1995年、阪神・淡路大震災が起き、オウム事件で震撼させられた年──鹿砦社は「日々決戦 一日一生」の社是を掲げました。
あれから四半世紀、私たちはまさにこの言葉どおり過ごしてまいりました。
いや、そう強いられたと言えるかもしれません。
いろいろなことが過(よぎ)ります。
私個人に立ち返っても、もうすぐ70歳、いよいよ後先も長くはなくなりました。
まさに「一日一生」、日々を悔いなく過ごしていきたいものです。
1995年、阪神・淡路大震災が起き、オウム事件で震撼させられた年──鹿砦社は「日々決戦 一日一生」の社是を掲げました。
あれから四半世紀、私たちはまさにこの言葉どおり過ごしてまいりました。
いや、そう強いられたと言えるかもしれません。
いろいろなことが過(よぎ)ります。
私個人に立ち返っても、もうすぐ70歳、いよいよ後先も長くはなくなりました。
まさに「一日一生」、日々を悔いなく過ごしていきたいものです。
風薫る季節となりました。本来なら一年で一番過ごしやすい季節ですが、今年も昨年同様新型コロナが終息せず、先が見えない鬱々とした状態です。
5月の言葉は、龍一郎が師事し私も尊敬する中村哲医師の言葉です。
「まっすぐ生きていれば怖いものなどない」――果たして私たちはまっすぐ生きてきただろうか? これまではどうあれ、今関わっている問題、これからぶつかる問題に対してはまっすぐに対応していきたい。
少なくとも「見ざる、言わざる、聞かざる」といったずるい生き方はやめたいと、あらためて思う昨今です。
花咲き乱れる季節となりました。
しかし、世相は暗い。
悠長に咲き乱れる花を眺めている余裕はないかもしれません。
鹿砦社のホームグラウンド・甲子園、一昨年までなら、今の季節は高校野球、これが済んだらプロ野球開幕──全国から多くの人々が駆けつける季節で、咲き乱れる花のように人の洪水で賑やかでした。なにしろ野球だけで年間400万人以上(阪神甲子園球場発表)の人々が押し寄せるのですから。
まだまだ厳しい世情が続きますが、「自由に生き」「自分らしく咲」いていきましょう!
齢を重ねると望郷意識が高まってきます。
私の故郷・熊本は、5年近く前(もう5年かあ)に大地震に襲われ、小さな頃より日々眺めたり散策して過ごした熊本城も大きな損壊を受けました。以降再建工事が進行しています。どんな様子か直に一目見たいと思いますが、コロナ禍で帰りたくても帰れません。
一時は、65歳を過ぎたら、月の半分は熊本で過ごしたいと願っていましたが、現実には叶えられていません。
さて、もうすぐ〈3.11〉東日本大震災から10年を迎えます。──
特に福島第一原発爆発事故で、みずからの意志に反し故郷を離れておられる方々がおられます。私の場合と違い、帰りたくても帰れない厳しい現実があります。
今月の揮毫について、書家・龍一郎は、次のように言っています。──
「原発事故で故郷を追われた人の思いに寄り添いたいと思う。
桜の花は何も語らないが 魂が震えるのです。
静かに拳を握りしめるのです。
たくさんの人に思いがとどきますように祈ります。
龍一郎」
*今月の言葉は3月11日付けの『東京新聞』誌上で、同日発売の『NO NUKES voice』27号の広告にも使わせていただきました。
鹿砦社が、私の大学の後輩で書家の龍一郎に揮毫・製作を依頼しているカレンダーですが、今月は「俺を倒してから世界を動かせ」の文字が踊ります。通常、月ごとの言葉はすべて龍一郎に任せてあるのですが、今月だけは私のわがままでこの言葉としてもらいました。
といっても、いったい何を意味する言葉かと不思議に思われる方も少なくないことでしょう。今を遡ること約半世紀(正確には49年)前、1972年2月1日を頂点に同志社大学で闘われた「学費値上げ阻止闘争」に私は主体的に参加し最後まで闘いました。同大今出川キャンパスの中央に在り、この前で幾多の集会が行われた、われわれの世代にとって象徴的建物「明徳館」(Mとも揶揄される)の屋上に仲間と共に籠城し、掲げたメッセージの一つがこれです。私が発案し書いたものですが、その様子は新聞報道にも写真で掲載されました。機動隊が導入され、あっけなく落城となりましたが、20歳そこそこの学生たちは真剣に闘い、籠城組のわたしたち以外に、約300名の支援部隊が結集し、120数名検挙、43名逮捕、10名起訴となりました(なんと支援に来てくれた京大生M君は無罪を勝ち取りました)。
同志社大学はその後に、大規模な「田辺移転構想」に着手し一説には500億円以上の資金を投入したそうですが、「田辺移転」が失敗に終わったことは明らかでしょう。一度は田辺に移された(それも2回生までだけ)同志社大学の文系学部が、すべて今出川校地(もともと大学のあった場所です)に戻されたのですから。いっとき東京・大阪・京都など都市部の大学の郊外移転が流行りましたが、その多くが再び都心地への回帰を強めている様子を見ると、やはりあの「学費値上げ」は不要なものではなかったのか……との想いが拭えません。
あるライターが「俺を倒してから世界を動かせ」を評してくれました。
《ふつう、運動のスローガンは複数なんですよね、「われわれ」とか「俺たち」あるいは「仲間」などです。なのに全学の学費値上げを問うた行動の主語が「俺」になっている。一応申し訳程度に「同大全学闘」とありますが。組織的な運動ではなかなか目にしないスローガンですよ。主語が単数なのですから。松岡さんに聞いたら籠城組は4人いたそうですし、支援の部隊も300名あまりいたそうです。そこに「俺」はないでしょう(笑)。
ところが、書いた本人もそうでしょうが、これを見た仲間は、一瞬きょとんとするかもしれませんが、「そうか、俺が動かないと状況は動かない」と感じたはずです。数多くのスローガン、特に学生運動におけるそれを見てきましたが、いい意味でこんなに「わがまま」で「独立した意思」を表明した言葉は目にした記憶がありません(東大安田講堂攻防戦のあと安田講堂に書き残された、「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」にも共通のエッセンスがあります)。党派指導の組織だったら絶対に考えられません。同志社の学生運動が懐の深いものであったことを示す、一つの例でしょう。
そして松岡さんは当時からこういった「とんでもない」発想をする素養があったことを示す好例だとも分析できます。警察権力に対して「俺を倒せ」とは! このアナーキーさと闘争精神が、のちに出版に関わってからの彼の仕事を象徴しているともいえます。時に人々から首を傾げられても、また騙されたりすることがあっても、最後は「主語一人称」で闘いきる。性根の強さというか太さは熊本人気質なのでしょうか。往々にして「個」が確立されていない、日本社会にあって、示唆に富むスローガンだといえるでしょう。そしてその精神は今日ますます重要性を増しているように感じます》
このライターさんが評してくださったように、大仰なものではありませんが、たしかに指摘される通り、当時も今も〈革命的敗北主義〉が私の中には染み付いているのかもしれません。「最後の一人になっても闘う」決意があったからこそ「無茶」もできたし、逆に言えば支援してくださる方々に恵まれたとも思います(もっとも近年は〈革命的敗北主義〉だけではなく「論争における止揚から真実の探求」路線の重要性も認識しています)。
大衆運動も政治闘争も反差別運動も、結局のところ「個人」の集合体であるわけですから、個人が資質や能力、人間的な成熟を高めてゆくことが、結果としては社会の好ましい変化に繋がるのではないでしょうか。菅首相をはじめとする閣僚や役人、「個」を持ちえない人々による社会の劣化に直面するにつけ、昔の気持ちが蘇ります。
2020年のカレンダーも最後の1枚となりました。本年は新型コロナに振り回された1年間でした。知人のお店で、遺憾ながら無念の閉店をした所もありました。コロナさえ来なければ、悠々と営業を継続していた店でした。
人生いろいろありますが、こういう疫病で挫折するとは思ってもいなかったということです。
このご時世ですから明日のことはわかりませんが、まずは「今日だけがんばれ」。鹿砦社の社是である「日々決戦 一日一生」に繋がります。
来年2021年は、東日本大震災から10年です。福島原発爆発に触発されて、大学の後輩の書家・龍一郎の力を借りて開始した「鹿砦社カレンダー」もちょうど10年となります。このかん多くの方々に支持されてきました。
ところが今夏、龍一郎が突然病に襲われ1カ月の入院を余儀なくされ制作が懸念されましたが、執念で筆を取り完成させることができました。月刊『紙の爆弾』(12月7日発行)定期購読の方から同誌1月号と共にお届けいたします。次は『NO NUKES voice』26号(12月11日発行)の定期購読者の方々に。ご期待ください!
今年のカレンダーもあと2枚を残すのみとなりました。──
今年は、年頭から新型コロナウィルスが一気に蔓延し、まさに無心でなんとしても生き延びることに必死で過ごしてきました。
当社も、一時はデスペレートな気分になりましたが、なんとか持ち直してきました。売上減には違いがありませんが、売上80パーセント、90パーセント減という小売業や飲食業などに比べればまだマシです。諸経費や広告を削減し、保険を一部解約し、さらに私の報酬を半減したりして、売上減を最大限カバーしてきました。社員ファーストで、雇用を守り社員の給料には触らないことを優先して、この急場をしのいできました。さらに、取引先には支払いの遅れがないようにし、特に個人営業のライターさんらには早め早めに支払うように努めて来ました。あと残す2カ月をなんとしても乗り切る決意です。
今年のカレンダーを引き継いで来年2021年のカレンダーの制作も大詰めです。もうすぐ師走、皆様方に「2021鹿砦社カレンダー」をお届けいたします!
今年の夏は、コロナ禍と猛暑で、これまで経験したことのない夏でした。猛暑だけなら昨年も、一昨年もそうでしたが、新型コロナの蔓延は予想もつかなかったことです。
コロナはまだ勢いを保持していますが、猛暑は、ようやく鎮まったようで、「暑さ寒さも彼岸まで」、彼岸を過ぎると一気に肌寒ささえ感じます。
コロナのせいで、ここ甲子園も例年なら全国から集まる野球ファンの歓声もなく(今は少しありますが)、また知人のお店も閉めたり世の中は苦境に喘いでいます。まるで他人事みたいに聞こえるかもしれませんが、私たちの会社・鹿砦社も売上減をいかに補うか苦慮しています。ただ、飲食関係や小売店に比べればまだマシだというにすぎません。なんとか生き延びれているだけでも幸せと言わねばなりません。これから年末が最大の山、皆様方と共に乗り越えていきたいと思っています。
10月になりました。秋桜(コスモス)が咲きほこる季節です。一日も早くコロナが退散し、気持ち良く咲きほこる秋桜を眺めたいものです。
何度すべってころんだことだろうか──人生ですべってころばなかった人はいないでしょう。人はみなすべってころぶ、そしてまたおきる。私とてそうです。何度も何度もころび、そしてまたおきてころぶ。これを繰り返し今に至っています。
ありがたいことに多くの方々に支えられつつ、幸いなんとか生きています。このまま余生を淡々と過ごしたいと願いつつも、そうもいかないのも、また人生です。
ところで、この書を書いた龍一郎は、6月に急性大動脈解離で倒れ、しばし入院しました。それでも不屈の気概で退院、検査と療養に明け暮れながら来年のカレンダーの製作に取り組んでいます。頑張れ、龍一郎!