エスカレートする新聞人による政界工作、何が問題なのか? 黒薮哲哉

新聞業界の業界紙『新聞情報』(2023年3月8日付け)が、日販協政治連盟(日本新聞販売協会の政治団体)の新理事長に就任した深瀬和雄氏の集会での発言を紹介している。その内容は、同政治連盟が、内閣府や政界との交渉を通じて、業界の利益を誘導する方向で動いていることを示している。図らずも政界・官界と新聞業界の関係を露呈している。

重要部分を引用しておこう。

 日販協政治連盟設立の目的は、業界に必要な政治活動の実施だが、平成8(1996)年4月に発足して以来、27年にわたり自民、公明両党の新聞販売懇話会所属の議員を中心に、新聞販売業界との連携強化が図られていることは、ご承知と存じる。また、縦の系統会に対し、業界を横につないだ日本新聞販売協会は、内閣府認定の公共活動を推進している。

 一方、本同盟は、行政府に対し再違反制度と特殊指定の重要性周知と、新聞業界にかかわる政策要望が目的だ。最近(のテーマ)は、消費税軽減税率の適用問題だったが、それらを伏せ、国政選挙を応援することが目的なので、全国の会員の声をしっかりと聞き、それを衆参両院議員にお伝えし、国政の場に反映させ、販売店の皆さんが働きやすい経営環境作りにつなげることが、最大の事業理念だと認識を深めた。

出典:株式会社弥生

新聞に対する消費税の優遇措置や再販制度を堅持するために、政界と親密な関係を構築する方向で活動していることを自ら認めているのである。言葉をかえると新聞業界の経済的な繁栄を政治家の手に委ねているのだ。当然、こうした関係の下で、公権力機関と一線を画した報道ができるのかという致命的な疑問が浮上してくる。

◆「中川先生に恩返しをする機会が近づいております。」

日販協が政治活動に着手したのは、1980年代の後半である。国際的な規制緩和の流れの中で、日本でも構造改革の中で再販制度を撤廃する動きが浮上してきた。これに危機感を抱いた新聞業界が政界への接近をはかる。とはいえ新聞社はジャーナリズム企業であるから、表立った政界工作はできない。そこで政界工作の実働部隊として乗り出してきたのが、日販協だった。それを受けて、中川秀直議員(元日経新聞記者)や水野清(元NHK)といった議員が、自民党新聞販売懇話会を設立した。

中川秀直議員(当時)、出典:wikipedia

1990年代に入ると、日販協会は「1円募金」と呼ばれる方法で販売店から政治献金を集めるようになった。献金の割り当て額は、新聞1部に付き1円である。従って例えば3000部を配達している販売店であれば、3000円の献金となる。4000部を配達している販売店であれば、4000円の割り当てとなる。

政治献金の送り先は、経理資料としては残っていないが、それを示唆する記事はある。たとえば1993年5月31日付けの『日販協月報』は、当時の郡司辰之助会長の次の発言を掲載している。

中川先生に自民党新聞販売懇話会をつくっていただき、同時に代表幹事として奔走いただいたおかげて我々の希望や願いがようやく聞き届けられるようになったわけです。現在、業界は多くの難題を抱えております。(略)事業税の特例措置は、手数料の増額や本社の補助金ではまかない切れない程の恩恵を全国の販売店にもたらしておりますが、これも中川先生のお力によるものと言っても過言ではありません。その中川先生に恩返しをする機会が近づいております。

その後、日販協の政治活動は、新たに設立された日販協政治連盟へ引き継がれる。同政治連盟に対して、政治献金を提供してきた事実は、政治資金収支報告書にも記録されている。公然の事実である。

次に示すのは、2021年度の献金実態である。       

◎[参考記事]新聞業界から政界へ政治献金598万円、103人の政治家へばら撒き、21年度の政治資金収支報告書で判明 

◆メディアコントロールの構図

新聞業界が政界工作と縁が切れない最大の理由は、再販制度や消費税の優遇措置の殺生権を政界が握っているからにほかならない。逆説的に考えれば、公権力機関は新聞社の経営上の弱点に着目すれば、暗黙のうちに紙面内容をコントロールすることができる。

このような構図の中で、新聞記者がいくら士気を高めても、志を正しても、公権力にメスを入れる報道は期待できない。ほんのちょっと批判することはできても、取材対象に留めを指すことはできない。

新聞の紙面内容をいくら批判しても、新聞関係者が公権力機関との癒着を断たない限り問題は解決しない。ジャーナリズムの没落は、実は単純な構図なのだ。しかし、この点はタブー視されているので、誰もタッチしない。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ〈9〉 森 奈津子

2018年9月18日、特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」掲載の「新潮45」10月号が発売されたが、それをきっかけに健全な議論が始まることはなく、メディアは「新潮45」叩きに終始した。

しばき隊界隈の反差別チンピラがオラつき、マスコミがそれに加担し、政治家や知識人や文化人までが無知蒙昧な大衆と化して新潮社をバッシング。それはまさに、しばき隊界隈に「成功体験を与える」という愚行でもあった。

出版業界で生計を立てる文筆家までがしばき隊に同調したわけだが、彼らは「杉田論文」を読んでいないか、あるいは、読んでも理解できなかったかのどちらかだ。筆で飯を食う身でありながら、なんという体たらく!

しばき隊発の扇動の証拠

そんな中、しばき隊界隈のオラつきゲイ活動家・平野太一氏がまた、「#0925新潮45編集部包囲」なるハッシュタグを作り、デモを呼びかけた。「新潮45編集部包囲」とあるが、実質的には新潮社そのものをターゲットにした政治的行動であり、いやがらせだ。彼がツイートで「(デモの)場所こちら」とリンクしているのは、当時の新潮社公式サイトの求人を含む会社情報のページだ(ウェブ魚拓・https://archive.md/iM6pv)。

新潮社に対する遠回しな恫喝では?

あえて「包囲」という表現を使ったのも、新潮社の社屋を包囲できるほどの人数を集められるというイメージを狙ったものだろう。セコい……(苦笑)。

あいかわらず、やることが陰湿で呆れる。これを見た新潮社の社員は、自分たちだけでなく社屋を訪れたすべての人(作家等のクリエイター、取引先企業の社員、その他の出入り業者)にまで危害が及ぶ可能性があると、不安になったことだろう。

平野太一氏らしばき隊系の活動家は、名前も顔もわからない相手が突然襲ってくる恐怖を、巧みに利用してきた。その事実を世間の方々が把握済みで、彼らがまさに「反差別チンピラ」であることもご存じなら、「新潮45騒動」であそこまで支持を集めることはできなかっただろう。あのような輩を「兵隊」として便利に使ってきた共産党、立憲民主党、社会民主党はいつまで知らんぷりするつもりか。彼らとズブズブの関係の大手マスコミは、いつになったら反省するのか。

ネットも含めた騒動の背後にはしばき隊と呼ばれる運動体があることと、その界隈の活動家がまさに「反差別チンピラ」である事実を把握していた者は、私を含め、この騒ぎを批判した。だが、大手マスコミも加担している扇動の前には、瀕死の虫けらほどの影響もなかった。

あのとき、まさに、新潮社バッシングはピークを迎えていた。尾辻かな子氏のデマツイート(と、あえて呼ばせていただく)から、こんな大騒ぎになったのだから、恐ろしい。大衆とはいとも簡単に扇動できるのだということが、小学生でもこの事例から容易に学びとれることだろう。しばき隊に煽られた人々は、関東大震災直後に「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」との流言飛語に惑わされて無辜の朝鮮人を虐殺した暴徒と同じだ。

ある意味、権威にすり寄るツイート

そんな、まさに四面楚歌の中では、新潮社社員に日和る者が出てきても無理ないことだろう。そして、その「日和る者」が、例の新潮社出版部文芸のツイッターアカウント(@Shincho_Bungei)担当者であった。

この人物は、「新潮45」10月号発売日の9月18日夜、新潮社批判のツイートをリツイートで拡散し、作家等の文筆家やマスコミから、やんややんやの喝采を浴びる。しかし、彼(もしくは彼女)は上司に叱られでもしたのか、RT(リツイート)を取り消し。ところが、そのことで新潮社にまた批判が集まったことから、世間に支持されているのは自分のほうであると確信できたのか、19日午前、新潮社創業者・佐藤義亮の言葉をツイートした。

良心に背く出版は、殺されてもせぬ事(佐藤義亮)
2018年9月19日午前10:46
https://twitter.com/Shincho_Bungei/status/1042228284119953408

続けて、ふたたび、批判ツイートのRTを始めたのである。

私は、この新潮社出版部文芸アカウントの運営担当者がだれであったかは知らないし、今後も知ることはないだろう。会社勤めの編集者ならば、異動もある。現在の担当者も別の人物である可能性が高い。

読者諸氏も同様に、そのツイートをした新潮社社員がだれであるは把握することもないだろうから、私はここで存分に批判させていただく。

まず、新潮社社員であるのなら「新潮45」掲載の杉田論文を読んでないということは、ないだろう。ならば、尾辻かな子氏のツイートが悪意ある要約、悪く言えばデマであったことは、把握していたはずだ。

もし、杉田論文を読んでいなかったのなら、大手出版社の社員にあるまじき怠惰な愚か者であるし、理解できなかったのなら、やはり大手出版社の社員にあるまじき読解力の欠如である。なお、大手出版社の編集者は概して高学歴であり、さらに優秀な頭脳の持ち主であるのが常だ。

はっきり指摘させていただけば、この担当者は杉田論文を読んでいたし、理解できた。悪いのは尾辻かな子氏であり、扇動したマスコミであり、扇動された大衆であると、把握していた。なのに、大衆に迎合し、新潮社批判の暴徒の群れに加わったのだ。

なぜか? 一人でこの四面楚歌から逃れたかったからだ。すなわち、短絡的な小心者。一度はリツートを取り消したことからも、流されやすい気弱な性格がうかがえる。あてこすり的に佐藤義亮の言葉を持ち出したのも、マスコミや文筆業の面々が自分のほうについてくれていると解釈したゆえであり、一人で闘う勇気は持ち合わせないのだろう。まあ、デマと扇動から生じた味方など、かりそめの味方でしかないが。

そもそも、杉田論文も読まずに批判した、もしくは読んでも理解できなかった愚かな方々に応援されて、うれしいか? 出版社社員が? うれしかったのなら、まったくもって、おめでたいことだ。

しかも、やったことは、自分の言葉を使って語ることではなく、創業者の言葉をツイートしたほかは、作家や評論家、ライターのツイートのRTに終始。新潮社の幹部でさえ逆らえない商売相手を盾にしたというわけだ。

さらに、だ。19日のうちに完全にRTをやめたのは、情けなさの上塗りではないのか。上司から叱られたか? あるいは、当該アカウントの運営を外されたか?

上司から叱られたぐらいで引き下がったのなら、最初から一人で正義ぶって自社を批判しなければよい。あの大批判の嵐の中、他の新潮社社員はじっと耐え、沈黙を貫いていたのだ。

アカウント運営担当を外されたのだったら、今度は個人のアカウントで新潮社批判を続ければよい。だが、しなかった。できなかったのだ。自分の名前を出して発言する勇気など、最初から最後までなかったということだ。

ゆえに、自分の名を出して生計を立てている文筆業の者たちの新潮社批判ツイートをRTし、最後まで彼らの背後に隠れていた。なにからなにまでやることが半端だ。だからこそ、精神的オナニー止まりなのだ。

私はそのような者を「腰抜けの卑怯者」と呼ぶ。しかし、この行為を、マスコミ各社は称賛した。

たとえば、こんな調子だ。

◆朝日新聞
新潮社公式アカが批判リツイート 「杉田論文」特集に
https://www.asahi.com/articles/ASL9M4RNNL9MUCVL00R.html

◆ハフポスト日本版
新潮社公式アカウントが「新潮45」批判を怒涛の公式リツイート 「中の人がんばって」の声援寄せられる  泉谷由梨子
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/18/shincho45_a_23531748/?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004

◆BUSINESS INSIDER
杉田水脈発言擁護は言論の自由ではない── 新潮社を作家や他社も批判、購買や仕入れ中止の動きも 竹内郁子(編集部)
https://www.businessinsider.jp/post-175622

これらの記事を執筆した者は、①杉田論文を読んではいないアホ、②杉田論文を読んだが理解できなかったアホ、③杉田論文を理解できたが、理解できないふりをして集団リンチに加わったアホ、のいずれかなのだろう。すなわち、どう転んでもアホ。嘆かわしい。

新潮社出版部文芸のツイート、リツイートは、ツイッターのサードパーティ・アプリ「ツイログ」にいまだに残っている。このたび、私はこれらデジタル・タトゥーを採取させていただいた。

新潮社出版部文芸ツイログ https://twilog.org/Shincho_Bungei/date-180919

新潮社批判ツイートをした知識人やクリエイターの中には、私の友人や尊敬する知人が何人もいる。個人的には本当に本当に心苦しいかぎりだが、大義のためである。心を鬼にし、ここでスクショを公開する。
 私が大好きな皆様、尊敬する皆様、許してください。私も辛いです……。

デジタル・タトゥー・コレクション。新潮社出版部文芸がRTしなければ、こんなふうに簡単にまとめて採取されることはなかっただろう

(つづく)

◎[過去記事リンク]LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40264
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40475
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40621
〈4〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40755
〈5〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40896
〈6〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44619
〈7〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45895
〈8〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45957
〈9〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46210
〈10〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46259
〈11=最終回〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46274

 

▼森奈津子(もり・なつこ)

作家。立教大学法学部卒。90年代半ばよりバイセクシュアルであることを公言し、同性愛をテーマにSFや官能小説、ファンタジー、ホラーを執筆。『西城秀樹のおかげです』『からくりアンモラル』で日本SF大賞にノミネート。他に『姫百合たちの放課後』『耽美なわしら』『先輩と私』『スーパー乙女大戦』『夢見るレンタル・ドール』等の著書がある。
◎ツイッターID: @MORI_Natsuko https://twitter.com/MORI_Natsuko

◎LGBTの運動にも深く関わり、今では「日本のANTIFA」とも呼ばれるしばき隊/カウンター界隈について、LGBT当事者の私が語った記事(全6回)です。
今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

《4月のことば》故郷の桜は…… 鹿砦社代表 松岡利康

《4月のことば》故郷の桜は……(鹿砦社カレンダー2023より。龍一郎揮毫)

4月になりました。───
1月(去ぬ)、2月(逃げる)、3月(去る)、あっというまに過ぎました。
季節は春ですが、私たちの気持ちにはまだ春到来とは言えません。

福島原発事故でいまだ多くの方々が故郷を離れることを余儀なくされました。
この季節になるといつも12年ものあいだ故郷を離れて生活しておられる方々のことに胸が痛くなります。

私たちにとっても年々望郷意識が募ります。
若い頃は一日一刻も早く「こんな田舎を離れたい」と思っていましたが、今は少年時代を過ごした故郷の日々が懐かしく想起されます。

私たちは、思い立てばいつでも帰郷できますが、被災地福島(特に立ち入り禁止区域やゴーストタウン化した区域)の方々はそうではありません。

いつも思うのですが、大学の後輩で書家の龍一郎が書く「故郷」の文字は、力強くもあり、それでいてなにか物悲しさを感じさせます。

今年は桜も少し早く咲き、早く散りそうです。

目を外に向ければウクライナ戦争は終息の目処が立たず、国内ではコロナもまだ終息せず物価も上がり続けています。明るさばかりではない今年の春です。

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年4月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)

ロックと革命 in 京都 1964-1970〈06〉裸のラリーズ ”yodo-go-a-go-go”── 愛することと信じることは…… 若林盛亮

◆「裸のラリーズ」脱退

1968年の5月頃、私はバンドを辞めることを水谷、中村に告げた。「同志社学館での出会い ── ジュッパチの衝撃の化学融合」から約半年が経っていた。

それは中村の高校の同窓というドラムの加藤君が入って練習場も桂の彼の家に移った頃、「裸のラリーズ」がミュージシャンとしての本格活動に入る時期でもあった。

その頃、学生運動は佐世保闘争の高揚を経て東大医学部闘争の激化から東大卒業式は祝典中止に追い込まれ、後に東大全共闘結成に至る。中国は文化大革命の真っ最中、パリでは世界を揺るがすフランス五月革命の胎動が始まっていた。

1968年という熱い政治の季節の開始を告げる時期、私は居ても起ってもおれない気持ちだった。

私はミュージシャンとなること、ベースギター練習に打ち込むモチベーションを持てなくなっていた。このままでは本格的にバンド活動を開始するみんなに迷惑をかけるだけ、私は脱退の意を水谷、中村に告げた。彼らは私の意を理解し、それを快く受け入れてくれた。彼らも心に「革命のヘルメット」を宿す人間だった。

辞める時、水谷が「それ僕にくれないかなあ」と言っていた私のお宝、細身の五つボタン、黒のコーデュロイ上着をプレゼントした。ベース・ギターもバンドに譲った。それらは政治転進の私には不要のものだった。

こんな風にミュージシャンとして何の貢献もないまま私は「裸のラリーズ」を去った。

その後の私はデモや政治集会に参加、組織に属さない孤独にもがく日々が続いたが1969年1月の東大安田講堂死守戦で逮捕、起訴後の拘留を経て秋に保釈後、ようやく赤軍派に加入、翌年3・31「よど号ハイジャック闘争」で渡朝に至る。このことは別途、触れるとしてその後のラリーズとの関わりについて少し書いておこうと思う。

2019年、誰知ることもなく逝った水谷孝、その死はHP「Takashi MIZUTANI 1948-2019」の立ち上げで皆が知ることとなった。‘90年代初頭の活動停止後、どこで何をしていたのか、家庭を持ったのかどうかさえ世間で知る人はいない。「裸のラリーズ」だけを遺して神秘に包まれたままこの世からふっと消えた水谷、実に水谷的な人生全うの仕方だ。彼は自分のことを全く語らなかった人だが水谷亡き今、私の知る彼のことを少しでも書き残しておきたいと思う。

◆脱退後、そして「よど号」渡朝後の「水谷と私」

バンドを脱退してからも水谷、中村らとは会えば「やあ、どうしてる」という関係は続いた。

ある日、「ゴールデンカップスにゲバルトをかけよう」との水谷からの召集令状を受けた。相手は秋の同志社学園祭に出演するゴールデンカップス、学生会館ホールでやる前座がそのゲバルト舞台ということだった。

私は誰かにハモニカを借りて出演、黒セーターに黒ジーンズ、赤い布きれをネクタイ風に首に巻き付けた「左翼」スタイル、そして自衛隊の戦闘靴で決めた。この時、琵琶を持って参戦という変わり者がいたが久保田真琴(夕焼け楽団)だったように思う。例によって事前練習も打ち合わせもない「裸のラリーズ」式ぶっつけ本番、私は水谷の即興的な唸るギターに合わせハモニカを延々吹きまくった。文字通りのアドリブ。いつ終わるか果てしもない即興演奏、どう終わったかも記憶にない。

「ゴールデンカップスにゲバルトをかける」 ─ きれいなお決まり音のグループサウンズ撃破の轟音とアドリブ演奏 ─ 自分たちの音楽理念で挑む! これが水谷式のゲバルトだ。ホールの聴衆はあっけにとられたことだろう。ゴールデンカップスが兜を脱いだかどうかは知らないが、前座をわきまえない果てしのない轟音アドリブ演奏はさぞかし「迷惑」ではあっただろう。

「裸のラリーズ」公式アルバムの“’67-’69 Studio Et Live ”の最初に収録の“Smokin’ Cigarette Blues”という曲がある、あれが学園祭でのゲバルト出演、アドリブ演奏であろうとほぼ確信している。この曲を聴くと騒音の背後で唸っているハモニカ風の音が私の記憶の中の感覚、水谷の轟音ギターに応じイメージが膨らむままに吹いていたあの即興感覚が蘇る。水谷が精選したたった3枚の公式音源、その一曲にラリーズの原点、「オリジナルメンバーによる唯一のもの」としてこれを入れてくれたのだとしたら、それは私への水谷なりの「義」なんだろうと勝手に感謝している。いまは確かめる術はないが……


◎[参考動画]Les Rallizes Dénudés – Smokin’Cigarette Blues (Live)

その後は激化一途の政治闘争の渦中にあって水谷、中村らと会う機会はなく、「裸のラリーズ」も私の頭からは消えていった。

渡朝後のピョンヤンで「その後のラリーズ」を知ったのは‘79年の『ぴあ』11月号に掲載されたイベント紹介記事、青山ベルコモンズ「裸のラリーズコンサート」。告知にはサングラスの水谷の写真が! 「おお、まだやってんだ」とアングラバンドとして生き残ってたことが正直嬉しかった。その時は「まあ、細々とやってんだろうな」くらいの感覚だった。

二度目は‘90年代初期? ピョンヤンで会ったテリー伊藤と一緒に訪朝の前衛漫画家・根本敬さんから「幻の名盤」なんとかで「裸のラリーズ」テープ、“’67-’69 Studio Et Live”をプレゼントされたこと。この時も「アングラの名盤に入ってんだ」、そこそこ健闘してるじゃないか程度の認識だった。

そんな私の認識を大きく変えたのは、2000年代に入ってのピョンヤンでの英労働党EU議員、Glyn Fordとの出会い。彼から「貴方達の中にギターやってた人がいるよねえ」と言われて、もしかして私のこと? 日本でバンドやってたことがあると話すと、彼から“Les Rallizes Dénudés”じゃない? 「実は自分の友人にファンがいる」と聞かされた。

これには正直、驚いた。「へえ~、海外にまでファンがいるんだ!」 ── 世界的バンドになったのか! これは仰天の事実だった。以降、G.Fordとは訪朝の度に会うようになり、ネオナチ反対運動をやってる彼の友人、「裸のラリーズ」ファンの依頼ということで私のサインを送ったりするようになった。G.Ford自身はローリング・ストーンズ愛好家、東大留学経験で宇井純とも親交あったという私とほぼ同世代、英プレミア・サッカー同好の士でもある。

[左]Glyn Ford英労働党EU議員(当時)とピョンヤン市内のイタリアン・レストランで会食。[右]随行カメラマンのクリシニコーヴァさん(2009年)
 
LadyGaga“LES RALLIZES……”

世界的支持者といえば、あのレディ・ガガが“Les Rallizes Dénudés”ロゴ入りTシャツ写真姿を彼女のインスタグラムに掲載、知人から送られたその数枚を見たがとてもカッコよかった。超ビッグなレディ・ガガを惚れさせた水谷の凄さを見せつけられた思いだった。

訪朝した雨宮処稟さんからも「ラリーズ初代ベーシストですよね」と言われた。彼女の著書の中にプレカリアートの一人が「部屋を閉め切って布団を被って轟音ラリーズを聴く」話があった。“生きづらい”若者には「救いの轟音」なのだとラリーズの功績を再認識させられた。

労働者ユニオン代表だった小林蓮実さん、派遣で働く彼女の友人にもラリーズ支持者がいるとも聞いた。

2010年代にFさんという「裸のラリーズ」熱烈支持者の女性から手紙やメールでラリーズの詳しい情報を得られるようになり、彼女からの「ロック画報」No.25特集号で「その後のラリーズ」の全貌をほぼつかめ、「水谷の偉業」を知ることになった。そのFさんは‘13年に表参道付近にある「Galaxy ── 銀河系」で「裸のラリーズ・ナイト」を主催、私がメッセージを送ることになった。根本敬×湯浅学対論も持たれ、21世紀に入っても冷めやらぬラリーズ支持者の熱気を感じたものだ。

こうした人々との交流の中で「ラリーズ」公式音源、映像ほか“yodo-go-a-go-go”など非公式音源も入手、ピョンヤンにいる私の中に時間と空間を越えて「裸のラリーズ」が蘇った。

結成50周年の2017年秋には、椎野礼仁さんの仲介でBuzz-Feed Japan、神庭亮介記者の電話取材を受け、私のラリーズ体験を語ったが、それはネット配信されけっこう反響があったと神庭記者から伝え聞いた。

結成50年を経て取材が来る、活動停止後20余年も経たバンドの記事を待つ熱狂的支持者がいる。布団を被ってラリーズを聴くプレカリアートの若者がいる。レディ・ガガがロゴ入りTシャツ姿をインスタグラムに載せる。「裸のラリーズ」サポーターは百人百様だが、バンドは彼らの胸に永遠に生きている。

それもこれも水谷孝のなせる業、偉業だと痛感させられる。

「誰のものでもない自分だけのものを」! そんなバンド「裸のラリーズ」を水谷はこの世に産み遺していったのだ。

◆“yodo-go-a-go-go” ── 愛することと信じることは……

 
”yodo-go-a-go-go”ジャケットに記された「溺れる飛べない鳥は……」の日本語表記と謎のローマ字表記

英国製海賊版とされるアルバム“yodo-go-a-go-go”、でもこれには水谷が関与していると言われている。私は「水谷の関与」を確信している。

確信の根拠は、まずアルバム・タイトルに“yodo-go”を選んだこと、またジャケット写真に「よど号ハイジャック」を想起させる「煙が上がる駐機中の飛行機」を配したことだ。「よど号」メンバーがオリジナルメンバーにいたことは知られているが、わざわざ“yodo-go”タイトルの海賊版を創る物好きはいないだろう。

それにこのアルバムには私が参加したであろう演奏“Smokin’ Cigarette Blues”が収録されていることも水谷の関与を臭わせるものだ。

私が何より「水谷の関与」を確信するのは、アルバムの裏ジャケットに記された「謎のメッセージ」にある。

日本語表記には「溺れる飛べない鳥は水羽が必要」と記されているが、小さなローマ字表記ではそれが“Oboreru Tobenai Tori wa MIZUTANI ga Hitsuyo”と「水羽」を“MIZUTANI”に置き換えてある。これは水谷らしい謎かけだ。

私はこれを「溺れる飛べない鳥」には「水谷」という「水羽」が必要、と解釈している。つまり「溺れる飛べない鳥」のために「水谷」は在る、飛べるかも知れないし飛べないかも知れない、でもせめて溺れないように「水羽」くらいは提供することはできる。それが水谷の「裸のラリーズ」、「飛べない鳥のための革命」なのだ、と。

「愛することと信じることはちがう」、これは水谷の歌詞に出てくる言葉だ。「おまえの言葉の中に愛を探したことは いつのことだった!」とか「いまではおまえを信じることはできない」そして「僕の腕の中におまえは死んでいる」、そんな歌詞をいろんな楽曲で水谷が歌っている。

歌詞によく出てくる「おまえ」は「革命」を指すと評した人がいる。

1969年から‘70年年初冬に同志社放送部のスタジオで収録されたCD“MIZUTANI/ Les Rallizes Dénudés”には轟音ノイズのこのバンドには珍しいフォークっぽい美しくも悲しみをたたえたメロディに乗せて上記のような歌詞がいろんな曲で歌われている。


◎[参考動画]Les Rallizes Dénudés – 記憶は遠い(愛することと信じることはちがう)


◎[参考動画]Les Rallizes Dénudés – Otherwise My Conviction

このアルバム収録時のことをギター参加の久保田真琴が「ロック画報」(ラリーズ特集号)で語っている。少し長いがその頃の水谷を知る上で重要な当事者証言だから引用する。聞き手は、ラリーズ・ファンでもある音楽評論家の湯浅学。

久保田 もう、学校もぐしゃぐしゃな時代でロックアウトされてたんだけど、キャンパスでバタっと出会ってね。……それで、聞いたら、まあ、「つかれちゃった」と。たぶん、学生運動のことでいろいろあったんだろうと思うんだけどね。

湯浅  ……・

久保田 う~ん……だからよど号の事件はいつだっけ?

湯浅  70年の3月31日です。

久保田 ええ~、そうなんだ。じゃあ、もう、よど号が行く前にいったん解散してたんだ。

湯浅  みたいですね。そのあたりに分かれ目がどうもあったらしくて。

久保田 だから、彼はやっぱりミュージシャンを選んだんだな。まあ、そういうことですよ。そう……そうか、私はなんか、頭の中では、あの録音はもう、よど号が行っちゃった後っていうイメージがあったんだけど、違うんだね。

 
水谷の歌うマイクスタンドの前に「赤軍派」のヘルメットがぶら下がってる。場所は京大西部講堂か?

同志社での“MIZUTANI/ Les Rallizes Dénudés”収録直前の1969年は1月の東大安田講堂落城以降、全国の大学のバリケードは警察機動隊によって解体され、拠点を失った学生運動は混迷期に入る。立命全共闘だった『二十歳の原点』の高野悦子さんなど多くの自殺者が出た年でもある。混迷突破をめぐる党派内部の混乱もあって1968年にはあれほど熱かった政治の季節、革命の前途は一転してうすら寒くも暗澹となりゆく時期、しかし余熱はくすぶっていた。

赤軍派はそんな余熱を革命の熱気に換えようという組織だった。ある公演舞台(京大西部講堂?)で水谷の歌うマイクスタンドの前に「赤軍派」のヘルメットがぶら下がってる写真があるが、彼が心を寄せていた可能性はある。でも赤軍派拠点だった同志社キャンパスは久保田の言うように「ぐしゃぐしゃな時代」、水谷に何があったか知る由もないが「つかれちゃった」という状況にあったのだろう。私はこの年のほとんどを安田講堂逮捕後の獄中にあって現場を知らない。

1969年の京都、水谷周辺の時代の空気感、それが水谷の歌う「愛することと信じることはちがう」という季節感なのだろうと私流に解釈している。

それは私にもある程度、想像はできるあの時代のひりひりした空気感だ。

案の定、時代は「連合赤軍の同志粛正」、「中核・革マル戦争」のように新左翼諸党派の「内ゲバ殺人」へと流れていった。革命は何のため? 誰のため? を忘れた革命、党派利害第一、党利党略に翻弄され「いまではおまえを信じることができない」革命に堕ちて行く。

「僕の腕の中にお前(革命)は死んでいる」 ── 水谷はミュージシャンとして「溺れる飛べない鳥のための革命」を自分の使命とし、「裸のラリーズ」で水谷の革命をやる、そう心に決めたのだ。

雨宮処稟さんの著書に出てくる「布団を被ってラリーズの轟音を聴く」プレカリアートの若者は、そんな水谷の言う「溺れる飛べない鳥」の一人なのだろう。

「愛することと信じることはちがう」、それは革命とは言えない。「愛することと信じることは同じ」と言える革命はきっとあるはずだ。あきらめずに地面を掘り続ければ、必ず水は出てくる、私もあの時代を生きた一人、今もそれを追求途上にある。

だから私は“yodo-go-a-go-go”裏ジャケットに記された謎かけのようなメッセージを私に対する水谷の決意表明だと受けとめ、ならば私は私の革命を続ける責任があると肝に銘じる。

「裸のラリーズ」の楽曲で私のイチ推しは“yodo-go-a-go-go”所収の名曲“Enter The Mirror”だ。“’77 LIVE”にも同曲があるが断然こちらがいい、私にとっては珠玉の名曲、「私の裸のラリーズ」だ。

この“Enter The Mirror”を聴きながら「愛することと信じることは同じ」革命を追求する責任が自分にはあるのだということを私は忘れないようにしている。

「鏡よ鏡 天国でいちばんカッコイイのは誰? それは“裸のラリーズ”」 ── 天国にあってもそんな水谷孝であろうことを確信しながら……


◎[参考動画]Les Rallizes Dénudés – Enter the Mirror

P.S.

“Enter The Mirror”にまつわるお話しとして……

水谷との関連でぜひ触れねばならないが収まりどころがないので「追記」にそれを書く。

「オルフェ」という1950年代の古いフランス映画がある。詩人ジャン・コクトーの創った映画だ。私には珠玉の名曲”Enter The Mirror”はこの映画を想起させる。

死より恐ろしい刑罰に美しく毅然と!“死神の女王”(映画「オルフェ」より)

鏡の外は現実の人間世界、鏡の中に入ればそこは「死者の世界」、「死に神の女王」は「鏡の外」の世界の詩人を愛してしまう、それは「鏡の中の世界」では許されない御法度とされる行為、しかし「鏡の中」の法廷で「死に神の女王」は詩人への愛を否定せず自分の愛を貫く、そして「死より恐ろしい刑罰」の待つ刑場へと向かう、毅然と美しく! 

コクトーの詩を好んだとされる水谷、“Enter The Mirror”は「死に神の女王」を意識した楽曲、私は勝手にそう解釈している。私は水谷がこの「死に神の女王」に自分を重ね合わせているのではないかと思えて仕方がない。(つづく)


◎[参考動画]ORPHEE / ORPHEUS (1950) with subtitles

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』

遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る

◆日本の新聞がおかしいと感じた瞬間

黒薮 思い出すことがあります。日本の新聞がおかしいと最初に思ったのは、20代の終わりです。わたしは20代の大半を海外で暮らしたのですが、日本に帰って東京でアパートに入った、その日に驚くべき体験をしました。ドアを開けると、拡販員がいきなり洗剤を押し付けて「新聞を取ってくれ」と言ってきたのです。こうした新聞拡販を知らなかったので、「これで新聞記者の人は平気なのかな」と思いました。これが日本の新聞はどこかおかしいと感じた最初です。

田所 そこから黒薮さんはライフワークの「押し紙」の取材にとりかかられたのですか。

 
黒薮哲哉さん

黒薮 東京で普通の会社に就職したんです。そこに2年くらい居ましたがバブル崩壊で会社が潰れたので、それからメキシコで、メキシコ日産の通訳をした後、日本に戻り新聞業界の業界紙に入りました。「押し紙」に関わりだしたのはそれからです。

田所 新聞業界の業界紙だから、ど真ん中にいらっしゃった。内部事情が分かりますね。

黒薮 業界団体の中で不正経理事件があって、それを調べようとしたら業界紙の社長さんらがみんなで、「これは取材してはいけない」と決めてしまいました。そこで「それはおかしいのではないか」と言っていたら、クビになったんです。

田所 解雇ですか。

黒薮 解雇されたんです。解雇される前は私の仕事机だけを壁に向けておかれたりしました。

田所 精神的に追い詰める嫌がらせですね。

黒薮 事件を取材して発表したわけではありません。取材しようと少し動き始めただけでした。しかし、解雇されたのでフリーになりました。

田所 それくらい強固にアンタッチャブルな聖域なんですね。黒薮さんが読売新聞から訴えられたのは何年でしたか。

黒薮 2009年です。その時には既に「押し紙」関係の書籍も書いていました。

◆「押し紙」問題追及の先達たち

田所 本格的に「押し紙」の問題を書き始めたのはいつ頃でしたか。

黒薮 最初に記事を書いたのは1997年です。

田所 黒薮さん以前に「押し紙」問題を取り上げているジャーナリストはいましたか。

黒薮 1970年代に清水勝人さんという人がいました。これはペンネームで噂によると大新聞の販売局の人ではないかと言われています。この人が「押し紙」問題を暴いたことがあるのです。月刊誌に書いていたほか現代評論社から『新聞の秘密』という本を出しています。

清水さんが早い段階から「押し紙」問題を暴いているのですが、まったく見向きもされず、完全に無視された感じです。私も「押し紙」問題をかなり深く取材してから清水さんの存在を知ったくらいです。

それから次に、1980年代から沢田治さんという滋賀県の新聞販売店の労働組合の人が中心になって、「押し紙」問題を指摘しました。国会でも80年から85年までに16回にわたって質問がなされています。沢田さんが国会議員に資料を提供していたのです。

国会質問により「押し紙」問題は、解決するかと思いましたが、85年に質問が終了した頃は、景気が非常によくなっていて、販売店も「押し紙」があっても経営が行き詰まることはなく、「押し紙」についての議論がなされなくなりました。次にそれを始めたのが私です。

田所 ちなみに80年代の国会質問はどの党でしたか。

黒薮 超党派です。社会党、共産党、公明党です。

田所 では、野党超党派の質問ですね。

黒薮 超党派でいいところまで追及してくれました。

田所 今はむしろ与党内に地方議員ですが、黒薮さんの理解者がいますね。

黒薮 小坪慎也さんという福岡県行橋市の市会議員です。2020年佐賀地裁で佐賀新聞の「押し紙」を認定する判決が下りました。その時に取り上げたのはどちらかといえば右派系のネットのメディアでした。「押し紙」問題は、なぜか左派系のメディアもタブー視します。何を恐れているのでしょうね。

◆販売店にノルマ部数を強要する「押し紙」

田所 「押し紙」をご存知ない方々にどうして「押し紙」が問題なのか教えて下さい。

黒薮 「押し紙」は簡単にいえば新聞販売店のノルマ部数です。たとえばある販売店の新聞購読者が1000人だったとすると、1000部と若干の予備紙があれば充分なわけです。ところが1000部で十分に足りているのに無理やり1500部を販売店に押し付ける。この場合、500部がほぼ「押し紙」ということです。

 
田所敏夫さん

田所 販売店は新聞社から適性部数に何割増しかの部数を押し付けられて、買わされるということですか。

黒薮 そうです。「押し紙」により、実質的に新聞社の販売収入が増えます。

田所 私たちは購読料を払って新聞を読んでいますが、新聞社に払っているのではなく販売店に払っているのですね。

黒薮 販売店は自分たちのところに送られてきた新聞の購入代金を、新聞社に全部払わなければなりません。新聞社に「押し紙」に対しても請求を起こします。

田所 販売店にとっては負担ですね。

黒薮 大きな負担です。新聞社の側から見れば、「押し紙」により販売収入が増えます。読者の数よりも多い販売数を仮装することにより、新聞の公称の部数(ABC部数)が増えるので、紙面広告の媒体価値も高まるわけです。新聞社は、「押し紙」により、このような2つのメリットを得ます。

田所 100万人の購読者がいる新聞より150万人購読者がいるとされる新聞は、誌面広告の費用を高くとることができる。しかし150万人のうち、実際には100万人しか読者がいないとすればそれは詐欺ですね。

黒薮 それが「押し紙」問題の本質です。ところが販売店が実数以上の部数を仕入れることにより、利益を上げるケースもあるのです。それは新聞の折り込み広告の枚数と、販売店へ搬入する新聞の部数を一致させる基本的な原則があるからです。搬入された新聞の部数が多ければ、折り込み広告の種類が多い販売店では、「押し紙」があっても損をしません。折り込み広告による収入が、「押し紙」で発生する損害を相殺するからです。

田所 一方的に販売店が負担を被るだけではなく、販売店配達実数以上に折り込み広告代を依頼主に請求できるメリットもあると。

黒薮 今はそんなことはないですが、そういう時代もありました。一種の共犯関係です。先ほど述べたように国会質問が終わったのが1985年で、その後、「押し紙」問題が沈静化したのは、折り込み広告の需要が非常に高くなっていたので「押し紙」があっても販売店は損はしなかったという事情があったと思います。日本経済が好調だったからです。ところがバブルが崩壊し、新聞の価値がなくなってくるにしたがって、販売店が今までたくさん仕入れさせられていた「押し紙」が負担になってきた。しかし新聞社としては「今さら何を言っているんだ」という感じで、簡単に「押し紙」を減らしてはくれないわけです。(つづく)

◎遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫
〈01〉「スラップ訴訟」としての横浜副流煙事件裁判
〈02〉横浜副流煙事件裁判のその後 
〈03〉禁煙ファシズムの危険性 ── 喫煙者が減少したことで肺がん罹患者は減ったのか? 
〈04〉問題すり替えに過ぎない“SDGs”の欺瞞
〈05〉「押し紙」は新聞にとって致命的
〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る

▼黒薮哲哉(くろやぶ てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)
最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年4月号

経産省「電力ひっ迫」のからくり〈2〉電力ひっ迫に発電設備の増強は正しいか? 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)

◆「電力のひっ迫」とは何か

2022年3月と6月に出された 「電力ひっ迫」注意報。これは東電管内のみに出されたが、理由は「需給バランスが崩れる可能性があった」からである。

電力は溜めることができない。蓄電池や揚水式発電があるといっても、それは物理的に別の形に変えている。常時送電網に流れている電力は需給バランスが取れないと停電する。

「電力」(ワット)というのは、 「電圧」(ボルト)と「電流」(アンペア)のかけ算で、これに時間を掛けると電力量(ワットアワー)になる。一般には 「キロワットアワー・kWh」と表現されているが、これはワットアワーの1000倍という意味。常時1キロワット消費する家電製品を1時間使うと1キロワットアワーの消費電力量になる。

今、問題になっている「ひっ迫」とは短時間で起こる「需給バランスの乱れ」である。キロワットとキロワットアワーの違いを理解できていないと、発電所を沢山造らなければ停電するといった間違った議論になってしまう。

電気には「同時同量」の原則がある。使用している瞬間に、同量の電力を送電していなければならない。もちろん、発電所からだけでなく蓄電池でもかまわないが、いずれにしても同量の電力を送電線に供給していなければならない。

発電量が大きすぎて需要を大きく超えると周波数が上がる。その反対に、需要に対して発電量が足りなければ周波数が下がる。いずれの場合も、機器の損傷を防ぐため変電所単位で送電が遮断される。これが大きな変電所にまで至れば「広域停電」になる。これが2018年に北海道で起きた。「ブラックアウト」の原因だ。

◆北海道ブラックアウトのメカニズムと対策は?

北海道で最大震度6強の地震「北海道胆振東部地震」が起こったのは2018年9月6日3時7分。当時、北海道全域で300万キロワット弱の需要があった。この地震と、それに続く送電システムのアンバランスにともない、3時25分に北海道電力の送電エリア全域におよぶ大規模停電(ブラックアウト)が発生した。

地震発生の直後に北海道で動いていた最大出力の発電所「苫東厚真火力発電所」が停止したことがきっかけであるが、しかしこれが停止したからブラックアウトになったのかというと、それだけではない。地震から数えて17分間で、水力発電所や、風力発電所も次々に停止してしまった(正確に言えば水力・風力発電などのシステムから送電する変電所や変換所が地震の影響や機器損傷防止のため供給を止めた)。

大まかに、以下のような順番でブラックアウトは発生した。

1.苫東厚真火力発電所(2号機・4号機)の停止(116万kW)
2.風力発電所の停止(17万kW)
3.水力発電所の停止(43万kW)
4.苫東厚真火力発電所(1号機)の停止(30万kW)
5.ブラックアウトの発生

苫東厚真火力が止まってしまったのは、地震の震源地に近かったため、機器の一部損傷が原因だった。一方、水力発電所は複数の送電線が遮断されてしまったことが電気を供給できなくなる原因になった。風力発電は周波数の低下により設備を保護するために停止した。このように、それぞれの発電所は、それぞれ異なる理由で停止してしまった。これらについて独自に対策を取る必要があり、単に発電設備を増やしたからといってブラックアウトを防げるという単純な話ではない。

北海道泊村にある泊原発(加圧水型軽水炉3基合計出力207万kW)は現在新規制基準適合性審査中で運転を停止しているが、これが動いていたらブラックアウトを避けられたという説もある。その場合は苫東厚真火力は止まっていることが前提だ。きっかけがなければ起こらないのは道理だ。しかし、そういう議論をするのであれば、苫東厚真火力発電所の直下で地震が起きたように、泊原発直下で地震が起きることを想定しなければならない。その場合、 地震で原発は全部停止する(地震の直撃を受けなくてもおおむね震度5強で自動停止する)。震度6もの地震で止まった原発は、仮に損傷していなくても簡単に再稼働できない。何らかの損傷があれば復帰にも年単位の時間がかかる。万一、地震で大規模放射性物質拡散事故が起きてしまえば、最悪の場合福島第一原発事故のような原発震災を覚悟しなければならない。これでは問題の解決にはならない。

自然災害以外でブラックアウトが起きるとすれば、それは「系統崩壊」と呼ばれる需給バランスの崩れが原因である。

送電系統全体で発電能力不足が発生した場合や、送電線の容量不足で発生する。電力網では送電系統内のすべての発電機が協調して周波数と電圧を維持していなければならない(同時同量)。

もし周波数が一定範囲を外れると発電機は自動的に系統から遮断される。これを「脱落」という。系統内発電機がすべてフル出力運転していた場合、どこかで発電機トラブルが発生し供給能力の不足が生じると、脱落した発電機の分を他の発電機のオーバーロード(出力超過運転)などでカバーしなければならない。間に合わなければ系統全体が周波数低下を引き起こす。

北海道のブラックアウトの場合、本州と北海道をつなぐ「北本連系線」の容量が当時60万キロワットしかなかった。現在は90万キロワットある。

ブラックアウトは、北本連系線から多くの電力を供給できていたら回避できたと考えられる。

大きな発電機が脱落すると、供給が大きく不足するため周波数低下が大きくなり、遮断した先の需要停止だけでは追いつかなくなる。これが「系統崩壊」に至る理由だ。

2022年3月の東京電力管内で約209万戸の停電では、全域が系統崩壊しないようにあらかじめ部分的に負荷を遮断、つまり送電を止めた。送電系統は変電所により地域的に区切られていて、部分的に遮断することができる。2011年3月の震災時の計画停電もこの仕組みによる。

◆電力ひっ迫に発電設備の増強は正しいか?

現在の日本では、電力のひっ迫は長くても数時間程度の範囲である。これを発電電力量の不足と捉えるのは間違いだ。

需給ひっ迫対策は、発電設備の増強では解決しない。原発を増やしたら解決するという問題ではない。原発を増やせば、その分他の発電設備を止めている。電力会社は設備の維持管理に莫大な出費をしているから、原発を動かす場合は、その分火力などの他の設備を廃止したり停止したりすることになる。結局、供給力は変わらない。

日本の電力需要は2007年頃をピークに急激に低下している。

国際エネルギー機関のデータでは2007年に「1077テラワットアワー(以下、テラワットアワーを省略)」あった年間電力消費量は、2021年に「916」と「161」、約15%も低下している。これはウクライナの1年分の「124(2021年)」よりも多い。なお、 日本は1997年が「915」である。23年を経て同程度の電力消費量にまで下がった。

今後も、少子高齢化と人口減少が続くから、2050年にはさらに減少し、「700」前後まで減少すると想定されている。これは現在よりも22から26%も低下する量で、今後も発電設備の増加は必要ないことが分かる。

近年、政府による脱炭素の促進とウクライナ戦争に伴うエネルギー価格の高騰で、電気料金は2割以上も値上がりするなど、省エネルギーへのインセンティブは高まっている。

その対策として、産業も家庭も電力消費量を削減する取り組みが進む。電力会社は縮小する電力料金収入対策として、エネルギーの効率的利用や送電ロスなどの削減、未利用エネルギーの活用が、より1層取り組まれる。この取り組みに逆行するのが、現在の「電力ひっ迫」を口実にした原発の最大限利用政策である。(つづく)

本稿は『季節』2022年冬号掲載の「経産省『電力ひっぱく』のからくり」を再編集した全3回の連載記事です。

▼山崎久隆(やまざき・ひさたか)
たんぽぽ舎共同代表。1959年富山県生まれ。脱原発東電株主運動、東電株主代表訴訟に参加。反原発運動のひろば「たんぽぽ舎」設立時からのメンバー。湾岸戦争時、米英軍が使った劣化ウラン弾による健康被害や劣化ウラン廃絶の運動に参加。福島第一原発事故に対し、全原発の停止と廃炉、原子力からの撤退を求める活動に参加。著書に『隠して核武装する日本』(影書房 2007年/増補新版 2013年)、『福島原発多重人災 東電の責任を問う』(日本評論社 2012年)、『原発を再稼働させてはいけない4つの理由』(合同出版 2012年)、『核時代の神話と虚像』(明石書店 2015年)等多数。

◎たんぽぽ舎 https://www.tanpoposya.com/
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『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)福島第一原発事故 12年後の想い


〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
季節 2023年春号
NO NUKES voice改題 通巻35号 紙の爆弾 2023年4月増刊

《グラビア》福島発〈脱原発〉12年の軌跡(写真=黒田節子
      東海村の脱原発巨大看板(写真=鈴木博喜

樋口英明(元裁判官)
《コラム》原発回帰と安保政策の転換について

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
《コラム》戦争は静かに日常生活に入って来る
《講演》放射能汚染水はなぜ流してはならないか

乾喜美子(経産省前テントひろば/汚染水海洋放出に反対する市民の会)
《アピール》放射能汚染水反対のハガキ作戦やっています

今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
《講演》懲りない原子力ムラが復活してきた
日本の原子力開発50年と福島原発事故を振り返りながら

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福島第一原発事故 12年後の想い
森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream[サンドリ]代表)
あなたは「原発被害」を本当に知っていますか
黒田節子(原発いらね!ふくしま女と仲間たち)
フクシマは先が見えない
伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
何を取り戻すことが「復興」になるのか
今野寿美雄(「子ども脱被ばく裁判」原告代表)
呆れ果てても諦めない
佐藤八郎(飯舘村議、福島県生活と健康を守る会連合会会長、生業訴訟原告団)
私たちが何をしたというのか
佐藤みつ子(飯舘村老人クラブ副会長、生業訴訟原告団)
悔しさだけが残ります
門馬好春(30年中間貯蔵施設地権者会会長)
中間貯蔵施設をどうするか
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鈴木博喜(『民の声新聞』発行人)
区域外避難者はいま

水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
裏切られた2つの判決
福島原発刑事裁判と子ども脱被ばく裁判

漆原牧久(「脱被ばく実現ネット」ボランティア)
病気になったのが、自分でよかった
311子ども甲状腺がん裁判第3回・第4回口頭弁論期日報告

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
「原発政策大転換」の本命 60年超えの運転延長は認められない

井筒和幸(映画監督)×板坂 剛(作家/舞踏家)
《対談》戦後日本の大衆心理[前編]

佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
反社はゲンパツに手を出すな!

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
突然のごとき政治的変更を目前にして

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈19〉
2023年に生きる私が、死について考える

再稼働阻止全国ネットワーク
原発の再稼働と再稼働の全力推進に怒る! 岸田内閣に大反撃を!
「規制をやめた」規制委員会に怒り! 山中委員長と片山長官は辞任せよ!

《全国》永野勇(再稼働阻止全国ネットワーク)
総攻撃には総力を結集して反撃を!
「福島を忘れない!原発政策の大転換を許すな!全国一斉行動」の成功を!
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
岸田政権による原発推進政策に抗し、女川原発2号機の2024年再稼働阻止を!
《福島》橋本あき(福島県郡山市在住)
「環境汚染」から「裁判汚染」まで 多岐にわたる汚染
《東海第二》志田文広(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
東海第二原発差止訴訟・控訴審決起集会に参加して
《東海第二》柳田 真(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
東京に一番近い原発=東海第二原発 2024年9月の再稼働を止めるぞ!
《東京》平井由美子(新宿御苑への放射能汚染土持ち込みに反対する会)
環境省が新宿御苑へ放射能汚染土を持ち込もうとしている!
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
原発推進に暴走する岸田政権、追従する大阪地裁 行きつく先は原発過酷事故
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
再稼働推進委員会が経産省と癒着、「規制の虜」糾弾
《反原発自治》けしば誠一(杉並区議会議員/反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
岸田政権の原発推進大転換を許すな!
5月27日反原発自治体議員・市民連盟第13回定期総会へ
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
『また「沖縄が戦場になる」って本当ですか?』ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 編
 
反原発川柳(乱鬼龍選)

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市民運動体によるネット炎上、怒りの鉾先を藤井敦子さんと舩越典子医師へ向けて爆発 黒薮哲哉

このところインターネット上で、化学物質過敏症の診断書交付をめぐる問題が炎上している。一部の医師たちが、問診を重視して「化学物質過敏症」の病名を付した診断書を交付することの是非をめぐる議論である。発端は横浜副流煙裁判だ。デジタル鹿砦社通信で報じてきた「禁煙ファシズム」をめぐる一連の報道である。

議論とも罵倒ともつかないツイートの集中砲火を浴びているのは、藤井敦子さんと舩越典子医師である。藤井さんは、横浜副流煙事件の被告の妻で、裁判に勝訴した後、作田医師らに対して約1000万円の損害賠償を請求する「反スラップ」訴訟を起こした。みずからのブログでも裁判の経緯を発信し続けている。

また、舩越医師は、化学物質過敏症の専門医である宮田幹夫医師による診断書交付を告発した経緯がある。この2名が、ネット上の「袋叩き」のターゲットになっている。2人に対するツイートは、もはやわたしとしても傍観できない領域に達している。プライバシーにまで踏み込んで、罵倒を吐き散らしているからだ。

たとえば、次のような調子である。

私、英語の教員免許持ってるけど、YouTubeで聞いた限り、あの人(藤井さんのこと)の発音って、ネイティブ並ではないよね。所詮、日本人英語。人のこと言えないけど。 あの程度で発音を堂々と教えられるなら、私でも教えられそう。(いち)

藤井氏は(注:煙草の被害を訴えている隣人の症状について)心因性のものだと主張していますが、もしA家の人が本当に化学物質過敏症でなく心因性で妄想が入った統合失調症なら命の危険がありませんか?
どちらがいい悪いでなく精神病の人に目をつけられたら全力で逃げた方がいいです。でないと殺傷事件に巻き込まれるかも。(いち)

「いち」なる匿名人物による藤井敦子さんに対する罵倒・中傷ツイートの一例

これらのツイートを読むだけで投稿者の情緒が不安定であることが感じ取れる。発達障害かも知れない。投稿者が青少年であればともかくも、おそらく分別があるはずの成人である。

議論が炎上している背景に、4月末で宮田幹夫医師がそよ風クリニックを閉鎖するに至った事情があるようだ。閉鎖に伴い、患者は従来どおりに診断書交付を受けられなくなる可能性がある。診断書がなければ、障害年金の更新手続きもできない。その怒りが、藤井さんと舩越医師に向かって爆発しているのである。攻撃は終わる気配はない。はからずもわたしは、禁煙ファシズムの実態を目の当たりにすることになった。

過去にもSNS上の炎上現象はある。故三宅雪子氏による炎上、ネットウヨによる炎上、カウンター運動による炎上などである。このうちカウンター運動による炎上には、わたしも巻き込ま荒れ、「差別者(レイシスト)」のリストに入れられた。反共の極右主義者ということになっているらしい。

◆作田医師、「事務の女の子ににおいをかいでもらいました。」

炎上の中心にいるのはたいてい市民運動を展開している人々である。市民運動は、共通した趣味や思考を持つ人々の集合体で、同じ社会運動体と言っても、地域社会に根付いた住民運動とは根本的に性質が異なる。市民運動は、無責任で軽薄で感情的というのがわたしの評価である。社会通念からずれた要素があり、病的なものさえ感じる。

 
日本禁煙学会の作田学理事長(写真出典:日本禁煙学会ウェブサイト)

たとえば、喫煙撲滅運動の先頭に立ってきた日本禁煙学会の作田学理事長は、2月8日に行われた横浜副流煙裁判(反訴)の本人尋問で次のような奇妙な証言をしている。証言そのものが正気とは思えない。証言を引用する前に、若干事情を説明しおこう。

横浜副流煙事件の審理が進んでいたころ、藤井敦子さんは、近隣住民の酒井久男さんの協力を得て、作田医師の外来へ潜入した。酒井さんに繊維に対するアレルギーがあるので、作田医師の診断を受けてもらい、同伴して問診の様子などを「取材」するのが目的だった。被告家族としては、当然の情報収集だった。提訴の前提となった診断書を交付した作田医師の力量を見極める必要があった。

作田医師は、酒井さんが繊維に対するアレルギー体質を訴えたのに、「受動喫煙症」の病名を付した診断書を交付した。

以上の経緯を前提に、法廷での作田医師の証言を引用しよう。

弁護士:あと、サカイさんの診断書というのがちょっと問題になっているんですけど、お分かりになりますか。

作田医師:うさんくさい患者さんでした。

弁護士:記憶は、残っていますか。

作田医師:はい。

弁護士:どういう記憶として残っていますか。

作田医師:患者さん(酒井さんのこと)が退室しまして、書類を整理しているときに、ふわっとたばこのにおいがしたんです。それで、ひょっとして間違いかと思って、外から事務の女の子を呼んで、それで、一生懸命においをかいでもらいました。そしたら、やっぱりこれはたばこのにおいだと。それで、これはいけない、(略)1丁目1番地が間違えた診断書を出しちゃったということで、すぐに戻ってもらうように探してくれと言って、そうしたら、事務の女の子は、一生懸命小走りになって外へ出ていきました。それで、私は、そこにある使用モニターを準備して待っていましたが、いつになっても帰ってこないので、恐らく医事課、あるいは全館コールもしたと思います。しかし、いなかった。それで、これはもううさんくさい人だなあと思いました。

作田医師は、書類の整理をしているときに、煙草の匂いがしたので、「事務の女の子を呼んで、それで、一生懸命においをかいでもら」ったというのだ。たとえ一瞬、煙草の匂いがしたことが事実であっても、自分が感じた匂いを、呼びつけた「事務の女の子」にかいでもらって確認できるはずがない。まして酒井さんが退出して若干の時間が経過しているのである。匂いをかぎ分けることなど、警察犬にしかできないだろう。人間にはそれほど繊細な臭覚がない。

作田医師の証言は、わたしには奇行としか思えない。勝手な思い込みをしているのである。

このように裁判の証言にもツイッターの内容にもわたしはどこか病的なものを感じる。しかし、これが市民運動の実態なのだ。

市民運動が常道を逸している理由は、運動目的が団体や個人の利益獲得に結び付くからだろう。会員を増やすことで、組織の会費収入を増やすとか、診断書交付を容易にするとか利己的な目的があるからだとわたしは思う。

その構図にメスを入れようとすると、舩越医師や藤井さんのように袋叩きにあう。暴力が行使されないのは、まだ不幸中の幸いである。

◆無資格者が生理検査

ちなみにそよ風クリニックにも、市民運動に特徴的な問題がある。それはクリニックと自然食品の会社が親密な関係にあることだ。そよ風クリニックの下階には、自然食品の商店がある。当然、その風クリニックを受診する患者は、この店の格好の客となる。しかも、宮田医師は化学物質過敏症は完治しないという立場を取っているわけだから、自然食品店にとっては、これほど好都合なことはない。

また、そよ風クリニックでは、眼球運動などの生理検査を栄養士が実施している。当然、正確に生理検査が行われているのかという疑問がある。横浜副流煙裁判に提出された宮田医師による患者のカルテを、舩越典子医師は次のように批判する。

「裁判に提出されたカルテによると、眼球運動の検査は、検査器機の不調を理由に目視で行っています。目視での検査結果は信頼性が低いため、器機の修理が終わった段階で検査器機を用いた検査を行うべきであったと考えます。検査器機の不調についてカルテ記載はありませんでした。敢えて目視による検査を採用した疑いも否定できません。そよ風クリニックにおける神経性学的検査は栄養士のAさんが実施しています。彼女は医師でも臨床検査技師でもない、管理栄養士です。無資格者による検査は違法です。違法行為により得られた検査結果を横浜副流煙裁判の証拠として用いる事は言語道断です」

これに対して宮田医師は、書面で次のように反論した。

「この病気の患者さんは体に薬を付けたりすることを極端に嫌がります。眼球運動の測定では通常の方法では薬剤を塗るか、コンタクトレンズを装用するかの方法ですが、単に眼鏡を掛ける様に改造した装置を使用しています。眼鏡屋さんの眼鏡の試着と同じ程度の負荷しか患者に掛からない装置ですので、まったく問題ないと思います。もちろん私の指揮下です。」

◎禁煙ファシズム関連過去記事 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=114

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu
 

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)
月刊『紙の爆弾』2023年4月号

広島の政治をガツンとリニューアル! 筆者が参院選広島再選挙でのライバルを支援 さとうしゅういち

2023年3月26日、統一地方選挙の広島市長選挙が告示されました。広島市長選挙に立候補されたのは以下の3人の方々です。

 
 

無所属で自民、公明、連合広島が推薦し、立憲民主党などの議員も支援する現職の松井一実さん。無所属で新人のSF作家、大山宏さん。そして日本共産党公認の高見あつみさんです。

◆参院選広島再選挙でのライバル・大山候補

筆者は、今回の市長選挙では、大山宏さんを応援しています。大山さんと筆者はかつて、「ライバル」の関係でした。

筆者は、2021年4月25日執行の河井案里さんの当選無効に伴う、参院選広島再選挙に立候補。20848票で6人中3位でした。その同じ選挙に大山宏さんも立候補し、13363票を獲得して5位でした。

大山さんは、選挙費用はこのとき、供託金を除いてたったの10万円しか使いませんでした。手製のポスターを公営掲示板に張って歩くだけ。演説もなし。そんな選挙でした。大山さんは、彼なりに金で票を買った河井案里さんへの対抗軸を示したのです。しかし、失礼ながら筆者も「そうはいっても、選挙カーは回して、主張を県民に届ける必要はある」と考えていました。

その後も、衆院選2021広島3区(6人中4位3559票)、東広島市長選挙(5606票、2人中2位、ただし、得票率15%と健闘)と徹底して金をかけない選挙に挑まれた大山さん。彼には脱帽しました。徹底した彼の根性には、筆者も脱帽したのです。

◆筆者が県議選立候補を前に支援を要請

筆者は、広島市長選と同時に行われる広島県議選に案里さんの地盤である広島市安佐南区選挙区での立候補を無所属・れいわ新選組推薦で予定しています。2022年秋、ライバルでもあった大山さんにも、ご支援をお願いしました。大山さんは衆院選2021では安佐南区で2000票以上を獲得されており、筆者の勝利には大山さんとの連携は不可欠だったからです。それから、交流がはじまりました。

◆県議選東広島選挙区から広島市長選挙へ転進

当初、大山さんは県議選・東広島選挙区での立候補を予定されていました。しかし、広島市長選挙で市民団体が候補者擁立を断念。無投票の恐れも出てきました。そうした中で、大山さんが急遽、広島市長選挙に転進するとともに、県議選東広島選挙区では、配偶者の大山はるえさんが立候補することになりました。

その後、共産党が公認候補を擁立しました。しかし、失礼ながら、共産党の濃い支持層以外から得票することはこれまでの歴史から考えても難しいことは想像つきます。現職の松井さんは市政の中身は芳しくありません。

けれども選挙だけは上手な方です。松井さんに勝つのは誰が出ても難しい。しかし、対抗馬の合計で得票数を伸ばすことで松井さんの得票率を下げられれば、市政に緊張感をもたらすことになります。

◆市長選挙でもコピー用紙のポスターを張って歩くのみ

大山さんは、広島市長選挙でもお金をかけないことは徹底しています。参院選広島再選挙と変わらず、トラックで回って、コピー用紙のポスターを張って歩くのみです。

わたしは、告示日の26日10時、大山さんと広島城北東の公園でお会いしました。

◆街宣は筆者が「応援演説」の形で担当

筆者が立候補予定の県議選は3月31日告示です。したがって、30日までは、「大山候補への応援演説」という形で街宣を安佐南区各地で担当することにしました。筆者が、大山陣営の運動員という形で腕章をし、筆者のハンドマイクに選挙運動用拡声器の標記をかぶせ、街頭演説用の旗も筆者が持って、各地を回ることにしました。候補者にはポスターを張りに専念していただくことにしました。

 
 

以下は筆者の応援演説の概要です。

「広島県の人口流出は二年連続全国ワーストワンだ。なぜそうなったか?」

「広島ではお金がある人、組織がある人しか選挙に受かってこなかったからではないのか?その結果、政治が市民・県民のニーズとかけはなれ、若い人から流出していく結果になっているのではないか?」

「現職市長の松井さんは駅前開発には熱心だが、安佐南区の道路はボロボロの個所も多い。広島土砂災害2014の被災地で、防災工事がまだ完了していない地域も少なくない。安佐南区は広島では珍しく人口が増えている。人口が増えている地域に投資をせずに、駅前ばかりに熱中するのは一市民として疑問だ。」

「松井さんは、法的な根拠もつくらずに、学童保育の有料化を強行したり、アンケート結果を無視して図書館移転を強行しようとしたりしている。」

「広島市は特養が不足しているが民間がどこも手を上げないという。それならば、公営でやるべきだろう。しかし、松井さんは手をこまねいているだけだ。さとうしゅういちは大山市長と県市連携で公営の特養をやるよう提案する。」

「はだしのゲンや第五福竜丸の記述も、松井さんが任命した教育長率いる市教委の暴走で削除された。アメリカへの忖度ではないのか?広島市政がこんなことではG7サミットで核廃絶への成果を出すなど無理。岸田さんも本気にならない。」

「安佐南区は河井事件の震源地だ。とくにこの安佐南区の皆さんがお金を徹底的につかわない大山宏を支持していただくことが、汚名返上につながる。」

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

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外務省に直撃電話インタビュー! 岸田総理ウクライナ訪問の欺瞞と矛盾を問う 田所敏夫

3月21日岸田総理がウクライナを訪問した。大手メディアには「G7議長国としての面目」だの「遅すぎた訪問」という的外れな見出しで報じているけれども、そもそもいま日本政府は日本国籍保持者に対して、ウクライナへの渡航や滞在をどのように位置付けているのか。外務省の「海外安全ホームページ」ではウクライナについて下記の記載が公表されている。

外務省の勧告によれば、

ウクライナ全土に対して引き続き危険レベル4の退避勧告を発出しています。どのような目的であれ、ウクライナへの渡航は止めてください。また、既に滞在されている方は、安全を確保した上で、直ちに退避してください。

外務省(日本国政府)は、日本国籍保持者に対して、「どのような目的であれ、ウクライナへの渡航は止めてください」としたうえ、赤字で「退避してください」と勧告をしている。

外務省HPより

レベル4は危険情報の中でも最も高い危険度を示すそうで、法的拘束力はないものの、国が発する「公的な危険を示す情報」である。ところが片一方で「危険だから渡航するな、退避せよ」と勧告を出している国に、首相が出かけていくのは矛盾ではないか。

岸田が、万が一にも、ウクライナーロシア間の戦争を見かねて、停戦か終結に向けて、「わが身の危険怖れず平和を実現する!」との崇高な目的でキエフへ赴いたのならな疑義を差しはさむのは無粋に過ぎようが、当然ながら岸田が発したメッセージからはその様な意図は全く感じられない。

おかしいじゃないか。外務省すべからく自国民に「渡航を止めてください」と発信している国に総理大臣が出かけていくのは。

例によって当事者の見解を聞かなければならないので、24日外務省に電話をして、わたしの疑問を聞いてみた。最初にかけた電話では肝心の質問に及ぶと長時間の保留音を聞かされた後、一方的に切られてしまった。再度外務省の代表番号にかけ直し、ようやく会話の成立する部署に繋がった。

◆外務省担当者に一問一答──「こればかりは私の口から『困る』とは言えないので」

田所 ウクライナは「どのような目的であれ渡航を止めてください」と書かれています。これは間違いありませんか。

strong>担当者(女性) はい。

田所 先週総理大臣がウクライナを訪問しました。これは問題ないのでしょうか。

担当者(女性)そういう報道は伺っています(不貞腐れた口調)。

田所 国会でも総理は語っているので事実は間違いないと思いますが、総理大臣が「渡航止めましょう」という国に行くことが、外務省としては問題はありませんか。

担当者(女性) それについてはこちらからお答えできませんけど、総理大臣のウクライナ訪問についてお伺いしたいということで間違いないですか。

田所 日本人にウクライナから速やかに出てくださいと書かれています。日本人とは日本国籍を持っている人でしょう。そこに「ウクライナにいてはいけない、出てください」と書かれているので、総理大臣は例外として考えられるのかどうかを教えて頂きたいのです。

担当者(女性) 少々お待ちください。

その後2分ほど保留で待たされ、滑舌の良い男性が電話に出た。既に質問した内容の概要を再度質問すると、

担当者 今回総理に対しては滞在中に充分な対策を講じたうえで訪問している、ということがありますので、それをもって一般の方が行くのはまた違うのかなと思います。ただ依然としてロシアによる軍事活動は続いているので、空襲警報が出る状況ですので危険であることに変わりはないと思います。

田所 日々の報道などを見ていてもそう感じます。ところで細かいことなので恐縮ですが外務省のホームページで具体的な注意事項が書かれています。「軍事、空港、変電所や貨物ヤード等の鉄道関連施設等には近づかない。」と書かれています。岸田総理はポーランドから鉄道で移動されましたね。これは注意事項で指摘されている行為ではないですか。

担当者 はあ、はあ、はあ。

田所 具体的に「鉄道関連施設等には近づかない」とアドバイスされている方法で移動されました。これはどう理解したらいいのでしょうか。

担当者 今回の総理訪問についは担当課が違うので、詳しいことはわからないのですが、常識的にはウクライナ政府による警護もついていたかと思いますので、一般の邦人の方が渡航されるのと、政府の要人として警護を付けていくのを同一視するのは難しいのかなと思います。

田所 ただ現地は戦争状態ですので、危険の要因は内乱ではなくロシアによる攻撃ではないですか。ウクライナに警護してもらってもロシアがミサイルを撃ってきたら意味はないのではないでしょうか。総理大臣がウクライナを訪問すれば、それ以外の人もウクライナに行って大丈夫だとのメッセージとして受け取る余地はありませんか。

担当者 それはまったく違うので、現地は依然として空襲警報が鳴る状況ですし、最近もミサイル等の爆撃で亡くなっている人もいらっしゃるので、そこは同一視はできないのですが。

田所 私自身はウクライナには行きませんが、外務省の注意情報は、ありがたいと思っています。外務省のトップは外務大臣ですね。外務大臣の任免権は総理大臣にありますね。せっかくこのようにつまびらかな情報を外務省のかたが一生懸命集めて発信していらっしゃるのに、その情報発信と違う行動を総理大臣がしてしまうと、メッセージが混乱しませんか。

担当者 そうですね。

田所 現地で安全を講じたうえで総理大臣が行かれているのは勿論でしょうが、戦争をしているところに行くわけですから、例えば野党の国会議員やNGOのひとたちだって「総理大臣が行ったんだから、私たちも」と考えて不思議はないでしょう。私は詳しくありませんが今までこのような例はあるのでしょうか。

担当者 議員先生の例で言いますと昨年お二方、行かれた方がいらっしゃいまして、その時に関しては事前に外務省・政府への相談はなかったので、そのあと官房長官から記者会見で「遺憾である」と発言されていると思います。

田所 勝手に行ってしまったということですね。

担当者 そうですね。あとは現地で大使館が再開している状況でして現地政府とのやり取りであったり、邦人の保護の観点からも現地の大使館は再開しています。それに伴い大使や外務省職員は現地に滞在している。それについては勿論充分な安全対策をとっています。安全対策を取ったうえでやむを得ず政府としての務めを果たすために現地に駐在しているところです。

田所 それはわかります。現地大使館は再開しているけれども、通常業務はやっていないと発表されていますね。外務省の方が危険を冒しながら現地におられることは知っています。そのように「危険度が高い」と警告している国に総理大臣が行ってしまうと、解りにくいメッセージを発してしまうというのが私の疑問です。

担当者 そうですね。それについては引き続き危険度を発信してゆく必要があるのかなと思います。

田所 つまり、今回の総理ウクライナ訪問は、外務省としても説明しずらい状況でしょうか。

担当者 まあ、そこは、なかなか難しいところではあるんですが。安全対策を講じているという部分に対しては、私の方ではどのような安全対策であったのかははっきり把握できない。

田所 そうですね。安全対策と言ったところでウクライナに安全対策を要請してもロシアと戦争をしているのですから、間違えてということもあり得ますね。総理大臣がウクライナに行ってしまうと、国民には「危ないから行くのは止めましょう」と教えて頂いていますが、解りにくいとの感覚はご理解いただけますか。

担当者 もちろん。

田所 外務省の方としては「ちょっと困った」状態ということでもないですか。

担当者 まあ、こればかりは私の口から「困る」とは言えないので。

◆岸田ウクライナ訪問は平和外交や停戦を目指したものではない

つまり、岸田のウクライナ訪問は平和外交や停戦を目指したものでも、邦人保護のためでもなく、やはり戦争終結や平和達成とは程遠い「自己顕示」のためだったと結論付けてよかろう。

ロシアのウクライナ侵攻からはじまった21世紀の「古典的国家間及び軍事共同体の権益維持並びに軍事産業支援」のための戦争は、かくしてまたしても本質が覆い隠されようとするのだろう。「法による支配」を語る価値のない人間は次にどんな愚行で私たちを仰天させるのだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

「言論」論〈08〉「集団自決」発言騒動が明らかにした「言いたいことを言うために必要なこと」 片岡 健

テレビから引っ張りだこだったアメリカの有名大学准教授の男性が、「(高齢者は)集団自決みたいなことをすればいいんじゃないか」という発言により炎上し、この男性がテレビに出るたびにネット上で「テレビに出すな」という声が渦巻く事態となっている。この騒動には、実は言論の本質がよく現れている。

この騒動を深掘りして考えるうえで、まず踏まえておかねばならないのは、そもそも、テレビで高齢者をいじったり、貶めたりする発言は「笑いを取る手法の1つ」として社会に許容されてきたということだ。

最たる例は、世界的な映画監督としても知られる大物芸人だろう。この大物芸人が80年代、「赤信号 バァさん 盾にわたりましょう」などと高齢者を徹底的にこき下ろしたギャグにより一時代を築いたことは、筆者と同じ50代以上の年齢の人ならたいていご記憶のはずである。

また、「ジジイ」「ババア」という毒舌トークで人気を集めたウルトラマンシリーズ出演俳優や、舞台では中高年をいじって笑いをとり、著書も次々に上梓してきた毒舌漫談家なども長く人気者であり続けてきた。この現実に照らせば、「高齢者が集団自決」程度の発言が今さら物議を醸すのは、バランス的におかしい。

だが、こうした「毒舌お笑い市場」の現況をよく見ると、はたと気づくことがある。高齢者をいじるなど不謹慎なことや、反教育的なことを言って笑いをとるのは、かつては芸人の独断場だった。しかし現在、そのようなやり方で笑いをとる芸人はテレビでほとんど見かけなくなっているのである。

現在、テレビで物議を醸す発言をして炎上するのは、もっぱら弁護士や小説家、元IT起業家、インターネット上の巨大掲示板の創設者、国際政治学者など、テレビが本業でない人ばかりだ。「集団自決」発言で物議を醸したアメリカの有名大学の准教授の男性もまたしかりである。

つまり現在、テレビで物議を醸す発言ができるのは、テレビに出ることが本業の人ではなく、テレビは副業や趣味、遊びで出ている人だということだ。芸人のようにテレビに出ることが本業もしくは主要な収入源である人は、コンプライアンスが厳しい現在、テレビで物議を醸す発言はできないわけである。

この事実が示しているのは、要するにテレビに出るなどして発信力を持ち、自分の言いたいことを言おうと思えば、言論以外の活動で生きていける経済力が必要だということだ。言論自体で生計をたてようと思えば、生活の糧を失わないようにするために言論が委縮せざるをえないからである。

本気で言論活動をするなら、まず経済力を整えないといけない。「集団自決」発言で炎上し、テレビに出るたびにネット上で多くの人に批判されながら、何事もなかったようにテレビに出続けるアメリカの有名大学の准教授の男性の存在がそのことをはからずも証明している。

◎片岡健の「言論」論 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=111

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)
月刊『紙の爆弾』2023年4月号