朝鮮の平壌市内に暮らす、よど号メンバーの魚本公博さんより、次のテキストが届いた。ただし、「依頼のあった」ということだが特に依頼したつもりはないため、今回で最終回としたい。

衛星放送を観ている魚本公博さん

◆「『日米同盟基軸』を問い直す絶好の機会」よど号メンバー・魚本公博さんより

「ピョンヤンからのラブレター」。今回、小林さんから「ウクライナ情勢で東側の言い分」を書いてはどうかとの提言をもらったので、それを考えてみました。題目をつけるとすれば「『日米同盟基軸』を問い直す絶好の機会」とでもなりましょうか。

ウクライナ事態を見る上で重要なことは、それが日本にとってどういう意味をもつのかということだと思います。

今、日本でのマスコミ報道は、「プーチン=悪」のオンパレードです。そして、それを利用して、様々な聞き捨てならない論説が出てきています。その典型は、安倍元首相や維新が主張する「核の共同所有」論でしょう。そして「非核三原則」の廃棄、敵基地攻撃能力保持、専守防衛の見直しなど9条改憲の動きが強まっています。

「核の共同所有」、その論理は「ウクライナは核を放棄したから侵略された。日本は核をもたねばならない。そこで、NATOのような核シェアリングを」ということです。

これを聞いて、私は1980年代初頭の欧州反核運動のことを思いました。当時、私は、欧州でこの取材をしていましたので、ことの外このことが頭をよぎったのです。

ことの始まりは、米国がNATOの未核保有国であるドイツ、ベルギー、イタリア、オランダ、トルコの5カ国に中距離核ミサイル・パーシングIIを配備する計画を発表したことです。それまで、核戦争は米ソ両国がICBMを相互に打ち込むというイメージでしたが欧州に中距離核ミサイルを配備すれば、欧州が核戦争の戦場になる可能性が高まります。そこで、「欧州を核の戦場にするのか」「米国を守るために欧州に盾となれと言うのか」という怒りの声が高まり、空前の「欧州反核運動」が起きたわけです。

安倍元首相らの「核の共同保有」論なるものは、「パーシングII配備」とまったく同じであり、それは、「日本を核の戦場にするのか」「米国を守るために日本は盾になれというのか」という問題だと思います。

このような「とんでも論」が出てくるのは、ウクライナ事態を「プーチン=悪」とのみ見るからです。しかし、その根本要因は「NATOの東方拡大」にあるということを見逃してはならないと思います。

冷戦終結期に米国のベーカー国務長官が「NATOの東方拡大はしない」と約束し、2014・15年の2回のミンスク合意でも約束したことを「俺が約束したことではない」と反故にし、NATOへの加盟、ドネツク、ルガンスク攻撃を強めたゼレンスキーに責任はないのでしょうか。そう仕向けた米国に責任はないのでしょうか。

そして考えるべきは、「米国の核の傘の下での平和」論の虚構性です。本来なら米国は核の脅しで、ウクライナへの侵攻は許さない、撤兵しろと言った筈です。しかし、それをせずに、米国もNATOも武器を送り込み、諜報部員を送りこんで、ウクライナ人に戦わせている。核の脅しなどやれば米国自体が危うくなると踏んでいるからです。

それだけ米国の覇権力が落ちたということでもありますが、そうであるのに、いまだに「米国の核の傘」を信じ、あるいは「核の共同所有」で、これを支えるなど、日本を核戦場にし、日本だけが戦わされるものにしかなりません。

日本は、あの地獄のような戦争を体験し、「もう二度と過ちはくりかえしません」と誓い「非戦、非核」を国是としました。ウクライナ事態は、その正しさを証明しているのではないでしょうか。9条自衛、専守防衛に徹し、対外的に敵を作らず友好国を増やして日本の平和と安全を守り、外交の力で対外問題を解決するということです。

そのためにも、「米国の核の傘の下での平和」。その具体化としての「日米同盟基軸」の国のあり方、そして、米中新冷戦で日本が対中国対決の最前線に立たされようとしていることの危険性などを真剣に考えるべき時です。

ウクライナ事態は、それを契機に起きた物価高騰などの経済混乱を含めて、日本が今まで通り「日米同盟基軸」でやっていくのか、それとも真に日本の平和のために、日本の国益のために、「日米同盟基軸」を見直すのかを問う絶好の機会となっているし、しなければならないと思っています。

◆防衛論の前に意識したい、善悪二元論を疑うこと

「『日米同盟基軸』を問い直す」こと自体は、国内の動きとして見受けられる。バイデン政権が対ロ参戦を否定したことにより、日本の防衛の前提とされていた「核の傘」が危ぶまれたからだ。

マスコミ報道には、変化が見られるようになった。個人的には日頃よりマスコミ報道を懐疑的に見ているが、左派などの間でブチャの虐殺などはデマであるという論調が広まり、それに対する反応も含めて眉唾ものだと考えていた。特に極端なものというのは、左右を問わず内容を疑い、エビデンスを追究すべきではないだろうか。すると、報道の側にも冷静なものが出始めるようになってきた。ただし、冷静を装うようなものもあるし、エビデンスが十分であるともいえない。

現代における情報戦では、情報が速く広く収集できるようになっている。いずれの側も権力者はそれを最大限に活用しようとするだろう。受け取る側も、ポジショントークとはいわないまでも人間であるがゆえ、信じたいものを信じがちだ。極端に走れば、いずれかの「陰謀論」に陥ってしまう。事例が多々見受けられる。このような問題に自覚的であるべきだと、私は思う。そのうえで、「真実」に近づくべきではないか。

「核の共同所有」論や(少なくとも現時点での)9条改憲には反対であり、そもそもアメリカから「独立」して戦争責任も取り直すべきと考えているが、その先に関してここに一度書いたものは消しておく。議論も重ねたいところだ。

ここ数日の間、インターネット上では、護憲派や自衛隊論を述べた共産党に対する批判が見られたり、「プーチンはアイヌ民族をロシアの先住民族に認定している」と危機感を表す人もいる。『ロシアにおける遵法精神の欠如 : 法社会学と経済史の側面から見たロシアの基層社会』という論文も注目された。朝日新聞社編集委員が安倍氏インタビュー記事公表前の誌面を見せるよう週刊ダイヤモンドに要求していたことも報道された。その一方で、日本とロシアの共通点をあげる人もいた。だが、「日本のために戦おうという国民は、ほとんどいないのではないか」と問う人もいる。今こそ「真実」を見極めながら、私たちはこれらのことについて考えるべきだろう。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。地域搾取や自然破壊の現場でカウンター活動をしていらっしゃる方、農作業や農的暮らしに関心ある方からのご連絡をお待ちしております。
https://www.facebook.com/hasumi.koba/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年5月号!

平壌「日本人村」から、「手紙」の執筆者は魚本さん以外でもいいのか、という相談が以前あり、もともと私はみなさんが代わるがわる書くものと考えていたと回答。このやりとりが手紙らしくなるまでまだ時間はかかりそうだが(苦笑)その後、よど号メンバー・現リーダーの小西隆裕(こにしたかひろ)さんから「デジタル鹿砦社通信 小西ラブレターです」の件名でメールが届く。彼らとの往復メールの前回・第4回のテーマは「『デジタル化』を口実に情報をアメリカに売り渡し、権力を乱用するのか」とした。今回・第5回は私から、10月31日に投開票された衆院選をテーマとしてリクエストしておいたのだ。

「コロナの中、お元気ですか。こちらは、ゼロコロナ。皆、歳の割には元気でおりますから、ご安心ください。総選挙に関する原稿を書きましたので送ります。お役に立てれば幸いです。」とのこと。役立つかどうかをあてにしているわけではないが、私が読者のプラスになるようにまとめる責務はあるだろう。たとえそれが成功しなくても許してほしい。

大同江(だいどうこう/テドンガン)を背景に、平壌「日本人村」事務所のベランダに立つ小西隆裕さん。遠くに対岸の農場が遠望できる。今週は暖かいそうで、雪はなし。このベランダからは夜間、満天の星を楽しめる。

◆「先の総選挙、野党惨敗の根因を問う」 小西隆裕

よど号メンバー・現リーダーの小西隆裕さん

「この国の民はどうしてこうなのか」。先の総選挙結果に接しながら、こうした思いが頭をかすめた識者は少なくなかったのではないか。

しかし、「民」としては、そう言われても立つ瀬がないのではないかと思う。何しろ各党が言っているのを聴いても、皆同じようで、どこを選んでよいか分からなかったのだから。実際、玄界灘を超えた彼方から見ても、与野党どこも、代わり映えがしなかった。

政権交代を目指すのなら、与党との対決点が明確なその目的がはっきりと示されなければならなかったのではないか。

ところが、それがどうも見えてこない。これでは、野党候補を一本化しても、数合わせのための野合だという誹謗中傷が正当性を持ってしまう。

どんなに主義、理念が違っても目的が一致しているなら、いくらでも共闘できる。そのような誰もが納得する政権交代の目的を打ち出し、それを与党との闘いの争点にすることができなかったことに最大の問題があったのではないだろうか。

なぜそうすることができなかったのか。それはそれだけ、彼ら野党が国民の生活と運命に切実でなかったからだと言わざるを得ない。

もし彼らがそれに切実で、国民と一体になっていたなら、それを反映する政権交代の目的を野党共闘の統一した政策として提示することができていたに違いない。

自らの足腰を強くする前に、何よりもまず、国民の意思と要求を反映した路線と政策を政権交代に向けた野党連合統一の目的として掲げるために、野党はもっと国民大衆の中に深く入ることが問われているのではないだろうか。

それともう1つ、日本において国民の生活と運命に切実であろうとするなら、与党自民党政権の背後にいてそれを動かしている米国の動きにも無関心ではいられないはずだ。しかし、それがよく見えてこない。政権交代の目的にもそれが全く反映されていない。

メディアなどの宣伝によって国民の意識から「米国」が消されてしまっている中、この「タブー」に野党が挑戦しないのは、正しい判断なのか。

国民の意識にないからこそ、野党は米国が今、その最前線に日本を押し立ててきている「米中新冷戦」が「日米新時代」のかけ声とともに、日本を米国に吸収統合しようとしてきている事実などに基づき、岸田政権がまさにそれを遂行する「新冷戦体制」づくりのための政権であることなどを明らかにしながら、それに反対する闘いの路線と政策を掲げていくべきだったのではないだろうか。

国民は、広くこのことの本質を受け止め、賛同してくれるのではないだろうか。

私は、この辺りに先の総選挙、野党惨敗の根因を見ているのですがどうでしょうか。

◆次の選挙に向け、どうすればよいのかを一緒に考えよう

前回の結びに対するお返事は特にないようだが、改行が多い(笑)。

さて、5野党一本化の勝率は28%とのこと。選挙制度の問題はあれど、芳しい結果とは言い難い。争点については、岸田が首相となってさらに見えにくくなり、野党共闘側の各党の先鋭的な主張が目立つようになったかもしれない。今日までに私は、やはり地域の仲間などと選挙について意見を交わした。小西さんも触れていることに関連するが、「アンチを唱えて希望がない。50年後、100年後の未来を担う心づもりが感じられない。未来像が見えてこない」。これが最も大きな問題ではないか。

権力をもつ与党をチェックすること、アンチを唱えることは野党の仕事で、必ずしも対案を出す必要はない。だが、選挙では、どのような社会をつくるのかを伝える必要がある。そうでなければ、政治を托す相手を選べない。また現在、失われた年月が増大するばかりで、先が見えず、また新型コロナウイルスの影響もあって失業や自殺が重なっている。先日、久方ぶりに東京に行ったら、野宿の方々のスーツケース所持率の高さ、そして若年層への拡大が目に入った。支援グループへの相談も増えていると聞く。

そのようななか、唯一、未来の希望を語り続け、議席を増やしたのは、やはりれいわ新選組だった。山本太郎代表は、「衆院選挙で3議席を獲得。永田町や物知り顔の評論家から、1議席も難しいと言われていたことを考えると、躍進です。この結果はいうまでもなく、これまで何があっても見放さず、コツコツとれいわを支援くださった皆さんのお力です。100%市民の力で作られた政党が、ステージを上げました。しっかりと地獄を是正する活動を国会内外で繰り広げます。」と公式サイトに記す。

れいわの支援者の中にも、共闘を疑問視する声がある。特に、「消費税ゼロ」を掲げるれいわが共闘によって「減税」にトーンダウンしたことにより、アピールが弱まったという意見が多い。

また結局、立憲民主党は共産と距離をおくことを強調し、11月末に就任した泉健太代表は「政策立案政党」「人に温かい資本主義」「人にやさしい持続可能な資本主義」「穏健中道路線」を訴えている。だが、個人的には、候補者をおろして共闘した共産党に対して失礼でもあり、また結局は「資本主義」のさらなる推進を掲げるなら、もはや立民の存在意義はかなり危うくなるものと思われる。提案内容についても全体的にピンと来ないので、ここで改めて取り上げることはしない。もはや本来的には、自民・国民・立民は左・右・中に分かれて3つに整理し直してほしいくらいだ。と考えていたら、すでに分裂の声もあるらしい。労働者同士を争わせるように仕向ける竹中平蔵は、ベーシックインカム論ですら民営化と自己のビジネスを想定していると思われる。表面的な政策でなく、根本的なもの、方向性を私たちは見定めねばならない。

若者が自民党に投票していることが次第に明らかとなり、また日本維新の会が票を集めた。これらも、自らや周囲の現状が酷すぎないと思い込み、前向きで力強いメッセージを伝えてくれていると感じさせるに足るメディア露出などに支えられ、できあがったものだろう。マスコミ、政治家、野党支持者、1人ひとりが考え直し、取り組みを改める必要がある。

本来は現場から政治家をあげていくのがいいかもしれないが、現実的にはなかなか難しい。まずは各党の1つひとつの選択について意見を明確に発し、来年の参院選に向かって私たちも動きを明確にしていく必要があるだろう。個人的には共闘よりも、やはり総合的にかなり指示できる政党を、もっとしっかり応援しなければいけないなと思う。なかなか何か起こればぶれてしまう。それにはまず、近くの仲間との意見交換を継続することが重要ではないかと考えている。

ところで月刊誌『紙の爆弾』202年1月号に、「野党共闘の成果と課題 岸田文雄『長老忖度政権』と闘う方法」をテーマとして横田一さんが寄稿していらっしゃる。野党共闘の成果もきちんと評価されているので、ご一読を。

連合の中を垣間見た立場からは、民主党系がそこを票田としてあてにするうちはいろいろなことが困難であろうと考える。50年後、100年後を見据えたうえで現在、何をなすべきかを、政治家の方々にも示してほしいと思ってしまう。

◎[連載リンク]平壌からの手紙 LOVE LETTER FROM PYONGYANG 

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』202年1月号に、「請求棄却で固有種絶滅の危機 森林伐採問う 沖縄『やんばる訴訟』」寄稿。

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〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

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秋の深まる平壌から、届くメール。前回の平壌からの手紙では、よど号メンバー・魚本公博さんから届いた「2つの『8・15』」というタイトルで敗戦とタリバンのカブール制圧とを比較した論考と、それに関する筆者からの解説とを投稿した。彼らとの「往復メール書簡」第4回目は、第2回目で取り上げた「デジタル庁発足の背後に潜む巨大な問題」の続編を取り上げる。

◆「地域住民主体の自らのためのスーパーシティ建設を」 魚本公博

魚本公博氏。霧の中、銀杏をバックに

今、デジタル化が叫ばれる中、地方では「スーパーシティ構想」が進められています。

このスーパーシティの最大の問題点は、データ主権を放棄し、GAFAなど米国のプラットフォーマーに全面的に依存するところにあります。こうなれば、地域の様々なデータ、住民のデータは米国に握られ、地域、住民はその隷属物になってしまいます。

「すべては救えない」として地方の中核都市にカネ・ヒトを集中し、それを米系外資に委ね、基礎自治体が運営する水道などの運営権を譲渡するコンセッション方式の導入など地方を米国に売り渡すかのような地方政策。そこには、市町村など地域自治体の切り捨て、自治体の企業的運営による自治、住民主権の剥奪を伴い、全国市長会などが「我々を見捨てるのか」と反発していたもの。こうした声を押しつぶす。とりわけ米中新冷戦の中で何としても日本を米国の一部として組み込むことを一挙に進める。それが政府の「スーパーシティ構想」ではないでしょうか。

肝要なことは「データ主権」。しかし、今のような自民党の対米従属政権ではそれを望むべくもない。では、どうするか。

私は、見捨てられる市町村など地域からスーパーシティを作りながらGAFAに依存しないシステム(プラットフォーム)を作り、その輪を横にも上にも広げ、地方全体の標準「都市OS」に育てる。そうしたことができないものかと思っています。建設機材のコマツやスマート農業などでは独自のプラットフォームを使っているようですし、可能だと思うのですが、どうでしょうか。

ここで大事なことは、地域住民主体です。そのためにネット議会やネット政策会議、ネット提言室みたいなものを作る。そして自治体と地域住民が一体となり自らのスーパーシティを自らの力で自らのために建設していく。

小林さんが以前、紹介されていた地方の区長さんがおっしゃる「顔が見える関係」やボランティアの労力を地域の産物で交換する地域通貨などのアイディアも、自らのスーパーシティ建設の中で高度に実現できるのではないでしょうか。さらに言えば、「スーパーシティ構想」では移動、輸送、行政手続きなど10項目での「サービス向上」をうたっていますが、もっと根本的な「地域振興」を目指すべきであり、地産地消、地域循環型経済、水やエネルギーの自給自足なども高度に実現すべきではないでしょうか。

地方の取り組みは、どうなっていますか。現場の声、とくにデジタル技術に明るい、若い人たちの声を是非聞きたいものです。

◆クラウドサービスの提供元、「サイバー局」、そして「デジタル田園都市国家構想」

「スーパーシティ構想」などに関しては、第2回目で触れているので、ご参照いただきたい。

デジタル庁は2021年10月26日、政府と自治体が利用する情報システム基盤「ガバメントクラウド」に、アメリカのAmazonとGoogleのサービスを利用すると発表。契約期間は22年3月までで、来年度の事業者は改めて募集するという。

いっぽう、警察庁は6月、サイバー犯罪やセキュリティ対策を担当する「サイバー局」を設置する計画を公表した。200人規模で、行政機関や防衛関連企業などへのサイバー攻撃の捜査をおこなう。ところが、三菱電機やNECなどに対し、他国からハッキングが相次ぐ。日本のサイバー事業は世界的な評価が低く、人材も法整備も遅れているとされる。

時事通信(8月25日付)の記事によれば、戦前の国家警察による権力乱用などを背景に、1954年に制定された警察法では犯罪警察は都道府県警察が担い、警察庁は指揮監督にとどまるものとされてきたそうだ。そして、サイバー分野を担当する捜査機関もなかったが、ここにきて問題視され、計画がまとまった。

牧島かれん大臣は『AbemaTV』に出演し、ある意味、国内の企業がクラウドサービスを担当するレベルにないが、今後には期待している旨を語っていた。

おそらく国内では、法的な遅れ以上にアメリカや中国のような予算や判断がなかったり、部品の製造現場も海外だったり、また、いわゆる人材を有効に配する土台がなかったりするのだろう。法的な遅れもまた、他の件をみても一概に否定はできない。法整備によって警察や担当部署の権力乱用を許すようになってしまえば、市民がその被害を被る。人権や自由を侵害されかねない。また、人を配することができないことも、他をながめればいつもの偏った人の配置について思わざるを得ない。他の分野をかんがみても、セキュリティを考慮しても、本来は国内で手がけられる形を整えるべきだが、地方からというのはなかなか難しいだろう。ならば政治主導ということが考えられるが、専門家軽視やお友だち優遇で、これもまた希望を持ちにくい。国内にも人材は存在するので、そのような人にリーダーを任せられるような土台が必要だ。

いっぽうで、個人や国家の情報をつかまれることのリスクについて、少なくとも筆者は十分に理解していない。だが、命を受け渡していることになるのかもしれない。このあたりは引き続き関連情報などもあたりつつ、学んでいきたいと思う。

そして、魚本さんが危惧する「データ主権」に思いをはせれば、それをアメリカに渡すために、また権力を拡大するために、法整備や人の育成が不十分であると主張している可能性も否定はできないだろう。

また、牧島氏は「デジタル田園都市国家構想」なども掲げており、「デジタライゼーションで人間中心のデジタル社会を実現することで、経済/生活/幸福のポジティブサイクルを回す一連の政策を「デジタル田園都市国家」構想とし、2030年頃までの主要な国家戦略とすべきである」と主張している。デジタルでヒト・モノ・カネを回す。それが幸福でポジティブだというのだ。

ただし、魚本さんは「地域住民主体」というが、先に触れたように、デジタル化に関しては難しい。また、デジタルをスムーズに活用するには、国内などで一定のルールのもとに運用されなければ、必ずどこかで二度手間三度手間が発生し、そもそもデジタル化が無意味になる。だが、効率化を手放すことが、これまた難しい側面はいろいろあるだろう。

個人的には、プライバシーや人権、自由を優先してもらいながら、現在の複雑で不自由でリスキーな状況は改善すべきだと考えている。このバランスをどのように取るかが問題だ。

だが、デジタル庁では、平井卓也氏がNTTから高額の接待を受けていた問題、民間からの登用の内、非常勤が98%を占めていたことと兼業先の企業との癒着対策の甘さ、マイナンバーカードとマイナポータルのそもそもの問題など、さまざまな事柄が不安視されている。

また、実際に、「機密情報丸見え」「個人情報明け渡し」などの状況について、危機を伝える記事も増えてきた。たとえば11月5日、『COURRIER JAPON』では、「日本人の個人情報が筒抜けになる可能性も 日本の機密情報が『アマゾンから丸見え状態』をデジタル庁はどう考えているのか」というような記事に「日本の技術力の低いセキュリティで怪しい国のアタックで破られる可能性の高いクラウドか、世界有数の技術者のいるセキュリティのクラウドだが米国政府に見られる蓋然性、のどちらが良いか。」というようなコメントがついたり、アメリカ独占・依存状態から脱却しようとするヨーロッパ企業の記事などもある。危機意識を忘れず、1人ひとりが学ばねばならないだろう。

ところで個人的には、平壌・日本人村のみなさんが、日本の報道や支援者からの情報を得て、朝鮮の実情を目の当たりにすることもあるなかで、フラットに、より広く深く考察することには限界があると感じています。ただし、それが新たな気づきを含むことがあると考えています。たとえば今回のような「テーマでも、俯瞰的な視点や、デジタル全般への理解しにくさなどでしょう。また、地方は地方でその日々の現実の中、1人ひとりの取り組みや生活があることは、国内の都会からすら理解しにくいのではないかと最近、感じています。魚本さんにとって、国内や他国に関する何が特にわかりづらいか、また朝鮮の場合にはデジタルの取り入れ方についてどうかを可能な範囲でお伝えいただけますでしょうか(訪朝の際、中国に留学した若い方がデジタル図書館の館長をしていらっしゃいましたが、つながっているのはイントラネットでインターネットにはつながっていなかったかと存じます。また、みなさんもメールのやりとり以外にネットにつながっていません。でも、市民の多くは携帯電話、スマートフォンを活用していたと記憶しています)。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』12月号巻頭に、「沖縄高江への県外機動隊派遣愛知で全国初の『逆転勝訴』」、本文に「高江・県外からの機動隊派遣は『違法』 沖縄とヤマトの連帯が勝利をもたらす」寄稿

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』12月号!

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前回の平壌からの手紙ではよど号メンバー・魚本公博さんから届いた「データ主権なきデジタル化とは」というテーマの論考と、それに関する解説とを投稿した。

彼らとの「往復メール書簡」第3回目は、アフガニスタンのタリバン復権と、その背景に何があるのかということを取り上げる。

日本からメールで送られてきたアラブに関する資料に目を通す、よど号メンバー・魚本公博さん(平壌「日本人村」にて、よど号メンバーが撮影)

◆2つの「8・15」 魚本公博

タリバンのカブール制圧。その日は奇しくも日本の敗戦日と同じ「8・15」だった。もちろん、それは偶然の一致である。しかし、2つの「8・15」は、まったく無関係ではない。

なぜならば、米軍のアフガニスタン占領は、「反テロ」と「民主化」を掲げておこなわれたが、その「民主化」のモデルは日本だとされたからである。当時、ブッシュは「イラク、アフガニスタンを日本のように民主化する」と述べている。

そして、それは失敗した。米ボストン大学名誉教授のアンドリュー・ベースビッチ氏は「日本やドイツでやったことを今度はイラク、アフガニスタンでもやろうじゃないか」として「ネーション・ビルディング(国造り)」して失敗した結果の今だと指摘する。

では「8・15」の米軍占領下で行われた日本の「民主化」とはどういうものだったのか。それはあくまでも米国のための「民主化」であった。すなわち日本を対米従属の国にするための「民主化」。その下で、自主派は潰され対米追随派が育成され、米ソ冷戦時には「反共の防波堤」にされ、経済発展の後には、その富を奪われ(郵政民営化)、今は米中対決の最前線に立たされようとしている。

タリバンの「8・15」の勝利、それは他国を侵略して自分式の民主主義を押しつけても必ず失敗するということを証明したばかりでなく、米国覇権の時代は終わり、覇権など通用しない時代であることを示している。

この時代にあっても日本は対米従属を続けるのか、そこに日本の未来はあるのか。日本は「対米従属」という国のあり方を根本的に考え直す時ではないか。タリバンの「8・15」は、そのことを鋭く問いかけている。

◆1人ひとり、多様性の尊重の本質

2021年8月15日、アフガニスタンにおいてタリバンが首都カブールを制圧。大統領府を占領し、タリバン幹部はビデオ声明で勝利を宣言する。ガニー政権は崩壊し、国外に脱出。アメリカがイギリスなどとともに爆撃や巡航ミサイル攻撃などによる軍事作戦で2001年にタリバン政権が崩壊してから20年の時が経過し、タリバンは復権したのだ。

アメリカとタリバンは20年にトランプ政権下で和平合意に署名。バイデン政権が8月30日に駐留米軍を完全撤退させた。

いっぽう、日本の敗戦の日「8・15」は、1945年、正午からの玉音放送により、前日に決まったポツダム宣言受諾や日本の降伏が国民に公表された日だ。

さて、「イラク、アフガニスタンを日本のように民主化する」の発言は実際には、2005年8月31日、日本経済新聞の記事で、「ブッシュ米大統領は30日昼、カリフォルニア州サンディエゴの米海軍基地で対日戦勝記念の演説をおこない、第2次大戦後に民主国家として発展した日本の成功例を手本に中東民主化を推進する決意を表明した。米国内でイラク政策への批判がくすぶるなか、『日本モデル』を引き合いにイラク復興の歴史的な意義を強調、米国民の支持を取り付けようとする狙いがある」と記されるなど、当時、ブッシュが日本を引き合いに出し続けたことを指すのだろう。

また、アンドリュー・ベースビッチ氏のインタビューは、2021年8月25日付朝日新聞の記事によるようだ。

筆者は先日、加藤登紀子さんの著書『哲さんの声が聞こえる -中村哲医師が見たアフガンの光-』を読了。本書については別の機会にぜひ紹介したいのだが、先日、アフガニスタンを理解する登紀子さんのTwitterに注目が集まり、Tweetに批判の声もみられた。

それでも彼女は、

「タリバン政権がどんな政策を取るのかについて、選んでいくのはアフガンの人たちであって、国際社会ではないのです。アフガニスタンをテロ国家と規定したのはアメリカで、ブッシュ大統領はこれは十字軍の戦いだと言ったのです。21世紀こそ、多様な文化、宗教を許容する世界を目指すべきなのに。」

「1984年から医師としてアフガンの人たちとともに生きぬいた中村哲さんの鉄則としたのは、『その地域の習慣や文化について一切、これを良い悪い、劣っている優れている、と言う目で見ない』と言うことでした。キりスト教徒でありながら、アフガンの人たちにとってのイスラム教を尊重した哲さん、偉大です」と説明。

それに対しても「じゃあ何故大勢の人々がタリバンのアフガンから逃げ出そうとしているのでしょうか?」などの声があがったが、「この何十年か、常に戦争に苦しめられてきたのです。この国から出ようする人がいるのは当然です。中には米軍協力者だった人もいるでしょう。ベトナム戦争終結の時と同じように」と冷静に答えている。

すると、「アフガンにソ連が侵攻した時に、ゲリラ組織を支援して訓練など施したのがCIAで、その組織からアルカイダが出て来たと聞いています。」などの声も発せられるようになり、それに対しても「その通りです。なんだか酷すぎるよね。」と返答。

また、「でもタリバンは狂信的なアラーの神信者たちで、女性の権利を一切認めていません、はたらくことも、学ぶこともです。アラーの神はそんなに女性を虐げる神だったのかなと思っています。」にも「権利の意識が違うのだと思います。必ずしも虐げられている訳ではない。」、さらに「その国にいるだけで、その家に生まれただけで、信仰しない自由を考えてくれず、違和感を口にすると逃げ場どころか、危険に身を晒すことになるのが、原理主義の欠点だと、私は思います」に対しても「宗教や文化への多様性を前より許容する方向に向かおうとしてるんじゃないでしょうか?」と返している。

十数年前、やはり活動仲間とともに、戦後民主主義に関し、議論となったことがあった。そのなかで1人が「それでも自由や民主主義、国民主権・平和主義・基本的人権を取り入れることができたことはよかった」と口にし、それが1つの結論となった。

ただし、西側諸国、特にアメリカに大きく影響された日本に暮らしながら、他の国や文化を単純に批判することは危うい。まず報道がゆがんでいることは、朝鮮に関わったことで大変深く理解した。地理的に困難を強いられる位置にあり、長い歴史のなかで他国による侵攻にさいなまれ、それでも諦めずに抵抗し続けたアフガニスタン。それらのことを少しでも理解し、彼らの悲願や葛藤を想像することは重要なことだろう。もちろん、アメリカの覇権主義の実際について改めて考えることも必要だ。

アフガニスタンに関し、わたしもやはり女性の権利についてはかなり気になる。しかし、たとえばフランスでは2004年に公立学校におけるヒジャーブ禁止の法律が制定され、2011年には公共の場での顔を覆うものの着用も禁止する法律が施行された。近隣の国や自治体でも同様の禁止令が発せられる。これは人権侵害ではないのか。登紀子さんの言うように、「多様な文化、宗教を許容する世界を目指すべき」。

そのうえで、見守りながら、「幅広い」1人ひとりの声に耳を傾けること。わたしたちは、まずそこから始めなければならないだろう。哲さんの壁画が消されたことも気になるが、彼らの自主自立の強い意志の表れかもしれない。そもそも、まずはわたしたちが暮らすこの社会の問題に取り組む必要があり、内の社会でも外でも当事者の声にできるだけ直接的に耳を傾けなければ、ゆがめられた情報から真実に接近することなどできないだろう。

わたしたち1人ひとりは、より広く深く真実に近いものを収集し、考え、判断できているか。周囲の人々の生活は、どのようになっているのか。困っている人はいないか。個人的には、現場から情報を集め、さまざまなものから学び、上(政治や投票)からも下(現場・地べた)からも社会を変革していく活動をしていきたいと考えている。

アフガニスタンの混雑する市場

※上記写真はDavid MarkによるPixabayからの画像

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』10月号には、「300万年の『ふるさとの水』を汚染し続ける首都圏最大級の産業廃棄物処分場」寄稿。

7日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

7月7日、よど号メンバー・魚本公博さんから届いた『紙の爆弾』6月号「地方で考える この社会と私たちの生活の行く先」への感想と、解説とを投稿した。彼らとの「往復メール書簡」第2回目は、デジタル庁発足と、その背景に何があるのかということを取り上げる。

ノートパソコンに向かうよど号メンバー・魚本公博さん(平壌「日本人村」にて、よど号メンバーが撮影)

◆魚本さんからの問題提起 「データ主権なきデジタル化とは」魚本公博

9月1日にデジタル庁が発足する。コロナ禍で露呈した「デジタル敗戦」をテコに、デジタル化が急速に進められようとしている。

今やデジタル化なしに国の安全保障・軍事・外交・経済は考えられず、人々の暮らし、働き方など、社会のあり方も変える。デジタル庁はその司令塔。内閣直属でトップは首相だ。人員は500名ほど。菅義偉首相はこれを「規制改革のシンボル」と言い、担当する平井卓也氏は「今までで一番大きな構造改革」と位置づける。

新聞などは、このデジタル化の問題点について、人材不足、縦割り(縦割り行政の弊害)、横割り(国と地方自治体のシステムの不統一)、デジタル庁に出向する民間人と業者の癒着の可能性、さらには個人情報保護の問題、デジタル格差の問題などを指摘する。

確かにそれも問題だ。しかし1番の問題は、「データ主権」ではないだろうか。デジタル化において「データ」が決定的だからだ。政府や識者も「決定するのはデータ」「データこそ成長エンジン」と指摘している。

そのデータに対する主権はどうか。日本政府の立場は「国を超えた活用」。日本は、TPP交渉の過程で米国が要求する「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れている。すなわち、日本はデータを国内で保存・管理することを禁止し、その全てを米国の巨大IT企業(GAFAなど)に提供するということだ。

すると、日本のデジタル化は、米国の巨大IT企業がおこなう。人材もその関係者であり、彼らが日本を運営し、個人情報もその管理下に置かれる。まさに、デジタルを使った日本の米国への組み込み。そのための、「かつてない構造改革」だ。そんなものを許せば、日本は一体どうなるのか。

そして注目してほしいのは、ここで地方が重要視されていること。前回の「平壌からの手紙」(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39411)で指摘したように、政府ファンドをつくり、地方の銀行や企業に人材が派遣されるのだ。自治体を企業統治の方法で管理する。あるいは上下水道や交通、公共施設などの運営権を米系外資に譲渡するコンセッション方式。これらがデジタル化の名で急速に進められる。

デジタル化自体は、これからの日本の発展、地方の発展にとって必要不可欠だ。問題は、それを誰がやるか。「データ主権」を米国に譲渡すれば、日本のデジタル化は米国が手がけることとなる。

今、各地で地域振興がさまざまな形でおこなわれている。その血の滲むような努力を米国に売り渡すかのような政府のデジタル化策。何としても「データ主権」を打ち立て、その下で地域住民が主体となり、デジタル技術を活用して地域を振興すること。それが、切実に求められている。

「デジタル庁(準備中)Webサイト」(https://www.digital.go.jp/)

◆デジタル化の背後に潜む「権力」と「金」

デジタル改革関連6法が5月の参院本会議で可決・成立したことを受け、内閣直属でデジタル庁が9月1日に発足する。魚本さんが触れたように地方自治体の行政システム統一化のほか、各省庁にまたがるIT調達予算の一元化、マイナンバー活用の拡大なども手がけ、行政手続きのオンライン化推進や利便性向上を目指す。

マイナンバーは監視の色合いが濃いと考えていてわたしは反対なので、いまだマイナンバーカードも入手していない。ただし、地方行政に関わり、デジタル化の遅れや厳しすぎるセキュリティ、縦割り行政の弊害を受け、日々、悪戦苦闘を強いられている立場でもある。

たとえば韓国などは住民登録証が長らく活用されているが、このルーツは朝鮮のスパイを割り出すためだったという話もある。ただし、現在では、この制度は穏健に使われている印象もあるのだ。いっぽう日本では、情報漏洩の報道がしきりになされる。それ以前に、政府や与党に対する不信感が大きく、デジタル化にも不安や疑念ばかりが大きくなりがちだ。この現在の政治への不信感は、福祉をはじめ、さまざまな政策に影響するものであり、そもそもは政権交代がなされなければ、まともな政治運営は期待できない。

さて、デジタル化だが、新型コロナへの対応に関し、「デジタル敗戦」という表現が誕生した。これは、デジタルを活用したアプリやサービスがまったく使えないものだったということが背景にある。

デジタルはうまく活用すれば大変便利なものであり、いまやなくてはならないが、そもそもセキュリティに関して個人的には、十数年前に仲間との話し合いから、「情報を抜こうと思えばいくらでもどこからでも抜かれる。その覚悟が必要だ」という結論に達したことがある。以降、そのつもりで活動しているのだ。

デジタル庁の「発足時の人員は非常勤職員らを含め約500人」とのこと。これまでを鑑みれば、またもや竹中平蔵が会長を務めるパソナグループなどに大量の金が流れることを懸念せざるを得ない。しかも、新たな省庁の発足に民間はともかく非常勤職員を大きく想定することが当然となったこと自体に対し、わたしたちは疑問を投げかけるべきだろう。

ちなみに、縦割り行政の弊害に関しても、わたしは移住以降、痛感している。最近、若手が横につながり、いろいろなことが進められるようになった。若手であれば、デジタルに関する問題も起こりにくい。これは致し方ないことかもしれないが、デジタル・ディバイド(インターネットやパソコン等の情報通信技術を利用できる人と利用できない人との間に生じる格差)の解消は必要だ。これらは、やはり行政の個別の対応や民間のサービスなどによって、地道に取り組んでいくしかない。他方からみれば、広いビジネスチャンスでもある。だからこそ、「悪用の余地」には注意が必要だ。

「データ主権」については、まさに『紙の爆弾』6月号の誌面で、「インターネットによる情報革命で、デジタルが発展し、仮想通貨も生まれた。通信網としてはケーブルや衛星、ワイヤレスなどの技術が用いられているが、これらはそれぞれ独自に進化し、統一できていない。するとプラットフォームをつくった人が儲けることとなり、GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)が台頭した」と記した通りだ。また、アメリカ国家安全保障局 (NSA)の国際的監視網(PRISM)の実在を告発したエドワード・スノーデンがロシア国籍を申請したことなども思い出される。ビッグデータを筆頭に、「データこそ成長エンジン」かどうかはともかく、個人に関するあらゆる情報を誰が握るのかという問題になるのだ。

そもそも、本来的な独立を果たしておらず、敗戦後の処理が完全には済んでいない日本。しかも、アメリカの企業にデータを管理されていることに疑問を抱かなくても、韓国との関連でLINEについては騒ぐなど、国内は不思議な状況になっている。左派のなかでも、Facebookはフル活用されているが、これすら絶対に使わないという人もいる。現実としては、おそらく「情報を抜こうと思えばいくらでもどこからでも抜かれる」。だから、どこが情報管理について甘いのか、どこからどんな情報を抜かれることがおそろしいことなのか、どこがわたしたちに対する権力をふるっているのかを考えなければならない。

デジタルを口実にした地方への企業などの進出は、容易に想像できる。地方は都会やデジタルに弱く、東京の企業のプレゼンテーションや売り込みの内容は理解しなくても、行政の担当者も仕事をしている姿勢をアピールしやすくなることもあり、それに乗っかることは理解できる。つまり、市民の声に耳を傾け、市民も、市民の1人である行政もともに考え、物事を進めていかなければ、いいカモにされるだろう。そこから、地方は崩壊の一途を辿りかねない。

わたしたちは、戦後の社会民主主義的な政治から変わり、ネオリベラリズムが進められていることを、自覚しなければならない。あらゆる事柄について、情報を収集し、考え、意見を交換し、行動へと結びつけていかなければならない時に来ているのだ。

先日、デジタル庁の事務方トップ「デジタル監」に、米マサチューセッツ工科大(MIT)メディアラボ元所長・伊藤穣一氏を据える方針が固められた途端、富豪で少女らへの性的虐待などの罪で起訴されたジェフリー・エプスタイン元被告(拘留中に死亡)から伊藤がメディアラボ所長時代に多額の資金援助を受け、それを匿名化しようとしていたことが報道され、辞任に追い込まれた。実際にリーダーとして起用される人物が、どのような面々となるのか、どこに金が流れていくのか今後、注目したい。

デジタル庁>採用情報>中途採用「デジタル庁の創設に向けて人材募集中。」>「第三弾・中途採用の募集を終了しました」より

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性運動等アクティビスト。個人的には、労働組合での活動に限界を感じ、移住。オルタナティブ社会の実現を目指す。月刊誌『紙の爆弾』9月号には、巻頭「伊藤孝司さん写真展『平壌の人びと』から見えてくる〝世界〟」、本文「写真、発言、映画が伝える『朝鮮の真実』」寄稿。

【伊藤孝司写真展「平壌の人びと」&関連イベント】
この写真展関連のトークイベントに、筆者はオンラインからコメンテーターとして参加を予定。
[東京]8月24日(火)~9月5日(日)11:00~18:45(28日・29日は16:45まで)
Gallery TEN(東京都台東区谷中2-4-2)
https://fb.me/e/1bYYVkwH6

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』9月号

わたしが東京での活動を継続しており、そのなかで「よど号」メンバーの支援もしていることを以前お伝えした。彼らは朝鮮民主主義人民共和国の首都・平壌直轄市の端に「日本人村」をかまえて暮らしながら、帰国に向けた活動をおこなっている。そんな彼らから、『紙の爆弾』6月号に寄稿した「地方で考える この社会と私たちの生活の行く先」の感想が送られてきた。今後このコーナーに、彼らとの「往復メール書簡」を時々、アップしたい。

左から魚本公博さん、森順子さん、小西隆裕さん、若林盛亮さん、赤木志郎さん、若林佐喜子さん

◆「地方で考える この社会と私たちの生活の行く先」に対する魚本さんからのメッセージ

「よど号」ハイジャックで朝鮮に在住する魚本公博です。

私は地方出身ということもあって、地方問題に関心があるのですが、『紙の爆弾』6月号に掲載された小林蓮実さんの「地方で考える この社会と私たちの生活の行く先」、大変面白く読ませていただきました。

政府の地方政策は、2017年に地方制度調査会が打ち出した「中枢都市圏連携構想」に端的に示されているように、新自由主義的発想で各地の中核都市を中心に都市圏を形成し、そこにカネとヒトを集中して効率化を図るというものでした。

問題なのは、そこに米系外資を入れ、彼らに、その効率経営を任すということにあり、地方自治体が管理する水道事業などの運営権を民間に譲渡するコンセッション方式の導入が奨励されたことです。

菅政権も、この方式を踏襲し、「活力ある地方を創る」としながら、「大企業で経験を積んだ方々を、政府のファンドを通じ、地域の中堅・中小企業の経営人材として紹介」とか「コーポレーション・ガバナンス(企業統治)を進める」などとしています。すなわち、これは地方の銀行や企業の新自由主義的改革を進めながら、地方自治体自体を企業統治の方法で経営し、それを外資に任すということであり、こうなれば、地方自治は消滅し、地方は米系外資に牛耳られることになり、更には大阪維新が言うように、これが「地方から国を変える」ものとして、日本自体が米系外資・米国に牛耳られるものとなります。

しかし地方・地域は、必死に努力しているのであり、そうした策動を乗り越え、地域住民自身の力で、衰退を克服し、地方・地域を守っていくと私は思っています。

小林さんのルポは、その思いを証言するもので、非常に元気づけられました。取り上げられた南房総市・大井区の区長をされている芳賀裕さんの見解や努力もそれを垣間見させるもので、とくに「顔の見える関係を育むことが重要」との意見は大事なことだと思います。いずれにしても、「地方・地域」は自民党の売国的策動に対決する最前線の1つであり、今後とも、地方・地域に根を下ろした小林さんの現地報告を期待しています。

平壌「日本人村」にて、カラオケで「いい日旅立ち」を熱唱する魚本さん

◆「連携中枢都市圏構想」の罠

わたしは水道民営化の問題も、『紙の爆弾』に寄稿したことがある。

2015年に都市圏の名称が「地方中枢拠点都市圏」から「中枢都市圏連携構想」に変更された。総務省は次のように説明する。「『連携中枢都市圏構想』とは、人口減少・少子高齢社会にあっても、地域を活性化し経済を持続可能なものとし、国民が安心して快適な暮らしを営んでいけるようにするために、地域において、相当の規模と中核性を備える圏域の中心都市が近隣の市町村と連携し、コンパクト化とネットワーク化により『経済成長のけん引』、『高次都市機能の集積・強化』及び『生活関連機能サービスの向上』を行うことにより、人口減少・少子高齢社会においても一定の圏域人口を有し活力ある社会経済を維持するための拠点を形成する政策です。本構想は、第30次地方制度調査会『大都市制度の改革及び基礎自治体の行政サービス提供体制に関する答申』を踏まえて制度化したものであり、平成26(2014)年度から全国展開を行っています。」

そもそも、もはや経済成長を求めることに現実味はない。2019年の1人当たりGDPは33位だ。また、高次都市機能とは、行政・教育・文化・情報・商業・交通・娯楽など、サービスを提供する都市がもつ、広域的に影響力のある高いレベルの機能とされている。これは実態としては、市町村でまかなえない部分を近隣が補い、それでも不足する部分をやや遠方のエリアが補っている。千葉県南部でいえば、千葉県の左寄り真ん中のエリアまでいけば、ほぼ不足はない。それでも足りなければ、北部、それでも足りなければ東京という感じだが、日常的には南部で事足りる。芳賀氏は「スーパーシティは不要」とも述べていた。あとは、「生活関連機能サービスの向上」でもSDGsでもそうだが、資本主義や経済の文脈で語られ、実際には利権と搾取、格差拡大に結びつけられがちだ。そこに、地方の資源をむさぼろうとする企業や人が群がる。パソナが淡路島を乗っ取る様子についても、わたしは同誌に寄稿した。マンモニズム(拝金主義)の魔の手は現在、地方を握りつぶそうとしている。

それに対し、行政の対応はさまざまだ。だが、現場では対抗し、自分たちにとって本当に心地よい社会をつくろうと奔走する人が多くいる。仲間とつながろうと活動しているわたし自身も、その1人であるつもりだ。金銭ばかりに頼らずとも、野菜を作り、田んぼを手伝い、物々交換をする。作れるものは作る。このようなライフスタイルに参加するメンバーを拡大し、支え合いながら、私たちは食べて生きていくことができるはずだ。

ちなみに、3回の訪朝経験が、現在に生きている部分もある。たとえば、共産主義国が何を重視し、何を目指し、どこまで人々を支えているのか。(国内では地元の小商いによって)「外貨」を獲得して地元に還元する発想も、そこから学んだものでもある。

機会があれば、自分が生活するエリアの活性や理想的な社会を現場から実現しようとしているローカリゼーションの実践者の方々とさらにつながり、情報交換や連携をしたい。Facebookなどから連絡をもらえると、うれしい。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性運動等アクティビスト。個人的には、労働組合での活動に限界を感じ、移住。オルタナティブ社会の実現を目指しながら日々、地域に関連する、さまざまな人の支援などもおこなっている。月刊『紙の爆弾』2021年8月号には「『スーパーホテル』『阪急ホテルズ』ホテル業界に勃発した2つの『労働問題』」寄稿。Facebook https://www.facebook.com/hasumi.koba/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号