広島市長の松井一実さん。厚生労働省官僚のご出身で新自由主義色が濃い市政をされています。

※[過去記事]官僚出身・ネオリベ広島市長の暴走が止まらない! 中央図書館移転問題で市民の声を完全無視! 

 

広島市学童保育連絡協議会の田中富範さん

特に子どもに関する福祉に対しては完全に背を向けていると言わざるを得ない対応を取っておられます。

その一つが学童保育=広島市では放課後児童クラブと呼ぶ=の有料化です。実は広島市の学童保育は全国でも珍しく、無料です。もちろん、指導員は非正規の会計年度任用職員ばかり、使っている建物も老朽化が進んでいるなど、問題は多くあります。それでも、無料はありがたいという声は強くあります。

その学童保育の有料化を2023年度から松井市長は強行する姿勢です。年収800万円世帯で月5000円。減免される世帯でも(年収240万円の場合)月3000円の負担になります。240万円の世帯の場合、3000円でも結構負担は大きいものがあります。

それに対して、許さないと声を上げておられる広島市学童保育連絡協議会の田中富範さんのご講演を、1月22日(日)、筆者は「ひろしま自治体学校」(広島自治体問題研究所主催)でお聞きしました。田中さんのお話しなどによると、以下の市長の暴走ともいえる状況が起きています。

◆学童保育料金徴収の根拠条例がない

何事も、市が市民からお金を取る以上は、市民の代表である議会の決議を経た条例が必要です。国の場合でも、例えば「消費税率は10%」などと法律で定めています。それらと同じことです。

ところが、広島市の場合、驚くべきことに学童保育の料金の根拠となる条例がないのです。条例どころか規則さえないのです。あくまで、要綱を根拠に徴収するというのです。そして、「広島市は私人として、保護者と契約しているから条例無しで徴収できる」というのが市幹部のスタンスだったそうです。私人と言えばどこかで聞いたことがあります。辺野古の問題では、沖縄県に埋め立てを不許可にされた国(防衛局)は私人として、不服申し立てをしたのです。

一方で、国はもちろん、強大な権力を持っています。市ももちろん、学童保育の指導員の任免権を持っています。権力者があるときは私人を装う。あるときは、もちろん、強大な権力者として労働者や市民、国民を押さえつける。セコイし脱法行為としかいいようがありません。

◆国の考えを過剰に忖度

私人としてふるまう広島市は一方で、国の考えを過剰に忖度します。国は昔から予算編成にあたって、一応、学童保育の費用は、半分を保護者負担、半分を国、県、市で賄うとしています。しかし、これはあくまで国の予算編成にあたっての考えであり、市に対して「こうしなさい」という指示をするものではまったくありません。実際に広島市は独自に無料=保護者負担分を市がカバーする=を続けてきたのです。ところが2011年に松井市長が市長に就任されてから、「まるで国の出先機関のように」振舞っています。

実は、松井市長は筆者の父が厚生労働省の医系技官だった時代の部下だったそうです。父によると若き日の松井市長は非常に真面目な方だったそうです。国の官僚であるならば、それはそれでいいでしょう。さすがは労働委員会の事務局長まで上り詰められた方です。

しかし、いまの松井さんは選挙で選ばれた「市民の代表」です。いつまでも「国の官僚」のような態度では困るのです。困るのですが、現に、ネオリベ方向で国の考えを過剰に忖度し、実行しようとしておられます。

◆将来は8700円まで引き上げの構え

そして、広島市は、将来は8700円まで学童保育の保護者負担を引き上げる構えです。市側の言い分としては、「国の言う通り、半額を保護者負担にするのであれば、8700円になる。だから、現状でも高所得者家庭は8700-5000=3700円、低所得家庭でも8700-3000=5700円「配慮している」」というのです。

だが、本人がどこまで本気かどうかは別としても、地元選出の岸田総理も「異次元の少子化対策」とぶち上げておられるときです。わざわざ、それに逆行するような方向での学童保育の有料化、さらなる値上げというのもいかがなものでしょうか?実際のところ、松井市政の国を都合の良い時は隠れ蓑にして、こどもへの支援はサボタージュしたい、という本音が透けて見えます。

◆「サービス向上」が招く指導員の執行体制崩壊

さて、値上げするならサービスの向上がなければ、利用する保護者も子どももたまったものではありません。古びた施設の修繕は当然としても、そのほかのサービス向上の内容は「いままで休所していた第二土曜日を開所する」というものです。

ところが、学童保育の指導員の執行体制は現状でもボロボロです。2022年度当初は72人欠員が生じたので補充はしています。しかし、15人がすでに2023年1月現在で退職。2割以上が1年どころか10か月もたたずに退職とは筆者の勤務先の介護現場は別として、異常事態です。

安い給料でもやりがいだけでなんとかモチベーションを維持してきた指導員たちも限界です。そこへ来て、これまで休みだった第二土曜も開所しろという。しかも、労使合意もないままです。このままいけば、「有料になるわ、サービスは崩壊するわ」で保護者や子どもも地団駄を踏むしかなくなります。

◆いい加減すぎる市長、議会で追及を

今回のイベントでコメンテーターを務めた田村和之広大名誉教授は、「松井市長は就任以降細々な負担引き上げをし、それで数千万円の歳入増はするが、しかし数百億規模の事業で無駄遣いをしている。」と指摘します。

学童保育の根拠は民主党政権が方向性をつくった2015年の児童福祉法改正でできた。その第21条の10に「市町村が放課後児童健全育成を行う」と定められており「私人」扱いはない。」。

「公の施設は条例を定めないとできない。広島市は保育料も規則でさだめている。違法の疑いがある。学童保育は規則でさえなく要綱でやろうとしている。こんないい加減なことをやっている市を法を根拠に追及する議員が議会にいないのか?」と田村名誉教授は嘆きます。統一地方選で、松井市長を打倒できればいいのですが、市長打倒にいたらずとも、市長をガツンと追及する市議もふやしていく必要があると痛感しました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士 1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。2023年広島県議選にも立候補。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

月刊『紙の爆弾』2023年6月号

ロシアのウクライナ侵攻により発生した長期にわたる戦争を視野に入れながら、たった12年前に現実であった、東日本壊滅の危機を忘却しそうな日本国。いま最優先に目を向けるべき課題は何なのか。日々の報道は情報の垂れ流しに過ぎず、議会制民主主義の中には「現状へ異議あり」の選択肢は見当たらない。

近年、不思議な国際社会が牽引して日本でも「LGBT」なる言葉が流布している。それに関する立法も急速に進んでいるようだ。弱者の権利擁護はよいだろう。だが、それは戦争に向けた軍事費倍増や原発延命・新設のように明日にでも命にかかわる問題であろうか。あるいは文化や歴史に照らして無理はないものか。

この問題についての最先頭と思われる日本共産党に素直な質問を投げかけた。回答してくださった方は誠実ではあったが、こちらが腰を抜かすほど問題の本質に対して鈍感(あるいは無知)であった。以下わたしと「日本共産党ジェンダー平等委員会」の方とのやり取りである。

大学院生リンチ事件加害者人脈にしてColabo熱烈賛同者で共産党支持者の自称フェミニスト・北原みのり

◆LGBTありきの議論への疑問

田所 ジェンダー平等委員会の方に教えていただきたいのですが、共産党が最近重要テーマに掲げていらっしゃるLGBTについて教えていただきたく電話を差し上げました。

共産党 はい。

田所 今LGBT法の制定を目指していらっしゃるということですね。

共産党 LGBT平等法ですね。

田所 LGBTという概念はあらゆるセクシャリティーを認めるということでしょうか。

共産党 性自認とか性指向によって差別されない。

田所 あらゆる性指向によって差別されない。そこなんですが、性的指向というのは、とてもデリケートな問題ではないかと思うんですね。人に告げるようなこともありますが、人に言えないような事柄もあるのではないかと思います。それを含めてすべての性的指向の自由を保証すると。

共産党 性的指向は趣味で選ぶもんじゃない、ということなんですよね。

田所 性的指向は趣味、勝手で選ぶものではない?

共産党 「しこう」というのがたぶん違っているんではないでしょうか。指という字に向かうという字を書くんです。今マジョリティーは異性愛が前提で、世の中が動いていますよね。

田所 はい。

共産党 カップルは男と女だと。だけども中には同性に対して性愛を感じる人たちもいますし、両性に対する場合もありますし。あるいはどこにも向かわないという方々もいると。特に今、性的指向で問題になっているのは同性愛の皆さんです。

同性愛がおかしい、異常だとみなされてばかにされたり差別されたりということが続いてきたわけですよ。そういうのを差別しないで欲しいと。そういう性的指向もあるんだと認めてほしいという声が上がってきて、また制度という点では日本の結婚・婚姻制度が異性婚しか認めていないと。それは憲法に違反するんじゃないか。

個人の尊厳を侵害するということで、裁判が戦われてます。だから性的指向は個人の尊厳の問題としてきちんと尊重する。そういう社会にしてゆこうと目指して今LBGT平等法を進めているのです。

田所 だから異性婚しか認められていない世の中で、同性婚を含めて認めて、というようなことが一番の大きな問題と理解したらいいんですか。

共産党 現実問題として一番差し迫った所ではそうだと思います。

◆「戸籍制度」を残したままの「家族形態の多様化」?

田所 同性婚を認めさせるとことを私も理解できるんですね。同性婚を認めている国はいっぱいあることも知っているのでわかるのですが、それは家族形態の問題にも関わってくることではないでしょうか。

例えば男同士が結婚しても子供が作れませんよね。女性同士でもそうです。子供が欲しい場合はいわゆる養子というかどこかからお子さんをもらってくるという形をとるわけですよね。生物学的に残念ながら男と男、女と女で子供はできないわけですから。

共産党 はい。

田所 同性婚で子供を持った家族形態を求めるのであればそういう方法しかないですよね。少し話はそれますがヘテロのカップルの中でも妊娠ができないとかしにくい方々が「代理母」と言って他の女性に結合卵子を預けて出産をするということもあります。

多分ご存知だと思うんですけれども。性的指向を実現するとそこから家族形態が多様化していくということも、現に同性婚を認めている国では、発展的と捉えればそうですし新たな課題と捉えればそうなのかもしれないんですけれども、たくさん報告はあることはご存知だと思います。そこまで考えると、日本の場合もちろん婚姻制度もそうなんですが「戸籍制度」の方がむしろ大きな弊害で個人を縛っていないかなとも思うのですが共産党の方はどうお考えでしょうか。

共産党 戸籍制度については、そういう見地から将来的に検討がなされる必要があるんじゃないかという見解を、党としては持っているんですけれども……。

田所 「戸籍制度」はまだ将来的な課題? これまで戸籍制度が焦点化されて問題とされたことはなかったですか。

共産党 戸籍制度ですか? まあ選択的夫婦別姓制などが議論されている中では……。

田所 いえいえ「戸籍制度」というのは中国と韓国と日本にしか世界中でない制度です。いわゆる封建的な家制度を守るための制度ということではないのでしょうか。昔の共産党の中で議論になったことはないのでしょうか。

共産党 封建制を支える制度?

田所 日本の封建制度や家制度を支える一つの法的根拠として、律令制と同様に導入されたのが戸籍制度であるという分析があります。共産党的な考え方でなくても、社会学、歴史学の中でも議論がありますが、戸籍制度の問題についてはあまり問題を感じていらっしゃらないということでしょうか。

共産党 共産党がジェンダー平等を掲げたことで、日本の法律に残るジェンダー不平等、家制度の名残を無くしてゆこうという大きな方向性は掲げていますのでね。そういうものの一つに戸籍制度も含まれてくるだろうと。

田所 戸籍制度については将来的に考えられるということですね?

共産党 今すぐ戸籍制度を無くしましょうということを掲げているとかそういう状態ではないということです。

◆「一夫一妻婚」を基本とした「多様な性の指向」?

田所 私が感覚的にわからないので論理的にお尋ねできるかどうかわからないのですけれども、「多様な性の指向」を認めるということですね。

共産党 認めるというより、それは現にあるものですからね。

田所 そこの線引きが私は難しいのではないかと個人的に思っているのです。「多様な性の指向」というのは文字通り多様であって、LGBTというところで示されるものは説明可能でわかる範囲の性指向なんですけれども、性指向の感覚は頭の中と体感の問題ですから、可能性はとても広いと思います。私たちが想像してあまり口にしたくないような指向を持っていらっしゃる方も現にいるのを私は知ってるんですけど、そのような指向も含めて全てを許容するということでしょうか。

共産党 例えば私も質問を受けたことがあるのは、一度に複数の人に恋愛を感じると、それも認めるのか。あるいは小児性愛のようなもの含まれるのかと聞かれたことがありますが、この二つに関してはそれを認めると、それによって著しく人権を侵害したり、尊厳を冒されることが起きてしまうので、いくら「個人の性愛は色々ある」としても、それまで含めて全部認めなければいけないという話ではないですよと。

田所 小児性愛は合意の上ではないですからね。合意の上でないのでなければ明らかに排除しなきゃいけなければいけない。犯罪かもしれません。

共産党 犯罪ですよ。何があろうとこれまでも性的指向の名の下に受け入れよう、などということは絶対に受け入れられない。複数のもね、それは男性一人に対して奥さん2人、3人とか言った場合に女性の側が、不倫というんですか、そういうことで苦しむ人が出てくる話なんで。

田所 だから男の人が浮気をするというイメージのことですかね。

共産党 そうですね。逆でもいいですけど。とりあえず私たちが目指しているのは「一夫一婦婚」というのですかね、そういう制度の中での話です。

田所 そこなんですよ。一夫多妻制はよく聞きますね。でも一妻多夫制も世界にあるわけです。少なくはなりましたが特にアジアにはあるんですね。それは「多様性」の中からは排除しなければいけない概念ですか。

共産党 多様性の中から排除する? だからねー、うーんと。

田所 一夫多妻制の封建性は広く西洋社会でもありますし日本でもあったことです。その封建性が排除されるべきだとお考えなのはわかるのですが、母系家族とか一妻多夫制という社会も世界にはある。それはどう考えお考えでしょうか。

共産党 まあそれは、私は何というかな、日本共産党がこうあるべきだと言える話ではないと思いますのでね。そういう価値判断というのか、歴史の中でね、そこは変わったり発展したりということはあり得るはなしなので。そこまで価値判断をいま、するっていうことはしないですね。懸念されているのはそういう話ですか? (つづく)

暴言の限りを尽くす共産党熱烈支持者にしてゲイのしばき隊員・平野太一(その1)

暴言の限りを尽くす共産党熱烈支持者にしてゲイのしばき隊員・平野太一(その2)

共産党大会で挨拶し同党機関紙「赤旗」に掲載された平野太一。同じ人物の発言か!?

◎日本共産党ジェンダー平等委員会に直撃電話一問一答 LGBT平等法は大丈夫か?
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46514
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46519

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年6月号

4月20日に大阪地裁が下した「押し紙」裁判の判決を解説しよう。前回の記事(「読売新聞『押し紙』裁判〈1〉元店主が敗訴、不可解な裁判官の交代劇、東京地裁から大阪地裁へ野村武範裁判官が異動」)で述べたように、判決は裁判を起こした元店主の請求を棄却し、逆に被告・読売新聞の「反訴」を認めて、元店主に約1000万円の支払いを求める内容だった。

5月1日、元店主は判決を不服として大阪高裁へ控訴した。

この判決を下したのは池上尚子裁判長である。池上裁判長は、カウンター運動のリーダー・李信恵と鹿砦社の裁判に、途中から裁判長として登場して、原告の鹿砦社を敗訴させ、被告・李信恵が起こした「反訴」で鹿砦社に165万円の支払い命令を下した人物である。幸いに高裁は、池上判決の一部誤りを認め、賠償額を110万円(+金利)に減額し、池上裁判長が認定しなかった李信恵らの暴力的言動の最重要部分を事実認定した。(※池上尚子裁判長が関わった鹿砦社対李信恵訴訟に関しては本記事文末の関連記事リンクを参照)

読売「押し紙」裁判の池上判決で最も問題なのは、読売による「押し紙」行為を独禁法違反と認定していながら、さまざまな理由付けをして、損害賠償責任を免責したことである。読売の「反訴」を全面的に認め、元店主の濱中勇志さんに約1000万円の支払いを命じた点である。読売の「押し紙」裁判では、「反訴」されるリスクがあることをアピールしたかったのだろうか。

池上判決のどこに問題があるのか、わたしの見解を公表しておこう。結論を先に言えば、木を見て森を見ない論理で貫かれており、商取引の異常さから環境問題、さらにはジャーナリズムの信用にもかかわる「押し紙」問題の重大さを見落としている点である。評価できる側面もあるが、わたしは公正な判決とは思わない。判決は間違っていると思う。

◆「押し紙」による独禁法違反を認定

既に述べたように判決は読売に「押し紙」があったことを認定した。

たとえば濱中さんがYCの経営をはじめた2012年4月の段階で、読売の社員らは新聞の搬入部数(定数)が1641部で、このうちの760部が残紙であることを濱中さんに知らせた。しかし、濱中さんは、

「新規の新聞購読者を獲得して残紙を有代紙に変えることで対応できるなどと考え、そのことを承知の上で本件販売店の経営を引き継いだ」(24P)。

この事実に基づいて、判決は次のように述べている。

「原告が本件販売店の経営を引き継ぐに当たり、本件販売店の定数にいついては、従前の定数を引き継ぐことを当然の前提とされていたものと推測され、定数に関する原告の自由な判断に基づく意向を反映する形で決定されたものであったとは考え難い」(33P)

つまり池上裁判長は、販売店には注文部数を自由に増減する権利が保障されていなかったと認定したのである。

また読売は、普段から販売店に対して「積み紙」(折込広告の水増しや補助金を目的とした部数の水増し)をしないように指導しており、それが守られない場合は販売店を強制改廃することができた。実際、わたしも「積み紙」を理由に販売店を改廃させられた店主らを知っている。「積み紙」を禁止することで、販売店を拡販活動に追い立てる構図があると言っても過言ではない。

こうした販売政策があるわけだから、濱中さんが「自ら、井田(注:読売の社員)が把握していた実配数の2倍近くの定数で被告に対して新聞を注文するようになったとは考え難」いというのが裁判所の判断だ。そして「被告(注:読売)があらかじめ定めた定数を前提に、(注:濱中さんが)新聞を注文するようになったと考えるのが合理的である」と結論づけた。それをふまえた上で、次のようにこの事実を認定している。(33P)

「以上からすると、被告が、原告に定数を指示して当該部数の新聞を注文させたことが推認され、この推認を覆すに足りる証拠は認められない。」(33P)

池上裁判長は、この行為が独禁法の新聞特殊指定(平成11年告示)の3項2に該当すると判断した。次の条項である。

3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。

二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

以上を前提として、池上裁判長は読売の独禁法違反を次のように認定した。

「前記のとおり、被告の指示した定数は本件販売店の実配数を2倍近く上回るものであったところ、そのような新聞の供給が正常な商慣習に照らして適当と認めるに足りる証拠はなく、被告の従業員も上記定数と実配数に照らして適当と認めるに足りる証拠はなく、被告の従業員も上記定数と実配数との乖離を認識していたのであるから、被告がその指示する部数を原告に注文させたことに正当かつ合理的な理由がないと認められる。また、被告は、上記のとおり実配数を2倍近く上回る部数の新聞を原告に有代で供給している以上、販売業者に不利益を与えたといわざるを得ない」(34P)

「よって、被告には、平成11年告示3項に違反する行為があったといえる。」(34P)

ただし独禁法違反があったと認定した期間は、2012年の引き継時だけで、その他の時期については認定しなかった。

◆損害賠償も公序良俗違反も認めず

さて、独禁法違反を認定したのであれば、それに対して何らかの制裁を課すのが社会の常識である。取引の実態そのものが異常を極め、しかも被害が広告主にも及び、さらには環境問題(資源の無駄づかい)も含んでいるわけだから、社会通念からすれば、少なくとも「押し紙」は明らかに公序良俗違反になるはずだ。

ところが池上裁判長は、読売に対する一切の損害賠償責任を免責にしたのだ。その理由は、濱中さんが補助金などの支給により、大きな経済的損害を受けていなかったうえに、「押し紙」を前提としたビジネスモデルを承知していたからというものだった。

こうした論法が認められるのであれば、たとえば窃盗で得た金銭が1円とか10円とか、少額であれば返済は不要だと言っているに等しい。商取引の通念からすれば、たとえ数字の誤りが1円でもあれば、返済するのが常識である。

さらに残紙により広告主らから不正に広告料を騙し取る行為-折込広告の水増し行為に関しては、池上裁判長は驚くべき見解を述べている。

「被告の行為が広告主や社会一般に対する詐欺に当たるという点については、仮に詐欺に当たると評価されるとしても、原告との関係において直接問題となるものではないから、被告の行為について、直ちに本件契約を公序良俗に反するものであるとするほどの違法性があることを根拠付けるものとはいない」(35P)

「押し紙」により広告主に被害を与えていても、販売店に対する被害は発生していから、公序良俗違反を適用するには及ばないと言っているのだ。巷では、折込広告(広報も含む)の水増しが社会問題になっているのだが。

◆折込広告の水増し問題も直視せず

池上判決が2012年の販売店開業時について、独禁法違反を認定していながら、その他の時期については認定しなかったのは論理の整合性に欠ける。他の時期についても大量の残紙が存在したことは判決で認定したわけだから、同じ「押し紙」を柱とした同じビジネスモデルの下で、商取引が行われたと解釈するのがより整合性があるはずだが、池上裁判長はなぜか2012年の引き継時だけに独禁法違反を限定したのである。木を見て森を見ない論理を露呈した。

◆「押し紙」を柱としたビジネスモデル

さらに判決は、濱中さんがショートメールで「押し紙」を断っていたことを認定しているが、これについてもあれこれと理由を付けて、読売を免責している。

減紙の要求を受け入れない読売に業を煮やした濱中さんは、ショートメールで「押し紙」を減らすように申し入れた。その記録は、裁判所へ提出されている。次のようなやり取りだ。

(社員)「いきなり整理(注:部数を減らすこと)できないので、次回の訪店でお話しましょ!お互いの妥協策をかんがえましょ。俺をとばしたいなら、そうしますか。」(29P)

(社員)「書面出したら、昨日言った通り、全て担当員のせいになります。俺の管理能力が問われるから、部長ではなく、俺が全て責任とらされます。」「明日から会社でるので、部長と相談するな。少し大人しくしててな。おれに一任しておくれ。」(29P)

(濱中)「溝口社長に話し聞いてもらわないと解決しないでしょう。このままでは」(29P)

(社員)「社長にそれをすると、俺が飛ぶって!どばしたかったらやってくれ!」(29P)

(濱中)「紙の整理どうします?」(29P)

これらのメールから「押し紙」制度の中で、社員が上司と販売店の板挟みになっていることが読み取れる。「俺が全て責任とらされ」るとまで言っているのだ。「押し紙」を柱としたビジネスモデルの中で、読売の社員も苦しんでいる様子が読み取れるのである。ある意味では、社員も「押し紙」制度の被害者なのである。

ところが池上裁判長は、メールの文面から、「押し紙」制度の被害が社員にまで及んでいる実態を読み取ることなく、切り捨てているのである。

たとえば、

「①原告は、被告の担当者とメールのやり取りすることもあったにもかかわらず、平成30年3月以前において原告が減紙を申し出る内容のメールを被告の担当者に送信したことを裏付けるメール等の証拠がないこと、②原告は、前記3(5)アのとおり被告の読者センターに対して苦情等を直接伝えるなどしていたのであるから、本件販売店を担当する被告の担当者に対して継続的に減紙を申し出ていたにもかかわらず一向に応じてもらえない状況にあったというのであれば、被告の本社に対して何らかの働き掛けを行うことが想定できるにもかかわらず、原告が被告の本社に直接減紙を求めたような事情が証拠上認められないこと、③前期3(5)オの平成30年4月の原告と梶原とのメールのやり取りには、『いきなり整理できない』などと、原告が急に減紙の話を持ち出したことがうかがわれる内容が含まれること」

などである。

ちなみに社員が記した「いきなり整理できない」という表現は、これまでの「押し紙」を柱とした商慣行を「いきなり」変えることはできないと、解釈するほうが自然だと、わたしは思う。

なお、日経新聞の「押し紙」裁判でも類似した司法判断(京都地裁、2022年)があった。原告の元店主が書面で20回以上も「押し紙」を断っていたにもかかわらず、販売店と新聞社がこれらの書面を前提に販売店と新聞社が話し合ったから、「押し紙」とは認定できないとする内容だった。判決の方向性を最初から新聞社の勝訴に決めているから、「押し紙」の決定的な証拠を突きつけられると、次々とブラックユーモアのような詭弁を持ち出してくるのである。裁判の公平性に疑問が残るのである。

◆控訴審で補助金制度の検証が必要

濱中さんに対して、約1000万円の支払いを命じた件に関しては、補助金の性質を池上裁判長がよく理解していないとしか言いようがない。濱中さんが補助金の架空請求をしていたので、それによって得た額を返済するように命じたのだが、新聞のビジネスモデルの全体像の中で補助金の役割を考える必要がある。

補助金というものは、ビジネスモデルの構図の中でみると、「押し紙」の負担を軽減すると同時にABC部数をかさ上げして、紙面広告の媒体価値を上げる役割がある。濱中さんの販売店には、常時大量の残紙があったわけだから、それに相応した補助金の額も大きかった。
 
読売裁判のケースは再検証する必要があるが、一般論で言えば、新聞社はさまざまな名目を付けて補助金を支給する。昔は、封筒に現金を入れてどんぶり勘定で支給したのである。従って領収書があるとは限らない。新聞社が開き直って販売店に「架空請求をしていた」と言えば、販売店は反論ができない。毎日新聞では、1986年に補助金制度を利用した裏金作りも発覚している。(『毎日新聞百年歴史』)

濱中さんのケースが、一般論に該当するのか、控訴審で再検証する必要がある。

改めて言うまでもなく裁判官には、人を裁くただならぬ特権が付与されている。従って公正な判決を故意に捻じ曲げた場合は、司法界から除籍されるべきだろう。(つづく)

※この裁判では、「押し紙」の定義も重要な争点となったが、若干内容が複雑なうえ、新聞業界と公正取引委員会の「密約」の疑惑も含めて、かなり重大な問題を孕んでいるので日を改めて解説する。「密約」の疑惑は、情報公開請求によってわたしが入手した黒塗り文書で浮上した。この点に関しては、筆者の新刊『新聞と公権力の暗部』(鹿砦社)でも言及している。

《池上尚子裁判長が関わった鹿砦社対李信恵訴訟=関連記事》

【緊急速報!!】「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)関連対李信恵(第2)訴訟、大阪地裁で、またしても驚愕の不当判決!(2021年1月29日)
2・4『暴力・暴言型社会運動の終焉 ── 検証 カウンター大学院生リンチ事件』(紙の爆弾3月号増刊)発行と、1・28対李信恵第2訴訟不当判決について(2021年2月4日)
【対李信恵(第2)訴訟控訴審逆転勝訴に向けて】リンチを容認し暴力にお墨付きを与えた1・28一審判決(大阪地裁)を許してはならない!(2021年2月16日)
【報告】対李信恵訴訟控訴審(大阪高裁第2民事部)、3月22日、「控訴理由書」を提出! 同時に、法曹、言論関係者など31名による「公平、公正、慎重な審理を求める要請書」も提出、逆転勝訴に向け私たちは最後まで諦めない! 第1回弁論は5月25日(火)午前10時から(2021年3月29日)
【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟】速報!対李信恵訴訟控訴審、大阪高裁で一部勝訴判決!素人目にもわかる事実認定の誤りを修正し165万円から110万円に賠償金大幅減額!われわれの闘いは終わらない!(2021年7月28日)
【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈1〉】 対李信恵訴訟控訴審判決について思うこと ── 反差別運動の未来にとって隠蔽や開き直りは許されない!(2021年8月2日)
【カウンター大医学院生リンチ事件対李信恵訴訟控訴審判決余話】大阪高裁判決を受けて鹿砦社特別取材班オンライン会議(2021年8月4日)
【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈2〉】対李信恵訴訟控訴審判決、李信恵がリンチに連座し関与したことを認定したことが最大の成果! 李信恵らによるリンチが「でっち上げ」でないことを証明(2021年8月7日)
【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈3〉】敗北における勝利!──私たちは“名誉ある撤退”の道を選び、上告はしないことにしました(2021年8月11日)
【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈4〉】李信恵さん、反差別運動を後退させないために、リンチに連座し関与したことを認定した大阪高裁判決に従い、心から反省し被害者M君に謝罪してください!(2021年8月18日)

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

4月23日に投開票された統一地方選とともに、注目されていた衆参補選の5選挙区では、自民・維新が占める結果となりました。一方で、東京都練馬区議選で「大量落選」したのが公明党。これまで当選ラインを狙って候補者数を調整し、完璧に近い票の配分をしてきた同党が“コントロールミス”を犯したような格好です。このことで、公明党の選挙手法の一端が垣間見えてくるようでもあります。

 

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年6月号

この選挙で躍進した維新が肝いり事業とするのが「大阪・関西万博」ですが、今どき万博で人々の共通の未来を語ることが可能なのか。東京五輪が阻害した各種業界のマーケティングの「展示会」の方が、よほど有意義なのではないかと思われます。技術革新・消費のサイクルが早まるとともに、企業の平均寿命がどんどん短くなり、転職斡旋会社の宣伝では、人は人生で平均2回は転職するなどとPRしています。少なくとも今流行りのSDGsが利権づくりや一部の人々にとって「サステナブル」でしかないことが明らかとなりつつある現在、それぞれの個人の未来を確保することこそ必要なことです。しかも、大阪・関西万博は土壌汚染や軟弱地盤の問題、それゆえに上がり続ける整備費など、本誌も指摘してきたようにいくつもの問題を抱えています。政府が認可したカジノとともに「金だけ、今だけ、自分だけ」を象徴すると言っても過言ではありません。

解散・総選挙の可能性も取り沙汰されています。“爆発物事件”が暗い影を落とすのは、それが選挙を妨害するからではなく、議論すべき争点をぼかすことにしかならないからで、解散風とともにこの事件が活用されるのではと、マスコミ報道も気になるところ。自公政権におもねるマスコミこそ選挙妨害に加担しているのではないか、との検証こそ必要です。放送法解釈変更問題とは、その観点から論じられるべきものでしょう。事件については与野党が「民主主義の破壊」と非難する一方、容疑者も過去に起こした訴訟の中で、「安倍国葬」の強行を「民主主義への挑戦」と批判していたそうです。後者はともかく前者については、選挙があれば民主主義なのか、ということも、考えなければなりません。

本誌がシリーズ連載でレポートしている多くの冤罪事件をみても、日本社会のシステムが正常に機能していないことは明らか。ついでにいえば、仕事をこなすように犯罪が行なわれる「ルフィ」事件で、長らく誇ってきた治安の良さも、神話となりつつあるようです。さらに、AI技術が人の意思決定を奪うという今月号記事の指摘も重要です。5月号では、G7広島サミットが日米「核共有」、すなわち自衛隊の核ミサイル部隊化の契機となるとの分析を掲載しました。続いて今月号では、“次の戦争”への導火線としてヒロシマが政治利用される、その無惨な現状を明らかにしています。日本ではほとんど報じられないものの、米国覇権・ドル覇権の終わりが見えてきています。その事実が米国に“次の戦争”を求めさせる…それこそが台湾有事で、それに向けて自衛隊への敵基地攻撃能力の付与に加え、「同志国」に軍事的支援を行なう「OSA=政府安全保障能力強化支援」の創設も日本政府は表明。「新しい戦前」を危惧するどころか、“次の戦争”とその準備がいよいよ整いつつあります。

『紙の爆弾』は全国書店で発売中です。ご一読をよろしくお願いいたします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年6月号

3月4日、学習シンポジウム 「市民の声が地域医療を守る」が広島市内で行われました。広島県知事の湯崎英彦さんは、広島県病院、JR病院、中電病院、舟入市民病院(小児救急)などを統廃合し、病床を大幅に削減した上で、広島駅北口に集約することを一方的に発表しています。

主催者で広島民医連会長の 佐々木俊哉代表は開会あいさつで、湯崎知事の病院再編について「男性の医療サイド関係者ばかりで議論した医療機関統廃合案で住民の声が反映されていない。」と指摘しました。

続いて、府中市立北市民病院の独立行政法人化に反対する裁判を闘われた、府中市上下町(じょうげちょう)の黒木整形外科リハビリテーションクリニック院長の黒木秀尚先生から「公立公的病院再編統廃合対策-草の根住民運動による住民自治・民主主義の獲得と「医療を受ける権利の基本法」の制定」と題してご講演いただきました。ご講演からは今の広島が抱えている課題がよく見えてきました、

◆強引に地域を引き裂いて府中市に編入された上下町

 

黒木秀尚=黒木整形外科リハビリテーションクリニック院長

以下は黒木先生のお話しの概要をもとに筆者が再構成したものです。

広島県の無医地区は59あり、北海道に次いで第2位。そうした中で、府中北市民病院はなくてはならない病院です。府中市上下町は2004年4月に府中市に編入されました。

(ちなみにこの直前まで筆者は、県庁職員として、広島県備北地域保健所に勤務し、このあたりの介護や福祉の行政を担当させていただいていました。この合併で、管轄区域から上下町だけ外れたのを鮮明に覚えています。)

上下町はもともと、甲奴町、総領町とともに「甲奴郡」でした。府中市中心部とは26kmもあります。府中市は都市部であり、医療資源も豊富で上下町は90センチも積雪したこともあるくらいの中山間地で医療過疎。まったく府中市とは特性が違います。

日本人の平均寿命が延びた大きな要因としては、昭和20年代の自治体病院の設立、そして、1961年に国民皆保険制度が確立したことが挙げられます。

◆赤字と人口減少理由に府中北市民病院の縮小計画

しかし、府中市は合併後の2007年に赤字と人口減少を理由に府中北市民病院の縮小計画を発表しました。

これは、病院規模を3-4割削減し、常勤医師も7→3名に減らす、直営だったのを独立行政法人化して給料を減らす。療養病床を減らしてなんとサ高住にしてしまう。急性医療をあきらめ、慢性期医療に特化する。

このような地域特性を考えない内容です。

当時は、新自由主義で有名な伊藤吉和市長だったことも影響しています。また、上記の病院リストラは、新自由主義色が濃い2007年12月の総務省の公立病院改革ガイドラインの「突撃隊」ともいえるものです。

そして、2009年には府中地域医療提供体制計画が発表され、旧上下町と旧府中市では距離があるにもかかわらず、府中市全体をひとつの地域とみなし、民間病院に急性期を任せ北市民病院は手術や救急患者の受け入れを止めるというものでした。

これに対して、府中北市民病院の現状維持を求める運動がおこり、2010年12月にシンポジウム、2011年1月には広島県知事に陳情、となります。

そもそも、同病院は全国の同規模の自治体病院の中でも経営は健全な方だったのに伊藤市政が「病院の再生は困難」と決めつけたのは事実と異なっていました。

◆独法化強行で目を覆わんばかりの惨状

そして、伊藤市政は2012年4月に独法化を強行。これにより、救急車の受け入れは困難になり、患者も早期退院を迫られる、マムシにかまれた人も世羅町に搬送せざるを得なくなるなど患者に大きな負担がかかりました。

一方で、医師や看護師の過重労働も深刻化。職員も将来に不安を感じ、退職者も相次ぎました。そして、経営自体も改善しませんでした。むしろ、町営時代よりも医業収支比率は低下してしまいました。

そひとたび独法になってしまうと、住民の声も通らない、市長が政権交代して指導しようにも指導できない、議会の関与も難しいという有様になってしまったのです。要は、独法化とは非民主的な法人になるということです。

黒木先生は、ふるさと上下を愛しておられます。現在も病院を守るための住民運動は続いています。

一貫した要求は
・85床、常勤医師6名
・府中市の直営に戻すこと、
・協議と合意の実現です。

◆独法化取り消し訴訟も棄却

そうした中で、独法化取り消し訴訟を住民は2012年4月30日提起。しかし、2016年、最終的に最高裁でも訴えは棄却されてしまいます。この理由は、日本の医療法・医師法は医療施設や医療従事者への「取締法規」に過ぎず、国の政策に奉仕するものにすぎないからです。だから裁判官も、医療を受ける権利を求める住民の訴えを棄却するのです。

憲法25条はありますが、日本の裁判官は憲法判断を避ける傾向にあります。したがって、やはり法律を作る方が問題解決には手っ取り早いのです。したがって、リスボン宣言のような患者を擁護する立場に立った内田博文全国人権擁護委員連合会会長が提案する「医療を受ける権利に関する医療基本法」を制定しないといけないのです。そして、医療は政治であり、新自由主義から民主主義へ変えていかなければならないのです。

実際、コロナ禍では、特に2020年4月~5月に医療は瀕死状態になりました。この背景には、最近の政府による社会保障費・医療費抑制政策があります。そして13万人もの医師不足が問題です。

◆「人口が減るから整理統廃合」の落とし穴

また、国は、「人口が減るから整理統廃合」という政策を病院でも学校(特に高校)でも進めてきました。

現在は「自治体戦略2040構想」という形で進められています。ところがそれにより、余計に人口が減るということが起きているのです。広島県は、自治体を86から23に減らし、県立高校の統廃合も強力に進めています。その広島県は、人口流出全国ワーストワンです。

広島県(湯崎知事)が進める病院の再編構想も結局は「人口が減るから整理統廃合」路線なのです。

しかし、その「2040構想」の方向で進めばどうなるか? 県内の平成の大合併であったような、市議も出せずに民意も通らないで衰退する周辺地域がさらに拡大・広域化します。そして、外部委託や独立行政法人化で民意を反映する首長や議会の関与も難しくなるのです。

そして、公務員が激減し、非正規ばかりになり、サービス低下、地方自治、住民自治、住民主権が崩壊します。そして、中央集権専制国家、さらなる人口減少、パンデミックや大災害に弱い国になってしまいます。

新自由主義政治から、民主主義への転換。患者を擁護する立場に立った「医療基本法」の制定、草の根住民運動継続による住民自治・地方分権の獲得。これをしっかりやることです。

黒木先生たちの活動は「『医療は政治』 地域医療を守る広島・府中市 草の根住民運動の全記録」として記録されています。

◆新自由主義卒業で人口流出を止めよう

これまでもご紹介しているように、人口流出と新自由主義のスパイラルが起きている広島県。新自由主義から民主主義へ転換することで止めていきたいものです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士 1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。2023年広島県議選にも立候補。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

◆「日本の最大の弱点は、核に対する無知」!?

「日本の最大の弱点は、核に対する無知だ」!

これは「安全保障問題の第一人者」とされる兼原信克元内閣官房副長官補(同志社大学客員教授)が4月15日の読売新聞主催のG7広島サミット開催記念シンポジウムで語った言葉だ。

5月に開催されるG7広島サミットを前に「核に対する無知」を正すための米国による対日“核”世論工作がすでに始まっている。

「核の脅威に対する知識を深め続ける」!

フジTV「プライムニュース」に出演したブラッド・ロバーツ元米国防次官補代理(オバマ政権で核・ミサイル防衛担当)は「核に無知な」日本人にこのように「提言」した。

この「提言」を行ったブラッド氏は、自分の研究所、グローバルリサーチセンターの所長として一つの「報告書」をまとめた。この「報告書」作成に米国人以外の唯一の外国人、高橋杉雄防衛庁防衛研究所室長を参加させた。この一事をとってみてもこの「報告書」が誰のために作られたものかがわかるだろう。

 

プライムニュースの「報告書」写真

一言でいってこの「報告書」は「核に無知」な日本人に「核の脅威に対する知識を深め」させるための「啓蒙の書」だと言える。

題して「第二の核超大国、中国の台頭-アメリカの核抑止戦略への影響」がそれだ。

「報告書」の内容は題名の通り「中国の核の脅威」を説くことと、これに対応する新たな米核抑止戦略について述べたもの。

まずは「ロシアの分析」。

そこではプーチン体制が続けば、ロシアは「核挑発を繰り返す」とし「核兵器への依存を高め、早期使用に頼る可能性が高い」と分析。

要するに、ロシアによる核戦争挑発の危険が高まっていますよという日本人への「警告」だ。

次に中国の「核軍拡」への警鐘。

中国は核大国として今後10年ほどで質量的にアメリカと同等の存在となる。現在の新型ミサイルの大量導入もいまある現実の脅威であること。

核弾頭数でいえば、中ロ合わせて3,000発に対して米国1,500発という不均衡が生じる。これが現在の深刻な「核の脅威」であると「警告」。

だから核戦争挑発のロシアと第二の核超大国、中国に対抗する新たな核抑止戦略として、米国はアジアと西欧の同盟国と協力して抑止力強化の役割分担を新たに定めるべきであること。

これが「報告書」の結論だ。

「プライムニュース」出演のブラッド氏は、特にアジアにおいて日本は「ミサイル防衛」でいちばん大事な同盟国であり、米国と共同で核抑止力を高める責任を負うべきであることを強調した。

この責任を日本に負わせる上で最大のネックになるのが「核に対する無知」な日本人の非核意識だ。だから5月開催のG7サミットで広島から発せられるメッセージは「核に対する無知」な日本人を啓蒙、覚醒させるものになるであろうことは明らかだ。


◎[参考動画]核超大国・中国の脅威と抑止戦略〈前編〉2023/4/17放送

◆「葛藤から逃げずに議論」、これが「広島の声」!?

5月のサミットを前にした4月15日、読売新聞主催のG7広島サミット開催記念シンポジウムが「被爆地」広島で持たれた。

このシンポジウムへのメッセージで川野徳幸・広島大平和センター長は次のように呼びかけた。

「今後、核廃絶の理想と、米国の“核の傘”に守られている現実の隔たりが深刻化するかもしれない。それでも、その葛藤から逃げずに議論するべきだ」

この発言を受けて「葛藤から逃げずに議論」、これが「広島の声」だという形で読売新聞は伝えた。

「広島は核なき世界をかかげるシンボリックなまちで、これまで核抑止論を含む安全保障の問題を正面切って議論することは少なかった」、つまりこれまでは「核廃絶という理想と現実の葛藤となる」核抑止の議論を避けてきた、しかしいまは現実の核の脅威から「逃げずに核抑止を議論」すべきことをこの広島大平和センター長は訴えたのだ。

一言でいって、G7広島サミットを契機に、非核日本のシンボルの地からの訴え、「広島の声」として、「核抑止力強化」の議論を「葛藤から逃げずに」高めていこうということだ。

冒頭で上げた「日本の最大の弱点は、核に対する無知」なる兼原信克発言の意図するもの、それはいまや「核に対する無知」を克服すべき時、「核抑止力強化」を議論すべき時であること、これを「広島の声」として発信していこうということであろう。


◎[参考動画]G7広島サミット開催記念シンポジウム③ 被爆者の声 広島の声

◆「葛藤から逃げずに議論」すべきこととは?

「核に無知」な日本人が「葛藤から逃げずに議論」すべき課題については、すでに上述のブラッド・ロバーツ元米国務次官補代理は語っている。読売新聞の取材に答えたものだ(2月15日付け一面トップ記事)。

「岸田首相は核廃絶という長期目標に向けた現実的なステップを踏みつつ、核兵器が存在する限り核抑止力を効果的に保つというアプローチを明確にすべきだ」と、まず議論の前提を述べた。

その「核抑止力を効果的に保つアプローチ」についてブラッド氏は具体的に二つの課題を提示した。

第一は、「アジアに核兵器が配備されていない核態勢は今日では不十分」だということ。

これは日本の「非核三原則」を見直し、せめて日本への核配備、「核持ち込み」を容認しないと危険なことになりますよという警告だ。ブラッド氏にとっては非核三原則は「核に対する無知」な日本のシンボルなのだろう。

第二は、NATOのような核使用に関する協議システム、「日米核協議の枠組みが必要」だということ。

この「日米核協議の枠組み」と関連して日韓首脳会談開催決定を受けて早速、動き出したものがある。 

読売新聞(3月8日朝刊)は一面トップ記事で米政府が「“核の傘”日米韓協議体」創設を打診していることをワシントン特派員がリークした。そこでは「韓国は有事に備えた核使用の協議に関心を示している」が問題は日本政府だとして岸田首相に「有事に備えた核使用」、すなわち日米「核共有」の議論に踏み込むことを暗に求めている。

これはNATOと同様に米国と日本との「核共有」システム、有事には自衛隊も核使用を可能にする協議システムが必要だということだ。

米国の狙いは、米国の核抑止力の一端を自衛隊に担わせること、自衛隊に核攻撃能力を持たせることだ。具体的には「核共有」実現によって新設された自衛隊スタンドオフミサイル(中距離ミサイル)部隊に核搭載を可能にすることだ。

その先にあるのは米国が対中対決の最前線を担わせる日本の代理“核”戦争国化、「東のウクライナ」化だ。

これがG7広島サミットで発信される「広島の声」、「葛藤から逃げずに議論」する「核抑止力強化」論の帰結だ。


◎[参考動画]G7広島サミット開催記念シンポジウム① ブラッド・ロバーツ元米国務次官補代理の基調講演「緊迫する安全保障環境 米国の核戦略は」

◆「非核の国是」放棄か堅持か、日本の性根が問われる時

読売TV「深層ニュース」出演の兼原信克・元内閣官房副長官補は「核に対する無知」な日本人をこう脅迫した。

「非核の国是を守ることが大切か、国民の命と安全を守ることが大切か、議論すべき時が来た。答は明らかでしょう」

非核の国是を日本の安全保障と対立するものとする「安全保障問題の第一人者」。まるで非核が「核に対する無知」の象徴かのような詭弁、国是の愚弄を許してはならない。国是を愚弄することは日本という国を否定することだ。まさに日本の性根が問われている。 

「核に対する無知」な日本の象徴として被爆地・広島を愚弄するG7広島サミット、そこから開始される「葛藤から逃げずに議論」せよという対日“核”世論工作を許してはいけないと思う。

非核の国是は日本の安全保障と対立するものではない、いや「非核の国是堅持」こそが強固な日本の安全保障であることを明確にすべき時が来た。

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆「原発をとめた裁判長」からの逆質問

過日、福井地裁裁判官時代に高浜原発3、4号機運転差し止めの判決を下した、樋口英明さんにインタビューしている中で、突然逆質問を受けた。

「憲法と法律の違いが分かりますか?」

樋口さんの質問に対してわたしは、「憲法は最高法規であって、国家権力を縛るもの。法律は憲法に従って行政や、国民にかかわる決まりを定めたもの……でしょうか」と歯切れ悪く答えた。

この問いは、法学部出身者にとって、至極容易な問答かもしれないが、法律を勉強したことのないわたしは、恥ずかしながら瞬時に即答できなかった。そんなわたしに、樋口さんは優しく教えて下さった。

「憲法は国が守らなければいけないことを定めたもので、法律は国民が守らなければならないことを定めたものです」

なるほど。端的にご説明頂ければ、その性質を知らないわけではなかった。いや、10年だか20年だか前には、わたしも「憲法は国が守らなければいけないことを定めたもので、法律は国民が守らなければならないことを定めたものです」と一言一句同じではなくとも、同様の回答ができたと思う。なぜ2023年の春、わたしはかつて自明であった「憲法と法律の違い」との基礎的な問いに窮したのか。自己弁護のようだけれども、その理由はわたしの個人的な劣化だけに求められはしないように思う。

◆忘れ去られた憲法順守義務

日本国憲法はまったく文言を変えることなく、泰然としてか肩身を狭い思いをしてかはわからないけれども、われわれの前に依然として鎮座している。

だが注意して観察すると、日本国憲法の鎮座しているさま(様子)は、かつてに比べて如何にも不安げで、落ち着きがなさそうだ。その理由は公務員や国会議員には憲法順守義務(憲法96条)が以下のように明確に記されている、にもかかわらず、現状は「改憲ありき」の議論に日本国憲法が取り巻かれているからではないだろうか。

「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

「国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」はどこに行った? 国会では堂々と改憲論議が推し進められているじゃないか。長年統一教会に支えられてきた自民党は言うに及ばず、創価学会の政治部隊、自称「平和の党」こと公明党、はやく「私たちは自民党と同じです」と本心を開示すればすっきりする、国民民主党や維新。中には少しまともそうな人がいるかもしれないけども、泉をはじめとして大方ダメな、立憲民主党。これらの政党はいずれも改憲審議を進めているじゃないか。

反原発からスタートしたはずなのにいつのまにか「積極財政推進」が政策の中心になってしまい、あろうことか古谷経衡にまでくっついた山本太郎氏がつくった政党(この党名は、反動的過ぎるのでわたしは断固として口にしたり書かない)。かつては社会党として自民党に対して一定の監視、抵抗の意義があったが、気が付いたら福島瑞穂氏以外ほとんどが立憲民主党に引っ越ししてしまった社民党。新自由主義という名の資本主義の暴走に直面しているのに、資本主義への正面から抵抗ではなく、なぜか「ジェンダーフリー」に熱心な日本共産党。どこにも現状に対する本質的な、批判、反論が見出せる国政政党はなく、「われこそは本当の保守」と、どうでもいい「保守争い」に、呆れ関心を失うのは主権の放棄だろうか。

戦前から変わらず、大マスコミはニュース、情報番組、ワイドショーで情報源になどなりようのない、コメンテーターだの御用学者、若手、古手の右翼芸人を次から次へと登場させる。

こんな環境に生れてきたら、体制迎合しか知らない若者が溢れても仕方ないだろうし、若者から現状変革の意思を感じ取るのは、至難の業だ。

◆憲法が規定する「本来の姿」

実体的に「憲法が国を縛るもの」ではなくなって久しい今日、ならば、本来の姿を再確認することから始めなければならないのかもしれない。30年前なら「馬鹿馬鹿しい」と一蹴されたであろうけれども21世紀に入る直前から自民党政治が重ねてきた諸政策、なかんずくどう考えても違憲である「自衛隊の海外派兵」をはじめとする軍事大国化を日々目にしていると、本来の「憲法」像がかすんでしまう。だから憲法が規定する「本来の姿」の再確認は無駄な作業ではない、といえまいか。

PKOに名かりたイラク派兵には名古屋高裁が違憲判決を下した。そのことが人々の記憶の中に生きているだろうか。武器輸出の解禁から集団的自衛権の容認、果ては「敵基地攻撃」という実質上の「先制攻撃」までを閣議決定してしまう今の政治は「憲法」によって最低限の監視の目を向けられているであろうか。視点を変えれば為政者は「憲法」の存在をしかるべく認識、あるいは感知しているだろうか。

わたしは、現在の政府やほとんどの野党、そして行政も「憲法」によって拘束されている、あるいは拘束されなければならない法理をほとんど忘れているか無視しているとしか思えない。

つまり、成文法としての日本国憲法は、依然われわれの前に鎮座しているけれども、シロアリに食い荒らされた美しい木造建築のように、実態は「無憲法状態化」しているのが、今日ではないだろうか。憲法が本来の機能を発揮できなければ、下位の法律も健全ではありえない。もちろん国(政府、司法、行政)も好き勝手し放題。これが今日の現実だと冷厳に凝視しよう。

違憲ではなく、「無憲法」状態の中でわれわれは短くない期間過ごしている。この認識をこそ身に刻んで、もう一度日本国憲法を前文から第百三条まで通読して頂いてはいかがだろうか。きょうは憲法記念日だ。殺伐とした現実と日本国憲法の間には、恐るべき乖離がある。それを気付くことに光明があるのかもしれない。


◎[参考動画]「日本国憲法」全文《CV:古谷徹》

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

佐藤雅彦『もうひとつの憲法読本 新たな自由民権のために』

◎佐藤雅彦著『もうひとつの憲法読本 新たな自由民権のために』
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/484630986X/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000360

山田悦子、弓削達、関屋俊幸、高橋宣光、玉光順正、高田千枝子著『唯言(ゆいごん) 戦後七十年を越えて』

◎山田悦子、弓削達、関屋俊幸、高橋宣光、玉光順正、高田千枝子著
『唯言(ゆいごん) 戦後七十年を越えて』
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846312682/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000562

『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)福島第一原発事故 12年後の想い

「よって原発の運転は許されない」……(龍一郎揮毫)

すこし時間が経ったが、統一地方選・衆参補選の総括をしておきたい。

維新の会と参政党が大躍進。れいわ新選組も躍進。立民党はやや躍進といったところか。自民党は1割近く、公明党も2割ほど議席を減らした。共産党と国民民主党が減り、社民党は半減した。政女党(旧N国)は壊滅した。明らかに政治の流動化が起きているといえよう。

まずはこの結果から分析してみよう。N国党はその名のとおり、NHKの受信料を批判するシングルイッシュー政党として支持を得てきたが、党運営のたび重なるトラブルやガーシー議員の帰国拒否・除名・逮捕令状という流れの中で、支持層から見放されたといえる。

自民と公明の議席減は、そのまま中央政権への批判とみていいだろう。政権批判の受け皿として、維新と参政党の大躍進は右派票。左派の批判票はれいわ新選組へと流れた。

共産党と社民党は、もはや制度疲労ともいうべき退潮である。とくに共産党は19世紀の共産主義組織の旧弊を残したまま、党内闘争の否定(複数反対派幹部の除名)によって、その旧い体質が明らかになった。

シールズ世代が党の中枢において、組織を刷新できるかどうかが共産党の将来にかかっているが、もはやその萌芽すら感じられない。これは実際に古参党員から聴いた話である「若い人が党に参加しない」「運動に参加しても、続かない」「赤旗日曜版(シンパ層向けの版)も減っている」。

社民党も左派市民運動の受け皿のはずだったが、賞味期限の過ぎた福島瑞穂が党首では、将来はないだろう。

国民新党の「ゆ党」的な曖昧さ、リベラルか保守なのかわからない印象は、昔の民社党(同盟)そのものである。この党派も消えゆく運命にあると断言しておきたい。

◆カードとなった世襲批判

ひとつのキーワード、あるいは政治再編のカードともいえるものがある。政治における世襲批判である。

地方選後、自民党は区割り変更の対象のうち、114選挙区で公認候補となる支部長(予定者)を決定した。このうち、父や義父、祖父や義祖父が国会議員、あるいは選挙区内の首長や地方議員だった支部長は、じつに36人に上る(下表)。実に3分の1近くが世襲というありさまなのだ。

この世襲問題が、今後の選挙の争点になるのは必至だ。すでに補選においても、その兆候があらわれた。今回の山口二区である。

ここは早くから、岸信千世がみずからのサイトに「祖父・伯父も偉い政治家だった」とアピールし、政策はないが血筋があるというトンデモ自己紹介が批判を浴びていた。地元では、血筋しかないのだから、そこを大いにアピールしろ! と歓迎されていたものだ。そして民主党政権時代に5期当選の実績がある元法務大臣の平岡秀夫も、そこを強調して世襲批判の流れができた。おおかたの予想どおり、選挙結果は最後まで当落がわからない接戦となった。

衆院山口二区補選の開票結果
岸信千世 61,369票
平岡秀夫 55,601票

朝日新聞が30カ所で出口調査を行ない、計1206人から聴取した結果、43%が「好ましい」、51%が「好ましくない」と答えたという。同選挙区の今回の投票率は、前回から9.2ポイント減の42.41%である。投票率が低いほど力を発揮する、先祖譲りの強固な組織に救われたといえる。もしも50%超えの投票率だったら、勝敗はひっくり返っていただろう。

◆世襲議員批判は、世襲社会批判である

池袋暴走事故のさいに、元官僚で叙勲のある加害者が逮捕されなかったことで、日本には「上級国民」が存在すると批判がひろがった。かつての階級社会から、現在では階層化、貧富の格差となり、それは正規雇用と非正規という厳然たる雇用制度によって分化してきた。

東大生の約60%が世帯年収950万円以上(2018年調査)ということからも、教育原資の違いが学歴差となり、階層の違いを決定づける。閉塞した階層社会のなかで、ガチャ親(親と家庭環境は選べない)という言葉が定着している。

ましてや、地盤(支持者)看板(知名度)カバン(選挙資金)において、圧倒的なアドバンテージのある世襲政治家の存在は、わが国の民主主義を根から腐らせると言っていいだろう。

戦前においても、青雲の志のもとに地方出身の若者が政治に身を投じることはあった。天皇制国家であり、旧公家や士族身分など身分社会にもかかわらず、努力が報われる時代だったからだ。学習も高度にシステム化され、教育原資が大きく格差化された今日、立志伝的な努力はむなしくひびく。社会の代表ともいえる国会議員が世襲では、誰もがやってられないと感じるのではないか。世襲批判こそ、政治の流動化を加速すると指摘しておこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年5月号

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B00BZ6IWE4/

◆どんな歌より若者の歌になった“インターナショナル”

私たちの「日本人村」では日本からの訪朝団をよく迎える。「村」の食堂や市内のレストランで歓迎宴、送別宴をやるが、当時の同世代が来るとき最後に締める歌が“インターナショナル”、これをあの頃のように皆で肩を組んで歌って「ああ~インタナショナ~ル 我~らがもの~」と終わって独特の拍子をつけた拍手で締める、あの頃のように。そうやって歌うと今も気持ちが高揚する。“インター”は我らが世代の歌なのだ。

集会やデモではインター、ワルシャワ労働歌、国際学連の歌、この三つが定番だった。

東大安田講堂死守戦の時、冬空の寒風下で機動隊の催涙弾と放水を浴びながら「砦の上に 我らが世界 築き固めよ 勇ましく」のワルシャワ労働歌の一節そのままに「砦の上に~」が実感を以て胸に迫ってきたものだ。

ロック一筋の私だったが、あの頃はもうボブ・ディランもジミ・ヘンドリックスやピンクフロイドも頭から消えていた。“インターナショナル”がどんな歌よりも若者の歌になった季節だった。いまの若い人には想像もできないことだろうと思うが……


◎[参考動画]「インターナショナル」


◎[参考動画]ワルシャワ労働歌(日本語版)


◎[参考動画]【ロシア語】国際学連の歌 (日本語字幕)

◆初めてのデモで心が震えた

ラリーズを去った後、私は集会やデモに参加するようになった。

初めてのデモはちょっと勇気が必要だった。

デモ前にやる同志社明徳館前集会でのアジテーションを遠巻きにする形で聞き入って、集会後のデモに移るとき「ノンポリ学生」が「遠巻き群衆」からデモ隊列に入るのには気恥ずかしさ、躊躇があった。でも思い切ってデモ隊列に飛び込んだ。渡された赤ヘルメットを被りタオルで覆面すれば「デモ隊一員」になった、それはとても不思議な感覚だった。

今出川通りから河原町交差点に差し掛かって京大からの隊列が合流、デモ隊はふくれあがり、突然、河原町通りを埋め尽くすフランス・デモに移った、立命付近で元のデモ隊列に戻るとき、突然、デモ指揮者は向かいの京都府立医大に逃げ込んだ。道路いっぱいに広がるフランス・デモは違法デモ、逮捕されるからだと後で知った。

同志社明徳館前での学長団交(大学当局との団体交渉)(1971年)

規制に入った機動隊員は想像以上に暴力的だった。足を蹴る、横腹をこづく……女子学生を隊列の中に入れる理由がわかった、端っこの列は暴力を甘受する覚悟が要るのだということ、反抗すれば威力業務妨害で逮捕されることも。「国家権力」への怒りを身体が感じた。

腕組み皆で声を合わせ叫ぶシュプレッヒコール、「アンポ~ フンサイ」! これを何度も唱和するにつれ芽生える仲間感、一体感、そういうものがあることを初めて知った。「ならあっちに行ってやる」以来の私が初めて実感する「仲間」、「連帯」、「団結」に心も身体も熱くなるという感覚、そんな感情が私にあったことが不思議に思えたが、素直に私は嬉しかった。

初めてのデモで私は多くのことを学んだ。ようやく「おかしいと思う現実は変えるべき」「そのためには行動すべき」、社会革命に一歩、足を踏み入れたことを実感した。

初めて角材、ゲバ棒を持ったのは社学同が組織した6・28ASPAC(アジア太平洋閣僚会議)粉砕・御堂筋闘争だった。

この日、社学同拠点校の同志社から8台のバスを連ね約800名もの同志社大生が大阪市大に結集、拍手で迎えられ市大、関大など大阪の学生と合流、そこから大挙して地下鉄で御堂筋に出て広い大通りをゲバ棒と赤ヘルが埋めた。それは壮観だった。

先頭が交番を襲撃、ガラスを砕いた、突然、ワオーッと機動隊が襲いかかってきた。私はてっきり「これからぶつかるのだ」とゲバ棒を身構えた、が、なんと先頭が崩れみんなは逃げ出した、中にはゲバ棒を捨てるものもいる。これにはちょっとがっかりだったが、闘争は深夜まで裏通りでの市街戦になって、投石戦など機動隊との小競り合いが続き、旗を燃やしたり私たちは気炎を上げた。けっこう見物の市民も参戦したりで私は「大衆暴動」というようなものを体感した。けっして学生だけの孤立した闘いじゃないということも。

「ASPAC阻止御堂筋デモに寛刑」(1971年10月8日付け読売新聞夕刊)

東大だけでなく「学生運動不毛の地」と言われていた日大でも全共闘が結成され、党派によらない新しい学生運動が生まれていた。パリではフランス5月革命が燃え盛っていた。

1968年の私は熱い政治の季節の闘いに自分が参加していることを実感できた。

8月に京都でべ平連主催のベトナム反戦国際会議があって、会議後の反戦デモが四条通りの祇園付近に来たとき何ものかが投げた硝酸瓶が私のヘルメットに当たって私の右頬と鼻先が硝酸で焼け、皮膚を焼く異臭と鋭い痛みがあった。付近にいたある学生は背中が焼けただれる重傷を負って病院に運ばれたと後で聞いた。ひりひりする痛みがあったけれど私はデモを続行した。初めてのデモ隊への右翼テロ、初めての負傷を経験した。

その後も秋に伊丹の軍事空港化阻止現地闘争、大阪での大規模な10・21国際反戦デー闘争、また東大闘争支援のため11・22-23安田講堂前全国学生総決起集会に参加、そして翌年1・18-19安田講堂死守戦参加に至る。これは後に触れる。

◆人生に 無駄な ものなど なにひとつない

17歳の無謀な決心「ならあっちに行ってやる」に始まり、二十歳の「跳んでみたいな共同行動」から「裸のラリーズ」結成へ、そして21歳の私がたどり着いたのは社会革命、学生運動。

それはロックと長髪による自分自身の革命、自分を知るための革命を経て「山﨑博昭の死-ジュッパチの衝撃」から社会革命へと連続する私の革命遍歴。それはまるでLike A-Rolling Stone、転がる石ころのような青春遍歴、ある意味「あっちに転がりこっちにぶつかり」の勢い任せ、暗中模索の人生、その当時は自分でもなぜこうなるのかよくわからなかった。

でもボブ・ディラン初恋の人スーズの言う「年齢を経て若い頃の感情や意味、その内容を穏やかに振り返ることができる」年齢になったいま、それは一本の赤い糸でつながるものがあったことがわかる。それは敗戦という急激な変化渦中の日本に生まれた戦後世代特有の体験に基づくものだと、そう思えるようになった

 

『一九七〇年 端境期の時代』(鹿砦社)

私たち「よど号グループ」はここ十年ほどの間に必要に迫られて様々な形で手記を書いてきた。動機は自分たちにかけられた「北朝鮮の工作員」「拉致」疑惑を解く必要性があったからだ。それは自分自身を知る過程でもあった。『拉致疑惑と帰国』(河出書房新社)、『追想にあらず』(講談社エディトリアル)、『一九七〇年-端境期の時代』(鹿砦社)がそれだ。これら手記を書く過程で、これまで記憶の引き出しにしまって置いた個々バラバラの様々な事象、「若い頃の感情や意味、その内容」が自分の人生の中で必然の糸でつながっている、そう思えるようになった。この連載手記、「京都の青春記」もそのようなもの。様々な出来事、出会いがあって今日の私がある、だから残りの人生を自分はどう生きるべきか? それを自己確認する作業でもある。

鹿砦社「今月の言葉」に「人生に 無駄な ものなど なにひとつない」と書に記した龍一郎さんの言葉にはうなづけるものがある。

生まれてこの方、順風満帆の人生だったという人はほぼいないだろう。人生には逸脱も曲折も失敗もある、けれどそれらに「無駄なものなど何ひとつない」、それらがあって現在の自分があるのだから。「失敗は成功の元」-むしろ曲折や失敗は自分の問題点がわかり教訓を得る絶好のチャンスだとさえ言える。もしもそれらが無駄なものと思えるようなら、それは何の更生力もないまま今も漫然と人生を無駄に過ごしていると自ら認めることではないだろうか? でも人間とはそんなもんじゃないと私は信じたい。

龍一郎さんの書「人生に 無駄な ものなど なにひとつない」

◆「人の目を欺いてはいけない」! 戦後日本は「おかしい」から革命すべき対象へ

森羅万象の生起、変化には必ず原因があり、人間の考えや行動、その生起、変化発展には動機、契機、理由が必ずある。

「時空を越える“黒”」で有名なファッション・デザイナー山本耀司、彼の“黒”へのこだわりの原点は、彼の5歳の頃の強烈な体験にあったという。

山本耀司の父親は戦争中、出征途上の輸送船が米軍に撃沈されて戦場に着く前に「戦死」、遺骨も遺品も残らなかった。敗戦後、「元司令官」が「父の戦死」を彼の母親に伝えに来たという。この時、「ケッ!」と5歳の耀司は心の中でツバを吐いた。この時から大人への強烈な怒り、不信感が芽生えたという。戦後、洋裁店経営で家計を支える母を手伝う中、山本耀司はファッション・デザイナーを志した。戦後の日本には欧米から華やかなファッションが流入してきた。そんな時代にデザイナーを志した自分の心構えを彼はこう語った。

「飾り立てるのがファッションかもしれないが、人の目を欺いてはいけない」

軍国主義日本から民主主義日本へと華やかな「転換」を遂げた戦後日本、でも「人の目を欺いてはいけない」-これが“黒”へのこだわり、「時空を越える“黒”」ファッション、山本耀司の立ち位置なのだろう。


◎[参考動画]YOHJI YAMAMOTO pour homme S/S2023

私には山本耀司のような強烈な体験はないが、「人の目を欺いてはいけない」という彼の言葉は、同じ戦後世代としてストンと胸に落ちる。

日本の敗戦から2年、1947年2月生まれの私は、米軍占領下で軍国主義日本から民主主義日本に急転換する混沌とした時期に生まれ少年期を過ごした世代だ。大人たちの頭も時勢の急激な変化についていけなかった時代だった。

私が物心のついた頃、いまも鮮明な記憶に残っている出来事があった。たしか小学5年の頃だ。

授業の合間にある教師が自分の軍隊体験を語り出した。それは中国人捕虜を使って刺殺訓練をやった話だった。

「いいか、刺した銃剣を抜くときはくるっと回転させて抜くんだ」とその教師は「銃剣刺殺要領」を私たち小学生に何の悪気もなく語った。

子供心にも何か違和感を覚えた。でも小学5年生にそれが何かはわかるはずもなかった。いまも鮮明に覚えているということはかなり「衝撃的な体験」だったのだろう。

その教師はといえば、自主的に壁新聞を作るように生徒たちを指導した「戦後民主主義教育のリーダー」的存在だった人だ。私もクラスの壁新聞に家で購読していた毎日小学生新聞を参考にソ連のライカ犬搭載の人工衛星、ガガーリン少佐の有人衛星の世界初成功などの記事を書いた。生徒任せの壁新聞作りは自由でとても面白かった。私にとって「いい先生」だった教師だけに、あの日の授業中に覚えた違和感はいつまでも心に残る衝撃的な体験だったのだと思う。

教師にしてみれば、当時の中国人捕虜は「反日分子=犯罪者」であり、「刺殺」対象として何の呵責も感じない「日本の敵」、刺殺は日本軍兵士として当然の行為だったのだろう。だから生徒たちにも悪びれもせず話せたのだと思う。

中学の社会科で日本史を教えた教師はただただ黒板に年表を書き連ねるだけ、そんな授業をやった。いま思えば、おそらく皇国史観から戦後民主主義史観への激変についていけなかったのだろう、あるいはそれへの「抵抗運動」? おかげで日本史は私のつまらない、嫌いな科目になった。 

大人達の頭の中でも軍国主義の脱却も民主主義の消化も不十分なまま両者が何の矛盾もなく混在していた。

私の父は実直な勤王家で軍服姿の昭和天皇夫妻の写真が戦後も客間に飾ってあったし、戦後すぐの昭和天皇の全国行幸時も「お召し列車」が通過するというので幼い私を連れて線路脇で最敬礼をした。明治生まれの父は戦争末期に徴兵検査を受け丙種不合格、それで徴用工としてコンデンサー工場に動員されあの戦争を生き延びた。戦場から帰れなかった同世代へのひけめ、罪悪感のようなものがあったのだろう。父は息子に何も語らなかった。

一方、母は私に「日本はアメリカに負けてよかったんだよ」と話した。母の兄、醤油醸造業の実家の跡取り息子はビルマ(現在のミュンマー)で戦死、結果として母は自分の長女、私の姉を「将来、婿養子をとって家業を継ぐ」養女として母の実家に差し出さざるをえなかった。そんな母の二重の悲しみがそんな言葉を吐き出させたのだろう。

一家庭の中にも軍国主義日本と民主主義日本が混在、併存する、これが戦後日本のおかしな実相だった。

私自身も記録映画に出てくる特攻隊出撃シーンに「海ゆかば」のメロディが流れると感動で涙がにじんだ。他方で私は姉の聴いていたアメリカン・ポップスの世界に惹かれていた。戦後世代の私の頭の中も混沌としていた。

60年代に入ると世は高度経済成長時代、東京オリンピックで高速道路や新幹線ができ、次は大阪万博へ、テレビ+洗濯機+冷蔵庫の「三種の神器」が家庭の夢となり、一戸建てマイホームを持つことがサラリーマンの夢になった。昼間の日本は「アメリカに追いつき追い越せ」に浮かれていた。

小学校のすぐ横に「忠魂碑」という出征兵士を祀る石塔を囲む小さな森があった。でもそこはアベックが変なことをやるところだから子供は近寄ってはいけないと言われた。「忠魂碑+男女アベック=近寄ってはいけない忠魂碑」-みんな敗戦など忘れてしまったかのような「明るい日本」の象徴??

高校生の頃、ケネディ暗殺があってその暗殺犯がまた警察署内でピストル射殺されて大統領暗殺事件は闇の中に。米国南部の黒人は白人専用の食堂やバスは利用できず、その掟を破れば暴力を受けたたき出されていた。黒人公民権運動の活動家が南部で殺される事件もあった。

少年期に憧れたアメリカは「追いつき追い越す」ほどのものじゃなくなった。

羨ましかったアメリカ中産階級のホームドラマや甘いアメリカンポップ音楽は色あせて、英国の港町リヴァプール労働者階級の息子たちの不良っぽいロックバンド、ビートルズへと私の関心は移った。

ベトナム戦争の激化は「戦後日本はおかしい」をさらに深く考えさせるものだった。憲法9条平和国家の日本は戦争をしない国になったと学校で教わった、でも在日米軍基地はこの戦争の基地になっている、日本は戦争加担国家になった、日米安保のために……。

「ならあっちに行ってやる」と進学校、受験勉強からドロップアウトを決めた17歳の無謀な決心、それは昼間の日本への違和感、「戦後日本はどこかおかしい」── 私の無意識の意識の爆発だったのだろうと思う。

そして「ジュッパチの衝撃」で「戦後日本」は革命すべき対象になった、漠然とだがそう私に意識されたのは確かだ。

◆“True Colors”── あなたの色はきっと輝く

熱い政治の季節の渦中に飛び込んだ私ではあるが、1968年の私はまだ五里霧中にあった。

集会やデモもいつも個人参加、まだ政治を知らず組織に属さない人間が政治活動を続けるのはやはり不自然なことだった。政治を議論する仲間、政治活動を教え、次の集会やデモの意義を教えてくれる組織を持たない人間は「野次馬」以上にはなれない。『朝日ジャーナル』や『現代の眼』といった政治雑誌を読むくらいの私はそんなものだった。

4回生にもなった学生は活動家の政治オルグの対象にならない、ましてやヒッピー風の長髪人間は対象外だろう。かといって自分で訪ねていくことも気が引けた、社学同に入る理由も話せない、まだ「敷居は高い」まま。

ある時、前日のデモで使用したヘルメットを返しに学友会・自治会室を訪ねたことがある。活動家たちはあっけにとられたことだろう。ぽかんとした顔を向けただけ、ヘルメットを返しに自治会室を訪ねる学生なんてやはり「変な奴」なのだ。たぶん私は「声をかけられる」ことを内心、期待したのかもしれない。

当時の私は中途半端な位置にいる自分に焦れていた。一言でいって志と孤独の間を揺れていた。どうしようもない非力さを痛感する日々、依拠すべき同志も組織もないというのは致命的だった。

そんな苦闘中のある日、バイト帰りの河原町正面・市電停留所で「あら~Bちゃん! 久しぶり~」と声をかけられた。見ると以前、私の常連バイト先で事務員をやっていた菫(すみれ)ちゃん(仮名)だった。

「Bちゃん」というのは「ビートルズ」を略した愛称、バイト職場で職人のおっちゃんたちが親愛を込めて呼んだ私のニックネーム、菫ちゃんは昼食時間にバイトの私にもお茶を煎れてくれたりしてた、たった一輪の「職場の花」だった子。一緒に市電に乗ってお互いの近況を話した。一年ほど前に職場を辞めた菫ちゃん、いまは木屋町にある喫茶店で働いているのだとかで「一度来てみて~」と私に言った。

それからはデモ帰りなどに彼女の喫茶店に立ち寄るようになった。デモが終われば所属組織毎に集まって総括したり集団で帰路に就いたりしたが、私には行くところがなかった。そんな孤独を抱える私には恰好の「帰る所」になった彼女の喫茶店、顔馴染みがいるというだけで癒された。

仕事中のウェートレス、菫ちゃんとはそれほど話はできなかったが、ある時、彼女が演劇をやっていることを知った。

京都のある劇団に所属し、いまは若手研究生の菫ちゃんは演劇女優をめざす「俳優の卵」。劇団に通う時間を得るために喫茶店のバイトに切り替え事務員定職を捨てた菫ちゃん、いまは厳しいけど絶対、舞台女優になるんだと楽しそうに意気込みを語ってくれた。地味な事務員服姿からはうかがい知れなかった彼女のアナザーサイド、「へ~え、そうなんや」! ちょっとした驚き、彼女がまぶしく見えた。

菫ちゃんにそんな大きな夢があったんや! なんか感動した。

年末には大きな演劇イベントがあってその舞台でいい役に抜擢されることがいまの彼女の目標らしかった。彼女は「俳優の卵」、なら私はさしずめ「革命家の卵」、なにか急に二人の距離感がぐっと縮まった。まだ何ものでもない「卵」たち、けれど懸命に孵化をめざす「卵」同士、お互い頑張ろうね! そんな感じの二つの魂の接近。

「Bちゃんはアホやなあ」! 

これは菫ちゃんのお言葉。

4回生にもなって就職活動もしない長髪大学生、組織にも属さないのにデモや集会に参加するという私を菫ちゃんは、「Bちゃんはアホやなあ」と言った。同志社大卒男子なら就職先は選り取りみどり、高卒女子の彼女からすれば羨ましい身分、でもそれに背を向けて自分がどうなるかもわからない政治活動をやってる私は「ほんまアホやなあ」ということ。

でもそれは菫ちゃん式の誉め言葉。

長髪人間の私だが、遊び人だとかいい加減な大学生でないことは職場での私の働きぶりで彼女は知っている。彼女もいた私のバイト先は矢野洋行、「貸し物屋」という京都特有のイベント業者、京都三大祭り行事準備や和装展示会、生け花展示会ほか様々なイベント用資材を貸し出し設営もする仕事、私は古都独特のそんな仕事が好きだった。だから学生バイトとはいえ仕事は真面目にやって一応精通した。だから社長の父親、会長の爺ちゃんからは「いつでも来てエエで」と重宝がられ、会社は準社員並みに扱ってくれた。職場での「Bちゃん」の愛称はその賜物、会長も私をそう呼んだ、そのことを菫ちゃんは知っている。

そして「俳優の卵」苦闘中の彼女は夢や志に向かう青春がなめる苦も味わう楽も知っている菫ちゃん。

“TRUE COLORS”というシンディ・ローパーのヒット曲がある。

 悲しそうな目ね

 弱気にならないでほしいの

 難しいよね

 自分らしく生きるって

 …………

 true colors /あなたの本当の色は

 are beautiful /美しい

 like a rainbow / 虹のよう

まるで菫ちゃんが歌ってくれてるような言葉の並ぶ“TRUE COLORS”!

彼女の「アホやなあ」、それは「あなたの本当の色は美しい」-“that’s why I love you”「私の大好きな色」という有り難いお言葉。

もしおかしくなって 耐えられなかったら 私を呼んで すぐ行くから

おかしくなりそうなとき、“you call me up”-いつでも“私を呼んで”、Bちゃんがいつでも訪ねられる人、”because you know I’ll be there”-“すぐ行くから”と私に安心、自信をくれる菫ちゃん。

「アホやなあ」と言いながら、いつしかデモで破れたジーンズを繕ってくれたりするようになった。私は菫ちゃんが次の大舞台でいい役がとれますようにと祈った。

「革命家の卵」と「俳優の卵」、まだ何ものでもない孵化を競い合う「卵」同士、その大きな夢と志はこの先どうなるのかはわからない。でもかまわない、とにかく前に進もう!

「あなたの色はきっと輝く」、そのことを互いに信じて……(つづく)


◎[参考動画]Cyndi Lauper – True Colors (from Live…At Last)

《若林盛亮》ロックと革命 in 京都 1964-1970
〈01〉ビートルズ「抱きしめたい」17歳の革命
〈02〉「しあんくれ~る」-ニーナ・シモンの取り持つ奇妙な出会い
〈03〉仁奈(にな)詩手帖 ─「跳んでみたいな」共同行動
〈04〉10・8羽田闘争「山﨑博昭の死」の衝撃
〈05〉裸のラリーズ、それは「ジュッパチの衝撃」の化学融合
〈06〉裸のラリーズ ”yodo-go-a-go-go”── 愛することと信じることは……
〈07〉“インターナショナル“+”True Colors”= あなたの色はきっと輝く

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

「深呼吸して、今の「政治」を語り合う 広島の政治を良くするつどい」が統一地方選挙を前にした3月12日、「新しい広島市長を誕生させる会」の主催でありました。「誕生させる会」は、広島の政治、とくに松井市長による暴走を憂慮した市民が、対抗馬を擁立するために集まった団体です。しかし、手を上げる人がおらず、結局、団体独自の候補擁立は断念しました。

しかしそれでも、目前に迫った統一地方選挙を前に、広島の政治を少しでもよくしなければならない。そのために集まって市民の声を市長選、県議選、市議選候補らにぶつけていく。そういう方向で進むことになったものです。その第一段階として、今回、市政や県政のいろいろな課題に取り組む方が意見を述べ合うことになりました。

◆「図書館のあり方」に反する「にぎわい」重視の松井市長

 

松井市長の暴走が続くエールエールA館への広島市中央図書館移設問題に取り組む学校の先生は「図書館は1地方図書館ではなく世界のヒロシマの図書館だ」。「中央図書館は現在地にあるからこそ平和の発信力がある」と強調。

この問題に取り組むもうひと方もエールエール館移転について情報公開を求めたら真っ黒の文書が出てきた、と呆れました。またそもそも、「にぎわい」を市長は強調するがこれは図書館のあり方と違うと指摘しました。

◆「はだしのゲン」削除問題

ついで、教科書ネットワークの岸直人さんからは、市教委の暴走が続く、「はだしのゲン」問題について、議事録に「誤解を懸念する」意見は出ているが「はだしのゲンを止めて他に変えたほうがいい」という結論は出ていないことが明らかにされました。「議論されないまま削除するのはおかしい。」と岸さんは怒ります。

その後も、中学校教材の第五福竜丸が削除されたり、高校教材での中沢啓治さんの被爆体験の核心部分はごっそり削除されたりするなどの市教委の暴走が続いています。

そして、中学校では第五福竜丸の代わりにオバマ来広時の写真、被爆二世のインタビューが取り上げられていています。

「原爆被害の悲惨さを伝える内容から、アメリカと一緒にすすむことが大事というメッセージに変わった」「戦争の加害や差別性を批判する力を育てない平和教育になっている。

◆法改正背景に教育長独裁進む

官製談合事件を中心に広島の教育行政について今谷賢ニさんが報告。既報の通り、平川教育長は自分自身については、給料の3割2ヶ月自主返納、現部長の課長級職員に処分をしました。

1.教育長が親密なNPO法人に事業丸投げしたこと。
2.調査費用に三千万円をかけたこと。
3.タクシー費用を一年間100万円以上も使っていたこと。

これらについて、今谷さんは監査請求を行いました。

また、広島市立中央図書館に関する議論は、文教委員会でされていたのが総務委員会でされています。これは法律改正によるもので、首長の意向がストレートに図書館行政にも反映されるようになりました。

そもそも、教育長も昔は教育委員長の部下でした。ところが、安倍晋三さんによる地方教育行政法改正により、教育長がすべての権限を持っており、教育長に対しては首長しか処分ができないようになっています。

そして、教育大綱は首長がつくることになっており教育基本法の理念を活かす余地はなくなっているそうです。

「はだしのゲン」の削除についても実は教育委員会が平和教材を押し付けるのが問題、と今谷さんは指摘します。平和教育というのは、本来は教育実践をしながら改訂するものであり、それを一方的にやるのが大きな問題である。知事や市長言いなりの教育行政が問題だと力を込めました。

また、広島市では、プールも壊れたら修理せずバスで麓の学校に入りに行くが、ほとんど水に入る時間がないそうです。「市教委はこれまで指導要領を守れと言ってきたがあれは何だったのか」と今谷さんは呆れました。

◆センター方式給食強行で暴走、シングルマザーにも冷たい広島市

学校給食の無償化に取り組む新日本婦人の会からは、「広島市は10年後に5ブロックでセンター方式にしたい意向だ」と嘆きます。その上で、「給食無償化は41億円あればできる。」と自校式での無料給食の実現を訴えました。

◆住まい失った親子に冷たすぎる広島市政

子どもの貧困化については反貧困ネットワーク広島から報告がありました。同ネットワークではシェルター支援をされています。今日まで、2000人の利用者がおられます。これまでは二十代~四十代男性が解雇と同時に住まいを失ったケースが多かったのです。しかし、ここのところ、DVから逃げた母子や高齢者も増えています。労働政策の見直しや社会保障の充実が必要、と担当者は強調します。

シェルター利用者の中には中学生が親代わりに手続きなどしている家庭があります。しかし、住所が定まらないと広島市の場合は行政サービスにつながらないのです。「広島市はシングルマザーに冷たすぎる。」と担当者は憤ります。

◆広島の都市づくりは「わや」

「広島の都市づくりは「わや」(広島弁で無茶苦茶、という意味)じゃ」。

二葉山トンネルを考える市民の会の越智俊二さんは断じます。二葉山トンネルは現在、工事が中断し、2020年完成予定がのびのびになりました。費用も爆増しています。トンネル掘るカッターが故障しまくりです。そして不可解な事業費増額も相次ぎました。当初の87億どころか345億円まで工事費は増額しています。

そして、大林組主導のJVも壊れやすいカッターをわざわざ使っており、施工管理委員会で誰も問題にしない状況です。その委員は、陥没事故を起こした外環道の委員と同じでした。

シールドマシンは騒音規制の対象ではないため、住民は迷惑しています。そして、団地で異常隆起しても委員会は上のことに感知しないという、無責任な状態です。そして有料道路は本来40年間で無料化のはずが92年後に無料化先延ばしになっており、踏んだり蹴ったりです。

一方、安佐南区の上安産廃処分場では盛り土崩落しました。汚染水も出ています。この盛り土は2021年7月に崩壊して多数の犠牲者を出した熱海の盛り土よりも大きな盛り土で、段切せず滑りやすいものです。

しかも、耐震基準は水平振動のみ対象でたったの140ガルです。しかも地震動は山地形では増幅されやすく盛り土上部ではよく揺れます。豪雨にも弱いのです。

◆野党内でも「自民幕府」に阿る人たちを打倒する「高杉晋作」を!筆者強調

筆者も、手を上げて発言を求めました。

筆者は「高杉晋作は、どうやって幕府を倒したか?まず、長州藩の中で、幕府に阿る人たち、すなわち俗論派を絵堂・大田の戦いで打倒し、その上で討幕に向かった。」

「広島においては、自民、公明は言うに及ばず、立憲民主党も知事や市長に阿っている。野党の中でも自民党幕府に阿る人たちを打倒する高杉晋作のような人間が必要だ。自民、公明、立憲を打倒する高杉晋作のような人の登場を一人でも多く望む」と、檄を飛ばしました。

うなずく出席者も多くおられましたが、シーンとなってしまいました。それでもあとから何人かから「よく言ってくれた」というおほめをいただきました。

◆サミット翼賛体制だ!

田村和之・広島大学名誉教授からはまとめのコメントをいただきました。

今の広島の政治は「G7広島サミット翼賛体制になっている。法的な根拠もなく、市民の行動を制限している。」と指摘しています。実際に、サミット期間中は、宮島の観光を制限するなど、市民生活には多くの影響が出ます。

田村名誉教授は、このサミットに伴う行動規制について、「ねらい・効果は現在の体制を肯定し、無批判に従う風潮を拡大するもの。」と憤ります。

そして、広島の政治の特徴としては中央官僚出身の首長ばかりがトップを占めていることです。

湯崎県知事 通産省、自公民推薦
松井広島市長 厚労省 自公民推薦
枝広福山市長 財務省 自立公民推薦。

中央政府の政策を忠実に実施し、県民・市民福祉を軽視しているという点で共通しています。そのうち、湯崎知事は四期目でやりたい放題であり、松井市長は開発行政に邁進しています。そして、議会が全く機能しておらず、知事・市長の翼賛機関だ、と糾弾しました。

平和行政についても、2021年6月、日本国憲法が登場しない【平和推進基本条例】ができてしまいました。この条例では、核兵器禁止条約の締結・批准も求めません。

「県民・市民は各分野ではよく取り組んでいるがそれらの力が一つになっていない。各課題についての認識が共有できていない。また、労働運動も生活課題に取り組むべき。」などと指摘しました。

◆リニューアルできるか? 広島の政治

今回の集いでも、また、筆者が政治活動で接する自民党支持者含む多くの広島県民・市民が広島の政治に不満を持っていることは実感しています。

問題は、それが、4月9日執行の広島市長選挙、広島県議会議員選挙、広島市議会議員選挙の結果に反映されるかどうかでした。

広島市長選挙については無投票の雰囲気もありましたが、共産党新人の高見あつみさん、そして無所属の大山ひろしさんが相次ぎ立候補を表明しました。正直、松井市長を打倒するところまではいかずとも、論戦が盛り上がり、過去は圧勝しまくりだった現職の松井さんを少しでも追い上げられれば、少しは市政も引き締まると思われました。ただ、結果は松井さんが8割近い得票で再選されました。

また、市長の暴走に待ったをかけられなかった市議会の自民多数派、公明、立憲の現職議員。

また知事や教育長をここまで増長させた県議会の同じく自民、公明、立憲の現職議員。

そうした人たちを市民・県民が一人でも多く打倒できるか? も焦点でした。自民党は後退したものの、県議会では河井陣営からお金をもらった方も当選されていますし、組織をバックにした人の強さが目立ちました。筆者自身も県議選に参加し、終盤では、組織の力に跳ね返されてしまいました。組織中心、お金中心の広島の政治の在り方をリニューアルする先頭にあきらめずに立ち続けます。

市議会では、中央では自民よりも新自由主義寄りの維新が3議席を新たに獲得しました。実は維新でも個々人では筆者の知人でリベラルな本音をよく存じている方も多いのですが、松井市政に対してどういう動きをされるのか? 一市民として注視してまいります。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士 1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。2023年広島県議選にも立候補。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

月刊『紙の爆弾』2023年5月号

« 次の記事を読む前の記事を読む »