ミャンマー(ビルマ)の少数民族武装勢力で子ども兵として生きてきた男性は、ミャンマーからタイの難民キャンプに逃れ、その後、アメリカに移住した。
アメリカでは、難民同士の付き合いで、私の夫の義弟Tと知り合う。Tは彼に、教会で受講できる英語レッスンを紹介するなど、彼のアメリカでの自立生活を支えた。
そのお礼として、彼は独身のTの家に来て、料理を作るようになる。やがて、彼はTが経営するアジア食品店で働くようになり、1つの店舗を任されるようにまでなった。
ミャンマーでは過去数十年間、少数民族とミャンマー政府間の武装闘争問題などで多くの難民が発生し、祖国でも逃れた国でもない、第三国に移り住む「第三国定住」を行った人々が大勢いる。しかし、第三国定住後に、異国に移り住んだミャンマー人がみな、幸福な人生を送っているかというと、決してそうではない。
アメリカでは、ミャンマー人難民が、アメリカの生活になじめず、飲酒運転など軽犯罪を犯すこともある。難民キャンプにいた人々は、ほんのわずかな教育しか受けないまま成人する。毎日の労働や外国語の修得は、子どもの頃、教育を受けてこなかった人々にとって、まったくなじみのない経験だ。結局、移住先の法律や習慣に適応できず、最後は、
「難民キャンプに帰りたい」
と言い出す人が出てくる。こうした難民は、ただ単に被害を受けない場所に移住したからといって、問題が解決するわけではない。根本の解決には、難民を生み出した国の平穏を取り戻し、彼らがいずれ祖国に戻って自活できる環境を作り出す必要がある。