◆自転車で健康を

今回、大会会場の調査はロードバイク(ロードレース用スポーツ自転車)の移動で行なった。ひと頃の自転車ブームは去ったけれども、年間販売数900万台(うち、国産100万台)といわれる自転車は、やはり国民の足である。欧州ではサッカーやラグビーを凌駕する、ナンバーワンスポーツと言われる自転車競技も、しかし日本ではそれほどでもない。

トライアスロン・ビーチバレー会場のお台場海浜公園は、まるごとすっぽり何百メートルもフェンスで封鎖されていた。地方からの警察官は言い渡されているらしく「こんにちは」と挨拶をします

24日の男子レースでは、国内に敵なし(欧州で活躍中)の新城幸也、増田幸一が下位に沈んだ。ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスを競う欧州の第一線の選手たちの実力を、あらためて思い知らされた感じだ。レースの平均速度で40キロ前後、最大スピード70キロ以上という、平地では人間の自力でもっとも速い乗り物。高速の駆け引きとチーム戦略。その醍醐味が日本で理解されるには、日本人スーパースターの登場を待たなければならないのだろうか。

レースはともかく、自転車の健康効果をここでは確認しておこう。その最大の利点は、スポーツ障害が出やすい膝・腰への負担のなさである。フィットネスをやってみたのはいいが、腰に負担がきてやめてしまう。これが運動をしなくなる大きな原因のひとつだ。膝への負担・故障も甚大なものがある。大相撲の力士の大半、一般の中高年者はほとんど膝に不安をかかえている。

腰はそれ自体として鍛えることは不可能だが、腹筋と背筋を鍛えることで腰への負担が軽減できるのだ。日常的な生活で、椅子に座っての仕事が多い人はバイク(自転車や自転車型の器具)で腹背筋を鍛える必要がある。

回転運動で膝に負担を与えずに、下半身の筋力(全体の70%)を鍛える合理的な方法は、管見では自転車しかない。たとえば85歳のサイクリストが、ふつうに歩くのは杖なしには厳しいが、自転車なら何十キロでも可能だとか、そういう例は枚挙にいとまがない。

よく走り、よく食っているので最近は効果が感じられなくなったが、自転車によるダイエット効果は甚大である。だいたい50Kmから70Kmほど、負荷をかけて走れば、春秋シーズンで2キログラムは減量できる。ただしこの効果は、500グラムのグリコーゲン(グルコース-6-リン酸として燃焼)、そのグリコーゲンを内蔵と筋肉中に保持するために必要な1.5キログラムの水を消費するからで、糖質と水分補給をすることで、体重はもとにもどる。

のんびり走っても100Kmも走れば、やはり2キロ+の体重減は実現できるが、このときに内臓脂肪・皮下脂肪をどれだけ減じられるかが、体脂肪率の減少につながる。いずれにしても、100Km走ったあとに生ビール(ナマ中500ml)を4杯ぐらい飲めてしまうのは、上記の水分消費効果なのである。ちなみに、汗腺が開いている状態では汗がひかず、4杯飲んだあとにまだ何杯でもいけることになる。この日、炎天のなかを千葉から都内・都心を75Kmほど走り、わたしの体重は3キロ近く減っていた。すぐにビールとパンで「回復」しましたが……。

◆警備費用は大会開催費の大部分ではないか

さて、東京オリンピック・パラリンピックの「無駄な警備」の現場検証である。地方からの派遣組の宿泊拠点は、おそらくホテルでの感染をおそれてか、プレハブの仮宿泊施設として建てられていた。

夢の島にあった警察の宿泊施設。プレハブながら、冷房完備である

圧倒されたのが、お台場海浜公園(トライアスロン・ビーチバレー会場)をすっぽりとフェンスで覆ってしまっていることだった。もう何百メートルも、フェンスで完全に封鎖されている。ロープを張れば済むことで、こんなことをする必要はあったのか。

海浜公園から道路をへだてたショッピングモールから、封鎖された海岸線を遠望。右上がレインボーブリッジである

サービスショットと申しますか、お台場で踊っていたサンバの方々。健康そうなお尻がまぶしい

有明テニスの森(テニス会場)です。大坂なおみ、錦織圭、ジョコビッチなど有力選手が出入りする会場入り口は、カメラを持った人たちでいっぱいでした

有明テニスの森に派遣されている自衛官

◆自衛隊が出動した「法的根拠」は何なのか?

8500人も動員されているという自衛官を見かけたので、その出動形態がどのようなものなのか。考えてみましょう。もちろん「法的な根拠」である。自衛隊の出動には、いくつかの法的根拠が必要だ。いや、法的な根拠は自衛隊にかぎらない。

わたしが五輪会場を「調査」(眺めて写真を撮っているだけだが)しているのは、国民の知る権利、報道・思想表現の自由、公道往来の自由、個人の自由権などの法理論的な根拠に支えられている。不要不急の外出を控えよ、という行政指導に従わないのは、上記の権利がそれに勝ると考えるからだ。その行動は、交通法や他人の権利を侵害しない、緊急時には司法警察官の支持に従う、などの限定的な権利でもある。法治国家である以上、すべての行動・言動は法的根拠に基づいているのだ。
それでは、今回の自衛隊出動はどのような「法的根拠」によるものなのか。自衛隊法にさだめる出動形態を検討してみよう。

■まず、自衛隊の本来の任務である「防衛出動」(自衛隊法67条)。わが国に対する外部からの武力攻撃が発生した場合、あるいは攻撃の明白な切迫がみとめられる場合、である。命令権者は、内閣総理大臣となる。領空・領海侵犯にたいして警戒行動が命令されることはあっても、防衛出動が命じられたことはない。防衛出動が他の行動と区別されるのは、武力(戦闘行為)をともなうからだ。

■つぎに「国民保護等派遣」がある。これはやや抽象的で、77条の条文には「国民保護法の規定により国民保護措置を円滑に実施するため必要があるとして都道府県知事から要請を受けた場合において事態やむを得ないと認めるとき、又は武力攻撃事態等対策本部長(緊急対処事態対策本部長)から求めがあったとき」とある。解釈の幅が大きい分だけ明解さに欠け、使いにくい命令といえる。命令権者は防衛大臣になる。

■「治安出動」(78条)は、間接侵略という規定がある。三島由紀夫が自衛隊の治安出動に、共産主義者(三派全学連・反戦青年員会)によるデモ騒乱を外患誘致(外国の侵略行為の支援)として、この条項の適用を展望していたものだ。じっさいには、当時の自衛官の証言によると、自衛隊のデモ規制は警視庁機動隊の足元にも及ばなかったという。そして、デモ隊に銃火器を使用する段階では、もはや政府が崩壊に瀕しているとみるべきであろう。ひるがえって、一日に数千人が逮捕されていた時代にも、そこまで至らなかったのだから、現実的には革命が幻想だったのと同じように、自衛隊の治安出動はありえない。

■一般になじみのある「災害派遣」(83条)は、国民が自衛隊に最も取り組んでほしい出動形態であろう。その卓抜した重機材と工兵能力をもって、災害救助を主任務にしてもいいくらいだ。都道府県知事の要請にもとづき、防衛大臣またはその指定する者が命令権者となる。

■今回の出動の法的根拠として考えられるのは、おそらく「警護出動」(81条の2)であろう。条文は以下のとおりだ。

「自衛隊の施設や在日米軍の施設・区域において大規模なテロ攻撃が行われるおそれがあり、かつ、その被害を防止するため特別の必要があると認める場合」

命令者は内閣総理大臣だが、この命令手続きがキチンと行なわれているのか。そして「大規模なテロ攻撃が行われるおそれ」が、具体的にどこに認められるのか。その根拠が問題なのだ。「大規模なテロ攻撃」をすると主張をした運動団体の存否、またその可能性。これらをもとに違憲性・違法性の実態を報じつつ、国会での議論に期待したい。違憲・違法出動の可能性が高いと指摘しておこう。

バレーボール会場の有明アリーナの駐車場。白いクルマのカラーリングが大会車両で、警備関係の駐車場にはものすごい台数が駐車してあった

すいません、ファインダーに指がかかってしまいました。神宮外苑の銀杏並木です

周回道路までたどり着く前に、厳重な交通規制

道路そのものにバリケードを建て、外苑には一歩も入れない状態。この無意味としか思えない、厳重さの目的が知りたいものです。ふだんここは、日曜日にサイクリストの周回コースになっている場所です(了)

《現地報告》猛暑の中で始まった呪われた東京オリンピック・パラリンピック
[前編] http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39617
[後編] http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39650

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなき『紙の爆弾』『NO NUKES voice』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

いよいよ、呪われた東京オリンピック・パラリンピックが始まった。大会の問題点はともかく、まずはアスリートたちの健闘を祈りたい。スポーツ(肉体をつかって戦うこと)が食事とともに人間の生存の本源であり、ルールのもとに競い合う文化であることに疑いはないからだ。

◆「日本を代表する」プロデューサーやクリエーターの多くが、差別者で構成されていたという事実

とはいえ、コロナ禍での開催そのものをめぐる賛否両論、当初のコンパクト予算の大幅オーバー、大会ロゴの盗作問題、メイン競技場の設計やり直し。フランス当局の捜査によって明らかになるも、いまだ闇のままのアフリカ票買収──。いや、カネだけではない。

会長の女性差別発言による退任、女性侮蔑ディレクターの辞任、開会式作曲担当者の障がい者イジメ自賛事件による相次ぐ辞任、閉開会式のショーディレクターの歴史認識による解任と、これほどトラブルに見舞われた大会もめずらしい。

会長は老齢で価値観が古いから仕方がないとか、もう20年も前の発言だからとか、当時の価値観では許されたとかは、何の免罪符にもならない。弾劾されているのは、かれらの過去の言動が、現在の「公的な立場」に耐えないという理由なのだ。逆に言えば、辞任と解任で、かれらは責任を取ったことになる。

いずれにしても、大会の裏方スタッフの大半。すなわち現代の「日本を代表する」プロデューサーやクリエーターの多くが、オリンピック憲章にもとる差別者で構成されていたことになる。

その弁明も「言葉選びの誤り」などというものであれば、何ら差別・排外主義の歴史認識を捉え返したものではない。わが国の近現代史教育の脆弱さが課題として浮上したかたちになった。

もはや東京の街に、祝祭の空気はどこにもない。心ある人々は日本社会が差別排外主義に毒され、あるいは責任の所在が明白ではないがゆえに止められない大規模プロジェクトに、茫然としているばかりだ。

◆失敗した五輪の実態を刻印する

だが、いかに悲惨なオリンピックになろうと、ジャーナリズムが手をこまねいているわけにはいかないのである。あまりの酷さを感情的に嘆いてみせても意味はない。

クーベルタン男爵の国境をこえたスポーツによる平和の理想、スポーツと知性のうえに哲学的地平を拓いた古代ギリシャの理想が、すでに国家主義(ナショナリズム)と商業主義(スポンサーが開催形態を決定する)によって、地に堕ちていることこそが問題なのだ。

にもかかわらず、人間がスポーツをするという本源的な営為までが、地に堕ちたというわけではない。いや、危機に瀕しているからこそ、オリンピックの精神は復権されなければならないのだ。個人参加による、参加することに意義があるというテーマの復権である。

スポーツそれ自体の素晴らしさは、アスリートやスポーツ経験のあるひとだけのものではない。スポーツを観戦することで感動を得る人にとっても、ひとしく謳歌されるべきものだ。そして、少しは身体を動かしてみようとなればよいのだ。さあ、今日から走ろう!

◆戦争とオリンピック

周知のとおりオリンピックには、独自の政治的な意義もある。看板に掲げる「平和主義」という「政治性」である。手続きとしては国連決議による、オリンピック・パラリンピック期間中の戦争・紛争地域の無条件停戦協定である。日々、砲弾や銃火におびえる人々が、少なくともオリパラの約一カ月は安心して眠れることになる。1985年のユニバーシアード神戸大会で、山口組と一和会の暴力団抗争が停戦になったことはあるが、オリンピック以外のスポーツ大会で戦争が停戦になることはない。

と書いていたところで、開会式の国旗掲揚に自衛隊が動員されていた。裏方の演奏隊ならともかく(大相撲では日の丸演奏が常態化している)、平和の祭典の開会式の根幹をなす国旗掲揚に、なぜ軍隊(自衛隊の国際的認知)が登場するのか。日本政府は明確な説明を求められるであろう。解任されたユダヤ人大量虐殺ディレクターの置き土産というわけなのか? 

自衛隊は警備や医療支援をふくめて8500人が動員され、閉会式にも登場するという。いまこそ「君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ!」という吉田茂の名言を復権するべきであろう。

◆「不敬」かそれとも穏当な措置か

もうひとつ、開会式では愕くべき事態が起きた。大会名誉総裁を務める天皇がご起立して開会宣言をされている時、天皇とならんでいた小池知事と菅総理の2人が、ともに椅子に座ってこれを聴いていたのだ。途中でこれはまずいと気付いたらしく、小池都知事が立ち上げり、ついで菅首相が立ち上がった。

この場面がバッチリ全国中継されてしまったことで、2人には批判が集中しているのだ。SNS上では「不敬」「非礼」などという言葉が飛び交っている。政治家を天皇が任命する以上、日本の憲法では天皇が上司とされる。身分が違うという指摘もあろうが、天皇は単に「国民統合の象徴」であって、ことさら身分が上と規定しているわけではない。国事行為とは形式的なものにすぎないのだ。

したがって、当初のごとく坐って聴いていても何ら非難されるべきものではないが、天皇を元首にしたい自民党の総裁、そして思想的には自民党と何ら変わりなく、単に権力争いをしているに過ぎない小池にとって、この事態は大失態と言うしかない。天皇への敬意をめぐって、保守論壇の中で真っ向から議論してもらいたいものだ。

いっぽう、日本の組織委員会が果たせなかった多様性の容認と調和、あらゆる差別への反対、社会的連帯という目的も、イベントに掲げられる意義はきわめて大きい。というよりも、日本の大会組織委員会が無知を晒したからこそ、これらは人類の叡智として、改めて刻印されるべきであろう。

そこでわれわれはジャーナリストの端くれとして、その英邁な人類の理想と東京五輪がいかにかけ離れ、国家のメンツのためにだけ開かれているかの現実を、現地からレポートしなければならない。もって批判の実質とするべきだ。

それは21世紀初頭の日本社会の現実を、顕わにすることにほかならないのである。という大仰な理由づけで、オリンピックの東京をレポートします。

◆警備予算獲得のために危機を煽る警察庁の首都戒厳令

2008年の洞爺湖環境サミットいらい、警察庁の警備予算獲得のためのパフォーマンスには異様なものがある。

反グローバリズムのNGO団体や環境団体が国境をこえて押し寄せてくるCF、機動隊のガンダム戦闘服への刷新、過剰なデモンストレーション的な緊急搬送訓練など。かつて暴力団抗争や左翼の武装闘争が激しかった時代の、28万人体制を維持するために、過剰な海外情報で危機感をあおり、予算の獲得にこれ努めてきたのである。

本気でやるつもりもない工藤會壊滅作戦や、こちらは本気で反対運動つぶしを狙う沖縄辺野古基地警備、その中で自治体警察の枠をこえた動員体制、全国派遣というシステムをつくり出してきたのだ。

動員される警察官にとっても、なかば旅行気分の派遣(ホテル暮らし)は、出張費もふくめて美味しいものだといえよう。

もう13年前になるが、洞爺湖サミットに「自転車による環境保護・原発の安全基準の見直し」をもとめて自転車キャラバン(ツーリング洞爺湖・1500キロ走破)を実施したさいにも、大勢の公安警察官がわれわれサイクリストの「警備」に動員され、あるいは自転車持参で同道したものだ。われわれは自弁の旅だが、かれらは公費の旅という道中だった。

必要のない警備に動員される警察官たちにはご苦労様な反面、警察庁のエリート警察官から末端の機動隊員まで、かれらは国民の税金を好きなようにむさぼっているともいえる。生産に従事している国民が困窮しているとき、最も生産性のない連中が大手を振っているのだ。

警察の業務を「犯罪捜査」に限定したとき、その役割は国家の根幹を占める重大なものがあるのは確かだが、日本の警察はその能力に頼りないものが多い。そればかりか、冤罪を生む見込み捜査や初動捜査の遅れは甚だしいものがある。そして道案内や警備などを「サービス業」とみなした場合、あまりにもお粗末なシステムではないか。私自身が満足な住所案内を受けた経験はないし、スマホのマップ機能が平常であれば、もはや交番で道を訊くという選択肢はなくなった。

警備を「サービス業」にみなした場合、警棒と拳銃で武装した暴力装置の危険性にその問題点はおよぶ。ヤクザですらしない武器による威嚇が、はたして穏当に行なわれているのか。警察官不祥事、とりわけ警察官における性的犯罪は職業病と認定する心理学者もいるほどだ。このような組織が予算獲得のために五輪のようなイベントを梃子にする。これこそ監視しなければならない課題なのだ。

そこで、会場レポートを警備、とりわけ警察官の動員に絞って行なおう。まずは葛西臨海公園内のカヌー・スラローム会場である。

写真を撮ろうとすると、そそくさと立ち去ろうとする警察官

同じく葛西公園。ここに動員されている警察官は香川県警であった。やはり全国動員で予算を獲得しているのだ

夢の島(夢の島の森公園)内のアーチェリー会場。青いジャージが大会公式ボランティア。この青ジャージは誰でも買えるというわけではなく、将来はプレミア価格が付くという。指令があって動員されているのだろうが、所在なさそうにウロついているボランティアも散見された

アーチェリー会場の正面。警察官の姿ばかかりではなく、わたしと同じように見学に来ている人も少なからず。ここは長野県警の担当だった。八戸ナンバーのカマボコ(昔の学生運動用語で、機動隊バス)も見たので、青森県警も来ているのであろう

BMX(自転車曲乗り)の会場がある豊洲地区。至近に有明テニスの森(テニス会場)。このあたりは愛知県警でした

豊洲大橋は渡れませんでした。この先に選手村があるからでしょう。貸し切りバスは選手団用で、大会関係車両というシールが貼ってある。やむなくお台場方面(ビーチバレー)を調査し、晴海大橋から都心に入ることに(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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◆あたかも人体実験を行うように

76年前、1945年8月6日午前8時15分広島上空で、大量殺戮を目的とした人類史上初の原子爆弾が投下され、爆発した。爆心地直下のひとびとは即死し、数万人が火傷を負い、苦しみながら死んでいった。あの戦争を「大東亜戦争」と呼び、中国から戦火を広げてゆき、無謀にも米国までに戦争をけしかけたのは、「大日本帝国」だった。だから米国内にはいまでも「あの戦争を終わらすために原爆は必要だったし仕方なかった」と本気で考えるひとびとがいる。

「ヒロシマ・ナガサキ」は世界で通じる原爆や核兵器の恐ろしさを伝える、象徴的な都市名となり、直接の被爆者だけではなく、世代をまたぎ健康被害が発生することも確認されている。あたかも人体実験を行うように、その姿を観察している連中がいる。

原爆をはじめとする核兵器は廃止すべきだ、との意見や国際的な潮流は確実に広がりつつある。他方10年前に世界で初めての原発4機爆破事故により、首都圏壊滅の危機に瀕したことすら忘れて、原発の再稼働にやっきになり、運転期間を40年から60年に延長し、それでも飽き足らず「60年以上の運転を認めたい」と真顔で狂気を語る政府のもとで、わたしたちは生活を余儀なくされている。

◆『成功物語』を演じ切りたい彼らの目論見

「東京五輪」をわたしは1945年8月6日を引き合いに出し、あの日に相当する惨禍と、あとから振り返れば「とんでもない出来事」と評されるに違いないと断じてきた。その思いは変わらない。五輪は「これでもか、これでもか」とテレビで中継されるだろう。参加選手の「個人史」を美化することにより、安っぽい感動を数限りなく創作しようと、テレに制作会社スタッフは夜を徹して準備に励んでいることだろう。新型コロナに感染した選手が半ば行方不明になったり、開会式の作曲を担当していた人物が、過去のいじめ加担で直前に外されたり細かなインシデントは数限りなく発生するだろう。

しかし、大地震でも来なければわたしは、きょうを限りに「東京五輪」について書くことを一切やめる。「東京五輪」はそれが薄っぺらな感動物語であれ、スキャンダルであれ、注目されることを欲しているからだ。奴らの目論見はもちろん「カネ」であるが、「なんでもいいから国内外の注目を浴びて、結果的に禍々しさを忘れさせ『成功物語』を演じ切りたい」との目論見があるとわたしは睨んでいるからだ。

この原稿を最後に「東京五輪」については、大地震でも起こらない限り私は言及することをやめる。じつはそれが、個人が取りうる自身にとってミニマムではあるが有効な態度ではないか、これがわたしの結論だ。

◆「TOKYO CHAOS」混沌の中の地獄

1945年8月6日から同年8月15日までは、10日もない。結果はもうわかっているのだ。東京を中心としてコロナは爆発的に感染を広め、五輪参加選手や大会関係者の感染も多発するだろう。テレビや新聞はそれでも「感動物語」の創出に熱心で、五輪に懐疑的なひとびとを、圧倒的な量の「感動物語」が包囲してゆく。灼熱の中、マスクをして行き交う生活者の中からは、交通規制や予期しないトラブルで熱中症がひっきりなし。五輪を強行しようとする連中の予想を超えたメンタリティーが東京を中心に生じるかもしれない。

コロナがなくても外国からの「要人」来訪には、厳重な警備が用意される。開会式には複数国から警備を必要とする「要人」がやってくるのだろう。千葉県警と、警視庁はその警備だけで大忙しだ。しかもなにを考えたのか、WHOのテドロス・アダノム事務局長が来日し、IOCの会議に出席した! WHOはいつから、犯罪組織に変わったのだ。これから数週間の概観は、「東京五輪」を中心とした「TOKYO CHAOS」が展開されるに違いない。そうとは気づかぬ向きも多いかもしれないが、混沌の中の地獄だ。

こうやって「灼熱下の血も凍る悪魔の祭典」は進行してゆく。わたしの体温は外気と反比例にますます下がる。この国は、そして世界はどこまでも堕ちてゆく。論じる価値からはるかに外れて落ちてゆく。五輪に関する限り、あらゆる細部を論じることはまったく意味がない、これ以上連中のレベルに引きずり降ろされたくはない。

敗戦後の準備をなるべく早くはじめることだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

新型コロナウイルスの感染者は、7月の中盤に東京では1000人を超え、「東京五輪」が強行開催されれば、その開始時点で東京を中心に、医療機関は逼迫し、開催中には海外からやってきた五輪関係者にも感染者が相次ぎ、間違いなく混乱が起きるだろう。わたしは第四波までの感染者の推移を眺め、素人ながら過去の感染者数の増減と地域的な広がりを参考にそのように予想していた。

感染者は東京都で既に1日あたり1000人を超えている。この数はまだ増えるだろう。梅雨が明け猛暑がやってきた関東地方。蒸し暑い風は吹き抜けるが、都心高層ビル屋上のビアガーデンで、凍らせたジョッキに注がれた生ビールを煽って「クーッ! 課長! やっぱり夏はこれに限りますね! ワッハハハ!」ってな息抜きも許されない。

◆こんな状況でいったい誰が「東京五輪」をテレビで視聴するだろうか

テレビは面白くもないバラエティー番組を、ひな壇芸人の数で埋め合わせようとして、結局まったく面白くなくなった苦い経験を忘れたかのように、連日「五輪中継」や「五輪の話題」を盛り上げようとエネルギーをつぎ込むだろう。でも会場には観客はいない。声援も上がらない。見たい番組があろうがなかろうがテレビをつけっぱなしにしているのが習慣化しているのは、きょうび高齢者に限られる。

専業主婦はスマートフォンを手に入れてから、徐々にテレビから離れた。昼(昼下がり)の時間帯に「メロドラマ」がめっきり少なくなったのはそれが理由だろう。子供たちは夏休みになったって、外遊びをするわけではないが、かといってゲーム以外で液晶に向かうことはない。多くの勤労年齢成人はリモートだろうが、通勤だろうが昼間は仕事に就いている。

さて、こんな状況でいったい誰が「東京五輪」をテレビで視聴するだろうか。いい方を変えよう、誰が「喜んで」あるいは「期待をもって」「東京五輪」をテレビで視聴するだろうか。例えば開会式は中継されるだろう。実際のところ「いったいどんな開会式やってるんだか」あるいは「事実をもって批判するためには、自分の目で見ておかないと」という動機で視聴するひとが、大勢になるのではないだろうか(わたしは自宅にはテレビがないので、五輪があろうがなかろうがテレビを見ることはない)。

◆わたしたちの頭脳は記憶を留める能力を、著しく失っている

7月16日IOC会長バッハが広島を訪問した。報道や個人的に聞くところによれば、異例の厳戒態勢での受け入れであったにもかかわらず、平和祈念公園周辺だけでなく、複数個所で抗議行動が行われたようだ。地元広島市民の受け止め方も、冷めたものだったようだ……。

さて、いよいよ酷暑下で「血も凍る悪魔の祭典」が行われる。会場となる東京都にとっては、自殺行為にも近い「血も凍る悪魔の祭典」。人間の退化と理性喪失の象徴、嘘っぱちの感動物語、資本による利益追求の究極形、そして永年機能してきた通りの世論操作装置。

これから数週間の間に、様々な事件が起こることだろう。そしてそれらは重大な事件であっても、数日もせずに忘れ去られてゆく。おそらく数週間ではなく数日だ。なにも五輪が特別なわけではない。情報処理速度が高速化するにしたがい、大惨事であってもわたしたちの頭脳は記憶を留める能力を、著しく失っているからだ。たぶんこれは、液晶を毎日目にするひとびとにとっては、世界共通の現象だろう。

検索することなしに、鳥取地震、熊本地震、大阪北部地震、広島大水害、新潟地震、岩手内陸地震それぞれの発生年月を即答できる読者はどのくらいいるだろうか。わたしだって全問回答はできない。でもこれらの自然災害はいずれも20世紀の後半では阪神大震災だけに匹敵する揺れや被害を引き起こしている大災害だ。でも、わたしたちは、各被災地にお住まいか関係のある方ではない限り、重大災害の発生年すらそらんじられない。

災害だけではなく、出来事(事件)でもそうだ。「血も凍る悪魔の祭典」を招致した時の、東京都知事は誰だったか。本通信読者の大半はご記憶であろうが、ではその前の東京都知事は誰で、どのような理由で辞任したか。その前任者は? このあたりにくると怪しくなってくるのも仕方あるまい。大阪五輪招致など大阪人でも忘れているかもしれない。

◆わたしの体温は徐々に下がってゆく

1週間ほど前、名神高速道路で偶然奇妙な光景に遭遇した。東京方面に向かって兵庫県警の機動隊員輸送車が最低4台とワゴンが数台走っていたのだ。断言はしないがあれは「東京五輪」警備の応援に、兵庫県警が派遣した警察官を運送していたのだと思う。全国動員とは言わぬまでも、警備の警察官もかなり広域から東京に集中するのだろう。

関西もどうやら梅雨明けのようだ。最高気温はこの夏最高近くになるかもしれない。だがわたしの体温は徐々に下がってゆくように思う。「血も凍る悪魔の祭典」はそれに関わるすべての出来事、ひとびとに禍々しさを感じる。

わたしはこの大会に出場する選手、役員、大会関係者あるいはボランティアを、国籍を問わず特別視して免罪するつもりはまったくない。ひとりひとりは人格と判断能力を持った人間なのだ。IOCの役員連中と同じく、ひとりひとり自立した人格として捉えるのが、平等というものだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

地方在住のK氏は、ご自身がオリンピック出場経験を持つ。長年熱心にスポーツ指導に当たっている方だ。マイナー競技のため、もともと練習環境が良いとは言えず、コロナ禍においてはもちろん特別な優遇を受けることもない。K氏は元々オリンピック選手育成を目標の一つに活動を続けられてこられた方である。つまりわたしのような「五輪反対」論者ではない。

しかし、1年以上感染予防対策を厳守しながら、地道な練習指導が余儀なくされるなか、K氏は選手や家族、地域の方々の健康を守ることが最重要と考え、指導を続けてきたが、コロナ感染拡大下での、オリンピックの強行開催に疑問を抱き始めたという。ちなみにK氏が五輪に出場した時代は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)がまだ治療薬も発見されていない時代で、細かな注意が与えられた記憶があるという。

五輪開催が現実となりつつあり、政府の対応に疑問がわいたK氏は、直接政府に意見を述べようと、頻繁に目にする感染防止の広告に記載されていた『内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室』に電話をかけて自らの思いを伝えた。

このやり取りは、録音を含め匿名を条件にK氏からご提供いただいたものを、わたしの文責でまとめたものだ。元の会話は20分を超えるが、中心点だけをまとめた。会話節々に見られる、担当者の逡巡と、本音。そして担当者の最後の発言に注目していただきたい。

◆オリンピックはこのままやるんですか?

K氏 今はコロナが大変ですよね。インターネットに内閣官房の「コロナに気を付けましょう」という広告が出てくるので、確かにそうだなと見ているのですが、一方で、オリンピックはこのままやるんですか?

内閣官房 私の知っている範囲では、そういうふうに報道されていると思います。

(K氏が地方に住んでいるけれど、気を緩めずに感染予防対策を守っていることを説明)

K氏 オリンピックはやるんですか?

内閣官房 私は内閣官房の新型コロナ感染症対策を進める部署にいるので、オリパラをどういうふうに開催するかを決定する部署とは別の部署です。私も報道ベースでしか存じ上げないのですが、現時点では残念ながら開催されるということは知っているというところです。

K氏 今「残念ながら」とおっしゃいましたけれども、感染対策をしていらっしゃる方からすれば、日本の中でも「動かないで」と言っているのに、海外から10万人も来たらコントロールできますか。

内閣官房 個人的な見解ですけれども、なかなか難しいと思います。(略)

◆病気に役所の垣根は関係ありません

内閣官房 我々はオリパラの直接的な対策を主唱している部署ではなく、水際対策でしたら厚労省さん中心、オリパラの具体的な運営は丸川大臣のところとなっています。

K氏 お役所的にはお仕事の分け方があると思いますが、病気に役所の垣根は関係ありませんので、病気が増えてきた時には、結局対応しなきゃいけない人がしなくてはいけなくなるのではないでしょうか。今電話に出ていただいている方がなさっていることがおかしいと言っているわけではないんです。政策というのは、基本は同じところを向いていなかったら一生懸命やっていたって、それが成立しないのではないでしょうか。特に感染症で私たちが知らないような体験をしているわけで、それを従来通りの「自分の仕事はここまで」とか「自分の職掌はここまで」と、みんなが言っていたら、結局最後は誰も責任を取れなくて大変なことになってしまうということになりませんか。

内閣官房 おっしゃる通りかと思います。

K氏 かと言って、内閣府にお勤めの方は、内閣府のお仕事の範囲でしかできないことはわかります。お役所に勤めている方の厳しさはわかるんですけど、建前でどうにもならないところまで来ていませんか。やめた方がいいと思います、こんな時にオリンピックなんて。感染予防から見たら、オリンピックなんて言語道断ですよ。(略)

◆示しがつかないと思います。運動会などもできない状況ですから

K氏 感染広げたら人の命に関わるかもしれないという意識をもって生活してるんです。家の近所のお店もいっぱい潰れてますよ。その片一方でこれからオリンピックやるって「狂ってる」と思います。「狂っている」という言葉に同意してくださいというわけではないですけれど、感染予防ということから言ったら一生懸命お仕事なさっているところの筋と違いますよね。

内閣官房 私は、政治家の方々が決めたことを粛々とやっていくというのが公務員の立場なので、あまりとがった意見を申し上げられないのですが、個人的にはおっしゃる通りだと思います。示しがつかないと思います。運動会などもできない状況ですから。

K氏 ええ、運動会も盆踊りもみんなやめているわけですよ。それらをやめているのに、昔の東京オリンピックの時と時代も状況も違うのに、普段よそから人を入れないよとやっているのに、世界的にもデルタ株が広がってきているのに。イスラエルがマスク着用の義務をまた復活したでしょ。屋内だけでなく屋外も着用義務を始めましたよね。イスラエルって成人ほとんどがファイザーのワクチンを打ってるわけですから、ワクチンが効かなかったということでしょう。

内閣官房 はい。

◆私もどうかと思います……

K氏 日本は65歳未満の一般の人でワクチンを打ってる人は少ないと思います。ワクチンが効くかどうかもわかりませんが、そこへ人がドッと入ってきたら感染がバーッと広がるのは、火を見るより明らかだと思うんです。予見できない災害というものはありますが、オリンピックで人がたくさんやってこられるということは、素人が見ても「絶対爆発するな」と予見できるわけです。内閣府の感染予防の担当の方からご覧になっても多分それは共有していただけるんじゃないかなと思うんです。

内閣官房 はい。

K氏 何かおかしいですよね。

内閣官房 そうですね。おっしゃる通りだと思います、個人的には。

K氏 お忙しい電話に出ていただいている方にこれ以上私の気持ちをぶつけても申し訳ない。一生懸命なさっているのに。

内閣官房 いえいえ、改めまして感染症対策に日頃から熱心に取り組んでいただいているということが、このお電話を通してよく理解できました。最近はマスクをしないで歩いている方も見かけるので、そういう中でも熱心に取り組んでいただいてありがとうございます。

K氏 お忙しいのに長い時間ありがとうございました。こういうことをちょっとわかっていただきたくて。

内閣官房 個人的にはよくわかります。私もどうかと思います。ぜひ有権者の方々にはしかるべきところに投票していただきたい、本当にそう思います。

K氏 ありがとうございました。

◆「ぜひ有権者の方々にはしかるべきところに投票していただきたい」

「ぜひ有権者の方々にはしかるべきところに投票していただきたい」録音を何度も聞き直したが、担当者は明確にそう発言している。「しかるべきところ」に投票行動が行われていたら、こんな事態にはならなかった、あるいは「こんな事態を招いた政権ではないところに投票してほしい」と理解するのが妥当だろう。貴重な音源を提供してくださったK氏に、深く感謝するとともに、「崩壊したダム状態」であるこの国の現状を再度直視したい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

国民の8割近くが「延期」か「中止」を求めている東京オリンピック・パラリンピックは、無観客(1都3県)で強行開催されることになった。今からでも遅くない、コロナ禍で国民をパンデミックにさらす五輪を中止せよという声は少なくない。

だがこの至極当然で正当な声も、政治の原理と資本の運動の前には通じないであろう。オリンピックが「平和の祭典」、あるいは「人類のスポーツの賛歌」であるとする大義名分の実質が、国威高揚の政治的な場であり巨大ビジネスイベントである以上、世界資本主義(グローバル経済)の存立の一端を揺るがすには至らないのだ。

それは、ぼったくり男爵と呼ばれる人や、五輪貴族と言われる人々の利権が個人的なものではなく、資本の国際的なネットワークの中にあるからだ。

そこで、われわれは単に中止を訴えるだけではなく、オリンピックの理念がいかに歪められ、平和の祭典の名のもとに一部の人間たちが利権をむさぼっているかを、本通信で明らかにしてきた。

講道館の創始者の名前を冠にした財団を隠れ蓑に、膨大な資金が闇に消えていることを、JOCの経理部長の自殺は示唆している。この犠牲者の死を無駄にしないために、ジャーナリズムは巨悪を探り出すのでなければならない。

◎嘉納治五郎財団の闇 犠牲者があばく収賄劇 ── 追い詰められた菅義偉の東京オリンピック(2021年6月15日)

◎会見で何も語らなかった竹田JOC会長の贈賄疑惑が日仏外交問題に発展する日(2019年1月24日)

五輪にかかわる国内企業のなかでも、スポンサーではなく寄生虫のように利権をむさぼっている会社がある。一日数万円という高額の日当を設定しておき、そこかに安価な非正規の労働力をあっ旋することで、中抜きをしているのではないか。その企業のトップは、自民党政権に強力な影響力を持っている男なのだ。この男が経営者として中抜きをしているかぎり、日本の若い世代は希望のない人生を送るしかないであろう。

◎やはり竹中平蔵は「政商」である──東京五輪に寄生するパソナのトンデモ中抜き(2021年6月5日)

そもそも、スポーツの秋に開かれない、真夏のオリンピック・パラリンピックとは何なのだろうか? マラソン走者は完走後にかならず「もどす」という。このアスリートの体調が悪化する異常なレースは、CBSをはじめとする全米放送ネットワークをはじめとするコマーシャルのためのものなのである。

オリンピックに出場するアスリートたちは「オリンピアン」「メダリスト」という称号を獲得するために、選手生命を縮めなければならないのだ。健康をも度外視した競技をスポーツといえるのだろうか。

◎アスリートに敬意がない真夏の炎天下オリンピックマラソン 視聴率のために選手を犠牲にしていいのか(2019年10月4日)

無内容に感情的、情緒的な反対論を唱えたところで、現在の歪められた五輪を批判することにはならない。

あえてオリンピックの原点に立ち返り、商業主義や国家主義(ナショナリズム)を排するものにする。少なくとも近代五輪の精神である「参加することに意義がある」(クーベルタン男爵)を復活することこそ、人類にとってスポーツが生存する上での本能的(生理的)なテーマであり、スポーツマンシップという競技者・競争者を讃える平和の精神の獲得につながる。この理想をもって語るとき、はじめて歪められた五輪を糺すことができるのだ。

◎やっぱりオリンピックは政治ショーだった(2018年2月15日)

専門家の予測によると、8月には東京都のコロナ新規感染者が2000人をこえるとされている。札幌で開かれたマラソンのテストレースでは、県当局の声援を遠慮してほしいとの呼びかけにもかかわらず、沿道は応援客で埋まった。

大規模施設は無観客(小規模では有観客という謎)としながらも、上述した五輪貴族たちは1万人が開会式に詰めかけるという。無観客・テレビ視聴せよという、ほとんど日本で開催する意味のない大会になったいっぽうで、利権をあさる「関係者」たちは新国立競技場の客席を埋める予定なのだ。

この光景を観て、われわれ日本人はアメリカ資本および五輪利権者たちに屈従する、わが国の現状に愕然とするであろう。いみじくも菅総理は、50数年前の記憶(東京五輪でのバレーボールや柔道)を、いまの少年少女たちにも見せたいと語った。2021年五輪はしかし、日本人の屈辱の記憶となる可能性が高い。それも競技においてではなく、主催者でありながら日本人客が参加できないという開催形式においてなのだ。

◆感染者を隠ぺいする

このかん五輪組織委員会は、ウガンダ選手団の飛行機同乗者、フランスの大会関係者、エジプト、ガーナ、スリランカ、セルビアの選手が感染していたことを隠ぺいしてきた。そればかりではない。なんと、選手村に勤務する職員が感染していたことを隠ぺいしていたのだ。しかもその職員たちは集団で飲食していたことが明らかになった。

いや、個々の選手が不注意なのではない。職員が単に飲食することが悪いのではない。コロナウイルスの猛威が収まらず、ワクチンの手配がままならない(失政であろう)なかで、感染者が出るのは当たり前というべきであろう。そんな状況で、人々の密を生み出す世界的なイベントを強行することにこそ、責任がある。それはすでに「政治責任」であると指摘しておこう。

いよいよ秒読みに入った、オリンピック・パラリンピック開催。時々刻々と、その強硬策がもたらす災禍、およびその政治責任を報じていくことを約束しよう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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大きな扉が閉まっている横のインターホンで、中にいる者の親族だと告げる。アルコールで手を洗い、マスクを着用して、「防護服」というのはおおげさではあるが、滅菌処理が施された薄い布をまとう。

まいにち何回か訪れているからか。医療従事者の皆さんは、わたしの姿を確認すると、はじめてこの場所に入るひとに向けるような、細かい注意を口にすることはなく、お互い会釈を交わしながらベットに向かう。

◆集中治療室に踏み入れるたびに

20ほどあるベットに横たわっている患者さんは、いっときも目が離せない状態のかたばかりだ。だからここは「集中治療室(ICU)」であることを、毎回足を踏み入れるたびに実感させられる。

心電図、血中酸素濃度、心拍数を測定するモニターの警報音が、あちこちで間断なく聞こえる。わたしが到着したベットの上の、もうかれこれ10日近く意識のない身内の血圧も、相変わらず怪しげだ。首、手首、横腹など数えたら7か所に管や点滴が入っている。

警報音が鳴る。また血圧が落ちている。ブランケットを持ちあげて、手先と足先を触ってみたら、猛烈に「むくんで」いる。ずいぶん昔に一度だけ偶然接した、水死体の姿とそっくりだ。手のむくみはすさまじい。

「むくんで」いるから、還流を促すために「さする」、「なでる」などすれば改善する状態ではない。腎臓を中心とする代謝機能の低下が末端の「むくみ」となっていることは、二日前にお医者さんから説明をうけた。口には酸素を効率よく肺臓に運ぶための管もはいっている。こんな状態で言葉を発することなどはできるはずもないことをわかりながら、「どうや?」、「しんどいか?」と声をかける。

◆「承諾書」にサインをする

きのうの深夜、病院から電話があり、「腎臓の機能が落ちているから『透析』をはじめたい。異存はないか?」と聞かれた。「もちろん異存はありません。お任せします」とこたえた。そうだ、透析がはじまっているはずだから、「承諾書」にサインをしなければならない。ICUの看護師さんはいつも大忙しだから、部屋を出てから、事務の人に相談することにしよう。

怪我、病気、加齢。理由は様々な命の淵にいるひとたちが、必死の看病を受けている。失礼に当たるのでなるべく視線を向けないように注意しているつもりだが、ここで亡くなったかたは、看護師さんたちがからだをきれいに清めている。もう何人この部屋で亡くなったかたの姿に接しただろう。ICUは大部屋だから、親族の方々は、周りを気にしている。身内が亡くなっても大声で声をあげる場面には接したことがない。

どちらにせよ、ここは「のっぴきならない場所」だ。わたしが日に何度もおとずれたからといって、できることはなにもない。ただそばにいてやりたい、と思うだけで、近くにいるしかない。

◆毎日のように気を失いかける

また慌ただしくなった。気管切開ははじめてだ(隣のベットの患者さん)。手術室までの移動の余裕がないのだろう。カーテンで仕切られているが、見舞いの目の高さから、緊急処置の様子を伺おうと試みれば、みることができる。不謹慎だからこの場は辞すべきだろう。「また来るからな」。返事が返ってくるはずもない身内に声をかけてICUから外に出た。

わたしは妙な体質の持ち主で、この体質と付き合うの長年苦難している。若いころは、意識すればオン/オフの切り替えができたのだが、いまはほおっておくと、体調の悪い人や、精神がつらい人の症状の一部が、勝手にわたしの中に一定時間侵入してきてしまう。病棟に行けばたいてい38度近い発熱をしてしまうし、ICUに入ると、毎日のように気を失いかける。当然体温も上昇し、発疹がでることもある。けれどもわたしは感染症に罹患しているわけではない。病院からはなれてしばらくすると、、発熱も下がり、発疹も消える。これはどこの病院に行っても同じなのだ。

上記の備忘録のようなものを記したのは、一昨年の1月だった。まだ、わたし自身の疾病よりも、身内の看病に忙しい日々だった。あの病院に入院しているひとを、いまは見舞うことはできない。もちろん理由はコロナ感染予防のためである。ほんのしばらく前の記憶のように思われる、あの日々は現実から遠くなった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない
テーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号

先月までは「東京五輪中止」の文字を時々メディアでも見かけたが、いつの間にか問題がすり替えられて「観客を入れるか・入れないか」との不毛テーマに議論が集中しているように感じられる。社風も誌面も主張も異なるはずの、新聞各紙のなかで、明確な「五輪中止」を掲げ続けるものはない(機関紙や個人発行のミニコミを除いて)。

これぞまさに、私たちが懸念してきた「大本営発表」状態の再来と言わねばならない。新聞記者はなにを見ているのだ? なにを取材している? 目の前でデルタ株が猛烈な勢いで広がっているのではないか。空港検疫はほぼ機能せず、「五輪」を錦の御旗にすれば、ほとんど海外からのひとびとは入国してくることができる。

通常時であれば、入管体制は煩くないのが良い。しかし今は特別な時ではないのか。全国各地に常時は発着している国際線航空機の8割以上は運航取りやめになっていて、一般人は日本に居住する人も、海外から来る人も日本を発着点にした「海外旅行」などはできない。

海外旅行どころではなく、東京など大都市をはじめとする飲食店の多くは長期間休業を余儀なくされ、しかしいまだに補償金を手にすることができず休業から、廃業に追い込まれる非常に厳しい状態の真っただなかに置かれている。大手のホテルでも都市部での休館や廃業は出始めており、コロナが仮に終息したとしても、この傷から人々が癒えるのにはどのくらいの時間と、お金が必要なのか想像すらできない。

蒸し暑い梅雨の時期にあっても、マスクをして街を歩く姿は普通であるし、多くの大学ではいまだに半数以上の講義をオンラインによってのみ実施している。つまり、政府が宣言を出そうが出すまいが、市民の(とりわけ都市部に居住したり通勤通学する人々)生活はこの2年ほど常に「非常事態」なのである。入学試験に合格したのに、2年も大学に通えない学生の群れなど今まで私たちは目にしてことがあっただろうか。

新型コロナは次々と変異を繰り返してゆき、どうやら「90%以上有効」とされていたファイザー社のワクチンも変異株の前にはそれほどの効果を発揮できないことが露呈されてきた。世界一接種スピードが速かったイスラエルで、デルタ株が急増しだし、イスラエル政府は解除していた屋外でのマスク着用義務だけではなく、屋内でのマスク着用を再び国民に命令したことから、この事実は伺い知ることができる。

議論を原点に戻そう。感染症に対する基本的な防御措置は「人の流れを止める」ことだ。東京だけではなく、日本のあらゆる都市は今、海外の人々との交流を我慢しなければいけない。

私たちが身勝手にそのように言っているのではなく、政府や各都道府県も相当額の広告費を使い、「感染予防の徹底」を宣伝しているではないか。ならどうして「国策」としてそれに真反対のことを強行しようとするのだ。私たちはことあるごとに「東京五輪」を1945年の日本に例えてきた。7月に入り「観客を入れるか・入れないか」との本末転倒した議論には、心底あきれ返り、再度「東京五輪」は絶対に中止すべきだと、繰り返す。

1945年8月6日、午前8時15分、広島の空は晴れ上がっていた。その後の地獄図絵など誰も想像できないくらい。しかし私たちは「地獄図絵」が予見できるのだ。ならばどこまで行っても「東京五輪反対」を叫び続けるしかない。「観客を入れるか・入れないか」の議論は前提からして間違っている。

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B096HQ5KG5/

私たち『NO NUKES voice』編集委員会は、以下の理由で「東京五輪」を絶対に中止すべきだと考えます。

〈1〉そもそも「東京五輪」は「福島第一原発事故」隠蔽のために企図された悪辣な権力犯罪であること

東京五輪招致が決定したのは、2013年9月3日、アルゼンチンのブエノスアイレスへ安倍晋三首相(当時)が直接出向き「福島の放射能は完全にコントロールされており、健康被害は過去、現在、未来において生じません」との100%虚偽な招致演説を行ったが故でした。有名な「under control」発言です。安倍の演説には「五輪を招致して福島第一原発事故被害を隠蔽しよう」との意図が、明確に見てとれます。

ですから私たちは毎号のように反原発雑誌『NO NUKES voice』誌上で「東京五輪」を徹底して糾弾してきました。「東京五輪」開催に加担することは、福島第一原発事故の被害者・被災者の皆さんと対峙することである、と私たちは考えます。

この問題には「中道」や「妥協」などはあり得ません。大手メディアは福島をはじめ、東北の「復興」と同時に「東京五輪」が、あたかも被災者・被害者を救済するかのような印象操作に熱心ですが、そのような効果はまったくありません。精神論で「聖火リレーに感動した」という個人史を各地方紙は掲載することに熱心ですが、であれば「東京五輪」の陰に隠され、健康被害・生活被害を受けた皆さんの声をどう考えるのでしょうか。

東京電力は実質国営化されながら、福島第一原発の廃炉作業に、今後いったいどのくらいの年月・お金が必要なのか、精緻な計算は誰もできません。日本国家1年の予算を何十倍も超える、膨大なお金と労働力が必要なことだけは明白です。では、そのことをしっかりと伝えてくれる、メディアがあるでしょうか? はなはだ疑問です。

全国紙(朝日・毎日・読売・日経・産経)はいずれも「東京五輪」のスポンサーですし、地方紙に記事を配信する共同通信も「オフィシャル通信社」です。新聞社と資本系列を同じくするテレビ局からは、新聞同様本当に必要な情報は流れません。この閉塞状況により私たちは、原発事故について充分には知りえない、不可思議な世の中に置かれていることを認識する必要があるのではないでしょうか。「東京五輪は福島第一原発事故隠蔽のためのイベント」だと私たちは断言します。


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣のプレゼンテーション IOC総会(ANN 2013年9月8日)


◎[参考動画]滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(ANN 2013年9月8日)

〈2〉欺瞞イベントはコロナ禍でも強行されるのか?

「東京五輪は福島第一原発事故隠蔽のためのイベント」──これだけで、開催に到底賛成できない理由としては充分ですが、そこに「コロナ禍」が加わりました。おそらくはほとんどだれも予想できなかった世界的なパンデミックです。

コロナ感染爆発からまだ2年も経過していませんが、一応「ワクチン」は製薬会社各社が開発したとされています(しかし、通常の薬品であれば課される「動物実験」や「治験」は省略されています)。ワクチンの有効性についての報道に日々接しますが、ではワクチンを接種したら「どのくらいの期間ワクチンが有効か」についての科学的知見はまだありません。ワクチンの効果が半年なのか、1年なのか? 変異株に効果はあるのか? 副反応による健康被害は?

私たちはすべて未知の領域の中で暮らさねばならず、ワクチン接種直後に命を落とされた方のケースも知っています。

そして、五輪を強行すれば大会関係者や選手など海外からの来日者は4万人とも5万人とも(実態はもっと多いでしょう)言われていますが、日本政府は空港での検疫を的確には行っていません。

菅首相が英国のG7に出かけて帰国したら、どうしてすぐに公務に復帰できるのですか? ウイルスは権力者にも容赦ないことを、英国のジョンソン首相や、米国のトランプ前大統領の罹患は証明しているではないですか。この検疫体制の下で万を超える関係者が来日すれば、混乱が発生するのは間違いありません。

そして20日に「緊急事態宣言」が終了した地域では既に第5波の傾向が見られますが、「東京五輪」を強行開催すれば、第5波に海外からの五輪関係者の治療も加わることになるでしょう。


◎[参考動画]森会長 五輪に決意「どういう形でもやる」(FNN 2021年2月3日)

〈3〉理性のかけらもない言説や行動には明確な「NO」を!

政府、都道府県はコロナ対策に全力を挙げていなければいけないはずなのに、その片方で「東京五輪」強行を着々と進めています。その姿には「理性」も「科学」も「人間性」もありません。こういった欺瞞的な態度によって日本中の「原発」が建てられ、ついには史上最悪事故に突入したのが、わずか10年前であることを私たちは切実に思い出すべきです。原発事故は「人災」であったし「東京五輪」強行は集団自決にも近い暴挙です。

元々この五輪招致は、嘘と大金と欺瞞に満ちてなされたものです。1964年の五輪とは意味が違います。1964年五輪は、戦後復興の証として一定の意義があったことは否定しませんが、今回の五輪のどこに歴史的な意味の欠片があるというのでしょうか? ましてや、福島の人たちの苦しみと呻吟、そしてコロナ禍の真っ最中の現在を見れば、まともな人間であれば、優先順位はおのずとわかろうというものです。

唯一の反(脱)原発雑誌『NO NUKES voice』を編纂する私たちは、地道に「反原発・脱原発」を闘う皆さんと連帯してきました。その延長線上にどうしても「東京五輪」強行を許すことはできません。あらゆる理性が失せたとき、人類は予想より早い終末を迎えるでしょう。その警鐘が鳴り響いているにもかかわらず──。

呪われた東京五輪を直ちに中止せよ! その資金を福島復興とコロナ退治に回せ!

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

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どう考えても、あるいはどこから秘策を探っても、惨憺たる戦後は確定している。では、「戦後」を確信するわたしと、暴走する主体を入れ替えて(ありもしないが)わたしが、開催責任者だったらと、思案してみよう。

嘘を座布団に敷かないかぎり、はたまた政治家のように厚顔無恥な言い放ちに平然と己をおとしめないかぎり、あらゆる条件設定で“Yes!We Can!”とはいえない。匿名であれ、ペンネームであれ、本名であれ絶対に発語できない。「東京五輪」には、従前から極端といわれるであろう激しい物言いで「反対」していたわたしが、精一杯主催者の立場に視点を置き換えようと、この期に及んで無駄が必定な仮説に身をおこうと試みた。

「敵」の心象は、どこまでも、ひつこく、論理にはまったく欠けていて、それでいて傍若無人なのだ。なら、間違いなく存在している、大きな力からの発語者である「そんなひとたち」のお考えは内面どう処理されるのか。IOCのバッハ会長、菅総理大臣、丸川五輪大臣、小池東京都知事、五輪スポンサーにして、毎年部数を減らす全国紙とその系列のテレビ局……。全員気持ち悪い表情で、言語的には整合しない文脈や誌面・番組を、平然と織りなす。この連中の神経はどうなっているんだ?はたして人間の感性を持っているのか。人間の感性は、微笑みながらひとを大混乱や殺戮に導くことに、こうも厚顔でいられるものなのか。

30代になりたての頃、職場で民主的な方法により、トップに選ばれた人が、わたしに「田所いまいくつだ?」と問うた。「30ちょいですよ」と答えると「そりゃ若いな。40超えて45超えると、俺みたいに不感症になってくるんだよ」と彼は仰った。相当にわたしが煙たかったのだろうが、彼の言葉に「そんなことあるものか」と内心では楯突いた記憶は定かだ。ライヒの翻訳者としても知られたあの賢人から、叱責(?)されて四半世紀が経ってもその反応に変化はない。

さて、在野や役職が付かないときには、仲間であったり仲間以上に過激な先導者だったりした先達が、大したこともない(といっては失礼だろうが)肩書の一つも与えられたら、途端にビジネス書を手にしだして、管理職気分になるあの気持ち悪さ。たかが中規模の所帯で中間化離職になろうが、トップになろうが、株主の締め付けがあるわけでもなかった、あの職場でどうしてみなさん「転向」していったのだろうか。

ずいぶん横道にそれたようだが、「裸の大様」だということを「五輪禍」を語る上でに、過去の経験とわたしの変化しない体感からご紹介したかったわけである。IOCも日本政府、組織委員会、東京都、聖火リレーを諾々と行う都道府県…全部が狂っているとしかわたしには思えない。

以前に本通信で書いたが、もう「東京五輪」が開催されようが、中止されようが、この国は「絨毯爆撃」を食らった状態であって、あとは開催されれば「原爆投下」が加わる、つまり1945年の8月初旬と比較しうる惨憺のなかに、すでにわれわれはおかれている。このことだけで充分に悲劇的だし、「敗戦後」には「戦後処理」が急務となる。「戦後処理」とは、今次にあっては、膨大な税金の浪費によって、なにも生み出さないどころか、「泥棒」(大資本や電通など)がますます肥え太り、「真面目な庶民」からの税金で財を成した連中の、焦げ付きにまたしても「尻ぬぐい」のツケが回ってくることだ。増税であったり、行政サービスの低下、年金の切り下げとして形になろう。

MMTなるインチキな理論によれば、「自国通貨で国債を発行している限り財政破綻はない」らしい。そんな理屈が成り立つのならば国債は不要で、税金も不要なはずだ。ひたすら貨幣をすればいい。この理論はリーマンショック後の米国が前述の対応で、さしてインフレにならなかったことに依拠しているらしいが、一方で暴走的に膨らむ「非実体経済」(金融商品などの担保に由来しない価値)の問題には、処方箋を持たず、なによりも資本主義末期にあげく体制への「助け舟」として機能していることを、見逃してはいないだろうか。

今次の「戦後処理」にソフトランディングはない、と直感する。ただし「原爆」は何としても避けたい。「原爆」は世代を超えて禍根を残すのだから。「五輪」、「コロナ」、「MMT」あれもこれも詐欺的である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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