Mというミャンマー人のビジネスマンがいる。彼は、妻のRとともに、ヤンゴンで旅行会社を営んでいる。日本人の中小企業の人々をミャンマーで案内したり、ミャンマー人が来日する際の手伝いをしている。ミャンマー人ビジネスマンの中では、まあまあ羽振りの良いほうで、一家は上流階級と中流階級の間に位置している。
Mは10年ほど前まで日本に来て、居酒屋などで出稼ぎをしていた。ただし、その経験だけで、現在の日本とミャンマーをつなぐ仕事ができるわけではない。
彼ら夫婦と日本とのつながりは、太平洋戦争時にさかのぼる。Rの父は、ミャンマー(ビルマ)に進駐してきた日本軍部隊の通訳をしていた。その縁から、戦後、ミャンマーで戦死した戦没者を悼む式典などで、旧日本軍兵士だった日本人やその家族がミャンマーにやってくる際、Rの父が、彼らの世話をするようになる。
やがてMとRは、ミャンマー西部の日本人が戦没した地で、旧日本軍兵士の墓の永代供養を任されるようになった。いまやRの父とともに戦った元・兵士の生存者は多くないが、年齢は90歳を越えている。その年齢だと、体力的に、毎年、ミャンマーを訪れることができない。そこでMとRが毎年、日本の盆の時期に、日本人に代わって墓の掃除をしたりする。
2013年3月17日 カテゴリー 社会問題一般