横浜副流煙裁判、8月3日にオンラインで「弁論準備」、諸悪の根源は作田医師が作成した診断書 黒薮哲哉

「そもそも作田医師が『犯人』を特定した診断書を交付しなければ、こんなことにはならかったのではありませんか」

8月3日、横浜地裁。オンラインで開かれた「弁論準備」で、原告の藤井敦子さんが意見を述べた。設置されたスクリーンは、被告の代理人弁護士2名を映し出している。山田義雄弁護士と片山律弁護士である。

藤井さんが名指しにした作田医師とは、日本禁煙学会の作田学理事長のことである。事件の引き金となった診断書を交付した人物である。禁煙学と称する分野の権威でもある。

◆事件の概要

横浜副流煙事件は、2016年にさかのぼる。青葉区のマンモス団地に住む藤井将登・敦子夫妻に対して、同じマンションの上階に住むA家(夫妻と娘)が、副流煙による健康被害を訴えた。藤井家の煙草で、「受動喫煙症」などに罹患(りかん)したというのだった。

藤井将登さんは喫煙者だったが、ミュージシャンという職業柄、外出が多く、自宅で喫煙する時も「音楽室」で日に2、3本吸う程度だった。音楽室は防音構造になっているので、煙は外部へはもれない。

1階の藤井家の「音楽室」と2階のA家の位置関係を示している

それでも将登さんは、念のために煙草を控えた。が、それにもかかわらずA家は、依然として将登さんの煙で迷惑を受けていると言い続けた。後には、副流煙で娘が寝たきりになったとまで主張した。深刻な隣人トラブルに発展したのである。団地の住民たちにも両家の係争は知れ渡った。

そしてA家は、2017年11月、藤井将登さんに対して約4500万円の金銭支払いと、自宅での禁煙を求めて裁判を起こしたのである。この提訴の有力な根拠となったのが、作田医師が交付したA家3人の診断書だった。

しかし、裁判の中で藤井将登さんは、作田医師が作成した3通の診断書にグレーゾーンがあることを指摘した。とりわけ娘の診断書には、重大な汚点があった。作田医師は、娘を診察せずに診断書を交付していたのである。娘とは面識さえもなかった。見ず知らずの患者を診察せずに診断書を交付したのだ。このような医療行為は、医師法20条で禁止されている。

さらに作田医師は、A家の妻の診断書の中で、副流煙の発生源を「ミュージシャン」であると事実摘示した。藤井将登さんが、原因でA家の3人が「受動喫煙症」になったと断言したのである。

しかし、横浜地裁は2019年11月にA家の訴えを棄却した。判決の中で、横浜地裁は作田医師による医師法20条違反を認定した。その後、判決は東京高裁で確定して、裁判は終わった。この時点から藤井さん夫妻は、反転攻勢に転じる。不当な裁判を起こされて、「ごめんなさい」だけで済ませる気はなかった。結果的に、「目には目を、歯には歯を」(バビロニアのハムラビ法典)ということになった。

◆「反スラップ」裁判の争点

藤井さん夫妻は、まず作田医師を神奈川県警青葉警察署に刑事告発した。容疑は虚偽診断書行使罪である。

■告発状 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2021/05/yokohama210528.pdf

 
横浜副流煙事件を記録した『禁煙ファシズム』(黒薮哲哉著、鹿砦社)

面識もなければ、診察もしていないA家の娘の診断書を交付したのは、違法行為だった。青葉警察署は作田医師を取り調べ、横浜地検へ書類送検した。横浜地検は作田医師を不起訴処分としたが、藤井さんらは検察審査会に不服を申し立てた。検察審査会は、「不起訴不当」の議決を下し、処分は横浜地検へ差し戻した。しかし、横浜地検は、再び不起訴処分を下した。同時に事件は時効となって終わった。

その後、今年の3月に藤井さん夫妻は、A家に対して損害賠償裁判を起こした。不当裁判に対する「反訴」である。俗にいう「反スラップ」訴訟である。藤井夫妻は、前訴提起の根拠となった診断書を作成した作田医師も被告に加えた。

請求額は4人の被告に対して、総計で約1000万円である。

これまで横浜地裁で1度の口頭弁論と2度の弁論準備が行われた。現時点での争点は次の3点である。

(1)被告A家らによる訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たるか。

(2)被告作田は本件診断書①及び②を作成するなどして、被告A家らによる違法な訴えの提起をほう助したといえるか

(3)仮に被告A家らによる訴えの提起が不法行為とならない場合であっても、被告作田の上記②の行為が不法行為となるか

今後、これらの争点を中心に審理が進む。

◆作田医師の診断書の何が問題なのか

原告の藤井敦子さんが最も問題にしているのは、繰り返しになるが、作田医師が交付した3通の診断書である。

事実、作田医師が作成した診断書の記述は、事実的根拠に乏しい。とりわけ娘の診断書は、本人を診察することなく交付している。たとえば次に引用するのは、A家の妻の診断書である。

【引用】1年前から団地の1階にミュージシャンが家にいてデンマーク産のコルトとインドネシアのガラムなど甘く強い香りのタバコを四六時中吸うようになり、徐々にタバコの煙に過敏になっていった。煙を感じるたびに喉に低温やけどのようなひりひりする感じが出始めた。このためマスクを外せなくなった。体調も悪くなり、体重が減少している。そのうちに、香水などの香りがすると同様の症状がおきるようになった。
 これは化学物質過敏症が発症し、徐々に悪化している状況であり、深刻な事態である。

A家よりも、むしろ作田医師の方が責任が重いというのが、藤井敦子さんの見解である。作田医師が根拠に乏しい診断書を交付しなければ、A家が提訴に至ることはなかった可能性が高いからだ。逆説的に言えばA家は、禁煙学の権威である作田医師のお墨付きを得たからこそ、裁判を提起することが可能になったのである。

作田医師が交付した3人の診断書には、次のような考察点がある。裁判の中で検討しなければならないことである。

[1]診断書の中で副流煙の発生源を藤井将登さんであると摘示をしている事実。作田医師は、事件の現場に足を運ぶことなく、「犯人」を特定したのである。診断書の作成プロセスそのものに問題がある。裁量権の域を逸脱している。

[2]診断書の中に「受動喫煙症」という自作の病名が付されている事実。意外に知られていないが、受動喫煙症という病名は、疾病の国際分類であるICD-10には含まれていない。従って公式には、そのような病気は存在しない。保険請求の対象にもなっていない。

[3]作田医師が、A家の娘を診察することなく、診断書を交付した事実。これは医師法20条に違反する。作田氏は、娘とは面識すらなかった。

[4]娘の診断書が交付された翌日に、藤井宅に山田義雄弁護士からの内容証明が
届き、その中で裁判の提訴をほのめかしている事実。娘の診断書交付から、藤井宅に内容証明が届くまで約24時間しかなく、「犯人」を特定した診断書の交付をまって山田弁護士が動いた公算が高い。

[5]日本禁煙学会が、副流煙による被害者に対して、訴訟を提起するように、ウエブサイトを通じて奨励してきた事実。A家が提訴に至るまでのプロセスは、日本禁煙学会のガイドラインどおりになっている。その禁煙学会の最高責任者が作田医師である。

[6]3通の診断書のうち、少なくとも娘のものは、「架空診察」の直後に交付されており、当時、作田医師が勤務していた日本赤十字医療センターの診断書交付窓口を通じて交付されたものではない事実。

一般論からすれば、医師にはみずからの裁量により自由に診断書を書くことが認められている。しかし、それは事実的根拠があることが大前提である。診断書の中で警察のように「犯人」を特定したり、患者を診察することなく所見を記すことは論外だ。「犯人」にされ、金銭請求を受けた藤井将登さんにとっては、耐えがたい屈辱である。

◎原告準備書面 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2022/08/220813y.pdf

※前訴までの詳細については、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)に記録している。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈1〉1945~50年代 戦後革命の時代 横山茂彦

今年は戦後77年である。

領土拡張をめざすロシアおよび中国という、21世紀の帝国主義が世界大戦の危機をもたらしている今。そして、帝国主義間戦争の危機に否応なく巻き込まれる日本の歴史的な立場を考えるうえで、15年戦争と戦後の歩みを振り返るのは、現在のわれわれを認識することとなる。

歴史を振り返ることは、現在がけっして素晴らしいわけではなく、古代や中世、あるいは近現代の一時期に「人類の理念」や「国民の理想」があった可能性をさぐることにほかならない。平和への希求や戦争の恐怖、苛烈な政治抗争と経済発展の展望、いっぽうで政治的危機や国民生活の衰退もふくめて、われわれの77年は平たんではなかった。

今回はとくに編集部の要望もあり、戦後77年を機にわれわれ自身の歩みを捉え返していこう。一般的な素描では面白くないので、戦争と革命という20世紀的な、しかし21世紀に持ち越してしまったテーマに即して解説したい。

【目次】
第1回 1945~50年代 戦後革命の時代
第2回 1960~70年代 価値観の転換
第3回 1980年代 ポストモダンと新自由主義
第4回 1990年代 失われた世代

◆15年戦争とは何だったのか?

1931年の満州事変から太平洋戦争の敗北までを、15年戦争という。

中国における一連の戦争行為を「事変」と呼称しているが、パリ不戦条約および国際連盟規約(11~15条)において、戦争が犯罪とされたからである。現在のロシアがウクライナ侵略を「特別軍事行動」と呼んでいるのと同じだ。後発帝国主義としての大日本帝国が、中国・東アジアにおける権益(市場進出と植民)をめぐって、先発帝国主義諸国(英米仏蘭)と衝突したのがこの15年戦争の基本性格である。日本とドイツは国内外において、後発帝国主義の狂暴さを体現した。

レーニンが『帝国主義論』において明らかにしてきた、生産の集積と独占・金融寡頭制・資本輸出と市場分割・領土分割。この帝国主義の不均等発展による、後発帝国主義の侵略戦争である。まさに第二次世界大戦をふくむ大日本帝国の戦争は、これを体現するものだった。

現在のロシア帝国主義、中国帝国主義が後発ゆえに、米帝一元支配への市場再分割・領土分割戦争に乗り出しているのと、時代は77年以上をへて重なりつつある。歴史はくり返されるのだ。

しかし帝国主義戦争が植民地争奪戦・領土分割線であるところ、15年戦争は植民地従属国の独立・解放戦争でもあった。中国は抗日戦争をつうじて共産党が戦争の主導権をにぎり、最終的に植民地から脱するとともに社会主義革命を実現した。日本の傀儡政権だったとはいえ、ビルマ国の独立、フィリピン第二共和国が太平洋戦争の過程で成立し、半植民地・抗日運動の中からアジア諸国の独立運動(インド・インドシナ諸国)が高揚したのだ。

日本においても、戦争の帰趨は社会主義革命の契機と考えられてきた(31テーゼ)。それゆえに共産主義者においては、太平洋戦争の終結と米軍の進駐は「日本革命のための解放軍」と考えられたのである。


◎[参考動画]昭和天皇 戦争終結 「これ以上戦争を続けることは非常に……」と米記者に

◆GHQ政策と戦後革命

1945年10月、GHQのマッカーサーは幣原内閣に口頭で5つの改革を指示した。秘密警察の廃止・労働組合の奨励・婦人解放・学校教育の自由化・経済の民主化である。具体的には戦争協力者の公職追放や財閥解体、農地改革(大規模地主の解体)をふくむ、徹底的な改革だった。上からの、外部からの革命と言っていいだろう。

司馬遼太郎は「明治維新は徹底的な革命であった」とするが、これは藩閥政治(徳川幕府の解体)に対する過大評価である。明治維新は武士階級の解体のいっぽうで貴族階級を温存し、薩長の軍閥政権が徳川政権に取って代わったにすぎなかった。大規模地主と小作農民の階級分化、財閥という大資本の登場、天皇制権力の強権化は士農工商という古代身分制を歴史的に復古させ、部落差別などの身分差別を顕在化させたのである。そして大陸進出と侵略戦争……。

GHQの基本政策が軍国主義の解体であったから、当初は「日本の民主化」「進歩的なアメリカ化」として、日本社会を激変させた。

とりわけ民主化に沸き立つ国民の進歩的な層の中に、社会主義革命への憧れをもたらした。実際にアメリカの対日政策(極東委員会)はルーズベルトいらいのニューディーラーが多数派であって、軍備と戦争放棄の平和憲法に反映されていく。


◎[参考動画]昭和ニュース GHQ マッカーサー来日(1945年)

◆ターニングポイントとなった2.1スト

上に挙げたGHQの労働組合結成の奨励もあって、日本の労働組合参加組員は民間70万人、官公労260万人になっていた。戦前が42万人(戦争の勃発で活動禁止)だから、飛躍的な伸長であることがわかる。

これら労働組合の伸長は、保守派にとっては政治危機を感じさせるものだった。47年の年初、吉田茂総理は年頭の辞で労働組合運動を批判して言う。

政争の目的の為に徒に経済危機を絶叫し、ただに社会不安を増進せしめ、生産を阻害せんとするのみならず、経済再建のために挙国一致を破らんとするが如き者あるにおいては、私は我が国民の愛国心に訴えて、彼等の行動を排撃せざるを得ない。

各労働組合はこの年頭の辞に一斉に反発した。1月9日には全官公庁労組拡大共同闘争委員会が賃上げ要求のゼネラル・ストライキ実施を決定した。1月11日に4万人が皇居前広場前広場で大会を開き、国鉄の伊井弥四郎共闘委員長が全官公庁のゼネスト実施を宣言する。1月15日には全国労働組合共同闘争委員会が結成され、1月18日には、要求受け入れの期限は2月1日として、要求(現行賃金556円→1200円へ)を受け容れない場合はゼネストに入ると政府に通告した。

実行された場合は、鉄道、電信、電話、郵便、学校が全て停止されることになり、吉田政権がダメージを受けることは確実である。ゼネストのスローガンにも「吉田政権打倒」が明記された。やむなく吉田茂は社会党右派の政権取り込みを策したが、社会党左派の反対で連立構想はとん挫する。ここに社共と吉田政権(自由党)の政治決戦を内包したゼネストが実行段階に入ったのだ。

ところが、横槍を入れたのは労働組合運動を庇護してきたはずのGHQだった。すでにソ連との冷戦を察知していたアメリカは、日本においてソ連の第五列が発生するのを怖れたのである。

ゼネストが強行された場合に備え、アメリカの第8軍は警戒態勢に入った。午後4時、マッカーサーは「衰弱した現在の日本では、ゼネストは公共の福祉に反するものだから、これを許さない」としてゼネストの中止を指令した。

伊井委員長はGHQに強制的に連行され、NHKラジオのマイクに向かってスト中止の放送を要求された。午後9時15分に伊井は、ゼネストを中止することを涙ながらに発表したのだった。GHQ改革を梃子にした戦後革命の第一段階は、こうして終焉した。

◆朝鮮戦争と武装共産党

1950年6月25日、朝鮮半島で大規模な軍事衝突が起きる。

朝鮮戦争の勃発である。日本はアメリカ軍の前進基地となり、デモと集会は全面的禁止となり、アメリカ占領軍の政策への批判や反対は「占領政策違反」の名で弾圧される。またたくまにレッド・パージが吹き荒れた。

これに先立つ6月6日、日本共産党の国会議員を含む全中央委員24人の公職追放指令が出されている。共産党はこの年の1月にコミンフォルム指令によって武装路線に転じていたのである。51年2月の四全協、10月の五全協において、共産党は日本における革命が平和的な手段ではなく、農村部でのゲリラ戦闘に依拠したものであると確認する。

いうまでもなく、これは毛沢東の農村根拠地論をもとにした都市の包囲戦略だった。「山村工作隊」や「中核自衛隊」などの非公然組織が作られ、学生が農村に派遣された。富農を打倒し、貧農や小作農を支援・組織するというものだった。だが、戦後の食糧難がつづく日本において、農村は国民のなかでは比較的豊かだった。共産党系学生の的外れの山村工作は、いきおい農民たちの反発を買うことになるのだ。

共産党の工作は、山村や農村だけではない。都市においては交番焼き討ちなどの武装闘争が行なわれ、警察権力への直接の軍事行動が取り組まれた。北朝鮮軍の勝利によって、やがて朝鮮半島から大量の難民がやってくると想定された。この機をとらえて、日本でも革命情勢をつくり出す。事実、韓国および済州島においては、反共内乱が起きて日本に密航する人々が続出していた。大阪の朝鮮人部落の大半は、この時期に形成されたという。

とくに九州では雪だるま闘争という戦術が採られ、国鉄の操車場に労働者を終結させた。列車が各拠点で労働者を搭載し、町から町へお祭り騒ぎのように労働者を結集させる。

そのいっぽうで、警察や謀略組織(GHQが組織したとされる)によって、三鷹事件や下山事件などの反共謀略事件が続出した。共産党はアメリカによる直接の弾圧に晒されたのである。海の向こうアメリカでも、反共のマッカーシー旋風が吹き荒れていた。2.1ストの中止指令、反共謀略事件と、戦後の日本がアメリカの支配下にあったことを明確に知らないわけにはいかない。それは現在も変っていない。戦後77年とは、米帝支配の77年でもあるのだ。

猛烈な弾圧に遭遇した日本共産党は1955年1月1日、武装闘争が「極左冒険主義」だったとして自己批判を行い、同年7月の六全協で武装闘争路線を否定した。

党の方針に従い、学業を捨て山村工作隊に参加した学生たちは、六全協の方針転換に深い絶望を味わった。この時代の若者たちの感覚は、柴田翔の小説『されどわれらが日々』に表現された。


◎[参考動画]【TBSスパークル】1949年7月5日 下山事件起こる(昭和24年)

◆自衛隊 ── 警察予備隊の創設

朝鮮戦争はまた、日本の再軍備をうながす契機となった。アメリカの要望による、警察予備隊(のちの自衛隊)の発足である。アメリカによる民主化からアメリカ主導の再軍備へと、時代は反転する。

ここに「逆コース」という右傾化批判が生まれ、進歩と反動の相克という戦後民主主義の基本構造が明確になってくるのだ。

いっぽうで、経済は朝鮮戦争特需でおおいに潤った。戦争による焼け太り、急速な戦後復興が果たされていくのだ。

この復興と逆コースの中、日本共産党の体制内化の対極に、新たな批判勢力が生まれてくる。戦後民主主義の擬制的な幻想のなかで、若い世代の革命への熱情は抑えがたく結晶する。60年安保という、時代を画する政治闘争の時代である。(つづく)


◎[参考動画]警察予備隊創設

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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1945年8月15日の大日本帝国 敗戦に隠れて生き残ったもの 田所敏夫

1945年8月15日に大日本帝国は、天皇ヒロヒトがあらかじめ録音しておいた「玉音放送」をNHKラジオを通じて放送し、国民に敗戦を伝達した。連合国との戦争に無条件降伏したのだから、あの戦争は「負け」であった。第二次大戦における日本の敗戦、それにとどまらず15年戦争の総体が敗戦に帰結したのは歴史的に確定した事実である。

勿論わたしも日本の敗戦にはこれまで全く疑義を持ったことはなかった。戦前と戦後が隔絶せず、不謹慎な地下水脈で繋がっている構造への不信感は持っていたにせよ(あるいは敗戦処理を自国民の手では充分になしえなかったのではないかとの疑義も)、日本の敗戦を疑ることはなかった。史実的にはわたしがどのように感じようと日本の敗戦は確固としたものであって、どんな材料を持ってきたところで「日本の敗戦」を疑う視点は、焦点のずれた議論だ。


◎[参考動画]宮内庁:玉音放送の原盤を初公表(毎日新聞)

それを承知の上で、あえてごく最近ではあるが頭に浮かんだ想念がある。

あの戦争で日本は負けた。これは間違いない。しかし、形式上の負けの陰に隠れて、「戦前日本(大日本帝国)が死守したかったもの」の確保が、実のところ果たされているのではないか。つまり「敗戦」との言葉の陰には「実体的には不変」である秘匿すべき本質の保持。なにを差し置いても、どれだけの被害が出ようとも、死守したかった唯一最大の精神的幻想はいまも戦前同様に生きつづけているのではないか、と感じる事件が起きたからだ。

今次わたしを再びこの問題に立ち返らせたのは、他でもない7月8日に安倍元首相が殺された、その日の午後からであった。あの事件がきっかけになり、わたしの想念は元首相が殺されたことよりも「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」へと思考が傾注した。

事件は参議院選挙中であったこともあり、各政党は次々に「民主主義に対する卑劣な攻撃で、絶対に許すことができない」旨のコメントを発信し、選挙活動を1日停止した。驚いたことにネットニュースでチェックしていたら、地上波各局のアナウンサーは黒いネクタイや、あからさまな喪服を着て同じ内容を繰り返し放送していた。

「民主主義に対する卑劣な攻撃で、絶対に許すことができない」最初の違和感はこのコメントだ。わたしは第一報をラジオで聞いた。現場の様子の録音だ。安倍元首相の演説が始まって間もなく、火薬の爆破音が聞こえ、二回目の爆破音が明瞭に聞こえた。素人のわたしにその音だけで判断できたことは、使用された武器は一般の拳銃やライフルではないことだ。拳銃やライフル(自動小銃)はあのような爆音はしない。むしろ文字にすれば「パン」あるいは「タタタ」という感じの軽い音がするものだ。だからアナウンサーが「銃で撃たれた」と伝えていたので、武器は水道管かなにかを利用して作ったものだとすぐにわかった。そしてそうであれば、組織的な犯行ではなく、完全に個人的な犯行である可能性が高い。いまの日本で組織的に政治目的を保持しながら、独自の銃器や爆弾の作成を実行している団体があると、わたしには思えなかったからだ。つまり政治的な文脈ではなく「個」と「個にかかわる国家的なもの」の観点をクローズアップせざるを得なくなるのではないか、と直感した。

わたしの直感通り犯行実行者に、政治的な目的がなかったことは数日で判明した。背景に未だ知られていない力学がある、との説も残ってはいるが、統一教会の存在が事件に大きくかかわっていることがはっきりした。

ここでわたしの想念が行きつ戻りつしはじめたのだ。安倍元首相が統一教会と懇意であることは、従前から前から知っていた。それに加え安倍元首相が敬愛してやまない祖父である岸信介が日本に統一教会を招き入れた、実質上の最大功労者であることも承知していた。安倍元首相は岸信介のすべてに心酔していた。小学生時代に当時家庭教師をしていた現衆議院議員の平沢勝栄に東大闘争の様子を見せられれたとき、安倍元首相は「おじいちゃんは悪くない!」と憤激したエピソードを平沢から聞いたことがある。祖父と孫の間睦まじい関係はいいだろう。ただ「おじいちゃん」はいかにも不思議な人物である。

岸信介は大戦中に商工大臣の地位にあり、戦後東京裁判でA級戦犯と認定された。ところが3年半の勾留のあと岸は不起訴で保釈されている。A級戦犯で有罪が下った14名のうち7名は死刑が執行され、残りの7名も終身禁固や有期禁固刑が言い渡されている。死刑を免れたA級戦犯のほとんどは1952年全国的に展開された「戦犯保釈運動」などの影響で出獄しているのではあるが、岸が起訴すらされなかった理由は(あれこれ解説は散見するが)わたしには判然としない。

そして、公職追放されたにもかかわらず岸は周知のとおり、総理大臣の地位にまで上り詰め、戦争中は内閣の一員として対峙していた、米国と日米安保条約を締結する。「鬼畜米英」が終戦から15年もせずに「軍事同盟」を結ぶに至るメンタリティーを、まずわたしは理解できない。もっとも岸個人ではなく、自民党の議員も同様の行動をしたのだから、「日本人って不思議な精神性をしているなぁ」といったところだ。

岸は米国とは安保を締結し、韓半島からは文鮮明を招き入れていたのだ。統一教会の教義は日本を韓国に貢がせる国としていて、本来日本の保守政治家には親和性のない教義だと思われるかもしれないが、文鮮明はたくさんの土産を岸に用意したのだろうし、岸だって相手が誰であれ「利用できるものは利用する」人間であるから、利害が共有できたのだろう。

だからといって、岸個人や自民党に多少都合がよくても、日本国民や日本外交(国益)に統一教会が利益をもたらしたのかといえば、回答は7月8日に出た通りである。多くの人が最近になって安倍元首相の死を「身から出た錆」、「自業自得」と表現している。そう表したい気持ちもわからなくはないが、その奥に緞帳のように広がる、さらなる暗黒が見落とされてはいないだろうか。

手がかりを示してくれるのは岸信介だ。彼はどうしてあれほど熱心に満州国建国に尽力したのか。どうして東京裁判で起訴されなかったのか、なぜ米国との軍事同盟を自身の総理の座と引き換えにも優先したのか、そして文鮮明(=統一教会)をはじめとする、主張においてまったく相容れない団体とも深い関係を築いたのか。岸は何を得ようとしなにを守ろうとしていたのか。岸の行動は「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」を象徴的に体現したと考えられないだろうか。

安倍元首相が「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」のために殉じたい、と考えたことはあっただろうか。彼は常々支離滅裂な愛国論を語り、軍拡にも熱心であったが、敬愛する祖父のまいた種が皮肉にもみずからの命を奪うことをあらかじめ知っていたら、統一教会との関係を従来通り続けただろうか。

安倍元首相殺害は大きなニュースではあるが、統一教会を整理すれば問題は片付くだろう。しかし岸信介までさかのぼってその精神性の問題まで掘りあかされることを政府は望んでいない。被疑者を4か月もの長期間精神鑑定すると決定したのは、これ以上被疑者の口から吐かれる言葉を封じるためであり、国葬を手早く決めたのも安倍元首相の称揚のためというより、この事件が触れるかもしれない更なるやっかいな「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」の問題には、絶対に議論を向けたくなかったのが岸田総理の本音ではないか。その証拠に総理大臣就任時あれほど声高だった「憲法改正」が今次内閣発足の際には一切言及されることはなかったではないか。

終戦記念日の8月15日、形式上の敗戦に隠れて戦後から生き残った「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」は決して弱体化しておらず、むしろその総体がもとよりさらに厄介な代物に変容しているのではないだろうか。

今次にあっては理性的、合理的な判断分析はことごとく無化され放逐される。わたしたちに流布されるニュースやコメントの大半は、したがってほとんどが非本質的である。本文中「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」との表現で、わたしが示唆した概念は、おそらく多数の読者には了解していただけるであろう。

龍一郎・揮毫

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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8.6の広島を揺るがす官製談合疑惑 ── 広島県教育長がはまった「安倍化」の罠 さとうしゅういち

原爆の日が迫った8月上旬、「文春砲」が、筆者の元職場、広島県庁を直撃しました。

広島県教育委員会

広島県庁といっても、いわゆる知事部局ではなく、教育委員会(写真)です。とはいえ、最近では地方教育行政法の改定などにより、教育委員会の独立性は低下。知事部局と一体化する傾向が強まってはいます。広島県も例外ではなく、知事の湯崎英彦さんが外部から一本釣りしてきた平川理恵さんが広島県初の女性教育長を2018年から務めておられます。したがって、これは知事である湯崎英彦さんの責任も重い不祥事であると理解しています。

◆「お友達NPO優遇」、故・安倍晋三さんそっくりの教育長

文春砲はその平川教育長を直撃しました。平川教育長と京都のNPО法人「パンゲア」の森由美子理事長がわたしも妻とよく行く県庁近くのベトナム料理屋で一緒に写っておられる様子の写真が掲載されました。これは誰かが密告したからとか、そういうことではなく、森理事長ご本人がSNSに載せておられることです。平川教育長も、SNSで親しげに森理事長にコメントをされている様子がうかがえます。

「文春砲」が報じた疑惑の概要は、広島に縁も所縁もないパンゲアが、なぜか平川教育長就任後、広島県教委からの受注をゼロからこの1年余りで2300万円以上にふやしていることです。それもパンゲアが県外法人のため一般競争入札の資格がないので、例外的なやり方で発注を繰り返していたのです。そして、パンゲアありきで工業高校の女子生徒によるHP作成プロジェクト事業についての話を進めていた、ということです。これらが事実なら官製談合であり、お友達を優遇したという意味では、故・安倍晋三さんそっくりです。

◆改革に現場からうずまく期待と不安・不満 平川教育長

平川理恵教育長は54歳。京都市生まれで同志社大学をご卒業後、リクルートを経て、横浜市で民間公募校長を務め、不登校生徒をゼロにしたなどの実績で有名です。2018年、湯崎英彦知事により一本釣りの形で広島県教育長にご就任されました。「こどもたちのために」がモットーで、よく現場に足を運ぶ、親御さんが教育委員会に電話をすると自ら対応されて感激した、などの声はこれまでよくうかがっています。平川教育長による改革は、NHK含むマスコミにも何度か大々的に取り上げられています。

以下は本年度の平川教育長が出された方針「八策」です。

「令和4年度 広島県教育委員会八策」

1. 広島県 教育に関する大綱「一人一人が生涯にわたって主体的に学び続け、多様な人々と協働して、新たな価値を創造する人づくり」を実現する。

2. 教育の根源は、生涯にわたって学び続けるということである。幼児児童生徒も大人も、学びの習慣を身につけ、学び上手になれるよう「学びの変革」を推し進めていく。

3. 学校や教育委員会は、「我が子・我がことであれば」を旨に、「子ども基点」を貫く。

4. 根源的な問い「生きるって何?」を主軸とした探究学習を、すべての学校に汎用させ、キャリア教育と結びつけて実践していく。

5. 現場は「教室」である。教室に行って教員とともに子どもの様子を観ながらカリキュラムを創る。指導主事は、教職員の心に火をつけ、伴走し、はしごを絶対に外さない。

6. 子どもを含め年齢や職を問わず誰もが「新しいアイデア」や「率直な意見」をなんでも言い合える「組織風土」づくりを心掛け、多様な意見からより良い判断を行う。

7. 幼児児童生徒一人ひとりの自己肯定感を大切にするため、個別最適な学びや本物の体験を重要視し、不登校対策・セーフティネットを確保する。また幼児児童生徒の人権と主体性を尊重し、教師が一方的に設定している生徒指導規定等の見直しを図る。

8. 教育公務員として、高い倫理観を持つ。とりわけ、幼児児童生徒に対する猥褻セクハラは絶対に許さず、厳しく処する。

一見すれば素晴らしいことばかりです。

他方で、「ただでさえ現場は人手不足なのに、新しいことをどんどんやられるとたまったものではない。少しは足元を固めてほしい」(元県立高校教諭)などの声もあるのも事実でした。

また、平川教育長は公立高校入試を2023年から推薦入試Ⅰと一般入試Ⅱを廃止し、一次選抜に。プレゼンテーションの比重が大きいものに改革します。これについては「出席日数に左右されないようになる」という歓迎論もあるいっぽうで、「部活も勉強も頑張らせてさらにプレゼンテーションも、というのは中学生にとっては厳しいのでは?」という親御さんからの不安もうかがいます。

◆911テロを契機に子ども同士の国際交流へ 森理事長

いっぽう「パンゲア」はその平川教育長の地元の京都市の団体。子どもたち同士の国際交流を進める事業をてがけてこられました。団体のSNSを拝見すると、とくに国際交流を通じた平和への思いはよく伝わってきます。911テロを契機に、危機感を覚えられたというお話は心に刺さります。

「ちょうどその時、私はMIT(マサチューセッツ工科大学)に仕事がありアメリカにいたのです。もうひとりの創立者である高崎も、MITで客員研究員をしていました。私達はサンフランシスコで打ち合わせがあるため、11日にUA93便に乗る予定だったのです。

ところが10日のニュージャージーの打ち合わせがずれ、3日前にキャンセルをしていました。そして、運命のあの日……。その日以来、アメリカではイスラム教の人々やアラブの人々に対して「不気味」だとか、「怖い」といった声が多く聞かれているのを見て、イラン人やイラク人の友人がいた私は危機感を持ちました。」

わたしも、そういう問題意識は当時持っておりましたので共感します。私の場合はイラク戦争反対運動、海外派兵反対運動、森理事長の場合は子ども同士の交流にとエネルギーを向けていったとおもいます。

しかし、公私の区別がつかないのはまずい。同法人のfbには以下のような記述があります。

「昨年度から、パンゲアの高崎が、広島県の平川教育長の依頼を受け、広島県教育委員会にて県立高校の科目「情報」のカリキュラム製作をお手伝いをさせて頂いていました。コロナ禍によって、教育現場でのICT利用が待ったなしとなり、現場も混乱している状況です。

そんな中で、広島県の高校生・高校教員向けにネットの使い方(ネットリテラシー)についての動画を作りました。本当は、ネットのネガティブな面だけでなく、ポジティブなICT利活用についても入れたかったのですが、まずはセーフティファーストということで、お役立て頂ければと思います。」

これは、個人的な関係に基づいて受けた仕事であることをまた自慢しておられるようにも読み取れます。

◆素晴らしい8.6平和記念式典でのあいさつも…… 湯崎英彦知事

そして、平川教育長を任命した知事の湯崎さん。わたしは、県庁マンだった2011年1月末まで彼に部下として仕えていました。彼の8月6日の平和記念式典での毎年の挨拶も素晴らしいものがあります。

「しかしながら、力には力で対抗するしかない、という現実主義者は、なぜか核兵器について、肝心なところは、指導者は合理的な判断のもと「使わないだろう」というフィクションたる抑止論に依拠しています。

本当は、核兵器が存在する限り、人類を滅亡させる力を使ってしまう指導者が出てきかねないという現実を直視すべきです。

今後、再度、誰かがこの人間の逃れられない性(さが)に根差す行動を取ろうとするとき、人類全体、さらには地球全体を破滅へと追いやる手段を手放しておくことこそが、現実を直視した上で求められる知恵と行動ではないでしょうか。」

正直、市長よりも突き刺さる演説をされる湯崎さん。しかし、今回はあなたにも筆者は元部下としてガツンと物申さざるを得ません。

◆「お代官様・越後屋・山吹の小判」から「お友達優遇」安倍型へ移行する疑獄事件の形態

旧来型の疑獄事件の典型的なパターンは、時代劇でよくある「お代官様。どうぞ。」(山吹色のものが詰め込まれた菓子折りを差し出す)「越後屋よ。お主も悪よのう。」であり、小判が札束に代わっただけです。

しかし、いまや、様相はかわってきています。安倍晋三さん・昭恵さん夫妻はお友達を優遇し、批判を浴びたことは記憶に新しいところです。晋三さんが暗殺されたことで、事件の真相の解明が極めて難しくなってしまいましたが、このことは忘れてはいけない。

そして、今回は、教育長が家族ぐるみで付き合っていたというNPO法人理事長と癒着していたというのが報道の概要です。

◆筆者も県庁マン時代に「安倍化」の危機…… 目的は手段を正当化しない

平川教育長・森理事長が進めていたこどもたちの国際交流で平和を。そのこと自体は立派なことです。しかし、目的は手段を正当化しないのです。きちんとしたチェックをしないで相手を選べばどうなるか?費用の問題だけではありません。質の問題もあります。親しい相手にはどうしても評価が甘くなる。だから事業実施にあたってはしかるべき手続きが必要なのです。

そして、筆者も「正義感」で「親しい民間人」と楽しく仕事をして、大恥をかいていた可能性が過去、ありました。筆者は、県庁マン時代から貧困問題やDV被害者支援のNPOなどの活動にも参加していました。当然、活動の延長線上で、メンバーの皆様と懇親会などということもありました。

あくまで一県民、ただし、県行政にもこうした視点が生きれば、という思いで参加しました。あるとき、上司にそのことについて「疑惑を招かないよう、気をつけろよ」という趣旨のご忠告をいただきました。

当時は30歳そこそと若かった筆者は「何を言っているのだろうか? この人は頭が固いなあ。」と反発していました。しかし、今は上司に感謝をしています。

県庁マン当時の筆者も、広島県の男女共同参画施策が当時は岡山など近県に比べても遅れていたことに危機感をいだき、県外のある女性のNPO幹部を講師とした事業を、と考えていました。年齢が上の彼女にすっかり心酔していたということもあとで冷静に考えるとあったなとは思います。あるときは、毎晩彼女と飲みに出ていたのを記憶しています。その後、その彼女が被害者女性を見下すような発言(支援者として最悪の発言、いわゆるセカンドレイプに相当する発言)をしているのをお聞してしまい、ドン引きした筆者は、彼女と距離を置くようになりました。上司が注意してくれなければ筆者は彼女に仕事上のお願いをして大恥をかいていたでしょう。

その後、さらに1年くらいしてから、筆者はあの河井案里さんと対決するために県庁を退職しました。「韓国並みにDV・性暴力被害者支援を充実させる」ことを、当時の広島の候補者ではおそらくはじめて、公約としました。選挙ではわたしは及びませんでしたが、それなりに親しい公明党の女性県議が議会で取り上げ、ワンストップセンター整備など、一定程度の前進がありました。

◎[参考資料]性被害ワンストップセンターひろしま https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/onestop/

特に広島3区ではそれなりの数があった筆者の票を、当時は野党に転落していた自公側に取り込もうという狙いもあったのかもしれません。しかし、とりあえずは、これでよかったのだと納得しています。今後はさらに、より良い制度にするため、自分自身が議員として全力を尽くすことができるようになりたいと考えています。
「目的は手段を正当化しない」。すべての公務員が心すべきことです。古臭すぎる日本、広島のリニューアルはもちろん必要です。しかし、民主的な手続きを飛ばしてはいけないのです。

◆広島県議会も知事のイエスマンばかり──チェック機能不在

かつての県庁マン時代の筆者は、上司がチェック機能となりました。しかし、教育長についていえば、文春の取材によれば、驚くべきことに職員には適用される倫理要綱が適用されないのです。そうなると、教育長が自ら律するか、議会にチェックしてもらうか、ということになります。

その議会はなにをやっていたのでしょうか? はっきり申し上げると「平川教育長は特定の法人と癒着しているのでは」という情報は県庁を辞めて久しいわたしのところにさえずいぶん前から届いています。ましてや県議が知らないはずがありません。情報公開させて調べれば、平川教育長が就任して以降、急にパンゲアが県(教委)の事業に登場したことくらいすぐわかります。

結局、ありていに申し上げれば、自民、公明の国政与党はもちろん、立憲民主党にいたるまで、知事のイエスマン、ということは教育長のイエスマンでもあるわけです。

なぜ、二元代表制があるのか。その意味を分かっていないか、分かっていて何もしないのか?県議会の機能不全も、今回の不祥事の背景にあると断ぜざるを得ません。


◎[参考動画]知事の湯崎さん、そしてNPOと官製談合疑惑の教育長・平川さんに執行部にガツンとモノ申す議員を さとうしゅういちIN本通り

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

ピョンヤンから感じる時代の風〈04〉覇権の秩序から反覇権・脱覇権の新しい世界秩序へ 赤木志郎

日本では、世界を考えるときどうしても欧米中心に考えてしまう。世界秩序もG7や国連など欧米中心で見る。私たちもかつてそうだった。50年前、私たちが平壌に来たときにその欧米中心の思考方式がひっくり返されたのだ。軍事パレードなどの行事や病院に行けば、ベトナムやアフリカ、中南米からの留学生たちで湧きかえり、平壌には第三世界からの代表団が訪問していた。1970年代はベトナムをはじめアフリカ、中南米での民族解放闘争勝利の最終局面を迎え、新興独立国の非同盟運動が高揚していた。それが時代の熱い息吹だった。

それから50年余り経った現在、米ソ冷戦が終息し、その後の米国の一極支配もすでに崩れ去り、世界各地で各国の主権を守る闘いが繰り広げられ、欧米中心の古い覇権の秩序が音をたてて崩壊していっている。とくに、今年に入って、ウクライナへのロシアの軍事行動を契機に、世界が激変していっており、古い世界秩序の崩壊が加速度的に速まっている。

◆国連中心の世界秩序の崩壊は嘆くべきか

戦後の世界秩序は国連を中心とした秩序だと言われてきた。戦後体制は米ソ超大国による世界支配秩序(ヤルタ体制)でありながら、世界の諸問題を扱う機構として国連があった。国連中心の世界秩序というのは、米ソなど5大国が拒否権をもつ大国中心の国際秩序であり、いわゆる覇権の秩序だったといえる。

国連はしばしば米国の覇権の道具として利用され、国連が覇権の道具として役立たない時には「有志連合」が覇権の機構として利用され、米ソ冷戦が終息した後にはアフガン、イラク戦争など米国の単独軍事行動で国連を超越した存在として米国の一極支配のもとに世界があった。

 
米州会議閉幕 米の求心力低下露呈

しかし、覇権の世界秩序は、民族解放闘争の勝利、新興独立国の非同盟運動、さらに朝鮮、キューバ、シリアなどの反帝自主国による国家主権を守る戦い、世界的範囲での自国第一主義勢力の台頭によって衰退してきた。それゆえ、世界の反覇権・脱覇権勢力が台頭してきたところに、欧米の覇権のための国連中心の世界秩序が崩壊してきた根本要因があると思う。

今日、ロシアのウクライナでの軍事作戦の展開を契機に、国連中心の世界秩序が完全に崩壊したと多くの人々が指摘している。たとえば、香港中文大学教授鄭永年氏の「今回の危機で第二次世界大戦後に形成された国連中心の世界秩序が崩壊しつつある。今やパワーポリティクスが復活し各国が自国に有利な秩序を築こうとする群雄割拠の時代に入った」(読売新聞3月21日)と嘆くのもその一例だ。

たしかにウクライナにおけるロシアの軍事行動をめぐって国連常任理事国が何も決定できない機能不全に陥ってしまった。これをもって「国連改革をすべき」という声が高まっているが、ウクライナ事態そのものは、米国がNATOという米国の覇権の軍事機構を拡大し、ロシア包囲網を作ってきたことにその直接的な原因があるゆえ、ウクライナの中立化を目的にしたロシアの行動は一定の正当性をもっており、ロシアの拒否権発動を非難するのは、国連をあくまで米国主導の覇権機構としての役割を果たさせようと言うことに他ならない。

以上、覇権の道具としてあった国連が機能不全に陥ったことは、果たして嘆くべきことだろうか? 

◆顕在化する欧米諸国と非米主権擁護諸国の対立

知のように今日、米国は世界を「専制主義国家と民主主義国家」に分け、いわゆる「専制主義国家」を排除し世界を分断しようとしてきた。

欧米がロシアにたいする全面的な制裁を加えることによって、世界が欧米式民主主義を標榜する欧米諸国とそうでない非米主権擁護諸国とに分かれるようになった。

しかし、欧米のロシア制裁に加わっているのは30数カ国であり、大多数の国はロシア制裁に参加していない。

 
人民元・ルーブル取引量急増

ロシアは対外収入の6割を天然ガス・石油に負っている。そこで米国は金融制裁・エネルギー輸入禁止措置をとることによってロシア経済に打撃を与えることを狙ったが、インドのロシア産石油輸入が8倍に増えるなど、ロシアの原油輸出は制裁以前より増加させている。中国のロシア産天然ガス輸入も急増し、むしろ制裁に加わった独、北欧、日本がエネルギーで危機に陥っている。金融決済もルーブルや元が力を増し、ドル経済圏が縮小していっている。すなわち、欧米と無関係な新しい経済圏が生まれていっている。

世界各国は「専制主義国VS民主主義国」に分ける分断と排除を求めていず、平和と正常な貿易関係を求めている。米国の分断と排除の戦略は、かえって自らの孤立を招いているといえる。

5月バイデン訪日時にインド太平洋経済枠組み(IPEF)にASEAN諸国を取り込もうしたが、同時期、シンガポールのリー首相が日経新聞記者に「今やアジアの多くの国にとって中国は最大の貿易相手だ。アジアの国々は中国の経済成長の恩恵にあずかろうとしており、貿易や経済協力の機会の拡大を概ね歓迎している。中国も広域経済圏構想『一帯一路』のような枠組みを作り、地域に組織的に関与している。我々はこうした枠組みを支持している」と言ったように、「中国が繁栄して域内の各国と協調を深める方が、国際秩序の外で孤立するより好ましい」と中国排除をはっきり否定している。

続けて米国は6月米州首脳会談を開催し、「世界中で民主主義が攻撃されているこの瞬間に、再び団結をしよう」(バイデンの開幕宣言)と呼びかけたが、キューバ・ベネズエラを排除したため6カ国が不参加、15カ国の宣言署名拒否という事態に直面し、さらにその後コロンビアに左派政権が初めて登場し、米国支持国はさらに減った。

米国は、中国がソロモン諸島との安保協定締結、キリバスでの滑走路改修のほか、5月末南太平洋島嶼国10カ国外相会議を開催し、中国の影響力が拡大したことに対抗し、6月、日英豪仏を含め太平洋での新たな枠組みを作る構想を明らかにした。明らかに米国が後手にまわっている。

さらに米国は6月末、G7首脳会議で中国の「一帯一路」に対抗するため、6000億ドルをかけて途上諸国のインフラに投資する新計画PGIIも決めた。しかし、一帯一路の参加諸国に対してG7諸国がインフラ投資しても、対象国が一帯一路から抜けず、ほとんどの国は、中国とG7の両方から投資してもらおうとする。G7は中国を付き合うなと強制する分、反発を受けるだけだ。

7月中旬、バイデンは①石油増産、②中東版NATOの発足を目的に中東諸国を訪問したが、肝腎のかつての親米派だったサウジが応じずバイデンの企図は失敗した。サウジはすでにBRICS加盟の意志を固めているという。

つまり、この半年余り、米国は「新冷戦戦略」を掲げロシアと中国を孤立させようと必死に策動したが失敗に帰している。

 
赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

こうした動きのなかで注目すべきことは、6月、BRICS(ロ・中・印・南ア・ブラジル新興国5カ国)の台頭だ。BRICSがアルゼンチン、トルコなど13カ国を招請し、拡大会議をオンライン形式で開催して制裁反対で一致した。習近平主席は「一部の国が軍事同盟の拡大により、絶対的な安全保障を求め他国の権益を無視して唯我独尊的を大々的にやっている」と米欧を批判し、「互いの核心的利益に関わる問題で互いを支持し覇権主義と戦うべきだ」と述べて賛同を得た。また、習近平主席はBRICSの拡大を呼びかけ、すぐにイランとアルゼンチンが加盟申請をした。

今や、世界を主導しているのは、欧米ではなく、非米の反覇権・脱覇権勢力だと言えるのではないだろうか。

「民主主義」を掲げる欧米側はGNPの総計で優位に立つが、非米主権国家側は人口と国の数で圧倒し、世界を動かしている。

◆反覇権・脱覇権の新しい世界秩序を!

打ち立てるべき新しい世界秩序は、古い覇権の秩序ではなく、各国の主権を守り尊重することで一貫される反覇権、脱覇権の世界秩序だと考える。それが時代の流れだ。

戦争の原因は覇権主義、すなわち武力で各国の主権を侵害するところにある。NATO、日米安保など覇権の機構を見直し、覇権主義を根本的に否定し、除去し、各国の自主権を徹底的に擁護し尊重すること、そのことにより世界の平和と各国間の友好関係の実現、ここに新しい世界秩序の要諦がある。その新しい時代がすでに始まっている。

こうした新しい時代的潮流の中で、日本は時代の流れに逆行し、ロシア制裁に加わり、対中包囲網の前線基地として日米同盟を強化し、軍備拡張し、対中包囲網にASEAN諸国を取り込もうとしている。それは孤立と破滅の道だ。世界を欧米中心にではなく反覇権・脱覇権の非米諸国を基軸にすえて見ることが、今何よりも問われていると思う。

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

『一九七〇年 端境期の時代』

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

《速報》筆者の勤務先で二度目のコロナ・クラスター発生! さとうしゅういち

筆者は介護福祉士として広島都市圏の二か所の介護施設で働いています。一つは安芸郡内のグループホーム。もう一つは総理の地元・広島市内の老人ホームです。

8月7日から、後者の広島市内の老人ホームで二度目となる新型コロナウイルス(オミクロン株)のクラスターが発生してしまいました。8月10日現在、職員7人、入居者様7人の感染が確認され、2人の入居者様が入院という事態になっています。前回2月のクラスターでは入院者はいませんでしたので、今回の方がより事態は深刻です。

 

◆職員が倒れた上に人手は普段より必要

筆者ら職員は、医療用マスクとフェースシールドで防備し、感染者が出たフロアでは、感染者以外も全員が自室で食事、ということになりました。これは、前回のクラスターで、無症状で元気な方がフロア内を移動していわゆるスーパースプレッダーになってしまったことを教訓としての措置です。一律に移動を禁止することで、拡大を封じ込めることに現時点では一定程度成功したかに見えます。

ただ、感染者・非感染者関係なく、食事については介助が必要な方もおられ、そういう方は居室へ伺わないといけません。食堂で皆様が食事を摂られるのであれば、介助が必要な方にまとまって座っていただき、片方の方が咀嚼している間に、もう片方の方に口に食物を入れていただくということもできるのですが、そういう「技」が使えません。職員の感染とダブルパンチで現場は大混乱です。

◆新型コロナ治療薬実用化も一筋縄ではいかず

現在、新型コロナウイルスの治療薬も暫定的ですが出てはいます。しかし、特例で急いで使用できるようにした薬ですので、ご家族の同意が必要です。同意を取る間にも症状が悪化しかねず、ひやひやします。また、薬がそれなりに大きなカプセル入りなので、お年寄りには呑み込むのが厳しいというネックもあります。

8月3日の平和行進(写真左)/7日は中区で街頭演説(写真右)

◆筆者が不在の間にクラスター発生

8月2日に当該老人ホームでクラスター前最後の勤務を終えました。その後、8月3日~6日は平和運動に邁進しておりました。3日は平和行進や市民団体の街宣に参加したり、自らも各地で街頭演説を実施したりしました。8月4日も街頭演説や原水爆禁止世界大会。5日は原水爆禁止世界大会の分科会に参加後、夕方から地元安佐南区でれいわ新選組参院候補と筆者の支持者による集会を実施。6日も、原爆ドーム前での黙とう、中国電力前座り込みや平和学習会参加。7日も中区でのれいわ新選組チーム広島のみなさまとともに、主に県政についての街頭演説(写真右)を実施しました。

そして、8日は安芸郡のグループホームで勤務しました。だが、筆者が街頭演説をしていた7日にはすでに、広島市の老人ホームで入居者3人、職員1人の感染が確認され、翌9日には入居者2人、職員5人の感染が確認されていたのです。

◆「まさか、また弊社で!?」

筆者が9日に出勤すると様子がおかしい。なぜか、冒頭の写真のような恰好を職員がしている。「まさか?!」という予感は的中。クラスターが発生していたことを同僚から告げられました。

もちろん、広島県内では7日には、新規感染者が6000人を超えていました。だが、まさか、自分の勤務先が大変なことになっているとは、夢にも思いませんでした。確かに、2月に弊社では一度クラスターが発生しています。

だが、まさか、また起きるとは?! とにかく、完全防備で現場に入るしかありません。

◆息が苦しいがやむを得ない

医療用マスクにフェースシールド。こういう形で完全防備をすると、とにかく、息が苦しい。フェースシールドのゴム紐が頭を圧迫し、頭痛がします。しかし、感染拡大を防止するためには、仕方がありません。そして非感染者でときどき、自室から出てこられる方については、すぐに戻っていただく。しかしすぐに出てこられます。認知症でいらっしゃるから仕方がないのですが、こちらも疲弊します。

◆五月雨式の保健所からの問い合わせ

保健所からの感染者のバイタルサイン(血圧、体温、血中酸素飽和濃度)などの容体についての問い合わせには弊社の看護師がお答えしていました。同じ施設の入居者なのだから、一度に問い合わせをいただければこちらとしては楽なのです。ただ、現実には感染者一人一人について五月雨式に問い合わせをいただいていました。結局、三日目くらいには、ファックスでやりとりするようになったようですが、混乱は否めませんでした。

◆職員にも入居者にも感染拡大、救急搬送も

9日は、入居者様一人が結局、入院。この方は基礎疾患が結構あるから仕方がありません。また、職員1人の感染も確認されました。なお、ここまでの感染確認の方法は職員も入居者様も抗原検査です。その上で、PCR検査を受けるという流れになります。

翌日10日には、職員1人、そして入居者様2人の感染が確認されました。この日は、血中酸素飽和濃度が低く、酸素投与を受けていた入居者様一人が救急搬送されるなど、あわただしい状況が続きました。

◆感染確認から最短で10日で職場復帰も課題山積

現在、感染確認から最短で10日で職場復帰、というのが弊社のルールとなっています。

逆に言えば10日間は穴があいてしまいます。なお、現時点で入居者様の入浴や居室の清掃は中止されていますので、この点は助かっていますが、長引けば衛生面も余計に不安が出てきます。

たしかにオミクロン株は、α株やδ株に比べたら毒性は弱い。しかし、感染力が強く、今回の弊社のような大規模クラスターになりやすい。岸田総理におかれては、こうした事態にも早急に対応いただきたいものです。国葬は閣議決定で決めるけど、緊急のコロナ対策は後手。これでは、地元でも失望がひろがるのではないでしょうか?

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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米国が台湾に4500億円相当の兵器を販売、中国に対する内政干渉をあおる日米政府と新聞・テレビ 黒薮哲哉

たとえば白い衝立に赤色の光を当てて、遠くから眺めると赤い衝立にみえる。青色の光に変えると、衝立に青色の錯覚が起きる。黄色にすると、衝立も黄色になる。

しかし、衝立の客観的な色は白である。ジャーナリズムの役割は、プロパガンダを排除して核の輪郭を示すことである。日本の新聞・テレビはその役割を放棄している。と、いうよりもそれだけの職能がない。

 
台湾に到着したナンシー・ペロシ下院議長 (出典:ベネズエラのTelesur)

◆台湾への武器販売が約4500億円

米国のナンシー・ペロシ下院議長が8月2日に、台湾を訪問した。台湾と中国の関係が関心を集める中で、同氏の訪台は国際的にも波紋を広げている。日本の新聞・テレビは中国が台湾周辺で軍事的圧力を強めていることを前提に、台湾を擁護する方向で世論を誘導してきた。台湾が「正義」で、中国が「悪」という単純な紋切り型の構図を提示している。それはちょうどウクライナが「正義」でロシアが「悪」という大合唱の視点とも整合している。

米国はこのところ台湾への武器輸出を加速している。たとえばトランプ政権の末期、2020年10月に米国議会は、総額総額41億7000万ドル(当時、約4400億円相当の武器の販売を承認した。(出典:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65497680X21C20A0FF1000/

バイデン政権へ移行した後も、米国は台湾に対する武器売却を持続している。朝日新聞によると、「米国務省は(2020年4月)5日、地対空ミサイル『パトリオット』システムへの技術サポートを、9500万ドル(約117億円)で台湾に売却することを承認した。バイデン政権の台湾への武器売却は今回で3例目となる」。ウクライナだけではなく、台湾も武器輸出の有力な市場になっているのである。

こうした動きと並行して、日本の新聞・テレビは台湾近海で軍事演習を繰り返す中国軍の動きを繰り返し報じている。そして「台湾有事」という言葉を使って不安をあおっている。たとえば沖縄離島の島民らが、中国を警戒している様子などをテレビの画面に繰り返し映し出したりする。その結果、米国による武器売却を正当化したり、日本が防衛費を増やすことをよしとする世論が形成されている。

しかし、日本の新聞・テレビは、台湾問題をめぐる最も肝心な情報を隠している。

◆1978年に米国は中華人民共和国政府を唯一の政府として承認

現在、世界の大勢は現在の中華人民共和国政府を、中国唯一の政府として承認して、同国との外交関係を構築している。台湾と外交関係を持つ国は13か国にすぎない。台湾と国交を断絶して中国と国交を結ぶ流れは今も続いており、最近では昨年12月に中米のニカラグアが、中華人民共和国との国交を樹立した。相互の内政不干渉がその大前提となっている。台湾との国交は断絶した。

新聞販売に関連した1980年代の記録。新聞業界は半世紀以上にわたって「押し紙」政策を維持している

ニカラグアの隣国・ホンジュラスでも今年1月に左派政権が誕生したこともあって、ニカラグアと同じ道を選ぶ可能性が高い。

こうした傾向は、中国の台頭と、米国の影響力低下の現れにほかならない。

米国は、1978年に中国と外交関係を結んだ。その際に両者の間で交わされた共同宣言には、「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府である」こと、「この範囲内で、合衆国の人民は、台湾の人民と文化、商業その他の非公式な関係を維持する」こと、「双方は、国際的軍事衝突の危険を減少させる」こと、「中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であるとの中国の立場を認める」ことなどが明記されている。

共同宣言の全文は、次の通りである。

アメリカ合衆国及び中華人民共和国は、1979年1月1日付けで、相互に承認し及び外交関係を樹立することに合意した。

アメリカ合衆国は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。この範囲内で、合衆国の人民は、台湾の人民と文化、商業その他の非公式な関係を維持する。

アメリカ合衆国及び中華人民共和国は、上海コミュニケで双方が合意した諸原則を再確認するとともに、次のことを再び強調する。

一 双方は、国際的軍事衝突の危険を減少させることを願望する。

一 いずれの側も、アジア・太平洋地域においても又は世界の他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対する。

一 いずれの側も、いかなる第三者に代わつて交渉し、又は第三国に向けられた合意若しくは了解を他方の側と行う用意もない。

一 アメリカ合衆国政府は、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であるとの中国の立場を認める。

一 双方は、米中関係の正常化は、中国及びアメリカの人民の利益に合致するのみならず、アジアと世界の平和に貢献するものと信ずる。

アメリカ合衆国及び中華人民共和国は、1979年3月1日に、大使を交換し及び大使館を設置する。

(出典:https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19781215.D1J.html

◆ジャーナリズムの責任

台湾に対する米国のスタンスは、客観的に見れば中国に対する内政干渉にほかならない。中華人民共和国の政府を、中国唯一の政府と認めながら、台湾に武器を提供するのは、ブルスタンダードである。

かりにどこかの国が沖縄県に対して武器を提供して、沖縄県が福岡市や大阪市をターゲットにミサイルを設置したら、大問題になるだろう。法的にも実質的にも内政干渉に該当する。「台湾危機」も同じ構図なのだ。

米国は、香港の「民主化」問題でも、全米民主主義基金(NED)などを通じて、「市民運動」に資金援助して、故意に混乱を引き起こしてきた。

歴史をさかのぼって米国の対外戦略を検証するとき、軍事大国としての方向性は基本的には変わっていない。さすがに米軍による直接的な軍事作戦は、米国内からの世論の反発で激減したが、代理戦争を採用する戦略は続いている。米国の世論は、米軍の直接介入にはNOを示すようになったが、代理戦争の構図までは見抜いていない。

それはジャーナリズムの責任である。日本の新聞・テレビも同じ問題を孕んでいる。

【参考記事】米国が台湾で狙っていること 台湾問題で日本のメディアは何を報じていないのか? 全米民主主義基金(NED)と際英文総統の親密な関係

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

《書評》「紙の爆弾」9月号 旧統一教会と自民党の深い闇 横山茂彦

従来は、政局をふくむ政治情勢と社会問題全般に目配りした「紙の爆弾」が、とくに「【特集】自民党を支える『宗教』」を押し出しているところに注目したい。

すなわち、特集メインの「旧統一教会問題と安倍政権」(鈴木エイト)「創価学会と岸・安倍家」(大山友樹)「カルトに浸食された右派と神社界」(青山みつお)

そのほかに浅野健一の「安倍暗殺事件のマスコミ報道の犯罪」山田厚俊の「安倍後の岸田文雄と自民党」横田一「銃撃事件が参院選挙に与えた影響」青木泰「山上容疑者を誰が利用したのか」など。

マッド・アマノの連載も「安倍晋三狙撃事件の真相」で、事件が事前に知らされていたかのような新聞見出しに疑義を呈する(記事の内容は、過去のパロディ画像に対する安倍事務所の抗議)。そして佐藤雅彦の連載「偽史倭人伝」は「追討・安倍晋三」だ。いずれにしても、世紀の大事件をうけた特集は圧巻だ。

事件の本質は、やはり安倍晋三の教会利用にあった

なかでも、トップ記事の鈴木エイトの記事に注目した。事件の総合的な評価として、馘首できるものがある。これを読んでおけば、事件の本質と今後の課題(カルト対策の重要性)がわかるはずだ。

その鈴木エイト(やや日刊カルト新聞主筆)は、ワイド番組でも知られるようになった。とくに旧統一教会の被害者をサポートし、被害を減らすために活動するスタンスが評価されているジャーナリストだ。あまり自分を押し出すタイプではない、控え目でありながら丁寧なところも好感をもたらす。いっそうの活躍に期待したい。

さて、今回の事件に政治的な背景が皆無であることは明白だが、山上容疑者の犯行はしかし、きわめて「政治的」であるといえよう。なぜならば、事件によって引き起こされる政治的な波乱が、本人にも想像できないほど大きかったからだ。それは鈴木エイトが指摘した、つぎの一文に集約されている。

「教団への憤りが安倍氏へ転嫁されたという文字通りの『逆恨み』などではなく、冷静にどうすれば教団に最もダメージを与えることができるかを考えたうえでの凶行だったとわかる」

その効果を山上が想像しえないほどの結果、まさに旧統一教会にとって致命的な打撃になる犯行となったのだ。それにしても、鈴木が緻密に調べ上げた安倍晋三の教会シンパぶりはすさまじい。犯行がもたらした民主主義に対する破壊の大きさ、安倍氏の災難への同情・憐憫は別としても、やはり自業自得と言いたくなるものだ。

※誤植を指摘=8頁上段1行目の「凶弾」は、正しくは「教団」。自分が編集する雑誌の誤植を必ず発行後に気づくように、他雑誌の誤植にもよく気づく(笑)。真剣に読ませる記事だからだろう。

◆危機にある日本人の宗教生活

この通信でも、今後は政教分離および日本人の宗教をテーマにしていきたいと考えている。80年代・90年代から、統一教会やオウムをはじめとする新興宗教の影響力が社会をゆるがし、だが確実に日本人の精神生活に浸透しているからだ。その大きな理由は、政教分離(これが特異なものであるのは、前回の記事で指摘した)をもたらした天皇制権力の弊害、明治政府の廃仏毀釈による仏教弾圧にある。

「政教分離とはどのような意味なのか? ── 安倍晋三襲撃事件にみる国家と宗教」2022年8月5日 

いわば無宗教状態にされた、われわれ日本人の心の隙を衝くように、カルトはしのび寄るのだ。

そしてカルトは政治との結びつきを通じて、日本社会に定着していく。政治の側もまた、宗教団体を集票マシーンとして活用し、そこにカルトの活躍の場をひらいてきた。その点を、創価学会と岸・安倍家の癒着としてレポートしたのが、上で紹介した大山友樹の記事である。

青山みつおの「カルトに浸食された右派と神社界」も、宗教と政治の結びつきをレポートしたものだが、政局(衆院山口四区)との関係で読ませる記事だ。林芳正外相と安倍晋三のライバル関係に、黒幕として岸田・麻生をからめた構図は唸らせる。

◆事件の真相は、まだ明らかになっていない

政治的な論評記事になりがちな特集の中で、事件の真相解明そのものを提起しているのが、青木泰の「山上容疑者を誰が利用したのか」である。

青木はゴルゴ13(さいとう・たかおプロ作品)を例証に「銃をつくるバックアップ体制なくして、山上容疑者に暗殺を試みることは可能だったのか。まず浮かんだ大きな疑問点」とする。選挙の前に起きる重大事件の数々。青木が疑問を感じる背後関係については、じっさいにお読みいただきたい。背後関係は本当にあるのだろうか。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

今こそ反戦歌を!〈4〉矢沢永吉、美空ひばり、吉田拓郎 ── 8月6日広島の悲劇をめぐる3つの曲 鹿砦社代表 松岡利康

先に8月6日について、もう50年余り前の若き日の記憶から思うところを書き記してみました。

今回はその余話といいますか、またはウクライナ危機に触発されて思い出した反戦歌についての続きといいますか、思い出したことを書き記してみます。

8月6日広島の悲劇について次の3つの曲を思い出します。

〈1〉矢沢永吉 『Flash in Japan』

私はこの曲を聴いてショックを受けました。今こそみなさんに聴いて欲しい一曲です。日本のロック界のスーパースター矢沢永吉は広島被爆二世です。これも意外と知られていません。ご存知でしたか? 父親を被爆治療の途上で亡くしています。矢沢がまだ若い頃(1987年)、『Flash in Japan』という曲を英語で歌い、その映像(ミュージックビデオ)を原爆ドームの前で撮影し、これを全米で発売するという大胆不敵なことをしでかしています。


◎[参考動画]Longlost Music Video: Eikichi Yazawa “Flash in Japan” 1987

5万枚といいますから矢沢のレコードとしては少ないのでしょうが、矢沢にすれば原爆を人間の頭の上に落としたアメリカ人よ、よく聴け! といったところでしょうか。いかにも矢沢らしい話です。このエネルギーが、部下による35億円もの巨額詐欺事件に遇ってもへこたれず、みずから働き全額弁済し復活したといえるでしょう。やはりこの人、スケールが違います。私より2歳しか違いませんが、私のような凡人とは異なり超人としか言いようがありません。

アメリカで発売されたこの曲に正式な日本語訳はないようですが、ファンの方が訳されていますので以下に掲載しておきます(英文は割愛)。時間を見つけて、あらためて訳してみたいと思います。

俺たちは学んだのか
治せるのか
俺たちは皆あの光を見たのか
雷みたいに落ちてきて 世界を変えちまった
稜線を照らし 視界を消し去った
戦争は終わらないんだよ 誰かが負けるまでは
あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
それともまた日本で光るのか
雨は熱いのか これで終わるのか
それともまた日本で光るのか
彼らに何と言えばよいのか
子供たちよ聞いてくれ
俺たちが全てを吹き飛ばしてしまったが
君たちは再出発してくれ
朝なのに今は夜のようで 夜は冬のようだが
いくつか変わったこともある
いつも忘れないでいてほしい
戦争は終わらない 誰かが負けるまでは
あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
それともまた日本で光るのか
雨は熱いのか これで終わるのか
それともまた日本で光るのか
あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
それともまた日本で光るのか
雨は熱いか これで終わるのか
それともまた日本で光るのか

〈2〉美空ひばり 『一本の鉛筆』

ガラッと変わって、次は昭和の歌の女王・美空ひばりの『一本の鉛筆』です。これはひばりが1974年、第1回広島平和音楽祭に招かれたのを機に作られ、そこで披露された記念すべき一曲です。意外と知られていません。作詞は映画監督の松山善三、作曲・佐藤勝。裏面は『八月五日の夜だった』。

ひばりが広島の原爆で被爆したわけではありませんが、父親が戦争に召集され母親が苦労していたのを見て育ち、みずからも空襲に遭い、彼女なりに戦争を嫌悪し思う所があったようです。

「あなたに 聞いてもらいたい」
「一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く」
「一枚のザラ紙があれば あなたをかえしてと 私は書く」
「一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く」

「ザラ紙」とは今では死語ですが、私たちの世代では、これを日々1000枚1包で買い「ガリ版」に「鉄筆」で「ロウ原紙」に原稿を書き「謄写版」で印刷しチラシを作ったものです。ザラ紙と共にガリ版も鉄筆もロウ原紙も謄写版も今はなく死語です。

ひばりは、主催者が用意した冷房付きの部屋を断り、「あの時、広島の人たちはもっと熱かったよね」と言って、ずっと猛暑下のステージ脇にいたとのエピソードがあります。この時の映像が残っていました。


◎[参考動画]美空ひばり ひとすじの道+一本の鉛筆

ひばりはこれから15年後の1988年の第15回同音楽祭に、一人で歩けないような病状で点滴を打ちながら駆けつけ、観客の前では笑顔を絶やさなかったそうです。翌1989年にひばりは亡くなりました。音楽祭自体も20回目の1993年で終了となりました。諸事情はあるでしょうが、ひばりの遺志を継いで続けて欲しかったところです。

最近この時期になると当時の映像が放映されたりクミコらがカバーして歌ったりしていますが、隠れた名曲です。

〈3〉吉田拓郎 『夏休み』

この歌には諸説あります。私はてっきり原爆投下→終戦後の広島の情況を表現したものとばかり思っていましたし、今もそう思っています。拓郎自身もそうテレビで言っていたのを観たという人の情報(ネット情報ですが)もあります。「火のないところに煙は立たない」といいますが、反戦歌(あるいは反戦の気持ちを歌った)といわれるのには、なんらかの根拠があるわけで、どうなんでしょうか。

ところが、拓郎自身が公式サイトでこれを否定し鹿児島で過ごした少年時代のことを表現したのだというのです。しかしこれは拓郎の“照れ隠し”だと思います(と勝手に解釈)。拓郎は広島に原爆が落とされた翌年(1946年)に鹿児島で生まれここで幼少期を過ごし、原爆投下・終戦から10年後の1955年に母親の故郷・広島に移住、市内の被爆の中心地からさほど離れていない所で育ちました。おそらく戦後の焼け跡の酷さを少年時代、青年時代に日々目にし空気を吸って育ったはずです。まだ傷痍軍人が街角にいた時代です。大学を卒業し1970年にプロ歌手を目指し上京するまで広島で過ごしています。そこで見知ったことが拓郎の素地になっているはずです。

ここでちょっと寄り道。拓郎は1970年(私が大学に入った年でもあります)、上智大学全共闘プロデュースでアルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』を自主制作(つまり自費出版のことやね)します。今からは考えられませんが、これをほそぼそと手売りしていたらしいです。当時の社会情況と共に拓郎の想いが醸しだされる凄いタイトルですが、この中から『イメージの詩』をシングルカットし、これがデビュー曲となります。「たたかい続ける人の気持ちを誰もがわかっているなら たたかい続ける人の心はあんなには燃えないだろう」──ここに拓郎の原点があると思いますが、本人はどう思っているのでしょうか?

さて、拓郎の前の「フォークの神様」岡林信康の代表曲の一つ『友よ』は、牧師の息子で同志社大学神学部の岡林が賛美歌を元に作ったともいわれますが、「友よ、夜明け前の闇の中で 友よ、戦いの炎を燃やせ 夜明けは近い」というフレーズに私たちは感銘し、いろいろな集会で歌われました。この曲はそうではないんだと岡林自身が否定しているシーンを観たことがあります。つまるところ、歌は公にされることで作者の手を離れ社会性を持つということではないでしょうか。ちなみに、岡林は最近この曲を封印しているようです。『山谷ブルース』と共に岡林の代表作なのに残念ですが、名曲ですので、岡林の意とは別に(かつてほど頻繁ではないにしても)歌い継がれていくのではないか、と思います。

また、宮沢和史の『島唄』、宇崎竜童の『沖縄ベイ・ブルース』も、歌詞にはダイレクトに戦争や現在の米軍支配下の沖縄の情況を書いていませんし本人らもあれこれ説明するわけでもありませんが、戦争や現在の米軍支配下の沖縄の情況を表現していることは言うまでもありません。宮沢、宇崎のように黙っていれば値打ちがあるものを。

『夏休み』が反戦歌であるかないかは私にはわかりませんが、聴く者に原爆投下→終戦後の平和な、しかしいささか物悲しい情況を表現していることを感じさせることは確かなことです。初出は1971年に発売のアルバムに収められ、シングルカットは、ずっと先の1989年のことです。(松岡利康)


◎[参考動画]吉田拓郎『夏休み』

◎[リンク]松岡利康「今こそ反戦歌を!」 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

龍一郎・揮毫

8月6日に想う 鹿砦社代表 松岡利康

私たちの世代、つまり戦後生まれの、一時流行った言葉で言えば「戦争を知らない子供たち」(当時、なぜか非常に違和感があった)にとって8月6日ヒロシマ、9日ナガサキは、戦後教育の柱の一つであったと思う。賛否は別として、これによって私たちは反戦/非戦意識を植え付けられたといえる。

昨日の、広島被爆二世である田所敏夫さんの言に続き、私なりに8月6日につき想うことを記しておきたい。

大学に入った1970年8月6日、帰省の途中に広島に立ち寄った。私の故郷・熊本に近い同じ九州の長崎には修学旅行などで何度か行ったことがあるが、広島は初めてだった。今は移転したようだが、広島大学の青雲寮に泊めてもらった。当時は、夏休みに旅行やヒッチハイクに出れば大学の寮にタダで(あるいは格安に)泊めてもらうのが常だった。今はどうかな? 

広島にとって8月6日という日は特別の日だ。この日、集会があり、生協が出店を出しおにぎりなどを売っていた。翌日だったか、岩国で反基地集会があり右翼に囲まれ、べ平連や、そのあたりの新左翼の主流派・中核派と一緒に突破した記憶がある。

 
1971年8月6日、広島平和式典に出席・献花しようとする佐藤栄作首相に必死に抗議する女子大生(朝日新聞社提供)

翌年1971年8月6日、当時の佐藤栄作首相が広島を訪れ戦後初めて平和祈念式典に出席し献花するというので被爆二世らが作る「被青同(被爆者青年同盟)」が中心になり抗議行動を行った。これには行かなかった。7月下旬の三里塚闘争(7月26日。一、二番地点収容阻止闘争)で仲間が4人も逮捕・勾留されたことと、9月の同第二次強制収容阻止闘争の準備で京都にとどまっていたからだ。

この抗議行動でインパクトを与えたのが、東京の大学に通う女子学生が警備の背後から隙を衝き佐藤首相に体当たりして抗議し逮捕されたことだ。本人の供述では明治学院大学3回生ということだった。私は当時2回生でまだ20歳前だった。抗議行動では計85人が逮捕されたという。佐藤の兄はA級戦犯・岸信介であり60年安保改定を強行した。佐藤も70年安保改定を強行した。そうした佐藤の平和式典への出席や献花を拒絶する彼女や被青同の抗議行動はまったく正当である。

私は、この身を挺した抗議に非常にショックと感銘を受けた。最近は、若者がこのような抗議をすることも見なくなった。やろうと思えばやれないこともないだろうに。

先日、旧統一教会被害者で人生を狂わせられた青年が、旧統一教会と深い関係があった安倍晋三元首相を、こちらも警備の隙を衝き背後から銃撃した。安倍元首相は死亡した──。

人ひとりの命は、氏素性、身分を問わず平等に尊いものだ。人の死も平等である。この意味で冥福を祈りたい。ただ、安倍元首相のせいでみずから命を絶った赤木俊夫さんの死も、同じ位相で冥福を祈る。元首相の死が上で、平官僚の死が下などと考えるべきではない。安倍元首相の死が国葬にされようとし、逆に赤木さんの死が忘れられようとしている。人の死が同じ位相ならば、安倍を国葬にするのならば赤木さんも国葬にしなければならない。

 
安倍晋三家系図

ここで思い出さねばならない。安倍元首相の祖父は誰か? A級戦犯・岸信介である。安倍元首相の大伯父は誰か? 70年安保改定を強行突破させ日米同盟を強化し沖縄「返還」(併合といったほうが正しい)を貫徹、いまだに沖縄の大半を米軍基地で占領、ますます軍事力を強化し日本をアメリカの属国化とした佐藤栄作である。

三代に渡り首相を務め日本の政治を牛耳り、それらの背後で、どれだけ多くの善良な人たちが不遇の死を遂げたのか──。

岸・佐藤・安倍だけではない、彼らの周囲も複雑に繋がっており、日本の政治が彼らの蝟集する政党(自民党)の独裁によって進められてきた。

そう、人の命は尊いものであり平等である。その死は軽んじてはならない。そうであるならば、戦前からこの国の政治を牛耳り、この国を戦争に導き万余の善良な人たちに死を強いてきた岸・佐藤・安倍ら一族の〈戦争責任〉を今こそ問い直し、そして弾劾しなければならない。

なお、1971年に起きたことについては、私が精魂を込めて編纂した『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』を参照いただきたい。特に田所敏夫さんの「佐藤栄作とヒロシマ──一九七一年八月六日の抵抗に想う」は必読である。

(松岡利康)

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊) 
鹿砦社編集部=編 A5判 240頁 定価990円(税込)

沖縄返還の前年、成田空港がまだ開港していない〈1971年〉。
抵抗はまだ続いていた。
歴史の狭間に埋もれた1971年に何が起きたのか、
それから50年が経ち歴史となったなかで、どのような意味を持つのか。
さらに、年が明けるや人々を絶望に落とした連合赤軍事件……。
当時、若くして歴史の流れに立ち向かった者らによる証言!
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