広島県三原市本郷町の三原・竹原市民の水源地のど真ん中に湯崎英彦・広島県知事が2020年4月に設置を許可してしまったJAB協同組合の産廃処分場。2022年9月から稼働してしまいました。それから9か月しか経過していない2023年6月、国の基準値を上回る汚染水流出が発覚しました。6月29日に県東部厚生環境事務所が操業を止めるよう行政指導しました。

◆狭まる知事包囲網、渋々業者に「警告」

また、その直後の2023年7月4日には、広島地裁の吉岡茂之裁判長(権力寄りの判決が多いことで有名)さえも、湯崎英彦知事に対して産廃処分場の許可取り消しを命じる判決を下しました。判決内容は、「知事の判断の過程に看過しがたい過誤・欠落があった」というもので、いい加減な井戸水や農業用水の取水口付近の調査が指弾されました。言うなれば県が「失神KO負け」を喫したのです。

しかし、業者は県の指導を無視し、7月8日まで産廃の搬入を強行しました。湯崎英彦知事は行政指導を一方で無視されるという形で業者にすっかり舐められていました。しかし、湯崎知事はにもかかわらず、14日(金)処分場の許可取り消しを命じた地裁判決を不服として広島高裁に控訴してしまいました。

一方で、原告住民らは判決直後から、三原市や竹原市の執行部・議会への働きかけへ猛ダッシュ。このことを背景に三原市議会は県による控訴という暴挙があった14日(金)、産廃処分場の許可取り消しを求める「水源の保全に関する意見書」を全会一致で可決しました。

このように、広島地裁はもちろん、三原市議会も「知事を包囲」する中、さすがの県も19日(水)に基準値を下回るまで操業を止めるよう求める「警告」を行いました。

◆周辺では基準の5~6倍の汚染も県は「警告解除」し、再稼働容認

さらに27日(木)には竹原市議会も県に対して厳正な対処を求める「産業廃棄物処理施設設置業者に対する行政処分に関する意見書」を可決しました。地元の議会が揃って業者への対応がぬるい県に業を煮やした形です。

こうして、地元住民や三原・竹原両市議会による知事包囲網が築かれる中で、県は28日(金)、驚くべき発表を行いました。なんと、業者に対する警告を解除し、操業再開を認めてしまいました。

稼働が再開された処分場。原告団共同代表・岡田和樹様のSNSより

JAB協同組合の改善報告書を県が受け取り、県による調査でも水質の改善が見られた、というのが表向きの理由です。JAB協同組合は、「汚染水は排水管にたまった腐葉土や小動物が原因で、排水管の掃除をして小動物の浸入を防ぐようにしたので大丈夫」という趣旨の報告書を提出しています。

しかし、原告団共同代表の岡田和樹さんは、「抜き打ちの検査前に、6台の散水車の出入りを連日確認。「検査井戸に真水を入れて成分を薄めるのが産廃業界では一般的だ。JABも検査前に、薄めているのだろう。」と複数の産廃業者関係者から聞いていた。事実とすれば調査の捏造である。その結果をもとに県が判断したとすれば、県の監督責任も欠落していたことになる。」と憤慨しておられますが当然です。

県は汚染の被害にあっている住民を置き去りにしてしまいました。「(梅雨明け以降、)雨がふらず、川が泡や異臭で汚染されて水が取れない。穂が出る時に水が取れないと米ができん。」と直下の米作住民は救済を求めておられます。

実際、警告解除の28日、住民が処分場周辺で調査したところ、基準値の5~6倍もの汚染水が出ています。小動物や腐葉土を取り除いた(これすら、これまでのJAB協同組合の言動からして全幅の信頼はおけない)からと言って、ちっとも改善していないのです。

しかし、県はそのことへの対策もせず、敷地内の井戸の調査などの結果だけで警告を解除してしまったのです。これでは竹原市議会が求めた「厳正な対処」どころか、「大甘な対処」です。

産業廃棄物処理施設設置者に対する行政処分に関する意見書(案)

◆「知事に舐められない県民」に!提言コーナーから意見を送ろう!

四期目に入り、産廃問題に限らず、広島県民ではなく、特定企業の利益になるような判断・政策が目立つ湯崎英彦・広島県知事。筆者も最初の選挙(2009年11月)で彼に期待して一票を投じた県民、また、湯崎知事の元部下(県庁職員)として情けない思いは強まるばかりです。

皆様。広島県の湯崎知事にガツンと声を送りましょう!湯崎知事が県民をなめ切っているのであれば知事に舐められない県民になりましょう!

以下は、例文です。

◎簡単な例

広島県知事 湯崎英彦様

三原市本郷産廃処分場に対する設置許可を取り消してください。
お手盛りではないきちんとした水質調査を行い、水質の改善をしてください。
業者から土地を買い上げ、水源を守ってください。
環境配慮条例や水源地保全条例などを制定し、全国一緩い産廃規制を強化してください。

◎長文の例

広島県知事 湯崎英彦様

三原市本郷産廃処分場に対する警告を7月28日、貴職は解除されました。

しかし、貴職が本来すべきは、裁判での控訴を取り下げて産廃処分場の設置許可を取り消すことです。そして、処分場の土地を買い取り、原状回復を測ることです。

また、7月4日付の裁判の判決では、行政寄りの判断をされることも多い吉岡茂之裁判長すら、貴職の許可の意思決定過程に看過しがたい過誤・欠落があると断じておられます。

また、当該事業者・JAB協同組合は、県の6月29日付の行政指導さえも無視しており、貴職をなめ切っています。

井戸の数値が基準値を下回ったと言いますが、産廃処分場から見た川下では泡が出ており、米作農家が困っています。井戸については直前に水を注げば数値がクリア出来てしまいます。

いい加減な調査で許可をし、裁判で厳しく断罪された貴職。これ以上、恥の上塗りをしないでください。

産廃問題は対処が遅れれば遅れるほど被害は拡大し、回復に時間がかかります。

香川県の豊島では、1978年から産廃持ち込みが始まり、1990年にようやく警察が動きました。2000年に公害調停を経て政治決着しましたが、そこから23年たった今も汚染は抜けません。

手遅れになる前に、操業を止めさせ、土地を買い上げてください。

岐阜県御嵩町の産廃問題では業者が最終的に県に土地を無償寄附して解決しています。しかし、今回の産廃処分場の場合は、業者側のいい加減な調査結果が元とは言え、貴職がそれをスルーして許可をし、稼働も始まってしまっています。

行政処分の不利益変更は困難なものがあり、土地を買い上げるのが妥当と考えます。

また、本県は産廃規制が全国一緩く、安定型処分場は北海道についで多くなっています。

今回の産廃処分場も群馬や長野からゴミが流入しています。

本県だけが規制が緩い状況を放置すれば、全国から、いや下手をすれば世界から広島にゴミが集まり、広島は日本の、いや世界のゴミ捨て場になりかねません。

環境配慮条例や水源地保全条例などを早急に議会に提案してください。

◎主な送り先
県政提言メール(県への御意見) https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/19/1171540420003.html
郵便 〒730-8511 広島市中区基町10-52 広島県総務局広報課 県政提言コーナー 宛
電話 082-513-2378  ファックス 050-3156-3485

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年8月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

「小出裕章―樋口英明」対談を去る7月20日松本で両氏にお願いした。松本での対談は昼過ぎからはじまり、前半後半あわせると6時間近くに達した。

『季節』は脱・反原発を中心に据えた季刊である。対談の冒頭、小出さんは原発問題の重要性と同様に「戦争」について発言された。戦争についての認識はお二人の間に少し違いがある。そこが対談の妙味である。やや先ではあるが9月11日に発売される『季節』をぜひ手に取ってご覧いただきたい。

◆何が何でも仮想敵国を据えておきたい国

「反戦」と「反核」(あるいは「反原発」)を論じることが困難度を増している。日本が平和主義を謳った憲法を持つ国である実感は、意図的に限りなく希釈されている。

「敵地攻撃能力」、「集団的自衛権」、「秘密保護法」、「盗聴法」、「海外派兵」、「国旗国歌法」……。これらはいまから振り返ってこの20年ほどのあいだに生起した法律ならびに出来事だ。そして2023年8月、ロシアとウクライナの戦争ではロシアだけではなく、ついにウクライナも「クラスター爆弾」(ウクライナがクラスター爆弾を使うに至り新聞はその呼称を急に「集束爆弾」と言い換えている)を使用するに至っている。モスクワ近郊でも無人機による爆撃が相次ぎ、ここへきて国際社会の中にも「停戦」を進める声が高まってきた。


◎[参考動画]米国がウクライナへの「クラスター爆弾」供与の決定に各国から反対の声(TBS【news23】2023/07/11)

他方、日本は軍拡のためには何が何でも仮想敵国を据えておきたいようだ。最近の仮想敵国は中華人民共和国と朝鮮民主主義共和国そしてロシア。そうだ、韓国が尹錫悦政権(保守政権)に代わるまでは、韓国をも敵視していたことも忘れてはいけない。

中国と日本のあいだには「日中平和友好条約」が結ばれている。米国ニクソン政権の中国と国交回復を視野に入れて、日本は「中華民国」(台湾)との国交を断絶し、大陸の政権と手を結んだのだ。けれども、台湾と日本の関係は実態が変わったわけではなく、中国との国交樹立後も台湾、中国双方と懇意にしてきた。国際条約の上で「日本と台湾の間には国交がない」ことは日本の中で案外知られていないのではないだろうか。

かたや中国と台湾の交流は数値化するのが不可能なほど深く結びついている。先富論により経済が資本主義化した中国は、市場があれば世界中何処へでも物を売る。自動車の輸出台数はついに昨年世界一になった。その逆に食糧輸出国から輸入国になって久しい13億人の胃袋は、さらなるタンパク質と美食を求めて、世界中の食物原料確保先を日々捜し歩いている。

勿論言葉も通じるし小さいながらも技術大国、台湾との間には25年以上前から深い人的交流が交わされている。台湾の現政権は民主進歩党(民進党)で、民進党は台湾独立を指向しているが、国民党は前総統馬英九が中国政権と親しい関係を維持している。

わたしの素朴な疑問なのだが、このような中国と台湾の間で「戦争」を起こしたいと当事者が望むだろうか。相互に多大な投資をして、人的にも結び付きが深い中国と台湾が、のっぴきならない状態になるだろうか。もちろん将来の出来事などは予測できない。けれども、もしそのような危機を望む集団がいるとすれば、それは覇権に関しての争いではなく、「軍事産業」の利益に関わることではないだろうか。


◎[参考動画]【総火演】陸自最大「富士総合火力演習」“進化する戦い方”も公開(日テレNEWS 2023/05/27)


◎[参考動画]宮古陸自施設で射撃訓練公開 抗議する住民の姿も(沖縄テレビ 2023/7/10)

◆敗戦の日に考える「平和主義」

2023年敗戦記念日のきょう、日本では憲法で謳われた「平和主義」が、相当に弱っている。逆に根拠なき「好戦論」、「軍事拡張論」、「日本は素晴らしいナルシズム論調」はかつてなく、恥知らずに胸を張っている。戦後に生れた世代のわたしが「次なる戦争」を肌身に感じる居心地の悪さは、既に日本人の頭の中が1930年代初頭同様に洗脳されていると感じるからだ。

当時の情報統制に比べれて洗脳の度合いは情報機器(スマートフォン)の進歩・拡散により、さらに静かに深く進んでいまいか。インターネットにしても決して自由な言論空間だとは思えない。他方マスメディアは、相も変わらず体制の提灯持ちだ。国民が騙される(すでに騙されている)土壌はかつてよりも汚泥のように厄介だ。

平和を指向する意思が弱っている。好戦論が元気だ。なぜだろう。漫然とした虚構が徐々にあまねく言論空間を侵食しているから、このような幻想・妄想がまかり通るのだ。

虚構を振りまく連中の姿が見えるだろうか。奴らは「反戦」や「平和」に、後ろ足で砂をひっかかけて、日銭(といっても驚くほど高額な)を稼いでいる。凝視しよう。見定めよう。敵の本性や氏名を明らかにしよう。そして嘘をつかない、裏切らないひとびとの姿を確認しよう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

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◆冷戦時代以来の逆流の中で迎える

78年目の原爆の日は、(核をなくし、戦争を止めることに対する)冷戦時代以来の逆流の中で迎えました。

第一に、ロシアのウクライナ侵攻を契機に、軍拡競争の気風が世界に広まり、日本の岸田総理も『安倍晋三さんでさえしなかった』軍拡に暴走しています。

第二に、G7広島サミットで、核兵器禁止条約にも核兵器廃絶にも触れず、2000年のNPT再検討会議での核兵器廃絶への明確な約束や、核兵器先制不使用にも触れない「広島ビジョン」が採択されてから最初の原爆の日となりました。また、ゼレンスキー大統領の途中参加で、ほとんどサミットがウクライナ戦争を支援する会議となってしまい、被爆地が戦争支援に悪用されてしまいました。この間、広島市長がパールハーバーとの姉妹協定へ暴走、またサミットを前にして『はだしのゲン』が削除されるなど、アメリカへの忖度ではないかとみられる『事件』が続発しています。

第三に、広島選出の岸田総理が、気候変動対策・GXと称して老朽原発存続を支援する自称・GX法を強行。高浜原発が再稼働されました。さらに、原発維持で核のゴミが増える見通しであることを背景に、中国電力と関西電力が広島からわずか82kmの上関に核のゴミ=死の灰の中間貯蔵施設という名の事実上の永久のゴミ捨て場をつくることを発表しました。

筆者は、8月4日から5日は、原水禁国民会議系の「被爆78周年原水爆禁止世界大会」に参加しました。筆者は、日本共産党を支持していた時期も含めて広島県原水禁の個人会員として一貫して原水禁国民会議系の大会に参加してきました。今年の大会の中で筆者が学習したことをご紹介します。

◆大会に寄せられたメッセージ、立憲・泉さんに脱力

8月4日、開会総会が開催されました。代表や来賓の挨拶、被爆者による被爆証言などが続きます。

開会総会を前に筆者が受付で渡された資料の後ろの方には、各政党を含む各界関係者からのメッセージが寄せられていました。この中でも、立憲民主党の泉健太代表からのお言葉には脱力してしまいました。「『広島ビジョン』を歓迎」という泉代表のお言葉が目に入り、筆者は椅子からずり落ちそうになりました。

広島ビジョンは、冒頭にもご紹介した通り、核兵器廃絶には触れない。西側の核兵器保有は評価する。そういう代物です。そんなものを歓迎とは、どうなっているのか? 泉さんは立憲民主党を滅ぼす気なのか?! がっくりです。

まだ連合の芳野友子会長の方が「『核兵器のない世界』の実現に向けた具体的な道筋は示されず、核抑止を事実上肯定したことは残念でなりません。」と、マシに見えてしまいます。

さらに、れいわ新選組の櫛渕万里共同代表は、「……落胆を通り越して怒りを覚えるものでした。核抑止力を正当化するという、まさに、被爆地、被爆者を冒涜する文言だったからです。」とバッサリと「広島ビジョン」を斬っています。

各政党を含む各界関係者からのメッセージ

◆北東アジア非核地帯で安全保障環境改善し、日本も核兵器禁止条約に

 

8月5日午前中は「平和と核廃絶Ⅰ 世界の核兵器廃絶に向けて」に参加

8月5日の午前中は「平和と核廃絶Ⅰ 世界の核兵器廃絶に向けて」に参加しました。

ピースデポの湯浅一郎さんは、「米ソ冷戦で相互不信の悪循環で核軍拡が進んだ。冷戦が終わると核軍縮が進み冷戦末期と比べると核兵器は7万発から12000発に5分の1になっている。」指摘。「軍事力による安全保障のジレンマ」が典型的に示されている、としました。

「軍事力による安全保障のジレンマ」とは相互に軍拡すれば結果として際限のない軍拡競争を繰り返す悪循環にはまりこむことです。

現在はロシアのウクライナ侵攻がそういう構図を引き起こしています。

一方で、湯浅さんは核兵器禁止条約とNPTという2つのトラックが並走する新たなステージに入った、と希望も示しました。

核兵器禁止条約は核兵器を禁止し非合法化する初の条約です。

そして核兵器禁止条約が始まった今こそ、東北アジア非核地帯条約をと訴えました。

東北アジアには朝鮮半島の分断と中国の海洋進出による米中対立という2つの対立構造があり、日本はこれを「厳しい安全保障環境」だとして核兵器禁止条約に反対している。

しかし、そうであるならば、東北アジア非核地帯をつくることで安全保障環境の改善に踏み出すべきだと湯浅さんは強調します。

北東アジア非核地帯構想は朝鮮戦争集結とともに朝鮮半島と日本に対して米中ロが消極的安全保証(核攻撃をしない)をすることで北東アジアの緊張緩和をしていくことです。

これにより朝鮮半島2国と日本も核兵器禁止条約に入りやすくなります。

◆核放棄が最も早い保有国は英国か?

 

8月5日午後は「被爆78周年原水爆禁止世界大会・国際シンポジウム 核兵器廃絶に向けた道筋を描く」に参加

8月5日午後は、「被爆78周年原水爆禁止世界大会・国際シンポジウム 核兵器廃絶に向けた道筋を描く」に参加しました。

広島市の秋葉前市長は、広島ビジョンに核兵器廃絶も被爆者も核兵器禁止条約もない、と厳しく批判。その上で、そもそも、1945年8月10日に当時の日本政府が原爆投下に抗議したけれども、抗議はその一回だけで、原爆投下の責任者で、東京大空襲で有名なカーチス・ルメイ大将に勲章まで与えてしまう始末で、日本政府にはそもそも核を批判するという発想がないと指摘しました。

イギリスの平和運動CNDは、まず、イギリスが自分から核を手放すことをめざしているそうです。スコットランドが独立(連合王国から離脱)すれば、イギリスの核の主力である潜水艦の基地はスコットランドにあるのでイギリスは核兵器を失います。

一方で、スコットランドの人たちの多くは核を手放すことを望んでいますので、スコットランド独立はイギリスという核保有国が消滅することを意味するそうです。時々ニュースで出てくるスコットランド独立運動というのはこういう意味もあることを確認しました。

韓国の『参与連帯』の方は、G7広島サミットで日韓首脳が韓国人慰霊碑を一緒に参拝して(日本政府がお詫びの姿勢を堅持した)のはよいが、手放しでは歓迎できない、と日米韓の核共同体に「日本による韓国へのお詫び」が使われていることに懸念。

また、そもそも、米韓が軍事演習をストップしていた時期は、朝鮮も核実験やミサイル発射を中断していたということに注目すべき、朝鮮戦争の終戦が大事だ、とおっしゃいました。普段のニュースを見る際も、「北朝鮮怪しからん」一辺倒ではなく、「米韓の威嚇と朝鮮のミサイル発射は裏表だ」ということを押さえておきたいものです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

デジタル鹿砦社通信の小島卓編集長から、太田出版刊行の『はたちの時代 60年代と私』の編集後記を書いてほしいとの依頼をいただきました。小島編集長の話では、武蔵小金井駅北口のくまざわ書店で、平積みになっている本をめくったら、横山の企画・編集であることを知ったとのこと。

力をこめて編集した本が、思いのほか好評を博していることもあり、このお話はありがたくお受けしたいと思います。と、いつになく丁寧語で書き始めました。

 

重信房子『はたちの時代 60年代と私』(太田出版)

◆元気な出所姿に感激

12年前に東京拘置所で重信さんと面会したとき、これが最後になるかもしれないからと周囲の人を誘った記憶があります。彼女のことは明大土曜会でもしばしば話題になり、芸能関係にかこつけて慰問訪問をすることは可能ではないか、などと話をしたこともありました。

その明大土曜会そのものが、重信房子を支えるために発足した会合なのですから、昨年6月の出所には参加者みんな感慨深いものがありました。多少は歳をとったとはいえ、人への気づかいがあふれる重信さんの輝くような笑顔が、初夏のマロニエ通りのいろどりに映えていたのを思い出します。

誰にも好かれるひとがら、彼女が結果的にシャバに軟着陸した理由を知ったような気がしたものです。とはいえ、10回以上のガン手術をへての現在なのです。ともに生きる喜びと、健康への祈念を忘るべからず……。

◆学生運動の端境期を描く

さて『はたちの時代』です。

当時のままを書き残して若い世代に伝えたい、事実を書いておきたいという重信さんの発意で、「オリーブの樹」「さわさわ」「野次馬雑記」などに連載された原稿、および新たに書き起こしていた赤軍派時代をまとめて、一冊にしたものです。

新左翼の活動家・理論家にありがちな政治論文で事実を粉飾してしまうのではない、まことに等身大の評伝・史実になっていると思います。

とくに、学生運動にとって三派全学連のつまづきとなった「2.2協定」について、ここまで詳述した公刊本は初めてでしょう(宮崎繁樹教授の私家版『風雲乱れ飛ぶ』・『明治大学新聞』が原資料)。

この「2.2協定」は、1966~1967年の明大学費闘争で、最終的に学内の混乱を収拾する策として、値上げ分はプールしたままいったん妥結する、というものでした。学生たちの大衆討議に付さないまま、いわゆる「暁の妥結」「深夜のボス交」と呼ばれてきました。しかし闘争の過程は、きわめて誠実に自治会民主主義の手続きを履行し、大衆的な議論を尽くしています。その議論の結果、夜間部の学費は値上げをせずに凍結という、いわば「改良の果実」もあったのでした。

そのいっぽうで三派全学連の結成は、同じ年の10.8羽田闘争(初めてヘルメットとゲバ棒が登場し、機動隊を敗走させる)をはじめ、実力闘争と革命的敗北主義にひた走るのです。したがって、社学同をふくむ三派は明大自治会の執行部(社学同)をつるし上げ、斎藤全学連委員長の罷免へと事態が発展したのです。これが、戦後学生運動(民主主義)から全共闘運動(革命的敗北主義)への転機でした。ここを丹念に記述したところに、重信さんの『はたちの時代』の画期性があると申せましょう。

重信房子さん

◆ブント分裂の秘密

もうひとつ、重信さんはブントの分裂「7.6事件」も、実況中継のように詳述しています。その前段にある不可思議な「藤本敏夫拉致事件」も詳しく書いています。

赤軍派の武装闘争路線がもたらしたブントの分裂劇は、もっぱら政治思想路線の分岐として分析されてきました。思想的には「唯銃主義」への批判として、解決したのかもしれません。

しかし、この事件の背後には、いまだに謎が多いのです(この点については『情況』2022年春号の「特集解説」を参照)。事件の事実関係として、権力の謀略があったのかどうか(たとえば中島慎介さんは『抵抗と絶望の狭間に』鹿砦社刊において、当日の軍事的作業を遂行した人物が消えてしまったと述べています)。

本書にも触れられていますが、当時の赤軍フラクの高校生活動家が、ブント幹部を殴るよう強要された事実も、最近になって明らかになりました。関係諸氏の事実との向かい合いを期待したいものです。

◆なぜ太田出版だったのか

小島編集長からは、太田出版からの発行になった経緯を知りたいとの御所望もありました。デジタル鹿砦社通信の読者は関西の方が多いと思いますので、出版社が多い東京の事情(疑問)が、たぶんこれに重なります。

太田出版という版元は、当初、たけし軍団などで知られる太田プロの出版部でした。歴史はまだ浅く、いわゆる老舗大手ではありません(情況出版や鹿砦社のほうがよっぽど老舗です)。

北野武や東国原英夫らの本を皮切りに『完全自殺マニュアル』や『バトルロワイヤル』、雑誌では『クイック・ジャパン』『エロティクス』など、90年代サブカルチャーを代表する出版社だとされています。柄谷行人が『批評空間』の発売元を移管したのも、太田出版の勢いに依拠したいというものだったと思います。

当時、わたしは『情況』第二期編集部にいて、太田出版の奔放かつダイナミックな出版事業を羨ましく眺めていたものです。というのも、当時の情況出版の営業担当に元社青同解放派の方がいらして、同じ解放派出身の高瀬社長と懇意にしていたのです。

ここまで読まれた方で、新左翼の事情に詳しい方はピンときたことでしょう。新左翼(三派)はそれぞれ、党派の機関誌(『共産主義』『共産主義者』など)に準じる商業雑誌を持っていました。ブント系では『情況』のほかに京大出版会の『序章』があり、解放派が『新地平』、中核派は『破防法研究』。やや遅れて80年代に共労党系(いいだもも他)が『季刊クライシス』を、同志社出身のブント系ノンセクト松岡利康さんが『季節』(エスエル出版会)を発行し、わたしの世代の必携書になったものです。

それらの中で、岩波の『思想』や青土社の『現代思想』に伍して、学術的論壇を形成しえたのは、太田出版の『批評空間』およびそれを継承した『at』(連載陣に大澤真幸さん・上野千鶴子さんら)でした。われわれの『情況』は、第三期にいたって運動誌と学術誌の境目の曖昧さ、実践と理論をいまひとつ結び付けられないジレンマの中で低迷していきました。

時代を驚かすベストセラーを出しつつ、ニューアカ後のポストモダン状況を、正面から引き受けたのが、2000年代の太田出版だったといえましょう。わたしが太田出版の扉を叩き、ふたつの路線で企画を提案したのはそんな時期でした。ちょうどアソシエ21(御茶の水書房・情況出版などが母体)から柄谷行人さんが離脱し、NAMを立ち上げた時期だったので「なぜ、横山はNAMの太田出版に与しているのか」と疑念を持たれたこともありました。

◆『アウトロー・ジャパン』の頃

じつは思想界の動向とは、あまり関係がありません。わたしが持ち込んだのは、ヤクザ路線と新左翼路線だったのです。

ヤクザのほうは宮崎学さん(キツネ目の男)を媒介に北九州の工藤會、新左翼は荒岱介さんの実録ものでした。じつはこの時期、早稲田の学生たちがアソシエ21を自分たちのバックボーンにしたいと訪ねてきたので、わたしが彼らを出版の仕事(テープ起こしなど)でフォローすることにしたのでした。のちに彼らは、出版社の取締役、編集プロの社長、業界紙の記者、通信社の記者になりました。

工藤會の溝下秀男さんは当時、洋泉社(宝島社系)から出版した著書『極道一番搾り』などが文庫本化され、『実話時代』を舞台に現役親分論客として一世を風靡していました。いっぽうの荒岱介さんは、ワークショップ(昔の政治集会)を開けば700人を動員する全盛期で、故廣松渉さんも注目していた理論家でした。

溝下さんと宮崎さんの『任侠事始め』『小倉の極道謀略裁判』、荒さんの『破天荒伝』『大逆のゲリラ』など、確実に2万部近くは重版するので、高瀬さんから「横山さん、これを機に雑誌をやってみませんか」と提案されたのが『アウトロー・ジャパン』でした。

これは個人的には思い切った冒険で、官能小説作家として軌道に乗っていた仕事量の半分以上を、雑誌の編集作業に割くことになりましたが、このとき助けてくれたのが、今回の『はたちの時代』の版元編集者・村上清さんなのです。今回、10年ぶりのタッグとなりました。こういう人脈は、出版業界の記録として書き記しておくべきでしょう。

◆出版界はけっこう人脈で成り立っている

太田出版の高瀬社長は一昨年に亡くなられましたが、幻冬舎の社外役員も務められていました。見城徹さんとご昵懇だったのです。

その見城さんといえば、重信房子さんの歌集やアラブ関係の本(近著では『戦士たちの記録』2022年刊)を多数出されています。学生運動での挫折や奥平剛士さんの闘い(リッダ闘争)が、生き方として強い影響を及ぼしているということのようです。

その幻冬舎は、宮崎学さんの本を文庫化していた関係で『アウトロー・ジャパン』に広告出稿をしてくれたものです。付言すれば、鹿砦社(松岡さん)も広告を出してくれました(スキャンダル大戦争)。いまも鹿砦社は『情況』の貴重な広告スポンサーです。

高瀬さんも東アジア反日武装戦線の大道寺将司さんの支援、句集の発行などをされていました。出版文化のこころざしというものは、けっきょく伝えたい記録と史実、ゆるがせにできない証言を活字化すること、なのだと思います。

という思いを綴りながら、本をお読みいただいているすべての読書子のみなさんに、心から感謝いたします。活字の道しるべが心の癒しに、あるいは明日の指針になりますように。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

筆者は、8月10日、読売新聞大阪本社の柴田岳社長宛てに公開質問状を送付した。柴田社長は日経新聞によると、アメリカ総局長、国際部長、東京本社取締役編集局長、常務論説委員長などを務めた辣腕ジャーナリストである。

公開質問状の全文を読者に公開する前に、事件の概要を手短に説明しておこう。

新聞拡販で使用される景品

発端は今年の4月20日にさかのぼる。大阪地裁は、読売新聞を被告とする「押し紙」裁判の判決を下した。判決は、原告(元販売店主)の請求を棄却する内容だったが、読売新聞の取引方法の一部が独禁法違反に該当することを認定した。「押し紙」の存在を認めたのである。

このニュースを筆者は、デジタル鹿砦社と筆者の個人サイトで公表した。その際に、判決文もPDFで公開した。ところが6月1日に読売新聞大阪本社の神原康之氏(役員室法務部部長)から、判決文の公開を取り下げるよう求める「申し入れ書」が届いた。それによると判決文の削除を求める理由は、文中に読売社員のプライバシーや社の営業方針などにかかわる箇所が含まれていることに加えて、同社が裁判所に対して判決文の閲覧制限を申し立てているからというものだった。他の裁判資料の一部についても、読売新聞は同じ申し立てを行っていた。

確かに民事訴訟法92条2項は、閲覧制限の申し立てがあった場合は、「その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない」と規定している。

そこで筆者は判決文を一旦削除した上で、裁判所の判決を待った。しかし、裁判所は読売新聞の申し立てを認めた。公開を制限する記述を黒塗りにして提示した。

筆者は、黒塗りになった判決文を公開することを検討した。そこで念のために神原部長に、この点に関する読売新聞の見解を示すように求めたが、明快で具体的な回答がない。「貴殿自身にて、弊社の営業秘密や個人のプライバシーを侵害しないように十分にご留意頂き、ご判断ください」(6月28日付けメール)などと述べている。読売側の真意がよく分からなかった。

そこで筆者は、読売新聞大阪本社の柴田岳社長に公開質問状を送付(EメールによるPDFの送付)したのである。公開質問状の全文は次の通りである。

《公開質問状の全文》

2023年8月10日

公開質問状

大阪府大阪市北区野崎町5-9
読売新聞大阪本社
柴田岳社長
CC: 読売新聞グループ本社広報部

発信者:黒薮哲哉(フリーランス・ジャーナリスト)
    電話:048-464-1413
    Eメール:xxxmwg240@ybb.ne.jp

貴社が2023年の4月21日、大阪地裁で手続きを行った訴訟記録の閲覧制限申し立て事件についてお尋ねします。

貴社から訴訟記録の閲覧制限の申立を受けた大阪地裁は、同年6月5日付で、当事者以外の者が、判決文を含む28通に及ぶ文書の内、貴社が公開を望まない部分についての閲覧・謄写、正本、謄本若しくは抄本の交付又はその複製を請求することを禁止する決定を言い渡しました。貴社が閲覧制限を求めたのは、貴社の残紙の規模を示す購読者数と仕入れ部数(定数)との誤差がわかる部数や、押し紙行為の実態が判明する取引現場における原告と販売局幹部や担当との生々しいやり取りが記録された箇所がメインです。

そこで、以下の点について質問させていただきます。

1,まず、判決理由中に、「実配数を2倍近く上回る定数」の新聞を貴社が原告対し注文部数として指示した事実が認められています。つまり、原告が経営していたYCでは、搬入される新聞の約50%が残紙であったことを裁判所が認めました。新聞ジャーナリズムの信用にかかわるこのような重大な司法の判断が下されたことに対し、貴社はどのように考えておられるでしょうか。読売新聞社としての見解と、ジャーナリストとしての貴殿個人の見解を回答ください。

2,「押し紙」問題は1980年ごろから、その深刻な実態がクローズアップされてきました。販売店の残紙の性質が「押し紙」なのか、それとも「積み紙」なのかの議論は差し置き、貴社の発行部数の中には、膨大な量の残紙が存在してきたことは紛れもない事実です。貴社が閲覧制限の対象とした判決文にも、2012年4月時点で、定数の内、約半分が購読者のいない残紙であることが記載されています。わたしが、このような押し紙裁判史上画期的な司法判断を示した大阪地裁判決を、判断の資料となった当事者双方の主張書面や書証、引いては公開の法廷における証人尋問調書等を含めて公開することにより、貴社に、どのような不利益が生じるのかを具体的に教えてください。抽象論ではなく、具体的に教えてください。

3,わたしが、大阪地裁の画期的な司法判断を広く社会に報じるにあたり、裁判官の判断の裏付けとなった当事者の主張書面や証拠や判決文全部を読者に示す必要があります。つまりこの問題を報じる側に身を置かれた場合、貴社や貴殿は、黒塗りされた判決文と閲覧謄写が禁止された訴訟記録で、どのようにして読者に対し真実を正確に伝えることが出来るとお考えですか。読売新聞社としての見解と、ジャーナリストとしての貴殿個人の見解を教えてください。

4,判決文を含む訴訟記録に閲覧制限をかけた場合、ジャーナリズムの取材活動や学術研究活動にも重大な支障が生じますが、押し紙裁判資料の公共性・歴史的意義についてどのようにお考えでしょうか。読売新聞社としての見解と、ジャーナリストとしての貴殿個人の見解を教えてください。

5,貴社は今後、「押し紙」裁判の訴訟記録を閲覧制限が認められた箇所を含め、全部公開する意思がおありでしょうか。公開する予定があるとすれば、その時期を教えてください。それとも閲覧制限が認められた箇所は、永久に封印する方針なのでしょうか。

以上の5点をお尋ねします。回答は、2023年8月21日までにお願いします。

●公開質問状のPDF版
http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2023/08/cd7b0d845b82503a98a0b4d51deb4d18.pdf

●参考記事:読売新聞が「押し紙」裁判の判決文の閲覧制限を請求、筆者、「御社が削除を求める箇所を黒塗りに」

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉のタブーなき最新刊!『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

『週刊金曜日』発行人にして株式会社金曜日社長の植村隆氏がまたしても鹿砦社に対し執拗に“決別宣言”し、鹿砦社の出版活動を非難されています。

植村社長は、同誌最新号1435号(8月4日/11日合併号)に「さようなら、鹿砦社! 長い付き合いに感謝」なる、人を食ったようなコラムを掲載され、言葉は表向き丁寧で、まさに“真綿で首を絞め”ようとするかのような表現で、あらためて森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』を「差別本」として規定して詰り、この本を製作・発行した鹿砦社の広告を、今後掲載しないことを内外に公言し、まさに鹿砦社を「ヘイト出版社」扱いし排除、出版メディアの世界において村八分に努めています。まるで『週刊金曜日』は良い雑誌、これを発行する株式会社金曜日は良い出版社で、一方鹿砦社の本『人権と利権』は「差別本」であり鹿砦社は悪い出版社であるかのような口ぶりで、それを判断するのは『金曜日』でありボスの植村社長と言わんばかりです。実際にこう触れ回っている徒輩もいます。

植村社長のコラムが掲載された『週刊金曜日』1435号(2023年8/4、8/11合併号)

問題となった広告 『金曜日』1450号(6月16日号)

この際、植村社長が基にするのが同社の2019年6月20日制定の「『週刊金曜日』広告掲載基準(内規)」なるもので、ここに記載された「差別、プライバシーの侵害など基本的人権を侵害するおそれがあるもの」は「掲載できません」としています。さらには「本誌の編集方針に合致しない企業は掲載しない」とも記載されています。

制定の日付からして、これは植村氏が社長就任してから制定されたものと推察できます。これに基づき、何をもって「差別」とするかの規定、基準を明らかにもせず(『金曜日』と植村社長が「差別」と言えば「差別」?)、『人権や利権』を「差別本」、鹿砦社を「ヘイト出版社」とするのでしょうか? その「内規」で教条主義的に「差別本」「ヘイト出版社」と判断されてはたまったものではありません。そういう「内規」というものは〈死んだ教条〉ではなく、〈生きた現実〉の中で、その時々で検討され改善されていくものではないでしょうか。『金曜日』の体質としてよくいわれるのは教条主義的ということですが、まさに〈左翼教条主義〉といえるでしょう。

人の世には、人それぞれ多様な意見や生き方があります。私たちは多様な言論を尊重し最大限それらを汲んで雑誌や書籍を編集・発行しているつもりです。『金曜日』や植村社長はこのことを自ら否定し、異論を排除せんとしています。異論や多様な言論を主張する私たち鹿砦社を、いわゆる「リベラル」「左派」界隈において村八分にしようとしています。排除はやめろ! 村八分はやめろ! 

植村隆社長(2019年12月7日の鹿砦社50周年の集いにて)

◆鹿砦社の広告をめぐる問題

長いこと(創業54年)出版社をやっていれば広告が問題となることは何度かありました。いい機会ですので、2件ほど挙げてみます。

一つは、古い話ですが、鹿砦社第二次黄金時代(第一次は1969年の創業から70年代前半、第三次は2010年代前半)の1995年、毎日新聞との訴訟です。別掲の記事の上部の広告ですが、毎日新聞に念願の全面広告を出すことになり、代金(内金)300万円も代理店を通じ支払い、版下も送り、東京本社版、大阪本社版ともに日程も決まっていたのに、その数日前にドタキャンになりました。これも毎日新聞の内規に触れ「品位を汚す」ということでした。やむなく東京地裁に提訴、高裁まで争いましたが、結果は敗訴。勝ち負けの問題ではなく、異議申し立てが目的の提訴でした。

『週刊現代』2018年5月15/12日合併号 この左上の広告が毎日新聞社により掲載拒否された

もうひとつは、『金曜日』です。これは鹿砦社の広告の掲載日が、偶然に映画監督・原一男とSEALDs奥田愛基との対談の号とバッティングし、これに原一男監督が激怒、当時の北村肇社長を何度も呼び出し理不尽な抗議を行い、すでに病に冒されていた北村社長の死期を早める結果となりました。われわれの世代にとってカリスマだった原監督が実は器の小さい人間だったことがわかり私(たち)を落胆させました。

この件では、鹿砦社になんの非もありません。また、『金曜日』についても、広告掲載の号を前週か次週にするなどの工夫はしたほうがよかったかもしれませんが、それは結果論で『金曜日』にも非はありません。原監督の子どもじみた“抗議”こそ批判されるべきでしょう。

『週刊金曜日』1100号(2016年8月19日号)

そして、今回の問題、これは『金曜日』が鹿砦社の広告をしっかりチェックせず掲載したことが問題ではなく、広告主の鹿砦社や、くだんの本の編者・森奈津子になんの打診もなく、Colabo仁藤代表や取り巻きらの抗議にあわてふためき、安易にColabo仁藤代表に謝罪し、さらには、あろうことかイエローカードを飛び越して一気にレッドカードへ、今後の鹿砦社の広告を掲載しないことを決定したことが問題ではないでしょうか。

今よく使われる言葉に「多様性」という言葉がありますが、これはどこの世界でも尊重されねばなりません。「釈迦に説法」かもしれませんが、多様な言論は、創刊30年、本多勝一という著名な記者になよって設立された『週刊金曜日』こそが大事にすべきではないんじゃないですか? 『金曜日』に比べ歴史が浅い創刊18年の『紙の爆弾』は、松岡利康と中川志大という無名の二流編集者によって創刊されましたが、そんな私たちに“説教”されるようではダメですよね。

◆私たちの危惧

『週刊金曜日』やブックレット/書籍などの出版物と、『紙の爆弾』をはじめとする鹿砦社の出版物の読者は重なっている部分があります。かつて北村肇さんに聞いた話ですが、『金曜日』の読者は、①共産党支持者、②社民党支持者、③無党派の3つに分けられるとのことです。このうち①共産党支持者が「極左」とする鹿砦社の出版物を支持するわけはありませんから、②の社民党支持の一部と③の無党派の方々が『紙の爆弾』や鹿砦社出版物の読者と重なると思われます。

この意味で、植村社長による、このかんの再三にわたる鹿砦社非難は、とりわけ無党派の方々へ鹿砦社があたかも「ヘイト出版社」であるかのような強い印象を与え、打撃が大きいです。

さらには、寄稿者や著者も『金曜日』と重なっている方々もおられます。『金曜日』の編集者や関係者が、『紙の爆弾』、反原発情報誌『季節』の寄稿者らに、本件のことをたずねられたら、どう答えるのか? 多様な言論を自ら棄てた人たちの物言いがみものです。

鹿砦社は創業50数年、独立独歩、自律した小出版社として、芸能から社会問題までの中で大手メディアが報じない領域の出版物を数多く世に送り出してきました。今20年遅れで大手メディアが取り組んでいるジャニー喜多川未成年性虐待問題も、文春報道・訴訟の以前の95年から取り組んでいます(なので英BBC放送は逸早く鹿砦社に連絡してきたわけで私たちは多くの書籍や資料を提供したわけです)。また、「名誉毀損」に名を借りた逮捕・勾留によって壊滅的打撃を被ったこともありました。しかし、それでも挫けず這い上がってきました。

『週刊金曜日』というカリスマ雑誌のトップに詰られると、『金曜日』と重なる無党派の読者や寄稿者の方々にマイナスイメージを与え、これこそ名誉毀損で被害も決して小さくありません。

昨今よくいわれる、マジョリティ、マイノリティの物差しで言えば、『金曜日』は圧倒的にマジョリティであり、鹿砦社は遙かにマイノリティです。しかし、真理が常にマジョリティに在るのではなく、時にマイノリティに在ることもあります。この点、心ある読者や寄稿者、著者の皆様方のご判断に委ねたいと思います。

◆『金曜日』は他人を詰る前に自らを律せよ! 脚下照顧、内部矛盾を解消してこそ他人を批判できる!

 

中島岳志編集員辞退の言 『週刊金曜日』1453号(2023年7月7日号)

長年『金曜日』の編集委員を務めてこられた中島岳志氏が、時を同じくして編集委員を辞退されました。鹿砦社の問題とは直接関係はないとは思いますが、まずは『金曜日』は自らの足元や内部を反省し改善することが先決ではないでしょうか。

中島氏は「保守派」を自認されていますが、多数いる編集委員の中で『金曜日』でこの立場を堅持することは大変です。「リベラル」、あるいは「左派」を自称する人たちが多い『金曜日』の編集委員の中では調整役として中島氏の存在は貴重だったと思われます。

そうした中島氏がいなくなり、一時は親密だった鹿砦社を排除した『金曜日』がますます「しばき隊」化し、偏狭化していくことが懸念されます。他人の家の中のことにあれこれ口出すわけではありませんが……。

偶然かもしれませんが、鹿砦社広告掲載拒否、中島岳志編集委員辞退は、『金曜日』の今後の行方にとってターニング・ポイントになるかもしれません。

◆「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)について植村社長の見解を問う!

2016年以来、私たち鹿砦社が、会社の業績に影響があることを承知で関わってきた事件が、「しばき隊リンチ事件」ともいわれる「カウンター大学院生リンチ事件」です。事件から来年で10年が経とうとしています。激しいリンチを受けたM君はいまだにPTSDに苦しんでいます。

私と植村社長に共通するのは、「慰安婦訴訟」の植村社長の代理人と、「大学院生リンチ事件」関係訴訟の加害者側代理人に神原元弁護士が中心的に関わっていることでしょうか。神原元弁護士は大学院生M君リンチ事件を「でっちあげ」と強弁していますが、2014年師走に大阪北新地で、李信恵ら5人によって集団リンチが行われたことは厳とした事実であり、これは一連の訴訟の最後になって大阪高裁がリンチがあったこと、李信恵らが連座し、被害者の大学院生が瀕死の重傷を負っているのに放置して立ち去ったこと等を認定し、訴訟の骨格ともいえるこの部分が鹿砦社の逆転勝訴となりました。

被害者の大学院生(その後博士課程修了)の訴訟も併せ、被害の程度からすると遙かに低額の賠償金を加害者5人のうち2人に課しながらも「勝訴」とはいえ決して納得のいくものではありませんでしたし、裁判所は、決して被害者や市民の側に立って判断しないことを、あらためて思い知りましたが、このことは「慰安婦訴訟」で敗訴が確定した植村社長なら同じ想いを持たれることでしょう。

私見ながら、植村社長の「慰安婦訴訟」も、この大学院生リンチ事件に関する一連の訴訟も、黒薮哲哉氏が指摘されるように「報告事件」(詳しくは生田暉雄元大阪高裁判事著『最高裁に「安保法」意見判決を出させる方法』を参照してください)だと思っています。

『金曜日』や植村社長が「人権」を口にするのであれば、神原弁護士はじめリンチ事件(と、この隠蔽)に直接、間接に関わった人たちが『金曜日』の誌面に何人も登場していること、一時は毎回鹿砦社の『金曜日』広告には、一連のリンチ事件関係書(6点)の広告を出広していたことなどから、この事件について植村社長の見解をぜひお聞かせいただきたいと要請し拙稿を閉じたいと思います。

株式会社 鹿砦社 代表
松岡利康

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』 定価990円(税込)

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5GCZM7G/

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

 

津野修氏。現在は弁護士をしている

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

10人目は津野修氏。2008年3月24日、袴田さんに対して特別抗告を棄却する決定を出し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁第二小法廷の裁判官の一人だ。

◆「津野氏の略歴」と「津野氏への質問」

津野氏は1938年10月20日生まれ、愛媛県出身。大学卒業後は大蔵省に入省し、内閣法制局長官まで出世した。2003年に弁護士登録。翌2004年に最高裁の裁判官に就任し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させたのち、2008年10月20日付けで定年退官。現在は弁護士になり、東京都港区虎ノ門にある『原・植松法律事務所』に所属。関東地区に在住の松山市にゆかりのある人たちが集う『松山愛郷会』の会長を務めている。
この間、2009年11月に旭日大綬章を受章。その際、読売新聞東京本社版2009年11月3日朝刊では、津野氏のことが以下のように紹介されている。

最高裁判事として司法制度の発展に貢献した。

そんな津野氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、『原・植松法律事務所』に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。津野様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

津野様が旭日大綬章を受章された際、読売新聞東京本社版2009年11月3日朝刊では、津野様のことが以下のように紹介されています。

〈最高裁判事として司法制度の発展に貢献した。〉

津野様は、これがご自身に相応しい評価だと思われますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※津野氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成十九年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

2023年の8月6日。78回目の原爆の日です。この日は、日曜日で、快晴でした。

 

平和記念公園

筆者は、自宅前からバスで広島市中区の平和記念公園近くの終点まで乗車。ただ、疲労しきっていたため乗り過ごして運転手さんにたたき起こされる不覚を取りました。

気を取り直して、平和公園へ向かうと、原爆ドーム前では左派の集会を機動隊が取り囲み、その周りから右派の方々が大声で挑発されているのを拝見しました。左派がうるさいとおっしゃる右派の方々ですが、右派のアジテーションの方が音量は大きかったようにも見えました。右派の弁士は「左派に対抗しなければいけないからだ。」と弁解されていたのが印象に残ります。

◆手荷物検査を経て入場 G7で過剰警備常態化?

原爆ドームの脇を抜けると「自民解体」というプラカードを置いている男性がおられました。

そして、平和記念公園に入り、平和記念式典会場へ向かいました。

2019年以前、すなわちコロナ前に今年から規模を回復させた平和記念式典。しかし、安倍晋三さん暗殺事件、岸田総理暗殺未遂などが相次ぐ中で手荷物検査も行われるようになりました。なるべくなら、人々の不満が高まらないような適切な政治を心掛けていただきたいものですが、現実に襲撃事件が起きている状況があるのも事実です。

とはいえ、G7広島サミットを契機に過剰警備・過剰規制に慣らされてしまうのも怖いものがあります。また、警察車両はわかるのですが、なぜか消防車がたくさん止まっていました。まさか、爆弾テロによる火災にでも備えていたのでしょうか?

[左]「自民解体」というプラカード[中央]多数の消防車が並ぶ[右]「警備・手荷物検査にご協力ください」というプラカード

◆広島市長の平和宣言 核抑止否定は良いが「平和文化」とは?

黙とう後、今年で就任後13回目となる松井一実・広島市長が平和宣言を読み上げました。

松井市長の平和宣言は秋葉忠利前市長時代よりも長いのが特徴です。これは、東京から当初は落下傘的に戻ってこられた松井市長が、被爆者らから意見をつのり、その意見を盛り込むようにしたことがあります。松井市長は初期には311福島原発事故を受けて、エネルギー政策の転換を求めるなど、国に対してガツンと物申す面もありましたが、そういう面は最近、薄れています。

松井市長は、G7広島サミットでの広島ビジョンについて事実関係に触れたうえで、「しかし、核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。」と核抑止論を批判。その上で平和文化の重要性を強調しました。

それはそれでいいのですが、松井市長と言えば、どうしても中央図書館をデパートの上層階に移す計画など、文化をあまり大事にしないイメージがあります。ご自身の市政の足元を見つめなおしていただきたいものです。

◆子どもたちの「平和への誓い」最も拍手大きく

子どもたちの平和への誓い。今年も小学六年生二人が読み上げました。すべてのあいさつの中で最も拍手が大きく、かつ長いのはこの「平和への誓い」です。河井事件や深刻な県内の産業廃棄物問題などを背景に他の挨拶している大人の政治家たちへの広島県民の根強い不信感をも感じました。

◆岸田総理、まったく内容が頭に入ってこない

岸田総理の挨拶。正直、全く内容が頭に入ってきませんでした。周りの人の中には総理の挨拶終了を待たずに立ち上がって帰られる方も数人いらっしゃいました。

筆者は筆者で岸田さんの顔を拝見してついうっかり、「勘弁してくださいよ、増税」と思わず言葉が出てしまいましたが、誰にも咎められませんでした。

◆広島県知事 総理を目の前に核抑止論を厳しく批判は良いが、「本業」を真面目に!

岸田総理を目の前に、「核抑止論者は核抑止論が破綻したとき、全人類の命、地球上のすべての命に対して責任を負えるのか」と問い、「核兵器は存在する限り、人類滅亡の可能性をはらんでいるのがまぎれもない現実。その可能性をゼロにするためには、廃絶しかないのが現実なのです」と強く訴えました。毎回の平和記念式典で核抑止論者は厳しく批判する湯崎知事。それはそれでいいのですが、今年に限っては、筆者は複雑な思いです。

特に三原・本郷町の産業廃棄物処理場問題では、知事が許可した処分場から汚染水が出ています。田んぼに水が引けずに困窮している県民がいますが、県は再稼働を容認し、困っている県民には何もしていません。そんなふうに湯崎知事が「本業」をおろそかにしていると、湯崎知事がおっしゃる正論まで、説得力を持たなくなってしまうのではないか、と懸念されます。

 

「反戦タイガース」を名乗る男性が、「六甲おろし」を「原発下ろし」に変えた替え歌を披露

◆中満国連事務次長 さすがの演説

中満泉・国連事務次長は、事務総長自ら出席された年を除き、ほぼ毎年、近年では平和記念式典に参加されます。核兵器禁止条約にも触れられ、100点満点の演説でした。国際公務員を目指される日本人の多くが実は女性。中満さんはそうした優秀な日本人女性の代表的な方でもあります。

ただ、一方で、日本という国があまりにも若い女性にとっては魅力に欠けるから、国際公務員を目指される方も多いということもあるかと思います。広島自体が若い女性を中心に人口流出が多い中で、筆者は複雑な思いで、中満さんによる演説を聞かせていただいています。

◆中国電力前で汚染水放出・核のゴミ持ち込み・岸田自称GXにNO

その後、筆者は、中国電力前で【8.6ヒロシマ平和へのつどい】主催の集会に合流しました。福島の汚染水海洋放出ノーの訴え。そして、上関に核のゴミ=死の灰の貯蔵施設をつくろうとする中国電力と関西電力の暴挙への怒りの声。そして、岸田政権の自称GXによる、老朽原発再稼働にNOの声。

この日は日曜日でしたが怒りの声が上がりました。そうした中で、「反戦タイガース」を名乗る男性が、「六甲おろし」を「原発下ろし」に変えた替え歌を披露し、一座を和ませました。

◆原爆小頭症をご存じですか?

午後は、8.6ヒロシマ平和の夕べに参加。平尾直政さんのご講演が最も印象に残りました。

平尾さんはきのこ会(原爆小頭症被爆者と家族の会)事務局長、でRCC社員を長年務め、現在は大学院生でもいらっしゃいます。

 

原爆小頭症とは?

原爆小頭症は胎児として近距離被爆した方で、被爆が原因で、知的障害やその他の症状が発生した方です。広島で48人、長崎で15人いらっしゃったそうです。意外に少ないと思われる方もおられるでしょうが、そもそも、近距離でお母さんが被爆した場合、即死してしまう場合が多いので、数としてはこれくらいだそうです。しかし、数が少ないがゆえに、実態が伝わらず、当事者や親御さんが苦しんでこられたのです。被爆二世と勘違いされることもあったそうです。

旧ABCC(現・放射線影響研究所)は、原爆小頭症の存在を把握していたが表沙汰にしてきませんでした。戦後二十年、救いの手が差し伸べられず、成育不良は栄養失調ということにされて原爆症に認定されない状態が続いてきたのです。

そして、1965年に親たちが集まり、きのこ会が発足しました。会の名前には親たちの強い思いがあったそうです。きのこ雲の下で生まれた小さな命だがきのこのように元気に育ってほしい。というものです。

会の目標は
1.原爆症認定。
2.終身補償
3.核兵器廃絶
で、1と2が一定程度実現した現在では、核兵器の廃絶が一番の目標です。

原爆小頭症会員は2023年7月末で11人おられます。(厚労省によると当事者は12人です。一人の未加入の方は個人情報保護法により会としてアクセスできない状況です)

きのこ会をジャーナリスト3人が支えたそうで、その一人は、昭和帝に『原爆についてどう思うか』聞いた中国新聞の秋信記者です。親たちは1966年、分裂した平和運動やマスコミの報道に傷ついていた中で、ジャーナリスト3人が窓口になり「盾」になったものです。

原爆小頭症児には地域の厳しい目が向けられてきました。幼女がいたずらをされそうになった事件があった際には、根拠のないうわさで犯人扱いさたそうです。また、善意で縁談を持ち込んだ人に対して、お断りしたところ、「お宅は贅沢言えないでしょう」と言われて傷つく、ということも起きています。

平尾さんは「原爆投下はアメリカがやった。しかし、原爆小頭症の子供と家族に「冷たいまなざし」を向けたのは悪気のない周囲の人たち-私達だ。」と指摘しました。

ヨシカズさんという男性のケースでは、50歳で人工透析により入院し、そのころ、母親も母親は脳梗塞に倒れ入院。母親の願いは息子と一緒に暮らすことでしたが、ヨシカズさんは1998年に死去。納骨を終えた日に母親も死去し、生前に夢はかないませんでした。

2013年67歳で亡くなった女性の場合、戦後すぐに、母親も兄も出て行ってしまい、家族がバラバラになりました。この女性は瀬戸内海の島で父親と二人くらしで、父親が亡くなってから家がゴミ屋敷状態になっていました。

兄が施設入居を薦めるも島の暮らしになれていたので結局、拒んだそうです。お父さんは生前、娘について「自分より早く死んでほしい。」とこぼしておられたそうです。それは娘の将来を心配してのことで重苦しさが伝わってきます。こういうことを繰り返させないためにも核兵器は廃絶しなければならない。それがきのこ会の今の目標だそうです。

最後に平尾さんは「ローソクはいつか燃え尽きるがほかのローソクに火を移せば燃え続ける。わたしはその別のローソクになりたい」と決意を表明し、大きな拍手を浴びました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

「ゆっさゆっさ」時代は揺れている。昨年よりも、一昨年よりも、もちろん10年前より40年前よりも気味悪く、不吉な方向にむかって。げんなりする。黙したくなる誘惑が襲う。

Long time ago 44年前
原子爆弾が落ちてきて
何十万人もの人が
死んでいったのさ

Long time ago 44年前
8月6日の朝 8時15分
何の罪も無い人が
殺されちまったのさ


◎[参考動画]LONG TIME AGO【THE TIMERS】Hiroshima 1989

Timers でZERRYこと忌野清志郎が「原子爆弾ブルース」を歌ってから34年、清志郎が逝ってから14年、広島原爆から78年目。

わたしの祖父は九州の生まれで、造船を学んだ後、造船技術者の職に就いた。複数の造船会社で働いたようだが、三菱造船に籍を置いたこともある。そういえば三菱のことを「ダイヤモンド」と呼んだ人たちがいた。美しさ幸せの象徴として名付けられたわけではないではない、ダイヤモンド。

彼は所用で出かけた東京で今から数えること100年前、1923年9月1日11時、予期せぬ大震災の最中に身を置く。酒が入らなければ多弁ではない彼が、関東大震災に驚嘆した体験は何度か自ら語りはじめ聞かせてくれた。

「ゆっさゆっさ、と揺れるんじゃのう。5分以上じゃったんじゃないかのう。長い揺れじゃった。長い。旅館の二階におった。ゆっさゆっさ揺れるんじゃのう。気持ち悪うてな」

そうか、大地震は「ゆっさゆっさ」揺れるものなのか。そう了解していたけれども、「ゆっさゆっさ」は彼の個性的な語彙選択による描写であった。大地震は「ゆっさ、ゆっさ」どころか「ドカーン」や「ゴー」であることを後年わたしは、阪神大震災と東日本大震災で二回、体験する。でも再び暗渠に時代が落ちてゆく今日を表す擬態語としてこそ「ゆっさゆっさ」がふさわしい気がする。

彼が九州大学の工学部で造船を学びだした時代、日本の国家的「ゆっさゆっさ」はすでに口火を切っていた。朝鮮半島を併合して中国大陸へも武力侵攻を続け、やがて太平洋戦争の破滅へと突っ込んでゆく前段階。「大正デモクラシー」との評価もあるけれども、外に向けてに日本は侵略と強奪の階段を上り始めたのではなく、すでに二階へあゆみを向ける「踊り場」にいたのだ。

大学で造船を勉強し当然造船業の技術者の職に就いた彼に、時代はどのように映ったのだろうか。彼にはマルキシズムやアナーキズムの風を受けた形跡はまったくないから、わたしが問えば過去の話はしてくれたのだと思う。そういえば退職後、テレビの国会中継を見ていて「今は、共産党しかまともなことは言えんね。もうほかの政党はダメじゃね」と頷き独り言のように話しかけられてちょっと驚いた記憶がある。まだ消費税が導入される前、社会党もあった時代だ。思考が混濁していたわけでもないのに、彼はどうして急に1980年代中盤に「今は、共産党しかまともなことは言えんね。もうほかの政党はダメじゃね」と発語したのだろう。

「天皇よりは長生きしたい」

あれはわたしの聞き違えだったのか。天皇ヒロヒトと同年に生まれた彼は、苦労はしただろうが社会的には明らかに成功者の範疇に入る。かといって軍国主義でも回顧の癖もなかった。まさか「虹をかけたい」などと思ったわけではあるまいに、「天皇(ヒロヒト)より長生きしたい」の真意はなにか。

Long time ago 44年前
人間の歴史で 初めてのことさ
この日本の国に
原子爆弾が落ちたのさ

知ってるだろ?
美少女も美男子も たった一発
顔は焼けただれ 髪の毛ぬけ
血を吐きながら
死んでいくのさ Oh


◎[参考動画]昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」

1945年8月6日、彼は広島市内にいた。市内中心近くにあった家にいたのか、造船所に近い別の場所に住居を求めていたのかはわからない。彼だけでなく息子数人はさらに爆心地近くに下宿していた。

Long time ago 44年前
原子爆弾が 落ちてきたことを
この国のお偉い人は
一体どう考えているんだろう?

Long time ago 44年経った今
原子爆弾と 同じようなものが
おんなじこの国に
つぎつぎと出来ている

8月6日や8月15日、それをはさむ戦中戦後についての記憶を彼から聞いたことはない。彼の記憶の中で歴史はどのように整理されていたのだろう。なにより、どこから「天皇よりは長生きしたい」思いが立ち上がったのだろうか。

ダイヤモンドが虹をかけたいと空を見上げるだろうか。そんなことはないだろう。

原爆はダイヤモンドめがけて落とされたとの解釈も象徴的に不可能ではないだろう。そしてダイヤモンドは「国防費2倍」の岸田政権独断決定に、表情を変えずに時代を超えて、歓喜しているに違いない。

「ゆっさゆっさ揺れる」関東大震災の話をしてくれたとき、彼に聞いておくべきだった。ダイヤモンドを始末しえたのか、そうではないのか、ひょっとして虹をかけたかったのか、あれは錯覚だったのか。


◎[参考動画]アニメ映画『はだしのゲン』(1983年/原作・脚本・製作者:中沢啓治/監督:真崎守/設定:丸山正雄)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◆キャンプデービッド日米韓首脳会談の目的-日米韓“核”協議体の創設

8月6日は「原爆投下の日」、8月15日は「敗戦の日」(一般には「終戦の日」)としてわが国で全民族的、全国民的な「歴史の記憶」が刻まれた日、その悲惨な記憶の教訓から「非戦非核の誓い」が生まれた日だ。敗戦後の日本はいわゆる「一億総懺悔」と言われるが、これは決して懺悔ではない。そういう意味で8月はわれわれ日本人にとって大切な民族的良心、国民的良心の象徴、「非戦非核の誓い」の月間だと言える。

その8月の「歴史の記憶」の日々直後の8月18日、岸田首相は訪米する。日米韓首脳会談に臨むためだ。それは「非戦非核の誓い」を愚弄するものになるだろう。

今回の3ヶ国首脳会談のためにバイデン大統領は合衆国大統領別荘キャンプデービッドで会談を行うと表明した。キャンプデービッドでの首脳会談はこれまで数々の外国首脳との重要会談が行われ、わざわざ「キャンプデービッド会談」と特別扱いで呼称される。そのキャンプデービッドで行う今回の日米韓首脳会談をいかに米側が重視しているかを象徴するものだ。

主要議題について「“核の傘”を含む米国の拡大抑止の強化も議論するとみられる」とすでに報道にあるように、日米韓“核”協議体創設について何らかの合意をめざす、これが米バイデン政権の狙いであろう。

すでに米韓の間には米韓“核”協議グループ(NCG)創設がG7広島サミットを前にした4月末の尹錫悦(ユン・ソクヨル)「国賓」訪米時に合意されている。このNCGの狙いは広島サミット時の日米韓首脳会談でこれに日本を引き込むことだった。ところがこれはバイデンの国内政治混乱で急遽、帰国という「突発事故」で実現しなかった。8月の派手に演出されたキャンプデービッド会談は広島サミット時にできなかった日米韓“核”協議体創設合意を日本に飲ませること、これがバイデン米国の狙いであろうことは明らかだ。

日米韓“核”協議体、それはNATOのような核使用に関する協議システム、NATO並みの米国と日本との「核共有」システム、有事には自衛隊も米国の核使用を可能にする「拡大抑止」協議システムの創設が米国の狙いだ。

その究極の狙いは、日本の対中(朝)代理“核”戦争国化にある。これが現在の米国の日本への要求、戦後日本の非戦非核の国是放棄を迫る「同盟義務」遂行要求だ。

具体的には、米国の戦術核を自衛隊の地上発射型の中距離ミサイルに搭載可能にすることだ。なぜかと言えば、米国は自国から発射するICBM(大陸間弾道弾)は使わない、相手国の核報復攻撃で自国が壊滅的被害を受けるからだ。だから日本列島を対中(朝)・中距離“核”ミサイル基地化して「拡大抑止力強化」を図る。言葉を換えれば、自分を後方の安全地帯に置いて日本に対中(朝)代理“核”戦争の最前線を担わせる、これが米国の隠された陰険かつ邪悪な企図だ。

対ロシアで米国がウクライナでやっていること、それを対中国で「同盟義務」として日本にやらせる卑劣で危険なこの米国の企図を知ってか知らずか野党もマスコミも誰も問題にしていない。とても危険なことだ。だからこの通信の場を借りて強くその危険を訴えたいと思う。

◆周到に準備された日米韓“核”協議体創設

「日本の代理“核”戦争国化」などというと「ピョンヤンからの極端な見解」「杞憂」と思われるかもしれない。でも現実はそのように動いて来たし、今その実現段階にまで迫っている。そのことを以下、述べたい。

これまで米国は用意周到かつ注意深く推し進めてきた。それだけ日本人の「非戦非核」意識を警戒し、いかに細やかな注意を払ってきたかということ、それは逆に米国の本気度を表しているということではないだろうか。

起源は、2017年末に行われた米国家安全保障戦略(NSS)改訂にまで遡(さかのぼ)る。トランプ政権下で改訂された米NSSの基本内容は以下の二点に集約される。

① 主敵を中ロ修正主義勢力としたこと。

「現国際秩序(米覇権秩序)を力で変更しようとする危険な修正主義勢力」として中国とロシアを「強力な競争相手」、主敵と規定した。ここから今日の対中ロ新冷戦体制づくりが始まったと言える。

②「米軍の(抑止力)劣化」を認め、これ補う「同盟国との協力強化」を打ち出したこと。

このNSS改訂に基づき「同盟国」日本への「同盟義務」圧力を米国は加え始めた。

その「同盟義務」とは、「米軍の劣化」を補う自衛隊の抑止力化(攻撃武力化)、専守防衛という「盾」から「矛」への転換であった。

これはすでに昨年末の岸田政権の国家安全保障戦略改訂、「安保3文書改訂」の要である「反撃能力(敵基地攻撃能力)保有」で現実のものとなった。

しかし単なる「自衛隊の矛化」、反撃能力保有だけが米国の目的ではない、より本質的な狙いは「日本列島の中距離“核”ミサイル基地化」、具体的には「核共有」論に基づく自衛隊の核武装化による日本の代理“核”戦争国化にある。

以下、このためにいかに米国が周到な準備を進めてきたかを見たい。

その先駆けは2021年、米インド太平洋軍が「対中ミサイル網計画」として、日本列島から沖縄、台湾、フィリッピンを結ぶいわゆる対中包囲の「第一列島線」に中距離ミサイルを配備する方針を打ち出したことだ。米軍の本音は日本列島への配備であり、しかも計画では米軍は自身のミサイル配備と共に自衛隊がこの地上発射型の中距離ミサイルを保有することも暗に求めた。

 

2023年1月23日付読売新聞

その2年後の今年、1月23日の読売新聞は大見出しにこう伝えた。

「日本に中距離弾、米見送り」(読売朝刊)と。

その記事はこう続く。

「米政府が日本列島からフィリピンにつながる“第一列島線”上への配備を計画している地上発射型中距離ミサイルについて、在日米軍への配備を見送る方針を固めたことが分かった」

その理由はこう説明された。

「日本が“反撃能力”導入で長射程ミサイルを保有すれば、中国の中距離ミサイルに対する抑止力は強化されるため不要と判断した」と。

「安保3文書」で「反撃能力の保有」、長射程ミサイル保有を決めた日本が米軍の肩代わりをしてくれるなら「在日米軍への中距離ミサイル配備は不要」という論法だ。

「安保3文書」では「反撃能力保有」の要として「陸自にスタンドオフミサイル部隊の新設」が盛り込まれた。この陸上自衛隊の新設部隊が「中国の中距離ミサイルに対する抑止力」として米軍の肩代わりをする役目を帯びることになるということだ。スタンドオフミサイルとは敵の射程外から発射できるミサイル、わかりやすく言えば長射程の中距離ミサイルのことだ。「中距離ミサイル」と言わずにわざわざ日本人にわかりづらい英語表記を使うところにも、国民にわからないように事を進めていくことにいかに神経を使っているかを示すものだ。

なんのことはない、「日本に中距離弾、米見送り」の真意は米軍に代わって自衛隊が対中ミサイル攻撃をやれ! ということだ。

そして次には自衛隊のミサイルへの“核”搭載問題を解決することだが、これは非核三原則など非核意識の高い日本に強要するのは難題と米国は見ており、注意深く巧妙に「拡大抑止力」提供という形で議論を進めてきた。

昨年5月、バイデン訪日時の日米首脳会談で米国が日本への核による「拡大抑止」提供を保証したが、この時、河野克俊・元統合幕僚長は「米国から核抑止100%の保証を得るべき」だが、「それはただですみませんよ」と日本の見返り措置、その内容を示した。

「いずれ核弾頭搭載可能な中距離ミサイル配備を米国は求めてくる、これを受け入れることです」と。

この時点では米軍基地への核搭載可能な中距離ミサイル配備だが、先に述べたように陸自新設のスタンドオフミサイル部隊がこれを肩代わりすることになる。

自衛隊ミサイルへの核搭載を可能にするためには、「米国の核」提供、「核共有」の合意が必要だ。

この頃から安倍元首相が、米国との「核共有」の必要性を執拗に主張し始めた。この主張を実現するのがNATOのような核使用に関する協議システム、「日米核協議の枠組み」、日米“核”協議体の創設が必要となる。

ここで登場したのが、「北朝鮮の核に対抗」に積極的な尹錫悦韓国大統領だ。

尹大統領は「土下座外交」の非難を受ける政治的リスクを伴う元徴用工問題で大幅に譲歩してまで今年4月の日韓首脳会談実現を主導した。

尹大統領の「勇気ある政治的決断」(バイデンの評価)で日韓首脳会談開催が決まるや、即米国は動いた。

 

2023年3月8日付読売新聞

読売新聞(3月8日朝刊)は一面トップ記事で日韓正常化の動きを受け米政府が「“核の傘”日米韓協議体」創設を日韓に打診していることをワシントン特派員がリークした。

この読売記事では、「韓国は有事に備えた核使用の協議に関心を示している」が問題は日本政府だとして岸田首相に「有事に備えた核使用の協議」、すなわち日米「核共有」の議論に踏み込むことを暗に求めた。

この記事を裏付けるように4月末、尹錫悦大統領「国賓」訪米時に日本に先駆けて米韓“核”協議グループ(NCG)創設が合意された。これは7月G7広島サミット時の日米韓首脳会談を念頭に置いたものだったが、上述のような経緯からこの8月のキャンプデービッド会談で日米韓“核”協議体創設が話し合われ合意されることになった。

以上、見てきたように、NATO並みの「核使用に関する協議体」設置を日本との間で合意するために米国は周到に準備し、韓国大統領まで動員してその実現にこぎつけたことがわかると思う。

日本列島の中距離“核”ミサイル基地化、日本の対中(朝)代理“核”戦争国化、それは極論でも杞憂でもない、米国は本気だ。そのことを強調したい。

◆米国の最大の障害は「核に無知な日本人」

バイデンは尹錫悦大統領や岸田首相は容易に操ることはできるだろうが、日本国民の「非戦非核」意識はそう簡単に揺らぐものでないことを知っている。だからこそ米国は「核に無知な日本人」に対する宣伝攻勢を今後、かけてくるだろう。

それはすでに始まっている。

これについてはデジタル鹿砦社通信5月4日号「対日“核”世論工作の開始-G7広島サミット」で詳しく述べたので、ここでは概略のみ述べるに留める。

「日本の最大の弱点は、核に対する無知だ」!

「安全保障問題の第一人者」とされる兼原信克元内閣官房副長官補(同志社大学特別客員教授)が読売新聞主催のG7広島サミット開催記念シンポジウム(4月15日)でこう断言した。

このシンポジウムへのメッセージで川野徳幸・広島大平和センター長は、「今後、核廃絶の理想と、米国の“核の傘”に守られている現実の隔たりが深刻化するかもしれない。それでも、その葛藤から逃げずに議論するべきだ」と現実の核の脅威から「逃げずに核抑止を議論」すべきことを訴えた。これを読売新聞は「広島の声」として掲載した。

こうした議論がすでに起こっているという事態は尋常ではない。

キャンプデービッド会談で日米韓“核”協議体創設の合意は、おそらく日本人の「非核意識」を刺激する「核共有」までは踏み込まない穏便な形でなされるだろう。

しかしその後は「ロシアのウクライナでの核使用の危険」「中国や北朝鮮の核軍拡の危険」という「核の脅威」を煽り、米国からの「核の傘の保証」を得るためには「核抑止力強化の議論」から逃げてはいけないという議論が起こされるものと思われる。

おそらく「非核三原則」を守れ! 式のこれまで通りの受動的な反対論だけでは、米国の本気度には対抗できないと思う。

日本を対中対決の最前線にするのか否か、中ロ(朝)を脅威と見てこれに対抗するという選択肢が日本にとっていいのか否か、究極的には日本の安保防衛政策はどうあるべきか、日米安保基軸を続けていくの否か、非戦非核基軸の安保防衛政策はどのようであるべきか、こうした議論が問われてくると思う。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08KGGRXRQ/

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