3月14日、JR常磐線が華々しく全線再開された。再開直前の10日に駅周辺のごく一部が避難指示解除され、〝復興五輪〟の聖火リレーも26日から予定通りに行われる。原発事故から10年目の福島県・浜通りは〝復興〟に大きく前進したと国内外に発信される。

もちろん、鉄道の再開などインフラの整備は原発事故前の生活を取り戻すのに大きな要素となる。一方で厳しい現実もまだまだある。9年ぶりに乗り降りが始まった夜ノ森駅の周辺をほんの少し歩くだけでも、原発事故が奪っってしまった日常がそこにはある。祝賀ムードに水を差すようで申し訳ないが、やはりJR常磐線再開の「影」をきちんと確認しておきたい。

3月22日投開票の町議会議員選挙でも「夜ノ森駅周辺の活性化」を子や国掲げる候補者がいるが、現実は厳しい

閑散とした夜ノ森駅前。駅には自動販売機もトイレも無く、駅舎の外に仮設トイレが設置されている。目に入るのは立ち入りを制限するバリケードばかり

「自由に乗り降り出来るようになった」のは駅周辺の限られた区域だけ。夜ノ森駅を降りると、「通行証」と書かれた看板がすぐに目に入る。常磐線の乗務員も「全ての駅で降りる事は出来ますが、何もありませんよ」と話していた

夜ノ森駅前の酒店も理容室も、あらゆる日常がバリケードの向こう側に行ってしまった。原発事故が奪ったものは、鉄道が再開されても簡単には戻らない

「のこすもの!」があれば「泣く泣く残せなかった物」がある。夜ノ森駅で降りる人たちには、そういう事にも思いを馳せて欲しい

「原子力災害時避難・集合場所」に身を寄せれば終わりでは無かった。避難生活は9年を超えた

富岡町が設置した線量計は0.57μSv/h。「ここまで下がった」ととらえるか「まだこんなに高い」と考えるかは住民の間でも分かれるだろう

夜ノ森駅構内の空間線量は0.210μSv/h。中通りに設置されているモニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の数値より高い

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故

『NO NUKES voice』Vol.23
紙の爆弾2020年4月号増刊
2020年3月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故
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[グラビア]福島原発被災地・沈黙の重さ(飛田晋秀さん

[インタビュー]菅 直人さん(元内閣総理大臣)
東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと

[インタビュー]飛田晋秀さん(福島県三春町在住写真家)
汚染されているから帰れない それが「福島の現実」

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
元東電「炉心屋」木村俊雄さんが語る〈福島ドライアウト〉の真相

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
車両整備士、猪狩忠昭さんの突然死から見えてくる
原発収束作業現場の〈尊厳なき過酷労働〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈7〉
事故発生から九年を迎える今の、事故原発と避難者の状況

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
奪われ、裏切られ、切り捨てられてきた原発事故被害者の九年間

[対談]四方田犬彦さん(比較文学者・映画史家)×板坂 剛さん(作家・舞踊家)
大衆のための反原発 ──
失われたカウンター・カルチャーをもとめて

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈18〉
明らかになる福島リスコミの実態と功罪

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
「特定重大事故等対処施設」とは何か

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
停滞する運動を超えて行く方向は何処に

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈7〉記憶と忘却の功罪(後編)   

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
5G=第5世代の放射線被曝の脅威

[報告]渡辺寿子さん(核開発に反対する会/たんぽぽ舎ボランティア)
「日本核武装」計画 米中対立の水面下で進む〈危険な話〉

[読者投稿]大今 歩さん(農業・高校講師)
原発廃絶に「自然エネ発電」は必要か──吉原毅氏(原自連会長)に反論する  

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
老朽原発を止めよう! 関西電力の原発と東海第二原発・他
「特重」のない原発を即時止めよう! 止めさせよう!

《関電包囲》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
「5・17老朽原発うごかすな!大集会inおおさか」に総結集し、
老朽原発廃炉を勝ち取り、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しよう!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
1・24院内ヒアリング集会が示す原子力規制委員会の再稼働推進
女川審査は回答拒否、特重は矛盾だらけ、新検査制度で定期点検期間短縮?

《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)
原発の現局面と私たちの課題・方向

《北海道・泊原発》佐藤英行さん(岩内原発問題研究会)
北海道電力泊原子力発電所はトラブル続き

《東北電力・女川原発》笹氣詳子さん(みやぎ脱原発・風の会)
復興に原発はいらない、真の豊かさを求めて
被災した女川原発の再稼働を許さない、宮城の動き

《東電・柏崎刈羽原発》矢部忠夫さん(柏崎刈羽原発反対地元三団体共同代表)
柏崎刈羽原発再稼働は阻止できる

《関電・高浜原発》青山晴江さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関西のリレーデモに参加して

《四国電力・伊方原発》名出真一さん(伊方から原発をなくす会)
三月二〇日伊方町伊方原発動かすな!現地集会 
レッドウイングパークからデモ行進。その後を行います。圧倒的結集をお願いいたします。

《九州電力・川内原発》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長/杉並区議会議員)
原発マネー不正追及、三月~五月川内原発・八月~一〇月高浜原発が停止
二〇二〇年は原発停止→老朽原発廃炉に向かう契機に!

《北陸電力・志賀原発》藤岡彰弘さん(命のネットワーク)
混迷続く「廃炉への道」 志賀原発を巡る近況報告

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『オリンピックの終わりの始まり』(谷口源太郎・コモンズ)

◎紙媒体版   https://www.amazon.co.jp/dp/B085RRT815/ 
◎電子書籍版 https://www.amazon.co.jp/dp/B07RX7H5XQ/

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

ミネラルウォーターのペットボトルを手に福島地裁の法廷に座った山下俊一氏。福島県の代理人弁護士による主尋問では自身の正当性を雄弁に語っていたが、原発事故直後に福島県内各地で行った講演がいかに信用性に欠けるかを厳しく問い詰められると、明らかに声の勢いが落ちた。元々、聞き取りにくい声だが、さらに聞き取りにくくなった。

「1mSvの放射線を浴びると、皆様方の細胞の遺伝子1本に傷がつく」という発言に関しては「例えとして話をしました」と答えた山下氏。一方で「実効線量1mSvの放射線を浴びると、少なくとも細胞ひとつあたり1本の遺伝子に傷がつく」とも。原告代理人の井戸謙一弁護士が「そうであれば、人間の身体は37兆の細胞で出来ているから少なくとも37兆の傷が出来るのではないか」と重ねて質すと、山下氏は「はい」と認めた。

福島地裁での証人尋問を行った山下俊一氏。言い訳と、今さらながらの形ばかりの〝お詫び〟に傍聴席からは怒りの声があがった

あの時、子や孫の被曝リスクを心配した大人たちは、専門家と称する山下氏から「1mSvの放射線を浴びれば1本の遺伝子に傷がつく」と説明された。そう言われれば、予備知識の無い人々は「実効線量1mSvの被曝では1本の遺伝子しか傷つかないのであれば心配無いな」と受け止めてもやむを得ない。そのように理解して〝安心〟して帰宅した人もいただろう。

山下氏は「私はそう説明したつもりはありません」と否定したが、井戸弁護士が「37兆分の1の過小評価を招いた事になりますね」と尋ねると「はい」とだけ答えた。当時の自身の講演が過小評価を招いた事を消極的ながら認めたのだ。今さら認めても遅いのだが。

そもそも、100mSv以下の被曝であっても決してリスクがゼロになるわけでは無い。しかし、二本松市など県内各地で行った講演会で、山下氏は「リスクがあるとは思わない」と断定調で話している。それもまた、聴いていた県民の過少評価を招き、本来講じられるべき防護策を怠った一因になったのではないか。

崔信義弁護士の問いに、山下氏は「放射線防護の考え方と実際の健康リスクのギャップを説明するのは大変難しい。その中で当時、誰が考えても年間100mSvを浴びるとは考えられなかったので、リスクは無いと話をした」と答えた。

さらに突っ込まれると、今度は「詳細について説明するゆとりが無かった」と逃げた。国の指定代理人の〝フォロー尋問〟でも、山下氏は「スライドなどを準備する時間が無かった」と答えている。散々、誤解を招く表現をしておきながら、最後の最後で「時間やゆとりが無かった」と逃げられては、当時の講演を信じた人々はどうすれば良いのか。閉廷後に原告の1人は「立つ瀬が無い」と表現したが、まさにその通りだろう。

過小評価を招いた発言は他にもあった。

山下氏は当時、空間線量が20μSv/hの場合24時間滞在すると480μSv/hだが建物の中に居れば被曝量は10分の1に減る、体内に入るのはさらにその10分の1(つまり空間線量の100分の1)という趣旨の発言をしている。しかし、井戸弁護士は「10分の1はコンクリート建物の場合であって、木造家屋は10分の4だ。多くの県民が木造家屋に住んでいる福島で10分の1を持ち出すのは不適切ではないか」と質した。

これに対し、山下氏は「一般論として申し上げた」と反論。2011年3月20日の記者会見では安定ヨウ素剤の配布に関する発言の中で「1カ月続いた場合でも体内に取り込まれる量は10分の1」と述べているが、山下氏は「そのように私が発言したのか記憶があやふや」。井戸弁護士が「そもそも、空気中の放射性ヨウ素の体内への取り込み量を空間線量率から算出する事は原理的に不可能ではないか。空気1立方メートルあたりのヨウ素131の濃度データが無いと不可能なはず」と畳み掛けると「はい。不可能です」と認めた上で、なぜ、そのような発言をしたのかについては「ですから、記憶にございません」と〝逆ギレ〟した。「10分の1」の根拠について、山下氏は後日、福島県の代理人を通じて論文を証拠として提出する事になった。

あの頃の講演会とは違い、歯切れが悪かった山下氏。「語尾が聞き取りにくい」と何度か原告代理人弁護士から注意されたが、傍聴席の最後列まではっきりと聞き取れたのは「小児甲状腺ガンは『多発』ではありません」というくだりくらい。講演会での「ニコニコ、クヨクヨ発言」に関して「不快な想いをさせた方には誠に申し訳ない」と〝お詫び〟を口にした際も、傍聴席からは「よく聞こえない」という声があがったほどだった。これが9年前、福島県民に「安全・安心」を説いて廻った〝専門家〟の姿だった。

大人たちの願いは、子どもたちを被曝リスクから守る事。しかし、山下氏は「安全安心」を強調するばかりで放射線防護を積極的に伝えなかった

開廷前、福島地裁前の歩道で開かれた集会は、山下氏に対する怒りで満ちていた。
「ひだんれん」共同代表の武藤類子さんは「山下氏は当時、テレビにもラジオにも出演しました。講演内容は行政の広報紙にも載りました。彼の発言がどれだけ私たちを翻弄したか。多くの人が『被曝の専門家が言うのだから大丈夫だ』と警戒を解いていったのですよ。それを思い返すと本当に許し難いです。私たちの刑事訴訟では残念ながら山下氏は被告人にはなりませんでしたが、彼の言動は本当に罪深いのです」と話した。

福島県民にとっては、枝野幸男官房長官(当時)の「ただちに人体に影響無い」発言と同じくらいインパクトがあった講演会だったのだ。「子どもを屋外で遊ばせても問題無い」、「マスクなど必要無い」と力強く語られ、どれだけの大人が安心して家路についたか。その人物が、9年経って「被曝から守られるべき対象者は子ども、妊産婦だった」とは呆れるばかり。原告代理人弁護士の1人は「二重人格だ」と語ったほどだ。

浪江町津島地区から関西に避難している菅野みずえさんは福島の方言で怒りを口にした。

浪江町津島から関西に避難している菅野みずえさんも傍聴に駆け付けた

「あの時、皆で笑って記念写真を撮りました。そして、3年も経ったら甲状腺ガンになりました。あれは何だったんだべはぁと思います。今日は彼が何を言うかしっかりと見届けます。面の皮が厚い彼がどう考えてものを喋るのか。私たちは何も出来ないけれど、じっと見て、めげる事無く闘い続けて行きたいと思います。ごった踏みつけにされて黙ってるわけにはもうはぁいかねえと思います。もう、ごせっぱらやける。一人一人が『ごせっぱらやける』想いを抱えて、めげずに負けずに頑張って行きましょう」

閉廷後の報告集会で、原告の女性は「科学者というより政治家っぽい感じがした」と振り返った。

住民を「被曝させまい」ではなく「避難させまい」と奔走した山下氏の言動は確かに、腹黒い政治家そのものだった。それが浮き彫りになった証人尋問だった。(了)

ついに山下氏の証人尋問を実現させた「子ども脱被ばく裁判」。次回7月の期日で結審する予定だ

◎[関連記事]鈴木博喜-《NO NUKES VOICE》山下俊一=福島県放射線健康リスク管理アドバイザー証人尋問 9年前の〝安全安心講演〟の矛盾とウソが明らかに 〈前編〉 〈後編〉

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

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3月4日の福島地裁。「脱被ばく子ども裁判」の証人尋問に臨んだ福島県放射線健康リスク管理アドバイザー・山下俊一氏(長崎大学学長特別補佐、福島県立医科大学副学長)の発言は、9年前の自身の講演での発言を正当化し、一部誤りを渋々ながら認めて〝謝罪〟し、改めて原告や支援者たちの怒りを買った。

「言葉足らず舌足らずが誤解を招いたのであれば本当に申し訳ない」などの発言は5日付の「民の声新聞」(リンク)で既に報じたが、そこでは書き切れなかった山下証言を紹介したい。

福島地裁での証人尋問を行った山下俊一氏。言い訳と、今さらながらの形ばかりの〝お詫び〟に傍聴席からは怒りの声があがった

「放射線は人体にとって本質的には有害です。ただし、放射線を利用する事による便益が非常に大きいために、常にこの分野ではリスクとベネフィットを防護の観点から考えてきました」

山下氏の言う「便益」の1つが発電だ。「福島県放射線健康リスク管理アドバイザーへの就任要請は覚悟して引き受けた」と語った山下氏だが、その「覚悟」とは子や孫の被曝を心配する人々に一見、寄り添いつつ、一方で放射線利用の道を閉ざさないという重大な任務に対する覚悟では無かっただろうか。山下氏の法廷での発言を改めて振り返ると、二面性が浮き彫りになってくる。

例えば2011年3月21日に福島市で行われた講演会。「このまま福島に居て良いのか。実家とか県外に行った方が良いのか」という質問に対して「心配があれば、より遠くに避難した方が良いと思う」と答えている。福島県の代理人弁護士による主尋問で「被曝から守られるべき対象者は子ども、妊産婦です。そういう意味で話しをしました」と振り返ったが、しかし一方で、同年5月3日に二本松市で講演会を開いたが「この時点で既に緊急時は脱したと考えていた」という。

5月20日、「放射線を正しく理解してもらい、風評被害をなくす」事を目的に都内で開かれた「東日本大震災復興支援第1回シンポジウム」(長崎・ヒバクシャ医療国際協力会主催)。ここで山下氏は「チェルノブイリ原発事故の教訓から福島原発事故の健康影響を考える」と題して講演。次のように発言していた。

「現場に入り、そしてこの人たちに安心、安全をいかに説くかということ、安全ということはありません。しかし、安心をいかにしてパニックを抑えるかということが当初の目的でありました」

「福島県内での講演では出来るだけ不安に寄り添う、不安を増長させないという事を意識しました」と言いながら「この地域では誰も年100mSvを超える事は無いと確信していました」。山下氏の〝登場〟が福島の人々を「安心」させるためだったとすれば、「放射線の影響は、実はニコニコ笑っている人には来ません。クヨクヨしている人に来ます。これは明確な動物実験で分かっています」という噴飯ものの発言をしたのもうなずける。

主尋問の最後に「私自身の発言の中で当時、科学的根拠や妥当性を欠いたものがあったとは思いません」と言い切ったが、県民の不安を「大げさ」と捉えず、少しでも被曝リスクから遠ざかる方法を伝えるべきではなかったか。あの講演のどこが県民に寄り添っていて、妥当性のあるものだったのか。

原告代理人の井戸謙一弁護士が当時の「山下講演」や書籍での表現の矛盾点を鋭く指摘した場面を再現してみよう。

井戸「これは『正しく怖がる放射能の話』という書籍(長崎文献社)ですが、証人が監修されており、内容については責任を持つという事でよろしいですか?」

山下「はい」

井戸「61ページの一番下。『1年間で100mSvになるような場合にはどうなるかというと、その都度出来たDNAの傷は元通りに直されていきますので合計で100mSvになったとしても修復出来ない傷は全く残りません』と書いてありますね?」

山下「はい」

井戸「『全く残らない』という事は癌になる恐れは全く無いと理解して良いですか?」

山下「積算線量1mSvの場合はそうです。1を100回という意味です」

井戸「先ほど証人は、『100mSv以下の場合は発癌リスクは良く分かっていない』と答えたのではないですか?」

山下「疫学的には証明されていないという意味です」

井戸「他の方法では証明されているのですか?」

山下「傷を見る角度によって変わる事はあります」

井戸「傷が全て100%修復されるのであれば、癌に発展する可能性は無いですよね?」

山下「はい」

井戸「したがって、先ほど証人が『証明されていない』と証言した事と書籍の記載内容は矛盾するのではないですか?」

山下「厳格に言えば、そういう矛盾点はあるかと思います」

後に〝ミスター100mSv〟と呼ばれるようになった山下氏は、福島県内での講演でも「100mSv」を盛んに口にしていた。

井戸「1年間に100mSvでは癌のリスクは無いという趣旨の事を言っていますが、これは毎年100mSvの被曝を10年20年続けた場合でも癌のリスクは無いという趣旨でしょうか?」

山下「いえ、そういう意味ではありません」

井戸「すると、たまたま1年間だけそういう年があっても、という趣旨ですか?」

山下「最高1年間で100mSvという意味でしか使っていません」

井戸「したがって、その前後は被曝をしないという前提での話ですか?」

山下「基本的にはそういう風に理解しています」

井戸「あなたは福島県の人たちに話をする時にそういう説明をしないで『1年間に100mSv以下であれば健康リスクは無い』と説明したのではないですか?」

山下「はい。1年目はそうです」

井戸「そうすると聴いた側は、これは毎年100mSvずつ被曝していっても安心して良いんだ、と受け止めたのではないですか?」

山下「分かりません」

井戸「そういう可能性は十分にありますね?」

山下「はい」

全国から多くの人が駆け付けた「子ども脱被ばく裁判」の口頭弁論。山下氏の発言に大きな注目が集まった

疑問だらけの「山下証言」。講演内容の訂正問題もその1つだ。山下氏は2011年3月21日に福島市の「福島テルサ」で講演しているが、その時の「100μSv/hを超さなければ全く健康に影響を及ぼしません」という発言を「10μSv/hを~」と訂正している。

井戸弁護士は、これは意図的に言い間違えたのではないかと追及した。山下氏は「1カ月後に外部から指摘されて気付いた。私はこういう言い方をしたと気付かなかった」と答えた。しかし、福島県のホームページでは講演の翌日3月22日付で訂正文を掲載している。このズレは何を意味するのか。

当時、福島市は10μSvを超えるような空間線量だった。他にも避難指示は出されていないが10μSv/hを上回るような地点は多かった。井戸弁護士は「避難指示が出ていない地域の人たちを避難させないために、安心させるために敢えて100μSv/hと言ったのではないですか?」と質したが、山下氏は「全く見当違いだ」ときっぱりと否定した。

山下氏は2011年4月1日、飯舘村で職員を相手に話している。出席した職員から「38μSv/hあるが大丈夫か」と質問され、「マイクロシーベルトのレベルであれば全く問題無い。10μSv/hまで下がればより安心である」と答えた。これだけの高線量でも「当時、避難の話はしていないと思う」と山下氏。その後、飯舘村は全村避難となるが「SPEEDI情報から、風向きによって飯舘村に放射能プルームが入ったのは知っていた。避難指示が出される可能性はあると思っていた」にも関わらず「私が関与する立場に無かった」として避難を勧めていない。

住民対象の講演会では、時に「心配があれば、より遠くに避難した方が良いと思う」と言いながら、一方で村職員の質問には避難を勧めない。これを二枚舌と言わずして何と言おうか。(つづく)

◎[関連記事]鈴木博喜-《NO NUKES VOICE》山下俊一=福島県放射線健康リスク管理アドバイザー証人尋問 9年前の〝安全安心講演〟の矛盾とウソが明らかに 〈前編〉 〈後編〉

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原発プロパガンダとは何か〈18〉
明らかになる福島リスコミの実態と功罪

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
「特定重大事故等対処施設」とは何か

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
停滞する運動を超えて行く方向は何処に

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈7〉記憶と忘却の功罪(後編)   

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
5G=第5世代の放射線被曝の脅威

[報告]渡辺寿子さん(核開発に反対する会/たんぽぽ舎ボランティア)
「日本核武装」計画 米中対立の水面下で進む〈危険な話〉

[読者投稿]大今 歩さん(農業・高校講師)
原発廃絶に「自然エネ発電」は必要か──吉原毅氏(原自連会長)に反論する  

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
老朽原発を止めよう! 関西電力の原発と東海第二原発・他
「特重」のない原発を即時止めよう! 止めさせよう!

《関電包囲》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
「5・17老朽原発うごかすな!大集会inおおさか」に総結集し、
老朽原発廃炉を勝ち取り、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しよう!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
1・24院内ヒアリング集会が示す原子力規制委員会の再稼働推進
女川審査は回答拒否、特重は矛盾だらけ、新検査制度で定期点検期間短縮?

《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)
原発の現局面と私たちの課題・方向

《北海道・泊原発》佐藤英行さん(岩内原発問題研究会)
北海道電力泊原子力発電所はトラブル続き

《東北電力・女川原発》笹氣詳子さん(みやぎ脱原発・風の会)
復興に原発はいらない、真の豊かさを求めて
被災した女川原発の再稼働を許さない、宮城の動き

《東電・柏崎刈羽原発》矢部忠夫さん(柏崎刈羽原発反対地元三団体共同代表)
柏崎刈羽原発再稼働は阻止できる

《関電・高浜原発》青山晴江さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関西のリレーデモに参加して

《四国電力・伊方原発》名出真一さん(伊方から原発をなくす会)
三月二〇日伊方町伊方原発動かすな!現地集会 
レッドウイングパークからデモ行進。その後を行います。圧倒的結集をお願いいたします。

《九州電力・川内原発》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長/杉並区議会議員)
原発マネー不正追及、三月~五月川内原発・八月~一〇月高浜原発が停止
二〇二〇年は原発停止→老朽原発廃炉に向かう契機に!

《北陸電力・志賀原発》藤岡彰弘さん(命のネットワーク)
混迷続く「廃炉への道」 志賀原発を巡る近況報告

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『オリンピックの終わりの始まり』(谷口源太郎・コモンズ)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

原発事故後に設置されたモニタリングポストが「数値を外から確認出来ない問題」に直面している。

福島県の中で会津地方や中通り、いわき市の避難指示が出されなかった地域に設置されているモニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム、以下リアモニ)の撤去計画が白紙撤回されて5月で1年。

住民説明会では「万一の事態が起きた時に、放射線量を一目で確認したい」と設置継続を求める声が相次ぎ、撤去を進めたい原子力規制委員会を押し切った格好だが、一方で保育所や学校などに設置された一部のリアモニが敷地の内側を向いており、外から数値が確認出来ない状態になっているのだ。外から数値が見えるように180度動かすにしても専門業者の力が必要で、国も福島県も市町村もそのための予算措置などしていない。

昨秋の「10・12水害」で水没、故障したリアモニの建て替えも進んでおらず、住民が望んだ形とは異なる姿で「当面の間」の設置継続だけが続いている。

保育所や学校に設置されたリアモニの中には敷地外から数値を確認出来ないものも少なくないが、今のところ外側に向きを変える計画は無い

◆「外から数値が見えないリアモニって、確かに意外と多いんです」

「外から数値が見えないリアモニって、確かに意外と多いんです。そういう視点で街を歩いてみると気付くと思います。しかし、じゃあ向きを変えっぺと、人が何人か集まれば動かせるというような代物ではありません。仮に向きを変えるのなら重機が必要だから専門業者に頼まなければいけない。それはやはり、設置者である国の責任でやるのが筋なのではないでしょうか。国の責任で住民の要望に応えるのがあるべき姿だと思いますよ。でも、現実問題として国が予算措置しているのは、あくまで『維持管理費』です。向きを変えるような工事費用は盛り込んでいません。もちろん、県にもそんな予算はありません」

福島県放射線監視室の担当者は、ざっくばらんにそう語った。原発事故後、学校や保育所、集会所や公園など、子どもたちが集まるような場所を選んでリアモニが設置されたが、「職員や教師、保育士がまず真っ先に数値を確認する」との趣旨から、施設の内側に向けて設置されたものも多い。県民からは「外から数値を見えにくくするために意図的に内側にしている。〝汚染隠し〟ではないのか」との指摘もあるが、そうでは無いという。福島県中通りのある保育所長は「そんな悪意はありません」と話す。

「そもそもリアモニを設置したのが、歩いている人に数値を知らせるのでは無くて園児や保護者、保育士に見せるという趣旨だったのです。そういう意味ではリアモニの役割が変わってきているのかしれませんね」

県民からは「外から数値を見えにくくするために意図的に内側にしている。〝汚染隠し〟ではないのか」との指摘もある

◆リアモニを設置し続けること自体が「風評被害」を招く?

リアモニの撤去計画は2018年3月20日の原子力規制委員会(http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-237.html)で浮上。避難指示が出された12市町村を除く約2400台を2021年3月末までに撤去し、避難指示12市町村に配置し直すという計画だった。年間5億円とも6億円とも言われる維持費用のほか、空間線量の下がった区域にいつまでもリアモニが設置されていると特に海外からの観光客に被曝リスクが存在すると誤解を与える(風評被害を招く)という理由もあった。

2018年6月から11月にかけて福島県内15市町村で開かれた住民説明会では、撤去に反対する意見が大多数を占めた。母親たちの市民グループ「モニタリングポストの継続配置を求める市民の会」が結成され、会津若松市や福島市、郡山市、いわき市などで地元市長に対して撤去に反対するよう求める要望書が提出された。複数の市町村議会が継続配置を求める意見書を国に送った。廃炉作業が何十年にもわたって続く中で、万一の事態が起きた場合に数値を確認する機会を奪わないで欲しい、というのが撤去反対の主な理由だった。

リアモニ撤去への反対意見が続出した住民説明会。多くが「万一の事態のために、数値を確認出来る機会を奪わないで欲しい」という切実な声だった

◆「そんな事ばかりやっているから福島は駄目なんだ」とまくし立てた田中俊一前原子力規制委員長

一方、リアモニ撤去の〝言い出しっぺ〟である原子力規制委員会の田中俊一前委員長は取材に対し「あんな意味の無いものをいつまでも設置し続けたってしょうがない。数値がこれ以上、上がる事は無いのだから、早く撤去するべきだ。廃炉作業でどんなアクシデントが起こるか分からない?そんな〝母親たちの不安〟なんて関係無いよ。そんな事ばかりやっているから福島は駄目なんだ」とまくし立てていた。

福島市の木幡浩市長(元復興庁福島復興局長)も、設置継続を求める母親たちの声に理解を示しつつも「風評」を何度も口にし、「そもそも米の全量全袋検査が良いのかという議論の中で、検査をする事自体が『福島の米は危ないのではないか』という事を示してしまっているという意見も現実にある。将来的なリアモニの集約というか、どの程度設置するのが良いかという議論はあり得るでしょう。今大きく減らすべきだと言うつもりは無い。ただ、僕らは『風評』と『自分たちの気持ち』の両方を常に考えなければならないと思う」と将来的な撤去に含みを持たせていた。

最終的には福島県民の願いが通じ、原子力規制委員会は2019年5月29日の会合で「当面、存続させる」事が決まった。長年「原発が事故を起こすなんてあり得ない」と〝安全神話〟を信じ込まされた挙げ句に原発事故の被害を受けた人々が、「廃炉作業で万一の事態が起きても中通りにまで影響が及ぶ事は無い」と事故後の数値確認機会まで奪われる最悪の事態は回避された。

◆リアモニ撤去の機会をうかがい続ける国の思惑

しかし、県職員も認めているように、国は撤去方針そのものは捨てていない。しかも中には一見して数値を確認出来ないリアモニもある。せめて施設外から数値を確認出来るように向きを変える事は出来ないかと原子力規制庁に確認をしたが、監視情報課の担当者の答えは「NO」だった。

「今のところ、その後の具体的な動きは全くありません。仮に向きを変えるとしたら県や市町村と相談してやることになると思いますが…。現時点では『当面、設置を維持する』というところから何も進んでいません。最近ではむしろ、中通りにある私立幼稚園などから『邪魔だから早く撤去して欲しい』という声が複数寄せられているくらいですから、向きを変えるという発想などありませんでした。もちろん、そのための工事費用を捻出する予算など確保していませんし…」

危機を脱し、リアモニ撤去計画を口にする人も少なくなった。国も福島県も話題にしなくなった。それにはこんな裏事情もあるという。

「『配置見直し』という国の基本的な考え方は変わっていませんが、水害が起きて33台がやられた。韓国が『日本はまだ汚染されている』と騒いでいる、『聖火リレーはこのまま実施して良いのか』などいろいろな外圧が起きています。そういった状況の中で、積極的に配置見直しを言いにくい事態に陥ってしまったのが現状です」(福島県職員)

じっと身を潜めながら撤去の機会をうかがっている国。当面の存続は決まったものの、本来の目的を果たせないものもあるリアモニ。「外から数値を確認出来ない問題」は解消されないまま、とりあえずの存続だけが続いていく。

国は撤去方針そのものは捨てていない

▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

3月11日発売『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故

植木律子さんや大貫友夫さん(ともに福島市)が「私たちと簡単には和解できないだろうと思っていました。準備書面を読んでいて、私たちの気持ちを理解していないと毎回毎回思っていましたから」、「本人尋問の時の代理人弁護士の質問内容が、いかにも『あなたたちが恐れる事がおかしいんじゃないか』という内容の繰り返しでしたので、和解拒否は予想していました」と口を揃えたように予想された事とはいえ、東電の強気の姿勢は原告たちを大きく落胆させた。

「12月20日に和解案を手にし、私の闘いが少しでも認められたんだと内心ホッとしました。ところが日も経たないうちに東電が拒否した。なんて酷い事だと思いました。不誠実な東電が嫌になりました」(平井さん)

そうして迎えた判決。

裁判所が認容した精神的損害は、原発事故の発生からわずか9カ月間。2011年12月31日までだった。記者会見では、原告たちは複雑な想いを異口同音に口にした。

「2011年12月31日で自分の精神的被害がまるで終わったという事にはなりませんが、それでも裁判所には私の心の損害を少しは認めてもらえたのかなという意味ではホッとしています。原発事故が起きたのは間違いなく事実ですし、福島市は『自主的避難等対象区域』という線引きをされましたが、放射性物質を含んだ雨や風が福島市を避けてくれるわけでも無く、わが家にも放射能の雨が降りました。空間線量は高くなりました。東電は、その事実にきちんと向き合って謝罪をして欲しい。そして控訴をしないよう望んでおります」

「名も無い庶民が声をあげたという意味では、私自身も原告に加わった事を誇りに思っています。目に見えない『精神的損害』をどう表現して主張するかにすごく苦労しました。2011年12月31日までしか認められなかった事には疑問が残ります。東電の小早川智明社長が『公訴時効後も最後の1人まで賠償します』という趣旨の事を言っていたのに、表向きの顔と本音とのずれがあるように感じます。ここまでエネルギーを注がないと、目に見えない損害は賠償されないのだなあと、ハードルは高いなあと感じました。孫の健康不安など、心の損害はまだ続きます」

平井さんもこう語っている。

「原発事故が無かったとは1日も思えずに9年間を過ごして来ました。それでも前向きに普通に生活をして、でも心配はあるので線量計を市役所から借りて測ったりしています。モニタリングポストの撤去計画が浮上した時には反対意見も述べました。2011年12月末で損害が終わったわけではありません。ずっと続いています」

東電は原発事故後に「3つの誓い」をたて、「最後の1人まで賠償貫徹」、「和解仲介案の尊重」などと掲げている。しかし、裁判闘争で疲弊しきった被害者が頭を下げて和解を求めても蹴飛ばす。もう闘えないとつぶやく原告の想いをあざ笑うように控訴するのだろうか。

植木さんは「東電の小早川智明社長には、52人一人一人が書いた陳述書や法廷での本人尋問を読んで頂きたいと願うばかりです」と会見で話したが、至極当然の願いだ。だが自らたてた誓いを平気で破るような企業のトップが、被害者たちが涙を流しながら書いた陳述書を読むはずが無い。それもまた現実だ。

東電の小早川智明社長。判決後の会見では「東電は控訴しないで判決を受け入れて」「陳述書や本人尋問の調書を小早川社長に読んでもらいたい」との声が原告からあがった

野村弁護士は「東電が控訴すればいたずらに被害者を引きずり回し、紛争解決を長引かせる事になる。原発事故を引き起こした社会的責任と、当事者による主張・立証が尽くされた上での判決の重みを真摯に受け止め、今回の判決に従うべきだ」と会見で強調したが、残念ながら争いの舞台は仙台高裁に移される公算が高い。

「それでも原告の皆さんは心配ありません。主張は尽くしていて後は認容額の問題でしょうから仙台高裁での弁論は1回で終わるでしょう。スムーズにいけば夏頃に弁論期日があって、10月頃には判決が言い渡されるかもしれません」(野村弁護士)。

満足出来る判決内容では無いが、受け入れると決めた原告たち。会見で〝前向き〟な言葉が並んだのは、そう自分に言い聞かせなければ崩れ落ちてしまうからだった。

大貫友夫さんは「今日の判決では、放射能を測定する事自体が『原発事故との相当因果関係は認められない』という事で請求が認められませんでした。それは非常に残念です」と悔しさをにじませたが、一方で「十分とは言えませんが精神的損害が認められて良かったと思います。6万8000字の陳述書を書いた2年間が思い浮かびます。娘たちや未来の子どもたちに恥じる事の無いようにとの想いで、この訴訟に加わりました。この6年間、頑張って参りました。この判決を受けた事は誇りに思います。これからも胸を張って生きて行きたいと思います。東電は判決に従って私たちに謝罪してもらいたい。そう強く思っております」とも話した。

夫と二人三脚で闘ってきた大貫節子さんは「判決内容には不服だけれど、もうそろそろ日常生活に戻りたい」と筆者につぶやいた。「あの時のつらさを思い出すのは本当に苦しいので、陳述書を書くのをやめようと何度も思いました。でも、周りに助けてもらいながら書き上げる事が出来て良かったと思います。放射能への不安やつらさを口にしていると日々の生活が暗くなって心が折れてしまう。裁判所で訴えを聴いてもらえた事は私にとっては良かったです」とも。原告たちの複雑な心情が凝縮されているかのような言葉だった。

除染で生じた汚染廃棄物が自宅の敷地内に保管された事も、原告たちが訴えた「精神的苦痛」の1つ

繰り返すが、東電が支払いを命じられた賠償額は個々の原告に対してでは無く、50人分を合算して約1200万円だ。つまり、平均24万円。これが、今村雅弘復興大臣(当時)が2017年4月4日の記者会見で「裁判だ何だでも、そこのところはやれば良いじゃない」と言い放った「裁判」の現実だった。

しかも、「目安」とされた30万円が支払われる原告はいない。最も少ない人でわずか2万2000円だ。最高で28万6000円。最も多いのが24万2000円(37人)だった。しかも、2人の原告に関しては、和解案では賠償額が示されていたにもかかわらず判決では請求棄却。つまり「ゼロ円」だった。他の原告たちが会見で前向きな言葉を口にしている最中、ずっとうつむいたまま涙を流していた原告もいる事を、私たちは忘れてはならない。庶民の気持ちなど知らない〝永田町の住人〟が軽々しく口にするほど、裁判闘争は甘くない。それを見せつけられたようでもあった。

民事訴訟に「100%の勝利」など無いのだろう。どこかで折り合いをつけなければならない。それはそっくりそのまま、原発事故後も「ここで暮らすしか無い」、「子どもとともに避難したいが難しい」と中通りで暮らし続けた人々の「折り合い」と重なる。

勝訴と敗訴が複雑に絡み合った判決を手に、原告はそれぞれの住まいへ戻って行った。〝復興五輪〟の聖火リレーが3月26日に福島で始まるが、原発事故の被害を訴え続けている人たちが今もいる。原発事故の被害は避難指示区域にとどまらない。浜通りだけが「被災地」では無い。それを教えてくれたのもまた、「中通りに生きる会」の52人だった。

◎「中通りに生きる会」52人の原告たちは本当に東京電力に「勝った」のか? 原発事故損害賠償訴訟・6年間の闘いで得たもの、得られなかったもの
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34316
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34323

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 2020年〈原発なき社会〉を求めて

2020年2月19日。福島地裁で1つの判決が言い渡された。原発事故による精神的損害が十分に賠償されていないとして東電を相手取って起こされた裁判。福島県で「中通り」と呼ばれる、東北新幹線沿いの市町村に暮らす52人による「中通りに生きる会」が原告だ。

福島地裁の遠藤東路裁判長は東電に対し、計1200万円余の支払いを命じた。避難者訴訟ではなく、居住者訴訟で精神的損害を認めた「画期的な判決」として全国ニュースにもなった。地元メディアは概ね好意的に報じた。原告たちも、閉廷後の記者会見では〝前向き〟な発言が目立った。だが、原告たちは本当に「勝った」のだろうか? 提訴前の準備から数えると6年にも及んだ裁判闘争で52人は何を得て何を得られなかったのか。きちんと確認しておきたい。

「陳述書を28ページも書きました。これを基に闘ってきたんです。すごく長い闘いでした。皆まとまって一生懸命にやってきたつもりです。(判決で示された賠償額は)私たちが請求した金額とはずいぶん違いますが、これまでの闘いが一応、認められたと思ってホッとしています。東電がこの判決を受け入れてくれる事を心より願っております」

会の代表として奔走してきた平井ふみ子さん(71歳、福島市在住)は、記者会見でそう語った。

2014年10月に福島市内で開かれた陳述書作成の勉強会であいさつする平井ふみ子さん。原告たちの闘いは6年に及んだ。もう余力は残っていない

379ページに及ぶ判決文で遠藤裁判長は、「自主的避難等対象区域に居住していた者の慰謝料の目安は、避難の相当性が認められる平成23年12月31日までの期間に対応する慰謝料額として、30万円と認めるのが相当である」と定義。30万円から東電からの既払い金(8万円)を引き、個々の損害に応じた賠償額を算出した。その結果、50人が既払い金を上回る賠償を認められ、東電が控訴しなければ、2万2000円から28万6000円までの賠償金に遅延損害金を加えた金額が原告たちに支払われる事になる。なお、2人の原告は請求を棄却された。

原告の代理人を務めた野村吉太郎弁護士は陳述書作成では何度も何度も書き直させ、時には原告から恨まれもした。厳しかったが、最後は大きな拍手で原告たちから感謝を伝えられた

原告の代理人を務める野村吉太郎弁護士は、判決内容について「いわゆる〝自主的避難等対象区域居住者〟に対する慰謝料としては過去最高額であるという点は高く評価したい」と一定の評価をしつつ、「原告らが訴訟準備期間を含めると約6年の歳月を費やし、原則として原告全員の本人尋問を経て個別の損害を訴えた末の結果としては不十分。闘いに報いる金額では無い。苦労に苦労を重ねた挙げ句の判決にしては、物足りないものがある」とも語った。

また、「精神的損害に対する評価は非常に厳しいというか、原告の皆さんの精神的損害を汲み取る感性が裁判官には欠けているのではないかと思う。そこは残念だが、他の訴訟と比較すれば、ある意味では画期的な判決なのではないか。もろ手を挙げて喜ぶ事は出来ないが、それなりに受け止めなければ仕方が無いのかなという想いです」とも話した。会見場には複雑な心情が漂っているようだった。

原告たちはそもそも、和解による決着を望んでいた。年齢層が高く、陳述書を書き上げるだけで疲労困憊になり、いざ提訴したらしたで、今度は本人尋問が待っていた。野村弁護士とリハーサルを重ねたが、慣れない法廷での尋問に戸惑い、満足に答えられない原告も少なくなかった。

それでも主尋問はまだ良い。反対尋問では、被告東電の代理人弁護士が牙を剥いた。

原告が被曝リスクへの不安を口にすれば、原発事故直後に行われた山下俊一氏の講演を掲載した福島市の広報紙を提示し、「専門家は問題無いと言っている」と全否定した。原告が家庭菜園を断念したと言えば、「誰も家庭菜園を禁じていない」と一蹴した。避難指示が出されない中で〝自主避難〟するべきか逡巡した苦悩を原告が口にしても、「原告は自己の判断によって避難するかどうかを決めたものであって、中通りにとどまり生活せざるを得なかったという事実は認められない」と反論した。まさに、〝ああ言えばこう言う〟のやり取りが法廷で繰り返された。
当時の想いを、原告の1人はこう振り返る。

「二度と想い出したくない震災と原発事故。いざ原発事故が起きたらどれだけ大変な災害になるかという事を子や孫に残したいと考えて原告に加わりました。人前で話すのも苦手なのにあの場で尋問されるというのは、被害者ではなく何か犯罪者のような気持ちでした。東電が和解勧告を拒否したと聞き、長い間闘ってきた事が認められなかったような気がして東電の非情さと理不尽さに憤りました」

原告一人一人の陳述書に対する膨大な反論の準備書面も提出された。そのたびに法廷には原告の怒りと徒労感に包まれた。46人の原告に対する本人尋問が終了した2019年3月の時点で、原告たちに余力は残っていなかった。

野村弁護士は法廷で裁判所に和解勧告を求めた。原告の1人は当時、筆者に「陳述書を書き上げるのに要した2年間が、もう涙と汗の結晶というか、これ以上は書けないというところまで野村先生に見ていただいて提訴したんです。もう、これ以上は出来ません」と語っていた。

当初は和解勧告に消極的だった裁判所も、原告たちが福島県庁で記者会見を開くなどして世論に訴えた事もあり、昨年12月に和解案を提示した。和解内容は公開されていないが、判決と大きくは変わらないとみられる。原告たちは当初からの方針通りに受諾したが、東電は年明け早々の1月7日に拒否を伝えた。(後編につづく)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 2020年〈原発なき社会〉を求めて

2月になっても黄色い実をつけている信夫山のユズ。福島市のユズは出荷制限が継続している

毎年恒例の「信夫三山暁まいり」を翌日に控えた今月9日、福島市北部の信夫山(しのぶやま)中腹にはユズ(柚子)の黄色い実が冬枯れの木々の中で一層、鮮やかな色を見せていた。かつて「ユズ栽培の北限」と言われた信夫山。しかし本来であれば、この時期にユズの黄色い色が映える事は無いはずだ。熟しすぎて落下したユズの実には、鳥がついばんだ跡があった。季節外れの景色は一見、美しい。しかしこれもまた、2011年3月の原発事故がもたらした影響だった。信夫山ガイドセンターのガイドスタッフが残念そうに語った。

「原発事故が起きる前は、だいたい12月中にはある程度収穫されていました。でも、原発事故で国の出荷制限がかかっているから収穫出来ない。だから、2月になっても実がついてる。きれいかもしれないけど、これは本来の景色では無いんです」

今さら言うまでも無く、福島第一原発の爆発事故に伴う放射性物質の飛散は60km離れた福島市にも及んだ。2011年6月20日の福島市の測定では、信夫山ふもとの「所窪団地公園」で空間線量は2.61μSv/hに達した。福島県のホームページでさかのぼれる最も古いデータでも、2012年9月6日正午時点で「信夫山公園」の空間線量は1.46μSv/hだった。同日同時刻の「信夫山子供の森公園」では1.27μSv/h。事故が起きる前は0.04μSv/h前後だったから、原発事故から1年半が経過しても実に31倍から36倍もの汚染状況だったのだ。

信夫山のユズ畑の中には、いまだに空間線量が0・3μSv/hを上回る場所もある

「福島県福島市及び南相馬市において産出されたゆずについて、当分の間、 出荷を差し控えるよう、関係自治体の長及び関係事業者等に要請すること」

2011年8月29日、当時の菅直人首相(原子力災害対策本部長)が佐藤雄平知事(当時)に対し、出荷制限を指示した。その5日前に行われたサンプリング検査で680Bq/kg、760Bq/kgという高い数値が検出されていた。国の指示は「当分の間」だったが、出荷制限は今も解除されていない。

福島県農林水産部園芸課の担当者は「出荷制限解除の考え方は、1本でも基準値を超えるユズの木が出てしまったとかそういう事では無くて、危険な物が含まれていないという事を示せなければいけません。そのためには、栽培の状況を確認した上でモニタリング検査をして、基準値を超過していない事を確認する必要があります。それがある程度確認出来た段階で県から国に解除を申請します」と説明する。

「でも、まだモニタリング検査をするまでに至っていないんです」と担当者は話す。

出荷制限を受け、福島県が作成した注意喚起のチラシ。出荷制限解除の見通しは全く立っていない

「そもそも、基準値を超えるようなユズの木がどのくらいあるのか分かっていないんです。しっかり管理されて栽培されているものばかりであれば把握しやすいのですが、庭先で小規模に育てているものもあります。ユズ栽培の実態がどうなっているのか、今は福島市やJAと調べている段階です。なので、今の段階で公表出来る数値はありません。まずは実態把握をしているという事です」

9年という歳月を経ても、出荷停止解除の見通しさえ立っていない。いや、見通し以前の段階だと言わざるを得ない。これが信夫山のユズを取り巻く現状だった。これが原発事故が奪ったものの大きさだった。

福島市農業振興課の担当者も「まだ出荷制限解除を口に出来る段階ではありません」と話す。だが、福島県の検査でも、2018年11月20日の段階で検出された放射性セシウムは5.70Bq/kgにとどまっている。何がネックとなっているのか。そこにはユズの特性があるという。

「リンゴやモモですと、1本の木になる実に含まれる放射線量はだいたい同じです。逆にユズはバラバラなんです。しかも規則性・法則性がありません。しかも、前年に『不検出』だった木でも、今年測ったら高い数値が出る場合もあるんです。他の果物だと、いったん数値が下がったら上がる事はほとんど無いのですが、ユズは残念ながらそうでは無いのです。仮に費用も人手もかけて全部の実を測ったとしても、もう放射性物質が検出されないと言い切れません。そこがユズの難しいところなのです」

現実的には、福島市内の全てのユズの実を検査する事など不可能だ。しかも、他の果物と違い、農園のようにきちんと管理された状態で栽培されている木ばかりでなく、庭で小規模に育てて直売しているケースもある。「JAを通してある程度、大規模に出荷しているようなものは追跡出来ますが、そうでない物はそもそも把握が難しい」(福島市農業振興課)。現在、栽培農家に調査票を配って把握に努めている段階だという。

信夫山に仮置きされている除染廃棄物。順次、中間貯蔵施設に運ばれる

過去には、当時の佐藤雄平知事が米の〝安全宣言〟を発した直後に基準値を上回る数値が検出されてしまった事もあり、福島市農業振興課の担当者は「全体として数値は下がる傾向にあり、その意味では安全だと言えます。でも、もし出荷制限解除後に100Bq/kgを超えるユズが出てしまったら、風評などより悪い結果を招いてしまいます。今の段階で焦って解除を求めてはいません。福島市にとってユズは大切なものですから、どうしても慎重にならざるを得ない部分はありますね」と話した。

信夫山を散歩する親子。被曝リスクを心配する人は表面的には少なくなった。一方で「心配してもしかたない」との想いもある

前述のガイドは、市街地を見下ろしながらこうも言った。

「原発事故直後は、面白半分と言うのかなあ、興味本位と言うべきか、われわれにとっては不愉快でしたけど『原発の状況どうですか?』なんて尋ねられる事も多かったですよ。そんな事を尋ねるためにわざわざ福島に来たのか、と面白くは無かったですよね。別にそれほどの影響というか、この辺りは浜通りに比べればそれほど放射線量が高かったわけでは無いのにね。食べ物にしたって、全部検査しているのは全国で福島県だけだから。店で販売されているものは全て検査をクリアして安全なもの。むしろ他県より安全なんだよ」

顔は笑っていたが、明らかに不快感がにじんでいた。

原発事故から2年後の2013年からは、「信夫三山暁まいり」の初日に「福男・福女競走」が行われるようになり、初代福女は中学生。今年も福島市内の中学生が福女になった。

地元で暮らす人々にとっては、街のシンボルである信夫山がいまだに汚染されていると思われるような状態は確かに不愉快だろう。だが一方で、信夫山中腹のユズ畑で、筆者が持参した線量計は場所によっては0.3μSv/hを上回った。さらに山を登ると、公園の奥には除染で取り除かれた汚染土壌などが仮置きされて搬出の順番を待っている。残念ながら、原発事故の影響は今も続いている。出荷制限などほど遠いユズの状況がそれを端的に物語っている。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 2020年〈原発なき社会〉を求めて

「ご質問頂きました聖火リレーについてですが、ルート選定などの会議は全国統一でメディア非公開で行われております。決定までの経過などに関しましては、秘匿情報もございますし、違う形で情報が公開されてしまいますと、混乱のもととなります為に、決定事項のみメディアの皆さまへは発表させていただいております」

民の声新聞2月10日号(徹底した〝秘密主義〟のベールに包まれる聖火リレー。「ふくしま実行委」の議事録ほぼ全面黒塗り。背景に組織委の意向)の執筆にあたり、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の戦略広報課に質問をメールで送っていたが、その回答がようやく届いた。冒頭の文章が組織委からの回答だ。

 

だが、筆者が質問していたのは次の2点だった。

「福島県に聖火リレーのルート選定などに関して取材したところ、『大会が終了するまでは会議の内容や出された意見など一切公表しないよう組織委員会からお願いされている』 との事でした。これは事実でしょうか。また、実際にそのような依頼をされているとしたら、その理由は何でしょうか?」

その意味で、組織委員会は全く質問に答えていない。そもそも「秘匿情報」とは何を指しているのか、「混乱のもととなる」と言うが、どのような「混乱」を想定しているのか。全く分からない。

きっかけは、1月23日付での公文書開示請求だった。

福島県は2018年8月から今年1月までに計8回、「東京2020オリンピック聖火リレーふくしま実行委員会」(以下、実行委)を開いているが、その議事録はホームページなどで広く県民には公開されていない。そもそも議事録が存在するのか否かさえ分からない。そこで情報公開制度を利用して議事録の開示を求めたところ、ほぼ全面的に黒塗りされた状態で開示されたのだった。

別紙で示された「開示しない理由」には、

①「東京2020オリンピック聖火リレーの県内実施詳細等の審議、検討又は協議に関する情報であって、検討段階の情報を開示することにより、率直な意見交換若しくは意思決定の中立性が損なわれるおそれ、又は、不当に県民等に誤解や混乱を与えるおそれがあるため」、

②「県の機関、国及び他の地方公共団体等が行う事務又は事業に関する情報であって、当該事務又は事業の性質上、開示することにより、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるため」と記されていた。

わずかに開示された部分からは、各委員にはメモや資料持ち帰りまでも禁じている事が分かる。聖火リレーの準備は徹底した〝秘密主義〟で進められていたのだった。

実は開示請求をした直後、福島県オリンピック・パラリンピック推進室(以下、推進室)の担当職員から筆者あてに電話があった。

「組織委員会の意向に従い、委員の発言はほぼ黒塗りで開示する事になりますが、それでも良いですか? 他からの開示請求でも同じ対応をしています。どうしますか? 請求を取り下げますか?」

もちろん、各委員の発言を伏せられるのは承服出来ないが、かといって取り下げる理由にもならないので改めて開示を請求した。県の担当者は、電話越しに「では、開示する事になると思いますが、大部分が黒塗りになりますので、何卒ご理解ください」と念押しした。そして、開示された83枚にわたる議事録は、〝予告〟通りに真っ黒だったというわけだ。

そもそもなぜ、聖火リレーのルートやランナーについて話し合う会議での発言が隠されなければならないのか。取材に応じた推進室の佐藤隆広室長はこう答えた。

「文書は特にいただいておりませんが、組織委が全国の都道府県に対して議論の過程は公表しないよう『お願い』していると聞いています。その『お願い』にどこまでの強制力があるかについては各都道府県の受け止め方にもよると思いますが、全国統一で組織委がそのような『お願い』をしている以上、それに沿った対応をしようという事です」

福島県は、〝復興五輪〟や聖火リレーを起爆剤として、国内外に「原発事故から立ち直った福島の姿」を発信したい考えだ。内堀雅雄知事は、事あるごとに「福島県の『光』と『影』の両方を正確に発信したい」と口にしているが、実際にはスポーツの祭典は「光」ばかりの発信に使われる。

 

福島県の市町村

公表された聖火リレーのルートからは、フレコンバッグの山や家屋解体でさら地が増えている様子などは伝わらない。浪江町に至っては、町民の帰還や生活と何ら結びつかない「水素工場」や「ロボットテストフィールド」がルートに選ばれた。また、著名人を対象とした「PRランナー」にはTOKIOやしずちゃん、大林素子など6人1組が選ばれたが、誰が、どの立場で彼らを提案し、それに対してどのような意見が出されたのか、他に候補者はいたのかなど、全く県民には知らされないまま結果だけが伝えられる。原発事故はもはや過去の話にされるのだ。

推進室の佐藤室長は、議事録は行政文書にあたると認めている。それであれば公開の是非は県の判断で決められるべきだ。だが、実際には公益法人であるところの組織委の意向が大きく影響している。これは、公文書開示の点からも問題があるのではないか。

組織委は全国統一での「非公開」だけは認めた。しかし、なぜ議論の過程を明らかにしないのかについては曖昧なままだ。五輪に乗じた〝復興推進〟の陰で、救済されずに泣いている人が存在する事など隠され、消されていく。原発事故の被害者たちは「オリンピックで何もかも終わった事にされてしまう」と言い続けて来たが、まさにそれを象徴するような議事録の黒塗り。徹底した〝秘密主義〟の下で都合の悪い事は黒く塗られていく。原発事故被害者の存在も。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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