「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマ」とツイートした高千穂大学の五野井郁夫教授、事実の認識方法に重大な欠陥 黒薮哲哉

研究者の劣化が顕著になっている。大学の教え子にハラスメントを繰り返したり、暴力を振るったり、ジャーナリストの書籍を盗用したり、最高学府の研究者とは思えない蛮行が広がっている。事件にまでは至らなくても、知識人の相対的劣化は、ソーシャルメディアなど日常生活の中にも色濃く影を落としている。

11月8日に「Ikuo Gonoï」のアカウント名を持つ人物が、ツイッターに次の投稿を掲載した。

こちらの件ですが、担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、「しばき隊がリンチ事件を起こした」等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています。デマの拡散とわたしへの誹謗中傷に対する謝罪と削除を求めます。

「しばき隊」が起こした暴力事件を「根拠のないデマ」だと摘示する投稿である。

「Ikuo Gonoï」のアカウント名を持つ人物が11月8日に投稿したツイート
 
「しばき隊」のメンバーから殴る蹴るの暴行を受け、全治3週間の重傷を負った大学院生(当時)のM君

◆2014年12月17日の事件

「しばき隊」というのは、カウンター運動(民族差別反対運動)を進めていた組織で、2014年12月17日の深夜、大阪府北区堂島の北新地で複数のメンバーが飲食した際に、大学院生をめった打ちにして、瀕死の重傷を負わせた事実がある。

この日、カウンター運動の騎士として著名な李信恵を原告とする反差別裁判(被告は、「保守速報」)の口頭弁論が大阪地裁であった。

閉廷後、李らは飲食を重ね、深夜になって事件の舞台となる北新地のバーに入った。そして「しばき隊」の仲間であるM君を電話で呼び出したのである。M君の言動が組織内の火種になっていたらしい。

M君がバーに到着すると、李はいきなりM君の胸倉を掴んだ。興奮した李を仲間が制したが、その後、「エル金」と呼ばれるメンバーが、M君をバーの外に連れ出し、殴る蹴るの暴行を繰り返し、全治3週間の重傷を負わせたのである。

M君は事件から3カ月後の2015年2月に、警察に被害届を出した。2016年3月、大阪地検は李信恵を不起訴としたが、エル金に40万円、それに他の一人に10万円の罰金を言い渡した。

「エル金」は、M君に対して次のような書き出しの謝罪文を送付している。

この度の傷害事件に関わり、ここに謝罪と賠償の気持ちを表すべく一筆文章にて失礼致します。私による暴行によってMさんが負うことになった精神的及び肉体的苦痛、そして甚大な被害に対して、まずもって深く真摯に謝罪し、その経過について自らがどのような総括をしているのかをお伝えしたいと思います。(略)

暴力行為の真最中、その時点で立ち止まり、過ちを改める行動に移すべきだったし、酔いがさめ興奮が沈着した時点で、もっと迅速な事態収拾を図っておれば深刻化を軽減できたかもしれません。

また李信恵も、次のような謝罪文を送っている。

●●さんがMさんに一方的に暴力をふるっていたことも知らずに店の中にいて、一言も●●さんに注意ができなかったことも申し訳なく思っています。

その後、2017年、M君はエル金や李信恵ら5人に対して約1100万円の支払いを求める損害賠償裁判(民事)を起こした。この裁判でも、李の責任は免責されたが、大阪地裁は「エル金」と伊藤大介に対して約80万円の損害賠償を命じる判決を下した。大阪高裁で行われた控訴審では、エル金に対して約114万円の支払いを命じる判決を下した一方、伊藤に対する請求は棄却された。

つまりこの裁判で勝訴したのはM君だった。李信恵の責任が免責されたことや、怪我の程度に照らして損害賠償額が少額だったことに、M君は納得しなかったものの、裁判所は暴力事件が実在したこと実態は認定したのである。この点が非常に重要だ。五野井教授の「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであった」とするツイートは、著しく事実からかけ離れているのである。その誤情報をツイッターで拡散したのである。

ちなみにこの事件では、著名な人々が申し合わせたように「リンチ事件」を隠蔽する工作へ走った。『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)の著者・師岡康子弁護士は、その中心的な人物である。マスコミも一斉に隠蔽の方向へ走った。唯一の例外は、『週刊実話』と鹿砦社だけだった。

◆ツイッターという社会病理

冒頭のIkuo Gonoïによるツィートに話を戻そう。繰り返しになるがIkuo Gonoïは、「担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています」と投稿している。

 
高千穂大学(経営学部)の五野井郁夫教授

わたしは投稿者の人間性に好奇心を刺激され、Ikuo Gonoiという人物の経歴を調べてみた。その結果、高千穂大学の著名な国際政治学者・五野井郁夫教授であることが分かった。五野井教授は、上智大学法学部国際関係法学科を経て、2007年3月に東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻で学位を取得した。日本を代表する知識人である。民主主義に関する研究の専門家である。

朝日新聞の『論座』にも繰り返し投稿している。また、『「デモ」とは何か ―変貌する直接民主主義―』(NHK)などの著書もある。

五野井教授が教鞭をとる高千穂大学は、1903年に母体が設立された歴史ある大学である。そこを本拠地として、五野井教授は高等教育の仕事に携わっているのである。

しかし、五野井教授のツイッターを見る限り、社会科学を職業とする者にしては、事実の裏付けを取る能力に疑問を感じる。「事件を担当した弁護士の神原元先生」の言葉を鵜のみすることが、客観的な事実を確認するプロセスとしては充分ではないはずだ。五野井教授は、記事を執筆する際にどのように事実を捉えてきたのか、これまでの著述の裏付けも疑わしくなる。少なくとも、しばき隊による事件が「根拠のないデマ」だとする認識は、社会科学の研究者のレベルではないだろう。想像の世界と客観的な事実の世界の区別が出来ていないからだ。

さらには五野井教授は、高千穂大学の学生に対して、どのようなリサーチ方法を指導しているのかという疑問も浮上する。

2014年12月17日の深夜にしばき隊が起こした暴力事件の裏付けは、裁判の判決や加害者による書簡、さらには事件の音声記録など広範囲に存在している。それを無視して、被害者のM君を傷つける暴言を吐くのは、「南京事件はなかった」とか、「ナチのガス室はなかった」と叫んでいる極右の連中と同じレベルなのである。ましてこうした言動の主が最高学府の研究者となれば、ソーシャルメディアの社会病理が別の問題として輪郭を現わしてくるのである。
 
◆五野井教授に対する質問状
 
わたしは五野井教授に、次の質問状を送付した。五野井教授からの回答と併せてて掲載しておこう。

■質問状

五野井先生が、11月8日付けで投稿された次のツィートについて、お尋ねします。

「こちらの件ですが、担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、「しばき隊がリンチ事件を起こした」等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています。デマの拡散とわたしへの誹謗中傷に対する謝罪と削除を求めます。」

まず、「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明」されたと摘示されていますが、裁判では主犯のリーダに対する損害賠償命令(約114万円、大阪高裁)が下っており、「根拠のないデマ」という認識は誤りかと思います。先生は、何を根拠に「根拠のないデマ」と判断されたのでしょうか。

次に先生が記事や論文等を執筆される際の裏付け取材についてお尋ねします。引用したツィートを見る限り、原点の裁判資料を重視せずに、神原元弁護士の言動を事実として鵜呑みにされているような印象を受けます。具体的に先生は、どのようにして事実を確認されているのでしょうか。また、大学の学生に対しては、この点に関してどのような指導をされているのでしょうか。

11月14日の2時までにご回答いただければ幸いです。

記事の掲載媒体は、デジタル鹿砦社通信などです。

■回答

 担当者様
 上瀧浩子弁護士を通じて鹿砦社にお送りした通りです。
 以上。

上瀧浩子弁護士による書面の存在を確認したうえで、続編は来週以降に掲載する。わたしが質問状を送付したのが10日で、五野井教授の回答が届いたのは11日なので、上瀧弁護士は迅速に回答を鹿砦社送付したことになる。このあたりの事実関係の確認も含めて、質問と回答がかみ合っているかを検証した上で、五野井教授の見解を紹介する。

※人物の敬称は略しました。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

《関連過去記事カテゴリー》
しばき隊リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

釜ヶ崎で亡くなった医師・さっちゃん先生と共に生きる ── 11月13日(日)大阪で追悼集会『矢島祥子と共に歩む集い』開催 尾崎美代子

11月13日(日曜日)、釜ケ崎で野宿者支援活動なども精力的に関わる医師であった矢島祥子(さちこ)さんの追悼集会があります。祥子さんは、2009年11月13日、勤務先のクリニックから行方不明となり、2日後、木津川で水死遺体で発見されました。当初自殺といわれましたが、医師である両親が祥子さんの遺体に複数の傷があることから殺害されたと警察に訴えました。その後西成警察は自殺と事件の両方で捜査を進めています。祥子さんを知る方の中には自殺と考える人、事件だと考える人がいます。この記事はその両方の方に読んで頂きたいと思います。

事件があった当時、私はあれこれ多忙だったため、釜ヶ崎の夏祭りや越冬闘争などに参加できず、祥子さんも事件のことも知らずにいました。しかし、当時、西成で何が起こっていたかは鮮明に覚えています。

前年2008年のリーマンショックで職を失った人たちが、全国から釜ヶ崎に流れてきました。仕事を探す人、他の地域より比較的受けやすい生活保護を受けようとする人で、店の近くの相談所には、9時前から大勢の人が並んでいました。相談後に、彼らを勧誘しようとする業者で道はごった返していました。その多くは、生活保護者を自社のアパートに住まわせ、保護費の大半をむしりとる「囲い屋」でした。生活保護制度もしらないのか、「今なら、部屋と食事が付いて、おまけに小遣いも貰えるよ」などと書いたチラシを配っている業者もありました。

同じ年、奈良県郡山市にあったの山本病院が、生活保護者や野宿者を入院させ、必要のない手術をしたり、架空請求を行い診療報酬を不正請求していた詐欺容疑で摘発されました。この投稿は、当時、その事件を発端に、何故そんな事件が起きるのか、その背景を精力的に追ったNHK奈良支局取材班の「病院ビジネスの闇 過剰医療、不正請求、生活保護制度の悪用」を参考にしています。

この病院では、心臓カテーテル検査や、血管にステントを入れる手術が極めて多かったそうです。ステントを入れる手術は、ほかの手術に比べて負担は少なく、やりやすい手術と言われるが、病院が受け取る診療報酬は検査と手術で一回約100万円を得ていたそうです。

患者は、医師や看護師に「カテーテル手術をやれ」と執拗に言われ多くの患者が仕方なく手術を受けていました。手術を拒否し、病院を追い出された人もいたそうです。何故こんなことがまかり通るのか?生活保護者、野宿者の多くが単身者のため、相談したり、文句を言ってくれる人がいないからです。餌食になったら、とことんしゃぶり尽くされるのです。山本病院では、ある年1年で延べ437人の生活保護者を入院させていましたが、うち126人がわずか半年で亡くなっていました。

山本病院は、10年前からこのような不正行為を行っていたようで、それまで何度も通報、告発があり、その都度警察も立ち入り調査を行っていましたが、不正はなかなか掴めなかったといいます。

しかし、2009年6月21日、奈良県警は、山本病院に強制捜査に入り、7月1日、患者に心臓カテーテル検査とステント留置術をしたように装って、診療報酬170万円を騙しとった詐欺容疑で、理事長と事務長を逮捕しました。この事務長は金儲けに長けていて、理事長に「これ(手術)一発やってくれたら、今月いけますわ」などと言い、患者に不必要なMRI検査をさせたりしていたそうです。また、ステントを入れていないのに入れたと申請した患者を、病院内では「なんちゃってステント」と呼んでいたという信じられない話もあります。

その後、押収されたカルテなどから、生活保護を受けていたの50代の患者に、不必要な肝臓摘出手術を行い死亡させた容疑で、執刀医の理事長と助手の医師は業務上過失致死で逮捕されました。理事長は、手術中に男性の肝臓を傷つけ大量に出血させましたが、十分な止血や輸血をしないまま(そもそも輸血用の血液を用意していなかった)、「飲みに行く」と出かけてしまいました。残った医師が傷口の縫合手術をするも出血は止まらず、困ってしまい理事長の携帯に電話するも、理事長は出なかったそうです。

理事長には、禁固2年4月の実刑判決が下されましたが、助手の医師は、桜井警察署内で謎の死を遂げています。それについては、遺族が訴えを起こしましたが敗訴し、何があったかは解明されませんでした。

NHK奈良支局取材班が、元ヤクザ関係者にも取材した際、「うしろにいるのはヤクザもんやからな」と言われ、危険な中、身体を張った追求取材で、その背景に、患者を互いにトレード(やりとり)しあう「行路病院ネットワーク」があったことを突き止めました。彼らの中にはNPOを名乗る人もいます。もちろん正式に認可されていない、ただ名乗るだけの、それこそ「なんちゃってNPO」です。肝臓摘出手術で亡くなった男性も、大阪市内の公園で、NPOを名乗る男性に誘われています。

私は当時、こうした連中を釜ケ崎で山ほど見てきました。

そういう囲い屋をやれるのは、ビルなど所有できる経済的に余裕のある人たちです。当時、店の近くに福祉アパート(生活保護者を入居させるアパート)を始めたNPOを名乗る男性は、過去に谷町六丁目で地上げ屋をやっていたそうです。ドヤだった2畳ほどの部屋をぶち抜いて4畳ほどの福祉アパートに改装する工事を、居住する生活保護者にやらせていました。

男は、私の店に食事に来ていました。ある日、みそ汁が辛かったのか、「俺は土方じゃないぞ!」と怒鳴るので「あんた、その元土方の人から金巻き上げてるじゃないか」と大喧嘩になったことがありました。

また、ある時、店の前を3本肢の犬を連れた母親と子供が通りました。聞けば、DV夫から逃れて来たといいます。駅前で途方に暮れていたとき、怪しい業者に「生活保護を世話してやる」と声をかけられ、2人と犬1匹で6畳一間の部屋に囲い込まれました。

炊事場もなく、自炊も出来ないと母親は嘆いていました。私は、知り合いに相談し、親子を別のアパートに引っ越す手配をしました。すぐさま、囲い屋の強面な男が、私の店に乗り込んできました。

「お前か! うちの客を取ったのわ! わしはこういうもんや」と見せられた名刺には、やはりNPOとありました。実はそこのビルでは数年前まで違法な博打場(ノミ屋)をやっていたのでした。「何いってるねん、あんたのビル、前はノミ屋(博打場)だったやん」と私が怒鳴ると、男はすごすごと帰っていきました。

釜ケ崎がそんな時代だった当時、医師の矢島祥子さんは、自身が診療した患者さんの入院した病院などに足しげく通っていたそうです。ある病院では来ないでくれと言われたそうです。私も客の入院先の病院に何度も訪れたことがあります。中には、患者の多くにオムツを充てているためなのか(車いすでトイレに連れていく手間を省くため)、病院全体がむうんと匂う病院もありました。別の病院では、重病患者でも面会はロビーに限定し、病室を見せない病院もありました。多くの病院を回った祥子さんは、そこで何を見て、何を知ったのでしょうか? そこから事件に巻き込まれたのでしょうか? 真相はなかなかわかりません。

ぜひ、集いにお集まり頂き、いろんな情報を共有していけたらと思います。

追悼集会『矢島祥子と共に歩む集い』
日程:11月13日(日)13時半開場、14時スタート
場所:社会福祉法人ピースクラブ(浪速区大国1-11-1)
アクセス 大阪メトロ大国町駅下車5分

◎追悼集会『矢島祥子と共に歩む集い』11月13日(日)13時半開場、14時スタート 場所:社会福祉法人ピースクラブ(浪速区大国1-11-1)
矢島祥子医師の兄、敏さん率いる「夜明けのさっちゃんズ」ライブ。国賠で二審の勝訴が確定したばかりの桜井昌司さんも登場し、熱唱した(2021年9月13日)

◎[関連記事]尾崎美代子「あの時期、釜ヶ崎で何が起きていたか? 書籍『さっちゃんの聴診器 釜ヶ崎に寄り添った医師・矢島祥子』(大山勝男著)発刊! 11月14日(日)大阪で追悼集会「矢島祥子と共に歩む集い」開催へ!」(2021年11月10日)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

《書評》『紙の爆弾』12月号 安倍トモ政治・旧統一教会癒着の再検証 横山茂彦

紙爆の最新号を紹介します。今回も興味を惹かれた記事を深読み、です。取り上げなかった記事のほかに、テレ朝の玉川徹処分の背景(片岡亮)、ヒラリー復活計画(権力者たちのバトルロワイヤル、西本頑児)が出色。読まずにはいられない情報満載の最新号でした。

◆安倍晋三の旧悪を追及することこそ、真の弔いになる

 
最新刊 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

国会における野田佳彦元総理の安部晋三追悼演説が好評だった。とりわけ、安倍晋三の「光」とその先にある「影」を検証することこそ、民主主義政治の課題だというくだりが、議員たちの政治家魂を喚起させたことだろう。

だがその検証は、安倍晋三の旧悪をあばき出し、現在もなお続いている安倍トモ政治を批判することにほかならない。それを徹底することにこそ、安倍晋三という政治家の歴史的評価が議論され、真の意味での弔いになるのだ。

その第一弾ともいうべきレポートが「旧統一教会と安倍王国・山口」(横田一)である。

安倍晋三が地元下関の市長選に並々ならぬ力を入れてきたのは、市長前職の江島潔の時代に「ケチって火炎瓶」(自宅と事務所への火炎瓶事件)、すなわち暴力団(工藤會)との癒着までも明らかになっていた。ちなみに、江島元市長は現在参院議員であり、統一教会のイベントに参加したことが明らかになっている。

◎[参考記事]【急報‼】安倍晋三の暴力団スキャンダル事件を追っていたジャーナリストが、不思議な事故に遭遇し、九死に一生を得た! 誰かが謀殺をねらったのか?(2018年8月18日)

安倍晋三の元秘書である現職の前田晋太郎市長もまた、旧統一教会の会合に参加していたことを定例会見で明らかにした。子飼いの政治家たちが、ことごとく元統一教会とズブズブの関係だったところに、「安倍晋三の影」(野田佳彦)は明白である。票のためなら相手が反日カルトであろうと斟酌しない、安倍晋三の選挙の強さは、ここにあったのである。

さて横田一の記事は、前田市長のあと押しで下関市立大学に採用され、今年4月に学長になった韓昌完(ハンチャンワン)が統一教会と深い関係にあるのではないかという疑惑である。

その疑惑を市議会で共産党市議に追及された韓学長は、事実無根として「虚偽告訴罪」での刑事告発を検討していると返答したのだ。

だが、韓学長が所属していたウソン(又松)大学を、安倍晋三と下村博文(安倍の子飼いで、元文部科学大臣)が訪問していた事実に、接点があったのではないかと横田は指摘する。

というのも、単科大学(経済学部)だった下関市立大学が、突如として「特別支援教育特別専攻科」なるものを新設し、教授会の9割以上の反対を押し切って韓教授を採用したからだ。

この事件がおきた2019年以降、下関市立大学では3分の1の教員が中途退職・転出しているという。学園の私物化が告発されてもいる。具体的には新設学部の赤字、市役所OBの天下りなどである。これはしかし、氷山の一角にすぎないのではないだろうか。

◆鈴木エイト×浅野健一 ── 旧統一教会問題

9月号につづいて、鈴木エイトの記事である。講演会をともにした浅野健一が鈴木の講演録を、わかりやすく紹介するスタイルだ。ちなみに、講演会の司会は「紙の爆弾」中川志大編集長が務めた。

まず第一に読むものを原点に立ち返らせるのは、カルト問題が政治と宗教の問題以前に、人権問題であるという鈴木の一貫した視点である。

そして第二に、信者たちを利用して「ポイ捨て」する政治家たちの「カルトよりもひどい」実態である。

全体にカルト統一教会の触れられなかった10年間を顧みて、ジャーナリズムが執着を持つことが必要だったのではないか。持続的、継続的な取材こそ、組織の闇を解明できるとの印象を持った。

この運動に関連する事件にも、少々触れておこう。

記事では触れられていないが、この連続講座の一か月後に開かれた「10.24国葬検証集会」において、浅野健一も参加した鈴木エイトの講演があった(記事中に記述あり)。このとき、機器の不具合で発言時間をオーバーした浅野にたいして、佐高信がクレームを付けたという。詳細は下記URLの浅野健一ブログを照覧してもらいたいが、声帯をうしなった障がい者(浅野)に、発言時間のオーバーを批判したのは明白な事実のようだ。

おそらく佐高において、初対面の障がい者ならばこのようなクレームはつけなかったであろう。かりに政治的慮りでクレームが左右されるようなら、明らかに障がい者差別である。浅野によれば佐高は過去にセクハラ事件(同志社でのイベント後の飲み会)を起こしているという。運動内部の批判は遠慮するべきではない。日ごろから批判的な論評をもっぱらとする者ほど、自分が批判されたときに謙虚になれないものだ。佐高は浅野の抗議に何も反応していないという。

◎[参考記事]10・24国葬検証集会エイトさん講演 佐高氏が浅野非難 : 浅野健一のメディア批評 (livedoor.jp) 


◎[参考動画]2022.10.24 安倍「国葬」を検証する ―講演:「自民党と統一教会の闇をさぐる」鈴木エイト氏(ジャーナリスト)、浅野健一氏(無声ジャーナリスト)、スピーチ:佐高信氏(評論家)

◆氷川きよし「活動休止」と「移籍説」の裏側

喉のポリープの手術後で、長期休養に入るとされていた氷川きよしの、事務所事情である(「紙爆」芸能取材班)。

2019年の芸能生活20周年を機に、自分らしく生きたいと(ジェンダーレス)表明したkiinaこと氷川きよし。舞台での女装や松村雄基との恋愛関係、プロ並みの料理など、スキャンダラスで華やかな魅力がファンを魅了してきた。


◎[参考動画]氷川きよし「革命前夜」in 明治座【公式】

肥った男性の女装は勘弁してほしいと思うことがあっても、kiinaの場合は別だという方は多いのではないか。LGBTQとは無縁なつもりでも、誰でもアニマ(内的女性性)・アニウス(内的男性性)があると言われている(ユング心理学)。

たとえば艦隊これくしょんや美少女ゲームに興じる男性には女体化願望があり、その願望がゲームの中の少女に同化するのだ。女性の場合はもっと露骨で、ボーイズラブ志向として、やおい小説・やおい漫画に熱中することになる。

このようなアニマを体現するリアル系が、氷川きよしの女装化だと言えるのだ。Kiinaの場合は、おそらく誰もが受け容れる美貌のゆえに、イケメン演歌歌手からロック女装、舞台での女装が歓迎されてきたのであろう。

しかるに長期休養の裏側に、事務所(神林義弘社長)の暴力的な体質があるというのだ。氷川きよしの自宅の抵当権(3億4500円)も長良プロが設定しているという。

問題は休養後に、長良プロからスムースに移籍できるか、であろう。記事のなかで氷川きよしの名付け親を、ビートたけしとしている(大手プロ役員)が、じっさいは長良プロの神林義忠会長(故人)である。ということは、芸能人がプロダクションを移籍するときに起こりがちな、芸名の商標登録をめぐるトラブルの可能性である。来年からのKiinaの休養が、つぎの活躍へのステップになるのを期待してやまない。記事ではほかにGACKTのスキャンダルもあり、美形歌手たちの危機が気になるところだ。 


◎[参考動画]氷川きよし / 限界突破×サバイバー ~DVD「氷川きよしスペシャル・コンサート2018 きよしこの夜Vol.18」より【公式】

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

日本経済新聞の「押し紙」裁判と今後の課題 ── 露呈した新聞社保護の実態  黒薮哲哉

2022年7月時点における全国の朝刊発行部数(一般紙)は2755万部(ABC部数)である。このうちの20%が残紙とすれば、551万部が配達されることなく無駄に廃棄されていることになる。30%が残紙とすれば、827万部が廃棄されていることになる。1日の廃棄量がこの規模であるから、ひと月にすれば、おおよそ1億6530万部から、2億4810万部が廃棄されていることになる。年間に試算すると天文学的な数字になる。「押し紙」は重大な環境問題でもある。

しかし、裁判所も公正取引委員会も、いまだに「押し紙」問題に抜本的なメスを入れようとはしない。新聞社の「押し紙」政策を保護していると言っても過言ではない。新聞社を公権力機関の歯車として取り込むことによりメディアコントロールが可能になるから、「押し紙」を黙認する政策を取っている可能性が高い。

 
東京大手町の日経ビル(左)(出典:ウィキペディア)

◆書面で20回にわたり減紙を申し入れるも……

筆者は、日本経済新聞(以下日経新聞)を扱う販売店(京都府)が起こした「押し紙」裁判(4月22日判決)の判決文を入手した。判決からすでに半年が過ぎているが、興味深い判決なので内容を紹介しておこう。

この「押し紙」裁判は、販売店主のBさんが2019年の春に起こした。「押し紙」により損害を被ったとして約4700万円の損害賠償などを求めたものである。

判決によると原告のBさんは、「平成28年9月から平成31年3月まで少なくとも合計20回にわたり、被告の担当者に対し減紙を求めるファクシミリを送信」した。つまり書面で新聞の「注文部数」を減らすように繰り返し申し入れていたのである。

請求の期間は2016年4月から2019年3月の3年間だが、それ以前から「押し紙」は存在したという。最も「押し紙」の量が多かったのは、2012年9月だった。次のような部数内訳である。

朝刊送り部数=3259部
朝刊実配数=2285部
残紙=974部

夕刊送り部数=3131部
夕刊実配数=1657部
残紙=1474部

残紙率は朝刊で30%、夕刊で47%である。

書面で減紙の申し入れをしたのは、弁護士のアドバイスに従った結果だった。独禁法の新聞特殊指定は、「販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む)」を禁止しているので、減紙を申し出た書面の証拠を残しておけば、裁判になった場合に、独禁法違反で請求が認められる可能性が高いからだ。

◆絶望的な判決

判決は、4月22日に下された。結果は、原告Bさんの敗訴だった。損害賠償は全く認められなかった。減紙を申し出た事を示す書面が23通も残っているにもかかわらず、杉山昇平裁判長は敗訴の判決を下したのである。

その理由として杉山裁判長は、Bさんからの書面による減紙要求を受けて、日経新聞の担当者とBさんが話し合いの場を持っていたから、「原告の減紙を求めるファクシミリは被告との協議の前提となる減紙の提案に留まるというべきであり、これをもって確定的な注文とみることはできない」というものだった。

しかし、Bさんは、「話し合いは毎月の訪店時の定例的なものであり、減部数を求めるファクシミリをたたき台にした話し合いではなかった」と話している。

 
「押し紙」の写真。新聞で包装されているのは折込チラシ。本文とは関係ありません

◆新聞特殊指定の下での「押し紙」とは

この裁判では、「押し紙」行為が不法行為にあたるかどうかが争われた。わたしは、今後の「押し紙」裁判のために、原告と被告の双方が新聞特殊指定の定義そのものを明確にする必要性を感じた。それは、2016年に起こされた佐賀新聞の「押し紙」裁判から、販売店の原告弁護団が着目した点である。

従来、「押し紙」の定義は、なんらかの形で「押し売りされた新聞」とされてきた。わたしもかつてはそんなふうに考えて、自著でも、「押し紙」の定義を「押し売りされた新聞」と説明している。しかし、佐賀新聞の「押し紙」裁判で、「押し紙」の定義に新しい観点が加わった。結論を先に言えば、「押し売りされた新聞」という定義は、正確ではない。

独禁法の新聞特殊指定の下における「押し紙」の定義は、新聞の実配部数に予備紙を加えた部数を「必要部数」と位置づけ、それを超える部数のことである。理由のいかんを問わず「必要部数」を超過すれば「押し紙」なのである。「押し売りされた新聞」かどうかは、2次的な問題に過ぎない。「必要部数」を超えて、新聞を提供すれば独禁法違反なのである。新聞社と販売店が話し合いをしたから、「必要部数」を超えて新聞を提供してもいいという論理にはならない。

京都地裁は、この点に関しては、何の言及もしていない。裁判所は、最も肝心な点についての判断を避けたのである。新聞社を保護する姿勢が露呈している。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

広島から東京へと流出する介護施設の外国人労働者たち 円安も背景に加速する労働現場の崩壊 さとうしゅういち

◆日本人の時給より1割高い外国人労働者たちが東京の介護施設に引き抜かれる現実

最近、筆者の勤務先の介護施設で外国人労働者が、東京の介護施設に引き抜かれる動きが加速しています。

筆者の勤務先では、実を申し上げると外国人労働者の時給は日本人直雇用職員より1割程度高めです。

なお、筆者自身はピンチヒッターの派遣社員ということで派遣手数料を引いた手取り時給でも、外国人労働者よりさらに高めの時給をいただいております。それでも、県庁職員時代に比べたらはるかに低いし、はるかに仕事がきついことは体感しております。

日本人よりも高めの時給を外国人に出している介護施設。しかし、それでも、外国人が東京へ流出してしまうのです。この秋、複数の外国人労働者が辞めて、東京の大手医療法人系介護施設に転職することになりました。筆者も彼女たちとは長い間一緒に仕事をさせていただいたので、一抹の寂しさは感じます。

利用者様はもっと感じておられます。「**ちゃんは辞めるのではないよね?」と何度も筆者に質問してこられ、筆者も困惑してしまいます。外国人労働者ご本人も慣れているところの方で仕事するほうが、やりやすいとはおもいます。

他方で、彼女たちの選択はやむを得ないと思います。それはそうです。東京の介護現場では、介護職員が世間一般のから比べたら給料が低いと言っても、地方の我々から見たら驚くべき給料の高さです。

彼女たちは、ここでもそうですが、会社の寮で生活しています。遊びに行くこともほとんどありません。休みも取らずに、ずっと真面目に働き、お金をためて故郷に送金しているのです。

もちろん、東京は広島に比べたら物価は高い。ただ、遊ばずに暮らすだけであれば、そんなにお金を使うわけではない。給料が高い東京で働いて故国に送金した方が効率的なのは明白です。

現在、ご承知の通り、大変な円安です。広島の給料のままでは、故郷への送金が大きく目減りしてしまいます。

そこで、より給料が高い東京へ目が向くのも当然です。

◆東南アジアの労働者から見れば、働く場としての日本の魅力は低い

また、東京のこの大手医療法人系介護施設では研修体制も充実しています。実を言うと、彼女たちの母国は政情不安です。日本で長く働くことを視野に入れると、なおさら資格を取りやすいところへ、というのもわかります。

そういう要素はあるにせよ、やはり、円安で、広島の給料では、故郷に十分な送金ができないというところが、東京への移動の背景にあるのは、ご本人と話していてもよくわかります。ご本人のためを思えば仕方がありませんし、東京でのご活躍をお祈りするとともに、故郷の政情安定化(独裁で安定するという意味ではなく健全な民主主義という意味で)を心からお祈り申し上げる次第です。

しかし、このままいけば、外国人労働者が東京へと流出し、広島の介護現場はさらに崩壊しかねません。ほかの業種でもそういう動きになる可能性は高い。さらに、彼女らの場合は日本語を最初の外国語としておぼえたということで、日本になるべく居たいとは思います。だが、これから、外国で働こうという例えば東南アジアの労働者から見れば日本は選択肢として著しく魅力は低い。

それどころか、マスコミでも報道されている通り、オーストラリアなどに、いわゆるワーキングホリデーで行き、日本では考えられないような給料を稼いで戻ってくる、という日本人も増えるのは必至です。

新たに外国人労働者を入れるどころではありません。

◆きちんと労働者のために動く労働運動が必要

まず、介護現場を維持していくには、岸田政権は、これまでの3%にとどまらず、介護労働者の給料を引き上げることです。冷静に考えれば、日本人がしたがらないような給料・労働条件の仕事は結局、外国人もしたがらないのは当然すぎます。

もうひとつは介護業界だけに限らず、日本全体を見ても、「どうせ、外国人労働者を安く入れればいいから、給料は低くても大丈夫」という時代は終わったということです。

日本がいわゆる実質実効為替レートで最も円高だった1994年に当時の日経連(現・経団連)が「新時代の日本的経営」で派遣社員や有期雇用を増やすことを打ち出しました。それ以降、円高対応として、とにかく、労働者の給料を低く抑えることに日本の経済界は狂奔。それを前提とした企業経営や経済の在り方をつくってしまいました。

本来であれば、技術革新や時代に合わせた新機軸を打ち出すなどすべきだったのをサボってしまった。労働者を安く使い捨てることに依存してしまった。その結果、技術者はどんどん流出し、いつのまにか技術力でも韓国や中国に逆転されてしまった。

介護にしても、例えばオーストラリアでは、要介護者を介護者が持ち上げるような介護はさせていません。日本は逆に言えば腰痛を引き起こす特攻隊のようなことを介護労働者にさせています。日本は低賃金労働を前提とした古臭い国になってしまったのです。

過去20~30年のこうした誤りを総括する。ただ、資本側はそれを自分からやることはない。岸田政権が、賃上げとか、所得倍増とか言っていたのが、あっという間にしりすぼみになり、むしろ、安倍政権さえよりも新自由主義的になってしまったのは良い例です。

野党、それも労働組合に支援されているのに公務員賃下げに賛成するような「労働貴族」ではない野党が強くなる必要がある。そして、きちんと労働者のために動く労働運動が必要である。そのことも、この秋の「外国人労働者流出事件」を契機に強く感じました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号
『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

『紙の爆弾』最新12月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

コロナワクチンの生後6カ月~4歳を対象にした無料接種が10月から始まっています。子どもの重症化例はきわめて少ないことが報告されているなか、接種の理由はない、というよりも、感染症防護とは別の目的があることは自明と言っていいでしょう。厚労省は保護者に接種を検討する「努力義務」を課しています。副作用が出ても、自ら被害を訴えられない子どもへの強制接種(自分で接種するかを選べない)の残酷さはもちろん、そもそもワクチンの「主作用」とは何なのかについても、あらためて考えなければなりません。

厚労省はワクチンについて、「感染予防」「発症予防」「重症化予防」という「効果」の説明をあいまいにしてきました。そして、ワクチン接種が人々の間で進んだ時期と、陽性者の増減のタイミングに関連性はみられない一方、接種が進んだ時期に死亡数が増加するという現象が起きています。今年でいえば2~3月、接種の増加にあわせて死亡者数も増加、4月に接種数が低下すると死亡者数も減少。7~8月にも、接種拡大に合わせて死亡者数が増加しています。そんななか、世界に目を向ければ、ワクチン、そしてコロナ禍そのものへの人々の見方に、少しずつ変化が生じているようにも見えます。10月22日にはカナダ・アルバータ州のダニエル・スミス州首相が、ワクチン未接種の労働者に対する差別を「不適切」と認め謝罪しました。

今月号でも、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題を特集、自民党政治家との関係に注目するとともに、なぜメディアにおいて「空白の30年」が生まれたのか、9月号で執筆の鈴木エイト氏の講演内容を収録しました。連日のマスコミ報道のなかで、ジャーナリストや弁護士らが活躍を続けていますが、鈴木氏が一貫しているのは徹底して被害者に寄り添うこと。その視点に立つからこそ、メディアがこの問題を放置し、政治家がそれを見越して旧統一教会と協力関係を結んできたことが、信者らへの被害を拡大させ、被害者による安倍晋三元首相の銃撃事件につながったという一連の経緯が理解できます。それを具体的に説明した今月号記事は、日々報じられるニュースを受け取るうえでの基礎として、ぜひ多くの方にお読みいただきたい内容です。

さて、旧統一教会問題では精力ぶりが評価されるマスコミでも、ことワクチン問題、そして今月号で重点的に採り上げたマイナンバーカード“義務化”に関する報道を見れば、(報道しないことを含めて)完全に政府広報に徹していることが見て取れます。「デジタル社会」の名のもとで、国民監視・管理体制が着々と構築されています。また11月号で、日本ですでに進んでいる「戦争準備」について特集しましたが、「国民監視」がそのキーワードであることを、あらためて指摘しておきたいと思います。

その他、多様な視点を盛り込み、『紙の爆弾』は全国書店にて発売中です。今月号も、ご一読をよろしくお願いいたします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ〈6〉森 奈津子

以前より、私は世間の皆様方に向けて「しぱき隊界隈の反差別チンピラに成功体験を与えてはいけません」と繰り返してきた。

成功体験というのは、具体的には、彼らに「差別だ! 差別だ!」オラつかれてびびって、謝罪する必要もないのに謝罪すること。あるいは、そんなオラつきを評価してしまうこと。

つまり、そのような「成功体験」が、彼らしばき隊界隈活動家をますます調子づかせ、勢いづかせるのである。

立憲民主党の尾辻かな子氏の印象操作ツイートを発端に、しばき隊界隈とLGBT活動界隈の共闘によって盛りあがった杉田水脈氏叩きは、マスコミの愚かしいヨイショ報道によって、反差別チンピラにとって大いなる成功体験となった。

ここで、ちょっと笑える朝日新聞のしばき礼讃記事をご紹介しよう。

杉田水脈氏に対する抗議活動が各地で行われたという2018年8月6日のニュースであり、現在も2パターンの記事がウェブ上で確認でき、うち一本は動画つきである。

◎[参考記事1]杉田水脈議員に抗議、各地で “生産性ない”主張「謝罪を」

◎[参考記事2]杉田水脈議員の発言「差別だ」「まず謝罪を」 抗議デモ(動画あり)

記事内の動画の中に、しばき隊界隈活動家・谷口岳氏がコンビニのネットプリントを利用して配布した物騒なデザインのプラカードを掲げた女性がいるという事実だけでも、事情を知る者の失笑を誘うというものだが。

[左]プラカードを配布する谷口岳氏のツイート/[右]谷口岳のプラカードも大活躍!(朝日新聞ウェブ版の動画の一シーン)

さらには、記事内の抗議活動参加者へのインタビュー部分を以下に抜粋し、その香ばしさを読者諸氏と共有したいと思う。

都内から聴きに訪れたフリーライター、竹内美保さん(57)は「『生産性』の発言は議員以前に人としても失格。それなのに杉田氏は謝罪すらしていない。まずはそこから求めたい」と話した。

竹内美保さん(57)、朝日新聞にご登場!

しぱき隊ウォッチャー諸氏は、ここで「ん?」と引っかかりを感じることであろう。

竹内美保さん? 竹内……美保……さん? たけうち……みほ……さん? ズバリ、しばき隊系活動家じゃねーかよーっ!(絶叫)

おそらく、朝日新聞の記者氏は竹内氏の「正体」を承知のうえで、コメントを掲載したのであろう。こういうところから、私は「一部マスコミとしばき隊はズブズブである」と申しているのです。

なお、私はこの竹内美保氏とは一度もやりとりしたことはないのだが、ツイッターでブロックされている。いわゆる「予防ブロック」である。大物活動家様にそんなに警戒されてしまっては、ちょっと照れてしまいますね。てへっ(笑)。

[左]ツイッターで確認できる竹内美保氏のプロフィール/[右]筆者を予防ブロックする竹内美保氏

ところで、しばき隊系の抗議活動においては、しばしばドラムを叩いて仲間を鼓舞する女性活動家がいらっしゃるとの噂が、私の耳にも届いている。なんでも、その女性はウォッチャーから「太鼓ババア」と呼ばれ、畏怖の念をいだかれているのだとか。

その太鼓ババアが竹内美保氏であるか否かは未確認だが、もし、それが竹内氏であったなら、そのニックネームの「ババア」部分には「差別主義者によるエイジズム、セクシズム、ルッキズムに抗議します!」との声をあげていただきたいと、同じ女性として願うばかりである。

旧レイシストをしばき隊、現C.R.A.C.代表の野間易通氏に「おばさん」と呼ばれた私も、その点においては竹内氏と共闘したいと思う。

さて。この渋谷での抗議集会だが、ツイッター上では「 #0805杉田水脈議員の差別発言に抗議する渋谷ハチ公前街宣 」なるハッシュタグが存在する。

この手のハッシュタグは、時として、いい感じにデジタルタトゥー収集道しるべと化すのであるが、今回は、最後に、このハッシュタグをたどり、しばき隊系活動家およびその界隈とつながる政治家・文化人の皆様のツイートをご紹介したい。

しばき隊系活動家およびその界隈とつながる政治家・文化人の皆様のツイート

立憲民主党の有田芳生氏(やっぱりいましたね)、共産党の池内さおり氏(もう、こっち来ないでください)、ANTIFAやTOKYO NO HATEなどの関連団体、あの界隈と仲良しのソウル・フラワー・ユニオン(アカウント運営は中川敬氏でしょうか?)、その他活動家の皆々様……。

繰り返しますが、LGBTの人権を守ると称してオラついておられるのは、実に迷惑です。運動手法を再考してしただきたいものですが、無理なら無理でいいので、別のところでやってくださいね!

なお、ここでマスコミが成功体験を与えてしまったものだから、しばきアクション(苦笑)はさらにまずい方向へ突っ走るのであった。

次回では、それを皆様にご紹介せねばと考える次第である。(つづく)

◎[過去記事リンク]LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40264
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40475
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40621
〈4〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40755
〈5〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40896
〈6〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44619
〈7〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45895
〈8〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45957
〈9〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46210
〈10〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46259
〈11=最終回〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46274

 

▼森奈津子(もり・なつこ)

作家。立教大学法学部卒。90年代半ばよりバイセクシュアルであることを公言し、同性愛をテーマにSFや官能小説、ファンタジー、ホラーを執筆。『西城秀樹のおかげです』『からくりアンモラル』で日本SF大賞にノミネート。他に『姫百合たちの放課後』『耽美なわしら』『先輩と私』『スーパー乙女大戦』『夢見るレンタル・ドール』等の著書がある。
◎ツイッターID: @MORI_Natsuko https://twitter.com/MORI_Natsuko

◎LGBTの運動にも深く関わり、今では「日本のANTIFA」とも呼ばれるしばき隊/カウンター界隈について、LGBT当事者の私が語った記事(全6回)です。
今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー

《関連過去記事カテゴリー》
森奈津子「LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ」

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

ピョンヤンから感じる時代の風〈10〉国益第一、自国第一のイタリア新政権誕生に思う 魚本公博

◆国益最優先、自国第一への期待

10月22日、イタリアで国益最優先、自国第一主義を掲げるジョルジャ・メローニ氏を首班とする新政権が発足した。9月25日に行われた上下院の総選挙で26%を獲得し第一党になったメローニ氏率いる「イタリアの同胞」にベルルスコーニ氏の「フォルツァ・イタリア」、サルビーニ氏の「同盟」を加えた3党連立政権である。

日本のマスコミはメローニ氏が青年時代にネオファシスト政党「イタリア社会運動」ので活動していたことをもって「イタリアの同胞」は、その流れを継ぐ極右政党だとし、新政権がロシア制裁の足並みを乱すことへの警戒と懸念を説く。

メローニ氏自身は、選挙公約でロシア制裁を続けるとしているが、連立を組む、ベルルスコーニ氏はロシアのプーチン大統領と互いに「親友」と呼び合う仲であり、選挙中もロシア制裁を批判する発言をしている。そして、メローニ氏は、ベルルスコーニ政権で、史上最年少の31歳で入閣し、ベルルスコーニ氏を「政界の師」だと公言しており、今後、ロシア制裁継続の公約もどうなるか分からないということである。

メローニ氏は、選挙ではロシア制裁継続を表明し、これを争点化せず、物価高騰にあえぐ国民の生活問題を争点にした。イタリアでも、ガソリンやガス、食料が高騰しており、物価上昇は10%に達し、電気代は5倍にもなっている。そして、その原因は、ガスの40%を占めるロシア産の供給が滞るなど、ロシア制裁にあると見なされている。こうして元来、親露的で、国益最優先を掲げるメローニ氏の「イタリアの同胞」への期待が高まったのだ。 

イタリア総選挙でメローニ氏の「イタリアの同胞」が勝利した日、国益第一、自国第一と主張を同じくするフランスのマリーヌ・ルペン氏、ハンガリーのオルドバン首相、スペインの右派政党Vox(「声」)などが祝電を送った。

EUで第三の国力をもつイタリアに国益第一、自国第一の政権が誕生したことの歴史的意義は大きい。イタリアの勝利を追い風に、欧州では国益第一、自国第一の政権が各国に生まれ、欧州の政治地図は激変するのではないか。

◆全欧州がその志向を強めている

そう思うのは、国益第一、自国第一の政治への期待が全欧州で高まっているからだ。今、欧州各国で、ロシア制裁の結果、エネルギーや電気、食料価格が高騰する中で、国民生活を犠牲にして戦争を継続する自国政府への抗議デモやストライキが各地で展開されている。それは、「凍える冬」を前に、このままでは、大勢の凍死者を出しかねないという状況の中で切迫したものになっている。

そのスローガンを見れば、フランスでは「マクロン、お前の戦争を我々は望んでいない」「NATOからの脱退」「ウクライナへの武器供給を停止せよ」、ドイツでは「国益第一」「我々にはロシアの石油とガスが必要だ」「NATOは武器を送るな」「いい加減にしろ-凍えるより抗議しろ、暖房とガスと平和を」、英国では「燃料の貧困を終わらせろ」「福祉ではなく戦争を切り捨てろ」、イタリアでは「我々にはガスブロムが必要だ、ヤンキーゴーホーム」などなどである。そして、抗議の波は、オランダ、チェコ、モルドバ、ギリシャにも波及し全欧州を覆うものになりつつある。

このデモの呼びかけは、フランスではルペンの「国民連合」から出た「愛国党」、ドイツでは「ドイツのための選択肢」(AfD=Alternative für Deutschland)だが、英国は労働組合や社会運動団体で結成された「いい加減にしろ」キャンペーンであり、イタリアは労働組合総同盟が主催者であり、極右云々とは関係ない左右の垣根を越えた国民的なものになっている。

ロシア制裁は、米国が主導している。力を落とし、その覇権的地位を失いつつある米国が、欧州、日本に米国を支えさせ、米国中心の覇権秩序を維持・回復させるためのものである。米国とそれに追随する欧州の現政権は、ウクライナに武器を送り込んで代理戦争をさせながら戦争を長引かせて、国民に生活苦を強いている。

欧州でも新自由主義改革の結果、1%が99%を支配する社会になっており、99%が貧困層に追いやられ、ロシア制裁で、その「返り血」をもろに被らされている。デモのスローガンにロシア革命でレーニンが提起した「平和、土地、パン」を髣髴させる「暖房とガスと平和を」があるなど、その怒りが現体制転覆というほどの「革命」的なものと見るのは行き過ぎだろか。英国の「いい加減にしろ」キャンペーンは、「私たちはこの国を変え、国民のために勝利する」と述べている。

◆日本にこそ問われている

こうした中で、欧州ではロシア制裁を機に米国が自国のガスを高値で売りつけていることやロシアと欧州の長年の経済協力関係を分断して欧州市場を犠牲にして自国経済を立て直そうとしている、との声が起き、対露制裁の継続は「欧州の自殺」ということが実感をもって捉えられるようになっているという。

それは、日本にも当てはまる。日本は、石油や食料をもって他国を支配する米国の国家戦略の対象にされ、石油、ガス、食料の多くを米国に依存しており、高騰した、それらを買い続けている。米国が提唱する米中新冷戦の下で日本は中国との長年の経済協力関係を切ることを強要されており、軍事的にも対中対決の最前線に立つことを要求されている。そこでは、日本の力を軍事的にも経済的にも米国の下に統合する日米統合が進められている。こうして日本経済は米国経済建て直しの犠牲にされ、国土は米国防衛のための戦場にされようとしている。それは、まさに「日本の自殺」であろう。

しかし、「同盟こそ国益」とする自民党政権は、頭から米国に追随するだけである。それで良いのか、それで日本はやっていけるのか。

ロシア制裁に参加し、それを実質的に行っているのは、欧州、日本だけである。中国はもちろん、米国が民主主義陣営の一員として期待するインドも制裁に参加しようとはせず、逆にロシアから安価な石油、ガス、資源、食糧を大量に輸入している。トルコ、イランも米国の裏庭と言われた中南米の国々も中国、ロシアとの関係を深めており、ロシアからの資源輸入を拡大している。

そして、これらの諸国は、上海協力機構、拡大BRICsなどに結集しつつある。そこでは、米国覇権に反対するだけでなく、覇権そのものに反対し、覇権ではない、「公平で民主的」な新しい国際秩序形成が目指されている。

 
魚本公博さん

その共通理念は「主権擁護」である。これらの国々は、かつて欧米日の植民地にされ、それとの血を流しての戦いを経て独立を勝ち取った国々であり、「主権擁護」を確固不動の国家理念にしており、それは本質的に国益第一、自国第一主義である。

日本でも物価高騰が国民生活を直撃しており、これに空前の円安が追い討ちを掛けており、生活苦は今後益々、過酷になるだろう。こうした国民の生活地獄を救うためにも、これまでの日米同盟基軸、米国覇権の下で生きる生き方を見直し、世界的な脱覇権、主権擁護の流れ、欧州で強まる国益第一、自国第一の流れを直視し、この時代的な流れに合流することを真剣に考えなければならない時にきていると思う。

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』
『一九七〇年 端境期の時代』

4人のオランダ人ジャーナリストの殺害から40年、元防衛大臣らを逮捕、エルサルバドルで戦争犯罪の検証が始まる 黒薮哲哉

「戦後処理」とは、戦争犯罪の検証と賠償のことである。現在、進行しているNATO-EU対ロシアの戦争は、いずれ戦後処理の傷を残すことになる。戦争が終わる目途は立っていないが、和平が実現した後も憎悪の記憶は延々と続く。

1980年から10年に渡り続いた中米エルサルバドルの内戦の戦後処理をめぐる興味深い動きが浮上している。去る10月13日に、エルサルバドルの裁判所が、内戦時に防衛大臣を務めたギジェルモ・ガルシア将軍と警察のトップだったフランシスコ・アントニオ・モラン大佐に対する逮捕状を交付したのだ。そして翌日、2人を拘束した。

さらに数人の元軍関係者にも逮捕状を交付した。この中には米国に在住する人物も含まれており、エルサルバドル政府は米国に対して身柄の引き渡しを要求するに至った。

殺害された4人のオランダ人ジャーナリスト(出典Telesur)

◆広がる軍部の暴力

事件は今からちょうど40年前の3月17日に起きた。内戦を取材していたオランダのフォトジャーナリスト4人が、エルサルバドル政府軍に殺害されたのだ。この中にはラテンアメリカ報道で定評のあるクース・コースタ―氏も含まれていた。

エルサルバドル内戦は、米国をバックにした政府軍と民族自決主義を掲げるFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)の間で勃発した。前年に隣国ニカラグアでFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が、やはり米国を後ろ盾としたソモサ独裁政権を倒し、その影響が中米諸国に伝染していた。

エルサルバドルは元々、社会運動が盛んな地域で、平和的な方法で社会変革をめざす運動が広がっていたが、1980年3月、政府に批判的なオスカル・ロメロ大司教が軍部に暗殺された。さらに大司教の葬儀に集まってきた大群衆に軍が無差別に銃弾を浴びせるに至り、平和裏の社会変革は完全に閉ざされた。この年10月、5つのゲリラ組織が統合して、FMLNを結成した。ラジオ・ベンセレーモス局も開設された。

ラジオベンセレーモス局

FMLNは結成後、ただちに首都サンサルバドルへ向かって大攻勢をかけた。政府軍は戦意を喪失して、エルサルバドルが「第2のニカラグア」になる公算が確実視された。ところが米国のレーガン政権がエルサルバドルに介入してきたのである。直接的な軍事介入ではなかったが、政府軍に対して莫大な軍事費を提供し、隣国ホンジュラスの基地で米軍が政府軍の軍事訓練を指導するようになった。

1980年の12月、政府軍は米国から布教にきていた4人のキリスト教関係者を殺害した。81年にはエルモソテ村でジェノサイドを断行した。978人の住民が殺害されたのである。エルサルバドル全土に暴力が広がっていた。

こうした状況の下でエルサルバドルは、国際政治とジャーナリズムの表舞台に浮上してきたのである。オランダから入国した4人のジャーナリストが殺害されたのもこのような時期だった。

◆FMLNのゲリラになった理由

政府と対立関係にある解放区の取材には、命の高いリスクが伴う。4人のオランダ人ジャーナリストは、あらかじめFMLNとコンタクトを取り、エルサルバドル北部のチャラテナンゴ県でFMLNの案内役と待ち合わせすることにしていた。ところがこの情報が政府軍にもれていたようだ。政府軍は待ち合わせ場所の直近に、あらかじめ兵士を配置し、4人のジャーナリストとFMLNの案内役を殺害したのである。そして交戦により死亡したと発表した。

わたしがこの事件を知ったのは、事件から数年後の1985年ごろである。中米紛争の取材の準備をする中で知ったのである。当時、米国にはエルサルバドルに関する正確な情報があった。直接の「証言者」となる避難民も多かった。

たとえばカリフォルニア州の診療医が、農場で働いているエルサルバドルからの移民の中に、拷問の傷跡がある者や精神に異常をきたしている者が多いことに気づいた。医師は、エルサルバドルの解放区へ入り、帰国後にメディアを通じて実情を訴えた。

ある時この医師は、FMLNの戦士に、「ゲリラになった理由」を尋ねたという。するとこんな答えが返ってきた。

「自分は内戦が始まる前は、地主の家で雑用係として働いていた。仕事のひとつに番犬の世話があった。毎日、犬に肉を与えていた。しかし、自分の子供に肉を食わせてやったことはなかった。犬が病気になった時は獣医のところへ連れていった。しかし、自分の子供が病気になっても、薬も買ってやれなかった」

エルサルバドルの全学連の代表から、大学で実情を聞く機会もあった。こんな話があった。

「村に電気も水道も来ていないので、村人が教会の牧師に相談した。するとその報復に軍隊がトラックで村に入って来て、住民運動のリーダーを次々と殺害した。銃声があちこちに響き、村に霞のような煙が立ち込めた。多くの村人が着のみ着のままで逃げてきた」

全学連の代表は、エルサルバドルに帰国すると空港で拘束された。米国側の受け入れ団体が抗議の電報を送って釈放された。

エルサルバドルは危険極まりない国だったのである。同時にジャーナリストの好奇心を刺激する土地だった。エルサルバドルを舞台とした映画や演劇も制作された。

FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)の部隊

◆戦争犯罪の検証

1992年に内戦は終結した。翌93年に国連が4人のオランダ人ジャーナリストが巻き込まれた事件の調査を実施した。そしてギジェルモ・ガルシア将軍らが関与していたとする報告書をまとめた。

しかし、FMLNと政府の間で交わされた和平協定に、元軍人の「恩赦」が盛り込まれた。これによりギジェルモ・ガルシア将軍らは、起訴を免れた。将軍は米国へ亡命して、生きながらえていたが、その後、国外追放になりエルサルバドルに戻った。

2016年になって、エルサルバドルは「恩赦」を無効とする決定を下した。これにより埋もれていた戦争犯罪の検証も可能になったのである。ギジェルモ・ガルシア将軍らの逮捕と起訴が司法当局の視野に入ってきたのだ。

そして事件から40年目の2022年10月、関係者が逮捕され、法廷で事件の検証が行われることになったのである。

40年前のエルサルバドルは、殺戮の荒野だった。数年前、コロナ禍の最中にわたしは、インターネットのSNSである写真を目にした。コロナワクチンを届けるために、エルサルバドルの国際空港に降り立った中国航空機の写真だった。それを見た時、わたしは時代の激変を感じた。かつては想像だにできなかった光景だった。長い歳月の海を経て社会進歩とは何かを実感したのである。

元将軍らを裁く法廷の開廷は秒読みに入っている。


◎[参考動画]米国のフォトジャーナリストらが制作したエルサルバドル内戦のドキュメンタリー  「In the Name of the People」

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

ロックと革命 in 京都 1964-1970〈01〉ビートルズ「抱きしめたい」17歳の革命 若林盛亮

◆はじめに

デジタル鹿砦社通信編集担当のKさんは1980年代京都の学生時代、ロックバンドをやっていたという。私も同志社時代の一時期、水谷孝ら「裸のラリーズ」と行動を共にした人間、そんな共通体験から音楽を中心に「OffTime 談義」をするようになった。そんな談義の中で「あの時代の京都と音楽」的なものを「デジ鹿」に書いてみませんかとの提案があって、「そうやねえ」ということで「ロックと革命 in 京都 1964-1970」といった手記風のものを月1本程度、書かせて頂くことになった。今回はその第1弾。

◆長髪、それは青春期の私そのものだった

私は今年75歳、ボブ・ディラン初恋の人スーズの言葉を借りれば、「長い歳月を経て若き日々の感情やその意味、内容を穏やかに振り返ることのできる」年齢になった。

半世紀前、よど号ハイジャック闘争決行を目前にして私は高三以来の数年間、私のアイデンティティそのものだった長髪をばっさり切った。「目立ってはならない」という「よど号赤軍」活動上の理由からだったが、私にはちょっとした決心だった。いま思えば、それは当時の私にとっては新しい領域、新しい次元に一歩踏み入る覚悟、「革命家になる」! その決意表明、と言えばカッコよすぎるがまあそんななものだった。

長髪、それは青春期の私そのもの、「ロックと革命は一体」、そんな感じだった。

ロックと長髪は自我の確立、あるいは自分を知るための自分自身の革命、さらにそこから一歩踏み出して社会革命へ、それが高三以来の私の青春の下した結論であり、1964~70年という「あの時代」の音楽体験、革命体験だったと古希を過ぎたいま思える。

ウクライナ事態を経ていま時代は激動期に入っている。戦後日本の「常識」、「米国についていけばなんとかなる」、その基にある米国中心の覇権国際秩序は音を立てて崩れだしている。この現実を前にして否応なしに日本はどの道を進むのか? その選択、決心が問われている。それは思うに私たちの世代が敗北と未遂に終わった「戦後日本の革命」の継続、完成が問われているということだ。

かつて闘いを共にした同世代にはいまいちど奮起を願い、若い人には新しい日本の未来を託したいと強く思う。そういう意味で私の「ロックと革命 in 京都」、「あの時代」を語ることを単なる追想、青春の思い出懐古にはしたくない。自分自身の革命と社会革命-戦後世代の青春体験が「戦後日本の革命」に役に立つならばというささやかな願いを込めてこのエッセーを書こうと思っている。

私自身について言うならば、自分の原点に立ち返っていまを振り返る、瀬戸内寂聴さん風に言えば、いまいちど恩人達に思いを馳せ「だから私はこの道を歩み続ける責任がある」ことを胸に刻む機会にしたい。

◆「抱きしめたい」から「ならあっちに行ってやる」へ

1947年2月生れの団塊世代第一号の私は、滋賀県下の進学校、膳所高校に通うごく平凡な高校生、いわゆる「受験戦争」が始まった最初の世代だ。高三を間近にして否応なしに進路選択が問われた私は、自分はどの大学、学部を選ぶべきか? 果たして自分は何をやりたいのか、やるべきか? これまでまともに向き合ったことのない人生選択の岐路に立たされて私は少し当惑していた。親や教師の言うままに「優等生」をめざした自分だったけれど、それが実は惰性で自分の頭で何も考えてこなかったことにとても不安を感じていた。

そんな私の高二も16歳も終わる1964年初冬1月頃のこと、受験勉強中の私の耳に突然飛び込んできたラジオからの異様な音楽「ダダダーン……」! が私の脳天を直撃した。 

その曲は「抱きしめたい」、歌っているのはビートルズ、イギリスの港町リヴァプール出身のグループだった。

すぐにそのシングル盤を買った。レコードジャケットにも度肝を抜かれた。丸首襟の揃いのビートルズ・スーツ、ボサボサ髪のマッシュルーム・カット、やけに挑戦的な目、ゾクッときた。自分で作詞作曲した歌を歌う、ロックが自己表現の手段であることも知った。理屈抜きにそれらはひたすらカッコイイ! に尽きた。


◎[参考動画]The Beatles – I Want To Hold Your Hand(英1963年11月、日本1964年2月発売)

 
マッシュルーム・カット高校生

私は散髪屋に行くのをやめた。別に何かに反抗してやろうという意識はなかった。ただ明日も今日と変わりがない「日常の連続」という現実を少し変えてみたかっただけ。夏近くになると前髪が目元に垂れ耳が髪で隠れて女の子のショートカット風のビートルズヘアになった。いまではどうってことのないものだが、当時は女性にのみ許されるヘアスタイルだった。制帽が頭に収まらないので校門前の検査時にちょこんと頭の上に載せたりしていた。

そんな時に事件は起こった。

体育授業で運動場に出た私に向かって体育教師は言った-「女の子の授業はあっちだ」! この言葉になぜか私の反抗心がむらむらとせり上がってきた。「ようし、ならあっちに行ってやる」! 私の何かがはじけた。 

私は体育授業をボイコットしたばかりか必要ないと思った授業は早退するようになった。

 
進学校デビューのビートルズ

余談だが運動会でクラス毎に応援席のバックに大きな背景画を設営することになった。私はダメ元で「ビートルズでいこう」と提案した、ところがなんとみんなも面白いと賛成してくれ私が絵を描くことになった。私が小バカにしていた受験勉強一筋のクラスの面々、彼らにも意外な一面があることを知った。

こうして進学校、受験勉強からのドロップアウト、17歳の革命が始まった。

単に「勉強嫌い」になっただけじゃないかとちょっと不安はあったけれど、なぜか躊躇はなかった。なぜこうなるのか理由は自分でもよくわからない、でもおかしいと思うことにずるずると流されていくことの方がよっぽど怖かった。私の中で微妙な変化が起こり始めていた。

長髪ひとつで世界は変わる! それが私の17歳の革命、その第一歩だった。

「ならあっちに行ってやる」! そんな無謀な決心を「いいんじゃない、若林君はぜんぜん悪くないよ」と言ってくれる女子高生が現れた。

 
高三の終わり頃

◆女子高生OKとの出会い

ある日、友人から彼のガールフレンドが託されたというノートの切れ端に書かれた手紙を受け取った。ビートルズ風の長髪高校生の噂を聞きつけてよこした「文通申し込み」だった。どこにでもある高校生の文通、それがOK(彼女のニックネームの略称)との運命的な出会いのきっかけだった。

OKは1学年下の16歳、県下の別の高校に通う名古屋からの転校生、母親を早くに結核で亡くし、その母親の結核サナトリウムのあった母の出身地でもある私の故郷、草津市に移ってきた女子高生だった。

友人を介しての数回の文通の後、「一度会ってみない?」との仰せがあって彼女の母親の実家が経営する喫茶店で会うことになった。その日の記憶はいまも鮮明だ。

私はOKに会う前に本屋に立ち寄った。公開間近のビートルズ映画“A Hard Day’s Night ”掲載の映画雑誌を買っていこうと思ったからだ。広い店内だったが映画雑誌を探す私はふと視線を感じて顔を上げた。するとレコード売り場にいた女子高生風と目が合った、瞬間バチバチッと視線のショート! でもそれはほんの一瞬、私は映画雑誌を持ってレジへ、彼女は店員との話に戻った。一瞬の視線ショートだったが、長髪男子高校生の出現に「これだ!」と彼女は思っただろうし、私はこの子だとほぼ直感した。

案の定、喫茶店にいたのはその子だった。時は初夏、背中にかかる長い髪、白い夏のワンピース姿はまさに都会育ちの女の子、デートなど初体験、以前の田舎の「真面目な優等生」の私だったらどぎまぎしたことだろう。でも「長髪ひとつで世界は変わる」、異端視の視線に鍛えられていた若林君はうろたえることなく「やあ」と声をかけた。すでに文通で気心は知れてるので映画雑誌のビートルズの話題で盛り上がり、意気投合は一瞬だった。

夏休みには二人でビートルズ映画を京都会館で心ゆくまで観戦、嬌声の絶えない映画館で「ちょっとあの女の子達うるさいよね」と言いながらも「リンゴ、かわいい!」と思わず口にする彼女、理知的なOKの意外なアナザーサイドも新しい発見だった。


◎[参考動画]映画 “A Hard Day’s Night”(1964年)

 
アメデオ・モディリアーニ「子供とジプシー女」。教科書にも掲載されるような画だが、これはOKとの私書箱に貼り付けた記念品

初面談以降、文通は直通便になった。互いの家の玄関にボール紙手製の「私書箱」を設定、私はモディリアーニの絵を貼り付けた。互いの「私書箱」に細い鎖を取り付けてそれが垂れてたら「手紙在中」の印、学校帰りに鎖が垂れてるか確認するのが楽しみになった。

ビートルズのヒット曲“From Me to You”にならって手紙の末尾には「From M.Lenon to George OK」と署名、彼女の署名はその逆。私はジョン・レノン、彼女はジョージ・ハリソンのファンだった。私のには必ずジョン・レノンの横顔イラストを入れた。たわいのないお遊びだが、それは「二人だけの小さな世界」、私とOKのとても大事な儀式だった。

互いの家でレコードを聴いたりしたけれど、いつしか昼夜別なく町を徘徊しながらの路上トークが二人の習慣になった。古い世界を飛び出そうとする二人には家の狭い空間は窮屈だったのかも知れない。

ビートルズの話題が中心だったと思うが、私の大好きな画家、モディリアーニの話にも彼女は乗ってきた。「奥さんのジャンヌさんって素敵だよね」とOK。モディリアーニは貧苦の中でも「自分の絵」を追求、それを描き続け、持病の結核、アルコールとドラッグ漬けの果てに失意のまま早世した画家、画家でもあり妻だったジャンヌ・エビュテルヌさんは最愛の人を亡くした直後、後を追ってアパルトマンの窓から投身自殺を遂げた。ジャンヌさんの父親は敬虔なカトリック教徒、ユダヤ人の男との結婚を認めず墓は別々にされた、そして十数年の歳月を経てペール・ラシェーズ墓地に合葬され、二人はやっと結ばれた。そんな不遇の画家とその波乱に満ちた純愛ドラマの生涯は私たち二人を興奮させた。

ある時、OKが「睡眠薬自殺はやらないほうがいいよ」と私に言った、名古屋の中学時代に自殺未遂を見つかって胃の洗浄をやられたのが死ぬほど苦しかったそうだ。自殺など私には別世界の話、この子は私の知らない世界を知っている人だ、そう思った。
 
そんな感じで路上トークは延々と草津の狭い町を大通りから路地、天井川の堤防へと続き、家の前まで来ても「じゃあまたね」を二人とも言いそびれて、またもと来た道に戻ったりを繰り返した。別に腕を組んだり恋を囁きあっていたわけじゃない、堰を切ってあふれる目覚めた自我がその発散場所を求めていたのだと思う。

そんな二人を「高校生の異性交際?」と怪しむ町の大人たちの視線もあったけれど「僕らの大まじめがわかってたまるか」と上目線で無視した。こんな「抵抗運動」も二人の絆を強めたのかも知れない。


◎[参考動画]The Beatles – From Me To You(1964年)

 
ボーヴォワール『他人の血』(新潮文庫1956年)

◆「特別な同志」になった理由

ある日、「これ読んでみない?」とOKは1冊の文庫本を貸してくれた。

その本は『他人の血』。フランスの実存主義女流作家、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの小説だった。平凡な駄菓子屋の娘が大ブルジョアの息子という出自に悩む労働運動指導者と恋に落ち紆余曲折の末に恋人の指揮する反ナチ・レジスタンス運動に参加、彼女は短い生涯を閉じるという物語だが、私は最後まで読めず途中で放棄した。自分の運命の決定権は自分自身にあるという自己決定権賛美の書だが、フランスの知識人の描く複雑な社会相、人間世界は当時の私にはまったく理解不能の世界だった。

私はただ「ありがとう」とだけ言って本をOKに返した。
 
これは少なからずショッキングな体験だった。進学校でもない高校に通う年下の女子高生の読む本を読めない自分は何なんだ!? 自意識過剰といえばそれまでだが「進学校の優等生」というものを考えさせられた事件だった。

後で実存主義に関する解説書を読んだりしたが私にはさっぱりわからなかった。主体的な社会参画? 自己決定権? 教科書や受験参考書ではわからない世界があることを思い知らされた。もっと新しい世界を知りたいと切実に思った。それはあくまでいま考えればということで、当時そんなことは恥ずかしくて彼女には話せなかった。

自分の無知、アホウぶりを知らしめてくれたのがOKだった。それこそが彼女が私の「特別な同志」たる最大の所以(ゆえん)だったといまは言える。

こうしてOKは私にとって「特別な同志」になった。そんな彼女に私は恋をした。

ビートルズ「抱きしめたい」に始まる「ならあっちに行ってやる」の17歳の革命は、自分を知るための革命になり、その「同志」を得て革命はさらに一歩前に進んだ。

これが今日に至る私の革命の原点、いまそう思う。(つづく)

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」成員

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』
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