《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ── 夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い〈4〉 尾崎美代子

日本原子力研究開発機構(JAEA)は、2022年4月22日、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)で行われていた原子炉内核燃料の取り出しを終えたと発表、今後は原子炉内を冷却していたナトリウムの抜き取り作業が行われることになった。

1兆1313億円もの総工費を投入しながら、ほぼ稼働せずに廃炉が決まったもんじゅでは、JAEAの前身である「動燃」(動力炉・核燃料開発事業団)時代に職員が不審死を遂げている。

1995年12月8日に起こった、もんじゅのナトリウム漏洩事故で、動燃は当初、事故直後の生々しい事故現場を撮影した「2時ビデオ」を隠蔽し、翌日撮影した「4時ビデオ」の一部しか公開しなかった。その後、地元自治体などの立ち入り調査で、「2時ビデオ」の存在が発覚。それまでも日本の原子力産業での秘密主義、隠蔽体質が問題視されていたが、こうした動燃の対応のまずさに、メディアや住民の非難が高まってきたことはいうまでもない。

そうした中で、動燃の大石理事長〈当時〉は、なぜこんなことが起きたかを内部で調査するチームが作らせた。不審死した西村成生(しげお)氏(当時47歳、以下西村氏)はその一員だった。

◆夫は本当に自殺したのか?

事故後の12月23、24日、西村氏ら調査チームは、敦賀市のもんじゅで職員に聞き取り調査を行った。その結果、「2時ビデオ」が事故の翌日に東京本社にも運ばれていたことが判明した。西村氏らは、翌25日、東京本社に戻ってすぐに大石理事長にそのことを報告、早急に公表すべきと進言した。

しかし、大石氏は公表を先延ばしし、国会で参考人に呼ばれた際も、公表しないまま、年を越してしまった。翌年1月、橋本龍太郎氏に政権交代したことから、新たな科学技術庁(当時)長官に就任した中川秀直氏が、記者会見で動燃が公表していない、その事実を突然公表してしまった。前日に、動燃から科技庁に提出された資料を、勝手に読んでしまったのだ。そのため、動燃も急きょ会見を行うこととなった。

 
西村さんが飛び降り自殺したとされるホテルの前でトシ子さん

1回目の会見に出席した安藤隆理事は、記者らの質問にまともに答えることができず、怒った記者らから、大石理事長の会見が要求された。2回目の会見に出席した大石理事長は、そこでも事実を公表せず、「2時ビデオ」が本社にあったことを知ったのは、1月11日だったと虚偽の発言をした。そして「詳細は、調査チームに話させる」と逃げたため、3回目の会見に調査チームの西村氏が駆り出されることとなった。西村氏は、そこで、大石理事長の発言にあわせ、「2時ビデオ」の存在を知ったのは、大石理事長が知った11日の前日の1月10日だったと発言せざるを得なかった。

3回目の会見を終えた西村氏は、科技庁から戻った動燃本社で簡単な打ち合わせを行ったのち、翌日早朝に、大畑理事と敦賀市に出張に出るため、東京駅近くのホテルに深夜1時ころチェックインした(ことになっている)。2時過ぎ、ホテルに動燃から西村氏宛のfaxが届き、浴衣姿の西村氏が、5枚の用紙を取りに来たこととなっている。その後、3時台に妻・トシ子さん、大石理事長、秘書役T氏の3人に遺書をしたため、早朝、8階の非常階段から飛び降り自殺したとなっている。

ホテルの敷地内で西村氏の遺体を発見したのは大畑氏だった。西村氏の部屋の机に3通の遺書があったことから、駆け付けた中央警察署は飛び降り自殺と断定したとなっている。

しかし、聖路加国際病院の霊安室で、西村氏の遺体と対面したトシ子さんは、8階から飛び降りたとは思えないに夫の遺体を見て、「何かがおかしい」とすぐに疑問を抱いた。

60人ほどの小さな葬儀を考えていたトシ子さんに、動燃は「もっと大きな会場を」「4人に弔辞を読ませる」などと無理な注文を付け、結局、国会議員など1500人もの弔問客が訪れる「社葬」のような葬儀が執り行われた。大石氏、T氏ら4人の弔辞は、西村氏の死を動燃の復活へと結び付ける内容で、その後メディアの動燃批判は一挙に沈静化した。

 
動燃本社の裏口。遅くに外に消しゴム1つ買いに行くにも記帳しなけれぱならなかったのに、あの日深夜、科技庁から戻り、ホテルに行くため出た西村さんの記帳は確認出来なかった

◆夫の死後、次々に起きた不可解なこと

「夫の死は政治的に利用されているのではないか」。そう考えるトシ子さんの周辺では、次々と不可解なことがおきた。初七日の翌日、総務部長から「お礼参りに来て欲しい」と連絡された。「お礼参り?」と訝しく思ったが、夫の死について何か聞けるのではないかと、息子らと動燃本社に出向いた。動燃本社に到着するなり、役員室に案内された。理事長などから西村の死について説明があると思ったが、役員20名がただ青ざめて立っているだけで、説明も何もなかった。そのつぎに、西村さんが在籍していた総務部に案内されたときだ。若い職員が駆け寄り「西村さんの机の上にあった沢山の資料はどうしたんでしょうね?」と言った。成生氏は普段から、秘密事項などの重要書類を扱うため、席を外す際には書類を必ず鍵のかかる引き出しにしまっていた。若い職員の言うことが事実なら、西村氏は、書類をしまう間もないほど急がされて、会見に引きずり出されたのではないか? トシ子さんの疑念は深まるばかりだった。

次に向かった科技庁では、中川長官から「生前の西村さんは何か言い残していないですか」と確認されるように聞かれた。トシ子さんは「もんじゅの担当にされてしまったよ」と、いつになく悔し気に語った西村氏を思い出した。トシ子さん自身、そう聞いて妙な胸騒ぎを感じていたのだった。

お礼参りの最後、新橋駅近くの雑居ビルに入る動燃関連会社「ペスコ」に向かった。ワンフロアを貸し切ったペスコに入った途端、トシ子さんはなんともいえぬ薄気味悪さを感じていた。平日の昼間なのに、動燃の職員が何人もいたうえ、みな、西村氏の死を悲しむような表情ではなく、平然としていた。葬儀で弔辞を読んだ一人、竹ノ内会長が「前の日もここで(成生氏と)一緒にお茶を飲んだのに…」とつぶやいた。西村氏が亡くなった前日1月12日は、科技庁の会見が予定されており、そこでの中川長官の発言から、動燃も緊急会見を余儀なくされ、1日中バタバタ慌ただしかったはずだ。ここに来てお茶を飲む時間などなかったはず…。トシ子さんはそう考え、「ここで何かあったのではないかしら」と思えてきた。

初七日後、初めて西村家に連絡してきた理事長秘書役のT氏の動きにも気になることが多々あった。葬儀後、初めての電話でいきなり「今どんな気持ちがするか?」と聞いてきた。そして翌日来訪すると伝えられた。来訪の理由は、自分が葬儀で読んだ手書きの弔辞を、ワープロのものに差し替えたいということ、もうひとつは、形見に、西村氏の着けていたウッジウッドのカウスボタンが欲しいと言ってきた。もちろんカウスボタンを渡さなかった。

その後、多くのメディアに「亡くなった西村職員の友人」として登場するT氏だが、ある日、トシ子さんから「Tさんは夫の親友でもなんでもなかったのよね」と聞いた。二人は大学が同期というだけで、趣味の麻雀やゴルフも一緒にやったことがない、2ショットの写真も一枚もないという。そしてT氏の書いた「西村職員の自殺に関する一考察」では、西村氏の自殺の原因は、3回目の会見で、西村氏が間違った発言をしたことではないかという。果たして、あの時点で、西村氏の発言は、「自殺」を考えるほど間違っていたものといえるのだろうか?(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44727
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44733
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44851
〈4〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44879

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

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なんじゃこりゃ?「笑劇」の衆院選区割り案 直接往来できる道路もないのに同じ広島3区! さとうしゅういち

衆議院議員選挙区画定審議会(俗称・区割り審議会、会長・川人貞史・東大名誉教授)は6月16日、10増10減の新しい小選挙区の区割り案を総理に勧告しました。(※衆議院小選挙区選出議員の選挙区の改定案についての勧告

わたしが住んでいる広島県では7つあった小選挙区が6つに減らされます。広島県は人口の社会減が全国でも最悪レベルですから、これ自体は致し方ないことです。「ああ、来るべきものがきたか」という感想です。そして、その勧告のまま、10増10減の公選法改定案が11月18日、成立。上記勧告通りの区割りになることが確実になりました。

海田市駅の跨線橋から同駅ホームと安芸区福祉センター=奥の茶色の建物群をのぞんで。海田町と安芸区は入り組んでいて街は渾然一体だ

◆安芸区が安佐北区などと同じ広島3区?!の「笑劇」

しかし、問題は区割りの中身です。人口が少ない広島4区と5区を解体して、基本的には新しい4区(東広島市、竹原市、大崎上島町、呉市、江田島市、熊野町)に統一。4区のうち、府中町、海田町、坂町をわたしが住んでいる現1区(中区、東区、南区)にくっつけます。

そして、衝撃ならぬ「笑劇」だったのは安芸区を3区(安佐南区、安佐北区、安芸高田市、北広島町、安芸太田町)にくっつけるということです。

安芸区は、むしろ、生活圏は海田町、坂町、府中町などと一緒です。陸上自衛隊の海田駐屯地は安芸区と海田町にまたがり、海田町内の海田警察署が所轄です。海田町の海田市駅前に安芸区の福祉センターもあるくらい、入り組んでいるのです。

そして、もう一つは、安芸区と安佐北区は確かに接しています。だが両者を直接往来できる道路はありません。ひょっとするとイノシシやクマは行き来しているかもしれませんが車や登山の装備のない人間が行き来する状況ではないのです。

現3区に事務所をおく筆者が万が一衆院選立候補の場合(そのつもりは現時点ではありませんが)はどうなるでしょうか? 選挙カーを回すとなると、たとえば現3区の安佐南区の事務所から1区を経由して安芸区へ向かうしかありません。1区を通過する際は無言で通過していくか、それとも自分の名前を封印して「比例での所属政党名」だけを叫ぶか。いずれにせよ間抜けな話です。安芸区は筆者に妻の実家もあり、水害でのボランティアの経験もあるので、地盤という意味では筆者に少し有利かもしれませんが、ここで取り上げるのは、そういう問題ではありません。地域として一体性のないところを選挙区にするというのはいかがなものか、ということです。

それくらいなら、行政区画を分断することになりますが、たとえば、東区を分けるという手もあります。東区なら3区とも1区とも地域的なつながりはあります。東区の筆者の自宅の前を通過するバスも安佐北区、すなわち3区に向かっています。

現4区の海田町から北方の現3区をのぞんで。人や車が通常の装備で往来できる道路などない山岳地帯だ。選挙運動中に、こんなところを超えていたら熊かイノシシに襲われるのがオチだ

◆弁護士、東大教授……こんな「笑劇」的な区割りを考えた錚々たる先生方

それにしても、どういう方々がこんな「笑劇」的な区割りを考えたのか? 委員の名簿を拝見してぶったまげてしまいました。

東大教授の加藤淳子先生、東大名誉教授の川人貞史先生、弁護士の住田裕子先生ら、錚々たる先生方です。こんなばかげた区割りを勧告して、先生方の名声に傷がつかないか、筆者は心配です。実際は総務省の官僚が下案をつくってそれを先生方が一定議論して了承するのでしょうけれども、それにしてもです。

◆そのまま通す議員も情けない

議員も議員です。いくら、いわゆる閣法=政府提出の法案といえども、こんな明らかにおかしな区割りをそのまま与党の議員が認めてしまうというのも「情けない」の一言です。国会議員同士で話し合って修正することもできたはずです。まさに、立法府が形がい化し、行政府の追認機関になってしまっているということです。

◆根本には小選挙区制自体の問題

しかしです。そもそも、小選挙区制自体がこういう、余計な問題を引き起こしているのではないでしょうか?

たとえば、筆者の事実上の故郷の東京。23区なんて、行政区がいくつも分断されて訳がわからない状態です。それこそ、区議や都議より選挙区がせまい国会議員と言うのもいかがなものでしょうか?区議や都議より対象となる有権者が狭い人が、国政に関する議論をするというのも違和感を覚えます。筆者も立候補を複数回しているから分かるのですが、国会議員なら国民全体、県議会議員なら県民全体を考えないといけないと頭ではわかっていても、やはりそうはいっても無意識に問題意識は地元を優先になってしまうし、現実に得票にはそのほうが効率的なのも事実です。

まだ、昔の3-5人の議員を選ぶ中選挙区制のほうが、ある程度選挙区が広く、選択肢も広かったとおもいます。中選挙区制なら、たとえば、河井克行受刑者のような人は同じ自民党の議員に負けて落選しているでしょう。実際に広島3区でも「本当は岸田総理のファンで克行受刑者なんて大嫌いだが、自民党だからやむを得ず投票していた。」という方を多数、筆者は存じ上げています。

◆地方の衰退に拍車

そもそも、人口だけで議員定数を考えるというのも本当に公平なことなのか?これも考えていただきたいことです。地方の議員を削減して、都会の議員を増やす。そうなれば、都会の声がますます強まり、地方には不利になる。それにより、地方の衰退、東京一極集中に拍車がかかる。その結果ますます、一票の格差が広がる。

このような指摘を筆者が国政レベルでは支持する「れいわ新選組」はしています。
【声明】公職選挙法改正案に反対する理由(れいわ新選組 2022年11月10日)

◆投票価値の平等は比例代表制が一番

しかし、そもそも、投票価値の平等を追及するなら、比例代表制が一番です。比例代表制ならそもそも一票の価値の不平等も起きようがありません。ブロック別の比例代表制なら、人口の増減で定数の増減は必要です。しかし、えらい先生方が、一生懸命区割りを考えた上で広島3区のような「衝撃」ならぬ「笑劇」を起こすことはありえません。

ノルウェーの場合は県別の比例代表制で、有権者が政党の提示した名簿順位をいじれるような仕組みです。この仕組みを利用して、ノルウェーでは女性を上位に有権者が名簿をいじって女性議員をふやした歴史があります。これなら、個人もえらぶことができます。支持政党でもいやな議員はおとすことができます。筆者はあらためて、ノルウェー式の比例代表制をベースとした選挙制度改革を提起します。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

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《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ── 夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い〈3〉 尾崎美代子

◆遺書に書かれた「3:40」の謎

西村成生氏(以下、成生氏)の遺書は3通とも、動燃の社用箋に書かれ、一番上に遺書を認めた年月日、曜日と時刻が書かれていたが、報告書のように「以上」と締めくくられていたり、「勘違い」を「勘異い」、「発展」を「反展」、「通り越し」を「遠り越し」などの漢字ミスがあるなど不可解なことが多かった。

というのも、成生氏は、行政などに提出する公文書の最終チェックを行う総務部文書課にも長く属しており、文章には非常に厳しく、残されたノートなどにも誤字などはまったくなかったからだ。

「夫がそんな間違いをするだろうか」

不思議でならなかったトシ子さんが、遺書に書かれた「勘異い」「反展」などの漢字ミスを、その後、ある文章で知ることとなった。 それは、秘書役T氏が書いた「西村職員の自殺に関する一考察」の中でだった。

「一考察」にはまた、「妻宛の遺書にはこう書かれていた」との説明も書かれていた。T氏は「一考察」を、成生氏が亡くなった直後の1月15日に書いていたが、トシ子さんは、警察から手渡された遺書を、その後1年間ほど、誰にも見せていなかったのだ。その遺書の内容を、何故T氏が知っていたのか? それはのちの裁判で明らかになる。

成生氏の死から1年後、聖路加国際病院の医師に、成生氏の遺体は死後10時間くらい経って病院に搬送されたと告げられたトシ子さんは、遺書に書かれた「3:40」の字も偽装されたのではないかと疑い始めた。その時刻、成生氏はもう亡くなっていたのだから、時刻を書きこむことは出来ないではないか。

3通の遺書に多く書かれた「3」の数字を改めて確認すると、大量に残された成生氏の生前の文書に記された「3」とは明らかに違っていることがわかった。しかも、何時何分と書く際、何分を何時より小さく書き、下に線を1本引くという成生氏のクセもないことにも気づいた。遺書の字は確かに成生氏のものだが、遺書を認めたという時刻は、誰かがあとで書き足したものではないか?その時刻に、あたかも成生氏が生存していたようにみせるために……。

 
夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

◆夫の死の真相を追及する闘い

夫の死の真相を何とか知りたいと、1年後、トシ子さんは宿泊していたホテルに宿帳を見せてほしいと求めたが拒否された。同じころ、聖路加国際病院の医師から、成生氏の遺体は死亡から10時間経過していたと聞かされたトシ子さんは、成生氏の遺体を処理した中央警察署に説明を求め訪れた。刑事課長は名前すら明かさなかったが、代わりに対応した課長代理が、成生氏の遺体に関する説明を行った。

トシ子さんは、「ホテルの部屋や8階の非常階段に成生さんの指紋はあったのですか?」と尋ねると、「指紋の資料はない」と答え、さらに「救急搬送する前に、警察で遺体を見ているのですか?」と尋ねると、「見ています」とファイルを差し出した。

そこには、成生氏の頭部と全身を写した写真が3枚あった。しかし、転落現場を撮った写真は1枚のみ、スーツ姿の成生氏が転落したコンクリートの地面ではなく、担架にうつぶせに寝かされているものだった。なお、ホテルにチェック・イン後、成生氏に動燃から送付されたFAX用紙について、中央警察署は把握していないとの回答だった。深夜2時過ぎにホテルに送信され、浴衣姿の成生氏がフロントに取りにきたという5枚のFAX用紙はどこに消えたのだろうか?

その後、トシ子さんは、死体検案書を作成した東京都監察医(当時)の大野曜吉氏に面談した。大野氏は、「検視は、1月13日午前10時55分頃。聖路加国際病院の霊安室で行った。立会人は、中央警察署の警部補だった」などと話した上で、難解な説明が長々話すので、トシ子さんはそれを止めるように、こう質問した。

「深部温度は計ったのですか?」

素人のトシ子さんから医学的な専門用語が出たため、顔色を変えた大野氏、「計ってません。なぜそんなことを聞くのか?」と聞いてきた。

トシ子さんはそれに答えず畳みかけるようにこう聞いた。

「じゃあ、どうやって死亡推定時刻を判断したのですか?」

すると大野氏は「遺体の発見は5時40分だと(立ち会った)警部補がいうから、それのやや前だろうと(考えた)」と答えた。

さらにトシ子さんが「転落したらしいと書いてありますが、なんで『らしい』なんですか?」と尋ねると、それも警部補からの伝聞だという。あまりにずさんな鑑定ではないか。

そのためトシ子さんは、監察医の大野氏を死体検案書の虚偽私文書作成で、秘書役のT氏を遺書の私文書偽造で、東京地検特捜部に告訴したが、2件とも「嫌疑なし」で不起訴となった。

2002年10月、トシ子さんは、東京都公安委員会に犯罪被害者等給付金請求申請を提出したが、翌年棄却。2004年10月13日、トシ子さんは2人の息子と、核燃料サイクル開発機構(旧動燃)に対して、成生氏の死が「自殺」というならば、動燃から虚偽の説明を強いられたためだとし、安全配慮義務違反の損害賠償を求める裁判を提訴した。

しかし、東京地裁は「動燃が虚偽の発表を強いたとはいえない」として請求を棄却、東京高裁も「動燃には自殺を予見できなかった」などとして一審を支持、2012年、最高裁は上告を退ける決定を下した。

しかし、高裁判決では「もし虚偽の回答をしてしまったことが発覚した場合には、もんじゅ現地のみならず動燃本社までもが嘘をついているとして、社会から厳しい指弾を受け、大石理事長の早期辞任はもとより、動燃の体質論から動燃の解体論にまで発展しかねない重大な事態を引き起こす危険性があった」と認定した。

成生氏の死が、まさにその「重大な事態」を食い止めたのだ。

2015年2月13日、警視庁中央署に対し、成生氏の全着衣、FAX、遺書作成に使用した筆記用品などの遺品について、返還を求める未返還遺品請求を提訴したが、2017年9月13日、東京高裁で棄却された。

さらに2018年2月22日、日本原子力研究開発機構と大畑宏之理事に対し、成生氏の全着衣、FAX、遺書作成に使用した筆記用品、手帳、事務机内の全遺品の返還を求める未返還遺品請求を提訴。その後大畑氏が死亡したため、現在トシ子さんは、同機構と大畑宏之元理事の遺族を相手取り、遺品返還訴訟を行っている。

前述した通り、トシ子さんは、葬儀に献花した国会議員らに、動燃本社内の成生氏の机の封印の嘆願書を提出しており、机は封印されていた。その事務机内の遺品とともにトシ子さんは、中央署員が大畑理事に渡した成生氏の遺品(ホテルで受信したとされるFAX受信紙、鞄に入れていた95年「どうねん手帳」、遺書を書いた万年筆、マフラー、ネクタイ、靴、着衣等々)の返還を求めた。

2021年9月30日、東京地裁は訴えを棄却したが、トシ子さんは、2021年10月14日、東京高裁に控訴し、今も闘い続けている。(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44727
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44733
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44851

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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新自由主義県政が広島に残した惨状を再確認  地域産別組合定期大会に参加して さとうしゅういち

筆者は2000年から2011年までは広島県庁の職員として勤務し、現在は広島市と安芸郡の民間の介護施設計二か所で介護福祉士として働いています。

しかし、自治体の介護保険制度のもとで働く公務関係の労働者ということで、広島県内の自治体労働者の皆様と同じ地域産別組合加盟の労働組合に参加しています。

そして、先日の定期大会でその地域産別組合の執行委員を拝命いたしました。この産別組合(広島自治労連)は全労連系の組合です。世間一般では共産党系とも言われますが、筆者自身はこれまでも何度もご紹介している通り、れいわ新選組のオーナーズ会員であり、共産党支持者ではありません。ただ、県内でそれなりに労働者のためにたたかう組合でなおかつそれなりの勢力があるということでこの組合を選ばせていただいています。

筆者は県庁職員時代には連合加盟の「自治労」広島県職員連合労組で長きにわたり、支部役員をさせていただきました。連合と全労連、両方で役員というのは、おそらくほかにも例を見ない「珍記録」と思いますが、所属組織に関係なく、その場所で、自分の良心に従い、しっかり活動をさせていただきたいとおもいます。

◆筆者も思い切って発言

さて、先日、その広島自治労連の定期大会がありました。この大会でわたしも役員を拝命することになりました。

皆様もご経験と思いますが、世間にはいろいろな団体の総会や大会があります。通常、まず執行部から前年度の活動報告、決算報告・監査報告、質疑応答、そして今年度の活動方針案、予算案の提案、そして質疑応答というのが流れです。今回の大会ももちろん、その通りの流れです。ただ、連合系労組時代はほとんど討論らしい討論もなく、筆者が一人で発言などと言うこともよくありました。孤立を恐れる筆者ではありませんが、とはいえ、発言にはエネルギーもいります。

筆者も、最初は皆さんの発言・討論を伺って勉強のつもりでした。とくに、女性の非正規公務員、自治体関係公益法人の職員の皆様の痛切な現状報告や、いきいきと意見を述べられている様子に触発され、思い切って挙手して発言機会を求めました。
県庁時代と現在の介護現場時代の経験を踏まえ発言させていただきました。

まず、最初に「わたしは、広島県庁職員だった時代には連合系自治労の支部役員をさせていただいた。大会などでは、女性の参加者も少なく、発言もほとんどなかった。それとくらべるとこちら(自治労連)は女性の発言者の方が多く、生き生きと発言されているのに感激した。」とまず感想を述べさせていただきました。

その上で、「広島県の前知事(藤田雄山、故人)はわたしが県庁職員だった時代に86あった市町村を23に減らすという市町村合併を強行した。県は市町に権限を委譲したという理由で、市町は合併して効率化したという理由で職員の総数を合併前より減らしまくった。わたしの在職中はまだ大阪維新は存在しなかった。しかし、広島県は実は、維新でさえもここまではしないひどい新自由主義だった。」と回想。

「しかし多くの県民が気づいていない。きちんと労組が先頭に立って世論に訴えるべきだと感じた。」と指摘。

その上で、「岸田さんの介護労働者賃上げは全く不十分である、安倍さんはコロナで5万円くれたけど我が施設は岸田さんになってからクラスター二度発生もなんの手当もない。賃上げも他業界も一応給料アップの中焼け石に水だ。」と指摘しました。

そして、「なかなか、組合に入ってもらうのは難しいが、例えば『公務員は給料が高すぎる』という民間労働者の仲間がいれば、『いやいや。俺らの給料を公務員並みに引き上げていくのが大事じゃないかな』とやんわりいうなど、地味なところからでも取り組んでいる。一緒にがんばろう」と呼びかけました。

◆欠員相次ぎ、非正規で穴埋め常態化──女性が多い職場から危機感

さて、この筆者の発言と前後して、県内各職場からは「人が足りない」という報告のオンパレードでした。そして、欠員は非正規で埋めるということが常態化している状況が報告されました。

そして、非正規なのに重責を負わされる実態が全部の自治体や公益法人共通でありました。特にある自治体の給食調理員はなんと8割が非正規だそうです。コロナで休む人が多く出る中で、綱渡り状態で業務を回しているとのことです。

特に女性が多い職場が狙い撃ちにされてそうなっていることがよく浮かび上がりました。

◆市町村合併→公務員数削減による惨状の報告

また、筆者が県庁職員だった時代に目撃した市町村合併後、職員が減らされた上に仕事は県から押し付けられてから15年余りたっています。筆者が当時、懸念した通り、その悪影響が今出ており、市町は惨状を呈しています。

病気や死亡などで退職が相次ぐのに補充されない自治体。給料水準が十分でないため、県や他県の自治体に受験者が流れてしまっているそうです。

別の山間部の自治体では、職員の2割が精神疾患で仕事をしながら療養中という惨状です。その自治体では病気になって本庁で勤務が難しくなった人を支所に回しているそうです。その結果、支所が療養中の人であふれ、業務に支障をきたしています。

◆大阪維新真っ青の広島の新自由主義、十数年たってつけ噴出

まさに、広島県の前知事・藤田雄山(故人)が総務省いいなりで進めた大阪維新の会も真っ青な新自由主義。そのつけが十数年たって噴出していることを痛感しました。

そして、その状態を現知事の湯崎英彦さんも、その湯崎さんを推薦する自民、公明や立憲民主党、連合など国政野党や大手労組も是正しようとしていません。さもなければ、こんな惨状にはなっていないでしょう。

2004年の合併で1市3町3村が1市になった三次市。衰退は加速する一方、公務労働者への負担は過重に。筆者撮影

筆者も、参院選再選挙2021や参院選2022で特に合併が大きく進んだ(その結果公務員も大幅に減った)地域を遊説し、その衰退ぶりに改めて憤りをおぼえているところです。

もはや、「ガツン!」という勢いで公務員を正規で増やすくらいの覚悟がないと、医療、福祉、防災、教育などあらゆる分野で県民の安全、安心も守れないし、地域の衰退も加速するだけだ、と改めて痛感しました。

2021年秋に発足したデジタル庁の進める行政のデジタル化もどんどん県民のニーズが複雑化する中で、業務を効率化して負担を軽減するならいいのですが、そうではなく、「行政職員数の半減」に悪用されたら大変です。これはIT導入による職員削減を岸田政権がもくろんでいる介護現場においても共通の課題です。IT化で負担は軽減しつつ、すでに少なすぎる公務員は正規で補充し、行政ニーズの多様化に対応する。これが当面、あるべき方向ではないでしょうか?

筆者は、政治活動と労働運動、車の両輪で新自由主義に対抗していく決意を新たにしました。基本的に、どこに属しようが筆者自身の主張や姿勢に大きな変更はなく(もちろん、時代に合わせてアップデートはしますが)、与えられた場所で頑張るだけです。

公務員を引き下ろしてスカッとするのではなく、労働者全体を底上げし、せめて正規公務員並みに、ということです。

民間の立場からいわれのない公務員バッシングには反撃します。官民を超えた労働者同士での「集団的自衛権」の行使は積極的に行います。

逆に公務員の皆様におかれても、介護、保育、医療を含む民間の労働者の待遇改善にもご協力いただけるよう伏してお願い申し上げる次第です。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

しばき隊事件に見る、ツイッターの社会病理 「リンチは無かった」とする暴論 黒薮哲哉

詭弁で事実を捻じ曲げる風潮が広がっている。筆者が取材してきた「押し紙」問題では、人権派弁護士が「押し紙」は一部も存在しないと公言し続けているし、「しばき隊」のメンバーが起こした暴力事件でも、やはり人権派弁護士が「リンチは無かった」と公言して憚らない。

客観的な事実と個人の願望を混同しているのだ。それをSNSで公の場に持ち込むと社会に混乱が生じる。

吉田拓郎の歌「知識」に次のようなフレーズがある。

人を語れば世を語る
語りつくしているがいいさ
理屈ばかりをブラ下げて
首が飛んでも血も出まい

「理屈ばかりをブラ下げて首が飛んでも血も出まい」とは、頭でっかちになって人間性を喪失しているという意味である。詭弁を弄して世を渡るインテリに対する批判である。

詭弁がエスカレートすると虚像に変質する。それがソ―シャルメディアなどを通じて不特定多数の人々に広がる。その結果、世論論誘導が進む。

本稿は、11月12日付けのデジタル鹿砦社に掲載した記事、《「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマ」とツイートした高千穂大学の五野井郁夫教授、事実の認識方法に重大な欠陥》の続編である。続編では、ツイッターの社会病理に焦点を当ててみよう。

「保守速報」の提訴に際して、日本外国特派員協会で記者会見する李信恵(左)と上瀧浩子弁護士(右)。この会見の約3カ月後に、しばき隊が暴力事件を起こした。

◆上瀧浩子弁護士の2件のツィート

既報したように発端は、高千穂大学の五野井郁夫教授の次のツィートである。

こちらの件ですが、担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、「しばき隊がリンチ事件を起こした」等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています。デマの拡散とわたしへの誹謗中傷に対する謝罪と削除を求めます。

2014年12月17日に大阪市の北新地で「しばき隊がリンチ事件を起こした」というのは根拠のないデマだという記述である。筆者は、この事件をを取材した関係で、リンチ(私刑)はあったと考えている。たとえ計画性や共謀性がなくても、感情を高ぶらせた人間が弱者を取り囲み暴力に至れば、普通の感覚からすれば集団で私刑に及んだと考えるのが常識だ。

そこで筆者は、次の質問状を五野井教授に送付した。

1,「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明」されたと摘示されていますが、裁判では主犯のリーダに対する損害賠償命令(約114万円、大阪高裁)が下っており、「根拠のないデマ」という認識は誤りかと思います。先生は、何を根拠に「根拠のないデマ」と判断されたのでしょうか。

2,次に先生が記事や論文等を執筆される際の裏付け取材についてお尋ねします。引用したツィートを見る限り、原点の裁判資料を重視せずに、神原元弁護士の言動を事実として鵜呑みにされているような印象を受けます。具体的に先生は、どのようにして事実を確認されているのでしょうか。また、大学の学生に対しては、この点に関してどのような指導をされているのでしょうか。

これに対して五野井教授から次の回答があった。

担当者様
上瀧浩子弁護士を通じて鹿砦社にお送りした通りです。
以上。

上瀧浩子弁護士というのは、熱心にカウンター運動を支援している京都の弁護士である。
 
筆者は鹿砦社に、その上瀧弁護士からの回答が届いているかどうかを問い合わせた。鹿砦社からは、届いていないと回答があった。しかし、この問題に関する鹿砦社のツィートに対して、上瀧弁護士が次の2件のツィートを投稿したと伝えてきた。

 

◆ツイッター上の舌足らずな回答

五野井教授がいう上瀧弁護士から鹿砦社へ送った回答とは、おそらく引用した2件のツィートのことである。ただ、筆者の質問は、何を根拠に五野井教授が暴力事件を「根拠のないデマ」と判断したのかという点と、大学生に対してどのような事実の確認方法を指導しているのかという点である。

従って上瀧弁護士のツィートが回答だとすれば、第2の質問に対する回答がない。そこで念のために上瀧弁護士に対して、五野井教授の代理で、筆者への回答書を鹿砦社へ送付したかを書面で尋ねてみた。上瀧弁護士から回答はなかった。無回答の場合は、送付していないと見なすと記していたが、回答は無かった。

この時点で筆者は五野井教授が意味する回答とは、上瀧弁護士の2件のツィートだと判断した。同時にツイッターというメディアの軽薄さを感じた。記述が舌足らずにならざるを得ないようだ。まさに呟いているレベルなのだ。

◆上瀧・五野井の両氏は通常のメディアで説明を

筆者は、重大な問題をツイッターで議論することには賛成できない。1ツイートが140文字だから、思考を論理的に構成することは不可能に近い。たとえ連続投稿しても、全体像が把握しにくい。結局、裏付けがあいまいな我田引水の記事が投稿されることになりかねない。

上瀧弁護士は、「M君の行動に怒った個人が暴力振るっただけなんですけど?」とツィートしているが、この記述だけを切り離して読むと、李信恵には何の責任もないような印象を受ける。単なる「こぜりあい」に感じる。

しかし、裁判所はそのような判断をしていない。たとえば李信恵が鹿砦社の書籍に対して名誉毀損で訴えた裁判では、大阪高裁が次のような認定をしている。「共謀」についても言及している。

被控訴人(李信恵)は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。

本件において控訴人(鹿砦社)の被控訴人(李信恵)に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また、法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、AによるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。(控訴審判決、10P、裁判所の判断)

上瀧弁護士の2件のツィートは、重要な部分を記述していない。たとえば、こうした司法認定について、弁護士としてどう考えるのかといった点である。

上瀧弁護士のツイッターのフォローファーは8000人を超えており、一定の影響力を持っている。彼らの大半は、裁判書面を読んでいない。情報は、そのまま鵜呑みにされる公算が高い。五野井教授のフォローファーに至っては、2万2000人を超えている。

上瀧・五野井の両氏は通常のメディアで、何を根拠に2014年12月17日の暴力事件がリンチではないと断言しているのか説明すべきだろう。それが言論人の責任ではないだろうか。

◎関連記事 黒薮哲哉「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマ」とツイートした高千穂大学の五野井郁夫教授、事実の認識方法に重大な欠陥 

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ── 夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い〈2〉 尾崎美代子

◆動燃の説明で強まる不信感と疑念

動燃は、トシ子さんに成生氏の死の経緯の説明など行わない一方、ささやかな葬儀を予定していたトシ子さんに、ハイヤーが6台入るようにもっと広い会場を、4人に弔辞を読ませる時間がないと困るなどと注文をつけ、葬儀を取り仕切った。

実際、葬儀には1500人もの参列者が訪れ、梶山静六官房長官(当時)はじめ田中真紀子氏ら国会議員、原発立地の県会議員、原発関連企業幹部ら「大物」の名前が並び、費用は西村家が出したにもかかわらず「社葬」のようだった、とトシ子さんは振り返る。「夫はもんじゅ事故騒ぎの鎮静化のために亡くなったというふうに、政治的に利用されているのではないか」。

 

トシ子さんは涙も見せず、葬儀を注意深く見ていた。「当日読まれた弔辞を全部あわせて読むとよくわかるんです」と、4人の弔辞内容が巧妙に連携されていたと説明する。科技庁・石田寛人事務次官の「明日へのエネルギー確保のための原子力」、動燃・大石博理事長の「もんじゅ事故の混乱」、関連企業ペスコ・竹ノ内一哲会長の「ホテルで1人で遺書を書き」、そしてT秘書役の「自ら命を絶った」と。

実際、成生氏の死後、動燃批判は一挙に沈静化したが、トシ子さんの疑念はますます強まっていった。葬儀の10日後、トシ子さんは、葬儀に献花した閣僚らに対し、動燃内の成生氏の事務机の封印について嘆願書を提出し、その10日後、科技庁事務次官から「奥さんの望むようにした」との返書が届いた。

一方、トシ子さんは大石理事長に、夫の死について何度も説明を求めたが、まったく返答はなかった。そんななか4月22日、T秘書役から「説明したい」と連絡があった。

T氏は、成生氏から遺書を受け取った1人であるが、夫の大学の同窓生でもあった。待ち合わせ場所は動燃本社ビル地下にあるスナックだった。トシ子さんは、そこに現れたT氏からてっきり動燃社内に案内されると思いきや、近所の居酒屋に案内された。

そこに大畑理事が現れ、T氏と2人で酒を飲み始めた。「夫の死の話をするのに、どういう神経をしているのかしら?」と訝しく思うトシ子さんに、T氏は「西村職員の自殺に関する1考察」と題した社用箋に手書きした文書を手渡した。

そこには、成生氏の死は、前日の会見で、本来上層部がビデオの存在を知ったのは、前年12月25日だったから、成生氏は「12月25日」と返答すべきところ、「1月10日」と言い間違えて返答してしまったことを苦に自殺したという内容だった。

「それは違う」。トシ子さんは咄嗟に思った。前述したように、夫の死後、トシ子さんに返された成生氏の鞄に入っていた記者発表の想定問答集には、「12月22日から1月11日の間」と記載されていたが、当日、2回目の会見で、大石理事長が「1月11日に初めて知った」と答えたことから、成生氏は、安藤理事、廣瀬広報室長と行った3回目の会見で、理事長発言の1月11日の1日前の「1月10日」と答えるしかなかったのである。

しかもその答えを、同席していた安藤理事や廣瀬広報室長も訂正しなかった。それは動燃の「統一見解」であったからだ。成生氏も仕方なく従うしかなかったのだ。成生氏が「言い間違えた」というなら、同席していた安藤理事、広報室長らが訂正したり、再度会見を開くことも可能だったのに、行っていなかった。

そんなトシ子さんの思いも知らず、T氏は「西村は発作的に自殺をしてしまったんだ。でも潔ったよ」と語ったという。

「事実は違うと思います。夫は当日、ホテルでファックスを受け取ったそうですが、その受信紙は今どこにあるんですか?」とトシ子さんは2人に問い詰めた。

すると大畑理事は、顔色を変え、突然店から出て行ってしまった。そのファックス用紙が存在すれば、刻印時刻に成生氏がホテルに宿泊し、その時刻まで生存していた第一級の証拠物であるというのに、警察と動燃は、その後の裁判においても証拠提出していない。

 
夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

◆夫の死後、初めて涙した日

数日後、自宅に〈「動燃もんじゅ大事故」と「ビデオ隠し」の犠牲者〉と題された記事が掲載された講談社発行の月刊誌が、差出人不明で届いた。内容は、先日聞いたT氏の「1考察」に沿う内容で、T氏自身も実名でコメントを寄せていた。

「数日前の奇妙な説明は、この記事が出る前、私を説得させるためのものだったのか」とトシ子さんは考えた。

1年後、その記事を見せた知人に「それは変だ。調べ直したほうがいい」と言われ、夫の遺体を死亡確認した聖路加国際病院の医師に説明を求め電話を入れた。

驚くことに医師は、トシ子さんからの連絡を待っていたという。成生氏の死に不信を感じていたのか、当日トシ子さんに話をするため霊安室に向かったが、入口で動燃職員に止められたという。

医師はトシ子さんに、(成生氏の遺体は)「死後、10時間くらい経って、病院に連れてこられたんですよ」と、驚くべき事実を伝えてきた。

直腸など身体の奥の外部の気温などに左右されにくく、常に約37度で安定している「深部体温」から推測すると、成生氏の死亡推定時刻は、動燃や警察が発表した午前5時頃よりかなり前だというのだ(法医学では気温が常温18度の場合、遺体の深部体温は1時間に1度低下するとされるが、1月で気温が低かったため、少なくとも午前1時までには死亡していたと推測される)。

監察医は、死体検案書に成生氏がホテル8階から転落、「即死」したのが午前5時頃と記載、搬送先の聖路加国際病院の医師が、死亡確認した時刻は6時50分で、その時の「深部体温」は27度と記載していた。

その後、トシ子さんが何人かの法医学者に尋ねたところ、午前5時から6時50分までの約2時間で、深部体温が10度も低下することについて、全員が「あり得ない」と答えた。

さらに、側頭部のレントゲン写真を撮ったところ、頭の中央部が白く映っており、脳幹に空気が入った状態だったことがわかった。脳幹には生命維持機能があり、脳幹に空気が入ると息が止まり、致命傷になるとのことだった。

数日後、トシ子さんは、聖路加国際病院が撮影した成生氏のレントゲン写真を受け取り、付添人と病院の庭園で封を開け、写真を見た。夫の頭蓋骨、胸郭には、骨折など目立つものは何もなかった。

「頭蓋骨骨折で…」と書いた新聞もあったではないか…。死んだ夫のレントゲン写真が、夫が8階からの飛び降り自殺ではない事実を証明してくれたのだ。霊安室でも葬儀でも泣かなかったトシ子さんが、その時初めて涙した。(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44727
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44733

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

勤務先で3度目のコロナ発生! 重篤な基礎疾患にもかかわらず病院から「強制送還」される入居者たち さとうしゅういち

筆者は、広島1区の介護施設(本稿では以下弊社とします)と、広島4区(安芸郡)の介護施設で介護福祉士として働いています。

◆これまでのクラスターも「野戦病院」状態だったが

ちなみに、これまでたびたびご紹介した外国人労働者の流出が起きているのは広島4区の介護施設です。(※関連記事)

こちらの4区の施設でもクラスターは2022年9月に発生しています。筆者は、クラスター発生に伴い、欠勤者が出たために、夜勤のピンチヒッターに入りました。

台風が九州から中国地方を襲った日にも、電車が止まっているため、暴風雨のなか、自転車で駆け付けたのを記憶しています。そうしないと、施設が回らないから、と思ってかけつけました。このときは、全身がずぶぬれになり全部着替えたのを覚えています。

夜勤の時は、台風に伴う熱帯性の暑くて湿った空気の中、防護服着用で一晩を過ごし、汗びっしょりになったのを覚えています。

さて、広島1区の弊社では、2022年2月と8月にクラスターが発生しました。8月のクラスターでは入居者様13人、職員8人の21人が感染確認。入居者様の4人に1人以上が感染し、うち二人が救急搬送。職員も不足が続き、広島弁でいえば「わやくちゃ」な状況でした。(※関連記事)

2月のクラスターは、弊社で初のクラスターで入居者様6人、職員2人が感染。このときも職員不足とのダブルパンチで、野戦病院のような状態になりました。(※関連記事)

いずれも、入居者様に、食事を個室で取っていただきました。そして、食堂に入居者様が来ておられるときは食事介助をまとめてすることができましたが、これらの時はそうはいきません。普段よりむしろ必要職員数が増えた上に、職員も倒れた状況でした。

◆弊社の前に救急車が!?

さて、筆者は、2022年11月9日に弊社に勤務した後、10日は、地元安佐南区での政治活動のあと、夜は11月11日は4区の介護施設で1日勤務。12日は、人手不足により、急遽4区の介護施設で半日勤務。13日は、広島市内で組合活動。14日は広島4区の介護施設で1日勤務。

こんなあわただしい日程をこなしていました。そして、15日。わたしは午前中、妻の通院に付き添い、午後から弊社に出勤しました。

すると、弊社の前に救急車が止まっています。いったい何事かと思って、同僚に聞きました。入居者様の一人が12日にコロナに感染が確認。その入居者様(仮にAさんとします)は、体温こそ38度とまだ「軽症」の部類ですが、酸素飽和濃度が低下するなど、いわゆる中等症に近い状態になっていたそうです。それに加えて、若手職員1名がコロナへの感染が確認されていました。

ただ、12日から、このAさんのケアに当たっていた同僚たちからすれば、Aさんの入院で、他の入居者への拡散の可能性が低下してほっとしていたのも事実です。過去2度の弊社クラスターでも、軽症で要介護度が低い方が、元気なゆえに、他の入居者様の部屋を訪れて、いわゆるスーパースプレッダーになってしまったからです。ただちに、以降の入浴は中止。Aさんの居るフロアの人は全員個室で食事となりました。

ところが、ほっとしたのも、つかの間です。今度は、翌16日、別のフロアの入居者Bさんの感染が発覚しました。

◆手術直前にコロナ発覚、弊社に「強制送還」

Bさんは、泌尿器系の重篤な病気があり、それが悪化していました。そこでこの日、同じ区内の大型病院で手術の予定でした。もちろん、この16日の朝、施設を出発した時点ではコロナ感染は確認されていません。

ところが、Bさんは、病院の「関所」で引っかかってしまいます。すなわち、手術前に、PCR検査を受け、15分から30分で結果が出る関所で、コロナ感染が確認されたのです。

その病院には、コロナ病棟ももちろんあります。このBさんは、重篤な泌尿器系の病気がありますから悪化が心配です。当然、コロナ病棟に回されるかと思いきや、なんと、弊社に「強制送還」されてきたのです。

Bさんの「強制送還」により、Bさんのフロアの入居者様は全員個室で食事をとっていただくことになりました。

またまた、「てんやわんや」の状況です。「そのまま入院してくれれば、弊社の負担は軽減されるのに。」と多くのスタッフが思ったのは間違いありません。

◆なぜ「強制送還」されたのか?

なぜ、コロナ病棟もある病院から、Bさんは「強制送還」されたのでしょうか? その一つの理由は、入院には依然として、保健所を介在させる必要があるからです。保健所に感染を登録して、そして、保健所の指示に従って入院などもする。そういう仕組みだからです。

もう一つの理由は、今は、以前の第一波やデルタ株の時と違い、オミクロン株やその変異株です。ワクチンの効果もあって重症化率は低い一方で、感染者の数はけた違いです。したがって、県としても、コロナそのものの症状がないBさんの場合は、入院の対象にならないわけです。

もちろん、医療機関の負担を減らすためにはやむを得ない措置というのは理解します。ただ、おかげで、また、弊社など介護施設内での感染が広がる危険が出てきます。

◆経済優先というなら、それによる介護現場の犠牲には補償を!

もうひとつは、岸田政権は、安倍政権、菅政権以上に、経済優先の姿勢です。もちろん、観光業、飲食業など、これ以上、緊急事態宣言などしたら、もたない、というのも理解します。他方で、それにより、介護現場には大きなしわ寄せがきているのです。

安倍政権はそれでも、介護現場に勤務する労働者に一人5万円の報償金を出しました。しかしながら、岸田政権では一度もそういうことはありません。介護労働者の給料3%アップはされましたが、物価上昇、あるいは他業界の賃上げ、インフレ手当の支給などの中で実質的には相殺されてしまっています。

地元の岸田総理には経済優先で行くなら、その分、負担が来る介護現場にも手厚く。せめて、これだけは、強くお願いするものです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
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《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ── 夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い〈1〉 尾崎美代子

1996年1月13日、千葉県柏市に住んでいた西村トシ子さんは、早朝、突然の電話で起こされた。

「西村さんが救急車で運ばれました」

電話をかけてきたのは、夫・西村成生(しげお)氏が勤務する動燃(動力炉・核燃料開発事業団、現在は国立開発研究法人・日本原子力研究開発機構)の安藤隆安全管理担当理事だった。15分後再びかかった電話で、成生氏の死亡が告げられた(当時49歳)。

 
夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

安藤理事に「お宅にハイヤーを差し向けたので、それに乗るように」と告げられたトシ子さんは、まもなく到着したハイヤーに2人の息子と乗り収容先の聖路加国際病院に向かった。ハイヤーのラジオで、成生氏が宿泊先ホテルの非常階段の8階から飛び降りたらしいとのニュースを聞いた。

「遺体は相当酷いだろう」。そう危惧しながら霊安室に入ったトシ子さんは、遺体と対面するなり「えっ」と声を上げそうになった。遺体は、顔と肩に腫れた青痣、両腕に多数擦過傷があるものの、30メートルもある8階から、非常階段下のコンクリート床に飛び降りたとは思えない状態だったからだ。

警官からは、死体検案書、トシ子さん宛の遺書、成生氏の腕時計、財布、鍵の入った封筒が渡された。遺書は成生氏の字に間違いないが、遺体には殴られたような跡があったことから「無理やり書かされたのではないか? 何かがおかしい」と直感したトシ子さんは、嗚咽を漏らす長男の傍らで、ただ立ち尽くしていた。

霊安室から出ると、成生氏と同じホテルに宿泊していた総務担当理事の大畑宏之氏が「僕が付いていながら、こんなことになって……」と詫びながら、トシ子さんに成生さんの鞄とコートを渡した。

◆もんじゅ事故とビデオ隠し事件

実は前年(95年)の12月8日、動燃運営の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)がナトリウム漏れ事故を起こし、核燃料サイクルはとん挫し、原発の安全神話は崩壊し、事故の報道や反原発運動で騒然となる中、事故現場を撮影したビデオを隠した事件が発覚し、さらに大きな社会問題になっていた。

動燃は、事故翌日の午前2時に撮影したビデオ(「2時ビデオ」)の存在を隠し、マスコミには午後4時に撮影したビデオ(4時ビデオ)を公表していた。

それは15分のビデオから生々しい事故状況を隠し、1分に編集したもので、その事実が20日発覚、動燃の秘密主義・隠ぺい体質に非難が強まり、所長が更迭に追い込まれる1方で、動燃や監督官庁である科学技術庁(当時)へ、原発反対を訴えるデモがおしかけられていた。

21日、成生氏は「ビデオ隠蔽問題」の調査を命じられた。成生氏は、前年10月、茨城県東海村事業所から動燃本社(東京)の総務部次長へ転属し、人形峠(鳥取・岡山の県境)のウラン残土問題の住民対策の特命を命じられていた。

そんな成生氏に「ビデオ隠蔽事件」内部調査団の副団長という、さらに困難な任務が課せられた。「もんじゅに担当にされてしまったよ」。家で滅多に仕事の話をしない成生氏が、そうこぼしたときから、トシ子さんは「妙な胸騒ぎ」を感じていたという。

◆記者会見後の不可解な「自殺」

12月22日、科学技術庁(当時)の強制立ち入り調査で、隠していた「2時ビデオ」の存在が発覚。自身もかつて動燃職員だったトシ子さんは憔悴した夫の様子が気がかりだった。

23日~24日、成生氏が、敦賀市のもんじゅで60人もの職員から聞き取り調査を行った結果、問題の「2時ビデオ」が事故翌日、東京の動燃本社にも運ばれていたことが判明した。

翌日本社で調査団長鈴木氏を通じて、大石理事長にその事実を告げると、理事長から「本社関係者からも、詳しい事情聴取を行うように」と命じられた。しかし、大石理事長自身は国会の参考人に呼ばれた際も、本社関与に言及することはなかった。

1996年1月11日、社会党(当時)から自民党に政権交代したことを受け、新科学技術庁長官に就任した中川秀直氏が所信表明することになった。

午後11時、成生氏から「明日の所信表明を録画しておいてくれ」と電話があり、それがトシ子さんの聞いた夫の最後の声となった。というのも、深夜帰宅後、すぐに就寝した成生氏とは話もできないまま、翌朝、いつもはコーヒーを飲んで出かける夫が、コーヒーも飲まずに家を出たからだ。

1月12日午後4時過ぎ、中川秀直科学技術庁長官が「2時ビデオは動燃本社に持ち帰られ、本社の者も見ていた」と発表したことを受け、動燃は第1回会見を4時20分から、急きょ行った。

最初の安藤理事の報告に、記者からは「納得できない」などの声が飛び中断、次に第2次会見を行った大石理事長は「知ったのは1月11日だった。本社上層部はビデオの存在を知らなかった」と虚偽の報告を行った。しかし、同じく記者らの質問には答えず「詳細は担当者に答えさせる」と会見を打ち切った。

その後、動燃の広報室は科技庁へ「実は(前年の)12月25日に知っていた」と手書きの、10枚のファックスを送信していた。そのファックス紙には成生氏の会見が始まる直前の午後8時32分と刻印があった。

しかし、不可解なことにそのファックスは、成生氏の鞄の中に2枚だけしかなく、ほかの8枚は見当たらず、何が書いてあるかもわからなかった。

成生氏が引っ張り出された第3回目の会見が始まったのが、午後8時50分。そこで成生氏も「1月10日だった」と発言した。成生氏の死後、返却された鞄に残された「想定問答集」には「12月22日から1月11日の調査の過程で判明した」と記載され、これが動燃の統一見解だったからだ。それにも拘わらず、大石理事長が「1月11日初めて知った。本社上層部はビデオの存在を知らなかった」と虚偽の発言をしたことにより、成生氏は「1月10日だった」と答えるしかなかったのだ。

3回の会見はそれぞれ虚偽発表を行い、記者などを混乱させたのである。会見終了が午後10時5分。その後、成生氏は、翌日早朝から大畑理事と敦賀市で会見を行うため、2人で日本橋の「センターホテル東京」に0時45分にチェックインしたことになっている。しかし、その後の裁判で、大石理事長、安藤理事、廣瀬広報室長は「大畑理事と成生氏が敦賀に会見に行くことは知らなかった」と証言し、大畑理事とT秘書役のみが「敦賀に行くことを知っていた」と証言したのである。

トシ子さんはこれにも疑問を呈する。「前日敦賀入りするならば別だが、出張の当日都内のホテルに宿泊するなんて、それまで一度もありませんでした。まず宿泊代が出ませんから」。

午前2時半頃、ホテルのフロントに動燃から成生氏宛のファックスが5枚送られ、それを浴衣姿の成生氏が取りにきたという。その5枚のファックス受信紙は裁判の証拠としても、いまだに提出されていない。

「そもそも、科学技術庁での記者会見の議事録という極秘文書をホテルにファックスで送るだろうか? 動燃本社とホテルは車で15分とかからない。直接夫に手渡すはずだ」と、トシ子さんはこれにも疑問を呈する。

遺体発見は、その4時間後。ホテルのモーニングコールに出ず、約束の6時前、フロントに降りてきた大畑理事が不審に思い、成生氏の部屋の鍵を開けて入ったところ、3通の遺書を見つけたという。

6時過ぎ、非常階段の下で、スーツ姿でうつぶせの成生氏の遺体を発見、搬送先の聖路加国際病院で死亡が確定されたのが6時50分。中央署と大野曜吉監察医は、聖路加国際病院で死体検案書を作成したが、遺書があったことから自殺と断定され、司法解剖は行われなかった。

なお中央署は、遺体着地点の現場検証写真を撮っておらず、のちにトシ子さんに見せたのは、担架にうつ伏せに乗せられた成生氏の写真、それも一方向からの1枚のみだった。成生氏の遺体は、その後全身をさらしにまかれた状態で、病院の救急用駐車場に、動燃があらかじめ準備した車を配備し、段取り良く乗せられ、遺族に返されたが、成生氏のスーツ、下着、靴などは返還を拒否された。

当日の午後、会見した大石理事長は、成生氏の死を「自殺」と断定し、自身に宛てられた遺書を読み上げたが、のちにその内容まで改ざんされていたことが判明した。(つづく)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

広島の外国人労働者が流出する理由 「労組代表」の筆者の説明で納得の町幹部 さとうしゅういち

介護福祉士である筆者は、広島県安芸郡の介護施設(以下、弊社とします)に派遣される形で勤務しています。また、広島県内の自治体労働者や公共関連の労働者で構成される「広島自治労連」の執行委員をこの10月から拝命しています。

以前、ご紹介したとおり、弊社では外国人労働者が多く働いておられます。しかし、最近、次々と辞めていかれます。賃金のより高い東京に行かれるのです。すぐに新人の外国人労働者が入ってこられるのですが、数か月でまた東京の介護施設へ転職される、という傾向が最近定着してしまっています。円安の中で、政情不安もある母国への送金をより多く確保するため、東京へ、という彼女たちの選択ですので引き留めることはできません。そんな中、筆者は、地元の自治体に対して、この問題について、改善をお願いする機会をいただきました。

筆者の属する労働組合「自治労連」が加盟している「広島県労連」が事務局となっている「国民大運動実行委員会」は、「自治体キャラバン」と銘打って毎秋、自治体首長と議会を表敬訪問し、労働や医療、福祉、教育など様々な課題の改善をお願いしています。

今回、11月8日に安芸郡内の自治体を訪れる「キャラバン」があるということで、「外国人労働者流出問題」を取り上げたいと考えていた筆者は参加させていただきました。組合の会議で、「誰か行く人はいませんか?」と募集していたので渡りに船と考えていた筆者は「あ、俺、行くわ」と手を挙げた次第です。この鹿砦社通信含めて様々な媒体でこの問題を取り上げたり、街頭演説で訴えたりする。これも大事です。

実は、11月3日に、広島県庁前で筆者の組合も参加する「県民大集会」があり、筆者も参加しました。その開会前に、医療労働者の組合・医労連が、「医療・介護職員の大幅増員と夜勤の改善」を求める署名活動をされていました。

筆者も「乱入」し、マイクを握り、「外国人労働者も広島の介護現場から流出している。日本人がやりたくないことは外国人もやりたくないのだ。いまこそ、ガツンと待遇を改善し、大幅増員で環境も改善を。」などと訴えました。しかし、やはり、行政・議会にもきちんと働きかけることが大事です。そこで、今回このキャラバンに参加した次第です。

11月8日、この日はまず、わたしにとり、組合の上司でもある広島自治労連の浜崎書記長が代表して、要請書を先方の首長(代理で担当部長)、議長(代理で事務局長)に提出しました。

提出した要請書では、国保料や介護保険料について、減免の充実や減免の周知徹底、事業主にも国保の傷病手当を求めています。物価の高騰については、医療や介護などの事業所への支援の充実を求めています。最低賃金については、1500円に引き上げることを求めています。子ども医療費については、県としても、小学生以上にも助成を行うことを求めています。存廃問題が焦点となっているJR芸備線などについては、国の責任で維持するように求めました。

その後、参加者から具体的に要請が行われました。病院の経営者からは、年間で数千万円、光熱水費の負担が増えているとの訴えがありました。医療者の団体からは経済的困窮からがんの治療などが手遅れになって亡くなった人が続出していることへの対策を求めました。

また、医療関係の労働組合役員からは「弊社ではここ数年で10円しか時給が上がっていない」と窮状の訴え。最低賃金を上げることで、韓国では一時は混乱が起きたが、現在では一人当たりGDPでも日本を抜いている、と指摘。賃上げの必要性を力説しました。

わたしは、自分の勤務先の安芸郡の弊社から東京に外国人労働者が次々と流出している問題を主に取り上げました。
(前回記事参照)

「このままでは介護現場は持たぬ。3%の政府の賃上げでは到底足りない。介護現場の大幅賃上げに協力していただきたい。」

「弊社の場合、日本人スタッフが最低賃金ギリギリ、外国人労働者がその約1割増し、派遣のわたしが1100円。それでも、外国人労働者は出て行ってしまう。円安の中で、ちょっとでも故国に送金をしないといけない彼女たちのことを思えば止められない。最近では、外国から広島に来てしばらくして東京の給料が高いことを知って弊社を辞めていく方も多い。すぐにやめられてしまうと、戦力として育たない。」

「もちろん、最低賃金と同額の時給の日本人については、若者は入ってこず、年金が足りないから働かざるを得ないという年配の方が多い。」と訴えました。

◆自治体側も筆者の要望で外国人労働者の「真相解明」

安芸郡のこの自治体では実は町長さんも外国人登録が伸び悩んでいることを「なぜだろう?」と気に掛けて、この日対応された部長さんに分析を命じていらっしゃったとのこと。そうすると、介護現場の労働者において転出が多いことがわかったとのことです。

部長さんは、わたしの発言をお聞きになって、「そういうことか?!よくわかりました。」と、納得されていました。

また、最低賃金を全国一律1500円にすることについて「東京は物価が高くて生活費も高いのでは?」という当局の方からの疑問に対しては、同行した組合幹部の方から、「東京では住居費は高いけれども、公共交通が発達している。地方はクルマに依存せざるをえず、維持費がかかるので生計費はあまりかわらない」と補足。

わたしからも、東京で育ち、県庁職員時代は山間部で仕事をした経験から、「東京は、実は安い飲食店も多い。わたしは2000年に東京から広島に来たが期待ほど安くなかった。しかし、さらに山間部に赴任すると、メシを食うところは少ないし、あっても広島市より高い。地元の商店に並ぶものも高いし品質もいいと言えない。だから、地方の最低賃金も上げないと結局、外国人も日本人の若者も流出してしまうと思う」くと、納得されていました。

今回、自治体幹部の方とも、実体験に基づいて要望をしていくことの重要性を感じました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

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ピョンヤンから感じる時代の風〈11〉異常円安、日本が買われてしまう 小西隆裕

◆円安が止まらない

尋常ではない。何が起こってもおかしくない時代、これもその一つかも知れない。しかし、それにしても異常だ。それが、昨今の円安ではないか。

1ドル、148円。一昔前には、考えられない安さだ。これが年を越してまで続くと言われている。下手をすると200円を超すかも知れない。

1ドル、360円の大昔、ドル危機以前への逆戻りだ。そんな冗談も冗談でなくなってしまう。そんな勢いだ。

一体、何が起きているのか。この異常円安の原因をさぐるとともに、それがもたらす日本経済と日本への影響について考えてみたい。

◆なぜ止まらないか、異常円安

言われているのは、米FRBの政策金利の引き上げだ。このところうち続く、0.75%を前後する連続大幅利上げ。合計すると4%を超えると言う。

この常軌を逸した政策利上げが、大挙しての円売りとそれにともなう急激な円安の主因になっているのは間違いない。

問題は、なぜ今この異常な政策金利の引き上げかということだが、それについては、現在米国で進行中の高インフレ、景気の過熱に水を掛けるためだという公式見解以上のものは出てきていない。

だが、この異常円安の原因はFRBのこの異常な政策利上げ以外にもあるように思える。それは、日本自体の「価値」が下落しているからではないだろうか。

特にそれは、この間のウクライナ戦争を契機に日本の「原料・燃料小国」「食糧小国」としての姿が浮き彫りになってしまったからではないかと思われる。

実際、この戦争、特に、それに対する米欧側のロシアへの制裁を通して、原油やガス、穀物など世界的な原料・燃料難、食糧難が顕在化しているが、そこでそれらの自給率がひときわ低い日本の姿が目立つようになったということだ。

それがFRBの政策利上げで生まれた円安に拍車を掛けたというのが、この異常事態の本当のところと言ってのよいかも知れない。

◆異常円安、何が問題なのか

物事何でもそうだが、円安にも良いところと悪いことがある。

良いこととしては、日本からの輸出がそれだけ安くなって、有利になることが挙げられる。観光も同じことだ。実際、外国人観光客の日本を見る目が熱い。このところ外国からの日本観光が急激に増えていると言う。

しかし、今回の円安、悪いことの方が多いように思える。まず、輸入品の高騰だ。それがウクライナ危機による物価高騰に拍車を掛ける。

それにもう一つ、怖いことがある。日本買いの急増だ。安くなった日本の物件に外国人バイヤーが群がってくるようになる。

時に、「米中新冷戦」。米国は、同盟国、それも対中対決の最前線である日本に日米統合を呼びかけ、日米の経済統合、一体化に向け、米国企業の日本浸透を奨励している。そのために、折からの異常円安は、これ以上にない絶好の好条件になっている。

米国による日本買い。軍事、経済をはじめとするあらゆる領域。あらゆる分野に亘る日米の統合、一体化、すなわち日本の米国への溶解がこの異常円安を通して、一気に進むのではないか。

そのことを考えると、FRBによる政策金利の引き上げ、ひいてはウクライナ戦争それ自体に至るまで、米国による策謀に見えてくるのは、一人私だけであろうか。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年、ハイジャックで朝鮮へ

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』
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