昨年末に勃発した自民党の裏金疑獄は、安倍晋三内閣の閣議決定で定年延長された黒川弘務・東京高検検事長が検事総長に就いていれば、東京地検は動けなかったものと思われます。それを阻止したのは文春砲の“賭け麻雀”でした。

安倍元首相は国会で「私は何度も告発されたが立件されることは一度もなかった」と豪語。その自信の裏には“根拠”があったことがわかります。だとすれば、安倍独裁のさらなる検証の必要性も、あらためて浮かび上がってくるところです。さらにいえば、元NHK記者の岩田明子氏による「安倍元首相が派閥会長当時に対応を指示していた」との“スクープ”も、自民党・検察・メディアの関係から読み解くべきです。

安倍元首相暗殺事件はすでに一昨年。これをきっかけに旧統一教会と自民党の癒着が「マスメディアの沈黙」から解き放たれたなかで、自民党と公明党の連立にも大きな影響をもたらしたことを、本誌記事で明かしています。この暗殺事件から、裏金疑獄による安倍派、ひいては自民党の“崩壊”が、一連の“流れ”の上にあることは間違いありません。

「大阪・関西万博」をてこに導入に向け加速する「ライドシェア」。十年前、安倍晋三首相も乗り気だった米ウーバー参入が「規制の壁」により失敗したのはよく知られるところ。当時と今で何が違うのかは不明で、むしろ「ウーバーイーツ」でさまざまな問題が顕在化してきました。

本誌記事でも述べられているとおり、ライドシェアで考えるべきは利便性ではなく労働環境全体にもたらす影響です。当たり前に働き、当たり前に生きるというのが、すでに困難な社会。一攫千金を狙うホストが女性たちを搾取、そのホストたちも搾取されている、という状況の背景にあるのはそれではないか、うわべだけ規制しても無意味では、との思いはぬぐえません。だとすれば、「失われた三十年」は「奪われた三十年」といえるかもしれません。

一方で、それまで地道に積み重ねてきた議論を無視し、欧米から借りてきた価値観を日本社会に塗り込めるようなことが、あちらこちらで行なわれています。それに対抗するものが「多様な言論」であるはずですが、出版予定の翻訳本を発売中止としたKADOKAWAの判断には、疑問を呈さざるをえません。同書に投げかけられた批判の内容こそ、重要な議論の対象であったことは、論を俟ちません。言論・出版そのものの現代的意義こそが問われているのだといえます。

さらに、今月号で特に注目すべき記事が「イスラエル閣僚が語ったパレスチナ侵攻の目的と思想」。イスラエルの財務大臣兼国防省内大臣が、パレスチナ差別を堂々と語るその内容を、レポートしています。昨年12月号では、イスラエルによる侵攻が宗教戦争ではないこと、1月号ではその裏にある利権の存在を指摘しました。それらとともに、イスラエルがパレスチナで何をしようとしているのかを、明らかにするものです。

ほか、「ゲノム編集食品」の危険性に関する専門家による解説や、宝塚歌劇団の闇など今月号ももりだくさんの内容をお届けします。「紙の爆弾」は全国書店で発売中です。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

『紙の爆弾』2024年2月号

すでにバイデンを見限った習近平「米中対立」の真実と真相
岸田総裁は党解散届を総務相に今すぐ出せ!
自民党裏金疑獄事件でも「マスメディアの沈黙」
“裏金総辞職”で麻生太郎が復権財務省が主導するポスト岸田シナリオ
KADOKAWA出版中止事件の背景 少女たちの乳房切除を止められるのか?
米オスプレイ墜落で再び見えた「日本の屈辱」
「“パレスチナ人”というものは存在しない」
イスラエル閣僚が語った“パレスチナ侵攻”の目的と思想
非米か親米か、決断の時 “自民党崩壊”の先に米国の策略
繰り返される「政治資金不記載」「選挙違反」政治家はなぜ法を守らないのか
加速するフードテック・ビジネス
脳も免疫系も破壊する危険だらけの「ゲノム編集」
「ジャニーズの次はAKB48」終わらない“性加害問題”と芸能界メディア癒着
ジェンヌ自殺事件を招いた宝塚歌劇団の闇の最奥
相次ぐ“巨大教団ドン”の死去
池田大作の死で「宗教と政治」は変わるのか
アベババと約100人の盗賊
シリーズ 日本の冤罪46 奄美大島女性殺人事件
連載
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
ニュースノワール 岡本萬尋
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
キラメキ★東京漂流記 村田らむ
裏から世界を見てみよう マッド・アマノ
権力者たちのバトルロイヤル 西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/

◆どうなる解散総選挙

岸田内閣支持率の低下が止まらない。毎日新聞では、同社世論調査の1947年以来最低という16%を記録した。 それでも、岸田首相の口からは「解散総選挙」の5文字は出てこない。

元々、この5文字は、昨年末のテレビ出演で、岸田首相自身の口から出てきたものだ。以来、今年初から、一年間、当のご本人により事ある毎にちらつかされ続けてきた。

ところが、物価高騰による生活苦の深まり、それに対する無策の上の増税など、岸田政権への信頼が揺らぎ急落する中、それに追い打ちをかけるように法務、財務、文科、三副大臣の不祥事とそれが元での辞任、自民党各派閥のパーティー券、「裏金」問題、等々が重なり、解散総選挙の来年への先送りを首相自ら口にした矢先でのこの歯止めの利かない支持率続落、どん底だ。

進退窮まった岸田首相がどう出てくるか。「支持率ゼロまでやめないつもりか」など、ヤジが飛び交う中、その出方に注目が集まっている。

◆開陳された泉房穂「政権交代戦略」

そうした中、今、日本政界で急速に脚光を浴びてきているのが「泉房穂」。前明石市長である同氏の言動が時期適切、とにかく面白い。

「政権交代は一瞬でできる。こんなことを言えば、〈泉どうしたんか〉と言われそうやけど、皆できないと思いこんでいるだけ」。

これは、「週刊FLASH」12月12日号に載った彼自身の発言だ。

そこで提起された「政権交代戦略」は迫力満点、大いに説得力がある。

まず、政権交代のための基本戦術を全国289ある小選挙区で野党候補を一つに結束し、与野党一騎打ちに持ち込んで勝つことに置く。

そのために野党の一本化が必要だが、それは、政権交代のリアリティがあれば十分可能だ。言い換えれば、権力奪取の可能性があれば、幾らでも連立できると言うことだ。

その上で、重複立候補は禁止する。同じ選挙区で候補者がかち合った場合は、予備選挙をして統一候補を決める。

今日、「生活を何とかしてくれ」という国民の声がいつにも増して高まっている中、野党の一本化を実現する上で何より重要なのは、「救民」の旗を掲げ、「救民内閣」実現を目標に、それに向けた流れをつくることだ。これができれば、小選挙区での「一本化」はあっと言う間に進み、次の総選挙一発で与野党逆転、政権交代は十分可能になる。

「解散総選挙」をめぐり、岸田政権の出方が問われ、日本政界が大揺れに揺れている今、週刊誌に開陳された泉房穂氏の「政権交代戦略」。これまで自分自身の明石市長選をはじめ、数々の首長選、一騎打ちで勝利を重ねてきている同氏だけに、大いに注目に値するのではないだろうか。

この泉氏の問題提起にどう対するか。野党ばかりでなく、日本政界全体の鼎の軽重が問われているのではないかと思う。

◆「解散総選挙」の意味と「政界再編」

岸田首相が今年、一年を通して持ち出してきた「解散総選挙」には、様々な意味が込められていたと思う。

一つは、「米中新冷戦」の最前線を日本が担うための核やデジタル、等々、「日米統合」と連関する、軍事、経済など各分野での政策、施策を野党の反対、抵抗を最大限避け、スムーズに成立させるため、「解散総選挙」をちらつかせて、その矛先をかわしたということだ。

その上で、もう一つ、実はこちらの方が本命だったと思われることとして、米国は本当に岸田政権に解散総選挙を望んでいたのではないかということがある。

一昨年の総選挙大勝利により、今は、「黄金の三年」、岸田政権は向こう三年間、選挙をする必要がない。その上、この一年、当初より岸田政権への支持率は下降線を辿っていた。そこでの「解散総選挙」は、岸田政権にとって、マイナスにはなってもプラスにはならない。それがなぜ今、「解散総選挙」なのか。

求めているのは、米国くらいしか考えられない。では、その目的は何か。なんのための「解散総選挙」なのか。

そこで想定されるのは、「政界再編」だ。

今日、「米中新冷戦」の最前線を日本に担わせるため、進行する「日米統合」。そこにあって、最も立ち後れているのが政治の統合だ。

日本を「日米統合」の「新冷戦体制」に「改革」するため、自民党は一丸となっていない。その内部は、親米改革派と非米保守派に分かれており、そこには国家主義、親中派などが混在している。これでは、日本が対中対決戦をその最前線で担うことなど到底できない。

そこで狙われているのが「解散総選挙」による自民党大惨敗であり、それを契機とする自民党の親米改革と非米保守、国家主義、親中などへの分裂、与野党の垣根を超えた親米改革派の大結集、「政界再編」といった青写真なのではないか。

この間進行するパーティー券、「裏金」問題などで東京地検特捜部による攻撃が比較的国家主義的、あるいは親中的な要素、傾向が濃く、党内影響力も強い安倍派や二階派へ集中されたのは、そのことを示唆しているのではないだろうか。

◆激動の新年日本政治

新年日本政治の展望はどうか。

それは、今、世界に広がる「大動乱」、非米VS親米の世界史的攻防と無縁ではあり得ない。

「米中新冷戦」とウクライナ戦争、そしてハマス・イスラエル戦争と「三正面作戦」に直面させられ、それに覇権国家としてまともに対処できない姿を全世界に晒した米覇権が新年、その世界史的終焉を全世界の前に刻印するようになるのはほぼ疑いの余地のない事実だ。

そうした中、米国の日本における策動はどうなるか。すべてを放棄し、米国に撤退するのか、それとも、その真逆に、従来の戦略をより悪辣に強行してくるのか。答えは明確だ。後者以外にあり得ないと思う。それが米覇権回復の死活的環となる対日戦略に他ならないからだ。

この対中対決戦に向けた「日米統合」にあっても焦眉の問題、「解散総選挙」「政界再編」をめぐる闘いは決定的だ。これがどうなるかですべてが決まる。

そのために、親米改革派の大結集による「新冷戦政治体制」の構築を許すのか、それとも非米保守派、国家主義、親中派、そして何より、広範な国民の大団結に基づく新しい日本政治の実現を勝ち取るのかが切実に問われていると思う。

この闘いにあって、泉房穂氏が提起した「政権交代戦略」は、極めて示唆的なのではないだろうか。自民党惨敗が目に見えている解散総選挙にあって、「救民内閣」実現を掲げながら、与野党の良心的部分を結集し、国民に直接訴える選挙がこれまでになかった結果を生み出すことは十分に予測可能なのではないだろうか。

小西隆裕さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

拝啓 柿沢未途先輩

わたしは、1988年麻布学園入学、1994年3月卒業の佐藤周一と申します。突然お手紙を差し上げるご無礼をお許しください。

わたしは、柿沢先輩とは88年度の一年間はありますが、麻布学園でご一緒させていただいたことになります。東京大学には、1995年3月ご卒業の先輩とは入れ違いで入学しました。

どこかでは、学園内のすれ違っていたはずです。当時、中一のわたしからすれば、高三の先輩ははるかに上の存在に見えました。

わたしは、大学卒業後は、自分が生まれた街・福山のある広島県に戻り、広島県庁で2000年から11年近く奉職したあと、現在は介護福祉士として働きながら政治活動をしております。

直近の目標は、2025年11月の広島県知事選挙において、暴走する湯崎英彦現知事を打倒し、知事や県教育長ら腐敗しきった「エライ人」たちから県民の手に広島を取り戻し、庶民の暮らしと広島・瀬戸内の水や食べ物を守る「ヒロシマ庶民革命」を成功させることです。平和都市にふさわしい、デモクラシーを広島に再生させることです。

 

筆者が東京地検に逮捕され東京拘置所内に拘留されている柿沢未途代議士宛に送った手紙の封筒

◆これまでの残念な柿沢先輩の行動

そんな中、先輩が東京地検特捜部に逮捕されたという報道に接し、非常に残念な思いです。

被疑者・被告人はすべからく推定無罪である。法学部ご出身の柿沢先輩に経済学部出身のわたしが申し上げるのは釈迦に説法というものでしょう。そのことを大前提としても、これまで先輩がされたことは極めて残念です。

昔のことになりますが、柿沢先輩は、2008年に現職の民主党の都議でありながら、酒気帯び運転で自損事故を起こされましたね。民主党を離党して都議を辞職もされました。だが、翌2009年、先輩はみんなの党に移られ、衆院選にご当選されました。有権者の判断と言えばそれまでですが、酒気帯び運転の翌年すぐに政界に復帰される先輩の感覚をわたしは疑いました。

「そんな感覚の柿沢先輩が、また大きな失敗をされるのではないか? 麻布学園出身者の恥をさらすのではないか?」

そのようにひそかに危惧をしておりました。

◆成功体験が生んだ慢心と転落

だが、その後、柿沢先輩は、みんなの党→維新→民進党と移動され、元の鞘に戻ったと思ったら、希望の党騒動に便乗されました。そして、2021年には自民党へ移籍されました。長年、非自民の国会議員ということで支持してくれた有権者をバカにした行動ではないでしょうか?それでも、先輩は当選された。

しかし、これらの「成功体験」が、今にして思えば、先輩にとっての不幸だったのではないでしょうか?

「多少、法を踏み外そうが、有権者をバカにした行動を取ろうが、有権者は俺を選んでくれる。」

そのように先輩は、慢心されていたのではありますまいか?

そして、柿沢先輩は、2023年、ついに転落の道を歩まれることになりました。2023年4月執行の江東区長選挙で、先輩は木村弥生前区長を応援されました。

だが、木村前区長が柿沢先輩のアドバイスで選挙期間中に有料のYouTube広告の動画を出したのはアウトです。

有料の広告は「選挙期間中」はアウトであり、選挙期間以外の「政治活動」としてならセーフです。

その程度のことも先輩が押さえておられなかったのは残念です。

◆河井事件と柿沢先輩の事件の対比

そして、その江東区長選挙で先輩は、区議らにお金を配ったり配ろうとしたりされたそうではありませんか?

広島では参院選広島2019で河井案里さんの当選を図って夫の克行さんがお金をばらまくという事件を起こしました。先輩はこの河井事件のことはご存じですよね?

皮肉にも、それぞれの事件発覚時に先輩は法務副大臣、克行さんは法務大臣でした。

案里さん、克行さんはそれぞれ、逮捕・起訴され、案里さんは、執行猶予付きの有罪判決を受け入れて当選無効になり、克行さんは実刑判決で2023年11月29日まで刑務所におられました。

この事件では、お金をもらった側の広島県内の地方議員らも、検察審査会により「起訴相当」議決がされ、多くの議員が起訴されました。

広島市議(当時)が「克行だけを悪者にしたい」「先生には議員を続けてほしい」という趣旨の検察の供述誘導を受けていました。このことについては、最高検が不適切な取り調べだったと認定しています。

そして、検察審査会の起訴相当議決後の裁判では、誘導を受けて買収の意図を認めていたことで、多くの議員が有罪判決を受けています。

ただ、わたしは、個人的には、野球で言えばこれら河井克行さんからお金をもらった側への「有罪」は「疑わしきは罰せず」に反すると感じています。野球で言えば、「本塁でのクロスプレーで、キャッチャーが生還しようとする走者に追いタッチした形」ではないかと思います。

だが、そもそも、国会議員が地方議員にお金を配ることそのものは、政治資金規正法上の寄付という形なら禁止されていません。そのために金配りが常態化していたことが問題だとわたしは考えています。国会議員が地方議員にお金を配ってしまえば、地方議員は自治体の住民の代表として国にモノを言いづらくなってしまいます。国会議員による地方議員へのお金配りを禁止する法律をつくるべきです。

◆庶民の苦労が分かる人を議会から排除する現行選挙制度

また、そもそも、選挙にお金をかけすぎる。そのことが問題です。一度当選した人は、それでお金儲けし、お金をまたかけて地盤を強化する。そういう構図で、議会の構成が固定化し、庶民・労働者の苦労が分かる人がほとんどいなくなった。それが日本の政治の閉塞状況の背景にあるのではないでしょうか?

翻って、諸外国の中には、選管主催でガチバトルでの公開討論会を開催してそれを見て有権者が判断する文化が定着しているところもあります。こうなれば、お金をあまりかけない選挙運動になります。

実は、日本でも昔は選管主催の実質的な公開討論会があったのに、今はやらなくなってしまいました。結果として、有権者もYouTube広告などを参考にするようになってしまった。

そうではなくて、きちんと政治家同士の討論を聞いて有権者が決めるようにすればいいのです。

◆河井事件でお金をもらった側と比べても明らかすぎる「アウト」

さて、柿沢先輩。2023年4月の江東区長選挙に話を戻します。先輩がお金を配ったのは、ほとんど江東区長選挙の最中であり、「区議選の陣中見舞い」という言い訳は通用しないでしょう。
 
河井事件でお金をもらった側の場合は、お金をもらったこと自体は褒められた話ではないし、とくに検察側の供述誘導に乗っかってしまった方については、河井克行さんだけ沈めて自分は助かろうという意図も感じてしまいます。それでも、疑わしきは被告人の利益に、と考えれば本来は有罪にするのは難しいはずです。ただ、日本の裁判所はほとんど、検察の主張を基本的に追認しますので、上記のように有罪判決ばかりになっています。

しかし、柿沢先輩がされたことは、もはや、外野手からの返球を捕手=検察が持っていて、本塁へやってくる走者=柿沢先輩を完全に待ち構えている状況です。

柿沢先輩の場合は、河井事件のお金をもらった側の議員の方々と比べてもあまりにも明らかすぎるアウトです。こんなことをなぜ先輩はしてしまったのか?これまでの経緯から、すっかり慢心をされたのではないか?

◆「選挙に受かるためなら何でもあり」から卒業を

柿沢先輩。今度は酒気帯び運転のときのように、すぐ政界復帰、というわけにはいきますまい。5年の公民権停止は免れません。選挙で受かるためにはなんでもあり。そんな人生から距離を置いて、庶民・労働者の苦労をしっかりと経験されたらいかがですか?

例えば、わたしが働いている介護現場では、低賃金、それによる人手不足から、職員の多くが60代はおろか70代以上の高齢者という状況です。外国人も、結局給料の高い東京へ流出しています。これらの惨状は、先輩が自民党に移籍される2021年までは、野党の立場で対抗してこられたはずの、自民党の政治によるものです。

そもそも、今の公職選挙法は戦前の治安維持法の延長で、複雑怪奇で、庶民の参加が難しい仕組みになっています。その結果として、お金がある人、先輩のようにお父様からの地盤を引き継がれた人が有利になる。そして政治が硬直化していく。こうした状況に日本はあります。

こうした選挙制度の改正をしつつ、庶民の苦労にこたえる政治にしていかなければ、日本の崩壊・滅亡は待ったなしです。

先輩が反省をされたうえで、わたしが主張する「庶民革命」の方向性に賛同されるなら、先輩の再出発を後輩としてささやかながら応援させていただく可能性もあるでしょう。さもなければ、先輩もわたしの主張する「庶民革命」 により打倒されることになるでしょう。

最後になりますが、真冬の拘置所は御身にこたえると思います。

どうか、ご自愛ください。

麻布学園 1994年卒業 佐藤周一

敬具

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

◆公務員の服務宣誓に日本国憲法尊重は当然と思っていたが……

「宣誓書 私は、ここに、主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、且つ、擁護することを固く誓います。
 私は、地方自治の本旨を体するとともに、公務を民主的且つ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実且つ公正に職務を執行することを固く誓います。」

画像は、筆者が2000年4月1日に広島県庁に入庁した時、サインした宣誓書です。

国家公務員でも、地方自治体でも、警察官でも、日本国憲法を尊重し、且つ、擁護する、ということは必ず書かれています。これは、日本国憲法99条や15条の2に基づいています。

左の広島県警察の場合、「不偏不党」「公正中立」としているのは、あくまで建前ですが、第二次世界大戦前、時の与党が、警察の幹部を自党の支持者で固めて、野党の選挙運動を妨害したことが、政党不信、そして軍部への期待、そして軍国主義へとつながったことへの反省をもとにしています。

例えば立憲政友会の田中義一内閣は、日本共産党への弾圧に加え、保守野党の立憲民政党の選挙運動への干渉も行いました。ただ、自民党長期政権のもと、木原誠二代議士の妻の元夫の怪死事件での疑惑など、自民党に忖度する警察になってしまっているのが現実ではありますが、建前は不偏不党ということです。

ともかく、憲法をまもるということが、いの一番に条例で定められている。これが、どこの自治体でも警察でも常識である。筆者はそう思い込んでいました。

◆「憲法抜き宣誓書」の広島市役所

ところが、です。その常識が通用しない自治体が一個ありました。それは、なんと驚くべきことに筆者が住んでいる広島市。平和都市とされている広島市です。

広島市の職員の服務の宣誓に関する条例」を拝読すると、宣誓書の様式自体は任命権者に委任しています。

そして、中森辰一市議によると、驚くべきことに、広島の宣誓書には憲法の「け」の字もないということです。

新規に採用された公務員は、国家公務員も地方公務員もすべて、初めて公務の職務に就く前に、かならず「服務の宣誓」というものを行います。この「服務の宣誓」の宣言文に日本国憲法を守ることを、きちんと入れる必要があると思うのですが、広島市では、政令指定都市になった機会に、それまで入れていた憲法遵守の言葉を、「国際平和文化都市の職員として」との言葉と入れ替えてしまいました。それ以降ずっと憲法遵守の言葉がないままになっています。

憲法遵守の言葉を入れるべきだとただすと、市当局は、国際平和文化都市の職員であることは、憲法を守る職員であるということだから憲法遵守の言葉は必要ないという趣旨の理由を述べて、決して憲法遵守の言葉を入れることを検討するとは答えませんでした。

中森議員は、日本共産党の議員の中でもG7広島サミットには「期待しない」というスタンスをはっきりさせていた方です。同党の女性県議二人が「評価する」、「期待する」というスタンスなのとは対照的です。

それにしても、「憲法抜き」宣誓書を広島市が新人職員にサインさせていたのには、びっくり仰天です。

憲法擁護義務というのは、公務員としての基本中の基本です。新人の時にサインする含む宣誓書にそれが含まれていない。広島市が政令市になったのは、1980年です。それのとき、大卒で入庁した職員は65歳で、定年延長や再任用になっていたとしても退職しています。憲法擁護義務を入庁時にサインした人は、国からの出向組を除けばいない、ということです。

◆荒木・平岡・秋葉時代には「憲法抜き」弊害は表に出なかったが……

このことは、荒木市長(任、1975-1991)、平岡市長(任、1991-1999)、秋葉市長(任、1999-2011)のときには、あまり問題にならなかったかもしれません。というのは、荒木さんは旧社会党右派系労組幹部出身、平岡さんはジャーナリストから地元経済界出身、秋葉さんは社会党代議士出身ということで、それぞれ、平和への思いは熱いものがあったと思います。

しかし、問題は、中央官僚出身で、自民党推薦の松井さんが市長になった2011年以降です。既報の通り、松井市長は、新人職員や新人課長研修で現行憲法と反する「臣民」などの言葉を使う「教育勅語」を使用していました。 

もし、多くの職員が憲法擁護義務を、もっと意識していたら「市長、臣民とか言う言葉を使う教育勅語はまずいのではありませんか?」という幹部職員も出てきたはずです。真正面からでなくとも、市長のプライドを傷つけないような言い方を工夫してやめさせる、という動きが部下から出てくるでしょう。

しかし、松井市長が、開き直った上で、今後も使い続けるということは、強く反対するような幹部職員もいない、ということです。もし、いれば、さすがの松井市長も渋々であっても「誤解を招くので」とかなんとか取り繕って来年からは教育勅語は使わない、という可能性が高いでしょう。

ともかく、「憲法の精神に真っ向から反して恥じない」人が市長になった場合に、「憲法抜き」の服務宣誓書の弊害が明らかになってくるわけです。

別の言い方をすれば、「教育勅語騒動」は、松井市長の個人的な資質だけではなく、憲法抜きの宣誓書で入庁した職員ばかりで構成される広島市役所の全体的な体質の問題でもあるのです。

◆「平和都市」などと威張っている場合じゃない! まずは公務員に憲法遵守義務徹底を!

松井市政は、市民の意見を聴かずに、中央図書館を、緑豊かな中央公園から、駅前の繁華街のデパートの上部に移動させる、学童保育は有料化を強行するも、学童保育の指導員の待遇改善は不十分で欠員だらけ、子育て支援は全国や県内の他自治体におくれを取るなどの問題だらけです。平和行政の面でも、G7サミット後に、市民の意見を聴かずに、原爆投下を反省していない米国政府を相手方とする平和記念公園とパールハーバーの姉妹協定を結ぶなどしています。

その根底には、市長の資質とともに、市長のやることを疑問に思わない幹部職員が多いということ、そして、それは長年の「憲法抜き」宣誓書によって起きているということです。

広島は、いまや、軍拡を突き進む岸田総理を衆議院議員として送り出した、という意味でも全国の皆様にご迷惑をおかけしています。

広島市役所の「憲法抜き」体質は、長年にわたって、市民にも悪影響を及ぼしているのではないでしょうか?

筆者は、2000年に広島に県庁入庁のためにUターンして以来、いろいろな点で「広島は、平和、平和という割には、デモクラシーが遅れているなあ」というもやもや感をこの街に抱いていました。

そのもやもや感の「震源地」の一つが今回、明らかになりました。

国際平和文化都市などと、威張る前に、まずは基本中の基本、憲法尊重義務を市長以下、公務員が徹底すること。そこからではないでしょうか?

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

◆三里塚で52年ぶりの強制執行

52年ぶりに、三里塚(成田空港周辺)で強制執行があった。来年で開港から45年、空港反対運動が連綿とつづいてきたことに、愕いた人たちも多いことだろう。

反対運動は83年に反対同盟が分裂し、その後も再分裂や部落単位の移転など、反対運動のスタンスも変化した。絶対反対から騒音問題の条件闘争まで、獲得目標も分化している。

とはいえ、80年代に政府が空港建設過程の強引さを一部の反対同盟(熱田派)に謝罪し、「空港建設に強制的な手段は用いない」という和解協議は、反対運動全体の成果として準用されるべきであろう。

日本の国際空港は、国際基準の第一種だけで4つ(羽田・関西・中部・成田)ある。仙台・佐賀・福岡も運営会社は「国際空港」であり、国際路線をもっている空港は18もある。羽田に代わる国際空港(ハブ空港)として期待された成田空港は、旅客数では羽田の半分となってしまっている。

今後も反対運動が止むことはないと思われるが、そうであれば地域との共生や農業活性化と観光旅行を結びつけるなどの、新しい資源活用がもとめられるのではないか。いまも三里塚・芝山の山林と農地は美しい。

生きている三里塚闘争 52年ぶりの強制収用(2023年2月18日)

◆工藤会館跡地を「希望のまち」に

工藤會幹部の裁判方針(控訴審)に変化があった。死刑判決を受けた野村総裁を庇うように、田上会長が自分の判断で犯行を指示した、と教唆犯として罪をかぶろうというものだ。本人たちの言葉を引用して、その方針変更を確認しておこう。

野村被告と田上被告は一審の弁護士を全員解任し、公判方針も変えている。田上被告が「自分が野村に相談することなく、独断で事件の犯行を指示した」と、つまり野村悟の死刑判決を回避するために、罪をかぶることを宣言したのである。

主張を変えた契機は「弁護士から被害者のこと、私の指示で長い懲役に行った(組員の)ことに向き合うことが本当ではないかと言われました。もう本当のことを話そうと思って、決めました」であると述べた(9月27日・控訴審の田上被告人質問)。

そのうえで、「(被害者に)本当に悪かったと思います」と謝罪し、獄死は覚悟していると述べた。

野村被告は「襲撃の指示もしていないし、事前に襲撃する報告も受けていない」と、改めて事件への関与を否定した。

当初、弁護団のなかでも「無罪は確実」とされてきた。共同謀議の具体的な証拠・証言がなく、工藤會の親分子分の絶対的な関係から、推論して指示があったに違いない。あるいは子分が慮る関係が、共同謀議とみなせるというものだった。

一般社会に当てはめると、社員の犯罪はすべて指揮関係にある上長の責任、ひいては社長の責任とする論理の飛躍は明らかなが、それが昨今の暴力団裁判なのである。

田上会長が「獄死は覚悟している」と述べているとおり、この裁判で無罪が得られることはなく、出獄(保釈)も無理であろう。かつて、溝下秀男総裁時代に取材した者として、ある意味で歴史的な判例となるこの裁判を見守っていきたい。

《工藤會レポート》最高幹部裁判の方針変更 工藤会館跡地を「希望のまち」に(2023年10月11日 )

◆鹿砦社の広告(『人権と利権』)の掲載を『週刊金曜日』が拒否

デジタル鹿砦社通信で、筆者が編集長を務めていた『情況』誌の紹介をさせていただいた(謝)。さて、その中で強調したかったのは、広告掲載でした。すなわち、鹿砦社の広告(『人権と利権』)の掲載を『週刊金曜日』が拒否したことについて、掲載拒否が結果として差別につながると指摘しました。その核心部を、すこし長くなりますが、引用しておきます。

『情況』は鹿砦社様の広告を表3(巻末)に定期掲載しています。『週刊金曜日』が当該者(団体)の抗議で、鹿砦社の広告を拒否した契機となった『人権と利権』も掲載しています。当然のことです。ご出稿いただいていることに、あらためて感謝するものです。

明らかに差別や人権侵害を目的とした刊行物でないかぎり、その表現や主張に、結果として差別的な内容・人権侵害的な内容が含まれていたとしても、誌上で批判・反批判をするべきです。そこにこそ、イデオロギー闘争としての「反差別」「人権擁護」が成立すると考えるからです。

したがって、今回の『週刊金曜日』の措置は、ファシストの焚書行為に相当するものと、わたしは考えます。『人権と利権』は運動内部に存在する「利権」を暴き出し、健全な反差別運動の発展をめざす視点から編集されていると、一読してわかるものです。

内容に誤りがあり、あるいは不十分であると考えるならば、批判の論攷を書けば良いのであって、人の眼に触れさせないのは矛盾の隠ぺい、自由な批判を抑圧するものにほかなりません。

反差別運動の基本は、現代社会が資本主義の景気循環において相対的過剰人口を生み出し、そこにレイシズムの歴史的ファクター(差別意識)が結合することで、差別を再生産する社会であること。この基本認識があれば、差別を排除するのではなく俎上にあげて、分析・批判することを通じて、差別意識を変革していくことが求められるのです。

差別は個人・組織が起こすものですが、差別社会にこそ原因があることを忘れるならば、差別者のキャンセル、排除によって変革を放棄し、結果的に差別を温存することになります。すなわち『週刊金曜日』の今回の措置(広告拒否)こそが、差別を温存・助長するものにほかならないのです。

《書評》変革のための総合誌『情況』2023年夏号 新しい論壇誌のスタイルへ 鹿砦社の広告への反応にもご注目(2023年8月30日)
 
◆重信母娘を「テロリスト」と呼んだ駐日イスラエル大使

ウクライナ戦争が継続する中で、またひとつ苛烈な戦争が拡大した。パレスチナ紛争における、イスラエル軍のガザ侵攻である。

イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使が、「報道1930」(TBS)にジャーナリストの重信メイ氏が出演したことを問題視したことについて、パレスチナ紛争を筆者なりに解説した。

重信母娘を「テロリスト」と呼ぶイスラエルの侵略者 ── ウクライナ戦争と比べてみれば、侵略者の傲岸な様相がわかる(2023年10月24日)

ウクライナ戦争と比較してみれば、わかりやすく読み解けるはずだ。イスラエルは軍隊の力で入植地を拡大し、膨大なパレスチナ人が「難民」として郷土から追い出されているのが、パレスチナ紛争の歴史であり実態である。

重信房子は当初はボランティアとして、のちにはPFLPを支援する義勇兵(日本赤軍)としてパレスチナで活動した。これをウクライナに当てはめてみると、ウクライナ軍に参加、あるいは提携しているポーランドやロシア(反プーチン)の義勇兵と同じである、いま、プーチンはこれらの義勇兵たちを「テロリスト」と呼ぶ。イスラエル駐日大使の「テロリスト」呼ばわりは、まさにプーチンと同じなのである。

記事ではあまり問題にしなかったが、「『殺人者やテロリストの一族に発言の場を与えるべきではない』(駐日大使)というのであれば、犯罪者の子供は許さないの(犯罪者差別)と同じである。目下、重信房子の『パレスチナ解放闘争全史』を編集中。

重信房子『はたちの時代』編集後記 ── 読書子への感謝に代えて(2023年8月12日)

◆最後に

ウクライナ戦争もパレスチナ戦争も、いっこうに先行きが見えない。国内では自民党各派閥(とくに安倍派)のパーティー券キックバック問題が浮上してきた。自民党は総裁選を控えて、いっそう混乱することだろうが、再生力のある党でもある。来年も熱い一年になるであろう。みなさま、よいお年を。(完)

◎横山茂彦-2023年を顧みる〈全3回〉
〈1〉ウクライナ戦争の現実に、世界史を目撃する
〈2〉過激なまでに右派シフトしても自民党支持者に不人気だった岸田政権
〈3〉ウクライナ戦争もパレスチナ戦争もこの国も、いっこうに先行きが見えない

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年冬号

2023年は広島でも「交通」が大きく問われる1年となりました。全国的にもバスや地方私鉄の運転手が不足して減便せざるを得ない、他方で、JR各社は各地で採算が合わないということでローカル線廃線へ前のめりになりました。筆者の住む広島県内でも衝撃的な事件がありました。

 

写真をご覧ください。筆者がよく街頭演説をさせていただくJR可部線古市橋駅の窓口が9月30日に営業終了をしてしまいました。

これまでも農村部にはよく「無人駅」があり、切符を駅前のタバコ屋さんで買うとか、そういう「牧歌的」な光景があったのは皆様もご存じと思います。もっとも、最近では、大概、バスと同じ感じで、一両編成の前の運転手さんの横にある運賃箱に運賃を入れて降車する方式になっています。

しかし、古市橋駅は、一応、120万都市広島でももっとも人口が多い安佐南区役所の最寄り駅です。また、住宅も駅周辺に密集しており、広島駅方面など都心部に通勤する方も多くおられます。

朝、この場所で筆者が演説する前を、降車して安佐南区役所方面に向かわれる方、乗車のために駅に入って行かれる方でごった返します。それなのに「窓口を廃止する」というのです。ぶったまげてしまいました。

それにこの駅はしばしば、車いす利用の障害者の通勤客の方も利用されます。以前は駅員(といっても、関連会社・JR西日本中国交通サービスへの業務委託ですが)の方が乗降時の介助をされていたのです。今は、車掌さんがされているようです。それにしても大変です。当事者は当事者で手間が増えるでしょう。「移動の権利」という意味でも問題が多い、窓口閉鎖です。

JR可部線古市橋駅前で早朝演説をする筆者

◆利用者数が多いのに窓口閉鎖とは……

そして、券売機で購入できない切符を買いたい人は、『みどりの券売機プラス』または『みどりの券売機』が設置してある『下祗園駅や大町駅などに行ってください』ということです。

古市橋駅は、一日平均乗降者数は1600人程度で推移しています。それなりに人通りも多いこの場所で窓口廃止とは、衝撃です。

◆無人に便乗する不正乗車誘発も

そして、乗客の中には無人に便乗して不正をする不届き者も出てくるのではないか?と心配です。無人駅への不正乗車をする例はJR九州でも報告されています。隣駅までの低額の切符を買って、その上で、例えば古市橋駅で降りる、というパターンです。

もちろん、不正乗車は犯罪行為です。絶対にしてはいけません。防犯カメラも設置されており、AIなどで常習的に怪しい人物は一定程度洗い出されます。しかし、『単発』で不正乗車をする人が出ることは十分考えられます。

そして、問題は、現在は真面目に料金を払っている利用者も、不正乗車をする人が事実上野放しになっているのを見てだんだんバカバカしくなり、モラルが低下することです。

ましてや、一時期と比べても経済的に困っている人も多い中です。これだけ、乗降人数が多いところですと、確率が低くても、そういうことをやる人の絶対数は増えてくるのではないでしょうか。

◆芸備線存廃問題で地域協議会発足

さて、今年は、ついに、芸備線存廃問題で地域協議会が発足しました。11月29日までに沿線自治体全てが参加。地域協議会の設置の根拠となる法律が施行されて以降、全国でも初めての例です。

地域協議会が設置された場合、例えば、上下分離方式で国や自治体がお金を出すというやり方も採用される可能性はあります。この方式は設備(下)を国や自治体が保有し、運営(上)を事業者が行うというものです。日本国内では東北新幹線の開通に伴って並行路線の東北本線の運営を行っている『青い森鉄道』が挙げられます。

しかし、現時点では、JR西日本は、芸備線の備後落合―新見については、廃止してバス路線などへの転換を図る気満々だというのが、地元で伝え聞かれる噂です。

◆JRがコスト削減をするのは民間企業として当然

しかし、冷静に考えるとJRは民間企業です。コスト削減は当たり前です。1987年に国鉄が分割民営化された際、政府(当時の総理大臣=中曽根康弘さん、運輸大臣=橋本龍太郎さん、いずれも故人)は「路線のネットワークは維持する」と啖呵を切りました。

しかし、現実に民営化され、上場もされれば、企業には利益の最大化が求められます。余計なコストを削減しなければ、それこそ、株主から株主代表訴訟を起こされたり、最悪の場合は背任の被疑事実で警察・検察に告発されたりしかねません。

古市橋駅が不便になるのも、芸備線の一部区間が廃止になるのも、それこそ、JRを分割民営化したその時点で運命づけられていたと言わざるを得ません。

JR北海道などはもっと悲惨です。北海道新幹線ができるのは良いが、そのかわり、函館本線の長万部小樽間が廃止になる可能性が高いという。というか、北海道は、名寄本線とか、本線と付く路線も廃止されまくっています。路線図はネットワークどころか、枯れ木のようなありさまです。東京近郊や東海道新幹線など儲かる路線と、過疎地の路線を切り離したらそうなるのはわかりきったことです。

だが、残念ながら、JR分割民営化を強行した中曽根さんは、衆参同日選挙1986で空前絶後の圧勝をしました。当時は、日本が今よりははるかに経済的には栄えていた時代ということもあり、新自由主義を多数の国民が支持してしまったということです。そのころのつけをいまの日本人が払っているとも言えます。

◆高齢者の通勤や物流2024年問題で高まるモーダルシフトの重要性

今、高齢者に対して池袋暴走事件も契機に運転免許返納を促す動きが加速しています。他方で、70代でも多くの人が働いている実情もあります(それが良いか悪いかは別問題ですが)。こうした中で、通勤手段として、公共交通を確保する重要性はかつてなく高まっています。

また、2024年は物流問題の2024年問題があります。政府はトラック運転手不足に備え、トラックから鉄道貨物へのモーダルシフト打ち出しています。国土交通省も補助金などを出してはいます。

企業側に補助金を出すのは良いのですが、もう一歩踏み込んで、鉄道が維持というよりも現状以上の利便性向上をしれないと絵に描いた餅になってしまのではないでしょうか? 一定程度以上の利便性を確保すれば、モーダルシフトも進むのではないでしょうか?

例えば、それこそ、中国自動車道・広島自動車道等の並行路線的な意味合いで貨物や荷物を芸備線で運ぶということも必要になるでしょう。

いまほど、高齢化が進んでおらず、今よりはるかに日本経済が栄えていた1987年。その頃は「公共交通を確保しなくてもクルマがあるから大丈夫」という感覚が政治家にも官僚にも有権者にも強かったのは事実です。若い労働力も今より豊富であり、トラック運転手不足など考えられなかった時代です。

しかし時代は変わった。「モーダルシフト」への議論を、熱量をもって総理も知事も呼びかけるべきです。

◆「移動の権利」を守るには「上下分離方式」や「公有化」しかない

そもそも、居住及び移転の自由を定めた日本国憲法22条や生存権を定めた日本国憲法25条から、移動の権利は保証されなければならない。

しかし、鉄道にしても、民間企業が運営している以上、割に合わないことはできない。となれば、やはり、「上下分離方式」、さらに踏み込んで「公有化」などで公共交通を維持するしかないのではないでしょうか?

電車やバスの運転手なども、それこそ一般職公務員なみの待遇を保証するにもそれしかないのではないでしょうか?古市橋駅のような駅に人が配置できるようにするにもそうするしかありあません。
 
◆広島空港の利用増には必死だが、鉄道維持への「熱量」は感じられぬ湯崎県知事

しかし、肝心かなめの湯崎英彦・広島県知事は、それこそ、三原市にある広島空港(民営化済み)の利用増加をどう図るか?これには必死です。この12月からは県の西部の宮島口(廿日市市)やジアウトレット広島(広島市佐伯区)やアルパーク(同西区)と広島空港を結ぶ乗り合いハイエースの実証実験を開始しています。

しかし、広島空港を盛んにするということは、一歩間違えれば飛行機の東京便と並行路線である新幹線を運行するJR西日本に喧嘩を売るということになります。そして、湯崎知事自体、芸備線問題ではJR西日本に対して一定程度のクレームはつけてガス抜きは図ると予想されるものの、おそらく金を出すというところまではいきそうな雰囲気ではありません。

他方で、湯崎さんは、JR西日本から病院の土地を巨額の県費を通じて買い取るなどしています。ただ、その動きが芸備線の存続につながるかと言えばそれはないでしょう。

◆公共交通・物流をどうするべきかの国民的・県民的議論を

やはり、今必要なのは、県内の公共交通や物流をどうするべきかの国民的・県民的な議論を経た合意形成ではないでしょうか? 合意形成をしたうえで、果断な国費・県費の投入は厭うべきではないと考えます。

しかし、今のままだと、国土交通省が「個別事例に中途半端な補助金を出しておしまい」、ということになりかねません。それでは、多くの個人や企業が「蚊帳の外」になってしまい、主体的に動く気にならない。そして、国費・県費を無駄遣いして終わり、になりかねません。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

12月24日に大阪大国町のピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」を開催しまして、80人を超える参加者で大盛況でした。

最初、スイング マサさんが企画していたものに、ピースクラブさんが「ママ(私)の日本の冤罪出版記念パーティーも兼ねればと言ってください、合体して「冤罪と司法を考える集い」と」させて頂きました。

とくに冤罪犠牲者の方、家族の方の訴えをお聞きしたいと考えていたところ、関西近縁から4つの事件の関係者が来て下さることになりました。

私としては、集会、講演会などやる際、2時間でまず終わらすということを鉄則にしてますので、そうなると井戸弁護士のお話も30分程度に短縮しなくてはなりません。井戸弁護士は快く承諾して頂き、しかもぴったり30分で貴重なお話をしていただきました

一応ここでは10分の質疑応答時間を取っていましたが、それがまた、質問が殺到。確かに全部お答えして頂けたら良いのですが、わたくし、なぜかちゃんと2時間でまず終わらせたいとの思いがあり、質問を全部受けることはできませんでした。申し訳ありません。

その後。4つの事件の関係者にアピールしていただきました。皆さんには「申し訳ないですが、5分程度」とお願いしておりましたが、そうはいきませんよね。大勢の方の前で訴えたいことはやまほどありますよね。なので、ここは途中で止めることはしませんでした。

なので……おのずと最後とまとめる尾﨑と鹿野さんのトークがメッチャ中途半端に早く4時までに終えることとなりました。結構打ち合わせしていたのですが(汗と涙)。仕方ないですね。でもしっかり今日の会が、一応「日本の冤罪」の出版記念の思いもあるということで、私も思いっきり、頂いた花束などテーブルに置いてので、今日持っていった20冊は完売させていただきました。ありがとうございいます。

鹿野健一さん(右)と筆者(ぴのさん撮影)

なお、今日の会の様子はxの「たぬき御前」さんがツイキャスで発信してくれているほか、MBS様が深夜(?)の放送で一部放映するそうです。ぜひご覧ください。

本日、昔からの知り合いの中には「ママ、お祝いに飲みに行こうか」と誘ってくださる方もおられるのですが、とにかく大きな催しが終わったら一人で飲みたい、暗い私。

今、今日の会のオープニングで演奏してもらったスイング マサさんの演奏を何度も何度も聞いて、ちょっと涙がちょちょぎれていいる。(竹内さん、ありがとう)。

マサさん、進行の松尾さん、手伝ってくださった皆様、ピースクラブの皆さま、ありがとう。


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

梓加依・著『広島の追憶』が神戸新聞12月16日朝刊で紹介されました。

2023年12月16日付け神戸新聞朝刊

著者とは長い付き合いで、その最初の書『豊かさの扉の向こう側』を出版し著者を世に送り出したのが鹿砦社でした。

まだ20世紀、1990年代初めのことでした。最も鹿砦社らしい(?)本です。

ウクライナ、パレスチナの戦火に心が痛む昨今、大人にも子どもにも一緒に読んでいただきたい書です。

(松岡利康)

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

広島県三原市と竹原市の水源地のど真ん中にできてしまった本郷産廃処分場(安定型、JAB協同組合)からは、2023年12月現在も依然として汚染水が流出し続けています。

 

住民訴訟の原告団共同代表の岡田和樹さん

こうした中、12月2日、広島2区市民連合主催で三原本郷産廃処分場問題についての学習会=「いのちの水を受け継ごう 広島県に水源保全条例を」が行われ、住民訴訟の原告団共同代表の岡田和樹さんが講演しました。

岡田和樹さんはこの直近12年間は三原市小泉町で有機農業に従事されています。それ以前は中国電力上関原子力発電所反対運動、さらにそれ以前は竹原市の「ハチの干潟」保存運動で活躍されています。「ハチの干潟」は岡田さんらが当時の藤田知事に直訴し保存が決まりました。

ハチの干潟|観光スポット|竹原市公式観光サイト ひろしま竹原観光ナビ

岡田さんご自身は、「環境活動家というよりも自分たちの世代が自然を受け継いで子どもたちに渡せるか考えていきたい。」というスタンスだと紹介されました。

以下は、岡田さんのお話しの概要です。

◆同じJAB協同組合が運営する安佐南区上安産廃処分場で目撃した驚くべき惨状

この三原本郷産廃処分場は、JAB協同組合が三原市と竹原市の水源地のど真ん中に計画し、2020年に県が許可してしまいました。岡田さんたちは、安佐南区の上安処分場を運営してきた会社が本郷産廃処分場と同じJAB協同組合だったので2020年に上安を視察しています。これが結果として「いかにJABが問題のある会社か」という情報の収集になりました。

上安の産廃処分場は1993年に許可を受け、2021年にエクイスという外資系の会社に土地も事業も売却しています。この処分場の場所は安佐動物公園のすぐそばです。

岡田さんたちが視察した時、土管から河川に泡だらけの水が出ていました。安定型処分場は建前では汚染水が発生しないはず。しかし実際には出ています。そして、その汚染水を処理せずにそのまま流していたのです。

家や田んぼがある下流の「イセキ」という場所でも、このように泡を吹く水が流れる惨状でした。

岡田さんたちが水を持ち帰り、外部の調査会社に委託して検査し、水質汚染が発覚。広島市もあわててJAB協同組合を指導しました。是正されたことになってはいます。

だが今問題となっている不適切盛土の下には産廃がたくさんある状態です。この上安産廃処分場では、覆土を毎日しないといけないのにしていませんでした。4mもの産廃がうずたかく露出していたのです。

◆岡田さんらの懸念的中、汚染水流出も本郷処分場止まらず

翻って問題の本郷処分場の下流は三原でも竹原でも8割の水源になっています。また、土砂災害にも弱く、西日本大水害2018でも亀裂が入り土砂崩れが処分場予定地でも起きています。処分場の真ん中はレッド・ゾーンになっています。

そんな中、この産廃処分場の下流では井戸水で生活している人も多く、また、産廃処分場ができれば23枚ものたんぼに汚染水が原液のまま流入してしまいます。

そこで、岡田さんら住民が2020年7月に取消裁判と工事差し止めの仮処分申請を行いました。2021年にいったん、仮処分が認められるがJAB協同組合側が異議を申し立て、2022年6月にはひっくり返されてしまいます。そして、工事が秋に再開するも2023年5月には水質の異常が住民らにより確認され、6月11日には県も汚染水の流出を確認、広島県はJAB協同組合に搬入中止を命じる行政処分を6月29日に行います。

しかし、7月8日にも産廃を堂々と運び込むなど、JAB協同組合に指導を無視されてしまったため警告を出しました。しかし、7月29日には「改善が見られた」として操業再開を許可してしまいます。

しかし、井戸の水質など、水道水を注入すれば改善されているように見えてしまいます。そして、汚染水は住民側の調査では現在も確認され続けています。

一方、7月4日の広島地裁での住民裁判の判決では湯崎英彦知事に対して産廃処分場の許可取り消しを命令しました。しかし、知事は控訴してしまいます。他方で、三原市議会も竹原市議会も取り消し求める意見書を全会一致で可決し、県知事に提出します。

だが、その後も、汚染水の流出は続きます。県議会の生活保健福祉委員会の視察も行われましたが、現在も県の動きはほとんどみられないままです。

◆遅れる広島の産廃規制、住民が政治・行政のすべきことを「代行」

「(汚染水の調査や原因究明など)本来、政治や行政がしないといけないことを住民がやっている」と岡田さんは強調します。

岡田さんら住民側は、
・汚染の原因究明や被害住民の救済、
・県が処分場の許可を取り消すとともに、最終的に処分場を買い取ること。
・水源保護条例を制定すること、
などを求めています。

水道水源保護条例は1988年に津市などが制定。水道法のベクトルから「水道の水源の脅威になるような土地利用を制限する」ことを目的に、津市などは3重県が許可してしまった産廃処分場を何とか止めようとします。

そして、裁判所にも産廃処分場の操業差止の仮処分を申し立てました。こうしたことを背景に、1991年に処分場の土地を津市が買い上げることで決着しています。

一方で、環境配慮条例と言って、産廃処分場そのものを対象に環境に配慮するよう求める条例もあり、広島弁護士会も提案しています。

産業廃棄物処理施設の設置について環境配慮手続条例の制定を求める会長声明 | 広島弁護士会

広島県内の産廃処分場数は全国3位です。そして、全国でも1番産廃規制が緩いのです。安定型処分場というのは日本弁護士連合会でも2007年に新規は禁止するよう意見書を出しています。

∵安定型5品目しか入れないという建前で素掘りの上に産廃を放り込めるし、排水もそのままで流せる。

実際にはいろいろな付着物があって、汚染が深刻なのです。

◆控訴後も不誠実な対応の被告・広島県とJAB協同組合

 

原告弁護団長の山田延廣弁護士

原告弁護団長の山田延廣弁護士は、住民訴訟の状況について説明しました。7月4日の判決では「地下水を巡る広島県知事の調査や審査及び判断の過程に看過しがたい過誤・欠落がある」と認め処分場の許可取り消しを命令しました。

住民らが上安産廃処分場の廃液を採取し検査したこと、情報公開請求し、審査過程の杜撰さを明確化したこと、三原市や市議会に対して運動を展開したこと、科学者と連携したことが「勝因」と分析。しかし、県が控訴したために、現在広島高裁で控訴審となっています。

JAB協同組合が県側で訴訟に参加し、一体となって反撃しています。しかし、同組合は意見を出すのに時間がかかるなどといって引き延ばし戦術とも取れる不誠実な対応を取っているそうです。

広島3区市民連合の代表でもある山田弁護士は「JAB協同組合は衆院議員ともつながりがあったとされている。」「多くの県議を無投票で当選させるなどしているから、こういうことが起きる。政治を変えないといけない」とも訴えました。

◆頼りない広島県の上安不適切盛り土への対応、住民側の団結は強まる

この日は、上安産廃処分場の地元・安佐南区民も参加し、コメントしました。それによると、上安産廃処分場を購入したエクイスは福島原発近くにも処分場を購入しており、福島の放射能汚染土が広島に来ることへの懸念も地元では高まっています。

不適切盛り土については、県もようやく動き出し、ボーリング調査をおこなっています。ただ、その中でも、県の頼りなさが浮き彫りになっています。例えば、12月1日には、県による盛り土のボーリング調査に坂本裕様ら、住民が立ち会いましたが、例えば保安林の標識が倒されていても、県はそうした犯罪を見逃すかのような頼りない対応だったそうです。

倒された保安林の標識(安佐南区民の坂本裕様のFBより)

以下、安佐南区民の坂本裕様FBより。

12月1日午後、上安産廃に接する〝不適切盛り土〟のボーリング調査の住民立ち会いがありました。萩原町内会の今中さん、岡島さん、そして地質学者の越智先生、坂本の4人が参加しました。

産廃処分場の事務所で県森林保全課の治山担当監小笠原氏より調査の進展状況の説明を受けた後、処分場から盛り土の法面を下り、3番目のボーリング地点で、機械の動く様子や取り出したコアの様子も観察しました。

越智先生は、コアを観察したところ、通常の盛り土の工法である地山を段切りすることはやらず、そのまま盛り土したように思われると。

3番目のボーリング地点のすぐ東側に、保安林標識が倒れているのが見えました。この標識を倒すような行為は犯罪行為ですが、県は標識をどこに設置したかの記録はしていない、保安林の図面はあるが、等高線の入った正確な図面ではないと。

ただ、こうした中で、住民側も、町内会長や地質学者の越智秀二さんらが連携して、この問題に奮闘していく構えができているということです。三原でも安佐南区でも県民を舐めている広島県知事・湯崎英彦さん。それでも県民が立ち上がって、湯崎さんを突き上げていくしかありません。

湯崎英彦・広島県知事はこの産廃汚染水「放置プレイ」を筆頭に、県病院再編・統合・新巨大病院問題での「暴走」、平川理恵教育長「放置プレイ」、相次ぐ外遊など、県民をなめ切っているとしか思えません。

筆者は「湯崎英彦・広島県知事から「あなた」=ひとりひとりの広島県民の手に広島(の政治・行政)を取り戻す「ヒロシマ庶民革命」」を呼び掛けております。

「我こそは庶民派政治家に!」(首長でも国会議員でも地方議員でも)と思われる方、またそういう方を応援したい方のご連絡をお待ちしております。
090-3171-4437 X(旧Twitter)@hiroseto メール hiroseto2004@yahoo.co.jp

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◆青春時代からの目標は、いま……

この通信に昨年秋から「ロックと革命in京都 1964-70」を今年の夏まで掲載させて頂いたが、いま私は「京都青春記」の続編、「ピョンヤン青春記」を生きている。

82歳の現役建築家、安藤忠雄さんはこう言った。

「70歳でも、80歳でも目標がある限り青春です」

十代、二十代の「京都青春記」がLike A-Rolling Stone-転がる石ころのような人生、「目標を求め暗中模索の青春」だったとすれば、七十代「ピョンヤン青春記」、2023年末のいまはようやく「目標に向かう青春」だと言えるようになった気がする。

「京都青春記」からの私の目標とは「戦後日本の革命」だが、それが76歳になった今年、決して遠い目標ではないことが見えてきた。

◆「戦後日本の革命」が問われる時が来た

天皇陛下万歳からアメリカ万歳に変わっただけの敗戦直後の日本に生まれた私たち団塊の世代あるいは全共闘世代は、「アメリカに追いつけ追い越せ」の戦後日本に常に不信感のあった世代だ。大学受験を控え人生選択岐路にあった私は「米国についていけば何とかなる」という戦後日本の生存方式に違和感を覚え、曖昧模糊としたなんとなく平和で民主主義の昼間の日本に背を向けるようになった。

そんな「戦後日本はおかしい」という私の十代、二十代の青春は暗中模索の果てにベトナム反戦、反安保の学生運動に出会うことによって「戦後日本の革命」をめざすようになった。でも私たちの闘いは未熟さ故に敗北、「戦後日本の革命」は未遂に終わった。

米中心の国際秩序は揺るがず、よって「米国についていけば何とかなる」という日本の生存方式を揺るがせることもできず、日本は60年代高度経済成長から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の80年代へと、そしてグローバリズム全盛の90年代から21世紀へとひたすら走り続けることになった。

しかし、いまは違う。

本通信11月5日号に、“2023年を通して「米中心の国際秩序の破綻」、すなわち「パックスアメリカーナの終わり」は、ウクライナとパレスティナでの戦争を通じて世界が眼にすることになった”と書いた。それは「米国についていけばなんとかなる」という戦後日本の生存方式が根本から揺らぐ時代になるということだ。

10月下旬のフジテレビ「プライム・ニュース」では「“世界動乱の時代”の幕開けか」というテーマを取り上げた。「これはアメリカを中心とする国際秩序が破綻していることを映すのか」が番組の問いかけだが、それは言葉を換えれば「米国についていけば何とかなる」時代ではなくなったということだ。

私の問題意識から言えば「戦後日本の革命」が問われる時ということだ。

◆「一丁目一番地に居続ける」のか否かという問題

 

宮家邦彦氏の提言「一丁目一番地に居続ける」

上記「プライム・ニュース」番組最後にキャノングローバル戦略研究所研究主幹、内閣官房参与の宮家邦彦氏は提言ボードにこう書いた。

「一丁目一番地に居続ける」

この意味はいかなる時であっても米中心の国際秩序の恩恵を受ける同盟国という「一丁目一番地に居続ける」、したがって「米国についていけば何とかなる」という生存方式を続ける、そのためには崩れゆく米覇権秩序維持のために「一丁目一番地」の役割、米国のいちばんの同盟国として自身の役割を日本は果たすべきだということだ。

いまそれは具体的にはこう提起されている。

「アメリカがウクライナとガザで手一杯でインド太平洋地域の抑止力が弱っていく、それは困る」と宮家氏は述べたが、その結論は東アジアで「米国の抑止力が弱っていく」不足分を日本が補うべきであるということだ。

「米国の抑止力が弱っていく」不足分を日本が補う、それは具体的に何を指すのか?

結論的に言えば、対中“核”抑止力の不足分を補うことだ。具体的には敵基地攻撃能力保有の目玉、陸上自衛隊に新設のスタンドオフミサイル(中距離ミサイル)部隊の“核” 武装化であり、日本列島の中距離“核” ミサイル基地化、米国側からすれば日本の対中・代理“核”戦争国化だ。

これについてはこの通信で何度も述べたので詳細は省く。

陸自に中距離ミサイル部隊がすでに新設された現時点で残る課題は、自衛隊のミサイルに核搭載を可能にすることであり、そのための鍵はNATO並みの「核共有」のための日米韓「同盟」間での“核”協議体の設置にある。

宮家氏は内閣官房参与の位置にある人物だけに、わが国が「一丁目一番地に居続ける」ために新年には日米韓「核共有」に関する協議体の設置、自衛隊“核”武装化の道筋をつけていくことに積極的に関わっていくことだろう。

それは滅び行く米覇権秩序と運命を共にする道、米国との「無理心中」の道、日本破滅の道になる。

「一丁目一番地に居続ける」のか否か、答は自ずと明らかだ。

まずは「一丁目一番地」から引っ越し、自分の新しい住所を定める。これが「米国についていけば何とかなる」という生存方式からの脱却、自分の足で立ち自分の頭で考える「戦後日本の革命」の第一歩だ。

「ピョンヤン青春記」、来るべき新年はこのことを具体的に考えていく年になるだろう。

若林盛亮さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

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