今から8年前の2005年3月、大分県南部にある清川村(現在は豊後大野市清川町)という村で一人暮らしをしていた山口範子さんという女性(享年61)が自宅裏庭で、鈍器で頭部を乱打されるなどして殺害され、車などを盗まれるという事件があった。強盗殺人などの容疑で逮捕、起訴された伊東順一さん(61)という山口さんの知人男性が2010年2月に大分地裁で無罪判決(求刑は無期懲役)を受けた際には全国紙の一面でも報じられたが、地元以外では、この事件を知る人はたぶん多くないだろう。
ではなぜ、この事件を今ここで話題に出したかというと、伊東さんの控訴審の審理が今まさに大詰めを迎えているからだ。

検察が無罪判決を不服として控訴したのをうけ、伊東さんの控訴審が福岡高裁で始まったのは一昨年(2011年)7月のことだった。それから約1年9カ月で、開かれた公判は計25回。控訴審としては異例の長期審理となっているわけだが、それもひとえに裁判所が検察側の請求する証拠調べをことごとく認めてきたことによる。この間に出廷した計53人の証人は、大半が大分県警の捜査員をはじめとする検察側の証人で、要するに一審無罪の被告人に対する検察官の二度目の有罪立証が延々と続いてきたわけだ。

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玄関ホールより先はナンバーロックになっていて、ガラスのドアが閉まっている。部外者はそこより先に入れない。社長の部屋ナンバーを押して呼び出してみるが、反応はない。鞄に入っていたコピー用紙をドアの下の隙間から突っ込んでみる。内部のセンサーが反応して開かないかと思ったのだ。折り曲げたり、横一列に並べたり、丸めてみたりと七、八枚滑り込ませたが効果はなかった。紙の回収も出来なくなった。ポストは外側から投函することはできるが、物を入れるだけの隙間しかなく外から中を確かめられない。

右脇に警備員室の窓があるが、常駐ではないらしく人の気配はない。誰か居れば、
「ウチの社長と連絡取れないんです。会社が赤字続きなので、早まった真似をしていないか心配なんです。開けてくれませんか」
といったセリフを用意していたのだが、披露するチャンスはなかった。

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三國連太郎は「三國連太郎」の名で逝った。4年前に亡くなった忌野清志郎も「忌野清志郎」の名で逝った。偉大な人たちはそうだろう。それまでその名を張って生きてきたのに、亡くなった途端に、それが「俗名」だったとされたらたまらない。
調べてみたら、戒名というのは仏門に入った者に与えられる名で、故人に与えるのは日本だけのようだ。
堕落した仏教がどれだけ日本に浸透してるかを、私はまるで分かっていなかった。

父親の火葬は無事に済んだ。
自分勝手に生きてきた父は、満足そうな顔をしていた。
これ以上、何かをしてあげる必要など、あるんだろうか。

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「TBSですが、ちょっとお話を伺いたいんですが」
インターフォンを取り上げて仰天した。アポイントも取らずに、自宅まで取材に押しかけてきたのか。有名人でもない私のところに……。
テレビではいい思いをしたことがなく、なるべく、付き合わないようにしている。
夕刊紙に載ったコメントを見て、テレ朝が連絡してきたことがあった。
その夕刊紙からして、とぼけていた。私と、他の者とのコメントを入れ違って載せていたのだ。
「いや、あれは違うんですよ。私のしたコメントは、そっちのほうではなくて……」
「収録の日程なんですが、明日か明後日にお願いしたいんですが」
まるで話を聞いていない。
それならそれでいいだろうと、取材に応じた。
児童売春の実態についてのことだったので、知っている限りのことを答える。
使われるのは数10秒だと思ったが、見てみたら5分ほども流れた。

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昨年10月12日午後10時過ぎ、反骨と反権力の映画監督、若松孝二氏(本名・伊藤孝)が、新宿区内藤町の外苑西通りを横断しようとしてタクシーに撥ねられ、搬送された病院で同月17日に亡くなった事故は、監督の映画ファンや関係者にとっては、大きなショックだった。
ここ数年、2008年の「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」、2010年の「キャタピラー」がヒットし、2012年には、「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」と「海燕ホテル・ブルー」が公開。今年3月9日には、中上健次原作「千年の愉楽」が公開された。
「千年の愉楽」は、第69回ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門に招待された。若松監督作品としては2008年から2012年までの4年間に、ベルリン国際映画祭の「実録・連語赤軍あさま山荘への道程」「キャタピラー」、カンヌ国際映画祭の「11・25自決の日三島由紀夫と若者たち」に続き、世界三大映画祭への出品を果たし、仕事はノリに乗っていた。それだけに監督の突然の訃報は、関係者を悲しませたのだ。

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長崎に行ったので、丸山に行ってみた。
5年ぶりだ。以前に行ったのは2008年で、売春防止法施行から50年、その遊郭の灯が消えた日のことをたぐるために行ったのだ。
江戸時代から、丸山には遊郭があった。鎖国時代に、唯一貿易の窓口になっていた長崎であったから、その繁栄はすさまじかった。
女性の出入りが禁止されていた出島にも、遊女たちは入ることが許されていた。
丸山から出島に向かう狭い坂道は、今も残されている。

5年前と丸山の様子は、大きくは変わっていない。
江戸時代から続いている料亭。そして遊郭だった建物も、アパートとなって残されていて、そのままだ。
5年前に訪ねて、遊郭があった頃のことを詳しく語ってくれた酒屋さんは、スーパーになっていた。
小さな変化だが、ちょっと哀しい。

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ミャンマー(ビルマ)中部で先月から問題になっているイスラム教徒と仏教徒の衝突では、数十人の死者を出し、1万人以上が非難を余儀なくされた。日本ではあまり多く報道されていないが、住民の衝突により戒厳令が敷かれた地域もあり、ミャンマー人はこの問題をかなり深刻に受け止めている。
旧首都ヤンゴンでも、イスラム居住地域で、住民が刃物を持って自警活動を行うなど、緊張感が高まった。13人の死者が出たヤンゴンのモスクの火事は、ヤンゴン管区の調査で火災原因は漏電と断定された。が、イスラム教徒に恨みを持つ人間による放火でないかという噂も飛び交った。

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沖縄を旅していて石垣島に行った時のことだ。
図書館に行って調べてみると、書店で買ったガイドブックには載っていない資料館があることが分かった。
「南嶋民俗資料館」というのだ。さっそく行ってみた。
資料館は門が閉ざされている。「表の民俗玩具店で声をかけてください」と札が下がっている。
玩具店に回り、座っている主人に声をかけると、嬉しそうな顔をして立ち上がった。
玩具店のほうを閉めて、資料館に案内してくれる。

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「逃げたかな」
尚坂がポツリとつぶやいた。ほぼ間違いないだろう。土曜日に出社した人が異常はなかったと言っていることから、日曜日に必要なものを、持ち出せるだけ持ち出したと思われる。

少し遅れて土方さんが出社してくる。事情を聞くなり猛烈に怒り出し、何やら大声で怒鳴り散らしている。その脇でイーダ社員はひたすら電話対応に追われている。

午後二時過ぎにようやく電話が鳴らなくなった。あらためて現状を把握すると、給与明細や社員の雇用契約書類は無くなっている。しかし請求書類や登記簿、株主名簿などは丸々残っていた。夜逃げするにも性格が現れることを知った。

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「金を振り込んでくれ」と親父から電話があって、「なんだよ。死んだんだからもういらないんじゃないの」と言ったら、「いやあ、天国でも、いろいろ金がかかるんだよ」と答える。マヌケでだらしなくふざけた親父だったが、悪人というわけではない。天国に行けたのか、と安心し「天国は円でいいのか、今は安くなっちゃってるけど」と訊いたところで目が覚めた。

命を授けてもらったんだから、親孝行はしなくてはいけない、とは思うが、いったいどこまでやったらいいんだろう? とは、よく考えたことだった。
父親は小さな建設会社を経営していたが、資金が足りなくなると用立てたり、どこからか金を借りる時の連帯保証人までならなくちゃいけなかったんだろうか?

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