映画『[窓]MADO 』が、ロンドン独立映画賞(London Independent Film Award)の最優秀外国映画賞を受賞した。作品は、11月18日から東京渋谷のユーロスペースで2週間に渡って再上映される。

麻王監督は、フェイスブックで、「元々、化学物質過敏症というテーマから、制作開始時点でこの映画はヨーロッパ圏の方にも刺さるんじゃないかと考えていたので、この連絡を頂けて嬉しいです」と、コメントを発表した。

映画『[窓]MADO 』

この映画は、デジタル鹿砦社通信でもたびたび取り上げてきた横浜副流煙事件に材を取ったフィクションである。実在する事件と作品との間には、若干の隔たりがあるが、化学物質過敏症をめぐる問題の複雑さをテーマにしているという点では共通している。

事件の発端は、2016年にさかのぼる。横浜市青葉区のマンモス団地で、煙草の副流煙をめぐる隣人トラブルが発生した。

ミュージシャンの藤井将登さんは、同じマンションの上層階に住むA家(夫、妻、娘)の3人から、「あなたの煙草の煙が原因で体調を崩したので禁煙してほしい」と、苦情を言われた。

将登さんは喫煙者だった。1日に2、3本の外国製の煙草を自宅の音楽室で嗜む。しかし、音楽室には防音構造がほどこされ、密封状態になっているので、副流煙が外部へ漏れることはない。

とはいえ、自分に加害者の疑惑がかけられたことに衝撃を受けた。そこで暫くのあいだ禁煙してみた。ところがA家の3人は、なおも同じ苦情を言い続けた。煙草の煙が自宅に入ってくるというのだ。疑いは、煙草を吸わない奥さんと娘さんにも向けられた。将登さんは、A家の苦情にこれ以上は対処しない方針を決めた。副流煙の発生源は自分ではないと確信したからだ。

ところがその後もA家からの苦情は続き、警察まで繰り出す事態となった。2017年になって将登さんは、A家の3人から4518万円の損害賠償を求める裁判を起こされた。裁判が始まると日本禁煙学会の作田学理事長が全面的にA家の支援に乗り出してきた。提訴の根拠になったのも、実は作田医師が交付した「受動喫煙症」の病名を付した診断書だった。

裁判が進むにつれて、恐ろしい事実が浮上してくる。作田医師が作成したA家3人の診断書のうち、娘のものが虚偽診断書であることが分かったのだ。作田医師は、A娘を診察していなかった。診察せずに診断書を交付していたのだ。これは医師法20条違反に該当する。こうした経緯もあり、裁判は将登さんの全面勝訴で終わった。A家の主張は、何ひとつ認められなかったのだ。

麻王監督が映画化したのはこの段階までである。実際、事件を取材してきたわたしも横浜副流煙裁判は、将登さんの勝訴で終わったと思った。拙著『禁煙ファシズム』(鹿砦社)で、わたしが記録したのもこのステージまでだ。

映画『[窓]MADO 』

◆横浜副流煙事件のその後

将登さんの勝訴で裁判が終わった後のことを若干補足しておこう。既に述べたように作田医師がA娘に交付した診断書は虚偽診断書だった。そこで将登さんと妻の敦子さんが中心になって、作田医師を地元の神奈川県警青葉警察署に刑事告発した。青葉警察署は事件を捜査して、作田医師を書類送検した。

しかし横浜地検は、作田医師を不起訴とした。これに対して藤井夫妻らは、検察審査会に審査を申し立てた。検察審査会は、「不起訴不当」の議決を下したが、時効の壁に阻まれて作田医師は起訴を免れた。公式には不起訴処分となった。

その後、藤井夫妻はA家の3人と作田医師に対して、根拠に乏しい不当な裁判を提起されたとして約1000万円の損害賠償を求める裁判を起こした。俗に言う反スラップ裁判である。この裁判の本人尋問の中で、作田医師が藤井敦子さんを指して、喫煙者だと事実摘示する場面もあった。この件についは敦子さんが、別の裁判が起こす公算が強くなっている。

◆ラジカルな市民運動

憎悪が憎悪を誘発するこれら一連の事件の背景には、喫煙者の撲滅といういささか過激な旗をかかげた市民運動の存在がある。「悪魔」に等しい喫煙者を探し出して徹底的に糾弾する方針である。その際に司法制度も利用する。

煙草の煙が人体に有害であることは紛れもない事実であるが、1階の密封された空間で吸った2、3本の煙草が、はたして上階の住民の健康を蝕み、その被害が4518万円にも値するかといえば別問題である。科学的な検討が必要だ。この事件を通して科学を軽視したラジカルな市民運動の実態が浮上する。

日本禁煙学会の作田医師は、「喫煙者の撲滅」という政策目的を先行させてしまい、隣人トラブルに油を注いだのである。映画「Mado」は、日常生活の中に潜む恐怖をみごとにあぶりだしている。日本中の団地で起こり得る事件なのである。


◎《予告編》映画 [窓]MADO

◎映画 [窓]MADO 公式サイト https://mado-movie.jp/

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

黒薮哲哉のタブーなき最新刊!『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

8月後半、西日本と東日本、双方で「原発の後始末」で重大な動きがありました。ひとつは、上関町が、核のゴミ=死の灰の貯蔵施設建設へ向けた調査を受け入れ。福島では原発事故の汚染処理水の海洋放出です。

◆上関町は核のゴミ=死の灰 自称「中間貯蔵」へ調査受け入れ

8月18日、上関町の西町長は中国電力に対して、同社と関西電力の共同で核のゴミを自称「中間貯蔵」する施設の建設へ向けた調査を受け入れてしまいました。8月2日に申し入れを受けてからわずか半月余りというスピード決定でした。

岸田政権が強行した自称GX法により関西電力・高浜原発など老朽原発の再稼働が進み、関西電力の死の灰=核のゴミがにっちもさっちもいかなくなることを背景に起きた出来事です。

核のゴミ=死の灰の最終的な行方は全く決まっておらず、今後も決まる可能性はほとんどありません。従って、もし上関町が受け入れてしまえば、中間貯蔵どころか、半永久的に貯蔵されてしまうことは確実です。


◎[参考動画]原発問題で揺れる 瀬戸内海“最後の楽園”上関町【news23】|TBS NEWS DIG

◆フクシマ汚染処理水、海洋放出強行

一方、8月21日、岸田総理は福島を訪問したあと、なぜか、東京に戻って全漁連の会長と会談し、会長も反対姿勢を崩さない中で、東電福島第一原発事故による汚染処理水の海洋放出を伝達し、24日から開始。「数十年に渡ろうとも全責任を持って対応する」と総理は啖呵を切りました。


◎[参考動画]処理水の放出決定 福島県内の漁業関係者は憤りあらわに「納得していないのにおかしい」|TBS NEWS DIG

◆「科学的に安全」と言われた原発が事故を起こしたのに

汚染処理水については、IAEAは国際的な基準に合致していると言ってはいます。しかし、別にIAEAが何か責任を持ってくれるわけではありません。そもそも、2011年の3.11以前、政府も東電もマスコミも「日本の原発は科学的に安全。チェルノブイリ原発のようなことは起きない」と宣伝してきました。従って、汚染処理水の問題で「安全です」と言われても、「安心しろ」というのが無理な話です。

また、岸田総理は数十年にわたろうとも全責任を持って対応する、と言われていますが、総理の任期なんて、安倍晋三さんでさえも8年しか勤めていません。30年後、40年後、人生百年時代ですから、ご存命であったとしても国会議員は辞めておられる可能性が高い。どうやって、責任を取る、というのでしょうか?その時何かあっても「ワシはもう議員でないから知らん」と言われても困ります。あまりにも軽すぎる言葉の使用法がまた、信用を失わせます。

◆モルタル固化などの代案もある 原発事故の後始末は総合的にもっと議論を

なお、汚染処理水をどうすればいいのか?という点については、代案がすでに提案されています

モルタルで固化し、今よりもしっかりしたタンクで保管するという案です。もちろん、これは、地元・福島県双葉町などの同意が必要になってきます。また、もっと言えば、無理にデブリを取り出したりする必要があるのかどうか?強烈な放射線で機械でさえも故障するリスクが高い状況で、将来にわたってできるのかどうか?もっと総合的な議論をすべきではないでしょうか?

◆上関・核のゴミ受け入れ、元自民党代議士の岩国市長も懸念表明

そして、上関町の核のごみの受け入れに対して、21日、岩国市の福田良彦市長も懸念を表明されました。福田市長は、元自民党代議士のご出身です。2008年に岩国基地への艦載機移駐反対派の井原勝介市長を打倒して初当選され、現在4期目です。そんな福田市長でも「近隣自治体とすれば、やはり市民の中にも多くの不安や懸念があることは事実。そういった中での今回の調査、また調査の先には具体的に建設ということになるのかもしれないが、市民、また近隣の方々の安心安全がしっかりと担保されていない、説明が尽くされていないという状況の中では、今回の一連の受け止めについては率直に賛成とは言えない、これが私の考え」とコメントされました。

当然です。岩国市役所までは上関の想定される核のゴミ=死の灰受け入れ予定地からわずか45kmです。上関町だけで、この問題の可否を決める、ということ自体がそもそもの誤りです。

例えば、危険極まりない核のゴミを中国電力島根原発や関西電力高浜原発・美浜原発などからどうやって運搬するというのか? 船は船で、リスクがあります。瀬戸内海では現状でも船の事故は非常に多い。海自の輸送艦「おおすみ」と漁船の衝突事故は記憶に新しいですし、今年に入ってからも山口県沖で護衛艦の座礁事故が起きています。他方で、道路での輸送は交通事故の危険性も高い。海であろうが陸であろうが、岩国市はもちろん、場合によっては筆者の住む広島市も含めて取り返しのつかないことになりかねません。

フクシマの海洋放出に関しては、総理はそうはいっても表に出てきましたが、ご自身の地元(小選挙区=広島、比例区=中国ブロック)に重大な被害が及びかねない上関の問題では何もリーダーシップを取ろうともしない。

◆地域を衰えさせてきた歴代自民党政権

なお、上関町長ら推進派の「上関の持続可能な発展に、可能性がほぼ消えた原発建設に変わる核のゴミが必要」という話も全く筋が通りません。

現実には、原発関係の交付金を受け取ってきた上関町も人口流出で衰えています。他方で、創意工夫で踏みとどまっている自治体もあります。そもそも、原発や核のゴミ受け入れに頼らないといけないように地方を衰えさせてきた自民党政権の経済政策が誤りです。

◆やはり、岸田・自称GX法で老朽原発再開が大問題

岸田総理は、気候変動対策などを大義名分に、自称GX法=老朽原発延命法、原子力村税金投入延命法=を2023年通常国会で強行しました。国民の間でも電気代の値上がりなども背景に「まあ、原発はあるのだから使った方がいいかな」という風潮が広がっています。3.11も、のど元過ぎれば熱さ忘れる、です。

しかし、現実には、汚染処理水問題のように福島原発事故の後始末さえ全くできず、「原子力緊急事態宣言」中です。その上で、核のゴミ=死の灰が増えて、にっちもさっちもいかなくなりつつあるのです。

これ以上核のゴミを増やさないこと。そして、福島のような事故を起こさせないこと。そのためには、やはり原発は止めることです。

再生可能エネルギーについては、九州電力などでは余っていて出力制限をしている状況です。その上で、原発を動かし、4-6月期は過去最高益を出している電力会社はおかしい。

従って、蓄電やスマートグリッドを進めていけば、再生可能エネルギーとの組み合わせで、原発にも旧型石炭火力発電にも頼らずに済む、電力料金も高くせずに済みます。

ただ、根本的には、電力会社よりも原発を国策として進めてきた国の責任が重いのです。GX法を廃止し、原発も国が責任をもって廃止する。蓄電やスマートグリッドにもガツンと財政出動する。そういう方向を示すべきです。

 

筆者勤務先近くの総理の政治活動ポスター

◆ポスターと正反対の政治 「広島の恥」総理を図に乗らせまい

岸田総理は「地域の声で新たな日本へ 所得向上 少子化対策 安全・安心」とおっしゃる。だが、実際には、フクシマの汚染処理水問題では地域の声を軽視し、安心を踏みにじる、上関のような時は国の責任を放棄して地域に対応を丸投げする卑怯な政治です。

そして、原発推進という破綻した「古い日本」を維持するわけです。まさに、実態と真反対のポスターであり、「広島の恥」ではないでしょうか?

総理は恥を知れ、と申し上げたい。残念ながら、前回2021年衆院選では総理は、対立候補に供託金回収さえさせない圧勝ぶりでした。こんな風に圧勝させてしまったことで、岸田総理も図に乗ってしまったということも言えると思います。

広島は平和都市といいながら、実際には爆心地に近いほど保守色が強く総理が強い。そんな状況ですが、次期衆院選こそ、総理をヒヤリとさせ、軌道修正を迫る結果にしなくてはならないと痛感しています。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

先般は、このかん私たちの元に寄せられた皆様方のご意見、激励などを列挙いたしました。日々少しづつ鹿砦社への理解者が増え、他方の『金曜日』への批判も増えています。今回は、植村隆社長が、これみよがしに送って来た、『金曜日』に寄せられたというツイートを掲載いたします。執拗に被害者や鹿砦社を誹謗し続けた「leny φ(^▽^)ノ#鶴橋安寧!」のような「大学院生リンチ事件」(しばき隊リンチ事件)の加害者支持者もいます。

『金曜日』編集部内に蝟集する「しばき隊」「カウンター」の支持者、そして彼らに連携する外部の者らによる鹿砦社や森奈津子さんらに対する非難中傷が下記のツイートです。

あらためてつぶさに見ていきましたが、これぐらいのツイートで困るようでは『金曜日』の近未来が思いやられます。

鹿砦社への非難中傷は、私たちが2014年師走に大阪・北新地で起きた「大学院生リンチ事件」の被害者支援、真相究明を始めてから始まりました。これに関する本を6冊出版し、その都度『金曜日』に1ページ広告を出しましたが、加害者側につらなる編集部員、ライター、読者らは不快を感じたかもしれません。しかし、彼らが日ごろ「人権」という言葉を口にしているのであれば、むしろ虚心坦懐に事件の内容に真摯に向き合うべきではなかったか。

北村肇前社長は、編集部やジャーナリストの中では、暴力に対し、ほとんど唯一真正面から向き合われました。

今回の処置の底流には、件の「大学院生リンチ事件」があります。原一男映画監督が登場する号の裏表紙に偶然鹿砦社の広告が掲載され(つまり、定期的に出していた鹿砦社広告の掲載日として予め決まっていた号で、これに偶然に原監督とSEALDs奥田愛基の対談が掲載されたということで、これが今回の鹿砦社排除の一因になったということですが、これは鹿砦社に責任はありません)、これに激怒した原監督は北村前社長を呼び出し激しく叱責したといいます。われわれの世代にとってカリスマ的存在だった原一男が、たかが広告で激怒するほどケツの穴が小さい人物だったことを知り愕然としたわけですが、その広告にはリンチ関連本の第一弾『ヘイトと暴力の連鎖』が掲載されています。

原一男監督が激怒した『週刊金曜日』1100号(2016年8月19日号)

植村社長には数日前にリンチ事件関連本6冊(その内の1冊には森さんも寄稿)全部を送っておきました。「人権」だ、「反差別」だと言うのなら、言葉の真の意味で一人の人間の人権を尊重し、差別と闘うという崇高な営為について既存の価値観を超えて根源的に考え直すべきでしょう。「人権」や「差別」という内容は『金曜日』や植村社長らが決めるものではありません。今回も、『金曜日』や植村社長らが「差別本」だと決めたから「差別本」だとされるのなら人間の英知など硬直化してしまいます。

植村隆社長(2019年12月7日の鹿砦社50周年の集いにて)

私事になりますが、いまだに鹿砦社の地元・兵庫県では語られる、戦後最大の差別関係の暴力事件とされる「八鹿(ようか)高校事件」(1974年)に於いて、当時赴任したばかりで、私の大学の先輩が激しく暴行を受けました。いまだにネットでは、この場面が名前入りで検索できます。最初見た時は大ショックでした。この事件以来、私なりに差別と暴力ということについて真剣に考えて来ました。「大学院生リンチ事件」の被害者支援と真相究明に関わったのも、心の底にはこの問題がありました。硬直し教条主義化した『金曜日』ごときにああだこうだ言われなくても、差別のなんたるかぐらいはわかっているつもりです。あんた方に言われたくありません。ましてや、今回矢面に立たされている『人権と利権』が「差別本」だと安直に規定することには断固反対です。『人権と利権』で、Colabo、LGBT活動家や利権団体が、まるで「人権は金になる」といわんばかりに跳梁跋扈していますが、その実、利権を求めて蠢いていることこそ、当時の言葉でいえば「糾弾」されなくてはなりません。

今回、『金曜日』によって、『人権と利権』が「差別本」という汚名を着せられ、企画、編集を担当した私や著者の森奈津子さんも、このままでは済まされないでしょう。場合によっては公開討論をやりましょう。こちら側は森さんと私、『金曜日』側は植村社長とColabo仁藤代表が妥当でしょう。11・2『週刊金曜日』創刊30周年大集会の前ではどうでしょうか? 逃げないでくださいね!

言論の多様性をみずから棄て北村肇前社長の遺志に反する、今回の鹿砦社排除が『金曜日』の「終わりの始まり」になることを懸念せざるをえません。

[左]『週刊金曜日』6月30日号掲載「おわび」。[右]Colabo仁藤夢乃代表の『週刊金曜日』に関する6月27日付けツイート

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Sayu
@sayu_nt
コレ読みたいな。コノ本で某界隈が内ゲバしてんでしょ
本屋で週刊金曜日パラ見した時、巻末広告に載ってたからあら?と思ったんだよね。
広告料欲しさに週刊金曜日も内ゲバ始めた?w
さすが鹿砦社w話題作りはうまいねw

@skryta
人権と利権は週刊金曜日に広告が出たと聞いて、ちょっと驚いたのだ。週刊金曜日は本多勝一が編集委員にいたように左寄りの媒体だったはずなのだ。ところが、朝日・毎日と異なり、本書を広告する方にまわったのだ。

hirohiro
週刊金曜日。よくHanadaに記事を書くような人にレギュラー的に記事を書かせるものだ。やはり納得できない。鹿砦社のヘイト広告といい内部が相当おかしくなっているのかな。そろそろ購読継続も考えどきかも。

leny φ(^▽^)ノ#鶴橋安寧!
@LenyIza
トランスヘイターの森奈津子に好き勝手に言わせ、デマを流し続ける鹿砦社に広告枠を提供する週刊金曜日が、また専門家でも無い人間にいい加減な事をしゃべらせる。
ホント、植村隆の見識と能力って信用出来ない。

@shimadakou
週刊金曜日の立ち位置はどうなってんだろう
なんでそんな広告掲載したんだ

spectre_55
鹿砦社、なんで週刊金曜日に出稿できてたんだろ、ジャニーズの性暴力に関する本を(しかもかなり早い時期に)出してたりした記憶があるから「反権力」で?
でもしばき隊云々は置くにしてもなんかあんまマトモな出版社だというイメージないし、あんなヘイト本の広告通したとこに責任はあるよね…

@HqCwkeSAdzCwXF6
週刊金曜日もよく広告オッケーしたなぁ

のんこ≪共に生きよう≫人民だよ
@korieramucho
週刊金曜日どうした?どうした???

purify
週刊金曜日のTwitterアカウントを開くと「広告に依存せず」って書いてあるのに。広告内容を精査しないの?

バンビーナ
@d_bambina
週刊金曜日、もうずっと読んでないけど今は極右の雑誌なの?

@JaHi8SXKvGxebKx
仁藤が、身内と思っていた『週刊金曜日』の広告にケチをつけています。意外なところに敵がいた?

青島清華
@Seika_Aoshima
→編集委員の各氏が積極的に関わっていたとは思えないが、名前が表紙に記載されている以上、何らかの声明をなるべく早く出すべきだろう。
週刊金曜日編集部も広告掲載の経緯を調査した上で対応をしなければ、広告掲載商品に消極的にであっても賛同しているとみなされても仕方がない。

児玉正志
@1967s_yo
マジか?週刊金曜日よ。ちゃんと説明できるんだろうな。

金滿里(新しいアカウントです)
@kD6mD47Tz7XnTxI
何でこれでもか、これでもかって、マスメディアの而も「週刊金曜日」という真っ当なとこと思ってた雑誌までが!どうなってんの?!全部が、吉本か、騙しか、劣化が激しすぎる!

MEP:ラジオネームヘンするウサギ
@mepphyj
Colabo代表仁藤夢乃さんは「週刊金曜日がこの本の広告を裏表紙に」とおっしゃってますが、週刊金曜日は広告収入には頼らないのではなかったでしたっけ?

Tenko chanz ▼・ェ・▼
@T_ichi_jyo
週刊金曜日、創刊時にはその想いがビンビン伝わってきて、定期購読していたが、こんな本を広告として載せるところまで落ちるとは。
なんだか、どこもかしこも劣化が酷くて、しんどいな。

ナょωレよ″丶)ょぅすレナ
@rna
週刊金曜日、どうなっちゃったの?

政治・選挙マニア学生
@xnbh5Gtw1e84pJI
鹿砦社や週刊金曜日が「なんかズレてる」というのは昔からあったんですが。指摘していた人たちを黙殺しておいて、我が身に降りかかった時に初めて「気付く」のですか?

@kuraiseikaku
週刊金曜日終わっとるな。

@kaeshikaji
仲岡さんに対してもめちゃくちゃヘイト行為だし、そもそもこの公告を出す時点で週刊金曜日終わってる、、何も考えないで、ではなかろうし。。

@Miew5dzYiy1hi2s
内ゲバなんていつもの事ってのと
週刊金曜日とは全く切れてないってのと

川上芳明
@Only1Yori
えーっ、「週刊金曜日」が。それはまずい(-_-;)そもそも、私は「鹿砦社」って、かなり危険なというか問題のある出版社だと思っています。「左翼出版社」と思っている方もいるかもしれないけど。
ヘイトを許さない市民の会/人権と民主主義を守る会SK
@nohate38306132
週刊金曜日@syukan_kinyobi
はいい加減鹿砦社との契約打ち切ったら?(*´ω`*)
鹿砦社はもう言論の自由の範囲を逸脱したただのヘイト出版社じゃん

あさり固め
@athalisawali
ていうか週刊金曜日って広告あるの?ないイメージだったんだけど無ってことじゃないみたいなことなん?

てのりん
@trochilidae
「『週刊金曜日』は、広告に依存せず、定期購読主体(書店でも販売)の総合週刊誌」と言いつつ鹿砦社の『人権と利権』の表紙を使った広告を裏表紙に載せるというのは,週刊金曜日編集部もこの森奈津子らの本と同様の問題意識を持っていると考えていいのか.

てのりん
@trochilidae
週刊金曜日までもか……
最悪すぎるだろう

憲法改正反対!改憲阻止を!平和外交を!にっちもさっちもす808
@wshootingstar
そこまでチェックしてないんだろな。週刊金曜日も。

自分 北海道を核のゴミ捨て場にしない
@KiyokawaNozomu
週刊金曜日がヘイト本のような類の本の広告を掲載していたという情報。

仁藤夢乃Yumeno Nito
@colabo_yumeno
週刊金曜日がこの本の広告を裏表紙に載せていたそうです。最悪。どういうつもりなのか。@syukan_kinyobi

これでは「週刊金曜日不買運動」をせざるを得ません。

eve lee gacco インボイス反対
@mocchimochibbb
ちょっと…週刊金曜日…どういうつもりなの

ちまこBlue 魔人
@chimakoBlue
週刊金曜日ヲィ

るい
@tao823906
週刊金曜日っていう誰も読んでいない雑誌。
アホ丸出しw

きんちゃん
@kinchubby666
森奈津子の著書が週刊金曜日に広告として載ってるって…。
何考えてるの@syukan_kinyobi ?

弁護士仲岡しゅん(うるわ総合法律事務所)
@URUWA_L_O
私への殺害予告記者会見を記事にした週刊金曜日から1部送られてきたんですが、裏表紙にこの本の広告が載っていました。
ずいぶん皮肉が効いてるなと思っていたんですが、カラーになるとこんな画像だったとは…。モノクロだったので気付きませんでした。

ジプシー公務員
@Gypsykoumuin
おお…!
「週刊金曜日」が「ネトウヨ雑誌」だと市中に出回る出版物はすべて「ネトウヨ雑誌」になってしまいますな…「前進」が「ネトウヨ雑誌」呼ばわりされる日も近そうで。

蛇舌
@menkaidekinai
「紙の爆弾」って鹿砦社ですよね。確か週刊金曜日も鹿砦社の広告を載せていましたが同社はこの問題をどう考えるのでしょう?

TAKEKAWA
@takekawa45
デマナツ氏の侮辱と共にあった「鹿砦社」
既視感は「週刊金曜日」だったか
手持ちの裏表紙に何冊か載っている
共産党と反共記事を載せたり、デマに近い転載記事を出したりで、この頃は安田浩一さんと田中優子さんの出る号の立ち読みと反共著者のないものだけにしている
社長が編集に無関心だからか

有田芳生
@aritayoshifu
「週刊金曜日」は広告収入に依存しない。本多勝一さんや井上ひさしさんにそう聞いていました。いまは違うんだ。しかも、です。

leny φ(^▽^)ノ#鶴橋安寧!
@LenyIza
週刊金曜日って、人権や差別に本質的に無関心なビジネス新左翼の鹿砦社の広告を未だに載っけるんやねぇ。
ホンマ、週刊金曜日は人権にだらしない。

Flag Lucky in the house(2021年4月から無職)
@tmhk_y
影書房さんに鹿砦社さんよりも高額で広告出してもらえればいいのか?
週刊金曜日は広告に依存しないってことだから別の問題なのか?
ちょっと不気味

aki
@nekonekominmi
週刊金曜日はいい加減に鹿砦社の広告を載せるのを止めた方がいい。言論の自由とヘイトの自由は別でしょ。

hirohiro
@arataka_lie_gen
週刊金曜日は経営状況はあまりよろしくないのかもしれないが、頼むからしっかりしてくださいよ。ヘイト雑誌を広告に載せるなどかなり恥ずかしいことだ。

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◎[関連記事]【『週刊金曜日』鹿砦社排除問題続報】鹿砦社に対する村八分と排除行為は差別そのものであり、北村肇前社長の遺志に反するものだ! 多くの皆様の鹿砦社への支援と激励に感謝します! 板坂剛さん、11・2『週刊金曜日』30周年記念集会へ「乗り込む」ことを提起! 鹿砦社代表 松岡利康

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◆地対空ミサイルで爆破・撃墜

モスクワの北西部にあるトベリ州で23日、ビジネスジェットが墜落した。

このビジネスジェットは、ロシアの民間軍事会社ワグネル創設者エフゲニー・プリゴジンの所有で、タス通信はロシア連邦航空局の情報として、乗客名簿にプリゴジン氏の名前があったと伝えた。

また緊急事態省によると、ジェット機には乗員3人を含む10人が搭乗していたが、全員が死亡したとみられる。連邦航空局の発表は事件の一時間後であり、事前に知っていたかクレムリンからの情報と考えられる。通常、連邦航空局は事件を実地調査しないかぎり、発表しないからだ。

独立系ディアによると、ジェット機はモスクワ郊外から飛行していた。高度8500メートルを飛行中、突然墜落したという。ということは、間違いなくミサイル攻撃である。

ワグネルに近いテレグラムチャンネル「グレーゾーン」は、地対空ミサイルが発射された痕跡があるとして、「撃墜された」と報じた。

プリゴジンの死亡は、確定的な状況である。


◎[参考動画]プリゴジン氏死亡とワグネル発表 搭乗したジェット機が墜落…目撃者「ドローン攻撃」(ANN 2023年8月24日)

プリゴジンの盟友であるセルゲイ・スロヴィキン上級大将が、8月18日付の大統領令で航空宇宙軍総司令官を解任されていることから、計画的な爆殺だったといえよう。

われわれは、プリゴジンが反乱を起こす1か月前から、粛清される可能性を指摘してきた。まさに熾烈な権力闘争の行方は、独裁者による粛清だった。過去の記事から紹介しよう。独裁者は不満分子・反乱分子を決してゆるさない、歴史の証言である。

◎横山茂彦「勇者たちは地獄に堕ちるのか? ロシアの民間軍事企業「ワグネル」創設者プリゴジンはプーチンに粛清されるかもしれない」(2023年5月27日)

弾薬が70%足りない。ショイグ(国防相)、ゲラシモフ(参謀総長)! 弾薬はどこにあるんだ」「あれほど要求したのに、送られてきたのは、たった10%だ!」と、軍首脳を罵倒してきた民間軍事会社ワグネルのプリゴジンは、バフムトを完全制圧したとして(ウクライナ軍部はこれを否定し逆包囲を示唆)、前線からの撤退を表明した。

ロシア軍がワグネルに弾薬を送らない理由が、プリゴジンのクーデターを怖れているのではないかという説がある(中村逸郎「現代ビジネス」ほか)。

独裁者がみずからと対抗するナンバー2を許さないのは、ナチスドイツのヒトラーとエルンスト・レームの関係に明らかだ。

二人の関係を描いた戯曲『わが友ヒットラー』で、三島由紀夫はレームに「軍隊は男の楽園」と語らせ、その軍隊を統制する政治が左右の過激分子を排除する権謀術策であることを証していく。

プーチンがワグネルおよびプリゴジンのクーデターを怖れていたのは間違いない。そして粛清がヒトラーの発案で、スターリンがそれを評価し、プーチンに継承されたことを明らかにしておこう。

ふたたび過去の記事から引用になる。エルンスト・レームのナチス突撃隊(SA)がプリゴジンのワグネルに酷似していることから、ヒトラー・スターリン流の粛清劇が不可避であることが証明された。プリゴジンが武器弾薬で不満を持ったように、ナチスの粛清も武器への不満だった。

◎横山茂彦「スターリン流の粛清劇がはじまる プリゴジンの反乱 ── 熾烈な権力闘争の行方」(2023年6月28日)

ナチスドイツの『長いナイフの夜』は、独自の指揮系統と武器供与をもとめたナチス党突撃隊(党の軍隊)とプロイセンいらいの国防軍の矛盾だった。ナチスの党内対立(権力の強化をめざすゲーリング、ヒムラーらとエルンスト・レーム)もあった。ヒトラーは盟友レームと国防軍の矛盾に悩み、しかし最後はみずから親衛隊を率いて粛清を断行したのである。『裏切りは許さない』と。

これは法に拠らない虐殺・死刑執行であり、西欧諸国はヒトラーの無法を批判したものだった。しかし唯一、この粛清劇を称賛したのが、ソ連の独裁者スターリンだった。政治局会議で、スターリンはこう発言した。

『諸君はドイツからのニュースを聞いたか? 何が起こったか、ヒトラーがどうやってレームを排除したか。ヒトラーという男はすごい奴だ! 奴は政敵をどう扱えばいいかを我々に見せてくれた!』(スターリンの通訳だったヴァレンティン・ベレシコフの証言)。

この発言から5ヶ月後の1934年12月に、スターリンの有力な後継者かつ潜在的なライバルと目されていたセルゲイ・キーロフが暗殺された。キーロフ暗殺を契機に、スターリンはソ連全土で大粛清を展開していくことになるのだ。

このスターリンを「偉大な指導者」と評価してきたプーチンは、レーニンの「分離(独立)をふくむ連邦制」を批判して、今回のウクライナ侵攻に踏み切ったのだった。レーニンが批判した「スターリンの粗暴さ」を体現しているのが、プーチンその人なのである。

おそらくプリゴジンは、密かに粛清されるであろう。だからいったん国外に退去させ、ロシア国民との接点をなくしてから、人々がプリゴジンの名を忘れかけた時期に『窓から転落させる』か、毒物で密殺すると予告しておこう。すでに昨年らい、10人をこえるプーチンに批判的なオリガルヒや政治家が、プーチンの命で密殺(不審死)されているという。

残念ながら、窓から転落死、毒物での密殺という、われわれの予告は外れた(苦笑)。ミサイルで堂々と破壊・爆殺したのだから凄いというしかない。

ところで、叛乱劇から1か月後の7月段階には、プリゴジン死亡説が飛び交っていた。

◎横山茂彦「クレムリンで何が起きているのか? 飛び交うプリゴジン死亡説とプーチン逮捕の可能性」(2023年7月21日)

反乱を起こしてから3週間以上、ワグネル創始者プリゴジンの行方がわかっていない。そしていま、死亡説が飛び交っているのだ。

「プリゴジンを目にすることは二度とない」

海外のメディアに、アメリカ軍陸軍のエイブラムス元大将はこう話したという。

「公の場でプリゴジンの姿を目にすることは、もう二度とないだろう。彼はすでに死んでいると思う」

これ自体は推測にすぎないが、プリゴジンの死亡説を裏付けるように、ここに来てワグネルの新たなトップが就任するとの噂がある。その人物の異名は「白髪」を意味する“セドイ”、ワグネル創設メンバーのひとり、アンドレイ・トロシェフだ。
「反乱の5日後、プーチン大統領がプリゴジンたちワグネル幹部と会った際、プーチンは“セドイ”こと、トロシェフのトップ就任を提案したという。プリゴジンはこれに同意しなかったという。それ以来、ブリゴジンの変装写真などは表に出てきたが、詳しい消息はわからないままだ。

かつて、ヒトラー暗殺計画(1944年7月20日事件=ヴォルフスシャンツェ総統大本営爆破)では、事後に数千人が逮捕・処刑されたと言われている。ブリゴジンの反乱も、プーチンと会談するなど平和裏に収められた形だが、そのことがブリゴジンの命運を決めた。いくらおもねってみても、独裁者は反乱者をけっして許さないのだ。

もっとも、ヒトラー暗殺計画はイギリスによるものもふくめると、じつに42回あったとされている。これらの大半は戦後に判明したものである。

すでにウクライナのゼレンスキー大統領に対する十数回の暗殺計画が阻止された(英国情報部)ことを考えると、現在のプーチン大統領も暗殺未遂に遭遇していても不思議ではない。5月30日に起きたモスクワ郊外ノボオガリョボへの8機の自爆ドローンは、明らかに大統領公邸を狙ったものだった。

ここから先はロシア国内、わけてもクレムリン内部の反乱に注目である。

すでにオルガリヒのうち、戦争に疑問を持つ者たちは秘密裡に殺され、ブリゴジンに一味した将官たちは連座する運命にある。だが、ロシア国内においても、反乱の芽はつぎつぎに起きるはずだ。反乱が軍部とクレムリンに波及したときこそ、確実にウクライナ戦争は終局する。

ここウクライナが反転攻勢に出ているが、しかし鉄壁の防御陣営を築いた最前線で膠着状態がつづいている。

そのいっぽうで、ウクライナの無人機およびロシア国内から発したと思われるドローンが、ロシアの空軍基地で戦略爆撃機を破壊した。いよいよクレムリン内部で権力闘争が勃発し、プーチン政権が危機を迎えると指摘しておこう。そのさいに、プリゴジン事件をこえる流血になるのは必至だ。


◎[参考動画]露政権の「粛清」観測相次ぐ プリゴジン氏のジェット機墜落(産経ニュース 2023年8月24日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

今回の問題は、「カウンター大学院生リンチ事件」(いわゆる「しばき隊リンチ事件」)に対する、私たち鹿砦社による被害者支援と真相究明に陰ながら不快感を持っていた『週刊金曜日』編集部内の日本共産党としばき隊につらなる人たちによって画策されたものと推察いたします。くだんのリンチ事件の加害者側代理人と植村社長の慰安婦訴訟の代理人兼事務局長は同じ神原元弁護士ですしね。

この非人間的なリンチ事件に関わり始めてから、これについての取材と支援、訴訟などの内容を2016年以来6冊の本にし出版、同時に『金曜日』にもその都度巻末広告を出広してきました。それ以前にも広告は定期的に出広してきましたが、一度たりとも抗議などありませんでした。『金曜日』に抗議がなされ始めたのは、これ以降だと思われます。

これが問題の広告。たった4分の1の小さな広告で大騒ぎする輩と、これに簡単に屈した『週刊金曜日』

北村肇さんによれば、『金曜日』の定期購読者は3つに分かれていて、(1)日本共産党支持者、(2)社民党支持者、(3)無党派だということですが(今はれいわ新選組なども出来たので少し変わったかもしれませんが)、(2)の一部と(3)の読者が鹿砦社の読者と重なるそうです。また、小さな会社なのに組合も3つあり、なにかあればいちいち3つの組合と団交しないといけないそうで疲れるとこぼされていました。北村さんの命を縮めた一因は組合だということは元社員からも聞きました。誤解ないように私たちは組合の存在と活動を否定しているわけではありません。

生前の北村肇前社長。太っ腹な方だった

今回の鹿砦社に対する「ヘイト出版社」扱い、森奈津子編『人権と利権』に対する「差別本」呼ばわりで私たち鹿砦社も、まさに「名誉毀損」に遭っているというほかありません。植村隆社長ら『金曜日』の見解が一方的に喧伝され、特に重なる読者層の方々に誤解を生むことを懸念します。『金曜日』と鹿砦社の力関係は、マジョリティとマイノリティですから。鹿砦社の書籍や雑誌の広告が掲載できなくなることで、ますます私たちの出版活動の内容を外部に知らせる場が一つなくなりました。

今回の件で、『金曜日』に言論の多様性などなく、異論を簡単に排除する左翼教条主義的な組織に成り下がったことを実感しました。今後は「多様性」とか「表現の自由」とか言うなよ!

鹿砦社は「ヘイト出版社」? 森奈津子さんは「差別者」? 人の人権を顧みず、簡単に「ヘイト」だ、「差別」だと言う者こそ差別者だ!

以下、このかん寄せられた読者の皆様方からのご意見です(一部の方を除いてお名前を省いています)。畏敬するゲバリスタ(元・日大全共闘)、板坂剛さんからは11・2金曜日30周年集会へ「乗り込む」ことが提起されました。狂犬・板坂さん一人で乗り込ませるわけにはいかんでしょう。私も抗議のビラ撒きぐらいはやりたいと考えています。行動を共にしてもいいという方はご連絡ください。久しぶりに「老人行動隊」(古い!)を組みましょう! 情宣貫徹! 闘争勝利!

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◆板坂 剛 『マツオカ』へ 1       
 怒りと笑いが同時にこみあげる今回の『週刊金曜日』の広告拒否事件。鹿砦社の出版物に不適切な表現があったから、鹿砦社の広告を掲載するなと、多くの読者から脅迫的な要求があって、それで発行人が今後同誌に鹿砦社の出版物の広告を一切載せないことになったという。完全な倒錯である。
「文春砲」と揶揄され現実の巨悪を撃つ『週刊文春』の足元にも及ばない『週刊金曜日』の末路というべきか。文章で表現された内容に異議があるなら、文章で反論すればいい。
 百歩譲って鹿砦社の出版物の内容を否定するなら、鹿砦社に抗議するのが筋であろう。それを同業他社に広告の掲載を打ち切るように迫るなど卑怯の極み、昭和の右翼が好んで用いたヤクザまがいの手口だ。
『週刊金曜日』の読者がここまで低レベルであったことに驚くと共に、そんな姑息な言動に屈するのは出版人として自殺行為であることを自覚できない『週刊金曜日』の編集者には、もはやジャーナリスト失格であると言い渡しておこう。彼らには自分の仕事に対する意地も誇りもないのだ。今まで『週刊金曜日』を書店で購入したことは何度もあったが、もう二度と買わない。

◆板坂 剛 『マツオカ』へ 2       
 どうも腑に落ちない『週刊金曜日』の鹿砦社に対する広告打ち切り措置。事実上の絶縁宣言であるにもかかわらず「鹿砦社を否定するわけではありません」というヒラ社長のコメント。
「今回の『人権と利権』の広告問題で、『もう鹿砦社の広告をやめるべきだ』という読者の声がさらに強まりました。社内でも『広告取りやめやむなし』いう意見が大多数です」って、ヒラ社長よ「読者の声」「社内の意見」ではないあんたの本音を聞かせてくれと言いたい。
『人権と利権』のどこが問題なのか、自分の言葉で語った上で、今後一切鹿砦社の広告を取りやめる必然性があるのかを説明しない限り、鹿砦社の支持者=読者は納得しないだろう。説明責任を果たさないのは自民党だけで結構。
 11月2日木曜日に日本教育会館一ツ橋ホールで『週刊金曜日』創刊30周年記念大集会が行われるという。私はここに乗り込むつもりである。鹿砦社シンパ関西派の結集を望む。

◆黒薮 哲哉 わたしの新刊の広告も同じスペースで掲載された(週刊金曜日の)号なので、具体的にどのような事情があったのか、週刊金曜日と仁藤氏には説明してほしい。

◆週刊金曜日が鹿砦社の広告掲載を止めた、だけの理由ではなく積もり積もったもの(北村肇さんへの敬意を踏みにじられたことなど)もあり、定期購読を止めました。他人を排斥するなら、自分も排斥されることを知るべきです。

◆本日付の「デジタル鹿砦社通信」を読みました。 6月29日付の記事とあわせ、この間の事情がよくわかりました。松岡さんのおっしゃることは理路整然としており、賛同いたします。
『週刊金曜日』は長く定期購読してきた愛着のある雑誌であり、西宮ゼミでお会いした北村肇さんのお顔も浮かぶのですが、自ら省みることができないようなら区切りをつけるべきかと思案しております。
これに代わる週刊誌が今の日本に無いので困るのですが…。

◆創刊からの購読者でしたが、とっくにやめました。

◆ちょっとひどい ネ、中島氏はやめちゃうし、週刊金曜日にがっかりした。

◆(『週刊金曜日』の)7/7日号確認しました。「社会的には非正規雇用問題を批判しながら、社内に同じ問題を抱え込んでいる」とおっしゃってますが、今回の問題が決定的だったんでしょう。残念です。

◆本多勝一さんのような文章成金がうらやましいですよ。

◆特にというのも変だが2014年のブルデモやリンチ事件のことは今後も何かと付きまとうであろう…

◆週刊金曜日 8/11 1435号読書会から 植村社長鹿砦社決別宣言について さいたま読者から 仲良くしろよ。
と言あり、要は単なる喧嘩口喧嘩のレベルか?
できれば紙の爆弾読書会を開いてこの問題を討議できないだろうか?

◆金曜日に問う
週刊金曜日の植村さんは、自分への攻撃には敏感のようだが、その際の自分の反撃がどういう意味をもっているのかを判断する力は弱いようだ。
反ヘイトなどの運動体の中には、内包する問題を指摘されているところもある。それにつけこんで、誹謗中傷する輩もいる。
しかし、まともな疑問や批判に対しても、誹謗中傷あるいは差別だと逆にレッテル貼りをすることがないとはいえない。
その運動体が社会的にも、さらにさまざまな運動を支持しているひとたちにも、認知をされている場合、この団体が「虐められている」と声を挙げれば、その主張が受け入れられやすくなる。
しかし、大事なことは、事実関係をきちんと押さえ、そのことに歴史的にも理論的にも、正しい解釈をすることだ。感情に流されてはならない。
今回の記事だけでは、当該団体の詳細が分からないので、そのことには触れない。
ここで明らかにされているのは、週刊金曜日が、鹿砦社の出版物の広告を掲載したが、某団体のクレームを受けたら、鹿砦社とは何の話し合いをすることなく、自分が広告掲載を了承した本を「差別的だ」と決めつけたうえ、某団体への謝罪を表明した、ということだ。
右翼の脅迫を受けて、一度出していた会場使用許可を一方的に取り消す自治体の例を想起してしまう。
しかし今回は、ことなかれ主義の自治体が行ったのではなく、言論機関である。それも、一部のリベラル勢力が信頼を寄せているメディアである。
直ちにいい悪いの結論を出す必要はない。
何が問題点であるのか、議論を闘わせてほしい。特に、金曜日に寄稿している人々には、その論争に参加すべき義務がある。

◆「一番弱い所」として生け贄にされた「週刊金曜日」。
カウンター界隈に煽動されたColabo

◆一番の問題点は『金曜日』が鹿砦社を今後無視することだと思う。

◆公開討論を開催するべき案件。

◆「買ってはいけない」の非科学性を(もっと言えば「トンデモ」)を訴え続けた熊野寮OBたちの意見をガン無視し続けた段階で、『週刊金曜日』の購読をやめています。あそこ、サヨクの悪い所を煮詰めたようなところがありますね。

◆う~ん、『週刊金曜日』は左翼なのかなあ。私にはリベラルという認識しかないけど。

◆僕がカタカナで書くときは基本的に「リベサヨ」という、軽蔑的ニュアンスを込めています。

◆松岡さん応援しています。

◆言論弾圧に屈せずに、おかしいことにおかしいと言う松岡さんの姿勢断固支持します。
今日、八鹿高校事件の動画を見ていました。
汗水垂らして働く必要の無い特権階級どもが、デマや暴力で言説を封殺する。今も昔も全く変わらぬ構造に悔しさと虚しさが溢れてきます。
出身や性別や民族やセクシュアリテで括る左派が何故人民大衆に見放されたか。
それは貧しい者、所得の低い者、低賃金労働者を見殺しにし、差別問題や民族問題、LGBT問題にしかとりくまなかったからだ。
左派が被差別者と規定している者たちの中にも、富裕層や搾取収奪を繰り返してきた輩はたくさんいる。
持つ者と持たざるもので分けるべきところ、部落か否か、在日か否か、女性か否か、ゲイか否かで分ける。
こんなふざけたことを未だに続けている。
上記のどれにも当てはまらなくても、ギリギリの生活をしている者はたくさんいる。餓死する人も首括る人もいる。
多くの左派はそんなことなどおかまいなし。彼ら自身が富裕層だから。活動家も2世3世が多い。
労働組合を名のりながら、労働とは無縁の貴族ども。

浅野健一 松岡さんの投稿に賛同します。私が山口正紀さん(故人)、中嶋啓明さんの三人で担当していた「人権とメディア」連載を打ちきり、小林和子編集長(当時)が私を完全排除(植村社長の業務命令)したのも、もう1つのターニングポイントだったと思います。YМ子助教の私の週刊金曜日記事の盗用を不問にしたのも、縁故主義、編集の私物化でした。植村氏は、私に対しては絶縁宣言をしていません。

◆大内問題というタブーも抱えてしまった。タブ―なき雑誌を売りにしていたのにタブーだらけになっては魅力がなくなってしまう。タブーに挑戦する若さも勇気もなさすぎ。

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◆世論調査はどこまで信用できるか

朝日新聞8月21日朝刊によると、「岸田内閣支持 続落33%──マイナ 首相が指導力『発揮せず』79%」だという。

世論調査はおおむね3000前後、無作為に電話調査したものを集計する。わたしも過去に三回、新聞社から電話調査を受けたことがある。かなり作為的な質問で「国会で予算案が可決されましたが、安倍内閣を支持されていますか?」と誘導尋問に近いものだった。質問の仕方もその結果も、新聞社・報道局によってバラツキもあるものだ。

7月22・23日に毎日新聞が行なった全国世論調査では、岸田内閣の支持率28%で「退陣危険水域」だった。この記事では「自民党幹部が心配しているのは、内閣支持率よりも自民党支持率だ」という。

朝日新聞(7月15・16日)では28%、上記の毎日新聞では24%、時事通信(7月7~10日)が23.6%だった。前述の朝日新聞(8月21日)も28%である。


◎[参考動画]処理水放出「説明が不十分」7割 内閣支持率は続落

いっぽう、自民支持傾向がつよい(前述の恣意的な誘導質問的な調査が現認できた)読売新聞・産経新聞はどうだろうか。

7月の調査になるが、読売新聞は内閣支持率が35%(6月から6ポイント下落)、自民党支持率は34%だった。

産経新聞・FNN合同(8月19・20日)では、内閣支持率41.5%(7月から0.2ポイント増)。FNN(フジニュースネットワーク)と産経新聞社は、2020年の6月に、委託先の社員が14回にわたり、電話をかけずに架空の回答を入力していたことが明らかになっているから、あまり信用できない実態があると言い添えておこう。

◆政治的な感性こそが問題 マイナ対応と自民党女性局のフランス研修問題

岸田不支持はいうまでもなく、マイナンバーカードの健康保険証リンク不備問題であろう。登録時の入力ミス(前に受け付けた人のデータが残る)によるものだが、構造的なものと断じてもいいだろう。

そもそも60年代の住民基本台帳法、70年代の国民総背番号制、そして今回のマイナンバーカードと、国民をデジタル管理すること自体が無理なのだ。なぜならば国民がデジタルに馴染まなかったにもかかわらず、無理を要求しているからだ。自治体がマイナンバー受付指導をしなければならない実態、すなわち個人のPCやスマホでは受け容れてくれないソフトしか作れない技術力に原因がある。

だとしたら、これまで機能してきた保険証登録をそのままにして、少なくとも人の生命を左右する医療現場に混乱をもたらすべきではなかった。ここでの不作為が政治不信として顕現しているのだから、岸田文雄総理自身の政治的感性が問題となる。

もうひとつは、物価高のなかで生活に苦しむ国民に「わたしたち、楽しんでまーす」とばかりに、パリの街角で記念撮影をした自民党女性局の政治的感性である。

◆改造内閣は9月下旬

政局で当面注目されるのは、秋の内閣改造である。ところが岸田総理の外交日程がきびしい。

9月上旬はインドネシアでASEAN関連首脳会議、インドでG20首脳会議と、重要な外交日程が続く。11日ごろの帰国となり、19日から米ニューヨークで始まる国連総会の一般討論演説に出席するまでの間に、首相は人事のタイミングを模索していたという。

政府筋は「人事は帰国後の9月最終週でいいだろう」と指摘した。自民党関係者も「9月下旬の可能性が出てきた」と語った。

とはいえ、人事が遅れれば、秋に想定される臨時国会の召集時期もずれ込む可能性がある。物価高対策のための補正予算案を求める声が出ている中、首相周辺には「国会召集を遅らせるのは得策ではない。人事は9月中旬に済ませるべきだ」との意見も根強いという。

人事では茂木幹事長の処遇が焦点となる。マイナ問題で批判を浴びた河野太郎デジタル相、週刊文春で家族を巡る疑惑が報じられた木原誠二官房副長官らの去就にも注目が集まる。 


◎[参考動画]警察庁「木原副長官や官邸から接触はなかった」 木原氏は書面で回答

◆安倍派の動向

もうひとつの政局は、党内最大派閥安倍派の動向である。

会長不在の状態が続いている安倍派(清和政策研究会・100人)は8月17日の派閥総会で後継体制について協議した。新たな意志決定機関として「常任幹事会」を設置し、会長代理の塩谷立元文科相が取りまとめ役の「座長」に就く案を了承した。下村博文元政調会長が訴えていた会長選出論は霧消した。

常任幹事会の構成も一任された塩谷氏は総会後、記者団に「(常任幹事会を)派閥の重要事項を決定していく機関とし、閣僚経験者を中心に選任したい」としている。

萩生田光一政調会長、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、世耕弘成参院幹事長、高木毅国対委員長の有力者5人組の選任が有力だ。

事実上の「下村氏はずし」を後押ししたとみられているのが、森喜朗元首相である。8月7日の北國新聞のインタビューでは、会長にしてほしいと頼み込んできた下村博文が「今までのご無礼をお許しください」と土下座したと暴露している。下村を追い返したが「了解を得た」と触れ回っているとして、怒りを吐露したのだ。これで下村の後継の芽はなくなったといえよう。

とはいえ、後継者を決定できない派閥政局は深刻で、5人組にも決定的な力はない。このまま派閥後継者が決まらないと、派閥それ自体の求心力の低下は避けられないであろう。その先にあるのは、派閥の分裂と雲散霧消である。この危機感は、まだいまのところ感じられない。そこに危機があるのだ。


◎[参考動画]【日経CNBC 投資家アンケート】岸田政権を「支持しない」が74.2%、増税路線への警戒や成長面の政策の分かりにくさを指摘

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

「週刊金曜日」植村隆代表は、『人権と利権』の広告を掲載したことについて、Colabo代表・仁藤夢乃氏に謝罪した。しかも、『人権と利権』版元の鹿砦社や編者である私の頭を飛び超える形で、だ。

それについて、植村氏へ質問状をメールしたのが7月11日、返信の期日は18日と定めさせていただいた。

なかなかお返事はいただけず、無視されるのだろうとなかばあきらめていた中、デジタル鹿砦社通信にその件を綴った拙稿「『週刊金曜日』植村隆代表への質問状 ── 安易な謝罪に疑問を感じて」が18日未明に掲載された。その夜、あと数時間で日が変わるという時間になって、植村氏からの返信メールが届いたのである。

[左]植村氏の謝罪を告げる仁藤氏のツイート。謎の笑顔の記念撮影[右]週刊金曜日HPでのお詫び文。とにかく許してほしくて焦って謝罪しているかのようにも読めてしまって、申し訳ありません

だが、一読し、私は失望した。後日、改めて植村氏に反論させていただくが、その前に、植村氏および読者諸氏と共有しておきたい事実があるので、ここに記したい。

まず、私は本稿に「我々LGBT当事者はなにと闘ってきたか?」というタイトルをつけた。実際、LGBT当事者は一体なにと闘ってきたのか? それは簡単に申せば、次の二者だ。

①差別主義者
②LGBT活動家およびそのシンパ

①に関しては、異論はないだろう。LGBTを差別する者と、LGBTは闘っている。当然のことだ。わざわざここで解説するまでもないだろう。

私が植村氏にご説明したいのは、②だ。素直に考えれば、LGBT活動家は差別主義者と闘っている。つまり、①と②は対立関係にある。しかし、だからといって、差別主義者と闘うLGBT活動家がLGBT当事者に手放しで歓迎されているとお考えならば、それは事を単純化しすぎというものだ。

 

サブアカウント「森奈津子_LGBTトピック」のBIO

そのあたりの思いは、ツイッターでの私のサブアカウント(@morinatsu_LGBT)のBIO(プロフィール欄)に簡潔に記した。

「LGBT、ジェンダーについてツイートします。ゲイリブ理論とフェミニズムに救われた元小娘のバイ。LGBT活動家の悪い部分は批判しますが、反差別運動は必要であり、過去の運動も無駄ではなかったと考えています。今のLGBT運動に一番必要なのは、自浄作用」

反差別運動は必要であり、過去の運動も無駄ではなかった ── それは私の本心だ。

実際、私たちは差別されてきた。たとえば、すでに「在日韓国人・朝鮮人、被差別部落出身者、身体障害者を差別してはいけません」という社会的合意が定着していた1990年代でさえ、性的マイノリティは堂々と差別されていた。

むしろ、差別するほうが正常だという感覚を、日本国民は共有していた。在日外国人や被差別部落出身者や障害者を嘲笑してはいけないと認識している人たちが、性的マイノリティのことは平気で嘲笑するのだから、当事者としてはたまったものではない。「ホモ? 気持ち悪いこと言うなよ!(笑)」といった調子だ。むしろ「ホモ/レズ」を嘲笑しないと自分が「ホモ/レズ」と疑われるし、「ホモ/レズ」を軽蔑し嫌悪することこそが正常であるという価値観にこの社会は支配されていた。

つまり、私たち性的マイノリティは社会の最底辺の存在だった。そして、だからこそ、だれが「ホモ/レズ」であるかは秘密とされていた。私たちは、目には見えない賤民だったのだ。

令和の今となっては大げさだと思われるかもしれないが、90年代なかばにバイセクシュアルの作家としてカミングアウトしていた私は、当時の空気をはっきり覚えている。一神教の国々とは違い、我が国では同性愛を理由に逮捕されたり処刑されることはないが、嘲笑によって、我々は迫害されていたのである。

植村氏と私は、年齢は8歳離れてはいるものの、そのような同じ時代を経験している。植村氏は差別者側であり、私は被差別側として。当然、植村氏には、被差別者がどんな気持ちで当時を生きてきたか、ある程度想像することはできても、実感することは不可能だろう。

そもそも、植村氏のような異性愛者の中高年男性は、私たち性的マイノリティからすると、最強の属性だ。しかも、植村氏はジャーナリスト。いくらでも意見を発信することができる立場であり、特に、ネットではなく活字が中心の時代には、まさに権力者であった。

朝日新聞の記者をされていた1990年代に、はたして植村氏は、性的少数派差別を批判する記事を書いてくださっただろうか? おそらく、ないだろう。なにしろ、そんな記事を書いては、今度は植村氏が「おまえ、ホモなんじゃないか?」という目を向けられることになる。

流れが変わったのは、同性愛者差別事件「東京都青年の家事件」裁判の判決が確定してからだ。

1989年、同性愛者団体アカー(動くゲイとレズビアンの会)が合宿のために東京都の施設「府中青年の家」を利用した際に、他団体から侮蔑的ないやがらせをされ、アカー側は青年の家側に対処を求めたが、反対に拒絶され、さらなる侮辱を受けた。そして、それは後に裁判へと発展した。アカーが東京都を提訴したのが1991年、東京都の控訴が棄却される形でアカー勝訴で判決が確定したのが1997年。長い闘いだった。

ウィキペディア「東京都青年の家事件」

アカーは非常に真面目で、当時としては急進的な同性愛者団体だった。そんな彼らが、いかがわしい存在として行政に堂々と差別されたという事実が、我々当事者には非常に衝撃的だった。あの裁判でアカーが闘い、勝ってくれなければ、おそらくは今も我々は、最底辺の被差別者であったことだろう。

私は、植村氏への質問状では次のように申しあげている。

「私は90年代なかばにバイセクシュアルとしてカミングアウトした作家です。デビューは1991年ですが、それ以前には、会社員をしながら、ゲイ&レズビアン解放運動の末端で活動をしてきました(当時はLGBTなどという言葉はありませんでした)。その後も、東京都青年の家事件の抗議集会に参加したり、性的マイノリティ団体の会合に出席したり、団体が発行するミニコミ誌を購読したりしてきました」

そんな私が、なぜ、今、LGBT当事者の「敵」として、差別主義者とLGBT活動家を並べなくてはならないのか。

それは、LGBTの運動に、陰惨なリンチ事件を起こした「しばき隊界隈」と称される運動体、すなわちC.R.A.C.(旧レイシストをしばき隊)、カウンター、ANTIFAと呼ばれる界隈の反差別活動家が参入し、LGBT活動家やそのシンパまでが暴言や恫喝を運動手法とするようになったからだ。すなわち、それは、運動の変質であった。

[上]今は亡き首都圏反原発連合の運動家であり、しばき隊系ゲイ活動家・平野太一氏。現在はしばき隊系LGBT団体TOKYO NO HATEでご活躍[左下]平野太一氏から杉田水脈衆院議員に対するオラつきリプライ。下品である[右下]自分に従わないゲイには、侮蔑的な暴言。意識高い系のおつもりか?

[左]しばき隊系ゲイ活動家で、地元茨城県牛久市の共産党幹部のご子息・森川暁夫氏。保守のゲイである松浦大悟元参院議員にはヘッダー画像で、アカウント名では森に粘着嫌がらせ。LGBT当事者の間でも「気持ち悪い」と評判にる[右]森川氏はレイプに肯定的なツイートをした後に、アカウントを凍結された(ウェブ魚拓・https://archive.li/LGVMn)。常日頃からミソジニストとしても有名だった

これでは、LGBTへの理解を社会に求めるどころではない。現在では、LGBT当事者がLGBT活動家の暴言・恫喝のせいで、肩身の狭い思いをすることも、しばしばだ。

かつて、被差別部落出身者の真摯な人権運動が「エセ同和行為」を生み出し、かえって差別を後押ししてしまったのと、よく似た図式だ。「同和は怖い」に続き「LGBTは怖い」と世間でささやかれる事態になることを、私たちLGBT当事者は危惧している。

参考ページ・ 「えせ同和行為」を排除するために 法務省

私たちが、多数派である異性愛者の中でもLGBTに寄り添う意志をお持ちの方々に求めたいのは、先述の「①差別主義者」だけでなく「②LGBT活動家およびそのシンパ」の道を外れた暴言・恫喝・脅迫もきっぱり拒絶していただくことだ。どちらもLGBTへの理解を阻害するという点では、同レベルである。

実は②に関しては、本心を言えば、「一部LGBT活動家とそのシンパ」と「一部」を入れた形で表記したかった。決してLGBT活動家すべてが悪いのではなく、暴言・恫喝を繰り返している一部の者たちを批判しているのだ、と。

しかし、その「一部」の暴言・恫喝を批判するLGBT活動家は、今現在、一人もいないのだ。中には、私がかつて尊敬していた活動家もいるのだが、すっかりオラつき集団に取り込まれてしまっている。暴言・恫喝が常態化しているというのに、仲間内から一人も批判者が出てこないのなら、それはすでにその集団が自浄作用を失い、カルト化しているということだ。

私は、LGBT活動界隈のオラつきを批判できるLGBT活動家が出てきてくれないかと、日々、待っているのだが、完全に待ちぼうけをくらっている。

以上、長々と、我々LGBT当事者の闘いについて、解説させていただいた。次回では、私が植村氏からいただいた回答をご紹介すると共に、反論を含めたお返事をさしあげたいと思う。読者諸氏にはもう少しおつきあいいただければ、幸いだ。

▼森 奈津子(もり・なつこ)
作家。1966年東京生。立教大学法学部卒。1990年代よりバイセクシュアルであることを公言し、同性愛をテーマにSFや官能小説、ファンタジー、ホラー等を執筆。ツイッターアカウント:@MORI_Natsuko
https://twitter.com/MORI_Natsuko

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◆低下した米国人の愛国心

今年3月、ウォールストリート・ジャーナル紙とシカゴ大学の合同最新世論調査結果が発表された。それによると、この間、米国人の愛国心には非常に注目すべき変化があったという。愛国心が極めて重要と答えた人が全体の38%、ある程度重要と答えた人が35%だった。これは、1998年度における同様の調査で、極めて重要と答えた人が70%だったのに比べた時、驚くべき変化だという。

同様の結果は、ギャラップ社の調査からも報告されている。昨年、米国の建国記念日当日、この日を米国人として非常に誇りに思うと答えた人は38%に過ぎなかった。2001年以来、同社の調査で、55%を下回ったことは一度もなかったことを考えた時、この急激かつ大幅な下落は、一体何を意味しているのだろうか。

これまで、移民の国と言われ、多様な人種、宗教などからなる米国を一つにまとめる精神的拠り所として、愛国心は決定的だった。そこにこそ、建国以来、南北戦争など幾多の危機を乗り越えてきた米国のエネルギーの源泉があったと言うことができる。

その愛国心が今なぜこうなってしまったのか。その原因について考えるのは、意味のあることだと思う。

◆なぜ低下したのか、米国人の愛国心

米国人の愛国心低下の原因について考えた時、それは、第一に米国人自身の変化に、第二に米国という国そのものの変化に求めることができる。

第一について言われているのは、米国人の個人主義の深まりだ。

先のウォールストリート・ジャーナル紙は、「多くの人々が自分の権利をより重視するようになり、並行して自分のコミュニティへの関与の度合いが減ってきている。米国人としての共通の価値観よりも、それぞれが持つ異なる人種的、文化的バックグラウンドへ関心が集まり始めている」というある塗装業者(33歳)のコメントを載せている。

それも一理あると思う。だが、個人主義の深まりは、何も今に始まったことではない。

移民の国、米国の共同体としての歴史は長くない。もともと強い個人主義、それが米国の特徴だと言われてきた。

その上に、グローバリズム、新自由主義がそれを一段と促進したのは事実だと思う。「国の否定」、「格差、差別の拡大」、そこから少なからぬ人々が自らの人種的、文化的バックグラウンドに関心を持ち、自分の世界、自分の価値観に引きこもるようになったのは十分に考えられる。

しかし、それだけではない。米国人の愛国心低下の原因として一層深刻に考えられるのは、米国という国そのものの変化だ。一言で言って、米国が米国人にとって、愛し信じて誇るべき国ではなくなってしまったと言うことだ。

今世紀に入りながら、米国の政治は「1%のための政治」と言われ出した。長期に渡る経済停滞と拡大する貧困、産業の空洞化と寂れ行くラストベルト地帯、それとは対照的に、繁栄と栄華の極みを尽くす「金満ウォール街」。

一方、イラク、アフガン、シリアへと続く反テロ戦争の広がりと泥沼化。米国人にとって、それは、「世界の警察」としての虚構が完全に打ち砕かれる過程であったのではないか。

それに加えてさらに深刻なのは、人種、民族が融合しているのではなく、サラダボール状になっていると言われる米国社会のさらに深まり拡大する分裂、分断だ。それは、泥仕合の様相を呈する民主党と共和党の対立激化などと相まって、収拾のつかないものになってきている。

人々が身を委ね、運命をともにする国としての体をなさなくなってきている米国にあって、人々の愛国心が低下するのは必然だと言えるのではないだろうか。

◆戦後日本政治と愛国心

戦後日本の政治にあって、愛国心が主張されたり、人々の愛国心に訴えて政治が行われたりすることがほとんどと言っていいくらいなくなった。極少数の極右の人々を除き、右も左も愛国心は、禁句になった感がある。

「愛国」で始められた第二次大戦は、それへの裏切りで幕が下ろされた。以来、日本の政治において、「愛国」は、軍国主義の代名詞とされ、ほとんど使われないようになった。

もう一つ、戦後日本政治で「愛国」が言われなくなった理由がある。そこに介在していたのは、もちろん「米国」だ。

元来、他国を支配し統制する覇権と愛国は相容れない。と言うより、覇権国家にとって、被覇権国家の国民が持つ愛国の心は邪魔者であり敵対物だ。実際、米国による日本に対する覇権は、日本人の愛国心の抑制の上に成り立ってきたと言っても過言ではない。

だから、米国にとって、戦後日本政治で「愛国」が軍国主義の代名詞になり、禁句になったことは、もっけの幸いだったと言えると思う。

そうした条件の下、米国は、日本をただひたすら「米国化」してきた。その結果、メシからパンへ、石炭から石油へ、日本の社会と経済、政治、軍事から文化に至るまで、そのあり方の総体が米国化されたと言っても決して過言ではない。

そして今、米国は、自らの覇権回復戦略、「米対中ロ新冷戦」を引き起こしながら、その最前線に日本を押し立て、日本に「東のウクライナ」として対中対決の代理戦争をやらせるため、今まさに日本の米国化を全面化してきている。駐日米大使ラーム・エマニュエルがその大使への指名承認公聴会で「日米統合」に力を尽くすことを誓ったのはそのことだと言うことができる。

事態は簡単ではない。もはや日本人の愛国心そのものが風前の灯火となり、完全になくされてしまう時が来たということか。

だが、そんなことにはならないと思う。スポーツなどで、日本人や日本チームを応援する心、その活躍を喜ぶ心は、愛国心ではないのか。科学技術などで、日本の立ち後れを知った時、それを残念に思い悔しい思いを抱くのも愛国の心ではないのか。

自分の国、自分の故郷や家族、自分の集団を思い、気に掛け、愛するのは、社会的で集団的な存在である人間の本質的な特性だと言える。

今、日本に求められているのは、そうした日本人自身が持つ愛国の心に応え、訴える政治をすることだと思う。それこそが日本を「東のウクライナ」への道から救い出す唯一の道ではないだろうか。

◆今、求められる真の愛国政治

戦前、日本政府は、うち続く帝国主義相互間の覇権抗争の中、日本国民の愛国心を利用して、「鬼畜米英」を煽り、帝国主義間抗争に勝ち抜く「愛国心」をたきつけて軍国主義をやり、あの戦争を敢行した。

こうした戦前の政治と今、「米対中ロ新冷戦」を前に日本に提起されている政治、この二つの政治の間には、前者が帝国主義為政者の侵略的野望から出発し、日本国民の愛国心をそれに利用したのに対し、後者が日本国民自身の持つ愛国の心から出発し、為政者がそれに応え訴えることが問われているという本質的な違いがある。

この本質的違いを前に、今の為政者に問われていることは、自分の政治的、政策的目的、意図から出発し、その実現のために国民の愛国心に対するということがあってはならないということではないだろうか。もし、自分の政治的、政策的目的のために国民の愛国心を利用するということがあったなら、それは、戦前の帝国主義者と同じであり、国民の愛国心を奮い起こして米国の策謀を打ち破ることは決してできないと思う。徹頭徹尾、国民大衆の愛国の心から出発し、その実現のために闘うこと、この真心にのみ闘争勝利の鍵があるのではないだろうか。

今は、帝国主義覇権の時代ではない。戦後78年、生き延びてきた米覇権も、国と集団そのものを否定する究極的覇権思想、グローバリズムと新自由主義が破綻する中、覇権生き残りの最後の手段、「米対中ロ新冷戦」にしがみつきながら、ウクライナ戦争とともにその最後の時を迎えているように見える。

覇権VS愛国、時代は、明らかに反覇権・自国第一・愛国の時代になっている。先の広島G7にあって、招待されたグローバル・サウス諸国のゼレンスキー支持拒否の一致した行動は、そのことをこの上なく明瞭に示していた。

この世界に広がる愛国の時代に、日本国民の間に生まれた「新しい戦前」、脱戦後の意識、まさにこうした自分の国である日本を憂いながら、あくまでそこに身を委ね、運命をともにする国民大衆の愛国の意識に応え訴える闘いを起こしていくことこそが今切実に求められているのではないだろうか。

小西隆裕さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

2023年6月発行の書籍に感銘を受けたので、取り急ぎ紹介したい。著者は高齢化が加速する社会において、私たちが向かうべき地域づくりの道を開拓する医師だ。

◆「笑顔で自分らしく生き、自宅で人生の最期を迎えるための地域医療」

 

松永平太『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)

『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)の著者である松永平太氏は、地域づくりを先駆的に進めている1人だ。

千葉県南房総市千倉町に生まれ育ち、1983年、東京理科大学薬学部を卒業。その後、86年に東京医科歯科大学に入学し、卒業後、民間病院に入職。そこで医師と看護師とは対等であることを学び、その3年後となる1997年に松永医院を継ぎ、院長となった。

彼の願いは、「高齢者が笑顔で自分らしく生き、自宅で家族や友人とともに人生の最期を迎えられる地域医療のかたちを実現させること」。そのためには、もちろん在宅医療に加え、介護や福祉との連携が必要だ。そこで、「外来診療から在宅看取りまで対応した診療所を拠点に、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、デイサービス、デイケア、グループホーム、老人保健施設などを整備」した。

松永氏は、「全国に先駆けて人口減少や高齢化が進んだ千倉の地域医療は、これからの医療の最先端モデルになり得るのではないか」と考えて、本書を執筆したという。

千倉町の「高齢化率(65歳以上の高齢者人口の割合)はすでに50%」とのことで、2022年4月の高齢化率を調べると南房総市全体でも46.8%、千葉県内では御宿町、鋸南町に次ぐ第3位となっている。

千葉県内市町村別高齢者人口(2022年4月1日現在)

https://www.pref.chiba.lg.jp/koufuku/toukeidata/kourei-jinkou/documents/r4koureishajinkou.pdf

ちなみに2035年には限界集落化という役所の職員もいたが、現在、高齢化が進みすぎていて2040年には65歳以上の人数自体は減ってしまう。
http://www.chiiki-chienowa.net/003_PPS/12chiba/12_kt_chiba.html 

◆高齢者のリアルと人間の生きがいとのギャップ

そのような中で松永氏は、診療所について、「命のコンビニエンスストアでありたい」と考えている。ただし、彼の目にうつるのは、「若い世代の重荷とされてしまう一方、お年寄り自身もどのようにして生きればいいのか迷い、誰にも相談できず、途方に暮れている」、そんな姿だ。「特にやりたいことはない」「早く死にたい」と口にし、一命を取り留めても「なぜ自分を助けたのだ」と苦情をいう人すらいるという。

彼は本書に、「この世で最大の不幸とは、貧困や病ではなく、見放されて誰からも必要とされなくなること」というマザー・テレサの言葉を引用している。実際、最も元気な80代の1人は、常に軽トラで地域を走り回り、広い田んぼを手がけ、「次は本業」といって店番もする。用事があって会いに行っても、なかなかつかまらない。お子さんにこのような話をしたところ、「仕事がいちばん好きだといっている」とのこと。やはり、求められているということが人間の生きがいとなるのだろう。

また、地域の人々の話を楽しく聴くだけで、ご本人やご家族に感謝されたり、野菜や魚を頻繁にもらったりする。お返しをしても、なかなか追いつかない。ただし、わたしが勝手に会話を楽しんでいることが役に立っているなら、大変うれしいことだ。そのような人間の生きがいや喜びのためにも、松永氏は「高齢者医療で大切なことは、とにかく入院期間を短縮すること」と述べている。

◆理想的なケアの形と介護保険の問題点

しかし、本書の中で、わたしがどうしても違和感を抱く個所があった。それは、家族の介護を大前提とする、いくつかの描写や意見・感想だ。なぜなら、わたしは個人的に小学校高学年の頃から複雑化した家庭環境に育ち、この社会の婚姻制度、家族制度や家制度(戸籍制度)に違和感を抱き続けるなどしているからだ。ちなみに、アメリカには扶養義務という概念がなく、スウェーデンやデンマーク、フィンランドでは子が親を扶養する義務が廃止されているそうだ。

ただし詳しくは第2回以降で触れるが、さまざまな現実に真剣に向き合ってきた松永氏の考えは実際、わたしとまったくかけ離れていることはない。また、彼が手がけていることは、まさにコミュニティでのケアを理想的な形で実現させるためのものなのだ。

そして本書では、介護保険の問題点についても述べている。まず、要介護認定の制度によって、経営上の問題を抱える介護サービス事業所は利用者のサービスへの依存度を高めようとすることになり、足腰を弱らせて寝たきりにしたほうがよいという判断をしかねないという。

わたしが介護に関する取材・執筆を重ねていた2005年前後には、事業所の善意とボランティアが介護を支えている面もあり、また予防重視の方向性によって介護が必要な人に届かなくなるのではないかと危惧されていた。それが、実際には、だいぶ複雑な方向に進んでいるのだと感じた。また、現場のヘルパーさんたちの労働に関する問題も根深いと、わたしは考えている。(つづく)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等に寄稿してきた。フリーランスの労働運動・女性運動を経て現在、資本主義後の農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動、釣りなども手がける。地域活性に結びつくような活動を一部開始、起業も準備中。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

◆先進イメージの渋谷区政と博報堂人脈 ── 信じがたい副区長の暴言

東京都渋谷区。わたしが世田谷区在住の幼少期は、よく、親に渋谷に連れて行ってもらったのを鮮明に覚えています。その後、大学時代の前半も渋谷は通学路に当たり、よく大学の駒場キャンパスから渋谷のカラオケまで友人と歩いたりしたものでした。

渋谷区は、いわゆる無所属市民派を標ぼうする長谷部健区長が3期目を務めておられます。同性パートナーシップ条例を全国に先駆けてつくり、長谷部区長支持の区議会会派は男性3、女性5という構成です。長谷部区政は、うっかりすると、ジェンダー平等・多様性尊重の素晴らしい区政に見えてしまいます。

ところが、その長谷部区長が任命した沢田伸副区長が、国民民主党の桑水流弓紀子議員を侮辱するコメントを庁内のチャットでしてしまい、8月8日、辞任しました。
長谷部区長の博報堂時代の元上司で、意識高い系で有名な沢田副区長。行政のIT化などで、マスコミに度々登場。いわば、天まで持ち上げられて意気軒高でしたが、突然の失脚となりました。有頂天になったということはあるでしょうが、それにしても酷い言動でした。

◆野宿者追い出し、女性トイレ削減……長谷部区政の冷酷さ 「女性野宿者惨殺」の背景にも?

実は、渋谷区では、野宿者を公園から追い出し、真冬の路頭に放り出す。そして公園は大手企業が儲ける場所に変えるという事業を強行しています。このときは、筆者が国政で支持するれいわ新選組の山本太郎も国会で取り上げました。

しかし、結局、長谷部区政は聞く耳を持ちませんでした。沢田副区長は、そうした区政の責任者であり、「行政が儲けて、住民の税負担を減らす、子育てなどのサービスを充実させる」ということで、マスコミでもご自身の政策を自画自賛しておられました。しかし、そもそも、行政は儲けるためのものではない。儲からなくても住民のためにやるべきことは、住民の声を聴き、議会で議論して、条例や予算という形にしてもらった上で実施する。そういうものでしょう。儲けのために生存権を脅かしてしまっては、本末転倒です。

そうした中、地域の清掃ボランティアをしていた男性区民が、バス停で夜を過ごしていた広島出身の野宿者の女性を邪魔者扱いして惨殺(起訴事実は傷害致死)した上、自らも保釈期間中、自死するという事件が起きています。長谷部区政が醸し出した「野宿者に厳しい」雰囲気が、この男性の凶行と自死を招いたと言えないでしょうか?もちろん、第一義的には、被告人の男性が悪いのですが、被告人も長谷部区長が醸成したいわゆるネオリベ的雰囲気にのまれたのではないでしょうか?

長谷部区政は、もうひとりの副区長や区長与党会派の議員候補に女性を登用するなど、「成功者の女性」を持ち上げる一方で、格差拡大の中で苦しんでいる女性には冷たかったのではないでしょうか?あるいはそういうメッセージを区民に発していたのではないでしょうか?

長谷部区政は、公共の女性トイレを減らすということも進めていました。もちろん、いわゆる多目的トイレを増やすのは結構なのですが、それに伴って女性用トイレを減らしてしまってはこれまた本末転倒です。

◆女性区議の正論に逆切れ?

桑水流区議は、2023年春の統一地方選挙では、女性用トイレを減らす長谷部区政を批判する演説もして当選しておられました。筆者は国民民主党を全く支持しませんけれども、桑水流区議の御主張はもっともだと思います。ただ、そんな桑水流区議は、沢田副区長からは「うざく」思えたのかもしれません。

意識高い系(?)の男性にありがちな傾向として、自分が気に入った女性は神輿として持ち上げるのだけど、自分に意見する女性の意見を必死で抑え込もうとする、ということがあるのも否定はできません。ひょっとしたらそういう部分が今回出てしまったのでしょうか?

◆広島の湯崎県政とリクルート人脈 ── 長谷部区政とそっくり?

実は、渋谷区の長谷部区政については、広島県民も他山の石とせねばなりません。広島県の湯崎英彦知事は、長谷部区長や沢田副区長と似たタイプの平川理恵教育長を初の女性教育長として任命した。長谷部区長・沢田副区長が博報堂なら、平川教育長は、リクルートご出身。いわゆる意識高い系、広告系という意味で、非常に共通する点がありました。

平川教育長についても、マスコミが一時期は「改革の旗手」として、沢田副区長同様、天まで持ち上げました。

ところが、実際には、平川教育長は、ご承知の通り、官製談合事件を引き起こしてしまいました。しかし、平川氏は自主的な給料返上だけを行い、いわゆる懲戒処分は全く受けていません。特別職には懲戒処分はないといえばそれまでです。しかし、そうなであるならば、法律に基づいて、知事が罷免するという手があります。だが、湯崎知事はそれもせず、平川氏を野放しにしています。

平川氏は、京都や大阪のお友達企業や法人、あるいは東京の友人に県教委の仕事を丸投げする一方で、県教委管轄だけで1000人以上いる非正規の先生の待遇改善については「予算がない」とけんもほろろに却下しました。

また、湯崎知事ご自身は、三原市本郷町の産業廃棄物処分場問題では、広島地裁で許可取り消しを命じられています。8月現在も現に汚染水が流出し続けているのに高裁に控訴し、住民に敵対しています。住民たちは、川の水を使えずに、田んぼが干上がるなどの死活問題に直面していますが、湯崎知事は知らんふりです。

湯崎知事は、8・6の平和記念式典での挨拶はそれなりに良いし、それでごまかされてしまっている左派の方も特に県外では多いのですが、上記のように、県政の中身はボロボロです。

渋谷区の長谷部区長と広島県の湯崎知事。そっくりではないのか? いや、沢田副区長を自発的とはいえ、退陣させた分だけ、長谷部区長の方がましかもしれません。しかも、長谷部区長の場合は、自民や公明や共産が野党として存在し、緊張関係が議会との間にあるのが幸いしています。広島の場合は、ほとんどオール与党である。広島の方が渋谷より始末に悪いでしょう。

◆長谷部区長と湯崎知事、実は接点 「想定している事業のイメージはない」事業

渋谷区の長谷部区政と広島の湯崎県政。実は接点があります。湯崎知事が肝いりで進めている「ひろしまサンドボックス」なる事業にNTT西日本やソフトバンクとともに、渋谷区が参加しています。渋谷の熱量と知名度を生かすということです。

「ひろしまサンドボックス」とは、広島に知識や人材を集積するために2018年から3年間で10億円をかけて行われた事業です。とにかく、失敗を恐れずに事業アイデアを出そう、ということです。

ガッチリ握手する長谷部渋谷区長と湯崎広島県知事。やはり類は友を呼ぶのか。(2018年5月25日付け日経BP総合研究所HP山田雅子氏執筆リポートより)

ただ、2021年、2022年と広島県は人口流出が過去最悪となりました。「ひろしまサンドボックス」も含めて、効果があったと言えるのでしょうか? 湯崎知事もひろしまサンドボックスについては、「想定している事業のイメージもない。」などとおっしゃっているものです。

ひろしまサンドボックスのノートを拝見すると、県内の女性若手起業家らがそれなりの情報発信はされています。それはそれでいいのです。彼女らは彼女らでどんどんやりたいことをされればいいでしょう。そういう場はあっていいけれども、わざわざ行政が大金を投入してお膳立てをしなくてもそういう活動をする人はどんどん自主的に活動するでしょうし、筆者が存じ上げる範囲でも実際にしておられます。

そして、行政・政治が何をすべきか、といえば、「ひろしまサンドボックス」とは、違うのではないでしょうか?

今となっては全国に遅れをとっている子育て支援策を充実させる。非正規の先生をきちんと正規にして、若者に地元にとどまってもらう。県が地元企業への発注単価を適正に上げる。また、国とも連携して農業に戸別所得保障をきちんとする。あるいは、国保料の均等割りを廃止し、子育て世代の起業家のお子さんから保険料を取るのを止める。こうしたことをやっていく方が実効性はあるのではないのか?という感想しかありません。

そして、何度もご報告している三原本郷産廃処分場問題。このままでは汚染水が流域の農業や食品工業、醸造業、漁業に大打撃ですよ。知事にはそちらをきちんと対応していただきたい。

カッコだけはつけるけど、中身はない。そんな湯崎県政。長谷部区政との連携は似た者同士でお似合いかもしれません。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

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