鹿嶋学が高校を卒業後に就職したアルミの素材メーカーは、大幅な時間外労働を連日強いられる「ブラック企業」だった。鹿嶋はストレスを蓄積させ、寮の部屋が「ゴミ屋敷」のような状態になるほど生活も荒れた。それでも、「会社を辞めてはいけない」という父の言いつけを守り、3年半に渡って辛抱強く働き続けていたのだが──。

事件を起こす前日の2004年10月4日の朝、あることをきっかけに状況は一変する。裁判員裁判の第2回公判で行われた被告人質問では、鹿嶋はその朝のことも詳細に語っている。

◆たった一度の遅刻で「明日、世界が滅びる」と思うほど絶望

「当時住んでいた寮は、勤めていた工場の目の前にあったのですが、その日、朝起きたら、工場のほうから機械が動いている音が聞こえてきました。それで、自分は寝坊し、遅刻をしたことに気づきました。『やばい。怒られる』と思い、怒られるのはいやなので、寝転がったまま、どうしようかと考えました。そして結局、会社に行くのがいやになり、リュックに携帯電話と財布を入れ、寮を飛び出したのです」

鹿嶋は「遅刻をした」と言ったが、起きた時間は「7時から8時の間」だったから、定時の始業時間である午前8時に間に合うように出勤することは可能だった。しかし、鹿嶋は毎日、定時の2時間前である午前6時頃に工場に出勤し、作業の段取りをさせられていたので、「遅刻をした」という認識になったのだ。鹿嶋はそれ以前、遅刻をしたことは一度もなく、これが「初めての遅刻」だったという。

寮を飛び出した鹿嶋は原付で実家のある宇部市に向かった。そしてその道中、自暴自棄な感情にとらわれていく。

「会社を逃げ出すというのは、自分にとって許せないことでした。『もう、どうなってもいい』という気持ちになっていきました」

それにしても、たかだか一度遅刻したくらいのことで、このような極端な行動に出る人間も珍しい。この被告人質問があった日の翌日、精神鑑定を行った医師が証人出廷し、この時の鹿嶋の事情をこう説明している。

「被告人は明らかな発達障害ではないですが、広汎性発達障害的な偏りがありました。普段は社会に適応できているのですが、情緒的な発達が乏しいため、大きなストレスがかかると、極端な行動をとってしまうのです。この時も寝坊をしただけのことで会社を辞めてしまい、さらに会社を辞めてしまったことに『明日、世界が滅びる』というくらいの絶望感を抱いてしまったのです」

◆思い付きで決めた原付での東京行き

鹿嶋は原付で宇部に向かう道中、携帯電話の電源を切ってしまった。会社とは、もう完全に縁を切ったわけである。会社を辞めた後のアテは何もなかったが、原付を走らせているうち、ふとあることを思いつく。

「下関に住んでいた小学生か、中学生の頃、温泉に入るために自転車で東京からやってきた人を家に泊めたことがありました。それを思い出し、自分もすることがないので、原付で東京に行こうと思い立ったのです」

弁護人から「東京に行って、何かやりたいことがあったのですか?」と質問され、鹿嶋は「とくに何もありませんでした」と答えた。話しぶりからすると、とくに東京への憧れがあったわけでもないようで、本当に思いつきだけで東京に行こうとしたようだ。

そして鹿嶋はホームセンターに入ると、方位磁石と折り畳み式のナイフを購入した。

「方位磁石を買ったのは、東京に行くには、東に進めばいいと漠然と思ったからです。ナイフについては、野宿するつもりだったので、『ナイフさえあればどうにかなるだろう』と思って買いました」

鹿嶋によると、この時点ではまだ女性を襲う考えはなかったという。しかし、のちに被害者の北口聡美さんを襲った際、このナイフは聡美さんの生命を奪う凶器となってしまった。

◆「もう地元には戻らない」と決意

原付で宇部に到着した鹿嶋は、両親のいる実家には戻らず、一番仲が良かった友人の家に向かった。そしてこの日は、その友人の家に宿泊している。

「友人の家に行ったのは、別れを告げるためでした。自分は東京に行ったら、もう地元に戻るつもりはなかったからです」

つまり、鹿嶋は東京に行くことを思いつくと、その日のうちに「もう地元には戻らない」と決めていたわけだ。実際、この時に所持していた20万円の現金のうち、その友人に「餞別」として5万円を渡しているから、地元に戻るつもりがなかったのは確かだろう。

ちなみに鹿嶋がこの友人に「餞別」を渡した理由は、「その友人は障害者で、給料が安かったからです」とのことである。

◆「下校中の女子高生」を見て、思いついたことは……

鹿嶋はこの友人の家に一泊すると、翌朝6時半くらいに原付で東京に向かって出発している。そして5、6分走ったところで、信号待ちをしていると、横に停まった車から「学」と名前を呼ばれたのだという。

「車には、父親と母親が乗っていました。しかし、自分はそのまま走り去りました」

そして鹿嶋は両親と別れた後、「もう宇部には帰らない」との思いを強くし、携帯電話を川に捨てたという。こうして自ら退路を断つと、原付でひたすら東に向かったが、山口と広島の県境を越えたあたりで、新たにとんでもないことを思いつく。

「下校中と思われる女子高生を見かけ、それをきっかけに『レイプをしよう』と考えるようになりました」

そして鹿嶋は、レイプできる相手を探し、原付で走り回った──。(次回につづく)

鹿嶋の裁判が行われた広島地裁

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

両親との関係が良くなかった鹿嶋学は、宇部市の私立高校を卒業後、「寮生活ができるから」という理由で選んだアルミの素材メーカーに就職した。そして萩市の工場に配属され、工場の前にある従業員寮で一人暮らしを始めると、親の目が無いのをいいことに好きなゲームに没頭し、エッチなビデオをほぼ毎日観ていたという。

3月4日、広島地裁で行われた被告人質問。鹿嶋はそのよう会社の寮生活について、自分なりに楽しんでいたように語ったが、会社の仕事では大変な思いをしていたことを明かした。

「定時の出勤時間は午前8時でしたが、実際には、午前6時に出社しなければなりませんでした。午前8時に機械を動かせるようにするために暖気運転をするなど、仕事の段取りをしないといけなかったからです。終業時刻も定時は午後5時ですが、実際は午後6時くらいになっていました。遅い時は午後8時や8時半、部署によっては午後10時まで仕事が終わらないこともありました」

このように会社では、日常的に大幅な時間外労働を強いられたうえ、第1、第3、第5土曜日は出勤せねばならず、休日も少なかった。そのため、鹿嶋と同じ寮にいた同期入社の同僚3人は全員、2年もしないうちに会社を辞めていた。そんな中、鹿嶋は我慢して会社で働き続けたが、通常業務以外にも辛いことがあったという。

「作業効率や生産性を上げるための改善案を2カ月に1回、300人くらいの前で発表しなければならなかったのです。案を考えるのがしんどかったですし、作業でクレームを受けていた時には、発表の場でみんなに謝罪しなければなりませんでした。しかも、会社の偉い人が『何か言うことは無いか』と言って、その場にいる者を指名し、謝罪する人に注意をさせるのです。自分は、みんなの前で発表をするのも嫌でしたが、謝罪をする人に注意をしなければならないのがもっと嫌でした」

会社としては、社員の意識を高めるためにやっていたことかもしれない。しかし、このような社員同士で糾弾させるセレモニーのようなものが2カ月に1回もある職場は、確かに社員にとってきついだろう。鹿嶋の場合、「元々、人に怒るのが苦手」だったそうだから、なおさらだ。こうして鹿嶋は就職後、ストレスを蓄積させていった。

鹿嶋が裁判中に勾留されていた広島拘置所

◆作業中にケガをしたら、心配してもらえずに怒られた

たとえ仕事や職場での人間関係が辛くとも、会社から大事にされているという思いを持てれば、まだ精神的に救われる。しかし、鹿嶋の場合、そういう思いも持てなかった。逆に、こんなショックな出来事があったという。

「右手の親指を機械に挟まれてケガをしたことがあるのですが、工場長に『何しよるんか!』と怒られたのです。俺のことを心配してくれんのか…と思いました。病院に行き、何針か縫ったのですが、会社も心配してくれませんでした」

このように会社は鹿嶋に対して冷たかったが、寮は工場の前にあったため、深夜に「作業員が足らんけえ」と呼び出され、仕事をさせられたりもしたという。こうした鹿嶋の話が事実なら、「ブラック企業」と呼ばれても仕方のない会社だったのだろう。

そんな会社で働きながら、鹿嶋は誰にも相談せず、愚痴も言わず、問題を一人で抱え込んでいた。相談する相手がいなかったからだ。先述したように同じ寮にいた同期入社の同僚は全員辞めていたし、宇部の両親は一緒に暮らしていた頃から必要最低限の会話しかしない関係だった。友人がまったくいないわけではなかったが、その友人にも相談しづらかったのだという。

「週末にはいつも原付で3時間かけて宇部に帰っていましたが、実家に寝泊まりすることはなく、ほとんど友だちの家に行っていました。その友だちに会社のことを相談しなかったのは、その友だちが年下だったので、相談するのは恥ずかしいという思いがあったのかもしれません」

◆3年半、1回もゴミを出さずに寮の部屋がゴミ屋敷に…

鹿嶋は就職後、こうしてストレスを蓄積させる中、次第に生活が荒んだ。会社に勤めた期間は3年半に及ぶが、この間、ゴミ出しを1回もせず、「ゴミ屋敷」のような状態にしてしまったという。

弁護人から「他にも寮生活のことで何か覚えている出来事はありますか」と質問され、鹿嶋はこう答えた。

「風呂に入ろうと思って火をつけたのに、つい寝てしまい、ガスが出なくなったことがありました。そのことも恥ずかしくて、しばらく誰にも言えませんでした。会社の人が気づいてくれ、ガスが出るようになるまで1カ月か、2カ月か風呂に入らずに過ごしました」

ガスが出なくなったのは、おそらく安全装置が作動したためで、それを解除すればガスはすぐにまた出る状態になっていたはずだ。鹿嶋は人に相談できず、その程度のことになかなか気づけなかったわけである。いずれにしても、風呂に入れない状態を「1カ月か、2カ月か」という期間も我慢するというのは、ある意味、我慢強い性格でもあるのだろう。

鹿嶋は会社についても、ストレスをため込みながら、辞めることは考えなかったという。その理由をこう明かした。

「会社を辞めなかったのは、父から辞めてはいけないと言われていたからです」

鹿嶋が父と血がつながっておらず、複雑な関係にあったことは前回触れた通りだ。鹿嶋は小さい頃から父のことを「怖い」と思い続けて育ち、中学時代には、本当は剣道をやりたかったのに、父に言われるまま陸上部に入部したりした。そして「ブラック企業」のような会社で、ストレスを溜め込みながら辞めずに働き続けたのも父の存在があったからだったのだ。

しかしある日、鹿嶋は会社を突然辞めてしまう。そしてその翌日、萩市の従業員寮から遠く離れた広島県廿日市市で高校2年生の北口聡美さんを殺害する事件を起こすのだ。そのきっかけは実に些細なことだった――。(次回につづく)

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「思い出せる限り、当時のことを正直に話したいと思っています」

3月4日、広島地裁の第302号法廷。午前10時に始まった鹿嶋学に対する裁判員裁判の第2回公判では、被告人質問が行われた。その冒頭、鹿嶋はそう宣言し、弁護人の質問に答える形で、自分の生い立ちを詳細に語った。

鹿嶋は1983年3月、山口県下関市で生まれた。家族構成は両親と妹が1人。中学2年生の時、家族で宇部市に引っ越したために転校し、中学卒業後は市内の私立高校に進学した。中学、高校を通じて学校の成績は悪かったが、授業をさぼったりはしていないという。つまり、素行が特別悪かったわけではないようだ。

ただ、ワンパクではあったという。鹿嶋はこう打ち明けた。

「小学校の頃には、ニワトリ小屋に野良犬を離して大惨事になったり、友だちと喧嘩した際に代本板(※)で頭を殴り、血が出るようなケガをさせたりしてしまいました。中学時代も、カッとなると周りが見えなくなり、暴力をふるってしまうことがありました」

※「だいほんばん」と読む。図書館で本が本来置かれるべき場所にない時に、本の現物に代わって置かれる板のこと。

このようにワンパクだった鹿嶋だが、家ではおとなしい子供だったという。そうなった事情として語ったのが父親の存在だ。

「父については、『怖い』という思いが昔からありました。挨拶は『おはようございます』と言うように言われ、実際にそうしていました。小さい頃、理由はわかりませんが、父親に家を追い出され、家の前でワンワン泣いたことがありました」

鹿嶋によると、子供の頃、父親や母親とは必要最低限の会話しかしなかった。食事の時も両親、妹は会話をしていたが、鹿嶋は会話に参加せず、黙々と食事をしていたという。

「両親を頼ったり、両親に何かを相談したりすることもありませんでした。子供の頃からそうでした」

両親との関係が良くなかったことは明らかだが、その最大の原因と思われるのが父親と血がつながっていなかったことだ。鹿嶋によると、そのことは「25歳の時、父親から直接聞かされた」とのことだが、実は鹿嶋は生まれる前から複雑な事情を抱えた子供だった。それについては、被告人質問が終わった後、情状証人として出廷した父親自身がこう明かしている。

「妻が自分以外の男の子供を妊娠していることがわかったのは、結婚前に交際していた時期のことでした。しかし、私は自分の子供として育てようと決意し、そのまま妻と結婚したのです」

文章にすると、普通に話しているような印象になるが、この話をしている時の父親は歯切れが悪かった。鹿嶋の出生をめぐる人間模様については、父親にとって人前で話したくないことなのだろう。一方、父親が証言中、鹿嶋は被告人席から父親を険しい表情で凝視しており、父親に対して今も悪感情を抱いていることが察せられた。

広島地裁に入る、鹿嶋を乗せているとみられる車

◆剣道をやりたかったが、父親に言われるまま陸上部に入部

鹿嶋の話を聞いていると、その人間形成に父親との関係が大きく影響したのは間違いない。そのことは、中学、高校時代のクラブ活動に関する証言を聞いていてもよく伝わってきた。

「中学時代、自分は陸上部でしたが、本当にやりたかったの剣道でした。陸上部に入ったのは、小学校の頃にゼンソクで学校を休むことがあったため、父親から『体力をつけるために陸上部に入れ』と言われたからでした」

こうして中学時代、入りたくもない陸上部に入った鹿嶋は、練習に出たり出なかったりした末、3年生になって園芸部に転部。そして高校入学後、再び陸上部に入ったが、今度は練習に出なかったという。父親に入部するクラブを決められたため、屈折した青春時代になった様子が窺える。

その反動が出たのが、高校卒業時の進路選択だ。鹿嶋は大学には進学せず、就職しているのだが、就職先はこんな選び方をしたという。

「就職したのは、アルミを溶かし、板などを製造する会社です。学校から紹介された会社でしたが、選んだ理由は、機械の操作が好きだったことと、寮生活ができることでした。一人暮らしがしたかったのです」

鹿嶋はこの会社に就職を決める際も親には相談していない。とにかく家を出たかったというわけだ。

◆「一人暮らし」をしたくて選んだ会社でゲームとエッチなビデオに没頭

就職後、配属された工場は萩市にあり、実際に工場の前にある寮で生活できるようになった。この寮生活は鹿嶋にとって楽しいものだったようだ。

「自分はゲームが好きなのですが、寮では好き放題にゲームができました。それに、エッチなビデオも自由に観られました。高校の頃もエッチなビデオは観ていましたが、自分の部屋にビデオデッキがないため、親が家にいない時しか観られませんでした」

高校卒業後に一人暮らしを始めた若い男が、親の目が届かないのをいいことにゲームやエッチなビデオに没頭するというのはお決まりのパターンだ(今ならエッチなビデオではなく、エッチなネット動画かもしれないが)。ただ、鹿嶋の場合、「会社に入ってから、エッチビデオはほぼ毎日観ていました」というから、人並み以上にエッチなビデオが好きだったのだろう。

一方、女性との性行為は「してみたい」という気持ちはあったそうだが、性行為の経験は無いままだった。弁護人から「風俗店に行こうという思いはなかったのですか」と質問されると、こう答えた。

「自分は、そういうところに行く性格ではなかったので、当時は考えませんでした」

こうしてエッチなビデオを毎日のように観る一方、女性との性行為の経験が無いまま過ごした鹿嶋。このあとの話を聞く限り、こうした暮らしぶりは事件を起こしたことと決して無関係ではない。(次回につづく)

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「持っていたナイフで刺した時、聡美さんは『え、なんで?』という表情をしました。自分は『なんで、こーなったんか』という感情が爆発し、『クソ』『クソ』と言いながら、何回も聡美さんを刺しました。私は、人を刺したことを認められず、聡美さんのせいにしようとしたのです」

2004年10月に広島県廿日市市(はつかいちし)で発生し、13年半も未解決だった「廿日市女子高生殺害事件」。一昨年4月に検挙された鹿嶋学(37)は、3月に広島地裁であった裁判員裁判の被告人質問で、犯行を克明に語った。

事件が未解決の頃、警察が情報を集めるために作成したポスター。ニキビの跡などは本物の鹿嶋と似ている

上は黒い長袖のTシャツ、下は黒いジャージという室内着のようないで立ち。頭髪は坊主刈りにしているが、年齢のわりに白いものが目立つ。大きなマスクをつけているため、顔は目より上しか見えないが、見た目はどこにでもいそうな普通の男だった。

事件当日、当時21歳だった鹿嶋は「女子高生をレイプしたい」と思いつつ、ターゲットを探して原付で走り回っていた。そんな時、路上で見かけた被害者の高校2年生・北口聡美さん(当時17)が家に入っていくのを見かけたのだという。

そこで鹿島は聡美さん宅に侵入し、部屋でくつろいでいた聡美さんにナイフを向け、「脱げ」と迫った。しかし、聡美さんが逃げ出そうとしたため、冒頭の証言のような凶行に及んだのだ。そして──。

「最後は、『これで終わらせよう』と思い、首を切りました」

鹿嶋はこうして聡美さんを殺害すると、聡美さんの悲鳴を聞いて駆けつけた祖母のミチヨさん(同72)も刺し、瀕死の重傷を負わせた。さらに聡美さんの小学生の妹も追いかけ回したが、捕まえられず、現場を立ち去ったのだった。

事件後、精神的ショックも大きかったミチヨさんは「解離性健忘」に陥り、事件のことが思い出せない状態に。幼かった妹は、事件を忘れたいと思いつつ、「犯人を見たのは自分だけだから……」と犯人の顔を忘れないように努め、長年に渡って辛い記憶に囚われ続けたという。

◆勤務先の社長「殺人犯だとは、今でも信じられない」

鹿嶋の裁判員裁判が行なわれた広島地裁

さて、このように鹿嶋の口から明かされた犯行は、弁明の余地がない凶悪な犯行だというほかない。公判で意見陳述した聡美さんの両親はともに死刑を望む思いを明かしたが、それも当然過ぎるほど当然だ。しかし一方で、検察官が公判で朗読した調書によると、鹿嶋が逮捕前に勤めていた山口県宇部市にある土木会社の社長は鹿嶋の人物像について、こんな供述をしていたという。

「鹿嶋は無口で、おとなしい人間でした。人付き合いも苦手だと思います。たばこも吸いませんし、酒も誘わないと飲みません。そして酒を飲んでもまったく変わらず、無口なままでした。ただ、仕事はまじめで、私にとっては信頼でき、憎めない、かわいいやつでした。鹿嶋が殺人犯だとは、今でも信じられません」

事件発生から13年半の年月が過ぎた頃、鹿嶋がこの事件の犯人だと判明したきっかけは、別件の傷害事件だった。鹿島が会社の部下である同僚男性の尻を蹴り、警察に任意で調べられたという事件だ。この際、事件発生当時に聡美さん宅で採取されていたDNA型と指紋が鹿嶋のものと一致すると判明したのだ。

だが、社長はこの別件の傷害事件についても、鹿嶋を擁護するようなことを供述していた。

「鹿嶋は気性も穏やかで、暴力をふるったりする人間ではありません。蹴られた部下のほうが先輩の鹿嶋に対して失礼な態度をとったのが原因だと思います」

つまり、普段の鹿嶋を知る人からすると、鹿嶋が殺人犯だということを信じがたいばかりか、鹿嶋が人に暴力をふるうというのも大変意外なことであるらしい。さらに社長は、鹿嶋のこんな一面を証言していた。

「鹿嶋は、私が知る限り、友人はKくんという人だけで、職場に仲が良かった人間は過去にも今にもいません。趣味はゲームだそうで、休みの日は『家でゲームをしている』と聞いたことがあります。女性の交際については、『無い』と思います。鹿嶋はとにかく女っけがなく、私たちが仕事の時に女性の話や風俗の話をしていても、『僕はいいです』と言って、まったくのってきませんでした」

女性と疎遠で、友だちもほとんどおらず、ゲームが趣味。しかし、無口でありながらも仕事は真面目で、上司からは信頼されていた。そんな男がなぜ、21歳だったあの日、見ず知らずの女子高生をレイプしようなどと思い立ち、生命まで奪ったのか。そもそも、事件を起こすまでの鹿嶋の21年間はどんな人生だったのか。それらのことも鹿嶋は法廷で詳細に語っている──。(次回につづく)

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長く未解決だった広島県廿日市市の女子高生殺害事件は、一昨年検挙された犯人の鹿嶋学が今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受け、ようやく一区切りついた感がある。ただ、この事件に関しては、裁判で明らかになりながら世間に知られないままになっている事実も少なくない。筆者が全5回の公判を傍聴して知った事件の深層をこの場で改めて報告する。

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