河口テントひろば共同代表)
 浪江町「請戸川河口テントひろば・学ぶ会」で
 北茨城市大津漁協裁判で闘う永山さんと鈴木さんの話を聞く

《柏崎刈羽原発》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 7号機再稼働で惨劇が起きる前に、すべての原発を止めよう!

《首都圏》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
 福島原発事故の責任もとれない東京電力に
 柏崎刈羽原発を動かす資格はない!

《浜岡原発》沖基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
 静岡県知事と御前崎市長が交代して
「一番危険な原発」はどうなるか

《島根原発》芦原康江(さよなら島根原発ネットワーク)
 政治に忖度し、島根原発2号機運転差止請求を却下
 それでも私たちは諦めない!

《玄海原発》石丸初美(玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会)
 玄海町「高レベル放射性廃棄物・最終処分場に関する文献調査」受入!

《川内原発》向原祥隆(反原発・かごしまネット代表)
 私たちは歩み続ける

《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
 原子力規制委員会を責め続けて11年
 原子力規制委員会は、再稼動推進委員会・被曝強要委員会

《反原発川柳》乱鬼龍

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龍一郎揮毫
私たちは唯一の脱原発雑誌『季節』を応援しています!

2024年の8.6原爆の日 イスラエルのみ参加の広島市主催とパレスチナ招いた「市民主催」 二つの平和記念式典 さとうしゅういち

今年も8月6日がやってきました。

筆者は今年も平和記念式典に参加。原爆犠牲者の皆様を追悼するとともに核兵器廃絶、世界恒久平和を改めて祈りました。

 
「関所」での手荷物検査

筆者は、6時過ぎに広島市東区の自宅を出ると、バスで平和公園近くまで向かいました。

原爆ドーム前まで向かうと行列ができていました。「関所」で手荷物検査を行っていました。 

広島市は、「法的根拠はない」としながら、プラカードやビラ、幟、拡声器の持ち込みを禁止するとしています。筆者はこの日、別の行事で使う予定のプラカードやビラをカバンに入れていました。

原爆ドーム前の「関所」では、年配の女性警備員が「これは何ですか?」とビラやプラカードについて質問されました。筆者は「これは、ただの紙です。ここでは。」と押し通しました。何度か同じ問答を繰り返しましたが「これはただの紙です。ここでは。」でなんとか、「検問」を突破しました。この際、ペットボトルの内容物を「一口飲んでください」と言われました。黄色のリストバンドをつけさせられました。

原爆ドーム前では、新左翼系市民団体が、前日の22時頃から座り込みをされていました。筆者はそのまま平和公園へと向かいました。

そして平和公園中心部の式典会場前では今度は金属検査をされました。金属検査はわからなくはありません。

金属検査をパスすると青のリストバンドをつけさせられました。

8時、平和記念式典が始まりました


◎[参考動画]平和記念式典終えて 広島瀬戸内新聞ニュース号外 さとうしゅういち

◆「平和記念式典」の挨拶「だけ」は素晴らしい湯崎英彦知事

 
筆者

広島市議会議長の式辞、そして献花、広島市長の平和宣言、子どもたちの「平和への誓い」、岸田総理の挨拶、広島県知事の挨拶、そして国連事務総長の挨拶と続きました。

広島市の松井一實市長は平和宣言の中で、「市民社会」を強調されました。ただ、市民社会を強調するのであれば、原爆ドーム前まで手荷物検査を課す規制区域にする、それも法的な根拠もなしにすると言うのは矛盾した対応です。

岸田総理の挨拶は、予想通りと言いますか、核兵器禁止条約はもちろん、核の先制不使用にすら言及しないお粗末なものでした。

広島県の湯崎英彦知事のあいさつが、一連の要人の発言では最もインパクトがあり、拍手も大きかったように思えます。

「現代では、矢尻や刀ではなく、男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です。

いわゆる現実主義者は、だからこそ、力には力を、と言う。核兵器には、核兵器を。しかし、そこでは、もう一つの現実は意図的に無視されています。人類が発明してかつて使われなかった兵器はない。禁止された化学兵器も引き続き使われている。核兵器も、それが存在する限り必ずいつか再び使われることになるでしょう。」

には、全くその通りとうなずかざるを得ません。また、

「現実を直視することのできる世界の皆さん、私たちが行うべきことは、核兵器廃絶を本当に実現するため、資源を思い切って投入することです。想像してください。核兵器維持増強の十分の一の1.4兆円や数千人の専門家を投入すれば、核廃絶も具体的に大きく前進するでしょう。」

は、知事の元通産官僚、またIT企業経営者としてのいい意味での感覚も反映されていると感じました。

湯崎英彦知事は、「本業」の県政では、三原本郷産廃処分場など産廃問題が深刻なのに「放置プレイ」だったり、平川理恵・前教育長の官製談合事件を「改革の副作用」と庇うなど問題ありまくりです。ただ、この8月6日の挨拶だけは素晴らしい。さすがは、原爆の社会的影響について研究されてきた広島大学総合科学部教授の湯崎稔先生のご子息だ、と思います。

◆島根再稼働・上関貯蔵施設・岸田原発推進に抗して 中国電力前で街宣

 
中国電力前で反原発の街宣

式典終了後、中国電力前で反原発の街宣に参加しました。

今年は、島根原発再稼働反対や昨年のこの時期に持ち上がった上関貯蔵施設反対、そして、広島選出の岸田総理が進める「原発推進」(安倍晋三さんすらやらなかった)への批判が大きなテーマです。

各弁士からは島根原発については、周辺の能登半島と似た活断層が多数ある中で、多くの断層が連動した能登半島大震災が元日に発生。そうした中で、再稼働は無謀だ、という指摘がされました。

上関への中間貯蔵施設の建設については、岸田総理の原発再稼働政策で核のゴミが関電で溜まってしまい、行き場がないという中で、中国電力が救いの手を差し伸べたわけです。

また、原発推進については、これからはAI関連のデータセンターが電力を食うから原発だ、という議論が横行しているが、諸外国のデータセンターではグリーン電力を使っていることを売りにしており、そうでないと使ってもらえない、ということも紹介されました。

3.11から13年が経過し、「原発は必要かも」という雰囲気も広がる今日この頃。しかし、騙されないよう、きちんと勉強していくことの重要性を感じました。

◆田上・前長崎市長の講演を初めてお聴きする

 
「8.6ヒロシマ平和の夕べ」

午後は「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に参加。田上富久・前長崎市長らのお話を伺いました。田上さんは、筆者同様、若くして公務員を辞めて政界にチャレンジされた方です。今回、初めて、お会いできました。「平和のために市民社会ができること」です。

田上さんはまず、「現役核弾頭」が増えており、核軍拡は進み、核軍縮は後退していることを紹介。こうした中で被爆地は1.被爆の実相を伝える 2,ズレをただす 3、ネットワークを広げる 4,次の一歩を示す 5,ゴールを示し続ける 役割を果たしてきたとしました、

そして、平和のために市民社会にできることとして、せめぎあいを超える力として「平和の文化を広げる」こと。

知っているのと知らないのでは大きな違いが出てくるので、これを埋めていくこと。また、歴史と文化について学んでいくこと、等を上げました。

これについては、数年前、ブラジルのカーニバルで原爆をテーマにした出しが登場し、その際、ネット上で「裸踊りで原爆を茶化すとは何事か?!」的な炎上があったことを紹介しました。

カーニバルは、真面目なテーマを取り上げるものであるというブラジルの文化への理解が日本人に不足していたこと。SNSで反応してしまい、本来は味方である人たちを敵視してしまうことになる、と田上さんは警鐘を鳴らしました。この山車はちなみにカーニバルのテーマである「知の力」の悪い例として原爆を取り上げたのです。ブラジルの現地の広島や長崎の県民会も協力し、出演者も出していたのです。

◆「市民の平和記念式典」にパレスチナ駐日大使招待

6日夜は、原爆ドーム対岸で、パレスチナ駐日大使と広島・日本の市民の対話集会がオンラインで開催されました。広島市の松井一實市長は、平和記念式典にイスラエルを招待する一方で、パレスチナは招待しませんでした。こうした中で「市民による平和記念式典」となりました。

最初にワリード・アリ・シアム・パレスチナ駐日大使からお話がありました。


◎[参考動画]#freepalestine パレスチナ駐日大使登場 原爆ドーム対岸市民集会 広島瀬戸内新聞ニュース8.6号外 さとうしゅういち

「女性も子どもも日常的に軍隊のターゲットになっている。わたしたち非戦闘員、一般市民の避難所となっている学校が攻撃され、何千人もの人が死に、捕虜として束縛している。占領軍は死者をわざと掘り起こし、ガザとヨルダン川西岸でジェノサイドを行っています。」と糾弾。

その上で、「パレスチナを招待し、イスラエルの招待を見送った「平和と」長崎市を称賛するとともに、パレスチナは招待せず、イスラエルは招待する広島市の姿勢に「永続させる人たちに招待状を送るいっぽうで、わたしたちの声がなかったかのようにする」ことは「広島の掲げてきた正義に反する」と憤りを示されました。

その後、広島・日本の市民から質問などがありました。

筆者は、11524人の署名を集め、パレスチナ代表を平和記念式典に招待するよう広島市長宛に要請したことを報告。その上で、広島市側が「朝鮮は核兵器禁止条約に入っていないから招待する。パレスチナは入っているから招待しない」と回答したことを紹介。

 
オンライン署名『平和記念式典にパレスチナ国代表を招待してください』(QRコード)

「核兵器禁止条約に入っている国こそ大事にしないといけないと思う。今のパレスチナのおかれた状況(イスラエルによる侵略・虐殺)を止めることに全力を挙げるので、どうか、(広島市のこの無礼に懲りずに)核兵器禁止への広島の取り組みに今後もご協力いただきたい。」とお願いしました。

「パレスチナは核兵器は絶対ダメだという立場だ。核兵器だけでなく、核戦争、戦争そのものに反対しています。戦争自体は絶対ダメだという意識がある。イスラエルの軍は、合意を必ず覆して武力で抑えようとしてくる。それを覆すのは市民の力だ。声を上げること、署名をすることは一つ一つが希望だ。パレスチナ人だけでなく世界の人々にとって必要な声です。」などと回答いただきました。

なお署名「平和記念式典にパレスチナ国代表を招待してください」自体は「広島市議会」への請願として9月議会までお願いし続けます。宜しくお願い致します。


◎[参考動画]#freepalestine 原爆ドーム対岸で『市民による平和記念式典』広島瀬戸内新聞ニュース号外  のハイライト 13:19 – 18:18 さとうしゅういち

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2024年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える〈2〉 鹿砦社代表 松岡利康(龍一郎 揮毫)

鎮魂(龍一郎 揮毫)

ここ甲子園では、今年も夏の高校野球が始まりました。私は毎日甲子園球場の周りを散歩していますが、日本中から多くの人たちが駆け付け賑わっています。ウクライナやガザでは日々人々が亡くなり悲惨な状況だというのに、地球の遙か遠くの戦火がまるで嘘のような平和な風景です。

昨年、古くからの知人で児童文学・子どもの生活文化研究家の梓加依さんの著書『広島の追憶 ―― 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』を出版いたしました。梓さんとは不思議な因縁で1992年、『豊かさの扉の向こう側』(長崎青海名義)を出版して以来、一時期娘さんが当社で働いたり、細く長い付き合いです。1992年と言いますから、実に30年余り経っていますが、これもまた何かの縁です。

先の『豊かさの扉の向こう側』を偶然に教育委員会の方が読まれ県下の図書館に置きたいということであるだけ持って行ったり、また、ある国立大学の非常勤講師の話があったりし、もともと勤勉な方で、近畿大学の夜間課程に入学、さらには神戸大学の大学院修士を修了されました。

梓さんは終戦前年の長崎生まれ、その後広島に移住、高校を卒業するまで住まわれていました。戦後の長崎、広島の悲惨な風景に日々接していたはずです。

そうしたことを自著の中で述べてこられました。当社が昨年出した『広島の追憶』は、その体験に基づいたノンフィクション・ノベルで、ぜひご一読いただきたい一冊です。

そして梓さんは、この最後に、
「……そして、戦後八十年に届く日が過ぎた。でも、地球から核の脅威はなくならない。戦争もなくならない。風よ、届けてほしい。被爆地ヒロシマから世界中の子どもたちへ。この八十年の物語が、子どもたちの未来、いいえ、近い将来の物語にならないように……。」
と書き記しておられます。

一見平和な今の甲子園周辺の風景 ―― これはいつまで続くのか? いまや年老いた多くの先達たちが、時に血を流し闘いながら守って来た〈平和〉、ここで挫けることがあってはなりません。改憲の蠢動は断固粉砕しなくてはなりません。

8月6日に続き、再び〈反戦歌〉2曲、加筆し再掲載させていただきます。これらに表現された平和への想いを感じ取って欲しい。

◆ザ・フォーク・クルセダーズ『戦争は知らない』

よく『戦争を知らない子供たち』と間違えられますが、違います。『戦争は知らない』は、それよりも先にベトナム戦争真っ盛りの1967年にシングルカットされ、発売されています。作詞は、演劇の世界に新たな境地を開拓した劇団『天井桟敷』主宰の寺山修司、歌は『たそがれの御堂筋』で有名な坂本スミ子。意外な組み合わせです。

寺山修司は、いわゆるアングラ演劇の教祖ともされる人物ですが、彼がこのように純な歌詞を書いたのも意外ですし、また坂本スミ子に歌わせたのも意外、歌謡曲として売り出そうとしたのでしょうか。

その後、ザ・フォーク・クルセダーズ(略称フォークル)が歌いますが、こちらがポピュラーです。いわば「反戦フォーク」として知られています。私は坂本スミ子が歌ったのを知りませんでしたが、フォークルのメンバーだった端田宣彦(はしだのりひこ。故人)さんに生前インタビューする機会があり(かつて私が編集した『この人に聞きたい青春時代〈2〉』)この際に端田さんから直接お聞きしました。

誰にも口ずさめる歌ですので、みなで歌うことがあれば、ぜひ歌ってください。私たちも先日、コロナの感染で長らくイベントを休んでいましたが、20年余り全国の刑務所・少年院を回り獄内ライブ(プリズン・コンサート)を行っている女性デュオ「Paix2(ペペ)」のライブを行いました。そこでもみなで歌いましたPaix2のPaixとはフランス語で「平和」という意味で、これが2人なのでPaix2ということです。

だったら、今こそ、この曲を歌って欲しいという願いからでした。


◎[参考動画]ザ・フォーク・クルセダーズ 戦争は知らない (1968年11月10日発売/東芝Capitol CP-1035)作詞:寺山修司/作曲:加藤ヒロシ/編曲:青木望

♪野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの
戦争の日を 何も知らない
だけど私に 父はいない
父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む
戦さで死んだ 悲しい父さん
私は あなたの娘です
20年後の この故郷で
明日お嫁に お嫁に行くの
見ていてください 遙かな父さん
いわし雲飛ぶ 空の下
戦さ知らずに 20歳になって
嫁いで母に 母になるの
野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

◆ネーネーズ『平和の流歌』

先に反戦歌として『戦争は知らない』について記述したところ予想以上の反響がありました。私たちの世代は若い頃、日常的に反戦歌に触れてきました。なので反戦歌といってもべつに違和感はありません。最近の若い人たちにとっては、なにかしら説教くさいように感じられるかもしれませんが……。

今回は、この記事を書いた年が沖縄返還(併合)50年ということで、沖縄についての反戦歌を採り上げてみました。

沖縄が、先の大戦の最終決戦の場で、大きな犠牲を強いられたこともあるからか、戦後、沖縄戦の真相や、戦後も続くアメリカ支配は歴然で、それを真剣に学んだ、主に「本土」のミュージシャンによって反戦・非戦の想いを込めた名曲が多く作られました。すぐに思い出すだけでも、宮沢和史『島唄』、森山良子『さとうきび畑』、森山が作詞した『涙そうそう』、阿木耀子作詞・宇崎竜童作曲『沖縄ベイ・ブルース』『余所(よそ)の人』……。

森山良子など、デビューの頃は「日本のジョーン・バエズ」などと言われながら、当時は、レコード会社の営業策もあったのか、いわゆる「カレッジ・フォーク」で、反戦歌などは歌っていなかった印象が強いです(が、前記の『さとうきび畑』を1969年発売のアルバムに収録していますが、当時は知りませんでした)。

『沖縄ベイ・ブルース』『余所の人』はネーネーズが歌っていますが、ネーネーズの師匠である知名定男先生と宇崎竜童さんとの交友から楽曲の提供を受けたものと(私なりに)推察しています。知名先生に再会する機会があれば聞いてみたいと思います。

それは以前、高校の同級生・東濱弘憲君(出生と育ちは熊本ですが親御さんは与那国島出身)がライフワークとして熊本で始めた島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」に宇崎さんは知名先生の電話一本で快く何度も来演いただいたことからもわかります。熊本は沖縄との繋がりが強く『熊本節』という島歌があるほどです。一時は30万人余りの沖縄人が熊本にいたとも聞きました。それにしても、沖縄民謡の大家・知名先生とロック界の大御所・宇崎さんとの意外な関係、人と人の縁とは不思議なものです。

ところで、ネーネーズが歌っている楽曲に『平和の琉歌』があります。これは、なんとサザンオールスターズの桑田佳祐が作詞・作曲しています(1996年)。前出の『戦争は知らない』の作詞がアングラ演劇の嚆矢・寺山修司で、これを最初に歌ったのが『たそがれの御堂筋』という歌謡曲で有名な坂本スミ子だったのと同様に意外です。しかし桑田の父親は満州戦線で戦い帰還、日頃からその体験を桑田に語っていたそうで、桑田の非戦意識はそこで培われたのかもしれません。

この曲は、在りし日の筑紫哲也の『NEWS23』のエンディングソングとして流されていたものです。筑紫哲也は沖縄フリークとして知られ、他にもネーネーズの代表作『黄金(こがね)の花』(岡本おさみ作詞、知名定男作曲)も流しています。

岡本おさみは、森進一が歌いレコード大賞を獲った『襟裳岬』も作詞しデビュー間もない頃の吉田拓郎に多く詞を提供しています。岡本おさみは他にも『山河、今は遠く』という曲もネーネーズに提供しており、これも知名先生が作曲し知名先生は「団塊世代への応援歌」と仰っています。いい歌です。ネーネーズには、そうしたいい歌が多いのに、一般にはさほど評価されていないことは残念です。

さらに意外なことに、一番、二番は桑田が作詞していますが、三番を知名先生が作詞されています。

サザンは、最初に歌ったイベントの映像と共にアルバムに収録し、シングルカットもしているそうですが、全く記憶にないので、さほどヒットはしていないと思われます。サザン版では一番、二番のみで三番はありません。ここでは一番~三番までをフルで掲載しておきます。

【画像のメンバーは現在、上原渚以外は入れ替わっています。現在のメンバーでの『平和の琉歌』は未見です。】


◎[参考動画]『平和への琉歌』 ネーネーズ『Live in TOKYO~月に歌う』ライブDigest

一 
この国が平和だとだれが決めたの
人の涙も渇かぬうちに
アメリカの傘の下 
夢も見ました民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに
蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります
愛を植えましょう この島へ
傷の癒えない人々へ
語り継がれていくために

二 
この国が平和だと誰が決めたの
汚れ我が身の罪ほろぼしに
人として生きるのを何故にこばむの
隣り合わせの軍人さんよ
蒼いお月様が泣いております
未だ終わらぬ過去があります
愛を植えましょう この島へ
歌を忘れぬ人々へ
いつか花咲くその日まで

三 
御月前たり泣ちや呉みそな
やがて笑ゆる節んあいびさ
情け知らさな この島の
歌やこの島の暮らしさみ
いつか咲かする愛の花

[読み方]うちちょーめーたりなちやくぃみそな やがてぃわらゆるしちんあいびさ なさきしらさなくぬしまぬ  うたやくぬしまぬくらしさみ ‘いちかさかする あいぬはな

ネーネーズの熱いファンと思われる長澤靖浩さんという方は次のように「大和ことば」に訳されています。

「お月様よ もしもし 泣くのはやめてください やがて笑える季節がきっとありますよ 情けをしらせたいものだ この島の 歌こそこの島の暮らしなのだ いつか咲かせよう 愛の花を」

(松岡利康)

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

《回想》『季節』創刊から10年後の想い 鹿砦社代表 松岡利康

本誌は2014年8月に創刊しました。創刊時の誌名は『NO NUKES voice』でした。私が創刊時の編集長を務めました。実は他に編集長に据えた人物がいたのですが、実際に取材、編集活動に入る寸前で降りたのでやむなく私が務め船出しました。私は6号まで編集長を務め、7号から小島卓に引き継ぎ現在に至っています。

創刊時の発行部数は、なんと2万部! その後、実売が芳しくないとの理由で取次会社にどんどん書店への委託配本部数を減らされてきています。現在の部数はあえて秘しますが、推して知るべしです。あれだけの甚大な被害を与え、多くの方々の人生や暮らしを一変させ、いまだに避難を余儀なくさせたり後遺症に苦しませている原発事故は他人事になったのでしょうか? ひとつの小さな雑誌の売行が悪いからといって申し上げているのではありませんが、福島の原発事故は、遺憾ながら風化し忘却の彼方に追いやられています。

幸い、たんぽぽ舎はじめ直販や定期購読などでこの雑誌は命脈を保っています。ちょうどいい機会ですから声を大きくして叫びますが、ぜひ友人、知人の方々に拡販をお願いする次第です。

3・11東日本大震災により福島第一原発に大事故が起きました。この時、日本中の多くの人たちが、この国の未来に恐怖を覚えたはずです。だからこそ、多くの人たちが抗議の声を挙げ続けたのではないでしょうか。それも今はもうどこかに行ったのでしょうか。――

その時の危機感が、私たちに原発事故を起こした責任者追及の本を出させたと思います。『東電・原発おっかけマップ』『タブーなき原発事故調書』で、東電や御用学者らへの直撃取材は、この時の怒りが基になっています。これら2冊の本は、その内容ゆえに取次会社に書店への配本を拒否させられました。未読の方は、これらもぜひご購読いただきたいと思います。

これに続いて反原発関係の書籍も続けるつもりでしたが、むしろ定期刊行物を発行し続けることで反(脱)原発の声を挙げ続けている方々、福島県内外で頑張っておられる被災者の方々らと連携し、その声を誌面に反映していくことに気持ちが高まっていき、これが本誌創刊の動機になっています。

創刊から5年が経った20号で、この時の想いを書いておりますのでぜひ紐解いていただきたいですが、この頃はまだコロナ以前で、会社も左団扇の時代でした。会社が創業50年の年でした。

その後コロナが襲来、この5年はコロナとの闘いでもあり、発行自体が困難な時期で、それは今も続いています。

限られた誌面で、この10年の想いは語り尽くせませんが、前半は比較的余裕があり、後半は逆に苦境の中での発行でした。苦境は今でも続いていますが、それはそれとして、福島で必死に頑張っている方々を思うと、放り投げるわけにはいきません。岩にかじりついてでも連帯して発行を継続しなければなりません。なにしろ類似誌がないわけですから、この雑誌がなくなれば福島の声や全国の反(脱)原発の声を反映する場がなくなります。

皆様方にありましては、どうか本誌の発行継続のためにご支援をお願いする次第です。

(松岡利康)

8月5日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年夏・秋合併号(NO NUKES voice 改題)

A5判 148ページ(本文144ページ+巻頭カラー4ページ) 定価880円(税込み)
お陰様で10周年を迎えました!

《グラビア》
「幻の珠洲原発」建設予定地 岩盤隆起4メートルの驚愕(写真=北野 進
「さよなら!志賀原発」金沢集会(写真=Kouji Nakazawa

《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 原子力からこの国が撤退できない理由

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 なぜ日本は原発をやめなければならないのか

《報告》井戸謙一(元裁判官/弁護士)
 事実を知り、それを人々に伝える

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 核武装に執着する者たち

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
 課題は放置されたまま

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
 原発被害の本質を知る

《インタビュー》北野 進(「志賀原発を廃炉に!訴訟」原告団団長)
 珠洲原発・建設阻止の闘いは、民主主義を勝ち取っていく闘いだった

《対談》鎌田 慧(ルポライター)×柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)
 東京圏の反原発 ── これまでとこれから

《報告》今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
「核融合発電」蜃気楼に足が生え

※          ※          ※

《回想》松岡利康(鹿砦社代表)
 創刊から10周年を迎えるまでの想い出

《墓碑銘》松岡利康(鹿砦社代表)
 お世話になりながら途上で亡くなった方への追悼記

《季節創刊10周年応援メッセージ》

 菅 直人(衆議院議員・元内閣総理大臣)
 守りに入らず攻めの雑誌を

 中村敦夫(作家・俳優)
 混乱とチャンス  

 中嶌哲演(明通寺住職)
「立地地元」と「消費地元」の連帯で〈犠牲のシステム〉を終わらせる

 水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
『季節』丸の漕ぎ手をふやして、一刻も早く脱原発社会を実現しよう

 山崎隆敏(元越前市議)
「核のゴミ」をこれ以上増やさないために

 今野寿美雄(「子ども脱被ばく裁判」原告代表)
 裁判も出版も「継続は力なり」

 あらかぶ(「福島原発被ばく労災損害賠償裁判」原告)
 隠された「被ばく労働」問題を追及し、報じてほしい

※          ※          ※

《報告》なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)
《検証》あらかぶさん裁判 原発被ばく労働の本質的問題 

《報告》北村敏泰(ジャーナリスト)
 棄民の呻きを聞け 福島第一原発事故被害地から

《講演》和田央子(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
「復興利権」のメガ拠点 「福島イノベーション・コースト構想」の内実〈前編〉

《報告》平宮康広(元技術者)
 水冷コンビナートの提案〈1〉

《報告》原田弘三(翻訳者)
 COP28・原発をめぐる二つの動き
「原発三倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
 総裁選より、政権交代だ

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
   タイガー・ジェット・シンに勲章! 問われる悪役の存在意義

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
   山田悦子の語る世界〈24〉
   甲山事件50年を迎えるにあたり
   誰にでも起こりうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか(下)

《報告》大今 歩(高校講師・農業)
   洋上風力発電を問う 秋本議員収賄事件を受けて

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
 時代遅れの「原発依存社会」から決別を!
 政府と電力各社が画策する再稼働推進の強行をくい止める

《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
 6・9大阪「とめよう!原発依存社会への暴走大集会」に1400人超が結集

《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
 女川原発の再稼働はあり得ない 福島事故を忘れたのか

《福島》黒田節子(請戸川河口テントひろば共同代表)
 浪江町「請戸川河口テントひろば・学ぶ会」で
 北茨城市大津漁協裁判で闘う永山さんと鈴木さんの話を聞く

《柏崎刈羽原発》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 7号機再稼働で惨劇が起きる前に、すべての原発を止めよう!

《首都圏》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
 福島原発事故の責任もとれない東京電力に
 柏崎刈羽原発を動かす資格はない!

《浜岡原発》沖基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
 静岡県知事と御前崎市長が交代して
「一番危険な原発」はどうなるか

《島根原発》芦原康江(さよなら島根原発ネットワーク)
 政治に忖度し、島根原発2号機運転差止請求を却下
 それでも私たちは諦めない!

《玄海原発》石丸初美(玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会)
 玄海町「高レベル放射性廃棄物・最終処分場に関する文献調査」受入!

《川内原発》向原祥隆(反原発・かごしまネット代表)
 私たちは歩み続ける

《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
 原子力規制委員会を責め続けて11年
 原子力規制委員会は、再稼動推進委員会・被曝強要委員会

《反原発川柳》乱鬼龍

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/

◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000748

龍一郎揮毫
私たちは唯一の脱原発雑誌『季節』を応援しています!

過剰警備・過剰規制は人権制約・人権侵害! これで良いのか? 広島平和記念式典・平和行政 8.6前夜の平和公園報告 さとうしゅういち

2024年8月6日の広島市主催の広島平和記念式典。以下のような問題点があります。

◆米国忖度・イスラエルひいき問題

2022年以降、ロシアとベラルーシを招待していない。にもかかわらず、核兵器を実際に使用した米国や、2023年10月以降、報復と称して侵略・ジェノサイドを激化させているイスラエルは招待。そしてパレスチナ国代表は招待しない。

また、2023年5月のG7広島サミットを契機に、平和記念公園と「原爆を反省・謝罪していない」米国の軍事基地・パールハーバーの姉妹協定も締結してしまった。
そうした一連の流れの中で、結局、米国忖度・イスラエル寄りの行事と化しているのではないか?

◆G7以降の過剰警備・過剰規制問題

 
 

昔(コロナ前)は平和記念式典に参加するのに手荷物検査等はなかったのですが、記憶に誤りがなければ(コロナ明けの)G7広島サミットを契機に式典会場のあるエリアの入り口に『関所』が設置されるようになりました。

そして、2023年の式典の際、新左翼系の市民団体と右派系市民団体の間に入った市職員が尻もちをつくという「事件」を口実に、新左翼活動家多数が逮捕されるという不当逮捕事件が起きました。暴力行為法違反ということで、まるで、例えば、8月5日現在、バングラディシュで起きているような暴動のようなイメージもマスコミによって流布されました。

そして、この『事件』を奇貨として、広島市は法的根拠もないのに、今度は原爆ドーム前にも『関所』を設け、手荷物検査を実施。プラカードやビラを持っていても入場禁止にするという構えを見せています。

たしかに、市民団体の街宣の音量が高いという苦情があったのも事実です。しかし、その規制とて、表現の自由との関係から、最大限慎重にならなければならない。それなのに、さらに、式典と関係ない原爆ドーム前でサイレントに平和を訴えたり、あるいは、企業や学校の原爆死没者を弔う集会もできなくなったりするわけです。

過剰警備・過剰規制は過剰な人権の制約であり、人権侵害である。人権侵害というのは平和とはいえないのではないでしょうか?

◆8月5日夕方の動き

さて、8月5日は、17時過ぎ、警察労働者多数が、原爆ドームへの入口から平和公園方面へぞろぞろと入って行かれました。

下記の動画の9秒から17秒くらい。筆者の背後を警察労働者の行列が入っていきます。


◎[参考動画]これで良いのか?!!広島平和記念式典 いよいよ8.6前夜原爆ドーム前 広島瀬戸内新聞ニュース8月5日号外

原爆ドーム前にはすでに『関所』が出来上がっています。また、原爆ドーム周辺の植え込みでは警察労働者が猛暑の中、不審物がないかどうか捜索しておられました。

松井一實・広島市長の法的根拠のない過剰規制・過剰警備のために、熱中症のリスクの高い仕事をさせられる警察労働者も大変だな、と心から感じました。

 
オンライン署名『平和記念式典にパレスチナ国代表を招待してください』(QRコード)

◆パレスチナ国を平和記念式典に招待してください 署名を提出

これより先、7月30日、筆者はさとうしゅういち個人名で呼びかけたオンライン署名『平和記念式典にパレスチナ国代表を招待してください』(QRコード)を広島市長宛に広島市市民活動推進課田中係長様に提出しました。

短期間で、しかも個人でよびかけた署名に1万1524人がご賛同いただきました。意見交換の中で、パレスチナについては「日本政府が承認している」か「核兵器禁止条約に入っていない」のどちらの招待基準に該当しないということを伺いました。朝鮮=金正恩氏=については核兵器禁止条約に入っていないから招待するというわけです。

確かに広島市としてはそういう基準で招待していても、結果として、イスラエルは招待し、パレスチナは招待しないという風に外部からは見える。そして実際にパレスチナ代表部が激怒していたわけです。

筆者は「長崎はパレスチナを招待しているのだから、長崎にできることが広島にできないはずはない、最後まで、可能性をあきらめないでいただきたい」とお願いしました。

また、1994年のアジア大会の時はパレスチナも参加し、アジアの国を一国一館運動で応援していた。しかし、G7広島サミットを契機に米欧にばかり目が向いている傾向もあるのではないか。それは今後、自治体としての戦略的にもまずいのではないか?というお話もさせていただきました。

 
 

今後、9月議会会期中に「請願」の形で広島市議会にも提出する予定です。引き続き、ご署名をお待ちしております。すでに広島市長宛に提出した分と合わせて提出させていただく予定です。今後、市長をチェックする議会できちんと議論をしていただくことを望みます。

また、愛知県では、県がイスラエルと事業連携することに反対する署名運動も起きています。こうした運動とも筆者は連帯していきたいと考えています。

このオンライン署名に賛同をお願いします!

「愛知県はイスラエルとの事業連携をやめてください! Aichi-Israel マッチングプログラムの中止を求めます #NoTechForApartheid」 https://chng.it/HFNLBBvcNd @change_jp より

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2024年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える 鹿砦社代表 松岡利康

八月の空は悲しい(龍一郎 揮毫)

今年も8月6日がやって来ました。── ここ甲子園では平和の象徴ともいえる夏の高校野球が明日7日から始まります。

今年は、ウクライナでの戦火に加えパレスチナでもイスラエルによる無慈悲な攻撃により戦火は収まるどころか拡大しています。日本にあっても、もはや?対岸の火事”ではありません。解決の糸口はあるのでしょうか、絶望的になります。ほとんどの日本人にとっては今に至るも‟対岸の火事”のように感じられます。果たしてこれでいいのでしょうか?

かつて1960年代後半から70年代にかけて(75年のベトナム戦争終結まで)全世界にベトナム反戦運動が拡がりました。これが和平への後押しになったことはいうまでもありません。今はどうか?

8月1日付けの本通信でも記しましたが、戦後79年、日本が曲りなりとも平和を維持できたのは、先の戦争の反省から、歴史の曲がり角にあった60年、70年の〈二つの安保闘争〉を中心として、これ以後も地道な抵抗運動があったからだと考えています。8月15日付けの本通信にて採り上げますが、私の従兄は異国で終戦を迎え必死で故郷熊本に戻り、その後大学生時代に60年安保闘争に参加しています。三里塚闘争はいまだに続いています。

異論もあろうかと思いますが、半世紀余り、時にみずから血を流し闘い、半世紀余り自分なりに社会の動向、反戦運動や社会運動の推移を見てきた上での感慨です。決して机上での平和談議ではありません。日本は、曲がりなりにも民主主義社会です(この規定にも異論はあるでしょうが、少なくとも独裁国家や専制国家ではありません)。まだ声は挙げれます。

大学に入った1970年、帰省の途中で広島に立ち寄りました。これまで長崎には何度か行っていましたが広島を訪れたのは初めてでした。8月6日に毎年広島で行われる抗議活動に参加し、その日は広島大学の寮に泊めていただきました。翌日は京都からやって来たべ平連の人たちと岩国の基地反対運動にも参加し右翼からの攻撃に広島大学の学生(中核派やね)らと一緒に対峙したことが、ついきのうのことのように蘇ります。もう54年かあ。この半世紀余りの間、日本の、そして世界の、言葉の真の意味での平和は維持されたのでしょうか ── もう50年余り前の若き日の記憶から思うところを書き記してみました。

翌年1971年の8・6は歴代首相で初めて当時の佐藤栄作首相が広島の慰霊祭に出席するということで荒れました。いまだに記憶に残るのは、ある女子大生が体当たりで佐藤首相に抗議したことです。これは報道写真でも残っています。この年の夏は三里塚闘争で仲間が逮捕されたり9月に予定されている第二次強制収容阻止闘争や沖縄返還協定批准阻止闘争の準備などで広島には行けませんでしたが、報道で観て非常に感銘を受けました。

1971年8月6日の広島平和公園に来た佐藤栄作首相(当時)に抗議の体当たりをする女子学生

今回は、2年前にウクライナ危機に触発されて、若き日に接した反戦歌について書き記した文章に加筆し、この2年間、状況がまったく変わらず、それどころかますます泥沼化し悲劇が拡大している中で、あらためて加筆、再掲載してみました。ぜひお読みいただければ幸いです。

◆矢沢永吉 『FLASH IN JAPAN』

私はこの曲を聴いて大変ショックを受けました。今こそみなさんに聴いて欲しい一曲です。日本のロック界のスーパースター矢沢永吉は広島被爆二世です。これも意外と知られていません。ご存知でしたか? 父親を被爆治療の途上で亡くしています。矢沢がまだ若い頃(1987年)、『FLASH IN JAPAN』という曲を英語で歌い、その映像(ミュージックビデオ)を原爆ドームの前で撮影し、これを全米で発売するという大胆不敵なことをしでかしています。


◎[参考動画]Longlost Music Video: Eikichi Yazawa “Flash in Japan” 1987

5万枚といいますから矢沢のレコードとしては少ないのでしょうが、矢沢にすれば原爆を人間の頭の上に落としたアメリカ人よ、よく聴け! といったところでしょうか。いかにも矢沢らしい話です。このエネルギーが、部下による35億円もの巨額詐欺事件に遇ってもへこたれず、みずから働き全額弁済し復活したといえるでしょう。やはりこの人、スケールが違います。私より2歳しか違いませんが、私のような凡人とは異なり超人としか言いようがありません。

ちなみに私たちの世代にはカリスマ的存在である秋田明大(日大全共闘代表)さんも被爆二世で、毎年8月6日に開かれる抗議集会には必ず実行委員に名を務められたり参加されています。

アメリカで発売されたこの曲に正式な日本語訳はないようですが、ファンの方が訳されていますので以下に掲載しておきます(英文は割愛。藤井敦子補訳)。私も時間を見つけて、あらためて訳してみたいと思います。

俺たちは学んだのか
 治せるのか
 俺たちは皆あの光を見たのか
 雷みたいに落ちてきて 世界を変えちまった
 稜線を照らし 視界を消し去った
 戦争は終わらないんだよ 誰かが負けるまでは
 人々の群れが塔をなぎ倒し
 敵がどこに隠れているのか知っている
 兄妹たちは炎の中をはいつくばったが
 出口に届くことはなかった
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 彼らに何と言えばよいのか
 子供たちよ聞いてくれ
 俺たちが全てを吹き飛ばしてしまったが
 君たちは再出発してくれ
 朝なのに今は夜のようで 夜は冬のようだが
 いくつか変わったこともある
 いつも忘れないでいてほしい
 戦争は終わらない 誰かが負けるまでは
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか

◆忌野清志郎『花はどこへ行った』/ PP&M『Where Have All the Flowers Gone?』

当初電撃戦で一瞬にしてロシアの勝利と思われたウクライナ戦争が長引いています。電撃戦どころか、ウクライナの予想外の抵抗により(ウクライナとロシアの歴史を見れば、決して「予想外」ではないかもしれません)、もう2年半も続き、解決の糸口は見つからず、さらに長期化する兆しです。ウクライナの予想外の抵抗でロシア軍はなりふり構わず攻撃しウクライナの都市や大地を焦土化し泥沼化しています。かつてのベトナム戦争のように──。

1955年から20年続いたベトナム戦争は60年代には泥沼化し、同時に米国のみならず全世界的なベトナム反戦運動が拡がりました。あの頃の話が「遠い昔の物語」(忌野清志郎の詞)ではなかったことが今になって甦ってきました。ベトナム戦争は、私が幼少の頃に始まり、終わったのは大学を出る頃(1975年)でした。時の経過と生活に追われ長らく忘れていた悲惨な記憶が甦ってきました。

ベトナム反戦の叫びは多くのメッセージソングを生み出しました。

ピート・シーガーが作った『花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone ?)』もその代表作の一つでした。ベトナム戦争が始まった1955年に作られ、1962年にPP&M(Peter, Paul & Mary)が歌い大ヒットします。日本ではPP&M版が一番ポピュラーのようですが、このほか、キングストン・トリオ、ブラザーズフォー、ジョーン・バエズらが歌っています。曲の遠源はウクライナ民謡(子守唄)ともいわれますが、なにか因縁を感じさせます。

PP&M(Peter, Paul & Mary)

しばらくして日本にも輸入され、「反戦フォーク」として当時の若者の間でヒットし耳にタコが出来るほど聴き歌いました。私もそうでした。また、私と同じ歳の忌野清志郎(故人)もそうだったのでしょう、みずから意訳し歌っています。激動の時代を共に過ごし、時に原発問題とか社会問題にコミットする清志郎の想いがわかるような気がします。

今、ウクナイナでの戦火に触発され加藤登紀子、MISIAらが、この曲を歌い始めました。加藤登紀子はともかく、ライブで『君が代』を歌うようなMISHAがこの歌を歌うのには違和感がありますが……。登紀子さんには、この際、今は全くと言っていいほど歌わなくなった『牢獄の炎』とか『ゲバラ・アーミオ』とかも歌ってほしいですけどね。

つい先日(7月8日)、京都のキエフ(登紀子さんの実家経営)で、私がいた大学の学生運動、および寮の大先輩・藤本敏夫さんの23回忌が開かれました。私とは世代が全く異なり直接の面識はなかったので迷ったのですが、先輩に勧められ、資料コピー係(この世代の常として紙の資料が多いんです)を務め出席させていただきました。

その際、登紀子さんに「今はなぜ『牢獄の炎』を歌わないのですか?」と尋ねましたところ、「あなた、なぜこの曲を知っているの?」と驚かれました。「大学に入ってすぐに先輩に勧められ買いました。私に言わせれば『百万本のバラ』もいいが、『牢獄の炎』や、さらには『美しき五月のパリ』も復活させていただきたく熱望します。

ちなみに藤本敏夫さんは、ここ甲子園の出身です(甲子園三番町。鹿砦社は八番町)。

さて、『花はどこへ行った』は、日本でも多くの歌手がカバーしていますが、異色なところでは、古くはザ・ピーナッツ』や、今ではミスチルら、数年前、フォーククルセダーズが再結成された際のコンサートでは、わがネーネーズも一緒に歌っています。

ベトナム戦争が始まってから70年近く経ち、終わってからも50年近く経ちますが、ウクライナやパレスチナに見られるように、残念ながら、決して「遠い昔の物語」ではなくなりました。この曲は、ベトナム戦争終結とともに次第に歌われなくなっていきました。今後ウクライナ戦争のような戦争が起きるたびに歌われる名曲でしょうが、ウクライナやパレスチナに一日も早く平和が戻り、「遠い昔の物語」として、この曲が歌われなくなることを心より祈ります。


◎[参考動画]ピーター・ポール&マリー(PP&M)/花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone)

『Where Have All the Flowers Gone?』
作詞・作曲:Pete Seeger、Joe Hickerson

Where have all the flowers gone
Long time passing?
Where have all the flowers gone
Long time ago?
Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the young girls gone
Long time passing?
Where have all the young girls gone
Long time ago?
Where have all the young girls gone?
Gone for husbands everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the husbands gone
Long time passing?
Where have all the husbands gone
Long time ago?
Where have all the husbands gone?
Gone for soldiers everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the soldiers gone
Long time passing?
Where have all the soldiers gone
Long time ago?
Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?


◎[参考動画]花はどこへ行った~トランジスタラジオ 忌野清志郎

『花はどこへ行った』
忌野清志郎詞、ピート・シーガー作曲

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

可愛い少女は どこへ行った
遠い昔の物語
可愛い少女は 大人になって
恋もして ある若者に抱かれていた

その若者は どこへ行った
遠い昔の物語
その若者は 兵隊にとられて
戦場の炎に抱かれてしまった

その若者は どうなった
その戦場で どうなった
その若者は死んでしまった 
小さなお墓に埋められた

小さなお墓は どうなった
長い月日が 流れた
お墓のまわりに花が咲いて
そっと優しく抱かれていた

その咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
その咲く花は 少女の胸に
そっと優しく 抱かれていた

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

(松岡利康)

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

『季節』創刊10周年に際して ── 季節編集委員会

本誌『季節』が創刊から10周年を迎えました。創刊時の誌名は『NO NUKES voice』でした。あっというまの10年でした。この間に新型コロナが世界を席巻し、反(脱)原発運動も私たちの出版活動も停滞を余儀なくされました。

創刊は2014年で、まだ反(脱)原発運動も盛り上がっていて、連日国会前には原発事故、再稼働の策動に対する抗議の集会が続いていました。それは翌15年の安保法制に対する運動と連動しピークを迎えました。

その抗議の声も次第に終息していきました。にわか活動家もいつのまにか消えていきました。

しかし、運動の(表向き)後退期にあっても、今に至るも地道な老朽原発の(再)稼働に抗し、被曝問題、避難問題などに取り組んでいる方々がおられます。本誌を毎号紐解いておられる方は感じておられるように、先頭になって全国を奔走されている小出裕章、樋口英明先生らや、全国の現場で地道に活動をされている無名・無数の方々の力を結集し本誌は発行を続けてきました。創刊時は財政的にも比較的余裕がありましたが、新型コロナ襲来で厳しい局面を迎え苦しい中でも発行を継続しています。

そうして創刊10周年―― 財政的にも、友人・知人、未知の方々、著名な方々から無名の市井人まで多くの方々のお力を借りて手作りで発行を継続しています。こうした雑誌は、それが本来の姿かもしれません。

本誌は、本日から次の10年に向けて再出発いたします。私たちの存在や力は小さいです。皆様方と共に、また皆様方と支え合い、時に皆様方のお力をお借りし邁進してまいります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

2024年8月
季節編集委員会

8月5日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年夏・秋合併号(NO NUKES voice 改題)

A5判 148ページ(本文144ページ+巻頭カラー4ページ) 定価880円(税込み)
お陰様で10周年を迎えました!

《グラビア》
「幻の珠洲原発」建設予定地 岩盤隆起4メートルの驚愕(写真=北野 進
「さよなら!志賀原発」金沢集会(写真=Kouji Nakazawa

《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 原子力からこの国が撤退できない理由

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 なぜ日本は原発をやめなければならないのか

《報告》井戸謙一(元裁判官/弁護士)
 事実を知り、それを人々に伝える

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 核武装に執着する者たち

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
 課題は放置されたまま

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
 原発被害の本質を知る

《インタビュー》北野 進(「志賀原発を廃炉に!訴訟」原告団団長)
 珠洲原発・建設阻止の闘いは、民主主義を勝ち取っていく闘いだった

《対談》鎌田 慧(ルポライター)×柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)
 東京圏の反原発 ── これまでとこれから

《報告》今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
「核融合発電」蜃気楼に足が生え

※          ※          ※

《回想》松岡利康(鹿砦社代表)
 創刊から10周年を迎えるまでの想い出

《墓碑銘》松岡利康(鹿砦社代表)
 お世話になりながら途上で亡くなった方への追悼記

《季節創刊10周年応援メッセージ》

 菅 直人(衆議院議員・元内閣総理大臣)
 守りに入らず攻めの雑誌を

 中村敦夫(作家・俳優)
 混乱とチャンス  

 中嶌哲演(明通寺住職)
「立地地元」と「消費地元」の連帯で〈犠牲のシステム〉を終わらせる

 水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
『季節』丸の漕ぎ手をふやして、一刻も早く脱原発社会を実現しよう

 山崎隆敏(元越前市議)
「核のゴミ」をこれ以上増やさないために

 今野寿美雄(「子ども脱被ばく裁判」原告代表)
 裁判も出版も「継続は力なり」

 あらかぶ(「福島原発被ばく労災損害賠償裁判」原告)
 隠された「被ばく労働」問題を追及し、報じてほしい

※          ※          ※

《報告》なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)
《検証》あらかぶさん裁判 原発被ばく労働の本質的問題 

《報告》北村敏泰(ジャーナリスト)
 棄民の呻きを聞け 福島第一原発事故被害地から

《講演》和田央子(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
「復興利権」のメガ拠点 「福島イノベーション・コースト構想」の内実〈前編〉

《報告》平宮康広(元技術者)
 水冷コンビナートの提案〈1〉

《報告》原田弘三(翻訳者)
 COP28・原発をめぐる二つの動き
「原発三倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
 総裁選より、政権交代だ

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
   タイガー・ジェット・シンに勲章! 問われる悪役の存在意義

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
   山田悦子の語る世界〈24〉
   甲山事件50年を迎えるにあたり
   誰にでも起こりうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか(下)

《報告》大今 歩(高校講師・農業)
   洋上風力発電を問う 秋本議員収賄事件を受けて

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
 時代遅れの「原発依存社会」から決別を!
 政府と電力各社が画策する再稼働推進の強行をくい止める

《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
 6・9大阪「とめよう!原発依存社会への暴走大集会」に1400人超が結集

《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
 女川原発の再稼働はあり得ない 福島事故を忘れたのか

《福島》黒田節子(請戸川河口テントひろば共同代表)
 浪江町「請戸川河口テントひろば・学ぶ会」で
 北茨城市大津漁協裁判で闘う永山さんと鈴木さんの話を聞く

《柏崎刈羽原発》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 7号機再稼働で惨劇が起きる前に、すべての原発を止めよう!

《首都圏》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
 福島原発事故の責任もとれない東京電力に
 柏崎刈羽原発を動かす資格はない!

《浜岡原発》沖基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
 静岡県知事と御前崎市長が交代して
「一番危険な原発」はどうなるか

《島根原発》芦原康江(さよなら島根原発ネットワーク)
 政治に忖度し、島根原発2号機運転差止請求を却下
 それでも私たちは諦めない!

《玄海原発》石丸初美(玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会)
 玄海町「高レベル放射性廃棄物・最終処分場に関する文献調査」受入!

《川内原発》向原祥隆(反原発・かごしまネット代表)
 私たちは歩み続ける

《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
 原子力規制委員会を責め続けて11年
 原子力規制委員会は、再稼動推進委員会・被曝強要委員会

《反原発川柳》乱鬼龍

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/

◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000748

龍一郎揮毫
私たちは唯一の脱原発雑誌『季節』を応援しています!

支離滅裂、『週刊金曜日』の「モンロー主義」の解釈 黒薮哲哉

『週刊金曜日』(7月26日)の記事「バイデン撤退ハリス後継でトランプ優勢変わらぬが……」(編集部の本田雅和氏の署名)に、基本的な事実関係が間違っている箇所がある。現代史の中で重要な分部なので、指摘しておこう。米国大統領選における、トランプ候補の政治姿勢について述べた箇所である。次の記述である。

 

もう一つ、米国社会を歴史的に貫く大きな潮流として「対外関与を忌避し、自国政治に専念すべきという独立主義」の伝統がある。かつてはモンロー主義と呼ばれた、19世紀からの伝統だ。

ウクライナ戦争やパレスチナ・ガザにも「無関心」で、「日米安保条約は不平等条約」と言って「破棄」さえしかねないトランプの米国第一主義は、この孤立主義を体現している。トランプになれば、日本や韓国に対する軍事費負担増などの軍事強化要求がさらに強くなるのは必至だ。

「米国社会を歴史的に貫く大きな潮流として『対外関与を忌避し、自国政治に専念すべきという独立主義』の伝統がある」と述べているが、この記述が誤っていることは、米国によるウクライナやパレスチナへの関与を検証すれば一目瞭然だ。

ラテンアメリカ諸国に対する内政干渉も甚だしい。戦後だけを見ても、1954年のグアテマラに始まり、その後、キューバ、チリ、ニカラグアなど中米へ介入している。現在では、ベネズエラの左派政権に対する敵視政策は目にあまるものがある。次に示すのが、米国によるラテンアメリカへの軍事介入の実態である。

『週刊金曜日』が提示したモンロー主義の解釈も間違っている。モンロー宣言(1823年)に象徴されるモンロー主義は、確かに内政不干渉を基本とする文書だが、宣言が行われた背景に、ヨーロッパ諸国によるラテンアメリカ諸国への内政干渉があった。米国は、欧州に対抗するために、モンロー主義を宣言し、ラテンアメリカが自国(米国)の「裏庭」にあたるとする立場を前提に、米国こそがこの地域を支配する権限を有することを宣言したものなのである。モンロー宣言は、むしろ米国によるラテンアメリカへの内政干渉を正当化するための宣言なのである。実態としては、「対外関与を忌避」したものではない。

実際、米国はモンロー主義を口実として、ラテンアメリカ諸国への内政干渉を繰り返してきた。内政干渉は現在も続いている。

『週刊金曜日』は、このような脈絡を無視して、トランプが政権を執れば、米国による内政不干渉の政策が導入され、その反動で日本や韓国の軍事負担が増えると、論じているのだ。支離滅裂な論考である。西側を世界戦略に巻き込もうとしている米国の基本的な対外戦略を無視して、トランプを論じているのである。これでは既存メディアと同じレベルではないか?

本稿は『メディア黒書』(2024年07月30日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)
黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

戦後日本の革命 in ピョンヤン〈6〉老衰化の「例外主義の米国」が迫る9条改憲と非核の放棄 若林盛亮

◆“ノレハジャ キム・ジョンウン”TikTok再生1,100万“大バズリ”!

朝鮮のミュージックビデオがTikTokで260万再生の“大バズリ”!

こんなネット記事が送られてきた。この記事が5月17日付けだったが、朝鮮の労働新聞の「正論」記事には「世界で1,100万回再生」との引用があった。これが7月初旬だから1ヶ月半余で5倍近くに増えたことになる。労働新聞という固い党機関紙に載るほどだから朝鮮でもよほど異例の「事変」だったのだろう。

この歌の題名はキム・ジョンウン総書記を謳(うた)い上げる「チングンハン オボイ」、直訳すれば「親近な父」だが、「慕わしい父」と言った方が実感に近いと思う。

少しネット記事を引用する。

“この曲に合わせてダンスなどをする動画を欧米の若者がSNSに数多く投稿し、中には再生回数が260万回を超える動画もあるということです。SNSでは、「この曲にはグラミー賞が必要」「完璧な曲を出した北朝鮮に行きたい」という声もあがっています。高麗大学ピーター・ムーディ氏は、「この曲はABBAの曲調に似ている。軽快で耳なじみの良いオーケストラサウンドが際立っている」と分析しています”

“ノレハジャ キム・ジョンウン”[左]養老院のオバアちゃんらも“いいね!”/[右]真ん中にはあの女性アナウンサーが

この歌は「ノレハジャ(歌おう) キム・ジョンウン」の「ノレハジャ!」節に来て最高にノレる曲作り、自然にダンスしてしまうようにできている。昔、日本にスマイリー・小原という歌番組で「踊る」指揮者がいたが朝鮮のオーケストラ指揮者も腕をぐるぐる回したりであたかもダンスしてるよう。朝鮮では子供たちも登下校時にこの歌を歌っている。

私がこの曲を視聴したのは、新しい1万世帯ニュータウン入居式典が盛大に行われた際の音楽公演舞台だった。ノリのいい曲調に会場の聴衆は湧きに湧いた、特に若い大学生などはリズミカルに身体を揺すってノリにノッテていた。バックに映る動画も異色のもの、いつもの重大ニュース発表時の日本でも有名なおばちゃんアナウンサーも同僚たちと親指を突き立てる「イイネ」ポーズ、陸海空軍兵士、医者看護婦、スチュワーデス、労働者、農民、子供ら各界各層が次々にそれぞれの「イイネ親指突き立て」! 動画で面白かったのは養老院のお婆ちゃんたち、欠けた歯で笑って「イイネ」ポーズ。TV画面を観て私も思わず笑ったが、踊りたくなるようなアップテンポの曲、たしかにABBAのダンス曲に近いかも知れない。

こんな曲が生まれる空気感がいまの朝鮮の「現住所」だろう。こう書くと宣伝っぽくなりそうだけれど、以下は事実そのままを書く。

首都ピョンヤンでは2025年までに完成のモダンな高層ビル群のニュータウン、5万所帯住宅建設真っ最中、年に1万所帯づつだから超高速度戦、これで市内の住宅問題が解決する。また「日本人村」からほど近いところには「IT化」された超モダンな世界的にも希有と言われる大規模温室農場が1年足らずで完成、これでピョンヤン市民の野菜供給が全面的に解決される。そして農村文化住宅建設が全国で展開されていてピョンヤンのモダンな新築アパート生活と変わりのない住居条件で農民も生活する。むろん光熱費だけで住居費は無料。これが春頃から連日、2件づつほど地方農場の入居式風景がTV放映されているから、もうかなりの数に上るはずだ。

また「20×10」政策と称して今年から全国の200ほどある郡に地方工場コンビナートを20件/年、それを10年で終える、だから「20×10」政策。その地方で消費する食品、衣服、靴、学用品、家庭用品などの軽工業工場地帯をつくる。「地産地消」だから原料確保も技術者、技能工も地方で全て解決する。工事は人民軍の専門部隊が担当する。セメント、鉄骨材、水回り品、そして工場に設置する機械製品など基本資材は中央が保障、他の建材、建具などは地方で解決する。

これで都市と農村、首都と地方との生活条件での格差解消、これを全国の「全面的、均衡的発展」としている。日本の「地方消滅」とは対照的に「地方活性化」をやっている。

「社会主義万歳の声が全国でわき起こるようにする」というのが政府方針だから、実際の「変革実体」を国民が生身の生活体験によって「社会主義のありがたさ」を実感するようにということだろう。

米国による長年の制裁、それに加えてここ数年に及ぶコロナ禍で国境封鎖が続く中、「制裁を奇禍に自力更生で苦難を正面突破!」がスローガン。この自力更生も昔の「土木工事」式の人海戦術的なものじゃなくて、「知識経済時代の自力更生」、「科学技術、人材重視の自力更生」と言われる。中央のセンターからネット網を通じて全国の企業、農場、学校の「科学技術普及室」で、またスマホで適時に双方向での自分に必要な「最先端の科学技術情報」が学べる。また教育革命の一環、「学校前2年教育を含む」12年制義務教育も10年目を迎えて「科学技術人材」も順調に育っている。

国産品もいいのが出てきている。「世界的ブランドをめざせ」がスローガンで、例えば化粧品やスポーツ用品の企業にある見本展示場には“CHANNEL”“Dior”“SHISEIDO”そして“addidas”“NIKE”などの有名ブランド品も自社製品と共に並べられている。有名デパートや大規模商業施設にも世界のブランド品が国産品と共に陳列されている。「朝鮮の地に足をつけ、目は世界を見よ」! これ以上の高品質製品を! 将来は「朝鮮ブランドを世界ブランドにする野心を持て」ということだろう。

望んだことではないだろうが、極論すれば「国連制裁」下で事実上の「鎖国」状態、でもほぼ全部、自分の原料、技術、人材で上記の「社会主義万歳の声が全国に満ちる」ようなことをやっている。

「いまは社会主義全面的発展期」という位置づけだ。

超円安の直撃を受ける日本の「常識」では「そんなバカな!」というところだが、事実だから仕方がない。まさに「事実は小説よりも奇なり」。

「ノレハジャ!」に老いも若きも、男も女も自然に踊り出し、「イイネ」の親指突き立てポーズを決める。こんな曲が生まれる楽しくも自信満々、そんな社会的ムードになっている。

朝鮮はバイデン大統領の言う典型的な「権威主義国家」ということだが、彼は「1,100万再生大バズリ」をどう思うのだろう? バイデン爺さんよ! 朝鮮は核とミサイルだけじゃないんだよ。

以上は本論に入る前のちょっと楽しい「イントロダクション」。これからは「戦後日本はおかしい」が究極に来つつあるという、ちょっとどころじゃない厳しい今後の日本の現実、でも「希望はある」の本論。

◆“老衰度争い”の米大統領選討論会

バイデンの言う「民主主義国家」「普遍的価値観の模範国家」米国で、「老衰度」を争う大統領選を前にした討論会が世界の話題になっている。この討論会以降、民主党内からは「認知症気味のバイデンではダメだ」という大統領候補交代論がわき上がった。だからといって代わる候補がいるかというと、それも見あたらない。どれもこれも「帯に短し襷に長し」。(※バイデン大統領は7月21日、大統領選からの撤退を表明。新たな大統領候補としてカマラ・ハリス副大統領を指名した。)

政策論議よりも「老衰度争い」という大統領選討論会がいまの米国の「現住所」を示しているように思う。

「対ロ対決の主戦場」ウクライナでは自分がケンカを売った相手、プーチンの先制的軍事行動によって米国自身が窮地に陥った。

徴兵から逃れようと多くのウクライナの若者がルーマニア国境越えを試み「山岳地帯で凍死」「河で溺死」の危険を冒してまで軍への参加を忌避。とうとう刑務所の囚人を徴兵するしか手がなくなったゼレンスキー政権。そのゼレンスキーの妻はランボルギーニというイタリアの最高級車を最近、買ったという。誰が何を買おうと自由だが、徴兵忌避の若者の凍死、溺死続出という難局に大統領夫人がそんなぜいたくというのは、どんな神経かと疑われる。

ちなみにロシアは徴兵制ではなく志願制だ。有給制ということもあるが兵役志願の若者で兵員不足とならないのも代理戦争ウクライナに対する祖国守護戦争ロシアの強みだ。

ゼレンスキー人気もこのところ急落し始めている。国民もこの戦争が愛国の祖国守護戦ではなく、米国(NATO)の代理戦争だということを薄々感じ始めているからだろう。

そもそも反転攻勢ができないのは、米欧からの最新兵器支援が足りないからだと「もっと兵器をくれ」と大統領が駄々をこねるような戦争は、民族解放戦争でも祖国守護の愛国戦争でもない。最新兵器物量作戦の米軍を相手に戦った朝鮮戦争やベトナム戦争で指導者も人民も「最新兵器がないから勝てない」などという弱音は一言も吐かなかった。朝鮮では「原子爆弾に歩兵銃が勝った」戦争と言われている。ベトナムも同様だろう。

他方、ガザ戦争でも米欧支援のイスラエルが窮地に陥っている。

「ハマス壊滅までガザでの戦争(民間人大量虐殺)を止めない」とするネタニヤフ首相に対して軍の報道官が「ハマスは思想だから壊滅は不可能だ」と反論した。戦時内閣からガンツ前国防相が離脱、シオニスト極右だけが残ったネタニヤフ政権はますます強硬姿勢を取るしかないが、それが却(かえ)って窮地を招きそうになっている。最近の北部レバノンからのヒズボラの大規模攻撃激化でガザ地区との2正面作戦を強いられるようになった。ヒズボラはハマスよりも装備兵器も兵員数もはるかに優る軍事組織だから、「北部戦線」はイスラエルには多大の負荷になる。米国は軍事支援を継続するというが心中は「おっかなびっくり」というところだろう。

「対中対決に集中する」という「いまトラ」米国だが、それも結果はほぼ明白だ。前号に書いた「長州征伐戦争が“幕府ご瓦解”の前兆になった」、その二の舞になるだろう。

覇権政治も老衰化、覇権軍事も老衰化、そして覇権経済も……それがいまの米国だろう。

◆米国の「例外主義」 もう誰も認めない

戦後世界の「常識」、「パックス・アメリカーナ」(米国による平和)と称する米一極覇権秩序を支えてきた米国の外交理念、イデオロギーが「例外主義」だ。それは次のように規定されている。

“米国は物質的、道義的に比類なき存在で世界の安全や世界の人々の福利に対して特別な使命を負う”

米国は「物質的に豊か」で「自由と民主主義」チャンピオンの国、普遍的価値観の模範国家、まさに「比類なき存在」、ゆえにこの普遍的価値観が世界を支配する世界秩序、米中心の国際秩序維持に「特別な使命を負う」。このイデオロギーが戦後世界を支配してきた。

「米国についていけば何とかなる」が戦後日本の常識、生存方式とされてきたのは、この米国の例外主義を戦後日本が認めてきたからだ。

1947年2月の敗戦直後に生まれた団塊世代の私も子供の頃は米国が憧れの的だった。

TVドラマ「パパはなんでも知っている」や映画で観る米国の豊かな中流家庭、電化製品の整った白亜の瀟洒な二階建てに住み、息子娘たちは週末はオープンカーでデートを楽しむ、そんな子供たちの自由奔放な青春に理解心のある両親、それは敗戦直後の日本の少年にとってはまばゆいばかりのものだった。

アメリカのポップ音楽を聴く姉、それが耳に馴染んだ私は南春男や橋幸男が歌う演歌など日本の歌謡曲はいかにもダサイと思った。

高校生の頃、大統領就任式のケネディ演説が「朝日ソノラマ」で発売されたが、若者に呼びかけた「フロンティア・スピリット」(開拓者魂)などにクラスの多くがしびれていた。日本の首相や政治家はダサイと私も思った。

あの頃はたしかに米国は「比類なき存在」に思えた、いやそう思わせる「魅力」があったのは確かだ。まだ日本は貧しく、軍国主義から民主主義への激変中の日本の大人たちの価値観はまだ混沌としていて、そんな大人たちも米国の大人たちよりダサイと思った。

高三頃になって「米国はおかしい」「戦後日本はおかしい」ことに気づき始めた私だが、昼間の日本社会は「アメリカに追いつき追い越せ」、高度経済成長の日本に浮かれていた。

ベトナム反戦、反安保の闘い、学生運動で私たちは正義感から激烈に闘ったけれど、運動自身の内包する限界性によって、東京万博から一億総中流に向かう「昼間の明るい日本」の波に飲み込まれてしまった。一言でいって「比類なき存在」の米国、「米国についていけば何とかなる」式の生存方式そのものにうち勝つことはできなかった。高度経済成長、お金や立身出世に浮かれる日本社会を批判したり、「反帝」だとか「反対」は叫んでも、こうすれば日本はもっとよくなるという日本人への提案、政治構想が何もなかった。当然の事ながら「革命」は敗北と未遂に終わった。

あれから半世紀を経て世界の様相はがらり変わった。米国の例外主義は地に落ちた。

もう “米国が「比類なき存在」で「特別な使命を持つ」”に誰もが疑問を感じるようになった。その端的表現が今年の米調査会社ユーラシア・グループ公表の「世界十大リスク」のトップに「米国というリスク」、「米国の民主主義の危機」が上げられたことだ。

米国のZ世代と呼ばれる新しい若者たちも自分たちの国が「比類なき存在」だと思えなくなっている。「反ユダヤ主義」と非難されようが「停学処分」で脅されようが、「ガザ虐殺反対」「イスラエル支援糾弾」の抗議運動をやめない学生たちはその一例だろう。トランプ支持の貧しい白人たちは「世界に対し特別な使命」を果たすより「アメリカ国民に対する初歩的な使命」を果たすのが第一じゃないかと「アメリカ第一」のトランプに喝采を送る。

もう米国の例外主義を世界の誰も認めない。

日本では「米国についていけばなんとかなる」から「米国についていけば大変なことになる」に、私式に言えば「戦後日本はおかしい」どころじゃない、「戦後日本は革命すべき」時に来ている。この手記で何度も訴えてきたが、このように問題が提起される時点に来た。

◆「持たず、作らず、持ち込まさせず」から「持たず、作らず、撃ち込まさせず」へ

そんな老衰化一方の米国が覇権秩序の瓦解阻止、「回春」の期待をかけるのが日本だが、それは迷惑千万どころか、わが国にはとても危険なことだ。

兼原信克“持たず 作らず 撃ち込ませず”

フジTVのプライム・ニュース(6月26日)、テーマ「中国・核戦力の実力と核大国化の狙い」に出演した兼原信克・元国家安全保障局次長(現在同志社大学特別客員教授、笹川平和財団特別理事)は番組最後の中国の核に日本がどう向き合うべきかの提言にこう書いた。

「持たず 作らず 撃ち込まさせず」

日本の非核3原則「持たず 作らず 持ち込まさせず」に引っかけたものだが、「持ち込まさせず」からの転換を訴えて「撃ち込まさせず」を提案した。要は「核持ち込みを認めよ」という主張だ。

兼原信克という人物はこの間、「非核の国是見直し」を日本人に説いてきた「安全保障問題の第一人者」だ。

昨年、G7広島サミットを前に持たれた広島での読売新聞主催のシンポジウムでは「日本の最大の弱点は“核に対する無知”だ」と言い切った。そしてあるTV番組でずばり語った。

「非核の国是を守ることが大切か、国民の命と安全を守ることが大切か、議論すべき時が来た。答は明らかでしょう」

産経新聞の今年の元旦社説は「米核戦力の配備や核共有、核武装の選択肢を喫緊の課題として論じる」必要を説いた。

この通信に何度も書いたので繰り返さないが、「老衰化」軍事の米国は対中・劣勢挽回のために日本に「非核の国是」放棄を迫っている。

その狙いは、「対中対決の最前線」と位置づける「日本列島の中距離“核”ミサイル基地化」、その具現として日米「核共有」による「陸上自衛隊のスタンドオフ・ミサイル(中距離ミサイル)部隊の有事の“核”武装化」だ。

昨年5月掲載のこの通信に書いた「対日“核”世論工作」は2年ほど前から執拗に行われている。それだけ広島、長崎の被曝体験者である日本人の非核世論を崩すのが容易でないこと、しかし「老衰化」軍事の米国が対中・中距離“核”ミサイル劣勢を挽回するためには「非核の国是放棄」は譲ることのできない必須条件であることを示すものだろう。

◆「アメリカ以外の国と連携を組んでいく」 そのための憲法改正議論が必要

朝日新聞デジタル版はこのような記事を伝えた。 

“日本、フィリピン両政府は7月8日、自衛隊とフィリピン軍が共同訓練などで相互に訪問しやすくする「円滑化協定(RAA)」に署名した。東シナ海、南シナ海で海洋進出を強める中国に対抗するため、日日本は米国とともにフィリピンとの安全保障面での連携を強化しており、同国との関係を「準同盟」級へと格上げを図る。”

日比両国の国内手続きを経てRAAが締結されれば、日本にとって「準同盟国」と位置付ける豪州、英国に続く3カ国目。締結により、両国共同の軍事演習などに際し相手国への入国のためのビザ取得や、武器弾薬を持ち込む手続きなどが簡略化される。

このところ日本はインド太平洋地域で「準同盟国」を増やす動きを見せている。いずれ「準同盟国」から「同盟国」への格上げが追求される、「準同盟国」形成はその地ならしだと言えるだろう。

こうした日本政府の動きの背景には米国の同盟関係転換政策、“ハブ&スポーク状”同盟から“格子状”同盟への転換がある。

“ハブ&スポーク状”同盟とは、自転車の車輪の中心部のハブ、そのハブにつながる無数のスポークが車輪を支える構造に譬えた同盟構造を指す。ハブとなる中心に米国があってその中心から伸びるスポーク(同盟)で各国がつながる、つまり米国が各国個別に同盟を結び、各国が軍事大国、米一国に依存する同盟関係を指す。

“格子状”同盟とはインド太平洋地域の日韓、日比、日豪が格子状に重なるような同盟構造への取組を行うことだ。もちろん各国は米国と同盟関係にある、だが「米国だけに頼るな」ということ、この地域各国が相互に「独自の同盟関係」を結びアジアでの米覇権秩序を守れということだ。もちろん、この同盟の矛先は中国だ。

このわかりにくい同盟構造をオースチン国防長官は「同盟国や友好国同士が相互に結びつきを強める“新たな集約”に移行した」と説明した。これを小野寺五典・自民党安全保障調査会議議長は「いままではアメリカが後ろ盾になって“俺についてこい”だったのが、“みんなで一緒にやろうよ”に変わった」と表現した。

「老衰化」の米軍事力だけでは国際秩序を支えきれなくなったから「みんなで一緒にやろうよ」だが、各国が米覇権秩序維持のための相互の二国間軍事同盟を結ぶこの格子状同盟の全てに日本が噛まされる。

インド太平洋地域の格子状同盟構築の上で問題はその核になる日本だ。

先の小野寺氏は「アメリカ以外の国と連携を組んでいく、仲間づくりをたくさんやっておく」と述べながら、一つの懸念を表明した。「日本は憲法の制約がある」と。

小野寺氏は従来の「日本の日米安保は片務的」としながら、でも他の国は「片務的同盟」を受け容れてくれないだろう、「だとすると憲法改正の議論が必要」と述べた。これはどういうことなのか?

日米安保同盟は米軍が圧倒的強さで世界を支配できた頃のものだから「軍事は米軍に任せる」片務的同盟関係でよかったが、他の国とはそうはいかない。格子状同盟の要求からすれば、日本が韓国やフィリッピン、オーストラリアなどと安保同盟を結ぶべきだが「戦争のできない」憲法9条が障害になる。韓国やフィッリピン、オーストラリアにとっては、「日本も戦ってくれる」のでなければ軍事同盟を結ぶ意味がない。当然、「日本は戦ってくれない」憲法9条の制約があれば、米国の望む格子状同盟関係構築は不可能となる。

この米国の“格子状”への同盟関係変容要求からも9条改憲が日本に迫られるのは必至だ。

その一方で5月掲載の「戦後日本の革命inピョンヤン」(4)に書いた岸田国賓訪米時に米国と約束した日米同盟・新時代だが、その核となる「日米安保の攻守同盟化」に伴う「国際秩序維持のための戦争」義務を日本が負うこと、つまり「戦争のできる自衛隊」にすること、「交戦権、戦力保有」を憲法9条改訂もなしに岸田首相は米国に誓約した。けれどその本格始動のためには、いずれ9条改憲は必至だ。

「日米安保の攻守同盟化」への転換、「格子状同盟」への転換という二つの必要性から9条改憲は必須課題として日本に迫られる。

◆でも希望はある!

次期自民党総裁候補で国民的人気ナンバーワンの石破茂氏は、あるTV番組で自分の国家観は「主権独立国家だ」と述べながら「重要なのは憲法だ」とのみ語った。石破氏が「重要なのは憲法」と言ったのは「憲法9条第二項の交戦権否認・戦力不保持」の改正の必要があるということを言外に匂わせたのだろう。石破氏は安倍元首相が提起した「9条に“自衛隊合憲”を書き込む」という現自民党政権の姑息な改憲案に対して「9条第二項改憲を正々堂々と国民に問うべき」だと説いてきた人物だ。

気脈の通じるおふたり

また彼は以前、「自主防衛策」として「核武装論」も説いていた人物でもある。当然、「非核の放棄」も念頭に置いている。

上記の米国が日米同盟新時代の要求としてわが国に迫る「9条改憲」と「非核国是の放棄」を石破総裁、そして石破首相が実現すれば彼がそれを実行するであろうことは明らかだ。

他のTV番組では石破氏と野田佳彦・立憲民主党最高顧問は互いに気脈が通じるとしながら岸田政権後の次期政権構想を語り合った。この政権の第一課題として立民の野田氏は「日米基軸」を上げた。石破氏はこれを高く評価した。

また次期立憲民主党代表に立候補意思を表明した枝野幸夫氏は最近、こんなことを言い始めた。

「海兵隊機能、米軍依存でいいのか。自衛隊が持つべき」だと。

枝野氏は沖縄の南西諸島の対中防衛を念頭に置いたものとしているが、海兵隊というのは敵国侵攻の先頭に立って上陸作戦を行う最精鋭部隊、外征戦争の突撃部隊だ。対中・対朝鮮最前線の沖縄に米海兵隊基地が集中しているのはこのためだ。「海兵隊機能を自衛隊が持つ」ということは「戦争のできない」憲法9条を改正するということと一体だ。

うがった見方をすれば次期政権は自民・立民の挙国一致政権、「新政権の課題は9条改憲」、「非核の国是放棄」、これがあながち邪推とは言えない時代が来たと思う。実際、日米基軸という点では与野党に大差はない。

この政治状況ではお先真っ暗に思えるが、希望はある。

先の東京都知事選にその一端を見ることができる。

その第一は、自民党や立憲民主党といった与野を問わず既存の政党に都民が「NO!」を突きつけたことだ。小池百合子都知事も政党色を出さず「東京都政」を全面に出して勝った。二位の石丸伸二さんは既存政党を痛烈に批判し「新しい政治」を押し出して「泡沫候補」から一躍二位に躍り出た人物だ。この人物に関しては厳しい評価もあるが、人物評価は別として注目すべき現象だと思う。

実際、今の政治に、右も左も、与党も野党も、自民党も立憲民主党もない。皆似たり寄ったりになっているではないか。問題は、「われわれが住んでいる東京、日本」だ。東京をよくし、日本をよくしてくくれる人、政党、それがよい人、よい政党、よい政治家だ。都知事選での東京都民の投票行動には、今、世界に広がる「自国第一、国民第一」の流れにも通じるものがあるのではないかと私は思う。 

もう一つ今回の都知事選から見えてきたことがある。

それは、若者だ。若い人たちが重い腰を上げだし投票率を大きく上げた。蓮舫さんを破って165万票を得て二位に躍り出た石丸伸二さんは41歳。今回15万票を集め、5位につけた安野貴博さんは33歳だ。今回の選挙で、この二人がSNSを駆使し、広く若者たちにアピールして、彼らから人気を大きく集めたのは、特筆すべきことだったと思う。これまでの無党派層、選挙にも行かなかった若者の政治への当事者意識が動き始めたというのは大きいと思う。

これらはあくまでいまは「希望的観測」に過ぎないけれど、この「希望」を政治の力にできれば、「戦後日本の革命」は夢ではなくなる。そんなかすかな「希望」が見えてきたわが国、日本に勇気を得ながら、ピョンヤンからの発信を続けていきたいと思う。

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

◎ロックと革命 in 京都 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=109

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』