民間企業では派遣社員や契約社員を利用しない会社の方が珍しい時代になった。同様の現象は大学でも生じている。ごく稀にほとんど非正規職員を使わない大学もあるにはあるが、事務室の中の7割以上が非正規職員といった職場もざらにある。

「官から民へ」とか「雇用形態の自由化」とかいう政府のメッセージは、経営者にとって「人件費」を減らしやすくするために、これまで認められなかったオプションを提供したに過ぎない。大学教育現場でも様々な問題が発生しており、根源的には大学の力量を低下させる要因となっている。

◆一日中、正規職員が出勤しない事務室も

アルバイトや嘱託職員を採用する時は、必ず面接を行うが、派遣職員を採用する際に大学は本人と面接することが法律で許されていない。書類審査のみで人選を行う。その結果担当業務に適した能力や性格と不一致の人がやってくるというミスマッチはもう日常茶飯事だ。これは雇用する側にとってもリスクの大きい問題だと思うのだが、大学事務室内での派遣職員の数が減る様子はない。

そもそも大学職員の業務には管理部門を含めて、学生や教員のプライバシーに深くかかわる業務が多い。学部事務室や学生の相談を担当する部署では、学生が相談にやってくることは日常的な風景だ。学生の相談には履修方法や単位についてといった比較的簡単な内容もあるが、自身の体調不良や精神的な悩み、あるいはそれ以上に深刻な課題の解決方法を求めてやってくることも少なくない。

そのような場合、学生にとってカウンターの向こう側で仕事をしている人たちの雇用形態などは関係なく、全員が「職員」として認識される。大学によっては正職員、派遣職員、嘱託職員、アルバイトの業務分担を厳密に分け(それが当たり前なのであるが)学生の相談には正職員のみがあたる運用を厳守している場合もあるが、前述の通り職場の7割を非正規職員が占めているような事務室では、そもそも休暇や出張などで一日中、正規職員が出勤しないという状況も生まれる。そうなると学生の相談を受けた非正規職員は(その人が誠実あればあるほど)学生の相談に付き合わざるを得ない。

一度限りの会話で解決策が見つかるような、特に判断を要しない軽微な相談事であれば、さほど問題はない、しかし、卒業、就職や休学、退学といった判断を要するような相談がなされると非常勤職員では明快な回答を出せないし、出してはいけないはずだ。

◆管理職がすべき基幹業務まで非正規職員が担当

しかしながら正規職員が圧倒的少数という職場では本来、職責と待遇の差によって当然区別されるべき業務内容の境界が次第にあいまいになってくる。正規職員が行うべき業務を非正規職員が泥縄式に担当させられている状態が続くと、正規職員のモラルが低下し、「ああこれもアルバイトさんにやってもらっていいんだ」といった誤解が現実を徐々に支配していくからだ。正規職員の4分の1ほどしか給与を得ていないアルバイト職員に「判断」や「責任」を委ねることをまったく不自然と感じなくなる。これは「同一労働同一賃金」の原則からすれば、言語道断の事態である。

学生相談への対応は大学にとって基本的な業務である。が、より重要な責任を伴う業務、例えば、次年度予算の作成や決算といった本来ならば管理職が担当すべき基幹業務を非正規職員が毎年行っている大学も少なくない。

更に驚くべきところでは、正規職員の課長が体調不良で移動したために、その後任課長に非正規職員を任命した大学を私は知っている。そのケースでは、当初の非正規職員としての契約待遇がどのように変化したのかは聞き及んでいないが、理事や監事といった「役員」に非常勤の学外者が名前を連ねることはあっても、毎日出勤してルーティン業務をこなす事務職の管理者に非正規労働者を配置するという行為は驚くに値する。

◆まるごと職員アウトソーシングの波紋

昨日の東京新聞(8月20日朝刊)では、戸籍窓口業務を全面的に民間委託していた東京都足立区が「偽装請負」を理由に厚生労働省から是正を求められたという事件が報じられている。

この事件は今日、行政機関や大学が抱いている大きな「誤解」を理解するのに好例だ。戸籍や住民票は極めて秘匿義務が高い個人の情報であるが、足立区はその担当をまるごと民間企業に委託していたのだ。人権感覚や行政としての責任感は微塵も感じられない暴挙だ。

納税者、住民が求めているのは「安心して任せられる」情報管理ではないだろうか。いくら委託業者と厳密な契約を交わしたところで情報漏えいが発生することは、先の「ベネッセ」の事件が雄弁に物語っている。このようなバカげた行政判断を「他の行政機関に先駆け」などと報じている東京新聞も頭を冷やすべきだ(原発報道では群を抜く活躍が目を引くだけにここでは敢えて批判しておく)。

大学に置き換えれば、学生や保護者は教育内容もさることながら、学生生活が安心して送れることを期待して高い学費を払っている。

ところが経営陣が「コスト」優先で正規職員の人数を抑え、非正規職員で職場を回そうとすれば、表面的には経費削減というプラスに見える。だが、相談に来た学生が非正規職員の無責任さ(本当は無責任ではなく対応することが職責上できないのであるが)を「大学の冷たさ」と認識するし、正規職員にとっては学生が抱える様々なトラブル解決に当たるという一見面倒ではあるが、大学職員としての能力向上に資する絶好のケーススタディーチャンスを逸することになるのだ。

◆卒論提出日の受付に正規職員が一人もいない!

ある大学で実際に起こった事例を最後に紹介しておこう。

卒業論文の提出は当然のことながら日時と場所、提出方法が厳密に定められている。定刻になればそれ以降受け付けるわけにいかない、というのが原則である。

関西にある某大学では卒業論文の提出日に正規職員が一人も出勤していなかった。定刻を過ぎたので事務室にいた非常勤職員はカウンターのシャッターを下し受付を終了した。ところが、帰り支度を始めた事務室に卒論を持った学生がやってきた。

さて、あなたがその担当者であれば、どのように対応するだろうか? [次号へつづく]

(田所敏夫)

◆新設学部の入学定員超過で「Beyond Borders」

更に追い打ちをかけたのが2008年に起きた「入学時転籍」問題だ。新設の「生命科学部」の合格者を多く出し過ぎてしまった立命館大学は、合格者に「貴方は優秀だから生命科学部以外にも入れますよ。理工学部へはいりませんか?」といった誘導を行ったのである。

受験生からすれば青天の霹靂だ。自分が受験したのは「生命科学部」であって、その合格通知を手にしたところ「ほかの学部はいかがですか?」と大学が聞いてくることなど想像を超えている。なぜ、このような転籍を強行しなければならなかったのか?

その理由は文科省による補助金である。大学は入学定員が決まっており、その1.3倍(この数字は時代により変動するので今日の正確な基準は異なっているかもしれない)以内であれば問題はない。だが、入学者(あるいは同一学部学科の総員)が定員の1.3倍を超えると補助金を削減されるというルールがある。

志願者が多く、競合大学が多彩な大学にとって、合格者を何名にするかの決定は極めて神経を使う作業である。特に受験日が重なったり、新規の同内容学部が他大学に新設された年などは、それまでの経験則やある種の「勘」が役に立たないことがある。まさに、その失敗を「生命科学部」は犯してしまった。合格者を出しすぎてしまったのだ。

文科省も一度限りの定員超過について厳罰は課さず、注意程度に収める場合が多いが、その後に新しい学部の新設や大学院の設置を予定している場合にはそれに悪影響を及ぼす。
立命館大学は当時、更なる学部新設を計画していたことから「生命科学部」の入学者定員大幅超過は何としても避けたかった。そこで他学部への「入学時転籍」という荒業に手を染めたのだ。

◆岐阜の公立高校買収でも「Beyond Borders」!

更に立命館大学の快進撃(?)は続く。立命館大学は岐阜県の「市立岐阜商業高校」買収を水面下で進めていたのだ。この報道を新聞紙面で目にしたとき、私は「おいおい、いくらなんでもそれはないやろ」と腰を抜かしかけた。

何と「岐阜県」にある「公立高校」の買収に本気で取り組んでいたのである。大学校地が全国に広がる日本大学、東海大学といった経営方針の大学ならば、新たに「出店」を開業することにさしたる驚きもない。だが、立命館大学はAPU(立命館アジア太平洋大学)を大分県に持っているとはいえ、実質的にはあくまで「京都」中心の大学である。関西とは文化園の異なる岐阜県の、しかも公立高校を買収にかかるとは、いったい何を考えているのか? そんな話がうまくまとまるのか?と注目していたが、案の定、岐阜市議会で猛烈な反対を喰らい、この買収計画は失敗に終わる。

◆びわこ草津キャンパスでは爆発未遂事故で「Beyond Borders」!

また、立命館大学びわこ草津キャンパス(BKC)では昨年、「火災による水素ボンベ爆発未遂事故」(!)が起きている。BKC校舎内でボヤが発生し、実験用の水素ボンベに引火の危険性が生じたため、ボンベから半径200mからの避難を指示が出された。

ところがボンベから半径200mは大学の敷地のみならず、近隣の住宅街にも及ぶ。学生だけではなく当然、近隣住民にも避難の指示が伝えられるべきところ、連絡は何と自治会長にのみ伝えられた。自治会長一人で当該地域の住民全員に迅速な連絡ができるはずはなく、後日、大学と自治会、草津市役所も含めて検証の場が持たれ、地元からは強い不安と不満の声が上がったという。これは物理的に極めて危険性の高かった「Beyond Borders」といえよう。

◆大阪「茨木」校地開設では関西大と「Beyond Borders」!

そして、極め付けは「茨木」校地建設だ。茨木と言えば関西になじみの深い方には容易に位置を認識していただけようが、関西地域以外の方には少々説明しておいた方がよいだろう。

茨木市は大阪府に位置する。JR、阪急電車などで大阪駅へのアクセスも良いため、古くからのベットタウンでもある。参考までに茨木市の北東(茨木市より京都寄り)は高槻市である。JR高槻駅前には関西大学の校舎が建っており、高槻市には高橋大輔や織田信也などの有名アイススケート選手を産み出した関西大学のスケートリンクもある。

関西大学のメインキャンパスはこれまた茨木市より大阪寄りの吹田市である。つまり地理的には立命館大の茨木校地は関西大学のメインキャンパスと高槻キャンパスに挟まれる場所に来年3月開設に向けて現在急ピッチで校舎建設が進んでいる。

この「茨木」校地建設問題について詳述しだすと紙数がいくらあっても足りないが、その危うさを示す立命館大学職員のコメントを紹介しておこう。
「茨木校地を建設すれば、いずれ財政的に立ち行かなくなる」
ある現職財務担当職員の見解だ。

現在の理事長、執行部は「関西大学との戦いに勝つために」と茨木校地開設の意義を語っているという。おいおい! 立命館大学のライバルは同志社大学ではなかったのか? 「京都のりっちゃん(立命館大の愛称)が大阪に足伸ばしてどないすんねん。イメージ崩れるで」と言うのが多くの大阪人の見方だ。

同じ関西エリアといっても、京都と大阪では文化も気質も大きく異なる。この茨木校地設立こそ、立命館大学が選択した究極の「Beyond Borders」といえよう。

◆「ボーダー越えすぎ」で見えてきた「ゲームオーバー」

大学業界人の多くは「茨木校地開設はひょっとすると株式会社立命館の終わりの始まりになるかもしれない」と考えている。ゼネコンに莫大な利益もたらすことはあっても、立命館大学がまとまった校地を茨木市に開設する積極的な理由は見当たらない。

大学は企業と異なり、経営状態が多少悪化しても即座に「倒産」とはならない。立命館クラスの大規模大学になれば尚更だ。但し「貧すれば窮す」で経営ミスや財務状況の悪化は教学内容(教員、学生の質など)を直撃する。大学内での無用の雑務や対立も起きてくるだろう。

立命館大学が越えてきた数々の「Borders」。
その選択が妥当であったか否かそう遠くない将来、回答が出るだろう。
私の直観ではズバリ、アウトだ。

(田所敏夫)

 

「Beyond Borders」──。今年に入ってから関西のJRに乗ると頻繁にこのコピーを用いた立命館大学の広告を目にする。今年度、あるいはここしばらく立命館大学がキーワードとしてシリーズで広告を展開するようだ。

私が最初にこの広告を目にして「え!」と驚いたのは本年3月だった。ソチ五輪スノーボードハーフパイプで銅メダルを獲得し、立命館大学に「入学予定」(まだ入学はしていない)の平岡卓選手が宙を舞っている写真とともに単身取り上げられていた。

在学生や卒業生の活躍を大学が広告に利用することは珍しいことではないが、入学予定者(仮に進学が内定していたとしても)を大々的に広告に利用するのは極めて異例である。この広告ひとつからも、現在の立命館大学が持つ特徴の一端が表われていると見ることができる。要は「度を越えている」のだ。

◆京都の庶民派大学、滋賀や大分に「越境」して大変身

立命館大学の歴史は1869年に遡る。京都に西園寺公望が「私塾立命館」を設立し、1900年中川小十郎が「京都法政学校」を夜学として開校する。1913年に広小路に校舎が整い「立命館大学」の名称へ変更され、実質的に今日に続く立命館大学の歴史がはじまる。

立命館は昔から「関関同立」と呼ばれる関西難関私大の一角を占めてはいたものの、他の3大学に比べると、どこか野暮ったく(よく言えば庶民的であり)校地も手狭であったため、華々しい印象を与える大学ではなかった。その立命館が変化を見せるのが1990年代からである。事務職員上がりのたたき上げ、川本八郎氏が理事長に就任し、権限の集中化を進めると積極的な「改革」、「経営」に舵を切る。

京都にしか校地を持たなかった立命館は1994年に滋賀県草津市から校地の提供を受け念願の広大なキャンパスを手に入れる。京都由来の大学としては龍谷大学も大津市にキャンパスを設けており、京都と滋賀県は隣接することからやや大げさな表現になるかもしれないが立命館にとってはこれが最初の地理的な「Beyond Borders」だったと言えるかもしれない。

その後、中曽根康弘が首相時代に提唱した「留学生10万人計画」(2000年までに留学生を10万人受け入れる)に沿う形で2000年、大分県に「立命館アジア太平洋大学」(APU)を開学する。

ただし、APUの開学は地元の反対などで、当初の計画よりも1年遅れた。APUは学生の半数を留学生とし、講義を英語で行うなど先進的な試みを謳い開学したものの、当初は十分な留学生数を確保することが出来ず、世界各国に「授業料は無料で構わないから」と学生募集に奔走していたとの噂が大学業界ではまことしやかに語られていた。

◆「改革者」の理事長が進めた「独裁」

京都は狭い盆地の中に数多くの大学がひしめき合っている。公式に各大学の担当者が集まって定期的に開催される会合もいくつかあり、それ以外でも各大学にそれぞれ知り合いの教職員がいることが多いため、虚々実々の噂が耳に入ってくる。

1990年代中盤以降、立命館大学の職員と接する度に、他の大学関係者は何かしら大学職員としての違和感を感じていた。だから、裏では「株式会社立命館」と呼ばれていた。
系列高校の買収や新学部の創設に邁進する川本理事長は、敏腕経営を実践する「改革者」としてマスコミにも頻繁に登場していたし、氏は京都に限らず全国の大学や企業から声がかかり講演を多数こなしていた。しかし、結果からいえば川本氏は強引な手法を用いて自らに権限を集中し「独裁者」として君臨し、彼に異を唱える者は誰もいないという状況を作り出していたのである。

川本氏は職員時代から日本共産党員であった(たぶん現在もそうであろう)。1960年代から1970年代のいわゆる「学生運動」が盛んだった時期に、立命館大学は京都の中では飛び抜けて教職員、学生とも日本共産党員あるいはそのシンパが多数在籍していた。

京大、同志社では日本共産党から分かれた新左翼系の学生が勢力を強めていったのと対照に、立命館大学では学生自治会もほぼ民青(日本共産党の学生組織)が掌握していた。当時、自治会委員長を務めた人間は学生課長であった川本氏と「共同作業で学園の正常化を進めた」と回顧している。そういった側面からも、立命館大学のどこか地味なイメージというものが定着していったのかもしれない。

◆独裁体制の「一線を越えた」大失態

川本独裁体制に移行して以来、立命館の経営は「イケイケドンドン」に変容した。川本氏は時に日本共産党仲間の人間を学外から抜擢し要職に着任させるなどの独自の手法を用いながら、それでも基本的に人の話に耳を貸さない、独裁者としての確たる地位を確立し、ついに大失態を演じてしまう。

2005年、川本氏は「立命館の一時金は高過ぎるのでカットしたい」と発議し実行する。その一方で「常勤役員退職慰労金」の基準を2倍に高める(年額500万円から1000万円へ)という変更を同時に行った。「常勤役員退職慰労金」とは分かりにくい名称であるが、これは「退職金」ではない。常勤の理事等役員がその役職を離れる時にその間の功労に応じて支払われる制度である(退職金は別途退職の際に支給される)。

その結果、驚くべきことに一般の教職員の一時金を減額しておきながら、川本氏には1億2000万円の「常勤役員退職慰労金」が支払われることとなる。この事件は立命館大学としてのモラル崩壊という点で「Beyond Borders」と言えるだろう。

さすがにこの無茶苦茶さに黙ってはいられないと立命館教職員の有志が理事会を相手取り訴訟を起こすこととなり、新聞、テレビ等でも大々的に報道されることとなる。[次号へつづく] (田所敏夫)

◆「NO NUKES voice」の発刊を祝って

松岡社長率いる鹿砦社が「脱原発」に特化した雑誌「NO NUKES voice」を8月25日発刊する。これまでも「脱原発」に関する書籍やパンフレットは多数出版されてきたが、本格的定期刊行物としては初めての試みではないだろうか。鹿砦社の発行の雑誌にしては珍しく垢抜けして、ポップな「市民に受け入れられやすそうな」ネーミングが逆に怪しさを感じさせる(笑)が、松岡社長の意気込みは真剣そのものである。安倍反動政権が再稼働、輸出策動を推し進める中で、脱原発運動の重要な一翼を「NO NUKES voice」が担うことが期待される。

◆「美味しんぼ」騒動における大阪府・市の「抗議文」

私が本コラムを担当させていただくにあたり、初回は「NO NUKES voice」発刊にエールを送る意味で、少々話題としては古いものの「美味しんぼ」騒動における大阪府・市の対応について報告する。

「美味しんぼ」は「週刊ビックコミックスピリッツ」に連載されていたが、その中で福島や大阪での描写が集中批判の的となり、現在休載している。

私は大阪市及び大阪府が5月12日、HPに掲載した「週刊ビックコミックスピリッツ『美味しんぼ』に関する抗議について」の内容を確認し、これは怪しいと直感した。

「週刊ビックコミックスピリッツ『美味しんぼ』 に関する抗議文について」は、株式会社小学館の相賀昌宏代表取締役に対し大阪府知事の松井一郎氏と、大阪市長橋下徹氏が連名で提出しているものである。

その文章の中に抗議をする根拠として以下の記述がある。

「また、処理を行った焼却工場の存在する此花区役所、同保健福祉センター、此花区医師会に確認をしましたが、処理中においても、その後においても、作中に表現のある『大阪で受け入れたガレキを処理する焼却場の近くに住む多数の住民に眼や呼吸器系の症状が出ている』というような状況はございませんでした。」

これを真に受けるとあたかも大阪府や大阪市が周辺住民に子細な調査を行った結果「何も被害はなかった」と結論付けているように読めるが、実際は全くそうではない。私は大阪市役所に電話取材を行ったところ、環境局の担当者は「HPにあるように区役所や、保健センター、医師会に鼻血などの変調を訴えて受診した人がいるか、と聞いたが該当者はいなかった」というのが回答であった。

◆鼻血が出たら病院へいきますか?

「美味しんぼ」では大阪のお母さんが1000人に聞き取りを行ったところ鼻血が出るなどの症状を訴える人が800人ほどいた、とする内容を掲載しているのだが、大阪府、市は聞き取り調査を行ったわけではなく、ただ「鼻血を理由に受診並びに相談に訪れた人がいたか」を保健所や医師会に問い合わせただけだったのである。

大阪市の担当者に私が「貴方は鼻血が出たら病院へいきますか?」と尋ねたところ、「鼻血くらいでは普通病院にはいきませんわな」との回答、更に「美味しんぼ」では一応聞き取り調査を行った結果としての描写になっているが、「大阪府、市は実際に当該地区の聞き取り調査を行ったのか」との質問に対して「聞き取り調査は行っていないが、医師会などへの質問で実態は把握できていると考える」との回答だった。

要するにまともな調査も行わずに、雑誌に掲載された漫画の内容が気に食わないというだけで、大阪知事・市長は「抗議」を行っていたのである。大阪市役所の担当者が正直に白状したとおり、鼻血が出ても医療機関に出向く人は一般的な感覚からすればそうそういるものではない。行政機関が一般企業(しかも出版社に)「抗議」をするのであれば、最低限の調査や科学的根拠があってしかるべきであろうが、そんなものはどこにもなかったのである。

つまり、「美味しんぼ」が(実際に行われたかどうかはともかく)「調査報道」の形態で作品を構成している(しかも作品中で「この症状が放射線の影響によるものかどうかは断定できない」と断っている)のに対して、それに抗議するにあたり、大阪府、市は最低限の調査すら行っていなかったのだ。

そうでありながら「風評被害を招き、ひいては平穏で安寧な市民生活を脅かす恐れのある極めて不適切な表現であり(中略)場合によっては法的措置を講じる旨、申し添えます」との表現は「抗議」に名を借りた行政権力による表現の自由への恫喝以外の何物でもありえない。

環境局の担当者M氏は「その後市長が記者会見でもうあの問題はいい、というてはりましたからええんちゃいますか」と私に述べたが、そうであるならば、この恫喝「抗議文」を撤回するべきである。

◆「抗議」に名を借りた行政権力

「美味しんぼ」に関しては複数の閣僚や、福島県知事、多くの与党議員がヒステリックに批判を展開したが、その実作品中に描かれている事実(例えば井戸川前双葉町町長の発言)などはこの作品以外の多くの場面でも述べられている既知の事柄であることは少し時間を割いて調べれば容易に確認できる。更に事故直後、自民党がまだ野党であった時期に自民党議員複数が国会で「鼻血」についての質問を行っているのだ。

大阪府・市をはじめとする一連の「美味しんぼ叩き」は、福島原発事故被害を隠ぺいしようとする政府・権力側の意に沿った低レベルな「風評被害払拭キャンペーン」の一翼を担うものであることは明らかだ。離合集散を繰り返す「維新」の代表橋下大阪市長は「脱原発」を主張しているが、この「抗議」のような言論弾圧を何の躊躇もなく行う「ファシスト」であるという事実がまた再度明らかになった。こんな連中と合流を模索している「結いの党」に所属する連中や「維新との連立は100%ある」と発言した前原誠司などは今後必ず何度も国民を裏切るであろう。
凋落が明らかな「維新」をわざわざ叩かなくても、という向きもあるかもしれないが、橋下市長にとって集票と人気取りのためであれば何の大義もない「選挙」であろうが「カジノ」であろうが「脱原発」であろうが持ち出すキーワードは何でもよいのである。橋下に騙されている大阪市民はそろそろ覚醒してはくれまいか。

◆「戦中」下から脱原発を!

3・11は取り返しのつかない膨大な被害をこの国にまき散らした。しかし遅すぎたかもしれないが、これまでとは比較にならない数の人々が政府やマスコミの本質に気が付き始めた。そして考えるだけでなく行動を起こす市民も増えている。死滅した文化であった感のある「街頭デモ」が行われる姿も首都圏では珍しくなくなった。

原発以外の状況を見渡せば、もう既に「戦中」と言っても過言ではない悪法整備、解釈改憲が進行する絶望的状況ではある。そんな時代であるからこそ地道で、腰を据えた言論や運動が必要とされているのではないだろうか。

繰り返すが「NO NUKES voice」に寄せられる期待は大きい。そして同時に我々市民がより賢くなり、権力から受動的に飼いならされた生活を克服してゆくことが、容易ではないだろうが大変重要な鍵を握る。厳しい時代だからこそ与えられたこのコラムに筆者も全霊をぶつけていきたいと考える。 (田所敏夫)

 

諸事情で7月1日以降休止していました本「通信」を、態勢も一新し、
来る8月18日(月)より再開することになりました。
休止につきましてはご心配、ご迷惑をおかけいたしましたが、
あらためて日々閲覧をお願い申し上げます。
株式会社鹿砦社

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