8.6を控えた広島にとんでもないニュースが飛び込んできました。

広島市中区に本店のある中国電力が8月1日、山口県上関町の原発予定地の敷地の一部に原発から出た『死の灰』(核のゴミ)の中間貯蔵施設を建設することが可能か、調査するということが各社により報道されました。そして、中国電力は2日に上関町役場を訪問し、関西電力と共同でこの中間貯蔵施設をつくるための調査開始を通告しました。


◎[参考動画]山口県上関町に使用済み核燃料中間貯蔵施設建設を提案 中国電力 会見(テレビ山口)

 

広島市中区の中国電力本店(筆者撮影)

◆上関原発建設は311と住民の力でストップ中

上関町には原発計画が持ち上がって40年余りです。中国電力は上関町の本土側南部の沿岸部を埋め立て、原発をつくる計画です。

しかし、上関町内でも祝島の漁民は反対派が圧倒的に多くなっています。この祝島島民の会を中心とする皆様の反対運動により、計画は進んでいません。また、町長選挙や町議選では賛成派 vs 反対派の得票の比率はほぼ3:2ですが、2003年の県議選で反対派の議員が当選したり、国政選挙でも原発反対を掲げた平岡秀夫さんが2023衆院補選で健闘したりするなどしています。

こうした中、東電福島原発事故があった2011年以降は埋め立て工事が中断しています。中国電力の原子炉設置許可申請に対して10年以上、原子力規制員会は審査会を開いていませんし、今後も開かれる予定がありません。最近では、中国電力側が『祝島島民の会』を訴えるいわゆるスラップ訴訟を提起するなどしています。中国電力側の焦りも垣間見えます。

そもそも、東京電力管内と違い、中国電力管内は、電力の需給には一定の余裕もあります。従って、新規原発建設自体には中国電力単体では大義名分は薄いのです。正直、島根原発すら不要です。

(※なお、筆者は、もちろん、東京電力管内でも例えばスマートグリッドの推進、蓄電技術の推進などで、原発がいらない状態を実現することは可能とみています。東電管内の電力需給のひっ迫は3.11以降12年間の日本政府の無策のつけです。)

◆岸田政権の自称GX法が引き金か?

こうした中で、原発ではなく、中間貯蔵施設の話が持ち上がりました。第一に、前述のとおり、上関原発をつくれる見込みがほぼまったくないからです。

その上で、第二に、安倍政権時になかった要素として以下のようなことも考えられます。すなわち岸田政権による自称GX法で島根原発由来の核のゴミが増える可能性です。いまのところ、中国電力に原発は島根原発しかありません。1号機は2015年4月30日に法的には廃炉(もちろん、現在も廃炉作業中)、2号機が再稼働へ知事のゴーサインも出て向けて準備中、3号機が建設中です。したがって、中間貯蔵施設には当面は島根原発の死の灰=核のゴミが運び込まれることになります。

岸田政権は、2023年の通常国会において、自称GX(グリーントランスフォーメーション)法を強行しました。気候変動対策と称して、実際には60年超の原発も運転可能にする、そのために公費を投入するというものです。これにより、島根原発の運転期間も延長する。そうなると、当然、死の灰・核のゴミも増えます。島根原発内の死の灰の中間貯蔵をしているプールも満杯になってしまう。だから、中国電力としては、原発建設に苦戦している上関に死の灰=核のゴミを押しつけてしまえ、ということなのでしょう。

また、共同で中間貯蔵施設計画を進めている関西電力は美浜原発など福井県に多数の原発を抱えています。したがって、岸田政権の政策転換でさらに死の灰=核のゴミは増え、にっちもさっちもいかなくなります。そこで、原発建設の見込みがなくなった上関に関西電力も目を付けた、ということでしょう。

第三に、過去の経緯から「上関町の原発推進派を納得させるため、ほぼ実現が不可能な上関原発にかわる「地域振興策」(という名のばらまき)の大義名分を中国電力としても得たい。そこで関西電力からも死の灰=核のゴミを受け入れる中間貯蔵施設が進められた」(上関町の事情に詳しい『原発はごめんだヒロシマ市民の会』の木原省治さんによる3日(木)の中国電力前での演説要旨)ということです。

◆最終処分も決まらぬ死の灰

しかし、そもそも、死の灰=核のゴミの最終処分自体が決まっていません。日本は活断層もたくさんあります。正直、安全な場所などどこにもない。そもそも、死の灰=核のゴミが安全なレベルに放射線の発生が提言する何十万年か後に日本政府というものが存在するか、否、人類そのものが今の形で存在するかどうかも怪しいでしょう。

日本政府はいわゆる核燃サイクルを試みてきました。すなわち、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、それをウランと混ぜてMOX燃料として再利用する計画です。だが、フランスに頼んで作ってもらったMOX燃料は、ウラン燃料と比べてもはるかに高価です。日本が独自に青森県六ヶ所村に建設中の再処理施設もいまだ稼働していません。あまりにも高コストなのです。結局、六ケ所村に半永久的に死の灰・核のゴミが山積みになりかねない。それを避けるには、各地に中間処理施設をつくる必要がある、というのがいわゆる原子力村側の言い分です。

しかし、最終処分が決まらない以上、各地に分散したところで、そこが中途半端な形で半永久的な処分場になりかねない。これはこれで危険すぎます。正直、死の灰・核のゴミは発生した場所で、国が責任をもって最終的に保管するのが現時点では最もリスクが低いのではないでしょうか。国が国策で推進しておきながら、電力会社に席に責任を押し付けるのはいかがなものかと思います。

◆『山口に核のゴミ』=旧民主党がブラックジョーク的に提言も真面目な議論はなし

山口県内では、死の灰・核のゴミの中間貯蔵については真面目な議論はなんらされていません。ただし、2014年2月の旧民主党(現・立憲民主党)の党大会で、核のゴミの最終処分場は安倍総理(当時の地元)である山口県にすればいいという趣旨の提言を決めました。しかし、世論の批判により撤回しました。あくまで、当時、絶頂期にあった安倍晋三さんへの当てつけとして、守勢に立たされていた野党によるブラックジョークの域は出ていません。

◆中電・関電に上関中間貯蔵施設NO、地元選出の総理に自称GX法撤回の声を!

 

左が中国電力の吉岡様、右が上関原発止めよう広島ネットワークの溝田さん。奥がマスコミ陣。筆者撮影

山口県はたしかに安倍晋三さんを輩出しましたが、しかし、核のゴミをさらに増やすような自称GXを決めたのは広島の岸田さんです。今回は、広島が山口にご迷惑をおかけしています。この8月6日へ向けた広島に住むものとして、すべきことは中国電力に対しては中間貯蔵施設を上関につくるなどと言う暴挙は止めること、上関原発絡みでのスラップ訴訟は止めること、そして島根原発の再稼働を止めることを求めていくことです。そして、平和記念式典にも出席される岸田総理に対してはガツンと自称GX撤回を求めることです。

8月3日には『上関原発止めよう広島ネットワーク』が中国電力に申し入れを行いました。

また8月6日には市民団体が毎年恒例ですが中国電力前へデモを行います。筆者も、最大限、こうした動きに連帯・参加していきます。

それとともに、原発は電力会社任せではなく国が国有化で責任をもって廃止すべきこと、また、早急に送電網の公営化とスマートグリッド、蓄電技術の普及に国が責任をもって投資し、原発が不要な状態を東電管内の真冬や真夏の繁忙期でも実現することを改めて主張します。

被爆地・広島の周辺の瀬戸内地方が、何度もご報告しているように産業廃棄物のゴミ箱になろうとしている上に、今度は死の灰=核のゴミのゴミ箱になろうとしている2023年の8.6。筆者も含めて正念場です。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)


〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
季節 2023年夏号
NO NUKES voice改題 通巻36号 紙の爆弾 2023年7月増刊

《グラビア》原発建設を止め続けてきた山口県・上関の41年(写真=木原省治
      大阪から高浜原発まで歩く13日間230Kmリレーデモ(写真=須藤光男

野田正彰(精神病理学者)
《コラム》原子炉との深夜の対話

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
《コラム》核のゴミを過疎地に押し付ける心の貧しさ

樋口英明(元福井地裁裁判長)
《報告》司法の危機 南海トラフ地震181ガル問題の重要性
《インタビュー》最高裁がやっていることは「憲法違反」だ 元裁判官樋口氏の静かな怒り

菅 直人(元内閣総理大臣)
《アピール》GX法に断固反対を表明した菅直人元首相の反対討論全文

鮫島 浩(ジャーナリスト)
《講演》マイノリティたちの多数派をつくる
 原発事故の被害者たちが孤立しないために

コリン・コバヤシ(ジャーナリスト)
《講演》福島12年後 ── 原発大回帰に抗して【前編】
 アトミック・マフィアと原子力ムラ

下本節子(「ビキニ被ばく訴訟」原告団長)
《報告》魚は調べたけれど、自分は調べられなかった
 一九五四年の「ビキニ水爆被ばく」を私たちが提訴した理由

木原省治(上関原発反対運動)
《報告》唯一の「新設」計画地、上関原発建設反対運動の41年

伊藤延由(飯舘村「いいたてふぁーむ」元管理人)
《報告》飯舘村のセシウム汚染を測り続けて
 300年の歳月を要する復興とは?

山崎隆敏(元越前市議)
《報告》原発GX法と福井の原発
 稲田朋美議員らを当選させた原発立地県の責任

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山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
《報告》原発利用促進のためのGX脱炭素電源法案の問題点

原田弘三(翻訳者)
《報告》「気候危機」論についての一考察

井筒和幸(映画監督)×板坂 剛(作家)
《対談》戦後日本の大衆心理【後編】

細谷修平(美術・メディア研究者)
《映画評》シュウくんの反核・反戦映画日誌〈3〉
 わすれてはならない技術者とその思想 ──『Winny』を観る

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
《報告》今、僕らが思案していること

佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
《報告》亡国三題噺
 ~近頃“邪班(ジャパン)”に逸(はや)るもの
  三重水素、原発企業犯罪、それから人工痴能~

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
《報告》山田悦子の語る世界〈20〉
 グローバリズムとインターナショナリズムの考察

再稼働阻止全国ネットワーク
原発の全力推進・再稼働に怒る全国の行動!
福島、茨城、東京、浜岡、志賀、関西、九州、全国各地から

《福島》古川好子(原発事故避難者)
福島県富岡町広報紙、福島第一廃炉情報誌、共に現地の危険性が過小に伝えられ……
事故の検証と今後の日本の方向を望んでいるのは被害者で避難者です!
《東電汚染水》佐内 朱(たんぽぽ舎ボランティア)
電力需給予備率見通し3.0%は間違い! 経産省と東電は石油火力電力七・六%分を隠している! 汚染水の海洋放出すべきでない! ── 4・5東電本店合同抗議に参加して
《東海第二》志田文広(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
運動も常に情報を受信してすぐに発信することが大事
4月5日定例の日本原電本店行動のできごと
《浜岡原発》沖 基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
中電が越えなければならない「適合性審査」と「行政指導」
《志賀原発》藤岡彰弘(「命のネットワーク」事務局)
団結小屋からメッセージ付き風船を10年余飛ばし続けて
《高浜原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
「関電本店~高浜原発230kmリレーデモ」に延べ900人、
「関電よ 老朽原発うごかすな!高浜全国集会」に320人が結集
《川内原発》鳥原良子(川内原発建設反対連絡協議会)
「川内原発1・2号機の九電による特別点検を検証した分科会」まるで九州電力が書いた報告書のよう
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
原発延命策を強硬する山中原子力規制委員会委員長・片山規制庁長官
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
『3・11 大津波の対策を邪魔した男たち』(島崎邦彦・青志社)

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株式会社金曜日の植村隆社長が鹿砦社の『人権と利権』に「差別本」のレッテルを張った事件からひと月が過ぎた。7月の初旬、両者は決別した。事件は早くも忘却の途に就いている。重大な言論抑圧事件が曖昧になり始めている。

事件の背景に、市民運動に依存した『週刊金曜日』の体質がある。ジャーナリズムの視点から市民運動の在り方を客観的に検証する姿勢の欠落がある。

この点について自論を展開する前に事件を概略しておこう。

◆Colaboの仁藤氏らによるSNS攻撃

Colaboは、仁藤夢乃氏が代表を務める市民運動体である。「中高生世代の10代女性を支える活動」を展開してきた。日本最大の歓楽街・東京の歌舞伎町などで、売春などに走る少女を保護・啓蒙する活動を続けてきた。そのための公的資金の援助も受けていた。

事件の発端は、鹿砦社が『人権と利権』の書籍広告を『週刊金曜日』に掲載したことである。この中にColaboの不正経理疑惑に関する記述も含まれていた。

これに反発した仁藤氏らが、SNSなどで、『人権と利権』の書籍広告を掲載した『週刊金曜日』を激しく非難した。仁藤氏も、『週刊金曜日』を指して「最悪」と投稿したという。

謝罪に訪れた植村社長(左)、右はColaboの仁藤氏

こうした動きに動揺した『週刊金曜日』の植村社長は、文聖姫編集長と共に仁藤氏のもとを訪れ、『人権と利権』の広告掲載を掲載した事に対して謝罪したあげく、『週刊金曜日』誌上で謝罪告知を行った。植村社長らは、『人権と利権』の編著者である森奈津子氏と鹿砦社に対する聞き取り調査は行っていない。『人権と利権』を一方的に差別本と決めつけ、その旨を公表したのである。

さらに植村社長が鹿砦社を訪れ、今後は鹿砦社の広告を『週刊金曜日』に掲載しない旨を申し入れた。

事件を総括すると、植村社長がSNSの激しい攻撃に屈して、鹿砦社との決別を宣言したということになる。反戦映画を上映する映画館に対して、右翼が街宣車などで妨害し、それに屈して映画館が上映を中止するのと同じ構図が、「ネット民」と『週刊金曜日』の間で起きたのだ。ある意味ではSNSの社会病理が露呈したのである。

わたしは、自著『新聞と公権力の暗部』(鹿砦社)の書籍広告が問題となった『人権と利権』の書籍広告と同じ枠に掲載されていたこともあって、植村社長に質問状を送った。そして植村社長からの回答を待って、「週刊金曜日による『差別本』認定事件、謝罪告知の背景にツイッターの社会病理」と題する記事を、みずからのウェブサイトに掲載した。

この記事は、フェイスブックの「FB『週刊金曜日』読者会」にも投稿したが、公表の承認を得ることはできなった。

◆公的資金の検証は納税者に許される当然の権利

さて、この事件を通じてわたしは、市民運動とジャーナリズムのあり方を再考した。市民運動を無条件に「正義」と決めつけていいのかという問題である。やはりちゃんと取材して、市民運動のやり方に問題があれば、それを指摘すべきだというのが、わたしの考えだ。

鹿砦社が『人権と利権』の企画を通じてColaboを検証対象にした背景には、この市民運動体が東京都から多額の公金を得ていた事情がある。しかも、その公金に対する住民監査請求が通った。最終的に東京都は、不正経理は無かったと結論づけたが、都の発表が真実とは限らない。住民の視点から公的資金の使途を再点検するのは納税者に許される当然の権利である。

ところが植村社長は、当事者を取材せずに、一方的に謝罪告知を行ったのである。市民運動体=正義という偏見と、『週刊金曜日』が多くの市民運動体に支えられている事情が背景にあるようだ。

◆過去のしばき隊の問題でもトラブル

実は、今回の事件と類似した出来事が過去にも起きている。これについて植村社長は、鹿砦社の松岡社長に送付した書面の中で次のように述べている。

2016年8月19日号の弊誌でも、今回と似たようなトラブルがありました。同号はSEALDs の解散特集でした。代表の奥田愛基さんと映画監督の原一男さんとの対談がメインで、表紙は両氏が並んでいる写真でした。その裏表紙には『ヘイトと暴力の連鎖 反原連─SEALDs─しばき隊─カウンター』と題する貴社の書籍の広告が掲載されていました。

「SEALDs を特集しておいて、SEALDs を叩く本の広告を載せている」などと、弊社は様々な批判を受けました。北村肇前社長時代のトラブルですが、その記憶は、弊誌の読者に強く残っており、私が社長になった後も、「鹿砦社の広告を出すべきではない」という批判の手紙などが私の手元や編集部に送られてくることもありました。

『週刊金曜日』に、鹿砦社の『ヘイトと暴力の連鎖 反原連─SEALDs─しばき隊─カウンター』の書籍広告を掲載した際に、同社に市民運動の関係者から批判が殺到し、それが今回の植村社長の方針にも影響しているというのだ。ただし、北村前社長は植村社長と異なり、外圧には屈しなかったが。

◆市民運動に対するタブー

『週刊金曜日』が創刊されたのは1993年だった。本多勝一氏らが中心になり、最初は日刊紙を創刊する方向で可能性を探っていたのだが、その壁は高く、前段として週刊誌を立ち上げたのである。当時は、広告に頼らないタブーなきメディアを目指す方針を打ち出していた。実際、既存のメディアが取り上げない事件を扱うようになった。ジャーナリズムとして一定の役割を果たすようになっていたのである。

(左)しばき隊、(右)反核運動の闘士。いずれも健全な社会運動の足を引っ張っている

記事の内容について抗議があった場合、反論を掲載する方針もあったように記憶している。「FB『週刊金曜日』読者会」が、わたしの投稿を受け付けなかったことからも明白なように、現在は、反論権の尊重という考えも捨てたようだ。

しかし、市民運動はそれほど崇高なものなのだろうか。もちろん模範となる市民運動が存在することも紛れない事実である。だが、問題を孕んでいる運動体があることも否定できない。たとえばしばき隊である。

周知のようにこの市民運動体は、2014年12月に大阪市の北新地で暴力事件を起こした。ニセ左翼という評価もある。被害者の大学院生は、鼻骨を砕かれるなど瀕死の重傷を負った。事件現場の酒場にいたリーダー格の女は、自分は暴行には加わっていないと逃げとおしたが、大阪高裁の判決で次のような事実認定を受けた。

被控訴人(リーダー格の女)は、Mが本件店舗に到着した際、最初にその胸倉を掴み、AとMが本件店舗の外に出た後、聞こえてきた物音から喧嘩になっている可能性を認識しながら、飲酒を続け、本件店舗に戻ってきたMがAからの暴行を受けて相当程度負傷していることを確認した後、「殺されるなら入ったらいいんちゃう。」と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる。

被控訴人(リーダー格の女)は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。

ところが『週刊金曜日』はこの事件をタブー視していて、事件の概要すらも報じていない。同誌の支援者にしばき隊の関係者が多いこともその原因かも知れない。

この事件を扱った『ヘイトと暴力の連鎖 反原連─SEALDs─しばき隊─カウンター』の書籍広告を『週刊金曜日』に掲載したところ、抗議が殺到したことは、先に植村社長の書面を引用して説明した通りである。

しばき隊の他にも、過激な市民運動は存在する。たとえば「喫煙撲滅運動」を推進している人々である。彼らは喫煙者に対して憎悪に近い感情を持っていて、自宅で窓を閉めて煙草を吸った住民に対して、4500万円の損害賠償を求める裁判を支援した。支援の具体的な方法として、たとえば市民運動のリーダーである医師が裁判の原告のために偽診断書を作成した。この診断書交付は、「裁判の中で医師法20条違反の認定を受けている。この事件については、拙著『禁煙ファシズム』に詳しい。

電磁波問題に取り組んでいる市民運動体の中にも、首をかしげたくなる運動体がある。たとえばAという団体は、体の不調の原因を全て電磁波のせいにする。本当の「電磁波過敏症」と精神疾患の区別もしない。誰でも自分たちの運動に巻き込んで、会員を増やして、会費(機関紙代)収入を増やす意図があるからだ。科学的根拠に基づいた情報発信とは無縁と言っても過言ではない。情報の信憑性という点でも鵜呑みにするのは危険なのだ。

わたしが観察する範囲では、有益な市民運動体がある反面、反社会的な性質をした市民運動体もかなり多い。となれば市民運動も当然ジャーナリズムの監視対象にしなければならない。

『週刊金曜日』は、創刊の原点に立ち返って、あらゆるものに対するタブーを排除すべきではないか。

【付記】

上記に触れられている、過去の広告問題について、当時の「デジタル鹿砦社通信」(2016年9月10日号)の記事を以下再録しておきます。この通信のコピーは植村社長来社の際に手渡ししています。(松岡利康 鹿砦社代表)

原一男監督のブログ記事について──松岡利康(鹿砦社代表)

2016年9月10日 付け「デジタル鹿砦社通信」再録

伝説的な映画『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督がそのブログ(2016年9月8日付)で「週刊金曜日『鹿砦社広告問題』に触れて」と題して執筆しておられます。私たちにとって原監督は雲の上の存在です。こういう形ではありますが採り上げていただいて、ある意味、感慨深いものがあります。

同時に、いってしまえば、たかが広告如きで、原一男ともあろう名監督が不快感を覚えられ、『金曜日』と激しくやり合われている様に驚くと共に忸怩たる想いです。

原監督は今後、『金曜日』に連載されるということですが、その連載と当社の広告が再びがち合うこともあるやと思われます。その際も、いちいち『金曜日』とやり合われるのでしょうか?

くだんの広告は、もう数年前から毎月1度(2度の時期もあったり、毎週文中に出広していた時期もありましたが)定期出広していて、SEALDs解散特集とがち合ったのは偶然で、掲載誌が送られてきて私たちも初めて知り驚いた次第です。

もし、SEALDs解散特集とがち合うことが予め判っていたならば、右上の広告は『SEALDsの真実』にしたでしょうし、また掲載をずらして欲しい旨打診があれば、これは契約違反で、私どもが『金曜日』に抗議したことでしょう。

これまで新聞などでは内容を検閲されて広告掲載を拒否されたことは何度かありますが、『金曜日』は比較的自由で拒否されたことはありません。だからといって、内容については私たちなりに考慮し、“金曜日向け”に版下を作成しているつもりです。

当社が7月に刊行した『ヘイトと暴力の連鎖』は、一読されたら判りますが(原監督は当然すでにお読みになっているものと察しますが)、タイトルに「ヘイト」の文字を付けているとはいえ、決して、俗に言う「ヘイト本」ではありません。

私たちは、知人を介して当社に相談があった集団リンチ事件に対して、被害者の大学院生は、弁護士やマスコミなどにも相談しても相手にされず、「反差別」の名の下にこんなことをやったらいかんという素朴な感情から取り組んでいるものです。
ネット上では本も読まずに非難の言説が横行しておりますが、全く遺憾です。

SEALDsにつきましては、当初は「新しい学生運動」という印象で好意的に見ていましたが、徐々に疑問を感じるようになりました。実際に奥田愛基君にも話を聞き(『NO NUKES voice』6号掲載)、次第に否定的になっていきました。これも同誌に書き連ねている通りです。

SEALDsにしろ、リンチ事件を起こした「カウンター」にしろ、バックに「しばき隊」とか「あざらし防衛隊」なる黒百人組的暴力装置を控えて、やっていることには疑問を覚えます。作家の辺見庸が喝破した通りです(が、しばき隊や、SEALDs支持者らからの激しいバッシングに遭い、そのブログ記事は削除に追い込まれました)。「しばき隊」の暴力を象徴しているのが集団リンチ事件です。これでいいのでしょうか? 原監督は、しばき隊やあざらし防衛隊の暴力の実態を知った上で発言されておられるのでしょうか?

原監督には本日(9月9日)、上記の内容で手紙と『ヘイトと暴力の連鎖』等関連出版物を送りました。これらをしっかり読まれ、認識を新たにされることを心より願っています。

問題になった『週刊金曜日』(2016年8月19日号)表紙と、裏面の鹿砦社広告

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉のタブーなき最新刊!『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

◆「端境期の時代」挑戦の赤軍派

「最後の京都」は“Fields Of Gold”-「辛い別れの時」を敢えて明るく、「晴れやかに送り出す時」、「“黄金の世界を歩む”時」にしてくれた最後の恩人の心遣いを胸に私の上京は幸せな旅立ちとなった-ありがとう! ただ前を向いて進もう、互いに! この思いを胸に私は京都を離れた。

列車は午前0時前の京都始発「東京行き」各駅停車鈍行、大学時代からよく東京遠征に利用した懐かしい古い車体、私は数々の青春の記憶を刻む硬い座席に新天地に向かう身を委ねた。何が待っているかは想像できない、でも自分は組織と同志を得てこれから革命の舞台に立つのだ。心配よりも期待に胸膨らむ、そんな感じの旅立ちだった。

東京到着は翌朝正午前、連絡先に電話を入れた、ただならぬ声がして「すぐに新聞を買って読んでから来い」と指示された。朝刊トップにはその日の未明、「大菩薩峠で軍事訓練中の赤軍派全員逮捕!」の見出しが躍っていた。奇しくも赤軍派にとって一大事変のあった11月5日に私は東京に到着することになった。この日の事変が後の「国際根拠地建設」のためのよど号ハイジャック闘争-朝鮮への飛翔、私の今日につながる運命の分岐点、その契機になることになる。私の上京の日が自分の人生を決める契機となる日とは! いま思えば不思議な運命の悪戯??

大菩薩峠事件。警察に急襲され逮捕される赤軍派のメンバー(1969年11月5日)

指定の場所に行くと「そういう事情だからまず救援をやってもらう」と指示を受けた。

赤軍派の救援事務所は王子にあった。「アポロ」と呼ばれていた一軒家の事務所にその日から詰めることになった。当初は電話の応対が基本だった。指導的幹部らはほぼ逮捕状が出ていたので地下に潜行、主立った活動家も同じだった。しかも大菩薩峠で大量逮捕者を出した軍事行動直後だけに警察の追求、監視は厳しく、相互の電話での連絡がいわば生命線、警察の盗聴を前提に連絡先の電話番号は暗号で伝え、逮捕状のある幹部、活動家はみな偽名を使った。初っぱなから「地下活動」の異様な空気の中で私の政治活動が始まった。外出時は常に尾行を警戒した。地下鉄に乗るときはドアの閉まる直前に飛び乗るとか……赤軍派の活動モードは予期通りまさに非日常の生活だった。

ある時、「○○高校の××です。渋谷さんにこれから全校ストライキに突入すると伝えてください」との連絡を受けた。凄くせっぱ詰まった高校生の声、戦場からの報告だった。東京は常時戦場、高校生までが闘っている、そんな強烈な印象を受けた。「渋谷」とは当時の田宮の偽名、山手線各駅の名前を使い分けていたのだ。

後にアポロは西新宿の柏木町に移ったが、そこにも高校生がよく来た。別の高校に通う恋人が大菩薩で逮捕され「救援を手伝う」という女子高生が来た。貝津女子校の生徒とか言っていた。大人しそうで清純な「良家のお嬢さん」風の女子高生だった。私の「ならあっちに行ってやる」時代を想起させる東京の早熟な十代を目にした私はなんとか彼女たちを応援したいと思ったものだ。ミニスカートにブーツという超カッコイイ姉御肌の女子高生もいた。救援事務所は男子高校生には縁のない所だから来るのは女子高生。赤軍派は高校生に人気があると聞いてはいたが女子高生までいて、その現実を目の当たりにした思いだった。新しい世代に人気があるということはとてもいいことだ。これは私の赤軍派への信頼を高めるものだった。

後に小西(隆裕)から聞いた逸話だが、大菩薩峠での軍事訓練対象者を募るオルグ時、大学生は躊躇するものが多かったが高校生はちがったという。赤軍派の方針では、その軍事訓練部隊はそのまま「70年安保決戦」の先陣を切る首相官邸占拠・前段階武装蜂起を担う戦闘部隊になる、だから大菩薩に行くかどうかは「命がけの軍」に入るかどうかの決心を各人に問う性格を帯びた。

その時、ある高校生が躊躇する大学生たちにこう言ったそうだ。「気にしないでください、僕たちがやりますから」と。躊躇する大学生たちを責めるのではなく、むしろ彼らを気遣い慰める態度に出たことに驚きとても感動した、そう小西は話してくれた。「自己犠牲という花」はいつもこのように美しい。

この高校生は1年生、まだ15歳だったという。どうしてこんな高校生が生まれてきたのだろう?

「端境期(はざかいき)の時代」は「1970年」を象徴する言葉として鹿砦社が本のタイトルにしたものだが、革命の端境期は‘69年中盤以降にすでに始まっていた。

端境期とは、毎年3、4月の春期になると前年秋収穫の新米が古米に代わって出回る時期だが、もし前年度が不作や凶作で新米が提供されなければ、古米を食べ尽くした後には飢えと餓死が待つという時期を指す言葉だ。

1970年は「70年安保決戦」の年、しかし「古米が尽きて新米が出なければ餓死が待つ」、そんな革命の端境期だった。

1967年秋の「ジュッパチ-山﨑博昭の死」を契機とし‘68年に熱い政治の季節の始まった革命は、‘69年東大安田講堂死守戦敗退以降、日を重ねる毎に全国大学のバリ解除で学生運動は活動拠点を失い後退局面に入る。そして‘70年には既存の革命勢力は力を失い新しい革命勢力が出なければ「安保決戦など夢のまた夢」どころか「革命の餓死」が待っている、そんな端境期の様相を呈するようになった。このままではいけない! 誰もがそれを感じていた。

こんな時期に革命の舞台に立った私や高校生が赤軍派に求めたのは端境期に現れるべき「古米」に代わる「新米」、革命を餓死から救う新しい革命勢力の逞しい生命力だった。これまでと同じ「ゲバ棒とヘルメット」では餓死が待つだけ、赤軍派の攻撃的路線、「軍」による武装闘争を端境期突破の「新米出現」と期待を寄せ、赤軍派の闘いに一縷の望みを託しこれに全てをかける、そのようなものだったと思う。もちろん何か確信があってのものではなかった、でも少なくとも黙って餓死を待つよりは挑戦すべき価値があると思ったのは確かだ。いまでは想像もつかないだろうが当時はそのような切迫した現実があったのは確かだ。

幕末維新の思想家、革命家、吉田松陰は次のような言葉をわれわれに遺している。長いが引用する。

やろう、とひらめく。

そのとき「いまやろう」と腰を上げるか、「そのうちに」といったん忘れるか。

やろうと思ったときに、なにかきっかけとなる行動を起こす。それができない人は、いつになっても始めることができない。むしろ次第に「まだ準備ができていない」という思いこみの方が強くなっていく。

いつの日か、十分な知識、道具、技術、資金、やろうという気力、いけるという予感、やりきれる体力、そのすべてが完璧にそろう時期が来ると、信じてしまうのだ。

だがいくら準備をしても、それらが事の成否を決めることはない。

いかに素早く一歩を踏み出せるか。いかに多くの問題点に気づけるか。いかに丁寧に改善できるか。少しでも成功に近づけるために、できることはその工夫でしかない。

(「超訳 吉田松陰-覚悟の磨き方」:サンクチュアリ出版)

まだ革命は死んではいない、至る所に残り火は燻っている、この火をかきおこすものは何か? 新たな次元の闘いの勝利でみなに勇気を与えること、それが赤軍派だ、そんな風に考えたと思う。少なくとも私はそんな感じだった。いずれにせよ「新米」をめさす挑戦者が出るべき時期だったことは確かだ。その「新米」創出の一翼を担う、それは光栄なことだ、そんな心意気だった。

しかしながら赤軍派の闘いは「新米」を提供するに至らなかった。2年後の「連合赤軍事件」とその後、世を覆った革命運動への失望と幻滅を招くという「結果」を見てもわれわれ赤軍派の闘いは多くの問題点を含んでいた、その挑戦は失敗だったことは明らかだ。

でも誤解を恐れずに言えば、あの時、赤軍派で闘ったこと自体には何の後悔もない。少なくとも私はそう考えている。龍一郎さん式に言えば、「人生に 無駄なものなど なにひとつない」。

なぜこんなことを言うのかと言えば、当時、赤軍派に結集した若い高校生などの心には端境期特有の「新米を産み出す」という「挑戦者の魂」、松陰の言う「やろう、とひらめく」があったことだけは語っておきたいと思うからだ。事を成すに当たって「挑戦者の魂」はとても重要なことだ。

でも結果的には、この「挑戦者の魂」を活かす力が赤軍派にはなかった、だから赤軍派や当時の革命運動にあった「多くの問題点に気づけるか」「いかに丁寧に改善できるか」、これを休みなく続けていくこと、これが私たちには重要なことだと思う。

かなり先走って総括的な話になったが、ここで言いたかったことは私が上京当時の赤軍派に結集した若者たちの空気感はそのようなものだったということだ。一言でいって、とても前向きな挑戦者精神に満ちていた。これが私の実感であり、赤軍派に加入できたことが喜びだったことはまぎれもない事実だ。

これを若さ故の経験不足、無知故の若気の軽挙妄動と言うこともできるだろう、でもそれでは当時の革命運動の「問題点に気づき」「改善点を見いだす」ことには役立たないと思う。

◆「ベトコンのやった“あれ”だよ」

年が明けて翌1970年初頭、私は「軍」への参加を求められた。「いよいよ来たか」とちょっと緊張したが赤軍に入った以上、私には願ってもないこと、その場で快諾した。具体的には「国際根拠地建設」闘争を担う「軍」への参加だった。

「国際根拠地建設」という新たな方針は、大菩薩峠での軍事訓練失敗、大量逮捕の教訓から国内では「軍」建設には限界がある、ならば国外に「軍」建設、及び軍事訓練拠点を設けるというものだった。軍事委員長の重責にあった田宮が自ら「国際根拠地建設」闘争を率いるとしたのは、この闘いに組織の命運を賭けるという当時の赤軍派の切迫した事情を反映したものだ。私の上京の日が大菩薩事件の日だったことが私の運命を決める契機になったと先に書いたが、それは赤軍派のこのような事情から来るものだった。

国際根拠地建設の「軍」のことを平たく言えば、労働者国家(「社会主義国」と認めないからこう呼んだ)を国際根拠地とし、そこで軍事訓練を受けて帰国、秋の「70年安保決戦」で首相官邸占拠、前段階武装蜂起を貫徹する「軍」ということだ。

「前段階武装蜂起」とはロシア革命のような全人民的武装蜂起に至る前段階、その呼び水となる武装蜂起、いわば先駆け的な武装蜂起のことだと赤軍派は位置づけ、「前段階武装蜂起」を次の革命の高揚を開く決定的闘争、当面の最大目標としていた。

いまいち具体的イメージを持てない私は、行動を一緒にしたある時、中央委員だった中大の前田佑一さんに「前段階武装蜂起ってどういうことをやるんですか?」と訊いた。すると前田さんは「(旧正月テト攻勢で)ベトコンがやった“あれ”だよ」と言って、ベトコン(南ベトナム民族解放戦線)の決死隊が首都サイゴンの米大使館を武装占拠、最後の一兵まで戦って全員戦死した戦いのことを話した。結果的にその戦い以降はベトナム全土が解放戦線側の攻勢に沸き立ち圧倒された米軍の敗色が濃くなったというのが、前田さんの言う「“あれ”だよ」なのだと教えられた。

印象的だったのは、米大使館占拠の際「ベトコンは岩に鎖で自分をくくりつけ撃たれて死ぬまでその場を離れられないようにしたんだ」という前田さんの言葉だった。自分たちがやるのは、そんな壮絶な闘い方、それを「“あれ”だよ」とさらっと言う前田さんに私は「凄いことを平然とよく言えるなあ」と感嘆したことを覚えている。俗に言えば「カッコイイ」と思った。同時に自分に果たしてそんなことができるのかなあ、と漠然と思った。いまいち現実感がなかったが、でもとにかくそういう「軍」に入ったのだということだけはわかった。頭ではわかったけれどどれだけ覚悟が伴ったかははっきり言って自信はない。そんな覚悟の必要性だけは理解した。

 

◆「さらば、長髪」よど号ハイジャック闘争へ

3月頃になって赤軍派委員長の塩見さん、軍事委員長の田宮それぞれと個別に面談を受けた。当初は「武装して船でキューバに行く」という話だった。ゲバラもやったキューバ革命は魅力的だったが、太平洋を越えて船で行くとはちょっと私の想像を超えていた。しばらくして「飛行機をハイジャックして北鮮(当時はそう呼んだ)へ」と変わった。後に小西に聞いたことだが、赤軍派が接触を持った在日キューバ大使館員から「もっと近くにいい国があるじゃないか」と助言されての「北鮮行き」決定だということらしい。

こうして「軍」加入のわれわれは「北鮮」へのハイジャック闘争を決行することを最終的に皆で確認した。私は「船でキューバへ」というよりは実行可能性があるだろうと思った。当初は数十人(候補者がそれだけいたということだろう)が各飛行場から分散して飛び立ち編隊飛行で行くという誇大気味の話まであったが、最終メンバーには9人が残り、羽田からの単独ハイジャックとなった。

ハイジャック決行を前にして私は長髪と「おさらば」した。目立ってはならないという活動上の理由からだったが、私には青春期のアイデンティティそのものだった長髪を切るというのはちょっとした決心だった。でもなぜか躊躇はなかった。京都での恩人たちとの縁結びでもあった私の長髪、でも彼らの恩に報いるためにも越えねばならない一線、「革命家になる」ための決意表明、と言えばカッコよすぎるが、まあそんなものだった。理髪師の方が「ホントに切って大丈夫なんですか」とためらった、私は「けっこうですよ」と答えバサバサ髪の切られていくのを淡々と鏡で見ていた。別に惜しいとは思わなかったが、仕上がりの短髪姿を見て「自分は案外、平凡な顔なんや」とちょっとがっかりした。

この日以降、私はサラリーマン風のヘアスタイルに合う背広とステンコートに着替え、その恰好のまま決行当日の「よど号」に搭乗した。余談だが、このコートは今も大事にわが家に保管されている。あの時の「青春の血気」を思い起こさせる「記念品」だ。

ハイジャック闘争を語ると単なる武勇伝になりかねないので、ここでは触れない。金浦空港での緊迫の三泊四日、韓国当局や機内の乗客とのやりとりなどの逸話に関しては、『追想にあらず』(講談社エディトリアル)に書いたので興味のある方はこちらをお読み頂ければと思う。

ハイジャック決行直前、各自に決意文の提出を求められた。政治文章に不慣れの私だったが、その時の赤軍派理論の知識を総動員して書いた。いま読むと稚拙かつ観念的、主観的で粗雑な抽象論でお恥ずかしい限りのものだ。でもハイジャック闘争決行を間近に控え、気分が高揚していたので、当時の高揚感が反映されているのは事実だ。そういう意味で当時の素直な感情が見える文章、「こんなこと考えてたんや」と23歳に成り立てほやほやの自分を懐かしく想起させる文章ではある。そういう意味で当時の赤軍派の冊子から私の決意文の感情部分、最後の結語だけを記そうと思う。それは「京都青春記」の最後にたどり着いた結語でもある。

我々は断じて生きる。たとえそれが人類の生活史の一片であっても……。生きて生きて生き抜く。たとえ吾が個的生は破壊されても……。私の生が人民に転化、吾が生の炎が人民の深き怨念に点火し人民の生と一体化したとき、私の生はより大きな「愛」、「人類史の創造」という「愛」に育まれ、生き抜くことだろう。寂滅と隣りあわせのチッポケな「愛」なそ糞食らえ! 私は断じて生き抜く、断じて!

「世界赤軍として生き抜く」と題した私の決意文、しつこいくらい「断じて生き抜く」で一貫された結語だが、「吾が個的生は破壊されても」、つまり自分が死んでも人民の「より大きな愛」の中で「生きるのだ」ということを言いたかったのだと思う。別に誰かに習った言葉じゃない、人生にも政治にも未熟な23歳の頭から出てきた言葉だ。おそらく「ベトコンのやった“あれ”だよ」と前田さんから聞いていたこともあって、ハイジャック闘争、あるいは前段階武装蜂起の闘いは「命がけ」になる、漠然とではあれ「死」を意識したとき「自分の死の意義」を考えざるを得なかったのだろう。その結論が「人民の大きな愛の中で生きる」ことなのだということだった。たぶん人間、そういう状況に身を置いたとき誰もが考えることなのだろう。この部分だけは「よくぞ言った」と23歳ほやほやの若林君を誉めてあげたい気になる。下手をすれば自己満足だが、いま自分がこのように生きているかの自省にもなる。

(ただ最後の“チッポケな「愛」なぞ糞食らえ!”だけはいただけない、こう言っちゃいけないと思う。愛に大きいも小さいもないのだから。これは未練たらたらの私情がついぽろり出てしまったのかも。)

田宮は出発宣言を「最後に確認しよう。われわれは明日のジョーである!」で締めくくった。

後に「よど号赤軍」を象徴する言葉になったが、皆の気持ちを代弁する名文句だと思う。私自身は当時、『少年マガジン』を読んでなかったので、ジョーのことは何も知らなかったけれど……。

こういう心理状態の中、1970年3月31日、私たちは「よど号」に搭乗、早朝の羽田を飛び立った。福岡板付を経て韓国金浦空港での三泊四日の厳しい攻防を経て4月3日、「よど号」は夕闇迫るピョンヤン郊外の美林飛行場に着陸した。ついにわれわれは勝利したのだ。私が闘争で味わった最初の勝利感、その達成感だった。どっと疲れが出て一時宿泊先のピョンヤン・ホテルで三日間ほぼ一日中爆睡した。朝鮮の案内人が「アイヤ~」と驚いていた。

私の「ロックと革命in京都 1964-70」、この「京都青春記」はここで物語としては終わる。このまま終わるのは、なんか尻切れトンボみたいなので、「終章」のような結語、“「端境期の時代」の闘いは終わってはいない“的なものを次回に書いて「京都青春記」を締めくくりたいと思う。(つづく)

《若林盛亮》ロックと革命 in 京都 1964-1970
〈01〉ビートルズ「抱きしめたい」17歳の革命
〈02〉「しあんくれ~る」-ニーナ・シモンの取り持つ奇妙な出会い
〈03〉仁奈(にな)詩手帖 ─「跳んでみたいな」共同行動
〈04〉10・8羽田闘争「山﨑博昭の死」の衝撃
〈05〉裸のラリーズ、それは「ジュッパチの衝撃」の化学融合
〈06〉裸のラリーズ ”yodo-go-a-go-go”── 愛することと信じることは……
〈07〉“インターナショナル“+”True Colors”= あなたの色はきっと輝く
〈08〉“ウェスカー‘68”「スミレの花咲く頃」→東大安田講堂死守戦「自己犠牲という花は美しい」
〈09〉孵化の時 ── 獄中は「革命の学校」、最後の京都は“Fields Of Gold”
〈10〉「端境期の時代」挑戦の赤軍派 ──「長髪よ、さらば」よど号赤軍「革命家になる」

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

食料危機と言えば、つい最近までは、戦前の「娘身売り」とか、戦中~戦後すぐの戦況悪化・敗戦に伴うもの、くらいのイメージを持たれていた方も多いのではないでしょうか?

筆者の父親(広島県福山市生まれ)はぎりぎり戦前(対米英戦争開戦前)生まれで、小学生時代くらいまで、結構厳しかったようなことは聞いています。母親(福島県出身)は団塊の世代末期で、そこまで厳しい状況は聞いていませんが、同級生の中にそれなりの割合で厳しい暮らしの家庭もあったと聞いています。

ただ、今の60歳以下の人の圧倒的多数はそうはいっても、日本が栄えていた時代しか経験していないわけです。

食うに困ると言っても、例えばシングルマザーのご家庭、またお父さんの会社がつぶれたとか、「運が悪い人」に限定されていたイメージがあります。いわゆる企業内福祉の恩恵が健在でした。もちろん、当時の仕組みと表裏一体の男尊女卑、性別役割分業固定化の問題は現在にも悪影響を及ぼしており、もちろん決して軽視できませんが、そのころはそれでも「一億総中流」と言われたことをご記憶の方も多いでしょう。

◆1990年代後半から貧困進むもまだ物価低く

雲行きが怪しくなったのは、1990年代半ばくらいからです。まず、1994年頃から女子から就職難に直面したのを筆者も記憶しています。東大さえも、女子の先輩が就職に苦戦する状況を目の当たりにし筆者は「このままでは21世紀には大変なことになる。」と直感したのを記憶しています。

就職氷河期世代が社会人になった1990年代後半、さらには小泉純一郎さんや当時の広島県知事が正規労働者を公務・民間問わず減らしまくった2000年代になると、非正規で生活が苦しいという人たちが筆者の同世代でも多くあらわれるようになりました。それでも、00年代は、物価が非常に安かった上、親がまだそれなりに豊かな人も多く、親に援助してもらいながら、低価格の食料品・消耗品で食いつなぐ、という人も結構おられました。しかし、そうした縁を持たない人の中から「おにぎりが食べたい」と餓死した男性など、貧困問題が深刻化していました。

民主党政権は、貧困の広がりに危機感を持った多くの有権者に支えられ、2007年参院選、2009年衆院選と圧勝し、政権交代を実現しました。ところが、ご承知の通り、すぐに失望を招き、安倍晋三さんに政権を奪還されてしまいます。安倍時代、金融緩和は行われたものの、非正規労働者ばかりを増やす流れにはストップがかからず、また人々の懐を潤す形での財政出動もなかった(ロシアやアメリカ、お友達にはばらまいたが)ため、多くの労働者の賃金は改善しませんでした。

◆低賃金と物価高の併存で危機が一挙に中間層まで

そうこうするうちに、日本経済は、国際的な比較で地盤沈下が進行。このことを背景に円安が進み(短期的には金利差が理由ですが、中長期には日本の地盤沈下が円安を固定化)し、ロシアのウクライナ侵攻も背景に物価上昇は留まるところを知らないのはご承知の通りです。

また、1980年代後半から1990年代前半の円高を背景に「日本は、食料は海外から買えばいい」という甘い考えが広がっていました。食料安全保障が全く顧みられてきませんでした。歴代政権の緊縮財政もその傾向に拍車をかけました。このため、輸入食料価格が上昇したからといって、国内供給がすぐには増えない状況に現在あります。

そして、コロナ禍による多くの御家庭での減収がこの3年ほど深刻になりました。その後も、いわゆる中間層のご家庭でも、収入が伸びていません。正社員でも物価高で実質的な可処分所得が減少する。住宅ローンはそうはいっても固定で払わないといけない。そういう中で、子どもの食事にしわ寄せが行く状況が生じています。

広島市はまだですが、全国の各自治体では給食の無料化がようやく進みつつあります。しかし、夏休みは給食がありません。そこで、子どもたちにとっての食料危機が深刻化しています。もちろん、自治体によっては、学童保育でも宅配弁当を活用するなどして、昼食を提供する動きも出ています。ただし、広島市はまだです。

◆子ども食堂がいよいよ地元でもスタート

1960年代以降ではおそらく最悪ともいえる状況の中、広島市・安佐南区祇園でも「子ども食堂」が7月2日、いよいよスタートしました。

子ども食堂は、2012年頃から広がり始めました。現在では、子どもはもちろん、大人も含む地域の住民に栄養バランスの取れた食事はもちろん、居場所を提供するものとして、いまや全国に広がっています。2022年秋現在で、7731か所あるとされています。

今回スタートしたのは「子ども食堂 キッズ☆庵」。

「シェアリンク広島」が協力し、鉄板焼き居酒屋・じゅげむ(広島市安佐南区祇園2-2-2)で行われました。

シェアリンク広島 https://sites.google.com/view/share-link

次回は8月5日(土)12時~14時ですが、以降は第一日曜日の12時に開催される予定です。連絡先はシェアリンク広島代表の井原さん(080-4553-4454)。

メニューはお好み焼きです。料金は小学生100円、中・高校生 200円、大人 300円です。

また、シェアリンク広島が毎月第四日曜日に西区大芝集会所で行っている物資提供会とも共通した取り組みも行っています。具体的には、パンやお好み焼きソース、もみじ饅頭の配布なども行っています。子ども向けのゲームコーナーやカラオケ、生活お困り相談コーナーも開設しました。

この日は、シェアリンク広島だけでなく、「じゅげむ」の普段からのお客様もボランティアとして参加されました。正直、宣伝が十分はできていませんでした。それでも、大人も含めて10人以上の方が2時間余りの開催時間中にお見えになりました。カラオケのマイクを握って楽しんでおられるお子さんもおられました。生活お困り相談については本社社主・さとうしゅういちが担当させていただきました。

コロナで閉じこもりがちになった高齢者のことなど、ご相談をいただきました。一人で抱え込まずに、ご相談いただければ、少しでも考えるヒントはご提供できるかもしれません。お気軽にご相談ください。

「じゅげむ」店主の池脇律子さんは「今後、課題も多くある中、ゆっくりとしたペースで、少しでも多くの子供さんを始め、皆さんにお集まり頂ける場としての「きっず庵」を目指して頑張ります」と意気込みを語っておられました。ただし、8月は5日(土)に開催します。


子ども食堂 きっず☆庵
8月5日(土) 12時~14時
場所 鉄板居酒屋 じゅげむ
広島市安佐南区祇園2-2-2(古市橋駅から南へ徒歩5分)
メニュー ミニお好み焼き弁当
小学生 100円 中高校生 200円 大人 300円

駐車場はないので、クルマでご来場の場合はコインパーキングなどをご利用ください。
この他、カラオケ、お困りごと相談があります。お気軽にお立ち寄りください。

また、広島市北部ではフードバンクあいあいねっと様が、食料配布を月二回程度行っております。
こちらでも食料配布と同時にお困りごと相談などをされています。
https://aiainet.org/

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年8月号

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

 

中川了滋氏。現在は弁護士をしている

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

9人目は中川了滋氏。2008年3月24日、袴田さんに対して特別抗告を棄却する決定を出し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁第二小法廷の裁判官の一人だ。

◆「中川氏の略歴」と「中川氏への質問」

中川氏は1939年12月23日生まれ、石川県出身。司法試験合格後、当初は弁護士をしていた人で、第一東京弁護士会会長や日弁連副会長などの要職に就いた経験もある。2005年に最高裁の裁判官に就任し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させたのち、2009年12月22日付けで定年退官。現在は再び弁護士となり、東京都千代田区有楽町にある『丸の内仲通り法律事務所』に所属。2011年6月には、旭日大綬章を受章している。

なお、中川氏が旭日大綬章を受章した際、内閣府のホームページでは、中川氏の「功労概要」が以下のように公表されている。

最高裁判所判事としてその重責を果たすとともに、我が国司法制度の発展に貢献した。また、多年にわたり弁護士として法社会の安定化に寄与した。

そんな中川氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、『丸の内仲通り法律事務所』に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。中川様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

中川様が旭日大綬章を受章された際、内閣府のホームページでは、中川様の「功労概要」が以下のように公表されています。

〈最高裁判所判事としてその重責を果たすとともに、我が国司法制度の発展に貢献した。また、多年にわたり弁護士として法社会の安定化に寄与した。〉

中川様は、これがご自身に相応しい評価だと思われますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※中川氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成十九年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

袴田事件では、被告人側にとって非常に厳しい再審請求が認められたにも関わらず、検察がまだ有罪立証に固執し、世論の批判を浴びています。

※[参考]再審-冤罪袴田事件-検察は有罪立証せずに速やかな無罪判決のために審理に協力してください

そうした中、その検察が広島を揺るがしたあの河井事件でも暴走していることが明らかになりました。

参院選広島2019で、あの河井案里さん(2021年に当選無効が確定)陣営が多数の地方議員や首長などにお金をばらまいた河井事件。案里さんと夫の克行被告は逮捕・起訴されそれぞれ有罪が確定。他方でお金をもらった方々はいったん不起訴となりました。

しかし、これに疑問を持った市民が検察審査会に審査を申し立て、その結果、2022年1月28日、35人が起訴相当になりました。これを受けて東京地検特捜部は再捜査を開始し、県議や市議ら多数が起訴されました。体調不良の一人を除く25人の方は検察の言い分を認めて略式起訴を受け入れました。

一方で渡辺典子県議(安佐北区)、佐藤一直前県議(中区、県議選2023を前に引退)、石橋竜史市議(安佐南区)、木戸経康前市議(安佐北区、引退)ら9人が正式裁判で徹底抗戦を選ばれた政治家もおられます。

こうした中、木戸前市議の弁護人が供述を誘導するような尋問があったと暴露し、音声データもある、としました。そこで、木戸前議員は、自分が話した内容と供述調書が違うことに不信感を抱き、任意の事情聴取の録音をするようになったそうです。2020年4月、まだ河井案里・克行両被疑者が逮捕されていない段階で、検察は木戸前議員からも任意で事情聴取。検事は「先生には議員を続けてほしい」「認めれば不起訴」など、事実上の司法取引をもちかけるような内容の尋問を行いました。そして、木戸前議員がお金をもらった時に(買収資金かどうか)「考える暇もなかった」と回答した際に、これを調書には載せませんでした。その上で、事情聴取の一部だけをカメラで撮影。検事「調書にある通りですね」木戸前議員「はい」など、検事に都合がいい場面だけが撮影されました。

そして、皆様もご存じの通り、この事件では当初は河井案里・克行両被疑者と両人の一部秘書(車上運動員への買収事件などに関して)だけが当時は逮捕・起訴されていました。

ところが、当然、「買収を認めた方が捕まらないのはおかしいじゃないか?!」という県民の声が巻き起こり、再捜査、そして、木戸前議員ら起訴、ということになりました。

◆有罪判決が相次ぐ中で問われる検察側の主張の正当性

検察側の誘導疑惑については、7月21日、まず読売新聞がスクープ。その後、地元の中国新聞や他紙やNHKも追随報道という形になりました。前日20日には、河井克行被告からお金をもらった買収の罪で渡辺県議に有罪判決、さらにスクープが出た21日には石橋市議に有罪判決が出るという状況の中で、検察側の主張の正当性が問われます。

そもそも、まず、公選法違反事件では司法取引は認められていません。ですから司法取引を持ち掛けること自体が違法な操作です。そして、日本国憲法38条にある通り、自白は唯一の証拠足りえません。その上で、「認めれば不起訴」というのは裏を返せば「認めなければ起訴」という脅迫とも言えます。従って、検事が行った誘導尋問への木戸前議員らの供述は証拠とはなりえません。

日本国憲法第三十八条

何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

なお、現在、係争中の方々の中で、石橋市議に対しては誘導尋問がなかったと石橋市議本人が認めています。石橋市議は、克行受刑者が持参したお金は買収資金ではなかったと、一貫して主張しています。そして、広島地裁による有罪判決に対して石橋市議は全く納得していません。

そして、石橋市議以外の他の議員・前議員は、誘導尋問があったとしています。

◆政治資金収支報告書にお金を記載させなかったのは検察だった!

この事件では多くの議員が河井陣営からのお金の流れを政治資金収支報告書に記載しませんでした。このことを、検察は、「買収」と認識していたから、としています。しかし、政治献金を政治資金収支報告書に記載しなかったのはあくまで政治資金規正法違反です。また、贈与を雑所得として申告しなかったのであれば、所得税法違反であり、どちらにせよ、公職選挙法とは直接は関係ありません。

正式裁判で争っている一人の佐藤一直前県議(以下、時々地元の有権者がされている同姓の筆者との混同を避けるため、一直さんとします。)。2007年に初当選。ずっと政党の推薦なしの無所属を貫いてこられました。4期つとめました。県議選2023を前に引退しています。一直さん本人によると、別に河井事件があったから引退したわけではありません。湯崎知事や平川教育長など執行部に対して厳しい姿勢で臨まれる、広島県議会では貴重な存在でした。選挙の手法は、後援会組織などには頼らず、政党からお金ももらわず、政策・政治姿勢本位のもので、この点は、見上げたものだと感じていました。また、伝統的にアンチ知事でもあった案里さんとの関係は良好で、別に克行受刑者がお金を渡さなくても、案里さんを支援した、と筆者は感じています。

そして、一直さんは7月12日に意見陳述書を提出しています。

検察側は、一直さんの公判でも政治資金収支報告書に克行受刑者からもらったお金を記載しなかったことを「買収資金だったと認識していた」根拠としています。ところが、そもそも、収支報告書に記載するな、と言ったのはなんと検察だったそうです。

「先程から検察が主張する「収支報告書を提出していない」ことですが、取り調べの時から、収支報告書をその後に提出することを我々議員は、検察に頑なに止められていましたが、それを理由に買収だと主張するからだと、今わかりました。」と一直さんは陳述書で語っています。

政治資金収支報告書に受け取ったお金を記載して提出するのを押さえておいて、あとで「お前、提出していないから被買収の認識があったのだろう」と追及する検察。こんなことを許せば恐ろしいことになります。

◆国会議員が地方議員に金を渡すことを禁じる立法を

議員たちが克行受刑者らからお金をもらったこと自体は決して褒められた話ではありません。政治倫理上、「李下に冠を正さず」だからです。また、地方議会は住民の立場に立ってガツンと国にも物申すべき場合があるからです。例えば、日本政府は核兵器禁止条約そのものに反対ですが、広島市議会では全会一致で核兵器禁止条約に入るよう、政府に求めています。地方議員が国会議員にお金をもらってしまえば、その舌鋒が緩む恐れがあります。

一方で、現行法では国会議員が地方議員に政治献金をすること自体は禁止されていません。多くの方が勘違いされていますし、マスコミ報道でもお金をもらった=即犯罪=という風潮があります。これは事実誤認です。筆者は、国会議員が選挙区内の地方議員に金を渡すこと自体を禁じる法律をつくるべき、と考えています。

今回の河井事件のような公選法上、疑惑を招くようなケースを予防するとともに、国会議員による地方議員への支配を防ぐためでもあります。それに先駆けて、広島県議会がそういう条例をつくるべき、と考えています。

ちなみに、前出の佐藤一直さんも、国会議員が地方議員にお金を配ることを禁止する法律をつくるべき、というスタンスです。

「やはり多くの方々が勘違いされている原因としては、お金のやり取りが許されていいはずがないと思っているから、マスコミもそう思っているからだと思います。だからこそ、私は個人的に誰からも受け取らないスタンスでやっていましたし、一般の人に渡したらいけないのと同様に、政治家同士でも禁止にする法律を作るべきだと思っています。」

◆改めて日本の検察・司法改革へ本腰を

袴田事件をはじめ、日本の検察による冤罪事件は後を絶ちません。多くの人は、そのたびに「検察は怪しからん」とは言う。だけれども、この問題を自分事としてとらえる人は存外少ないのではないでしょうか。

前出の佐藤一直さんも「そんな検察の、「監禁のような取り調べ」や、「司法取引のような自白強要」など、日本の検察の問題点も、この立場になって初めて気付くことができました。」と陳述書で述べておられます。それも致し方ないことです。

取り調べの際、諸外国のような弁護士同席を認めるなど、制度の改善を筆者も改めて強く要求するものです。

また、検察が起訴してしまえば、ほとんどが有罪となってしまう日本の司法の在り方。さらに、起訴されたらいかにも罪人のように報道してしまうマスコミ。そうしたことが繰り返されぬよう、司法へのチェックという目線をマスコミにも改めて強くお願いするものです。

筆者は、現在正式裁判で争っておられる皆様とは、政策や政治姿勢が異なる場合も多い。しかし、検察の強引な捜査は認められません。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年8月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

◆株価上昇の中で進む日米経済の統合

今、日本では株価が上昇している。6月8日には33年前のバブル期の最高値を超え、3月下旬から「買い」が「売り」を上回る買い越しになり、買い越し額は6兆円に上り、その後も上昇は続いている。マスコミは、その原因を「外国勢の熱気」とするが、その主役は米国の投資ファンドや機関投資家である。

株価上昇をもってマスコミなどは「日本経済復興のチャンス」と言い、親米アナリストの中には「30年前の黄金時代の到来」などと言う人までいる。しかしバブルは必ず破裂するからバブル(泡)なのであり、30年前のバブルも破裂し、その後の「失われた30年」となったのではないか。

問題は、「失われた30年」に呻吟し、貿易赤字も累積する日本経済の実態を前に、何故、米国勢が「日本買い」を始めたのかである。すなわち、米国が米国ファンドに日本の株を買わせ、株価を上昇させる狙いは何なのかである。

そこで考えられることは、経済の日米統合一体化である。

米国覇権の衰退著しい米国は、追い上げる中国を抑えるために米中新冷戦を仕掛け、ここに「民主主義陣営」を結束させ米国を支えるようにすることで覇権回復を狙っている。

日本は、この最前線に立たされており、EUなどが中国との対決に及び腰な中、日本が決定的になっている。そのために日米経済を統合させる。駐日大使エマニュエルは大使就任の是非を問う米議会上院での公聴会で「世界一位の米国経済と三位の日本経済の統合させる」と明言している。

日米統合は、軍事、経済、教育、地方、社会保障などあらゆる分野で行われている。その中でも社会の基礎である経済の日米統合が異常なまでの速度と深度をもって進んでいる。

最近の際立った動きは、軍需産業と半導体産業での日米統合である。軍需産業は安保政策と関連する重要産業であり、半導体は産業のコメとして経済の基礎を規定する重要産業である。その統合は「指揮と開発」の二つの側面で行われている。それを以下に見て行く。

◆軍需産業の日米統合

軍事での統合、その指揮の統合は、昨年12月に決定された「国家安全保障戦略」で、従来の「統合幕僚監部」が持つ3軍への指揮命令権を新設の自衛隊「統合司令部」に委譲した。そして、この「統合司令部」に米国のインド太平洋軍の将官が常駐配備される。こうして米軍指揮の下での指揮の統合が進んでいる。

その米軍の指揮の下、軍需産業の「共同開発」が進んでいる。

昨年12月には、GNPの2%を目標に27年までに47兆円もの軍事費拡大が決定され、反撃能力(敵基地攻撃能力)装備のための開発なども決定された。

反撃能力とは中距離ミサイルを装備するということであり、米国も持っていない極超音速や変則飛行の最新ミサイルを「共同開発」するということになる。

そのカネは日本が出す。カネばかりではない。米国は日本の固体燃料技術に関心があると言われており、日本の技術も米国との「共同開発」で米国に持って行かれることになる。

先の国会で成立した「防衛財源確保法」は、防衛財源確保を最優先して、他の社会保障などの財源を減らし、後代の負債となる国債を発行するものとなっている。

そして同時に成立した「防衛産業支援法」。ここでは、武器輸出が問題になっている。

米国にとって軍需産業は大きな利潤を生む輸出産業だということだ。共同開発したミサイルや武器も輸出しなければ儲けにならないからだ。

そこで「防衛産業支援法」は、武器輸出を可能にすることに主眼が置かれている。

日本は、これまで「武器輸出三原則」で武器輸出は禁止してきた。これを安倍政権時に「防衛装備移転三原則」に変え、米軍との共同軍事活動で様々な装備品を提供できるようにしたが、今回は共同開発された武器の輸出である。そこで考えだされた口実は、「同志国への輸出は、安保協力になり中国抑止に繋がる」というもの。もう一つの口実は、「共同開発されたものは日本の輸出に当たらない」というもの。

こうして日本は武器輸出国にされようとしている。まさに「死の商人」国家化である。

さらに注意すべきは「防衛産業支援法」で、事業継続が困難な企業を一旦国有化することが検討されていることだ。明治時代の官営工場払い下げを髣髴させるが、今回の払い下げは、米国軍需企業の関連会社になるだろう。国民の税金を使って国有化し、それを米国に安く払い下げるということである。

◆半導体産業での日米統合

半導体は産業のコメと言われ、経済の基礎である。その半導体産業も米国との共同開発になる。米国の半導体生産は、DARPA(米国防高等研究計画局)が指揮しており、日米の共同開発は、その指揮を受けることになる。

今、日米が共同で開発・生産しようとしている半導体は、パワー半導体、ロジック半導体などと言われる新世代半導体であり、EVなどの電力制御用にSIS素材(基礎板素材に炭化ケイソSISを利用)を使った最新の半導体である。

この半導体についてはIBMが一昨年、「開発の目途はついた」として、共同生産を持ちかけていたものだ。即ち、基本設計はIBMなど米国企業が担い、日本は部材、製造装置を使って、新半導体を生産するということである。

広島G7を前に米IT企業トップが来日し、岸田首相が彼らと面談し協力を要請したが、そこでimec副社長マック・ミルゴリは「(日本の)世界最高峰の素材企業は大きな力」「政府の全面的、継続的支援が欠かせない」「人材育成や補助金などが政府の役割だ」と述べている。

すなわち、日本の産業力、技術力、そしてカネも日本に出させ、旨味は米国が持って行くということである。

半導体生産には膨大な資金が必要であり、一つの工場だけでも1兆円になる。それを毎年更新しなければならず、総体的には100兆円が必要だとされている。すでに熊本の(台湾積体電路製造)には6000億円、北海道のラピダス工場建設に3000億円の政府支援が決まっているが、広島のマイクロン・テクノロジー、三重県での米半導体大手のギオクシアなどの工場建設でも同様の支援策が取られるだろう。

こうした中、JSR(東洋ゴムから派生した企業で、フォトレジスト(感光剤)で世界シェア3割)を経済産業省所管の官民ファンド「産業革新投資機構」が1兆円で買収した。CEOのエリック・ジョンソン氏は、「この買収はJSRが持ちかけた」としながら「日本の会社は規模が小さい」「初日から再編に向け始動する」と述べ、買収後、非上場にしてM&Aや事業への大型投資を進めると述べている。

要するに日本にカネや技術を出させ、実利は米国が持って行くということであり、東芝の上場停止などと共に警戒を要する事例である。

◆米国による日本企業支配の動き

株高の中で、見ておかなければならないのは、米国ファンド、機関投資家が「物言う株主」いわゆるアクティビストとして、日本企業の指揮権を握る動きを示していることだ。

それは6月に集中した株主総会での米国勢の動きに見てとれる。これまで株主総会の主役は「総会屋」であった。しかし、今年から主役は米国の投資ファンドや機関投資家になった。彼らの要求の基本は、「企業統治改革」である。そのために「社外取締り役」を増やし、「情報公開」し、現経営陣は退陣しろというものである。しかも、その対象はトヨタやキャノン、セブン&アイ、電力会社など名だたる有名、大企業にまで及ぶ。

こうした米国ファンドは「バリューアクト・キャピタル」など米国の「議決権行使助言会社」の指導に従って動いており、米国が官民一体となって日本企業の指揮権を奪い、直接管理することを狙っていることを示している。

今年の株主総会では、トヨタやセブン&アイ フォールディングス、キャノンなどの経営陣の退陣要求は否決されたが、エレベータ大手の「フジテック」、海上建設大手の「東洋建設」などの現経営陣の退陣は可決された。日産もルノー(大株主はフランス政府)からの外部取締役が解任され、IBM勤務の人物が社外取締り役に選任されている。

今年の総会では沖縄を除く8つの電力会社の経営陣がトラスト価格の問題で矢面に立たされたが、会社の不祥事や個別案件などをもって、株主提案による株主総会開催も増え、米国ファンドによる日本企業の支配は今後一層進むだろう。

米国株主が日本企業の指揮権を握るようになれば、それは最早、日本の会社ではなく米国の会社である。日本の名だたる企業が米国の会社になれば、経済全体が米国のものになる。

経済がそのようになれば、日本社会そのものが米国化し日本人も米国化し、日本という国は米国に溶解された国とは言えない「国」になってしまうだろう。

◆日米統合を支援し促進する「骨太方針」

このような日米経済統合をあろうことか、日本の政権である岸田政権が積極的に支援している。

6月19日に発表された骨太方針は、「時代の転換点といえる課題の克服に向け、大胆な改革を進めることにより新時代にふさわしい経済社会を創造する」と謳う。

その大胆な改革とは「新しい資本主義実行計画改訂版」で示す「労働市場と企業組織の硬直化など日本の構造問題」の改革である。

すなわち、終身雇用、年功序列型賃金に象徴される、日本型の労働や企業統治のあり方を米国式の株主資本主義に「改革」するということである。それは米国ファンドの要求と同じものだ。

その上で見逃せないのは、「経済財政運営と改革の基本方針」で、「2000兆円の家計金融資産を開放し世界の金融センターを目指す」(原案では「資産運用立国」を目指す)としていることである。

日米経済の統合のためには、軍需産業や半導体生産で見たように膨大な資金が必要になる。

岸田政権は、そのために社会保障費を削減し増税や後代に負債を強いる国債発行を準備しているが、それでも不足する。そこで目を付けたのが2000兆円の国民資産である。

そのための「資産所得倍増プラン」では「金融経済教育推進機構」を作りアドバイスすることや「資産運用会社の体制強化」「新規参入の支援、競争促進」が盛り込まれている。これまで日本の資産運用は、日本の銀行や証券会社などが行っていたが、これからは米国系の運用会社にも、それを「開放」するということだ。これも米国ファンドの動きを後押しする。

株式投資は投機でありトバクである。その害毒性は30年前のバブル崩壊、その後の「失われた30年」で骨身に染みたことではないのか。それなのに、なけなしの国民の資産まで投機・トバクに回せなどとは、「売国・棄民」行為以外の何ものでもない。

◆日本の企業を守り、日本を守ることが問われている

 

魚本公博さん

トヨタの豊田章男会長は涙ながら留任を支持した株主への感謝を述べたが、その涙には、米国による日本企業の指揮権掌握策動への忸怩たる思いが込められているように思う。

トヨタは、今年の株主総会で米国の投資ファンドがアクティビストとして、現経営陣の退陣を要求してくるだろうと予想し、その対策を立てていた。

トヨタは、中国との関係が深い。対中新冷戦を提起する米国がこれを快く思っていないことも分かっていた。また、トヨタイズムなどトヨタの企業風土、経営方式が米国の求める株主資本主義と合わないことも分かっていたからだ。

そうした米国の意図に対しトヨタを守れと、退陣要求を否決した日本人株主への感謝。さらには日本の企業を支えるべき日本政府の米国ファンドに加勢するような姿勢への無念さなどが込められた涙ではなかったか。

米国が日本経済を統合し、そのために日本企業の指揮権を奪い、それによって日本という国をなくそうとしており、それに抗すべき日本の政府までもが、その策動を後押ししている中で、日本の企業を守り、日本を守ることが切実になってきている。

すなわち愛国。日本と似た境遇の欧州でも世界的な米国離れの中で、自国第一主義が台頭している。これをポピュリズム、極右と決めつけることはできない。そこに「愛国」の心を見なければならないのではないか。グローバルサウスも自国第一主義であり、愛国ではないのか。

私たち国民にとって国とは何か。その重要さに思いを致し、自国第一や愛国を捉え直す、そうしたことが今切実に問われているように思う。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

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ブラジルのルーラ大統領が、先般のG7広島サミット(5月19日~21日)にいわゆるグローバルサウスの代表として出席しました。

同大統領は「核兵器の非人道的な結果はあまりにも深刻で、 核抑止 に伴うリスクは大きすぎる」と核兵器禁止条約を批准する意向も示しました。世界でも11位とも言われる経済大国でかつて核開発をしたこともある国のトップが核兵器禁止条約を批准すると言ったことは、G7広島サミットにおける唯一といっていいほどの政治的な目に見える成果ではないでしょうか?

ルーラ大統領の出身政党は「労働者党」です。ルーラ大統領は2022年に行われた大統領選挙でボルソナロ大統領から政権を奪還しました。現在、実質最低賃金の引き上げ、児童手当の給付などに尽力しています。

いま、日本において、一番必要とされるのは、名実ともに「労働者党」のような政治勢力ではないでしょうか?

◆非正規労働者4割、奨学金地獄 ──「労働者虐待」政治

日本のこの20~30年はまさに「労働者虐待」政治でした。ご承知の通り、この20~30年、日本の労働者の給料は全くと言って良いほど上がっていませんでした。ここ1、2年、名目での給料はアップされたが、物価上昇に追いついていません。非正規労働者も全体の4割を占めています。民間だけでなく、公務員でも同様の割合で非正規労働者が多くおられます。地方自治体でいえば62万人に達します。

そして、若手労働者の多くが奨学金という名の借金を抱えて苦しんでおられます。こういう状況では、結婚どころではないという人も多い。低賃金や悪い労働条件を放置する、すなわち労働者虐待を続けたことで、労働者の生活困難が生じるのは憲法25条にも反することです。そして、それ以外の弊害も出ています。

◆広島、日本から人口流出

一つは、広島、日本からの人口流出です。例えば、筆者が勤務する介護現場でも、外国人労働者が広島から東京へ流出する現象があります。さらに、最近では日本からカナダやオーストラリアへ日本人が流出する流れも起きています。

人々の暮らしを支える分野から労働者がいなくなるという恐ろしい状況です。下手をすれば、この広島だってゴーストタウンになってしまうのではないか?そういう恐怖心さえ覚えます。

◆介護・保育 ── 「やりがい搾取」でついに「土俵を割って」しまった労働者たち

もう一つはサービスの質の低下です。少し前までは介護や保育など、悪い労働条件でも仕事の「やりがい」から我慢してきた労働者が多かったのです。ところが、最近では、あまりの悪すぎる労働条件にバカバカしくなって手を抜くような現象も、筆者自身が見聞きすることもあります。

筆者自身も前日の夜勤者が利用者様の便失禁を放置しているのに遭遇することがありました。背中まで広がりまるで化石のようにガチガチに固まった便を風呂場でいわば「削り落とす」のに苦労することも一回や二回ではありませんでした。

また、寝返りを打てない利用者様については、きちんと体位交換(スタッフが介助しての寝返り)を2時間くらい置きにしないといけません。それもしていないために、尻や大腿部に褥瘡、すなわち、皮膚に黒い大穴が空き、そのことを背景に入院に至ったケースもあります。これらは不適切介護です。

ただ、傍から拝見していると、最低賃金ギリギリと言うあまりに安い給料で、しかもそれに見合わないきつさのために、これまで我慢していた労働者が「土俵を割ってしまった」感じを受けました。

保育現場では「これまで評判が悪くなかった」保育士が虐待や不適切保育をしてしまうケースも良く報道されています。介護現場からの類推にはなりますが、「ああ、土俵を割ってしまったのだろうなあ」と思いました。

労働者にきちんと対価を払い、適切な人員を確保しないと、「土俵を割る」労働者が続出し、お年寄りや子どもが大変な目にあいます。一方で、労働者もきちんと仕事をするという構図をつくっていく必要があります。  

◆公務 ── 非正規に高度な業務も限界に

自治体は、いまや、会計年度任用職員など、非正規公務員に高度な仕事をさせています。いや、専門性の高い仕事ほど、逆に非正規が多いとさえ感じます。

国家公務員でも、厚生労働省関係は、ハローワークを先頭に特に人々の深刻な悩みに応えないといけない部署がおおくあります。しかし、厚生労働省こそ一番のブラック企業ではないか?と思えるほど、非正規職員が多くおられます。

しかし、それでは、応募する人がだんだん少なくなります。そして、住民・国民サービスの低下につながります。

国も自治体も「これからは少子化で人口が減るから」という理由で公務員を減らしてきました。だが、実際には子育て支援や、格差拡大も背景にした人々の悩みの増大で行政需要は増えています。そこで、非正規公務員を増やしてしのいできました。それも限界に来ています。

◆現役労働者の賃金低迷が年金受給者や地域の飲食店も直撃

さらに、現役労働者の賃金低迷は、年金受給者もマクロスライドによる年金引き下げという形で直撃しています。

また、労働者の懐が厳しいことを背景に、飲食店も厳しくなっています。そこへコロナが直撃したというのが2020年~22年の状況でした。

あるいは、ちょっとした余裕が地域の労働者からなくなっているために、いわゆるニッチ(隙間)産業への需要が低下しています。

◆労働者に余裕ないため子育て支援も焼け石に水

例えば、いわゆる子育て支援施策が、人間関係の悪い職場では、子どもがいる人と子どもがいない、あるいは、子育てが終わった人の間での対立につながっています。しかし、人間関係の悪いことも、賃金・労働条件が悪いことに起因しています。

そもそも、若手労働者の多くが奨学金という名の借金に苦しんでいるのだから、多少の子育て支援など焼け石に水です。

◆「労働者に打撃」与える政策ばかりの総理

こんな中、岸田総理は、「異次元の少子化対策」の財源として社会保険料アップを打ち出しています。しかし、この保険料アップは給料アップを阻害します。若手労働者にとり、打撃でしかありません。

さらに児童手当の為に扶養控除を廃止する方向です。これによって所得税が大幅増税になる労働者が出ます。正直、総理はどこを見ているのか?

このように、今の政治は、現役労働者を全くと言って良いほど政治で顧みていません。政治の力でなんとかできるはずの公務分野でも政府与党と親しい一部大手企業による中抜きばかりで、実際に仕事をしている労働者や中小企業にお金が回っていません。

介護や保育労働者の給料についても、総理は2022年度こそアップしてくれましたが、雀の涙です。そして、2023年度は激しい物価高騰にも関わらず、何もしていません。それどころか、軍事費増加の為に社会保障費のカットをしようとしています。

◆マスコミにも変化

しかし、マスコミにも変化が表れています。5月24日には、NHK総合テレビの朝番組「あさイチ」が会計年度任用職員含む非正規労働者の問題を取り上げました

筆者がかつて所属した「自治労」や現在幹部を拝命しております「自治労連」なども「相談先」として紹介されました。労働組合の意義についても紹介されるようになったことは歓迎すべき変化です。これまでは、「維新」を筆頭に公務員、労働者をぶっ叩くような人たちがマスコミ、特に在版マスコミで持ち上げられてきたことを考えれば雲泥の差です。

今後は、例えば日本の公務員労働者が労働基本権を制限されていること。そのことは、いわゆる先進国を含めて多くの諸外国と比べても異例であること。こうしたことも取り上げていただきたいものです。

 

5月14日、原爆ドーム前で行われたG7サミットに反対する市民集会に参加した筆者

◆あとは「政治」だ!

マスコミが変わりつつある今、課題はやはりなんといっても、政治が変わるかどうかです。公務員の非正規化を進めてきた与党の自民、公明はもちろん、公務員バッシングで票を稼いできた維新は大問題です。しかし、いわゆる既存野党のみなさんも、サービス増強には熱心でもそれを提供する労働者の労働条件についてはあまり関心を払っていなかったように思えます。また、いわゆる野党共闘を背景に日本共産党さんあたりでも、以前のような鋭さがなく寂しいものがあります。

さらに、連合の芳野会長が権力者に阿るばかりの姿勢を見せているため、労働組合全体の印象も悪くなってしまった面もあります。そのことが、また、野党もそれを避けて、労働条件よりもそれ以外のいわゆるポリコレ案件に注力してしまう面もあるのだろうと推測されます。

また、広島の場合は、平和運動は得意でも、労働運動が弱め、という傾向はありました。しかし、戦前に人々の暮らしが厳しくなる中で、満州事変や日中戦争、第二次世界大戦を歓迎してしまった流れがあったことを想起しようではありませんか。

まず、これまでの「労働者虐待」政治をストップし、現役労働者の労働条件を改善し、人々の暮らしを守っていくことが大事です。そしてそういう方向の政治家・政治勢力を伸ばしていく必要がある。特に若者労働者の流出を中心に人口流出が止まらぬ広島において、それは大事ではないでしょうか?

筆者は、その先頭に立ち続ける覚悟です。

もちろん、これまでも、筆者も微力ながら、非正規労働者の皆様の裁判闘争の支援や労働相談にも取り組んで参りました。それと並行して、政治活動も車の両輪で進めていきます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

 

今井功氏。現在は弁護士をしている

8人目は今井功氏。2008年3月24日、袴田さんに対して特別抗告を棄却する決定を出し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁第二小法廷の裁判長だ。

◆「今井氏の略歴」と「今井氏への質問」

今井氏は1939年12月26日生まれ、兵庫県出身。袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させたのち、2009年12月26日に定年退官。退官後は弁護士になり、現在は東京都千代田区神田錦町にある『今井法律事務所』に顧問として所属している。この間、みずほフィナンシャルグループの監査役や、みずほ銀行の監査役を務め、2011年6月には、旭日大綬章を受章している。

なお、今井氏が旭日大綬章を受章した際、内閣府のホームページでは、今井氏の「功労概要」が以下のように公表されている。

多年にわたり最高裁判所判事等としてその重責を果たすとともに、我が国司法制度の発展に貢献した

そんな今井氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、『今井法律事務所』に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

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【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。今井様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

今井様が旭日大綬章を受章された際、内閣府のホームページでは、今井様の「功労概要」が以下のように公表されています。

〈多年にわたり最高裁判所判事等としてその重責を果たすとともに、我が国司法制度の発展に貢献した〉

今井様は、これがご自身に相応しい評価だと思われますか?

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※今井氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成十九年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

既報の通り、2023年7月4日、広島地裁の吉岡茂之裁判長は、広島県の湯崎英彦知事に対して、三原市本郷町にJAB協同組合が設置した「安定型」産廃処分場の許可を取り消すよう命じました。吉岡裁判長は、産廃処分場の事前審査のプロセスで法律に基づいて調査すべき井戸や川の農業用水取水口を調査しないなど、知事が許可を判断するプロセスに「看過しがたい過誤・欠落」があると断罪。湯崎知事に産廃処分場の許可を取り消すよう命令しました。

◆コンプライアンス意識麻痺「重症」の湯崎知事

しかし、湯崎知事は14日、控訴しました。「法令に則り適正に審査したものと考えており、容認しがたい」という紋切り型の理由です。他方で湯崎知事は「地域住民の皆様の生活環境への影響に対する懸念は重く受け止めており、引き続き、廃棄物処理法に基づき最終処分場への監視指導を徹底してまいります」とコメントしました。

だが、そもそも、事業者が出してきたいい加減な井戸や農業用水の調査をうのみにするという違法行為があったわけです。そのことの認識が知事にも担当課の幹部職員にもないのであればコンプライアンス意識麻痺の「重症」です。そうでなければ県民をなめ切っています。ひょっとすると、その両方なのかもしれません。

◆いい加減な業者、「是正」に手間取るうちに汚染は広がる!

既報の通り、この産廃処分場は、2018年に計画が持ち上がりました。予定地が三原市民の8割の水源地のど真ん中であることから、住民や地元の三原・竹原の市議会も反対。しかし、広島県は2020年4月に処分場の設置を許可してしまいました。

そこで7月に住民が県を相手取って産廃処分場許可取り消しを求める行政裁判を起こしました。また同時にJAB協同組合に対しては産廃搬入停止の仮処分申請を行いました。しかし、いったん認められた仮処分申請が、2022年6月にひっくり返されてしまい、9月に処分場の操業がスタート。2023年6月、ついに処分場から汚染水が流出してしまいました。

6月29日には汚染水が県の調査でも国の基準値を超えていることが確定。県東部厚生環境事務所から操業を止めるよう指導を受けましたが、7月8日にも産廃を運び込んでいます。

JAB協同組合が安佐南区上安で既に運営している処分場(2016年、2020年に広島市が拡張許可、2021年に外資系企業に所有権は売却)では、「熱海」(熱海市伊豆山土石流災害。2021年7月3日発生。死者28人、建物被害136棟、避難者約580人)の3倍の不適切な盛り土が真下にあることが発覚。広島市が安全対策のために公費支出を強いられています。

 

知事の控訴後、新たな個所からも汚染水が検出された(原告共同代表、岡田和樹様のSNSより)

上記のようないい加減な業者にそもそも「是正」が通じるのでしょうか?「是正」できないでいる間にも、待ったなしで汚染は広がります。現に原告住民の調べでも、知事の控訴後にも新たな個所から汚染水が検出されています。

こういう問題は解決着手に遅れれば遅れるほど、問題は深刻化します。香川県の豊島事件が一番の教訓です。1978年に産業廃棄物処分場の事業許可が出てから無茶苦茶な産廃の持ち込みが続きました。1990年にようやく警察が動きますが、産廃そのものは放置。その後2000年に公害調停という形で一応の決着をみましたが、それから23年たった今も汚染は残っているそうです。ぬるいことを行政が言っている間に、処理コストは膨らむのです。

本郷産廃処分場問題はまだ稼働がはじまったばかりです。豊島のようになる前に、許可を取り消すべきでしょう。

◆三原市議会が許可取り消しを求める意見書を全会一致で可決

こうした中、知事への「包囲網」も着々とせばまっています。湯崎知事が本郷産廃処分場の許可取り消しを命令した広島地裁判決を控訴した同じ7月14日(金)、産廃処分場の地元の三原市議会は全会一致(23対0)で県に対して、産廃処分場の許可取り消しを求める「水源の保全に関する意見書」を可決しました。

三原市議会は、県が許可を出す前に、全会一致で産廃処分場反対決議を出しています。三原市民の8割の水源のど真ん中の処分場ですから、当然です。しかし、一般的に日本人は「お上」が決めた既成事実に弱いとされています。そうした常識を三原市議会は打破しました。

この画期的な決議の背景には原告・住民が7月4日(火)の判決後に間髪入れずに三原市議会や市長を含め、関係各方面に働きかけたことがあります。

市議会が市民に寄りそう中で、県民をなめ切って、相変わらず産廃業者に阿る湯崎知事。しかし、知事に対する包囲網は着々と狭まっています。

また、原告団は、控訴から週が明けた18日(火)、早速、広島県廃棄物対策課に抗議しています。改めて、産廃処分場の許可を取り消すとともに、「産廃処分場の土地を県が買い上げ」、県が水源の保全に責任を持つことを求めました。

◆「鞆の浦埋め立て架橋」撤回の湯崎知事に戻れぬなら退場あるのみ

湯崎知事は、2009年の就任直後に、長年懸案となっていた福山市の名勝・鞆の浦の埋め立て架橋問題で賛成派と反対派の間に入って対話を開始。結局、埋め立てではなく、山側トンネルで通過交通を捌くというところを落としどころに、鞆の浦の景観を守りました。あのときの湯崎さんに戻ってほしい。筆者もそういうふうにしてくれると湯崎さんに期待したから最初の選挙では湯崎英彦の名前を投票用紙に書いたのです。

むろん、あのときは、前任者のエラーの是正だったからやりやすいのでしょう。今回の産廃処分場問題は、湯崎知事自身のエラーです。表面的には産廃担当職員のエラーであるにしても、根本的には他の都道府県が産廃規制を強化し、諸外国も輸入規制を強化する中で、緩い規制を放置してきた知事のエラーです。そのことを認めたくないのかもしれません。これが多選の弊害というものなのでしょう。他のことでも「一方的に決めて一方的に後から説明」という木で鼻を括る対応が目立つ湯崎知事。このままでは、ご退場いただくしかないでしょう。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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