2018年6月14日 カテゴリー 《しばき隊リンチ事件》, お知らせ, 松岡利康, 鹿砦社特別取材班
「反差別」運動の旗手と持て囃される李信恵さんによる相次ぐ「鹿砦社はクソ」発言に対し名誉毀損等で訴えた民事訴訟(大阪地裁第13民事部)ついて進展がありましたのでご報告いたします。
すでにこの通信でもご報告していますように、3月16日李信恵被告側代理人・上瀧浩子弁護士による「反訴」の意志表明→4月18日「反訴」提起→5月23日「反訴」取下げ→同日「別訴」提起(本訴との併合審理希望)と、李信恵被告側の動きは目まぐるしく流転しました。
「反訴」は本来本訴の内容と関連がなければ認められません。「反訴」における李信恵被告側の主張は、さすがに本訴との関連性が薄く、取下げはむべなるかなですが、これが鹿砦社側からの指摘によるものなのか裁判所からの指示によるのかは不明です。
いずれにしろ李信恵被告側は「反訴」を取り下げて、あらたに「別訴」を提起し、これを本訴との併合審理を希望したわけです。
鹿砦社が原告になっている本訴との関連が認められれば、併合審理の可能性があったわけでしょうが、その是非が注目されたところ、却下され別の部(第24民事部)で独立した訴訟(李信恵原告、鹿砦社被告)として審理されることになりました。
結局、3月の期日で双方ほとんど主張し終え、早ければ(本人尋問がなければ)次回で結審もあるかも、と思っていたところでの「反訴」の意志表示でしたが、結果として訴訟をいたずらに混乱させ遅延させたばかりでした。李信恵側弁護団の大失態といえるでしょう。「策士、策に溺れる」といったところでしょうか(万が一、この裁判混乱策動が意図的なものであれば、極めて悪質です)。
鹿砦社側代理人も他の知り合いの弁護士も、「こんなことは経験したことがない」ということですが、それほど異例のケースです。
ということで、鹿砦社が李信恵さんを訴えた「本訴」は次回期日(7月18日午後1時15分から。1010法廷)に李信恵被告側最終準備書面提出となります。本人尋問は未定、おそらく事実関係がシンプルなので尋問なしもありえます。
そして、翌7月19日午後1時10分から1007法廷で「別訴」の第1回口頭弁論期日となります。
「別訴」の請求の趣旨は、「反訴」と同じで、
1 金550万円を支払え。
2 リンチ事件関連出版物4点を「頒布販売してはならない」。
3 「デジタル鹿砦社通信」の中の李信恵氏についての「各記述を削除せよ」。
4 訴訟費用は被告(鹿砦社)の負担。第1項(=賠償金)の仮執行宣言。
です。
最新刊の第5弾『真実と暴力の隠蔽』にも追加の請求をしてくることも予想されますが、仮にそうだとしても、私たちは堂々と立ち向かうだけです。
特に、安易に出版物を「頒布販売をしてはならない」という請求には、憲法21条の「表現の自由」「言論・出版の自由」の見地からも徹底抗戦しなくてはなりません。これぐらいのことで「頒布販売」の禁止=出版差止めされたら、戦後ずっと守られてきた自由な表現、自由な言論・出版が蹂躙されることになります。いやしくも出版人としては、このような言論封殺を求める請求は到底許すことはできません。
ところで鹿砦社はこれまで大きな裁判闘争の煉火をくぐり、1億円超の訴訟費用(賠償金含む)を費やしてきました。判例集にも載っているものもあります。
特に警察天下り企業パチスロ大手旧「アルゼ」(現ユニバーサルエンターテインメント)を告発した『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』に対しては、出版差止め仮処分、3億円の賠償請求の巨額民事訴訟(600万円で確定)、刑事告訴がなされました。これに比べれば今回の裁判は屁のようなものですが、全知全能、全身全霊、総力で立ち向かいたいと、肝を引き締めるものです。「裁判は水物」ともいわれ、油断したら負けますから。
ちなみに、「別訴」は李信恵さんが原告になります。対在特会等に対し原告として訴え、毎回の弁論ごとに記者会見をされましたが、この訴訟でも毎回記者会見をされるのでしょうか?
ともあれ、リンチ事件についてM君が李信恵さんら5人を訴えた訴訟の控訴審も一審判決を詳細に分析・批判し長文の控訴理由書を提出し始まります。これと固く連携し、鹿砦社は断固として闘います!
2018年6月6日 カテゴリー 《しばき隊リンチ事件》, お知らせ, 松岡利康, 鹿砦社特別取材班
田中宏和氏と鹿砦社の出会いは、2016年『ヘイトと暴力の連鎖』の取材で、社長松岡以下編集部2名が東京で顔を合わせたのが、初めてだった。ブログ「世に倦む日日」は独自の視点から時事問題、国際情勢、そして「しばき隊」批判を積極的に展開していたので、私たちは彼の意見を聞きたい、と虚心坦懐に初対面に臨んだ。
田中氏は博学であり、読書量もかなりの人物であろうことは数時間のインタビューのなかで松岡以下編集部も感じた。さらに彼がブログで現した数々の論考には、光るものがあり(すべてが鹿砦社の見解と同じではないけれども)、貴重な視点の持ち主であると判断し、鹿砦社から『SEALDsの真実』『しばき隊の真実』、2冊の単行本を出版する運びとなった。
実はこの出版は、初対面の際に松岡ではない編集部の1人が「田中さん、ここまでまとまった論考をお持ちなのに、なぜ出版されないのですか? 社長、鹿砦社から出版したらどうですか?」と出しゃばって、勘違いした発言が「過ち」のもとになっていたことを正直に告白しよう。
田中氏は初対面の時から、やや神経質な人柄であることは、松岡以下編集スタッフも感じていたが、まさか、鹿砦社(鹿砦社の許容範囲は一般の出版社に比べ、かなり広いように思われる)をこき下ろし、ここまで我儘ばかリ主張する人間であるとは想像できなかった。田中氏の我儘は『SEALDsの真実』編集段階から露呈し始める。自分を大御所の「論客」とでも勘違いしたような上から目線で、連日松岡に命令口調、あるいは極めて的はずれな言いがかりを連発するようになった。
『SEALDsの真実』が広告に掲載され、アマゾンのあるカテゴリーで1位になったことがある。その後1位は他の書物に取って代わられるのであるが、1位からの転落を見た田中氏は「これはしばき隊の陰謀に違いない!即座にアマゾンに抗議するなり対策をとるべきだ」と松岡にねじ込んでいた。ちょっと待ってくれ。1位はめでたいが、永遠の1位(それがあれば出版社にこれほどありがたいことはない)などあるはずがない。松岡がメールでその旨を伝えると田中氏は、さぞご不満であったようである。
ついで出版された『しばき隊の真実』は、辛うじて世に出ることができた書物といえよう。
田中氏の尊大な態度はますます増長し『しばき隊の真実』の編集を請け負っていた、業界では「仏の○○」さんと呼ばれるほど、余程のことでも感情を露わにすることない編集者の逆鱗を買うほどまでに至っていた。松岡に対して「もう、あそこまで失礼なことをされたのだから、出版することはないでしょう」と関係を知る周囲の人間は、進言したが義に熱い松岡は「それでもインタビューに応じてくださっている人もいるからね」と連日の田中氏からの罵倒電話、メールにもかかわらず、なんとか『しばき隊の真実』出版に漕ぎつけた。
しかし、田中氏の狼藉はそれでは収まらなかった。ある日、特別取材班が「デジタル鹿砦社通信」に書いた記事が気に入らなかった田中氏は、そのライターに電話で「記事を取り消すように」と傲慢にも要求してきた。記事の内容は「言論の自由は誰にでも保障されなければならない」という趣旨のものであったが、田中氏にはその「誰にでも」に野間易通氏が含まれていたことが、不満だったらしい。あまりにも馬鹿げた言いがかりにライターは当然要求を拒否。するとブチ切れた田中氏は「みんなツイッターの中に居るんだよ!」と大声を上げたので「あなたはネットの中にしかいないから、実際の社会と接点を持てないし、我儘で人と軋轢を起こす。『ツイッターにみんなが居る』などというのはSNS中毒者の発言だ!」とたしなめられるとしばらく言葉がなかったという。
通常たいした出版実績もなく、たて続けに2冊もの単行本を出版してもらえば、過剰になる必要はないが、筆者は出版社に恩義を感じるものであるが、田中氏は逆であった。彼の我儘、偏見、はその後もエスカレートし、あろうことか「リンチ被害者M君」と面会した際に、M君を詰問し(セカンド、もしくはサードリンチと言っても過言ではないかもしれない)年下のM君に飲み代まで押し付けて、言いたい放題M君を罵倒して店を出る、という大人とは言い難い醜態まで及んだ(その店の支払いを負担したのはM君である)。
さらには、現在田中氏は天木直人氏と仲良く、ビデオで対談を始めている。これとて、本人の希望もあり当社がつなぎ、『紙の爆弾』で2回対談を掲載もしたが、「ありがとう」のひと言もない。
ここでは紹介できないが田中氏の常軌を逸した、発信や暴言に鹿砦社だけではなく、編集者も辟易してしまったので、彼については「当たらず触らず」をスタンスとしていた。
ところが6月1日、『真実と暴力の隠蔽』について田中氏は、
などと、思い上がりと言論弾圧も甚だしい書き込みを行った。まるで「しばき隊」と同じ主張でわが目を疑った。さらに言いたい放題ツイートしている。読者はぜひ「世に倦む日日」をご覧になっていただきたい。
ことここに至り、遅きに失した感があるかもしれないが、鹿砦社はこれ以上田中氏の度が過ぎる独善と、鹿砦社への悪意を放置することはできない。『SEALDsの真実』『しばき隊の真実』の在庫を断裁処分し絶版にすると共に、田中宏和氏との絶縁するほか選択肢はない。版権は放棄するので他社で再刊いただきたい。
丸山真男主義者で、基本的にはマルクス・レーニンも読んでいる田中氏の思想には、今だから指摘するが、明らかな矛盾が多数包含されている。それは皇室への過剰なまでの賛美と、テレビメディアに一喜一憂する軽薄さである。個人の趣味、嗜好と言えばそれまでであるが、あそこまでの皇室賛美と丸山真男の総体の主張を、どう接着するのか。SNSばかりやっているから「しばき隊」同様の心理的な偏りを発症せしめているのではないか。
ここには書けないが田中氏の常軌を逸する、メールや電話については多くの証拠があることを再度明言しておく。著作を出してくれた出版社に、「頭を下げろ」などというつもりは毛頭ない。だが、どうして2冊の著作を出版したら、出版社が著者に「奴隷」のような物言いをされなければならないのだ? 田中氏の常軌を逸する言動を「大人の対応」でこれまであしらってきたけれども、今回の鹿砦社への決定的な攻撃を、われわれは断じて許すことはできない。
鹿砦社は田中氏からの修正も訂正も一切受け入れない。彼も批判する「しばき隊」同様の暴虐を鹿砦社に向けた田中氏に対して、鹿砦社はここに「田中宏和氏との絶縁と『SEALDsの真実』、『しばき隊の真実』を絶版」を揺るぎなく宣言する!
追記:上記紹介した書き込みに止まらず、田中氏は思い上がりも甚だしい、勘違いの発信を続行している。さすがに温厚な「鹿砦社」も、破格に的外れの発信は容認できない。
田中氏は持論を正当化するために、M君が「逃走しなかった」ことを問題にしている。被害者虐めもたいがいにすべきだ。そこまで言うのであれば田中氏が同様の状況におかれ、暴力を経験すればよいのではないか。空論は意味がない。
これも田中氏の思い込みに過ぎない。M君は所属する大学に「身辺に迫る危機」を報告し、大学当局もしかるべき対応をとっている。実態を知りもしないことを偏見で解釈することは控えるべきだ。
当事者でもない、傍観者の田中氏が不遜にも口を挟む筋合いはない。田中氏の決めつけによる判断の危うさと、被害者に対する結果的な攻撃はここでも明確に示されている。
以上は6月4日田中氏がツイッターで発信したものであるが、そのいずれも大いに的外れであり、被害者M君を傷つける、思い込みと勘違いであることを指摘しておく。
2018年3月10日 カテゴリー 《NO NUKES voice》, お知らせ, 原発, 田所敏夫
3・11から7年を明日に控えたきょう、『NO NUKES voice』15号が発売される。能書きは並べずに本号の内容を紹介しよう。特集は〈3・11から7年 私たちはどう生きるか〉だ。
冒頭にご登場いただくのは小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)の講演を収録した〈3・11から7年、放射能はいま…〉だ。この講演の様子はすでにyoutubeでも見ることができるが、この日の小出さんは上品な言葉遣いの中に、いつもにも増して強い意志が感じられる講演だった。誌面からもその“熱”が伝わるだろう。
講演後に本誌編集長のインタビューに応じてくださった〈「原発を止めさせる」ならば、小泉さんとも共闘する〉は小出さんらしいお考えと覚悟が再度ご確認頂けることだろう。「小泉さんとも共闘する」と宣言した小出さんに小泉氏はどう応じたか?
次いで、1月14日に急逝された吉岡斉さん(前原子力市民委員会座長・九州大学教授)を追悼して2017年7月15日、新潟で行われたシンポジウムでの吉岡さんの基調講演を掲載した。吉岡さんには本誌に度々ご登場いただき、ご意見を伺ってきたが、あまりにも急なご逝去にご冥福をお祈りするばかりだ。本誌での吉岡さん最後の生の声は〈原発ゼロ社会のための地域脱原発〉だ。
新潟といえば、泉田裕彦元知事の辞任を受け、「原発再稼働慎重派」の後継候補として、与党候補を破り新潟県知事に当選し、活躍中の米山隆一さんが1月24日に行った講演を紹介する〈原子力政策と地域の未来を問う〉も必読だ。鹿児島で当選した「エセ脱原発派」三反園訓知事のように、当選後「原発容認、あるいは推進」に変身することはないだだろうか? 多くの人が米山氏の態度に注目をしているが、その回答がこの講演の中にはある。米山氏の覚悟やいかに?
福島現地からは大熊町議会議員の木幡ますみさんが登場。1月26日伊方原発の立地する八幡浜市で行われた講演が再現される。題して〈原発は人々の活力を奪う〉。全国を駆け回り被災地の実情を訴え続ける木幡さんは、事故から7年目を迎える福島の実情をどう語ったのだろう。
原発に反対する理由は様々だが、根底には「被曝は動物の命にとって極めて危険」であることが原則的な理由である。運動にはもちろんバラィエティーがあっていいが、被曝問題を語れない反(脱)原発は、まだ原則への理解が足りないと言わざるを得ない。
福島の事故地元に住む皆さんの被曝による健康問題同様、今後長らく1日約7000名が従事する福島第一原発の収束作業に関わる方々の「被曝問題」は大きな問題となろう。その問題を指摘するのが尾崎美千代さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)による報告〈あらかぶさんはなぜ白血病になったのか?〉だ。この衝撃レポートについては明日のデジ鹿で別途詳しく紹介したい。
沖縄の米軍基地反対運動のリーダーにして、不当逮捕ののち、長期拘留を強いられた山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)の肉声もお届けする。本誌が前回、名護でインタビューさせて頂いた直後に不当逮捕された山城さんの訴え〈国民の声がどれだけ大事か〉。1月20日伊方原発反対集会に参加した山城さんのスピーチとインタビューを一挙公開する。
今号で取材班は原発問題をより広い視点で捉えようと思案しながらある方に執筆の依頼をしたところ、予想外の快諾を頂けた。1974年3月に発生した「甲山事件」の冤罪被害者山田悦子さんだ。山田さんは冤罪被害にあったのち、みずから法哲学を学び、極めて高いレベルで司法の問題や、社会現象を読み解き、語ることのできる稀有な方だ。鹿砦社が主催した西宮ゼミにもゲストとしてご登場頂いた縁もあり、今回「日本国憲法と原発」をテーマに寄稿をお願いしたところ、重厚な論考を執筆頂けた。〈「人間の尊厳」としての脱原発〉はこれまで本誌でご紹介したあまたの論考と、少し趣を異にする。法哲学や人権思想の角度から原発問題を俯瞰したとき、浮かび上がる問題はどのようなものなのか。山田さんのご寄稿は極めて深い含蓄に富む。
12回目を迎える本間龍さんの〈原発プロパガンダとはなにか〉。今回のテーマは〈7年で完全に復活した電力会社PR〉だ。文字通り電事連を中心に「あの日などなかったかのように」繰り広げられる電力会社広告の濁流復活。その実態と問題を本間さんが鋭く突く。
たんぽぽ舎副代表の山崎久隆さんは〈福島事故・忘れてはいけない5つの問題〉で原則的な確認すべき問題を再度明らかに提示されている。大宮浩平さん(写真家)は1月20日の伊方での集会に参加・取材した手記を綴っている。若い写真家の大宮さんは編集長などから「もっと対象に寄れ!人を定めて表情を撮れ!」と厳しい指導を受けていたが、本号では見事な取材を貫徹してくれた。
大学生の川村里子さんが伊方原発反対の中心人物、斎間淳子さん、近藤亨子さん、秦左子さんにインタビューをした〈斎間淳子さんたちに聞く「伊方原発うごかすな」半世紀の歩み〉と、外京ゆりさん(「グリーン市民ネットワーク高知」世話人)にお話を伺った〈「いかんもんは、いかん!」土佐・高知の闘い〉は長年現地で闘ってきた方々に大学生がフレッシュな質問を投げかけるリアリティが伝わり、川村さんご自身も今回の取材で多くを学ばれたようだ。若い筆者の登場は嬉しい。
伊方原発について長年反対の立場から取材を続けてきた浅野健一さん(ジャーナリスト)の〈「ふるさとは原発を許さない」――伊方再・再稼働阻止高松集会〉、につづき三上治さん(「経産省前テント広場」スタッフ)の〈持久戦とはいうけれど 石牟礼道子さん追悼〉が続く。
常連執筆陣の中で、納谷正基さんの〈反原発に向けた想いを 次世代に継いでいきたい〉14回目〈あなたにはこの国に浮かび上がている地獄図絵が、見えますか?〉に多くの読者諸氏は息をのむだろうことを確信する。これまでもダイレクトな表現で放射能の危険性、原発の理不尽を高校生の前で、またラジオで語ってきた納谷さん。今号の文章はご自身に起きた重大な健康上問題を隠さず、いま目の前にある「地獄図絵」をあなたは見ているか? 見えているか? 見えないのか? と問いただす。「命の叫び」と言っても過言ではない文章から読者諸氏は何を感じるだろうか。
板坂剛さんの〈月刊雑誌『Hanacuso』2月号を糺す!〉は硬派(?)な論考の多い本誌の中で、遊び心と痛烈な毒を盛って笑わせてくれる「清涼剤」と言ったら失礼だろうか。今号の板坂流「遊び」はこれまでで最高の出来栄えではないだろうか。請うご期待!
不肖拙著の〈悪夢の時代を直視して〉では歴史的時間軸と世界を俯瞰するとき、この国のシステムが持つのか、「将来」などあるのかを問いかけた。
その他に再稼働阻止全国ネットワークによる全国からの運動報告〈大衆行動―国民運動が「原発やめる」の決め手だ〉も北海道から九州まで盛りだくさんで、いま、現地はどう動いているか?の克明なレポートが届けられている。
15号目となった『NO NUKES voice』は皆様のご協力で、確実に成長できていることを実感する。この雑誌がさらに成長し、どの書店でも平積みとなり、そして発展的「廃刊」できる日がいつか必ずくることを信じて、編集長以下今号も全力で編纂した。お読みいただき、忌憚のないご意見・ご感想を頂ければ幸いである。(田所敏夫)
『NO NUKES voice』15号目次
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総力特集〈3・11〉から7年
私たちはどう生きるか
[グラビア]伊方の怒りはやがて勝つ(写真・文=大宮浩平)
[講演]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
3・11から七年 放射能はいま……
[インタビュー]小出裕章さん一問一答
「原発を止めさせる」ならば、小泉さんとも共闘する
[講演]吉岡斉さん(前原子力市民委員会座長、九州大学教授)
《追悼掲載》原発ゼロ社会のための地域脱原発
[講演]米山隆一さん(新潟県知事)
原子力政策と地域の未来を問う
[講演]木幡ますみさん(福島県・大熊町議)
原発は人々の活力を奪う
[報告]尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)
あらかぶさんはなぜ白血病になったのか
[インタビュー]山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)
国民の声がどれだけ大事か
[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
「人間の尊厳」としての脱原発
[報告]田所敏夫(本誌編集部)
悪夢の時代を直視して
[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈12〉
七年で完全復活した電力会社PR
[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
福島事故・忘れてはいけない五つの問題
[報告]大宮浩平さん(写真家)
《伊方撮影後記》ここには怒りがある
[報告]川村里子さん(大学生)
斉間淳子さんたちに聞く「伊方原発うごかすな」半世紀の歩み
[インタビュー]外京ゆりさん(グリーン市民ネットワーク高知)
「いかんもんは、いかん!」土佐・高知の闘い
[報告]浅野健一さん(ジャーナリスト)
「ふるさとは原発を許さない」伊方再・再稼働阻止高松集会
[報告]三上治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
持久戦とは言うけれど 石牟礼道子さん追悼
[報告]納谷正基さん(高校生進路情報番組『ラジオ・キャンパス』パーソナリティー)
反原発に向けた思いを次世代に継いでいきたい(14)
あなたにはこの国に浮かび上がる地獄絵が、見えますか?
[報告]板坂剛さん(作家・舞踊家)
月刊雑誌『Hanacuso』2月号を糺す!
[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
大衆行動―国民運動が「原発やめる」の決め手だ
《東京》 柳田 真さん/《泊》 瀬尾英幸さん/《福島》 佐々木慶子さん/
《東海》 大石光伸さん/《東電》 渡辺秀之さん/《規制委》 木村雅英さん/
《再稼働に抗する》 青山晴江さん/《若狭》 木原壯林さん/
《伊方》 秦 左子さん/《九州電力》 青柳行信さん/《自治体議員》 けしば誠一さん
去る1月18日夕刻から吉祥寺「大鵬本店」大広間にて2018年鹿砦社新年会が盛大に開かれ、取引先やライターさんら50人が参加されました。新年の慌しいさなか参加された皆様方、ありがとうございました。
開会に際し、長年お世話になっている大鵬の社長がわざわざご挨拶にみえられました。また、新年会の看板もこしらえて飾っていただきました。社長のご厚意に感謝いたします。
初めて参加された方も少なからずおられましたが、小社の新年会(以前は忘年会)は1年に1度の大盤振る舞い&無礼講です。
これは、12年前の、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧で小社は壊滅的な打撃を受け、皆様方のご支援で再起できたお礼の意味を込めて開始したものです。
一貫して会費は無料です。勿論費用はかかりますが(今回も50万円近くかかりました)、それよりも、取引先やライターの皆様方に喜んでいただき、また1年小社のためにご尽力いただければ、これにすぐることはありません。
もう10年ほどになりますが、この間にも晴れた日も、また曇りの日もありつつも継続して来ています。いくら曇ったり雨になっても、地獄に落された12年前の出版弾圧に比べれば大したことはありません。この時の体験は、確かに苦しかったですが、これに耐えることができたことで、逆に私たちに、どのような苦難にも立ち向かえる自信を与えたと思っています。
昨年も会場はトランス状態(定員、及び参加者40人ほど)でしたが、今年は昨年よりも更に多く50名ほどが参加され、スペースの関係上懸念されながらも、なんとか無事終了することができました。
そして、久し振りに全国の刑務所等を回る「プリズン・コンサート」400回を越えたPaix2(ぺぺ)にも歌っていただきました。
Paix2をご覧になったのが初めての方もおられると思いますが、こういうピュアで強い意志を持って頑張っている人たちを、ささやかながら鹿砦社は応援してきました。これからも応援していきますので、皆様方も応援よろしくお願いいたします。ライターやメディア関係の方、機会あればどんどん採り上げていってほしいと思います。
参加の方全員に挨拶していただくことは時間的にも無理ですので、10人ほどに絞り発言していただきました。口火を切った垣沼真一さんは、私と同期(1970年大学入学)で、昨年私と共著で『遙かなる一九七〇年代‐京都』を上梓しました。参加者の中で私と一番古い付き合いになります。以後、続々と多士済々の方々が挨拶、お褒めの言葉あり、叱咤激励あり苦言あったりでしたが、厳しい中にも温かさが感じられるものでした。
2次会も半分ほどの方々が残られ、こちらも盛況でした。どなたも鹿砦社を愛され、ずっとサポートしてこられた方々ばかりです。こういう方々によって鹿砦社の出版活動は支えられています。
構造的不況に喘ぐ出版界ですが、当社も例外ではありません。しかし、いつまでもこんなことで嘆いてばかりいても仕方ありません。皆様方のお力をお借りしつつ前進していく決意ですので、本年1年、よろしくお願い申し上げます。
これから1年頑張り、また1年後に新年会を開くことができるよう心より願っています。一定の売上‐利益が挙がらないと新年会も開くことはできないわけですから。
ちなみに本社のある関西では、一昨年から、東京の半分ぐらいの規模で忘年会を開いています。
◆『紙の爆弾』は「昔から“硬派”です」
「『紙の爆弾』、硬派になって来たね」。「最近の『紙爆』まともじゃん」とわたしを社員と勘違いした人からよく声をかけられる。
たしかに発売中の2月号は「2018年、状況を変える」が特集で、➀自民党内「安倍3選阻止」と野党再編、➁“合憲”でもNHK受信料問題への「対策」、➂市民の「告発」と「裁判」で悪法を正す、➃森友疑惑追及で「国家私物化」を止める、➄「今」の憲法を変えないための2つの運動、➅退位を機に「天皇制と元号」を考える、➆政権保持に利用される朝鮮問題の真相、➇日朝国交正常化とよど号メンバー帰国と、どこからみても「まとも」なラインナップが表紙を埋める。
さらに「ついに職員2名が提訴『三菱子会社パワハラ問題』」、「権力と闘うための『武器としてのポルノ』」、「富岡八宮司殺害事件『神社本庁に問われる責任』」、「問題の背景にアメリカ『クリミアの自決権』」と特集以外も、社会問題から国際問題まで広いフィールドで関心を惹かれるラインナップがならぶ。
『紙の爆弾』は月刊誌として、立ち位置が揺るぎなく固まったように感じる。と松岡社長に言うと「紙爆は昔から“硬派”ですよ」と半分冗談めかした顔で答えるけども、本格派情報月刊誌に成長した『紙の爆弾』にはぜひ、内容においても発行部数においても『噂の真相』を凌駕してほしい、と期待している読者も少なくないだろう。
◆鹿砦社LIBRARY(新書)続々刊行!
他方、昨年西宮の鹿砦社本社に久しぶりにお邪魔したら「鹿砦社LIBRARY(新書)」と表紙にデザインされた見本が目に留まった。「まさか『新書』出すんじゃないでしょうね?」と松岡社長に聞くと「新しいことやらないとね。来年からこれ出すんですよ」と、「なにをわかり切ったことを聞いているんだ」、と言わんばかりの口調。そりゃ『紙爆』の評価は安定してきたし、「リンチ事件」では孤軍奮闘を続け、それなりに名前が広まって入るだろうけど、「鹿砦社に『新書』ってちょっと似合わなくないかな」と心の中で「?」をつけたけども口にすることはできなかった。
「仕事が早くないと出版界ではつとまらない」。それを地で行くようにもう4冊の「鹿砦社LIBRARY(新書)」が本屋さんに並んでいる。わたしは頭が古いので「新書」の原イメージはいまだに「岩波新書」で(その他にも山ほど「新書」は出版されているのを知っているのに)緑、赤、黄色、内容と出版時期によって分かれている、あの質の書籍と鹿砦社が結びつかないのは、当たり前であり、わたしの頭が固すぎただけだった。
鹿砦社が「新書」を出せば「鹿砦社色になる」のは当たり前だ。記念すべきシリーズ第1弾は『歴代内閣総理大臣のお仕事』(内閣総理大臣研究会編著)だ。この本は社会科が苦手な高校生には「日本史」や「現代社会」の参考書として役に立つだろう、と一読して感じた。
もちろん「新書」の制限があるので大学受験レベルの知識すべてが網羅されているわけではないが、「歴代内閣総理大臣」を初代の伊藤博文からたどることによって、「なるほど、そういうことだったのか」といくつもの発見があるだろう。社会人の方にもちょっとした教養のプラスに役立つかもしれない「小選挙区制って問題だらけだけど、導入したのは非自民の細川内閣の時だったっよね」などと披歴したら、いやな奴と思われるだろうが、そういう発見が随所にある。
『絶対、騙されるな!ワルのカネ儲け術』(悪徳詐欺の手口を学ぶ研究会編著)は、これぞ「鹿砦社LIBRARY(新書)!」と納得できる、キワモノの連続だ。怪しい書名に怪しい内容。でもこれすべてリアルストーリだから面白い。記事が2頁ごとと短いので、活字が苦手な方でも苦なく読めるだろう。
『アラフォーの傷跡』(亀山早苗著)は40代前後の女性だけをターゲットにした、人生の中間報告書集だ。著者がじかにインタビューして「不倫」、「恋愛、「仕事」に悩みや問題を抱えていた30代の女性が、それぞれその後どんな生活をおくっているのか。女性の取材者だからここまで迫ることができたのだろうと思わされる、性的な話題も包み隠さず報告されている。同世代の女性への応援や激励となるほか、スケベ親父がよからぬ智慧を仕入れるのにも適したテキストだ。
◆鬼才・板坂剛は帝国ホテルのロビーで三島由紀夫の幽霊と会った!
『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(板坂剛著)は、三島の研究者(ファン?)として著名な板坂氏だから書くことが許された「特権」だろう。本人がどう思うかはわからないけども、齢(よわい)70にしてフラメンコダンサ―兼指導者の板坂氏の人柄は「アナキー」そのものだ。
腰まで伸ばした真っ黒な髪と贅肉のない体、キレのある動きから彼の年齢を言い当てることのできる初対面者は少ないだろう。そんな板坂氏だから逸話には事欠かないが、若い頃は一時某党派に短期間属していたとの噂もあるが、生き様は「正統派アナキスト」。そして『三島由紀夫は……』でも史実には忠実ながら、板坂氏だから書ける三島の胸の内を探った物語が展開される。驚くのは板坂氏が帝国ホテルのロビーで三島の幽霊と会ったことがあり、言葉まで交わしているとの告白だ。
4冊だけでも、硬軟取り混ぜて読者を飽きさせない「鹿砦社LIBRARY(新書)」にはこれからどんなシリーズが続くのだろうか。今年も鹿砦社は元気だ。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
2018年1月15日 カテゴリー 《しばき隊リンチ事件》, お知らせ, 松岡利康, 社会問題一般, 鹿砦社特別取材班
来る1月18日午前11時から、李信恵被告による相次ぐ「鹿砦社クソ」発言に対する名誉毀損訴訟第2回弁論(大阪地裁第13民事部)が開かれます。この期日には被告側の答弁がなされることになっています。
在特会や保守速報等に対する訴訟によって「反差別」運動の旗手ともて囃されている李信恵被告が、裏では大学院生リンチ事件に関わり、当社に対しては連続して「クソ」発言を繰り返すということをなぜ、李被告をもて囃す人たちは目をそむけ黙っているのでしょうか? それは「反差別」運動にとってもマイナスでしかないと思うのですが。
会社や社員を誰よりも愛する私としては、李被告による「鹿砦社クソ」発言は到底許せるものではありませんし、取引先への悪影響を懸念して、やむなく提訴に踏み切りました。以来さすがに当社に対する「クソ」発言は止まりましたが、私が李被告に会ってもいないのに喫茶店で睨み恐怖を与えたかのようなツイートをし、係争中にもかかわらずさらに私を貶めるような発言をしています。どこの喫茶店なのか、問い質しましたが返答がありません。それはそうでしょう、会ってもいないのですから……。
私が李信恵被告の顔を見たのは、リンチ被害者の大学院生M君が李被告ら5人を訴えた裁判の本人尋問(昨年12月11日)が初めてでした。「反差別」運動の旗手として祀り上げられた人物とはどんな顔をしどんな雰囲気を醸しているのだろうか? 興味津々でした。意外にも、社会運動の旗手として君臨するような輝いたイメージではなく、顔色は酒焼けしているのか悪く、目の輝きはなく目つきもよくありませんでした。この人が「反差別」運動の旗手なのか――尋問も聴いていると、明らかに事実と異なる嘘を平然とついていました。「反差別」運動のリーダーたる者、嘘をついてはいけません。
李信恵という人は、M君に対し5人でリンチを加えた現場にいてその場の空気を支配し、ネット上で流行語になった感さえある、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」とリンチの最中に言ったり、半殺しの目に遭ったM君を寒空の下に放置して店を後にしたりした、その人です。こんな人が一方では「人権」を声高に叫ぶのですから、世も末です。
このリンチ事件に出会い、ずっと調査や取材を進めていく過程で、李被告に限らず「反差別」運動(「カウンター」‐「しばき隊」)の周辺の人たちの言葉が殊更汚いことは気になっていましたが、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」という言葉に極まった感があります。
私は1970年代以降、この国の部落解放同盟による、いわゆる「糾弾」闘争などを経過し、私なりに「反差別」のなんたるかについて考えてきました。「糾弾」闘争への疑問が語られ始めた頃、師岡祐行さん(故人。当時京都部落史研究所所長)と土方鉄さん(故人。元『解放新聞』編集長)の対談を行い、両氏とも「糾弾」闘争の誤りを指摘されていたことを思い出します。土方さんは喉のガンの手術の後で、絞り出すように語られていました。この対談は記録にも残っています。1992年のことです。その後、さすがに解放同盟も反省したのか今では「糾弾」闘争をしなくなりました。
差別と闘うということは崇高なことです。真逆に「反差別」の看板の裏で平然とリンチを行うことは、差別と闘うという崇高な営為を蔑ろにし「糾弾」闘争の誤りを繰り返すことに他ならないと思います。それもリンチはなかったとか事件を隠蔽し、当初の反省の言葉さえ反故にして開き直っています。これが「反差別」とか「人権」を守るとか言う人のやることとは思えません。いやしくも「反差別」とか「人権」を守るというのであれば、みずからがやった過ちに真摯に立ち向かうべきではないでしょうか?
私(たち)は、大学院生M君リンチ事件に出会い、これを調べていく過程で常に自問自答を繰り返してきました。私(たち)がM君を支援しリンチ事件の真相を追及するのは是か非か――答えは明らかでしょう。リンチの被害者が助けを求めてきているのに放っておけますか? 私(たち)はできませんでした。あなたはどうですか?
私たちはすでにリンチ事件について4冊の本にまとめ世に出しています。事実関係はもう明白です。最新刊の『カウンターと暴力の病理』にはリンチの最中の録音データをCDにし付けていますし、リンチ直後のM君の凄惨な写真も公にしています。これを前にしてあなたはどう思いますか? なんとも思わないのなら、よほど無慈悲な人です。こんな人は、今後「人権」という言葉を遣わないでいただきたい。
李信恵という人に出会って、私は「反差別」運動や「反差別」についての考え方が変わりました。「人権」についてもそうです。平然とリンチを行う「反差別」運動とは一体何ですか? 被害者の「人権」を蔑ろにして「人権」とは?
◆鹿砦社は「極左」出版社ではない!
李信恵被告の当社に対する罵詈雑言のひとつに、当社が中核派か革マル派、つまり「極左」呼ばわりしているツイートがあります。70年代以降血で血を洗う凄惨な内ゲバを繰り広げた中核‐革マル両派と同一視され、その悪いイメージを強調されることは、由々しき名誉毀損です。
この際、いい機会ですから、このことについて少し申し述べておきたいと思います。
「極左」呼ばわりは、李被告と同一歩調を取る野間易通氏や、李被告の代理人・神原元弁護士らによって悪意を持ってなされています。「極左」という言葉は公安用語だと思いますが、いわば「過激派キャンペーン」で、鹿砦社に対して殊更怖いイメージを与えようとするものといえます。彼らが私たちに対し「極左」呼ばわりするのは何を根拠にしているのかお聞きしたいものです。
鹿砦社には、私以外に7人の社員がいますが、誰一人として左翼運動経験者はいません。私は遙か40年以上も前の学生時代の1970年代前半、ノンセクトの新左翼系の学生運動に関わったことがありますが、大学を離れてからは生活や子育てに追われ、運動からは離れていますし、集会などにもほとんど行っていませんでした。ノンセクトだったから運動から容易に離れられたと思います。考え方は「左」かもしれませんが、いわば「心情左翼」といったところでしょうか。社員ではなく、『紙の爆弾』はじめ鹿砦社の出版物に執筆するライターは左派から保守の方まで幅広いのは当たり前です。
また、鹿砦社は、1960年代末に創業し、当初はロシア革命関係の書籍を精力的に出版してきましたが、現在(1980年代後半以降)はやめています。昨年1年間で強いて左翼関係の本といえば、100点余りの出版物の中で『遙かなる一九七〇年代‐京都』(私と同期の者との共著で、いわば回顧録)だけです。
これで「極左」呼ばわりは、悪意あってのことと言わざるをえません。
さらに、M君リンチ事件について支援と真相究明に理解される方々の中にも、さすがに「極左」呼ばわりはなくとも「ガチ左翼出版社」と言う方もいますが、これも正確ではありません。
1970年代の一時期、当時どこにでもいたノンセクトの学生活動家だったことで、40年以上も経った今でも「極左」呼ばわりされないといけないのでしょうか。
2017年12月15日 カテゴリー 《NO NUKES voice》, お知らせ, 原発, 書評・出版, 田所敏夫
『NO NUKES voice』14号をお届けする。本号の特集は「2018年の争点 脱原発と民権主義」だ。「大義なき解散」から総選挙をうけて、与党勢力は相変わらず衆議院で3分の2を確保しているがきたる2018年はどのような年になるのか、すべきなのか。
◆中村敦夫さん、怒涛の〈反原発〉一人芝居『線量計が鳴る』を語る
数年がかりで原発の誕生から日本へ持ち込まれた事情、構造的問題や福島第一原発事故被害の事実、それを隠蔽しながらまだ再稼働や原発輸出に血道をあげる総体を2時間およぶ一人芝居『線量計が鳴る』の脚本として書き上げ、みずから演じる中村敦夫さんにおはなしをうかがった。
俳優、作家、参議院議員で活躍された中村さん。エコロジストを自認し福島第一原発事故あと「逃げるわけにはいかない」なかから生み出された“線量計が鳴る”に込めた想いとは? そして日本社会へ中村さんが感じ取る危機とは? ロングインタビューでそのすべてを語っていただいた。
◆高野孟さんの長文論考「原発ゼロの政権はいつ誕生するのか?」
高野孟さんは総選挙の結果から、2018年の政治地図の可能性についてまでを分析、予想する論考を寄せて頂いた。「原発ゼロの政権はいつ誕生するのか?」に対する高野さんの回答は読者にとっては意外なものかもしれない。旧民主党誕生に深くかかわり、長年政治を取材し続けた高野さんの見る2018年とはどのような姿であろうか。
◆東電再稼働圧力に抗した前・新潟県知事、泉田裕彦さんはなぜ自民党から出馬したのか?
最年少知事として新潟県知事に就任し、一貫して東京電力の企業体質や原発の安全性に疑問を呈してきた泉田裕彦さん。知事を辞職しまだその後の身の振り方が明らかにされなかった時期に編集部は『NO NUKES voice』12号で泉田さんのお話を伺っている。全国から「保守ながらも脱原発派知事」と注目を浴びた泉田さんの弁舌は実に鋭く印象深かった。その泉田さんが総選挙では自民党から出馬し当選した。原発につての態度に変化はあるのか? なぜ自民党から出馬したのか? 改憲についてのお考えは? 初登院の直後に編集長が直接泉田さんを直撃した。「与党内から原発政策を変えられるのか?」は必読のインタビューだ。
その泉田さんに福島からの自主避難者礒貝潤子さんが思いを届ける「泉田裕彦さんへの手紙」が続く。泉田さんはどう受け止められることだろう。国会議員としての泉田さんに目を離すことができない。
◆〈改憲〉と〈五輪〉をめぐる電通利権から2020年暗い時代を本間龍さんが予言する
2020年が近づいてきた。フクシマを隠蔽するための“東京オリンピック”なる擬制の広報は既に大々的にはじまっている。そして首相安倍は2020年に改憲を目指すと明言している。一気呵成(いっきかせい)の大反動はどのようなシステムが世論誘導を担うのか? 本間龍さんが「電通プロパガンダ〈改憲〉国民投票と〈五輪〉無償奉仕」で巨悪、電通が担う役割とメカニズムを具体的に紹介している。東京を中心にすでにはじまっている、いやというほどの〈五輪〉広報。数々の世論誘導総仕上げとしてどのような策謀があるのか?
◆経産省前テントひろばの淵上太郎さんが不当逮捕の顛末を暴露する!
経産省前テントひろば共同代表で先に不当逮捕・勾留された淵上太郎さんは、長年の闘士らしく(らしからぬ?)余裕綽々に逮捕の様子や勾留中の様子、今後の闘争方針についてインタビュアーの小林蓮実さんと語っている。この「余裕」に闘いの永続性の源を感じる読者も多いことだろう。
◆映画『被ばく牛と生きる』監督、松原保さんが語る福島の〈復興〉とは?
映画『被ばく牛と生きる』監督の松原保さんは「福島は〈復興〉の食い物にされている」現状を映画作成の過程を通じ、作品でなぜ複数酪農家を取り上げたのかなど被害を見抜く、視点の在り方が語られる。
◆福島避難と共に成長してきた渥美藍さん、18歳の告白
渥美美紀さん・藍さんのお二人は、母子で福島から兵庫へ自主避難した。美紀さんは介護施設で働き、藍さんは当初公立中学に通ったものの「デモクラティックスクール」へ転校する。14号を迎える『NO NUKES voice』でおそらくは最年少話者(18歳)の登場だ。藍さんは多弁ではないが、その言葉は本質を突く。彼女の作文にも読者は驚かれることだろう。悲劇が生み出した成長なのであろうか。渥美さん母子のインタビューは飾り気はないが、迫力に満ちている。
◆山崎久隆さん、板坂剛さん、佐藤雅彦さん、三上治さん、納谷正基さん──連載執筆陣の強力報告満載!
その他、山崎久隆さん「2017年回顧・日本の原発10大問題」、小林蓮実さん「『生業を返せ!地域を返せ!』福島原発被害原告団・弁護団『正義の判断』」と報告が続く。
常連執筆陣の熱はいっこうに下がらない。板坂剛さんの危険極まる「昨日、テロリストに会った」、斎藤武一さんと佐藤雅彦さんはともにラドン被ばくについて紹介し、三上治さんは鬼籍に入った塩見孝也さんや見送った同志に思いをはせながら闘いへの思いを語る。納谷正基さんの「本来の視点から見た“先生”と“生徒”の関係性について」は永続的沸点に達した納谷さんの怒りが飛んできそうだ。
ほかに全国からの報告記事も満載の『NO NUKES voice』は2018年もさらに広範な、そして力強い「反・脱原発」実現のための一翼を担う覚悟を宣言する。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
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【新年総力特集】
脱原発と民権主義 2018年の争点
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中村敦夫さん(俳優・作家)
[インタビュー]線量計は鳴り続けている
3・11後に辿りついた〈異化・覚醒〉の一人芝居
高野 孟さん(インサイダー編集長/ザ・ジャーナル主幹)
原発ゼロ政権はいつ誕生するか?
泉田裕彦さん(自民党・衆議院議員)
[インタビュー]与党内から原発政策は変えられるか?
磯貝潤子さん(市民連合@新潟共同代表/原発事故自主避難者)
泉田裕彦さんへの手紙
本間 龍さん(著述家)
〈改憲〉国民投票と〈五輪〉無償奉仕
電通2大プロパガンダがはじまる
淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)
[インタビュー]経産省前から〈反原発の声〉を結集させ続ける
不当逮捕を経たテントひろば淵上さんの「思い」
松原保さん(映画『被ばく牛と生きる』監督)
[インタビュー]福島は〈復興〉の「食い物」にされている
渥美美紀さん、藍さん(原発母子避難者/兵庫県在住)
[インタビュー]鼻血を出したり、心臓が痛い同級生はたくさんいた
原発事故から避難した十八歳の訴え
山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
二〇一七年回顧・日本の原発一〇大問題
小林蓮実さん(アクティビスト/ジャーナリスト)
「生業を返せ! 地域を返せ!」福島原発被害原告団・弁護団「正義の判断」
田所敏夫(本誌編集部)
史上最強の盛り上がりを見せた九回目の熊本「琉球の風」
板坂剛さん(作家・舞踊家)
昨日、テロリストに会った!
斉藤武一さん(岩内原発問題研究会代表)
旧産炭地ではなぜ「がん死」が多いのか?
北海道・ズリ山(ボタ山)のラドンを測る
佐藤雅彦さん(翻訳家)
在日米軍住宅を蝕むラドン汚染
三上治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
どこまでも続く闘いだ──塩見孝也さんの訃報に接して
納谷正基さん(高校生進路情報番組『ラジオ・キャンパス』パーソナリティー)
反原発に向けた思いを 次世代に継いでいきたい〈13〉
本来の視点から見た “先生”と “生徒”の関係性について
再稼働阻止全国ネットワーク
原発再(再々)稼働の嵐を阻止する二〇一八年に!
・《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
・《青森》中道雅史さん(なくそう原発・核燃、あおもりネットワーク)
・《福島》黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
・《東京》山田和秋さん(たんぽぽ舎ボランティア)
・《東京》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
・《新潟》清水 寛さん(脱原発市民グループ「なの花の会」世話人)
・《浜岡》鈴木卓馬さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
・《福井》坂東喜久恵さん(たんぽぽ舎)
・《伊方》けしば誠一さん(杉並区議会議員、反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
・《福井》若泉政人さん(サヨナラ原発福井ネットワーク)
・《伊方》名出真一さん(伊方から原発をなくす会)
・《伊方》小倉 正さん(原発さよなら四国ネットワーク)
・《玄海》工藤逸男さん(戦争と原発のない社会をめざす福岡市民の会)
・《書評》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
このかんたびたびお伝えしてきましたように、11月12日、京都の同志社大学今出川キャンパスで、「70年安保・学生運動、そして児童文学……過ぎ越し45年を振り返り いま生きてあることの意味を問う」と題し、私の先輩にして児童文学作家の芝田勝茂さんの講演会が開催されました。講演の内容は、別紙のレジメに沿って話されました。
学友会倶楽部は、全学自治組織「学友会」解散後、OBの、いわば親睦組織として発足し、毎年今の時期に大学の行事としてなされるホームカミングデーで講演会を開いてきました。今回で5回目となりますが、単にゲストを招いて講演していただくだけでなく、1年に1度ではありますが、集まって、学生時代から培ってきた志を確認し、お互いの現在の活動を知り、また励まし合うということだと私なりに理解しています。
代表は、1964年度生の堀清明さん。堀さんはかつて大きな事故に遭いお体が不自由な中で頑張ってこられ、また今年は2カ月余り入院され、退院されたのは講演会の1週間前でした。かつて「若きボリシェビキ」(古い!)の時代は、人一倍過激で怖い方だったと聞きます。
そのように先輩が頑張っているのに、後輩が安閑としているわけにはいかないでしょう。
ということで、今年は私の発案で、学生時代直属の先輩だった芝田勝茂さんをお呼びすることになりました。
お呼びするに際し、実に37年ぶりに再会しいろいろ話しました。懐かしさと共に、お互いに生き延びてきたことを喜び合いました。
芝田さんは、1971年の三里塚闘争で逮捕され、長い裁判闘争を抱え、生活面含め苦労されながら児童文学の作品を書き続けてこられました。今回、私(たち)の求めに応じ、「初めてで最後」の学生時代の話をされました。一時期、共に活動したこともあり、当時を想起し、ほろっとするところもありました。
ところが、11・12が近づいてくるにしたがい、「はたしてどれだけの方が参加してくれるだろうか」との強迫観念にさいなまれました。宣伝・広報活動にも最大限努めました。同日、10・8羽田闘争50周年記念集会など複数のイベントが重なり、参加者が分散することも懸念されました。実際に、「10・8記念集会に行くよ」と言った方も何人かおられました。ええい、たとえ実行委員だけだったとしても、われわれのできる最大限の取り計らいで芝田さんをお迎えしようと腹を括りました。
そんなこんなで当日朝まで眠れない日が続きました──。
しかし、それは杞憂でした! 当日、会場には続々と参加者が押し寄せてくれました。涙が出そうでした。実行委員も含め100人ほどの参加者でした。10・8記念集会などとバッティングしなかったらなあ……と思いましたが、そんなことを言っていても仕方がありません。
私が最初の挨拶と司会・進行を努めさせていただきました。
芝田さんのお話は、学生時代の体験から始まりましたので、肯けることばかりでした。やはり学生時代に共に議論し共に行動したことは身に付いています。
芝田さんにしろ、3年前に遙かアメリカからお招きした矢谷暢一郎さん(現・ニューヨーク州立大学教授、学生時代は学友会委員長)にしろ、人一倍の苦労をされました。おふたりに共通しているのは逮捕・勾留、有罪判決を受けたということです。そのご苦労が今に結実しています。私も逮捕・勾留、有罪判決を受け、それなりの苦労はしましたが、それがいいほうに結実しているかどうかはわかりません(苦笑)。
この日、芝田さんの単行本未収録の短編小説3篇を小冊子にし、レジメと共に参加者全員にお配りし喜んでいただきました。また、「S・Kさん」として再三再四くどいほど登場する『遙かなる一九七〇年代‐京都』の完成を目指しました。元々、長年かけて準備してきていたものですが、だらだらしてなかなか進捗しませんでした。ここは、11・12に向けて完成させようと、共著者の垣沼真一さんと意を引き締め編集作業に努めました。なんとか間に合い11月1日に完成し、署名したものを直接芝田さんにお渡しすることができました(奥付の発行日は11月12日)。
この本の底流には、芝田さんの思想が在ります。それは、
「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だといったんだ、だってそうだろう、革命は戯画化することはできるが、戯画によって革命はできないからな」(本書第三章「創作 夕陽の部隊」より)
という言葉に凝縮されています。
この作品について芝田さんは直前のフェイスブック(11月7日)で、
「……1973年にノートに殴り書きされた『夕陽の部隊』は、暗黒の闇がすぐそこに来ている刻に、一群の若者たちが得体の知れない怪物と闘う話だ。彼らの論理は、確実な敗北を前にして、ひとはいかに生きるのかという、ある種の美学にすぎないように思える。現世に、なにがしかの獲物の分け前を求めるのではなく、夕陽の金色の残照に、どのように煌めくのかという、それだけのために、醜怪の極に向かって突っこんでいく、最後の突撃隊。だが、『敵』とはいったい、誰のことなのだろう?……主人公の青年が、その後に辿り着いたところ、そこでどんなことがあったのかをも含めて、今の若い方々にも聞いていただければ、と思う。決してノスタルジーを語るつもりはない。それらのすべてが、『今』に意味を持っているのかを、わたしも知りたい」
と書かれています(『夕陽の部隊』は『遙かなる一九七〇年代‐京都』に再録されています)。
荒井由美の時代の名曲「いちご白書をもう一度」(1975年)からも42年経ちました。世に出たのは、芝田さんや私が失意のなか京都を離れる頃です。月日の経つのは速いものです。〈われわれの「いちご白書をもう一度」〉を歌いたい──。
最後になりますが、私の無理を聞き入れ「初めてで最後の講演」をしていただいた芝田さん、本講演の実行委員のみなさん方、会場に足を運んでいただいた皆様方に、心よりお礼申し上げます。