事件があったマツダの工場。引寺はこの正門から突入した

2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場に自動車で突入して暴走し、社員12人を死傷させた引寺利明(47)。「現場の工場で期間工として働いていた頃、他の社員の集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダに恨みがあった」という特異な犯行動機を語り、裁判では妄想性障害と認定されたが、責任能力も認められて昨年秋、無期懲役判決が確定した。引寺は今、どんな日々を過ごしているのか。前2回に引き続き、引寺が今年9月に岡山刑務所の面会室で筆者に語った本音の言葉をお伝えする。

被害者や遺族に対する罪の意識がないことをまったく隠さない引寺。「何の恨みもないのに、でかいことをやろうという思いだけでやった事件じゃない」と言うが、これまでの経緯を振り返ると、裁判中に法廷で不規則発言を繰り返すなど、自分の犯行を誇示するような言動も目立った。この男の思考回路は一体、どうなっているのか。筆者は今改めて、犯行後の「あの発言」について、尋ねた。

◆「秋葉原を超えた」発言の真意

── 事件の直後、知人の男性に電話して、「ワシは秋葉原を超えた」と言ってましたよね?
「ああ、事件の直後はそう思ったんよね。いっぱい撥ねたんで、ワシは秋葉原の事件よりたくさん殺したのう、と。実際に死んだ人は1人じゃったけどね」

マスコミ報道により、この「秋葉原を超えた」発言が有名になった引寺被告。この発言については、2008年に7人が死亡した秋葉原無差別殺傷事件を引き合いに出し、自分の犯行を誇示したものだと一般に認識されてきた。しかし、引寺本人としては、単純に「秋葉原の事件より多くの人間を殺してしまった」と言っただけだったというのである。

「あとで、1人しか死んでないと聞かされて、ワシはびっくりしたけえね」と引寺はシレっと言う。たしかに自動車を猛スピードで走らせ、何ら手加減することなく12人も撥ねたのだ。秋葉原無差別殺傷事件より多くの死者が出たと思い込んでも無理はないかもしれない。

「いずれにしても、“真相”が明らかにならんことには、怒りばっかりでね。ワシは今も怒っとるけえ」
現在、自宅アパートに侵入する「集スト行為」をしていた犯人は、実はマツダの社員らではなく、自分の父親と不動産会社の社長だったと主張している引寺。その“真相”が公に明らかにならない限り、怒りの気持ちばかりで、被害者や遺族への罪の意識はまったく持てないというわけである。

◆「被害者や遺族は“真相”を知る権利がある」

引寺はさらにこんなことも言った……。
「被害者や遺族の人がワシと話してみたいなら、自分がなんで事件を起こしたんかいうことをイチから説明してもええんじゃけどね。被害者や遺族の人はワシに対し、恨みつらみをぶつけてくれてもええしね」
── 被害者や遺族は引寺さんと関わりたくないと思いますよ。
「それなら片岡さんが遺族の人に会いに行って、ワシの代わりに“真相”を伝えてくれてもええよ。片岡さんなら第三者じゃろう」
── ぼくが引寺さんの伝言役として会いに行けば、やはり被害者や遺族の人はいやがると思いますよ。
「でも、被害者や遺族には“真相”を知る権利があると思うんよ。Aさん(=引寺に“真相”を教えたとされる知人男性)の言うことも100%正しいとは言えんけど、ワシはこれが“真相”じゃと思いよるけえ。遺族も“真相”は知りたいじゃろう。いずれにしても、“真相”が明らかにならんことには、自分は怒りのほうが強いけえ、謝罪感情はどっかに飛んで行ってしまうんよ。ワシは裁判で『引寺は妄想性障害じゃ』とキチガイみたいにされとるわけじゃけえね」

◆「死刑上等のつもりでやった」

この引寺の発言を聞き、身勝手なことばかり言いやがって――と思った人もいるかもしれない。だが、少なくとも筆者には、引寺自身は決して遺族を冒涜しているつもりはなく、「遺族は自分の話を聞きたいはずだ」と本気で思っているような印象を受けた。一方で、引寺はこんなことも言う。
「ワシについては、検察が『完全責任能力はあるけど、精神障害の可能性があるんで、極刑は躊躇する』ゆうて無期懲役を求刑したじゃろう。あれはワシとしては、納得いかんのんよ。ワシは死刑上等のつもりでやったんじゃけえ」

── 死刑上等ということは、死刑は怖くないんですか?
「う~ん、それはわからんよね。(犯行を)やる時は何も考えとらんかったけえ。実際に死刑判決受けて、拘置所に入れられて、毎朝、刑務官が部屋の前をコツ、コツ、コツいうて足音させて歩いてきて、部屋の前でノックしてきたら怖いかもしれんよ。でも、ワシは現実にそうなってないけえ。仮にワシが死刑判決受けて、今は広拘(広島拘置所)におって、片岡さんから『死刑は怖いですか』と訊かれたら、『怖い』と言うかもしれんけどね。まあ、今、現実に死刑判決受けとる人らは死刑が怖いんかもしれんね。こないだ2人執行されたニュースあったけど、あん時も死刑判決を受けとる人らは怖い思うたかもね」

死刑制度の是非をめぐっては、犯罪抑止効果があるのか否かということも論点の1つだが、少なくとも引寺に対しては、死刑制度の犯罪抑止効果はまったく発揮されなかったようである。引寺は無期懲役囚として送る刑務所生活について、こんなことも言った。
「まあ、こういう生活がいつまで続くんかのうと思うたら、たいぎい(=面倒くさい)気持ちになることもあるね。そういう時は『死刑のほうがよかったのう』と思ったりもするわ。まあ、もしも“真相”がきちんと明らかにされて認められとったら、死刑にされてもワシは満足じゃったろうね。今は“真相”が明らかにならんけえ、怒っとる。それだけじゃけえ。その怒りのせいで、謝罪感情が飛んでっとるんじゃけえ」

◆「刑務所に来て、甘党になった」

── 被害者や遺族のことがまったく気にならないわけではないんですか?
「ワシも人間じゃけえ、そういう感情がないわけじゃないよ。被害者や遺族らが今どうしよんかのお、とは思うね。ただ、ワシの中では事件が風化しよんよ。広拘におった時は被害者や遺族のこともみんな、フルネームで覚えとったんじゃけどね。今は苗字くらいしか出てこんもん。被害者や遺族はワシのこと、どう思うとんかのお……。じゃけど、不思議なんは、裁判の時に傍聴席からワシに罵声浴びせる被害者や遺族が誰もおらんかったことよ。ワシが逆の立場じゃったら、絶対に傍聴席から罵声浴びせるじゃろうと思うけどのお。片岡さんでも浴びせるじゃろう」

引寺はそうしみじみ語った。刑務所生活では、月に1回出る「ぜんさい(善哉)」が楽しみだそうで、こんなことも楽しそうに話していた。
「シャバにおる時は辛党の人でも刑務所に来たら、みんな甘党になるんよ。ワシもシャバにおる時は、ぜんざいなんか1年に1回食べるかどうかじゃったけど、こっち来てから好きな物ランキングが上がったけえね」
筆者はそんな引寺の話を聞きながら、被害者や遺族が傍聴席から引寺に罵声を浴びせなかった理由が察せられたような気がした。この男に罵声など浴びせても、まったくこたえないだろうし、空しいだけだ――。被害者や遺族はそう思ったのではないか。

引寺の人物像、現状については、今後もまた随時お伝えしたい。

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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「暴力と芸能界」について、もっと掘り下げてゆきたい。今回、俎上に載せるのは、「ビートたけし独立事件」だ。

1988年2月、たけしは16年所属していた太田プロダクションから独立し、オフィス北野を設立した。この独立劇のきっかけとなったのは、その2年前に起きたフライデー襲撃事件である。

1986年12月8日、当時のたけしと交際していたとされる専門学校生の女性に対し、講談社発行の写真週刊誌『FRIDAY』の契約記者が手をつかむなどの乱暴な取材によって、全治2週刊の怪我を負わせた。これに憤ったたけしは、翌9日深夜3時、弟子のたけし軍団メンバー11人らとともに『FRIDAY』編集部に押しかけ、暴行傷害事件へと発展。たけしは事件の責任を取るため、謹慎処分が決定した。

ビートたけし&松方弘樹「I'LL BE BACK AGAIN...いつかは」(1986年Victor)

◆たけしを襲った住吉会系右翼団体の執拗な抗議

事件から7ヵ月後、87年7月18~19日放送の『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』への出演で、たけしはテレビに復帰したが、それを許さない勢力があった。広域暴力団、住吉連合会(現住吉会)系右翼団体、日本青年社がたけしのテレビ出演に猛烈な抗議活動を展開した。

「良識ある地域住民の皆さん! テレビ局は犯罪者・ビートたけしを出演させております。視聴率のために出演させ、たけしの暴言さえ許している……」

日本青年社の街宣車はテレビ局やスポンサー企業、太田プロなどに押しかけ、大音響でたけしのテレビ出演を糾弾した。

日本青年社の抗議は執拗で、たけしが羽田空港から『風雲! たけし城』(TBS)の撮影のため緑山スタジオに向かった際、右翼と見られる男に尾行され、途中でホテルに逃げ込んだことさえあった。気の弱いたけしは、これにおびえた。

だが、これに対して、たけしが所属する太田プロは有効な手を打てなかった。それどころか、右翼の尾行は太田プロからスケジュールが漏れたために起きたのではないか、とたけしは疑念を抱いた。

たけしに対する日本青年社の抗議活動は、12月初めまで続いたが、最終的に両者を手打ちに導いたとされるのが、女優、富司純子の父親で東映のヤクザ映画のプロデュースをしていた俊藤浩滋だった。たけしが『元気が出るテレビ』(日本テレビ)で共演していた松方弘樹の口利きで俊藤が和解工作に乗り出したと伝えられている。

俊藤は日本青年社の小林楠扶会長と以前から親しかったが、俊藤が京都で大手術をした際、小林会長が見舞いに訪れ、そのお礼のため俊藤が無理を押して上京して小林会長を訪ねたところ、これに小林会長が感動した。その場で俊藤がたけしの件を相談したところ、その場で抗議活動の中止が決定した、とされている。

◆手打ちの「返礼」が「たけし利権」争奪の口実に

だが、話はそれだけでは済まなかった。

この間、十数人の芸能関係者が事態収拾のため動いていた。名前が挙がった中には、バーニングプロダクションの周防郁雄社長やライジングプロダクションの平哲夫社長などがいた。当時の報道によれば、手打ちの成立には総額7000万円の費用がかかったとされる。彼らのためにたけしは、「返礼」をしなければならないことになったという。

義理を返す原資となるのが、「たけし利権」である。自分をマネージメントしきれなかった太田プロに対する不信感もあいまって、たけし独立という流れができていった。

だが、当時のたけしは年に5億円も稼ぎだし、太田プロの売上の大半を占めていたから、事は簡単に進まない。水面下では様々な駆け引きもあったと見られる。

88年2月10日、株式会社オフィス北野が設立され、たけしは約100人もいた、たけし軍団を引き連れ、太田プロから独立を果たした。オフィス北野といえば、現在社長を務める森昌行の顔が思い浮かぶが、設立当初の登記簿を見ると、代表取締役はTBS系列の大手技術製作会社である東通社長の舘幸雄が就任している。

さらにライジングプロの平哲夫社長がオフィス北野の取締役に就任している。平は2001年10月18日に脱税容疑で東京地検特捜部によって逮捕されたが、オフィス北野の登記簿を追うと、逮捕の2ヶ月前の8月20日に辞任していた。

オフィス北野設立時の資本金は1000万円。その内訳は、たけしが400万円、舘が400万円、平が200万円となっていた。

たけし独立の裏側では一体、何が起きていたのか?
(つづく)

▼星野陽平(ほしの・ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

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デジタル鹿砦社通信をご覧の皆様、日々のお勤めゴクラク様です。毎週更新で『タバコは体にいいのではなかろうか?』っちゅうことを調査報告している、タバコ愛好家の原田卓馬です。
さて前回の記事で、JTの製造販売するタバコの燃焼促進剤がクエン酸塩だという知られざる事実が判明した。その話の続きをどうぞ。

── なんでクエン酸塩が添加されているんですか?

JTコールセンターの電話の人にたずねてみた。

「はい。クエン酸塩が巻紙とタバコ葉の燃える速度を調節するために、巻紙に添加されています。」

── じゃあ、巻紙にクエン酸ナトリウムとクエン酸カリウムが入ってないと、燃焼速度が安定せず、タバコ葉だけ先に燃えてしまうということですか?

「はあ、多分そうだと思いますけど」

おっと、こんな質問したところで、そう答える以外にないじゃないか!意味ないぞ!

── 巻紙に添加されているクエン酸ナトリウムとクエン酸カリウムがどういう理屈で巻紙の燃焼促進に効果を発揮するんですか?

「そういった詳しいことですと、こちらでは即答致しかねます。お調べするとなるとお時間の方が・・・」

◆火薬が燃焼促進剤だという都市伝説

── 本当かどうかわかりませんが、火薬の成分の硝酸アンモニウムとか硝酸ナトリウムが添加されているという情報をネットで見かけたんです。そういった火薬みたいな成分は燃焼促進剤として含まれていないんですか?

「過去に硝酸アンモニウムを巻紙の燃焼促進剤として使用していたかどうかの詳細は、判りかねますが、現在のJTにおいてはタバコ巻紙に硝酸アンモニウムを添加するということはないようでございます。他社さんのことについてはわかりかねます。それ以外の成分についても使用目的等の詳細はわかりかねます。」

開発者ではないのでさすがに専門知識となるとわからないのであろう。

◆巻紙のりは酢酸ビニル?

── じゃあ話変わって、JTのホームページのたばこ材料品添加物リストの巻紙のりについて質問しますけど、

電話口の向こうで、「こいつ、めんどくせ~」という無言の溜息が漏れた瞬間である。

── 巻紙のりに使用されている、酢酸ビニルというのはなんですか?


たばこ巻紙のり添加物一覧(右横の数字はシガレット一本に対する最大使用割合(%)

・エチレン-酢酸ビニル樹脂 0.2
・ポリ酢酸ビニル 0.07
・カルボキシメチルセルロースナトリウム 0.02
・ 酢酸ビニル-ビニルアルコール樹脂 0.001

「酢酸ビニルは巻紙を接着するための糊にあたります。」

タバコの葉を巻紙で包んで、紙同士が重なる余白部分を貼り合わせるための接着剤としての糊は酢酸ビニルであると。これは、調べてみると木工用ボンドやチューインガムのベースになっているということだ。

なんだと?!普段から木工用ボンドを吸っているのか?なんとも不気味である。

── その成分は木工用ボンドと同じようなものでしょうか?

「酢酸ビニルは木工用ボンドにも使われている成分ではありますが、巻紙のり自体が木工用ボンドと同じ成分ということではないようです。詳細はわかりかねますが、含まれているのはご覧になっている添加物リストにうんたらかんたら── 」

酢酸ビニルを燃やした場合、完全燃焼させれば二酸化炭素(CO2)と水蒸気(H2O)になるようだ。しかし、水分を含んでいると不完全燃焼となり一酸化炭素やアセトアルデヒドを発生し得るようだ。

◆工場見学実施中

有害性についてあれこれ質問しても詳しいことまでは「わかりかねます」なので、どこかに窓口がないか聞いてみた。

── もっと詳しく知りたいんですけど、どこ行けば教えてもらえますか?JTの本社とか行けばいいですか?

「他の窓口については詳しくわかりませんが、タバコ工場の見学なら定期開催ではないのですが、予約可能です。」

──  工場見学!!!!!!!!

「東京にお住まいでしたら宇都宮の北関東工場か静岡の東海工場のどちらかが近いかと思います。」

── そいつぁどうも、ありがとうございます。やっほーい!

工場見学という萌え萌えな耳寄り情報に舞い上がって、上機嫌のまま勢い余って電話を切ってしまった。

・JTのタバコの巻紙の燃焼促進剤はクエン酸塩である。
・巻紙のりの接着剤は木工用ボンド(ではないが)みたいなものである。
・タバコ工場見学ができる。

以上の三つが今回の取材でわかったことだ。

次回は、工場見学かタバコ葉の添加物のお話です。

(原田卓馬)

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屁世滑稽新聞(屁世26年10月18日)

マッサンはウイスキーを作ったけど

アベッチサンは何をしたの……の巻

(ヤン・デンネン特派員の大江戸情報)

【東京発】 昔の特派員仲間で、今はロシア内務省のアナリストをしている友人から、
日本政府の朝鮮対策について知りたいと電話があって、狸穴のスナックで久々に会った。
この男は――仮に名前をレヴィチンコとしておくが――滞日中は山渓新聞の編集局長など
をスパイとして利用したことで名を売り、ソ連解体後もロシア政府の有力者なのである。
ちなみに彼がソ連スパイとして用いた山渓新聞の編集局長は、暗号名が「カント(CUNT)」
だった。言うまでもなく「女陰」を指す。「左折れの男根」を暗示するような名前のソ連
外交官が、日本のマスコミ要人を「女陰」と呼んで利用していたことが何を意味するかは、
賢明な読者なら察しがつくだろう。

それはさておき、古い友人からのたっての頼みである。私ヤン・デンネンも一肌脱ごうと
いうことになり、いろいろな意味で朝鮮事情に通じているサンヤ李恵子にアプローチを
かけた。焼け跡世代の例にもれず、彼女もゴディバのチョコレートなどを差し出せば尻尾
を振って何でも喋ってくれるわけである。アポをとりつけて議員会館に向かった。勿論、
ゴディバチョコレートの詰め合わせを小脇に抱えて……。

私が彼女から聴き出した朝鮮事情や南北朝鮮への日本政府の秘策については、コンフィデ
ンシャルな事項だからここには書かない。だがこのときに交わした冗談くらいは、ここに
書いてもバチは当たるまい。以下はそのやりとりの一部である――

ヤン・デンネン特派員とサンヤ李恵子氏との会話(某日、議員会館にて)

ヤン 「やあ、こんにちワ! お忙しいところスミマセン」
李恵子 「初めまして。あなたのコラムは週刊侵腸で毎回拝読してますわ。おかげで腸をすっかりやられて下痢が止まりませんから(笑)」
ヤン 「それはソーリー、アベソーリー。いやいや申しワケない。ところで李恵子さん、ワタシあなたと初対面じゃないデス。あなたが幼い頃に、あなたの故郷の北陸でたびたび会ってましたよ」
李恵子 「あら!そうでした?」
ヤン 「朝鮮戦争のときにワタシ、北陸に張り付いて特派員やってマシタ」
李恵子 「えっ? 60年以上前のことですよ。そのころから現役の記者さんだったの?」
ヤン 「ハイ。終戦直後から記者稼業ひとすじでして……」
李恵子 「信じられない。どうみても50代にしか見えない! だわ。あなた老化しないの? もしそうなら秘訣を知りたいわ!」
ヤン 「ハイ。ワタシ、毛沢東からじきじきに教わった、中国歴代皇帝が愛用していた回春法をやってマス」
李恵子 「それはすごい! ぜひ教えてほしいワ!」
ヤン 「ザンネンながら殿方専用なのです。それに最近はクスリのほうで貞操観念が薄れてきて、梅毒とかヘルペスになるリスクも上がってきたので、回春どころじゃなくなってマスよ、ハハハ」
李恵子 「えっ? それって回春とかおっしゃってるけど、ひょっとして買春?」
ヤン 「オー!ミステイク! バレてしまった! ニッポンでは、そうも言うそうですね、イエス!」
李恵子 「とんでもないご老人ね。それはともかく、じゃあ父のことはよくご存じでは?」
ヤン 「モチロン! 朝鮮事情に通じた方でしたから。しかも地方新聞社の要職に就いてカツヤクしておられた」
李恵子 「朝鮮戦争のころから、その後に始まった在日北朝鮮人の帰国事業のことなど、父はずっと取材していましたから」
ヤン 「そのあとイロイロあって、郷里で選挙に立候補したけどお負けになって、それでアナタを連れて東京にお引っ越しになり、東京でもマスコミの寵児になりましたよね」
李恵子 「ええ、宇治山渓グループの放送局に職を得まして、ラジオパーソナリティの先駆けとして伝説的な活躍をしました」
ヤン 「存じ上げております。民族のキズナって強いものだなあ……と、そのたびごとに感心しておりました」
李恵子 「あらそうですの?」
ヤン 「クニが違えど同じ民族なのですから内輪もめはイケナイ。就職でも何でも仲間うちで融通しあって助けあう。そういう国際的にも通じる教訓を、お父様からも、あなたの生き方からも、ワタシ学んできたのデス」
李恵子 「あらまあ……。ところでヤンさん、あなた朝鮮戦争のときは戦地で取材したの?」
ヤン 「イイエ、日本の兵站拠点でもっぱら取材してマシタ。でもワタシ、その後、中国とソ連との国境紛争は、第三国人という立場を利用して、双方の“記者席”から戦闘を眺めておりマシタ」
李恵子 「それは興味ぶかい話ね。日本も周辺諸国と国境がらみの諍(いさか)いが激化してきたから、ぜひ中ソ国境紛争のことは聞いておきたいワ」

★          ★          ★

ヤン 「月日の経つのは早いものデス。もう45年も前のことデスが、きのうの出来事のように鮮明に覚えていますヨ。事件はアムール川の支流、ウスリー川に浮かぶ一つの小島で起きました」
李恵子 「竹島みたいに海にうかぶ孤島ではなかったのね」
ヤン 「大陸の二大国家ですから、大きな川が国境線になって、川のなかの島の所有権をめぐって紛争が起きたりするのデス。……で、この島を中国は“珍宝島”と呼び、一方のソ連は“ダマンスキー島”と呼んでいた」
李恵子 「まあ…………」
ヤン 「中国政府は『チンポー!』と叫び、ソ連政府は『ダマンスキ~!』と叫ぶ。それはもう大変なことになってマシタ」
李恵子 「…………(赤面して声も出ず)」
ヤン 「どうしました?」
李恵子 「あなた、私にセクハラしてるでしょ? 中国が『チンポ~!』と叫び、ソ連が『駄マン好き~!』と叫ぶなんて、そんな出来すぎたジョークあるわけないじゃない? それじゃ“男根vs女陰”のおかめ・ひょっとこ対決じゃないの(笑)」
ヤン 「ハァ? サンヤ先生なにか勘違いしてオラレル。珍宝島事件は歴史的な事実デ~ス! それに現地の人は、そういう名前を聞いてもそんなことは連想しませんよ。『チンポ』とか『駄マン好き』とか、それは日本語だから日本でしか通用しません」
李恵子 「あら。そうですの……(ひたすら赤面)」
ヤン 「ワタシの祖国のオランダにも、似たようなことがありますヨ。たとえばワタシはスケベニンゲンの出身なのデスが……」
李恵子 「スケベだなんて自己紹介したら人間終わりですわよ」
ヤン 「イヤイヤ、だか~らチガイマス! オランダの、北海に面したリゾート地ですよ。サカナがめっちゃウマイとこデンネン!」
李恵子 「まあ……。記者歴が長いと駄ジャレで自己紹介するようになるのね。それにしてもスケベな地名よね」
ヤン 「だ~から~、そう感じるのは日本語の“助平”と発音が似ているからで、日本人だけだってバ! だいたい東京にも“銀座スケベニンゲン”という、スケベニンゲン市長から正式に命名許可をもらったレストランがあるんですケド、ご存じ?」
李恵子 「いいえ。外食はもっぱら新大久保なので……」
ヤン 「銀座スケベニンゲンのパスタは絶品ですよ。ワタシ的には“チンチンコース3980円”がおすすめですケド」
李恵子 「え? チンチン食べちゃうの? あたし、なんだかワクワクしてきた……」
ヤン 「だ~から~チガウです、それ! チンチン(Cincin!)はイタリア語で“乾杯!”って意味ですよ。イタリアン酒場で“チンチン”って名前の店はザラにありますから」
李恵子 「そうでしたの? 外国語って、日本人が聞くとイヤラシイのが多いわね。やはり日本では欧米語よりもハングルを教えるべきよ!」
ヤン 「そうおっしゃりますケド、日本のことばだって、外国人が聞くとスケベ~な連想したりするものがアリマスヨ」
李恵子 「うそでしょ? 日本語は世界一美しい言葉なのですよ。言の葉というくらいですからね」
ヤン 「すべての言語はみな美しいし、みな立派で優れているんですよ。ワシらの言語がいちばん美しい、とか、優れている、とか自慢したり優越感を持つのは、世界の広さをしらないイナカ国家の三等国民くらいなもんですよ」
李恵子 「……美しい日本のわたし。」
ヤン 「60年以上の特派員経験があるワタシのお説教を、受け入れられないようデスから、じゃあ実例をすこし示しマスネ」

★          ★          ★

ヤン 「まず日本では電話で話しだすときに必ず用いる“もしもし”って言葉。あれドイツ人が初めて聞いたら驚愕シマス」
李恵子 「あんなの世界共通のあいさつでしょ?」
ヤン 「レディの前では口にするのも憚(はばか)られることなのですケド……。日本語でいう“お●んこ”は、ドイツ語だは“ムッシ(Muschi)”なんですヨ。元々“ムッシ”は子猫を指す言葉ですけどね。ちょうど英語で子猫を意味する“プッシー(pussy)”が“お●んこ”を指すようになったのと同じ事情でしょう」
李恵子 「えっ? じゃあ“モシモシ”って言ったら……」
ヤン 「オメコオメコって言ってるようなもんデス。相手はビックリします。次はニッポンの“サザエさん”に出てくるあのイガグリ坊やですケド……」
李恵子 「磯野カツオ……ね」
ヤン 「イタリア語では“私”が“イオ(io)”で、“私は何とかです”っていうのは“イオ・ソノ何とか”と言いマス。……で“おちんちん”は“カッツォ(cazzo)”なんですワ。だから“私はオチンチンです”ってイタリア語で言うと……」
李恵子 「イオ・ソノ・カッツォ……ですか?」
ヤン 「イエス! ふつうの速さで言えば“イソノカツオ”になってしまうんですワ。こういう、日本語を知らない外国人に要らぬ誤解を与えるコトバというのは、けっこうありマス」
李恵子 「それが人名だったら悲惨ですね」
ヤン 「イエス! たとえばワタシが好きなAV女優に麻生舞という人がいました」
李恵子 「駄マン好き~……ですか?」
ヤン 「ノゥッ! 名器です。ワタシ名器スキです。……それはともかく、ニッポンの皆さんは“麻生”をふだんどう発音してます?」
李恵子 「あそー……でしょ?」
ヤン 「ふつうに“アソー”と言うと、英語圏では“尻の穴(asshole)”と聞こえるんですよ。発音してみましょうか(http://ja.forvo.com/word/asshole/)」
李恵子 「あっ! 本当だ!」
ヤン 「昭和天皇がご存命のころ、軽く受け流すお答えの常套句として、“あっ、そう”をご愛用していましたが、あれも今考えれば冷や汗ものだったわけです」
李恵子 「世界の広さ、文化のギャップを感じますねえ……」
ヤン 「……で、麻生舞チャンですが、彼女が外国人の前で“マイ・ネーム・イズ・舞・麻生”と言ったら、どう受け取られるか……デスネ」
李恵子 「私のなまえは“私のお尻の穴”です……となってしまう。スゴイですねえ」
ヤン 「そんなこともあったせいか……彼女、その後、“沢口りな”の名前で仕事をするようになったのデス」
李恵子 「お詳しいですわね」
ヤン 「ファンでしたから(笑)」

★          ★          ★

李恵子 「麻生が“お尻の穴”に聞こえるとなると、麻生副総理が心配だわ」
ヤン 「麻生太郎さんの場合は、苗字だけじゃナイからネ」
李恵子 「……とおっしゃると?」
ヤン 「ニッポン人がふつうに喋るように曖昧な発音で“アソータロー”って言ったら、英語圏の人間には“尻の穴のテロ(asshole terror)”に聞こえるでショーね」
李恵子 「想像するだけで背筋が凍りますワ」
ヤン 「たしかに“私はケツの穴のテロです”なんて自己紹介されたら、お尻を押さえて逃げますよ(笑)」

「アソウ・タロウ」とハッキリ発音しないと
「Asshole terror」に聞こえてしまい、
あらぬ誤解を持たれることになる。

李恵子 「とくに麻生さんの場合は、訪米の際などは、はっきり正しく日本語を発音しないと命にかかわりますね」
ヤン 「テロリストと間違われてしまう恐れもアリマス。デカい図体のポリスメンが駆けつけて、あせった麻生さんが“ちょっと待ってくれ!”などと言いながら名刺を出そうと背広に手でも突っ込めば、その場で射殺されるかも知れません」
李恵子 「おお~こわい! プルアンハグナァ……」
ヤン 「ソレ、ニッポンのおまじないですか?」
李恵子 「アニョ、わたしの心のなかの叫びです。心配だなぁ……って呟(つぶや)いただけです」
ヤン 「まあ……しかし、犬のお尻から顔がでてきても、悪いことばかりじゃないかも知れませんよ。2006年にロサンゼルスのジェシカ・ホワイトさんが飼っていたテリア犬のお尻に、キリスト様が降臨して、世界じゅうで騒動になったことがありますから」

犬の尻の穴(asshole)には神が下りることもある……らしい。
(2006年に米国LAのジェシカ・ホワイトさんが撮影。ちなみに
愛犬の名は「アンガス・マクドゥーガル」、三歳の雑種テリア)

李恵子 「ほかに日本の政治家で、こういう要注意の名前の人っているんですか?」
ヤン 「イエス! レディの前で口に出すのも憚られるのですが……。あっ、これさっきも言いましたネ。……とにかく“キンタマ”のことを英語で“ナッカー(knacker)”といいます。これは物と物とが当たって出るコンコンッという音が由来の擬声語らしいのですが、2個の小さな丸い木片をヒモで結びつけて、コンコンッと音を出すカスタネットのような打楽器とか、それに似たキンタマを指す俗語です」
李恵子 「名前のなかに“ナカ”が入る人名ってたくさんあるわよ。中曽根康弘さんとか、竹中平蔵さんとか」
ヤン 「そのお二人がまさに問題なのデス。息子のことを英語で“ソン(son)”といいますが、俗語だと“そこの兄(あん)ちゃん”という卑近なニュアンスになります。さらにこれが“野郎・くそったれ・タコ・ぼけなす”などの罵倒の意味ももつわけデス。だから自己紹介なり他人からの紹介のときに“なかそね”と日本語でハッキリ発音すれば問題はないのですが、変に卑屈な日本人が外国人のまえでよくやるように、西洋人をまねた奇妙なアクセントや発音で“ナッカソーネ”なんて言ったら、聞く人がきけば“キンタマ野郎”と聞こえてしまうのです」
李恵子 「中曽根さんは総理大臣時代、訪米先の記者会見でいわゆる“不沈空母”発言をして世を騒がせたけど、“キンタマ野郎”が“不チン空母”発言なんかしたらシャレになりませんわ(笑)」
ヤン 「そのダジャレも、日本でしか通用しませんから(笑)」


「knacker」「son」はいずれも英語の俗語で、それぞれ
「キンタマ」「野郎」という意味だ。「なーかーそーね」と
母音をちゃんと伸ばして発音せずに、「ナッカソネ」などと
英語っぽく発音すると、「威勢よく突っ張ったキンタマ野郎」
と思われるので注意が必要だ。日本人の名前は、外人の前でも
ちゃんと正しい日本語で発音すべきである。

李恵子 「竹中さんはどうなんです?」
ヤン 「サンヤ先生、“ヘイズ(haze)”っていう英単語はご存じですか?」
李恵子 「煙……よね。あたしの好きな坂本冬美チャンが“パープルヘイズ音頭”っていうのを唄ってるのよ。パ~ヘイズ紫の~♪ けむ~り~がモクモク~♪」(→ https://www.youtube.com/watch?v=Dt4YxGCmO0Q
ヤン 「お歌がお好きでケッコウなことデシタ(笑)。“ヘイズ”って言葉は、モヤっとした煙や霞(かすみ)という意味があり、それが一番ふつうの用例なのですが、ほかにもいくつか意味があるんです」
李恵子 「煙だけじゃないんだ?」
ヤン 「ニホンゴでいえば“神”と“髪”と“紙”とか、“橋”と“箸”と“端”とかネ。由来はちがっても現代では同じ音になっていて、漢字で書かないと違いがわからない言葉はこの国にもけっこうあるでショ?」
李恵子 「たしかに。フジといっても“富士”も“不二”も“不治”もあるわね。富士テレビジョンとして発足したフジテレビも、今じゃ“不治テレビ”になっちゃたし」
ヤン 「オーダイバー合衆国とか、オ-ダイバー新大陸とか、新社屋の所在地のオーダイバーを冠につけたイベントだって、われわれ特派員仲間は“ダイジョブかいな~?”と苦笑しながら眺めているわけですヨ。“不治テレビ”に似つかわしく、“ダイバー! ダイバー!”と叫びながら凄い勢いで急降下(dive)しているわけですから、あの会社は(笑)」
李恵子 「……それで煙の話ですけど?」
ヤン 「そうそう、忘れるところデシタ(笑)。煙という意味のヘイズ(haze)は、元をたどると1000年くらい前の、大昔のイギリスで使われていた“どんよりと薄暗く曇った”という意味の“ハズ(hasu)”という古語が由来らしいです。だけどもうひとつ、中世フランスの“嫌がらせをする・いじめる”という意味の“ハゼール(hazer)”という言葉がイギリスに伝わって、現在はヘイズ(haze)という形で使われている言葉もあるんですワ」
李恵子 「言語学のややこしい講釈、ゴクローさんです(笑)」
ヤン 「長くなってスンマセン。……で、こっちの意味の“ヘイズ”なんですけど、“ヘイズする人”つまり“いじめる人”のことを今でも普通に“ヘイザー(hazer)”というんですヨ」
李恵子 「学校のいじめっ子……とかですか?」
ヤン 「いや。むしろ、寄宿制の学校の“新入生歓迎”儀式で新入生をいじめる上級生とか、新兵をいじめる先輩の下級兵士とか、さらに意味がひろがって、使いものにならない家畜をころす屠殺業者、廃屋や廃船を解体する業者なんかも、みんな“ヘイザー”って呼ばれています」
李恵子 「……で、それと竹中さんは関係あるんですか?」
ヤン 「中途半端に西洋人ぶって、“ヘイゾ~・タ~ケナ~カ”などと自己紹介しようものなら、ネイティブの英語つかいには、こんなふうに聞こえてしまうかもしれませんね。“いじめ野郎! キンタマとっちまえ!(Hazer! Take knacker!)”」


先輩による新入生や新兵イジメとか、「ホモ嫌い」による
同性愛者へのイジメや嫌がらせを、英語では「haze(ヘイズ)」
といい、そういうイジメ野郎を「hazer(ヘイザー)」という。
「knacker」には「金玉」のほかに「家畜屠殺屋」「廃屋解体屋」
「屠殺する」「ダメにする」とか「役立たずになった家畜・廃馬」
という意味もある。他人にむかって「Take knacker, hazer!」など
と言ってはいけない。

★          ★          ★

李恵子 「安倍総理はどうなんでしょうね? アベ・マリアっていう歌があるくらいだから、悪いイメージはないでしょ?」
ヤン 「ノゥ……。そんなことないデス。世界のコトバは英語だけじゃナ~イ」
李恵子 「ということはフランス語とか?」
ヤン 「ピンポ~ン! フランス人のまえで安倍総理のことを“あべっちさん”などとニックネームで呼ぶと、ヤバイです(笑)」
李恵子 「どういうこと?」
ヤン 「フランス語で“白痴化する”ことを“アベチル(Ab?tir)”というんですが、ここから生まれた言葉で“馬鹿”のことを“アベッチサン(Ab?tissant)”っていうんですヨ」

アベッチサン(ab?tissant)はフランス語で
「白痴」「バカ」という意味である。だが歴史上、
洋の東西を問わず「バカ(fool)」は、権力者を
おだてる「道化(fool)」としての特権を得てきた。
トランプカードの「ジョーカー(joker=おどけ者)」
もそうした道化師にほかならない。

李恵子 「安倍さんはフランスでは馬鹿の代表みたいになっちゃうのね……」
ヤン 「悲しがることはないデス。なぜなら、世知がらい世間常識などハナから無視して馬鹿なことを言ったり行なったりする本格的なバカは、昔から、それなりに一目置かれていたからです」
李恵子 「まさに安倍総理のことじゃないの」
ヤン 「イエス。そして馬鹿や狂人を、天の声の代弁者として崇拝する習慣というのは、昔から洋の東西を問わず、存在してきマシタ」
李恵子 「すばらしいわ!」
ヤン 「馬鹿、すなわち“アベッチサン”は、西洋では古来、王様や貴族が“宮廷道化師”として重用してきたのですよ。ちなみに英語の“フール(fool)”という言葉がありますが……」
李恵子 「馬鹿のことでしょ?」
ヤン 「“馬鹿”のほかに“道化師”という意味もあるのデス」
李恵子 「知らなかったわ。馬鹿も使いようなのね」


かつては「バカは天与の資質」として神聖視され、常識人が
けっして口に出来ない権力批判も「バカだから仕方ない」と
大目に見られていた。宮廷道化師は王や貴族を笑わせるだけ
でなく、常識人たる側近臣下たちが言えないような辛辣な
批判や、悲しい知らせなどを、権力者に伝える貴重な役目も
果たしてきた。

ヤン 「現在だってまったく変わってないのですが、権力者のまわりには、小賢(こざか)しい欲たかりの小人物たちが集まります。こいつらは世間体を気にして、小賢しく、せせこましく、常識的に振る舞うわけです。そういう木っ端(こっぱ)役人みたいのが、吹きだまりみたいに集まった組織はどうなるか?」
李恵子 「ソニーみたいになるんでしょ?」
ヤン 「イエス! あるいはお台場に移転後の宇治テレビみたいに、こざかしいばかりの烏合の衆の集まりになって、まさにオ~!ダイビング!……するわけです」
李恵子 「おお~ダイバ~ってことね?」
ヤン 「イエス。むかしの王室なども、そうした危険性を経験のなかで学んだのでしょうね。常識ぶる臆病な木っ端役人ばかりで王室が窒息しないようにするため、わざわざ世間知らずのバカを“道化師”として雇っていた、というわけ」
李恵子 「現代の日本では考えられないわ……」
ヤン 「いや、サンヤ先生。あなたみたいな議員には想像できないだろうが、国会制度そのものが、じつは国民的娯楽を提供する“愚者の殿堂”であり、馬鹿どもが騒ぎまわる“道化の劇場”なのですよ。少なくともわれわれ海外特派員は、そういう視線で国会を楽しませてもらってますから(笑)」
李恵子 「まあ…………(ため息)。で、バカ代表のアベッチさんは、どんな存在意義があるっていうの?」
ヤン 「古来から、バカが売りものの宮廷道化師は、常識的な臣下や側近ができないような言動を、担ってきたわけです」
李恵子 「馬鹿にそんなことができるの?」
ヤン 「イエス! まず太鼓持ちの仕事があります。日本語でいえば“幇間(ほうかん)”です。……ところでサンヤ先生、幇間ってどういう意味だと思います?」
李恵子 「モルラヨ~」
ヤン 「あの? それは何のおまじないですか?」
李恵子 「ただの郷里の方言ですよ。“知りません”って意味ですから」
ヤン 「はぁ、そうですか。……で、幇間ですが“幇”ってのは“脇から手を出して助ける”という意味です。犯罪者を支援することを“幇助(ほうじょ)”っていうでしょ? ……まあそういう意味です」
李恵子 「勉強になるわね」
ヤン 「……で、幇間というのは“間をたすける”わけで、酒席などで、間が空くと“間抜け”になっちゃうので、冗談をいったり芸をみせたりして“間を持たせる”わけです。この“間を持たせる人”のことを、そのまま直訳したような英語の言葉があるのですが、ご存じですか?」
李恵子 「モルラヨ~」
ヤン 「答えを言いますと、そのものズバリの“エンターテイナー”です。“エンター”は“間”、“テイナー”は“持たせる者”という意味です」
李恵子 「……で、それと安倍総理はどう関係あるの?」
ヤン 「宮廷道化師のたいせつな仕事は、まず馬鹿をしてみせてご主人の笑いをとる太鼓持ちってことです。そしてもう一つ、これも“馬鹿”しか許されない重大な任務なのですが……」
李恵子 「それは何?」
ヤン 「常識的な木っ端役人の臣下たちには、畏(おそ)れ多くて王様や権力者のまえでけっして口外できないような不埒(ふらち)なことを、権力の主にむかってズケズケと言う任務です」
李恵子 「王様に面とむかって悪口を言うってこと?」
ヤン 「ノゥ! 悪口というよりも批判ですね。それから国や王室の存亡にかかわる不吉なニュースを、王様に伝える仕事とか……」
李恵子 「アベッチサンの安倍総理が“現代の宮廷道化師”だなんて、そんな言い分は通用しないでしょ? ここは民主国家の日本ですよ? 絶対王政時代のフランスやイギリスじゃないんだから」
ヤン 「ノゥっ! よく考えてごらんなさい。われわれ外国人の特派員にはわかることなのですが、日本人には難しいかもね。文化を比較できるだけの広い視野も経験もないですから、日本には……」
李恵子 「そうまで言われたら無理矢理でも考えますワヨ! 腐ってもワタシ、ニポン人ですから!」
ヤン 「……アベッチサンは現代の宮廷道化師だと思いませんか?」
李恵子 「でもべつに王様……というか、天皇陛下を笑わせるような馬鹿な芸をするわけでもなし……。ああ!わかった! いまだに天皇ご一家を汚染のホットスポットに閉じ込めて、京都のご自宅に帰れないようにしているワ。そういう不敬なことは常識的な臣下なら誰ひとりできるはずがない! 天皇陛下にキツく当たっている、という意味では、アベッチサンは立派な宮廷道化師だわね」
ヤン 「たしかに。でも日本は絶対王政でしたっけ?」
李恵子 「天皇陛下は国家と、主権者たる国民の象徴じゃないの! このあたりのことは、あたしらの党の改憲案でじきにぶち壊す予定ですけどね。……まあとにかく、たとえ現在の憲法で“主権者は国民”と書かれていても、安倍総理はその国民にだって大笑いの芸を見せたり、おそろしい罵声を吐いて、じゅうぶんに宮廷道化師の役割を果たしているわよ!」
ヤン 「日本は立派な宮廷道化師を維持していて、まことにうらやましいデス。歴史的伝統を尊重する保守政党の醍醐味(だいごみ)ですね!」
李恵子 「お誉めいただいて光栄です。これからも立派な宮廷道化師を持ち続けるよう、自民党はがんばっていきます!」

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=5088)から引用》と明記して下さい。
なお、ヤン・デンネン記者とサンヤ議員の会話は、本紙記者が銀座の酒場で
一人酒していたときに、たまたまそばの席にいた外人特派員どうしの自慢合戦
の、聞くとはなしに聞こえてきた話の内容にヒントを得たフィクションです。
登場人物も勿論虚構ですので、お迷いのないよう……)

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引寺が服役している岡山刑務所

2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場に自動車で突入して暴走し、社員12人を死傷させた引寺利明(47)。「現場の工場で期間工として働いていた頃、他の社員の集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダに恨みがあった」という特異な犯行動機を語り、裁判では妄想性障害と認定されたが、責任能力も認められて昨年秋、無期懲役判決が確定した。引寺は今、どんな日々を過ごしているのか。前回に引き続き、引寺が今年9月に岡山刑務所の面会室で筆者に語った本音の言葉をお伝えする。

すでにお伝えした通り、今も被害者や遺族に対する罪の意識がまったく無い引寺。「刑務所は“更生”する施設じゃなくて、(他の受刑者と)“交流”する施設」とまで言い放った。だが、その語り口にはどこか達観したような様子も感じられた。

◆「仮釈のことは今は考えん」

── 引寺さんは仮釈放が欲しいとは考えないんですか?
「ワシは考えんね。いま考えてもどうしようもないけえ。(仮釈放が)あるとしても、だいぶ先のことじゃろう。たいぎい(=面倒くさい)けえ、考えんわ」

── 無期懲役ですからね。
「無期の場合、ここ(=岡山刑務所)から出る人は1年に1人おるかどうかじゃね。今は無期じゃと30年以上入るけど、ほとんど小さい箱になって(と言いながら骨壷を胸の前に抱くような仕草をして)、出るんじゃろう。無期で入ってくる人と出る人を比べたら、入ってくるほうがだいぶ多いもんね。無期の人間は出れれば、ラッキーいうことじゃろうね」

引寺は罪の意識がまったく無い一方で、「シャバ」への未練もあまり感じていないようだった。それにしても、と筆者は思う。引寺が現在、自分のアパートに侵入する「集スト行為」を行っていたのはマツダの社員ではなく、実は自分の父や不動産会社の社長だったと主張するようになっているというのはすでにお伝えした通りだ。仮にその主張が事実ならば、引寺は「集スト行為」とは無関係のマツダの社員たちを死傷させたことになるのであるが……。

── 引寺さんのアパートに侵入していたのがお父さんや不動産屋の社長だったと思うなら、無関係なのに被害に遭ったマツダの人たちに悪いことをしたと思わないですか?
「いや、そりゃ思わん。親父や不動産会社の社長がワシのアパートに侵入しよったんなら、ワシが言いよったことが妄想じゃなかったことになるじゃろう。つまり、ワシがマツダでロッカーや車にイタズラされよったこともホンマじゃったと証明されることになるんじゃけえ」

つまり、こういうことらしい。引寺の裁判では事実上、引寺が主張する集団ストーカー被害はすべて「引寺の妄想」だったと結論されている。だが、自分の父親や不動産会社の社長が引寺のアパートに侵入していたのなら、少なくとも引寺の主張のうち、「自宅アパートに何者かが侵入していた」という部分は事実だったと証明される。ひいては、マツダの工場での勤務時にロッカーや車にいたずらされたと主張している件も妄想ではなく事実だったと証明される――それが引寺の考えなのだ。

◆本心で話してはいるのだが……

筆者が賛同しかねていると、引寺は筆者の心中を察したのか、こう水を向けてきた。
「ホンマの話、片岡さんはどう思いよん? やっぱり少なからず、(集団ストーカーに遭ったという話は)ワシの錯覚じゃと思いよん?」
「……少なからず、そう思っていますね」と筆者は正直に答えた。
すると、引寺は「そうか……」と少し残念そうにしながらも念押しするようにこう言った。
「でも、ワシが(マツダに)何の恨みもないのに、ただデカイことをやってやろうという思いだけで事件を起こしたんじゃないんはわかってくれたかね?」
今度は筆者も「そうですね。それはわかりました」と答えた。昨年の春頃から一年半以上、面会や手紙のやりとりを重ねてきて、引寺が常に本音で話していることだけはわかっていた。マツダの工場で働いていた頃に集団ストーカー被害に遭ったことが犯行動機だという引寺の言葉は、間違いなく本心だ。

だが、しかし――と筆者は思う。引寺は事件を起こして以来、自分の犯行を誇示するような言動もしばしば見せてきた。公判で不規則発言を繰り返したのは、その最たるものだろう。控訴審の判決公判では閉廷時、裁判長に食ってかかった挙げ句、「このワシがマツダに黒歴史を刻んでやった! よう覚えとけ!」と大声で叫びながら退廷していった。それまでに何度も面会してきた筆者には、あれが引寺のパフォーマンスだということはすぐわかった。引寺は決して激高し、我を忘れてあのような発言をする人間ではない。

また、引寺は犯行直後に知人男性に電話した際、「ワシは秋葉原を超えた」と、2008年に7人が死亡した秋葉原無差別殺傷事件を意識したような発言をし、犯行を誇示していたと伝えられている。引寺という男の思考回路は一体どうなっているのか――。[つづく]

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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現在、そして未来も大学の最大の課題は学生募集だ。6割以上の大学が既に入学定員を確保できていない状況は以前述べたが、受験生の減少と大学側の入学定員の増加という需要と供給の「乖離現象」は今後ますます進展してゆく。

大学の存続にかかわる「学生募集」。何か妙案はないものかと大学は「もがく」のだが、違う角度からそれを格好のビジネスチャンスとしてよだれを垂らしながら薄笑いを浮かべている連中がいる。リクルートをはじめとする「進学情報」を生業とする業界がそれだ。

◆20人の学生確保に広報支出が6,000万円!

各大学の学生募集を担当する部署には、実に多くの「進学情報」業者が営業活動に訪れるし、電話やメールによる勧誘も年から年中ひきもきらない。一部有名大学を除いて受験生確保は第一優先だから「進学情報」業者と全く付き合いのない大学はない。

受験生へ無料送付される「進学情報誌」への広告出稿、インターネット上での広告、進学説明会参加など業者が提案してくる広報形態は様々だ。この業界の営業マンは口八丁が身上で、多少の経験則がないと業者やメディアの選択を誤ることになる。戦略を持たない経営者や担当者がこれらの業者に引っかかると、時にとんでもない出費を食らうはめになる。たった20人の学生を確保するために1年で6,000万円の広報費を浪費したのは誰もが知る関西の有名私大だ。担当者の無能が原因だ。6,000万円使っても結局目標の20名は確保できなかったという笑えない結論が付いてくるのだが、一部私立大学の「どんぶり勘定」はなかなか豪快ではある。

弱小大学にとって広報活動を独自に行うのは人的にも財政的に厳しい。業者なしには全く広報活動が出来ない大学だってある。だから本来ならば大学が行うべき業務を業者がある程度「補完」してくれている側面は否定できない。が、「教育産業」という言葉自体に嫌悪感を持つ者としては連中のやり口の汚さがどうも目につく。

◆弱小大学には割高すぎる「合同説明会」

例えば「合同説明会」というイベントがある。フロアーの広い会議場などを業者が借り切り、そこへ各大学がブースを出し、受験生に大学の説明を行ったり、質問を受けるという、いわば「大学の見本市」だ。これが、全国いや海外も含めて様々な主催者により無数に行われている。

大学は「参加費」を支払い、広報担当職員や教員が出向く。「参加費」は規模や主催業者により異なるが5万円から50万円ほどが相場だ(有名大学は割安に、弱小大学は割高に価格を提示されることが多い)。そこには当然お客さんである受験生が多数いないと意味はないのだが、悪徳業者主催の「合同説明会」に乗ってしまうと、1日で訪問者が数十人しかいない、しかもどう見てもその内何割かは「サクラ」であるということが珍しくない。

20校ほどの大学が出展している「合同説明会」で数十人が訪れても、それが受験に結びつく割合はほぼゼロだ。悪徳業者は会場確保とパーテーション、机などの備品用意と見せかけばかりの受験生向け広告を用意するだけでまるもう儲け、閉会間際に「予想を下回る来場者で申し訳ございませんでした」と用意をしていたアナウンスをすれば任務完了というわけだ。

そんな「合同説明会」に参加を決めてしまう時点で、大学の程度が知れるというものだが。口上を変えながら大学から広報費を引っ張り出す、巧妙な悪徳業者にとっての「おいしい」時代が当分続くのだろう。

「合同説明会」の中には「日本学生支援機構」(実質的に国の機関)が主催する海外での説明会もある。また東京や大阪等大都市では一度に100校以上が参加する大規模説明会も行われ、来場者があふれり、活況を呈しているものある。この手の大規模説明会は受験生にとってはメリットがある。志望大学の担当者と直接相談をすることができるし、大学案内や願書などを無料で手に入れることができるからだ。

しかし、もとより志願者が少ない大学はここでも泡を食らうことになる。確かに会場は受験生で溢れている。有名大学のブースの前には相談を待つ受験生が列をなす。でも弱小大学のブースにはウィンドショッピング(ひやかし)しかやってこない、一日ブースで受験生を待ち続けるのは、動かない浮きを眺める釣りのようなものだ。

◆悪徳「留学生斡旋業者」は顔つきが違う!

よりたちが悪いのが海外からの留学生を斡旋しようと持ちかけてくる連中だ。以前は中国が最大供給源だったが、経済成長と両国関係の悪化によって、最近はベトナムやミャンマーがそのターゲットになっている。

東アジアを見渡せば、日本は勿論のこと、韓国も台湾もそして「一人っ子政策」で統計上は中国も少子化が進展している。留学生の出身国はかつてこの3か国で90%以上を占めたが、今や台湾や韓国も国内で日本同様の学生の奪い合い時代に突入している。

留学生斡旋を持ちかけてくる連中はどいつもこいつも胡散臭い。「NPO国際○○支援会」と名乗ったり「株式会社アジア人材○○」だったり、容姿からして教育業界の人間のそれとは雰囲気が違う。まあ実質的に「人身売買」に手を染めている人間なので当然と言えばそうなのだが。

関西のある弱小短大は学生募集に苦戦のあまり、悪徳留学生斡旋業者にひっかかってしまった。学生担当職員によると、業者は何者かの紹介で理事長に取り入った。中国の奥地まで「視察」の名目で理事長を連れてゆき、接待漬けにして骨抜きにしてしまい、学生募集の業務提携を結ぶ。翌年確かに数人の留学生を送ってきたのだが、学費の半額近くに相当する「紹介料」を支払うはめになる。いくら学生の頭数をそろえても学費が徴収できなければ、経営的には意味がない。それでも理事長に食い込んだ業者は広くもない事務室の中に自分専用の机の設置を要求する。

更に「学生数確保の重要な鍵を握っている人物だから」という理由で理事への就任を要求し始める。この業者は関西一円で同様のモデルで「ブローカー」として稼いでいるようだが、典型的な「大学ゴロ」と言えよう。

より規模が大きく、最初から確信犯であるのが「大学自体がゴロ」であるケースだ。高校野球で甲子園に系列高校がしば活躍する「TK大学」は労組委員長殺害の為にヤクザを雇い実行した前歴がある。この大学は少々の記事でも片っ端から名誉棄損で裁判を起こすことでも知られているので内実の恐ろしさの割に週刊誌などでも報じられることが少ない。

意外なところでは、センスのいい大学として知られる「AG大学」の現理事長は財界とのパイプが太く民主党政権時代には国会議員がおこぼれにあずかろうと日参していたほどの裏社会のビジネスに精通している人物だ。

これ以上書くと危険ラインを超えてしまうので、私が狙われてもいいと腹が据わったら実名で告発をすると予告しておこう。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学
《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る
《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策
《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて
《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?
《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実
《大学異論09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事
《大学異論10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私
《大学異論11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!

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奥本被告が拘禁されている宮崎刑務所

JR宮崎駅からタクシーで約30分、宮崎刑務所は山すそに広がる田園地帯にあった。広々とした敷地には県木のフェニックスなど南国の木があちらこちらに立っていて、のどかな雰囲気を醸し出していた。筆者が奥本章寛被告(26)と面会するため、この刑務所を訪ねたのは9月12日のことだ。

妻と生後5カ月の長男、養母(妻の母)の3人を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受けた奥本被告。あす16日、最高裁で上告審の判決公判が開かれるが、地元では減刑を求める支援活動が盛り上がり、被害者遺族の1人(妻の弟。奥本被告にとっては義理の弟)が奥本被告と面会したうえで「第一審からのやり直し」を希望する上申書を最高裁に提出する異例の事態になっている。

そんな異例の事件の張本人、奥本被告はどんな人物なのか。その人となりに触れてみたく、筆者はこの日、宮崎まで面会に訪ねたのだった。4日前の9月8日、最高裁で開かれた公判で弁護側、検察側が弁論して上告審も結審しており、奥本被告にあとは判決を待つばかりとなった心境を訊いてみたいという思いもあった。

面会室に現れた奥本被告はタンクトップに短パンというラフな姿だった。第一印象を率直に記せば、朴訥な田舎の青年というイメージ。顔写真はマスコミ報道で目にしていたが、報道のイメージより色白であるように思った。小柄で細身だが、タンクトップから伸びた腕は筋肉質で、均整のとれた体つきをしている。それは小学校から高校まで続けた剣道、高校卒業後に入隊した自衛隊で鍛えられた賜物かもしれない。

「はじめまして、片岡です」というと、奥本被告も「はじめまして。奥本です」と挨拶してくれた。「健康そうですね」というと「そうですね」と笑顔で返してくれた。筆者はこれまでにマスコミで「凶悪犯」と騒がれた人物にはけっこう会ってきたが、そういう人物たちの大半が実際に会ってみると、「普通の人」だった。奥本被告もまたそうだった。

◆「みなさん、普通の人だと言ってくれます」

奥本被告とは事前に少し手紙のやりとりをし、8月末に中津市であった支援者たちの集会に行ってみたいという考えを伝えていた。そして実際にその集会に行ったことを伝えると、「中津に来られた話は聞いています。いっぱい写真を撮っていたとか」と言われ、少し恥ずかしかった。筆者は取材に行くと、たいてい普通の取材者より多く写真を撮ってしまう。元来心配性で、ちゃんと良い写真が撮れているか不安になり、ついシャッターを多く押してしまうのだ。

「集会には随分大勢来ていましたね」と言うと、奥本被告は「椅子が足りなかったと聞いています」とてらいなく言った。筆者は集会に来ていた人たちの雰囲気から、奥本被告が生まれ育った地域の人たちが多く集まっていたのかと思っていたのだが――。
「いえ、地域の方々はむしろ少なくて、知らない方々のほうが多いと思います」と奥本被告は言う。

── そうなんですか?
「控訴審が終わってから支える会ができて、知らない人から手紙をもらったり、面会に来てくれたりして、人数も増えて行ったんです。中心でやってくれている人達も元々面識がなかった方々ばかりなんですよ」

── 荒牧さん(※中津市の集会で司会役を務めた人)とかもそうなんですか?
「そうですね」

── そうだったんですね。知らない人から手紙がきたりするのはどういう思いですか?
「とてもありがたいことだと思い、嬉しいですね。応援してくれるようなことを書いてくれていますし」

奥本被告は何を聞いても、率直に答えを返してくる青年だった。遠方からふらりとやってきた見ず知らずの取材者に対し、わりと最初から心を開いて話してくれているような印象を受けた。以下、取材メモに基づき、この日の筆者と奥本被告のやりとりを紹介しよう。

── 面会にきた人たちの反応はどうですか?
「みなさん、(自分のことを)会ってみたら普通の人だと言ってくれますね」

── やっぱりみんな怖い人だというイメージを抱くんですかね?
「そうですね。やはり(自分は)犯罪者ですから。ぼくの場合、大きなことをやっていますし。ぼくだって自分が犯罪者になる前は、犯罪者は怖い人なんだろうと思っていました。この事件で警察の留置場に入り、初めて犯罪者も普通の人だとわかったんですよ」

── 最高裁の弁論が終わりましたが、どういう思いですか?
「……(考えて)判決の日が決まってないんで(※面会時点の話)、早く判決の日が決まって欲しいというのはありますね」

── 死刑が怖いとか、そういう思いはないですか?
「正直、死刑が怖いという思いは今のところ、あまりないんですよ。まったく怖くないわけではないですが、今は支える会の人のこととか、遺族の方へ生活再建援助金を払うために絵(※連載3回目に出てきたポストカードにするための絵のこと)を描いたりとか、そういうことのほうばかりに気持ちが向いているんです」

── 遺族というのは(最高裁に上申書を提出した)義理の弟さん?
「……法律的にいうと、そうですね」

── 向こうのほうが年上なんですか?
「そうですね。学年は一緒なんですが、ぼくは早生まれなんで。ぼくが昭和63年2月生まれで、向こうは62年の4月なんで、10カ月早いです」

── 面会に来てくれたんですよね。
「そうですね。ありがたかったです」

支援者が製作した小冊子『青空―奥本章寛君と「支える会」の記録―』

── 奥本さんのことはみなさん、いい人だと言われますが、やはり会ってみると、そういう評判なのがわかります。
「『青空』とかですね。黒原弁護士はぼくのことをよく書いてくれるんで、よく書きすぎじゃないですか、と伝えました。黒原弁護士もいい人ですよね。七福神でしたっけ? ぼくは、黒原弁護士は仏様・神様の化身だと思っていますので、黒原弁護士が七福神の中にいてもまったく違和感がありません」

『青空』とは、『奥本章寛君を支える会』が事件の実相、奥本被告と会の歩みなどをまとめた小冊子。弁護人の黒原智宏弁護士が奥本被告の人柄、出会いから現在までを綴った文章も掲載されている。この黒原弁護士とは中津市の集会で会ったが、たしかに根っからの善人という印象を受ける人物だった。

◆「すべての原因は自分」

すでにお伝えした通り、家族3人を殺害する事件を起こすまでには、同情すべき事情があった奥本被告。そのあたりのことも少々踏み込んで、訊いてみた。

── やはり事件を起こした時は、わけのわからない感じになってしまったんでしょうか。
「……う~ん、わけのわからない感じではなかったと思います。事件当日、仕事にはちゃんと行っていましたから」

── 心理鑑定をして、その時に視野狭窄みたいになっていたと聞いています。
「そうですね。心理鑑定の鑑定書は読みましたが、鑑定書通りだと思いました。視野狭窄というのは、自分は元々視野などが狭かったと思いますが、その時はいつも以上に視野狭窄になっていたと思います。すべての原因は自分にありました」

── あの時に時間を戻したという思いはありますか?
「ありますね。それはいつも思っています。ドラえもんが現実にいて、時間を戻してくれたらいいのに、と。映画やドラマでもよくそういう話がありますよね。ただ、あの時に戻れるとしても、今の自分で戻りたいですね。あの時に戻れても、自分まで当時の自分に戻ってしまったら、また同じことをやってしまいそうなんで」

── 義理のお母さんから叱責されていたのは、航空自衛隊を辞めたのが原因なんですか?
「いえ、今思うと、それ以上に結納と結婚式をしなかったのが理由だと思っています。それから義母との関係が悪くなりました。義母は『結納もしてくれなかった』とずっと言ってましたから。ぼくは、事前の話し合いで、『結納・結婚式は行わない』と決まりましたので、結納をしなくてもいいものだと思っていたんですが」

── ぼくも結納はしませんでしたね。
「そうなんですか。しない人が多いみたいですね。20代前半で結婚したら、貯金がそれ程できていないはずなので、できないほうが普通なのではないかと思います。ぼくの周りもみんな、今のところ、できちゃった結婚が多く、結納・結婚式はしていないほうが多いです」

── 結婚直前に航空自衛隊を辞めたのはなぜだったんでしょうか?
「それまで自衛隊は『一生は続けたくない仕事だな』と思いながら、中途半端な気持ちで続けていたんです。自衛隊にいた3年間、パチンコばかりしていましたからね。自衛隊では、いつまでも組織に残るためには昇級試験に受かっていかないといけないんです。法律的にそうなっているわけではないのですが、慣例として、ここまでの階級に昇級しておかないと自衛隊に残れない、というのがあるんですね。で、自分はそこまで昇級できないと思ったんで。一生できる仕事を自衛隊の外に探そうと思ったんです。今考えると、考えが甘かったですね」

── そんなことはないと思います。パチンコはクセになっていたんですか? 事件の日も事件のあとでやっていますね。
「クセというか、当時は、自衛隊を辞めてからは生活費を稼ぐためにやっていましたね。給料が少なかったんで、前借りや借金をして、そのお金をパチンコで増やしてから、もとのお金を(妻の)くみ子に渡していたんです。もとのお金より増えたぶんを自分の小遣いにしていました。それで幸いにもなんとかうまくいくことが多かったです」

── そんなにパチンコで勝てていたんですか?
「トータルでは大きく負けています。それに、友人に借金をしていたんで、その時点で負けていたと考えられるかもしれませんが」

妻子ある男がパチンコのために借金をするというのは決して良い印象の話ではないだろう。しかしこの頃、奥本被告はまだ21~22歳である。筆者は同じ年齢の頃、親から仕送りをもらって大学に通いながら麻雀屋に入り浸っていた自分の学生時代を思わずにはいられなかった。事件の伏線になった「自衛隊の退職」が奥本被告にとって、結婚するのを機に一生できる仕事を探そうと考えた結果としての選択だったという話も身につまされた。

◆「出会い系サイト」利用問題の実相

── 裁判員裁判については、どう感じましたか?
「短い印象を受けましたね。自分としては短い審理で死刑と言われてしまったなと思いました。判決文の内容が不満で、控訴したんです。ただ、今思うと、制度なんで仕方ないようにも思いますね。それに裁判員裁判じゃない裁判を受けていないので、裁判員裁判がそうじゃない裁判と比べてどう違うのか、わからないんですよ」

── 奥本さんは人の悪口を言わなそうですね。
「今は言わなくなりましたね。以前はよく言っていましたが」

── どういう悪口ですか?
「自衛隊の時、同期の悪口ですね。その同期は悪口・陰口を誰からも言われていた人でしたが、ぼくもついそれに悪乗りしてしまっていました。今、(人の悪口を)言わなくなったのは仏教を勉強するようになったからです。今、主に勉強しているのは、浄土真宗の親鸞聖人の教えです。心の中で人のことを悪く思うことは制御できません。しかし、口で人のことを悪く言うのは制御できますから」

宮崎刑務所の面会時間は他の刑務所・拘置所に比べて長いほうで、30分くらいあったが、このあたりで立会の刑務官が時計を気にする素振りを見せ始めた。そこで最後にもう1つ、気になっていたことを訊いてみた。それは、奥本被告が事件前から「出会い系サイト」の利用を繰り返し、犯行後も「出会い系サイト」で知り合った女性と会うなどしていたかのような話が裁判員裁判の公判中に地元紙で何度も報じられていたことに関してだ。

── 出会い系サイトみたいことをされていたというのも訊いていいですか?
「出会い系サイトについては、あれが出会い系サイトというのかなあ、と思っているんですよ。SNSじゃないかと」

── あ、それはぼくも思ったんですよ。実はSNSみたいなもんではないかと。
「ぼくが利用していたサイトは、肉体関係を目的にしたやつじゃないですからね。くみ子とは、スタービーチで知り合ったんです。メル友募集の掲示板でした。スタービーチは出会い系サイトとは違いますよね。スタービーチを利用しなくなってから利用していたのはグリーやモバゲーです。メールしたり、ゲームをしたり、色々できるサイトですね。それを検察官は出会い系サイトだと言って、そういうふうになっていますが」

── 事件の日もされていたとか?
「メールですね。事件当日もぼくはグリーを暇つぶしで見ていました。その時、グリーで知り合った女性と時間つぶしで会って、少しの時間、会話をしました。この女性が、実際に会った2人目の女性です」
「会ったことがある人は2人だけです。1人目の人はパチンコ店に連れて行くために誘ったんですよ。でも、その人は彼氏を見つけるため、デートのつもりだったみたいで、おめかしをしていました。ぼくはパチンコ店に一緒に行くことが目的だったので、仕事着のままでした。仕事終わりでしたので、汗や油などの匂いがしていたはずです。パチンコ店に連れて行ったら、煙草を吸わない人だったんで、煙の匂いなどに耐え切れなくて、パチンコ店から出ることになりました」

── (その女性とは)もう会わなかったんですか?
「翌日、また一緒にパチンコに行こうと思ってメールしたら、彼氏を見つけたいとかどうのこうのと言われて断れました」

裁判員裁判の判決文を見ると、奥本被告が「出会い系サイト」を利用していたという話は裁判員たちの心証を悪くした可能性が読み取れる。また、裁判員裁判の公判中、奥本被告が事件前のみならず、犯行後も「出会い系サイト」を利用していたような話が地元紙で何度も報道されたことは奥本被告の悪いイメージを世間に喧伝する効果が間違いなくあったろう。だが、その「出会い系サイト」とは、実際にはグリーやモバゲーなど、世間一般ではSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)と呼ばれることが多いサービスだった。それを「出会い系サイト」と呼んだ検察官の印象操作がまかり通ってしまったということのようだ。

◆被害者の供養のため、毎日続ける勤行

面会では時間の都合上、聞きそびれたこともあったので、筆者は後日、奥本被告に手紙を送り、追加で質問をさせてもらった。それは奥本被告が仏教の勉強を始めた経緯は何だったのか、誰か勧めてくれたか人がいるのかということだ。届いた返事で、次のように説明されていた。

《仏教の勉強を始めたのは、被害者3名の供養をしたいとある日突然思い立ち、写経を始め、同時に仏教(主に浄土真宗)の勉強を始めました。写経・書写、朝と夕方の勤行を毎日行っています。命があるかぎり、続けます。私の反省のためにも、です。誰かに勧められたとかはなかったと思います。》

奥本被告とはまだ一度会っただけなので、軽々しくは言えないが、この青年はこの凄惨きわまりない事件を不器用なほどに誠実な性格ゆえに引き起こしてしまったのではないか。筆者は今、そう感じている。この青年なら本当に命あるかぎり、被害者供養のための写経・書写、勤行を毎日続けるのだろうとも思った。あす16日、最高裁がどんな判決を出そうとも何らかの形で続報をお伝えしたい。

【宮崎家族3人殺害事件】
宮崎市花ケ島町の会社員・奥本章寛被告(当時22)が2010年3月1日、自宅で妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、妻の母(同50)を殺害した事件。奥本被告は同年11月17日、宮崎地裁の裁判員裁判で死刑判決を受け、さらに2012年3月22日、福岡高裁宮崎支部で控訴を棄却され、死刑判決を追認される。現在は最高裁に上告中だが、あす16日、判決公判が開かれる。地元では減刑を求める支援活動が盛り上がり、被害者遺族も最高裁に「第一審からのやり直し」を求める上申書を提出する異例の事態になっている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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私は拙著『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)の中でこう書いた。

「芸能資本の力の源泉は有力タレントを所有することにある。だが、タレントは『モノを言う商品』であり、放っておけば芸能資本の手から離れていってしまう。それを防ぐために必要なのは、(1)『暴力による拘束』、(2)『市場の独占』、(3)『シンジケートの組成』の三つである。これは古今東西を問わず、同じ構造だ」

1974年9月に発生した「風吹ジュン誘拐事件」は、(1)「暴力による拘束」に分類されるものだった。

歌の下手さが衝撃だったデビュー曲「愛がはじまる時」(1974年5月ユニオンレコード)

◆デビュー曲25万枚ヒットでも風吹の月給は23万円

富山県出身の風吹ジュンは、京都で中学を卒業した後、18歳で上京し、銀座のクラブで働いていた時にスカウトされた。有名写真家デビッド・ハミルトンがユニチカのカレンダー用に撮影した写真が話題となり、1974年5月、「愛がはじまる時」でレコードデビューし、25万枚が売れ、一躍スターとなった。

当初、風吹はアド・プロモーションという事務所と仮契約を結んでいたが、レコードがヒットしても月給は23万円にすぎなかった。事務所に相談できる人がいないこともあって、9月9日、風吹に倍の月給を提示したガル企画に移籍した。その矢先、事件が起きた。

同月12日午後8時過ぎ、フジテレビで収録を終えた風吹がスタジオから出てくると、旧所属事務所のアドプロのUマネージャーなど3人が現れ、風吹の腕をつかんで局の隣にある喫茶店に連れ出した。

風吹がガル企画の石丸末昭社長に電話で連絡をしてみると、「ジュンか、石丸だけどね、君はU君の指図どおりに動いていいんだ。わかるか」と言われた。そこで風吹はUに従って車で品川のホテル・パシフィックへ向かった。

ホテルに3つ取っていた部屋の真ん中に風吹が入ると、アドプロの社長、前田亜土が現れて、「お前は、自分の二重契約を知ってるのか。オレのところにいればいいんだよ」と言った。

さらに作詞家のなかにし礼の実兄である中西正一が風吹とガル企画の専属契約の委任状を見せ、「ほら、これをみればもう納得もいっただろう」と言い、代わる代わる人が入れ替わって、風吹の事務所移籍を非難した。

そのうちなかにし礼が現れて、風吹の腕をつかんで、「そろそろ、あんたにも事態がどうなっているかわかってきただろう」と言った。

そのまま全員でベンツに乗って高輪プリンスホテルに移動し、また風吹への説得が始まった。そして、なかにし礼がやってきて、「要するにアドプロで仕事をすればいいのサ」と言った。

そんなやりとりが延々と続いた後で風吹が翌日の仕事のため衣装を取りに行かなければならないと言い、風吹、U、なかにしの3人で階下に降りたところ、待ち構えていた大勢の警官によって風吹が保護された。そして、人だかりの中には包帯を巻いた石丸社長の姿もあった。

◆筋書きを書いた「黒幕」なかにし礼

石丸社長の身に何があったのか?

同月12日午後5時ごろ、石丸社長はガル企画で働くYマネージャーがなかにし礼の事務所にいたときに作った借金の返済するため、暴力団、住吉連合系大日本興業のI事務所を訪れていた。

石丸社長がIに60万円の借金を返すと、部屋にいたIの子分たちがドアの前に立ちふさがり、別の子分からハンガーで顔面を殴られ、ゴルフのアイアンで、頭や首、手などを叩かれ、残りの3人からも殴る蹴るの暴行を受けた。そして、Iが「床に正座しろ!」と怒鳴った。

やがて奇妙なことに、なかにし礼から電話が入り、Iが「いま石丸を監禁してる。お前の友人だろう。この石丸の身柄を引き取らないか」と、なかにしに言った。Iが石丸社長に「お前からもなかにしに頼んだらどうだ」と言うので石丸社長も受話器を取り、「礼さん、お願いだ、身柄を引き取ってくれないか」と懇願した。だが、なかにしは「いや、それはだめですね、石丸さん」と言って電話を切った。

「オレがもう一度なかにし礼に頼んでやろう」と言ってIがなかにしに電話をかけ、石丸社長が「お願いだ、なんとかしてくれないか」となかにしに頼んだが、なかにしは「いやだめだね」と言ってまた電話を切った。

また、しばらくすると、礼から電話があり、実兄の中西正一に頼めと言った。そこで石丸社長は中西正一と電話で話すことになったが、その際、中西正一は、石丸社長の身柄引き取りの条件として、風吹ジュンが石丸社長に書いた委任状を渡し、風吹との契約を解除し、石丸社長がなかにし礼に貸した280万円の借金を帳消しにすること、を突きつけた。

恐怖のあまり、この条件を石丸社長が飲むことにしたところ、フジテレビの隣にある喫茶店から電話があり、風吹と話をさせられたのだった。

午後8時30分ごろ釈放された石丸社長は、病院に行ってケガを治療してもらい、事務所に戻り、弁護士と相談してから警察に通報し、警視庁に出頭した。事態を重く見た警視庁は、パトカー20台と警官80人を高輪プリンスホテルに動員し、風吹を保護した。

そして、9月20日、風吹と石丸社長らは、連名でなかにし礼、中西正一、アドプロの前田亜土、大日本興業のIらを相手に監禁、強要、強盗傷人などの罪で告訴した。

この事件で筋書きを書いた「黒幕」とされたのが、なかにし礼だった。アドプロ社長の前田亜土の妻はなかにし礼の実兄の中西正一の次女。なかにし兄弟はとおにアドプロの重役であり、石丸社長を襲ったIは金融面でアドプロと繋がりがあったという。

一方、なかにし礼側の主張によれば、石丸社長の親戚には九州の暴力団組員がいて、石丸社長は風吹の移籍問題でもそれを持ち出してアドプロを脅していたという。

◆暴力沙汰は「諸刃の剣」

なぜ、このような問題が起きたのだろうか、ということを考察してみたい。

まず、風吹ジュンをめぐって争奪戦を演じた石丸社長と前田亜土は、もともと芸能界とは縁がなかったということがある。石丸社長は上野で鉄鋼業を営んでおり、ガル企画を設立したのも、風吹と個人的に「私の芸能活動についてすべてを石丸氏に委任します」と一筆もらってからのことだった。前田亜土にしてもイラストレーター上がりで、芸能事務所を始めたのも風吹を抱えることになってからのことだった。

大手の芸能事務所であれば、業界団体の日本音楽事業者協会(音事協)に加盟しているが、音事協ではタレントの引き抜きは禁じており、基本的にこの種のトラブルは起こらない。風吹ジュン誘拐事件は、芸能界のメインストリームを外れた弱小事務所同士だからこそ起こった事件だった。そして、弱小事務所同士の紛争は暴力がモノを言う。

だが、風吹の移籍トラブルは、誘拐事件として大きく報道されたため、風吹を奪った側のなかにし陣営は大きなダメージを受け、結局、風吹の所属先は、ガル企画に落ち着いた。また、風吹自身も、この事件によって経歴詐称なども暴かれ、大きくイメージダウンを余儀なくされた。

タレントの引き抜きなどで、芸能界では暴力事件が起こることもある。だが、事件が明るみに出ると、タレントを奪う側としても、奪われる側としても、そして、業界全体としてもダメージは大きい。そのため、芸能界では諸刃の剣ともいえる暴力が発動されることは滅多にない。そもそも、引き抜きを未然に防止することが重要であり、そのために音事協という組織があるのだ。

(星野陽平)

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引寺が服役している岡山刑務所

JR岡山駅から路線バスで約20分。「牟佐下」という最寄りのバス亭で降り、5分ほど歩くと、金網で囲まれた岡山刑務所の白い建物が見えてくる。このあたりは山あいに田園と住宅が混在する田舎町だが、多くの凶悪犯を収容している建物はのどかな周辺の景色に案外違和感なく溶け込んでいる。

2010年6月に12人が死傷したマツダ工場暴走事件の犯人、引寺利明(47)と面会するため、この刑務所を訪ねたのは9月初旬のことだった。引寺とは、彼が裁判中に広島拘置所にいた頃から面会、手紙のやりとりを重ねてきた。だが昨年秋、無期懲役判決が確定し、引寺が岡山刑務所に移されて以降は手紙のやりとりだけの関係になっていた。

前回紹介したように、引寺は手紙に無反省のまま、楽しそうな刑務所生活を送っているように書いてきた。だが、これまでに直接取材してきた印象として、この男には偽悪的な一面があるように筆者は感じていた。実際には、刑務所で他の受刑者にいじめられたりして、落ち込んでいたりしないだろうか――。そんな想像をしながら訪ねた面会だった。

◆げっそり痩せていた暴走犯

岡山刑務所に到着後、面会の受け付けを済ませて、待合室で待機すること10数分。「18番の方、1号面会室にお入りください」と呼ばれ、面会室に通じる重いドアをあける。すると、廊下に5つの面会室のドアが並んでおり、1号面会室は一番奥だった。

面会室に入り、まもなく透明なアクリル板の向こう側に引寺が姿を現した時、筆者は思わず、「うわっ……」と声が出そうになった。頭を丸め、緑色の作業服に身を包んでいた引寺がげっそりと痩せこけていたからだ。広島拘置所にいた頃はむしろ肥満気味だったのに……いや、痩せているだけではなかった。「片岡さん。よう来てくれたね」と引寺が口をあけると、前歯がごっそりと抜け落ちていたのである。

本当に、いじめに遭っているのか……と思ったが、引寺によると、そうではないらしい。痩せたことを指摘した筆者に対し、引寺は事情をこう説明した。
「刑務所に来たら、みんな痩せるんよ。理由の1つは、運動をせんこと。もう1つは、好きなもんを食べれんこと。刑務所の食べ物は低カロリーじゃけえねえ。刑務所の中には、メタボはおらんのんよ。ワシ自身、逮捕の時は90キロ近くあったんが、広拘(広島拘置所)で70キロ半ばくらいまで落ちた。それからここにきて、最近、体重を測ったら60キロちょいじゃったわ。じゃけえ、シャバにおった時からすりゃあ30キロくらい痩せたね」

そして引寺は、いじめられているのではないかと想像した筆者の心中を察したのか、うち消すようにこんなことを言った。
「片岡さんら外の人が思うような陰湿ないじめや暴行は刑務所に無いんよ。そういうことしたら、すぐ懲罰に行かされるけえね。刑務所にも気の合う人間はおって、よう話もしよるよ。誰とは言えんけど、広拘におった人も一緒に働きよるしね。同じ出身じゃったりすると、話が合うよね。ああ、そういえば、今回の土砂災害はびっくりしたね。食事しよったらニュースが流れてきて、最初は小規模なやつかと思うとったら、大きなやつじゃったねえ」

引寺は事件を起こす前、8月に土砂災害に遭った広島市安佐南区にあるアパートに住んでいた。実家も安佐南区だ。それだけに、刑務所の中にいながら土砂災害のニュースが気になっていたようだ。12人を死傷させた男もやはり人の子なのである。

◆前歯が無い理由

では、前歯がごっそりと無くなっているのはなぜなのか。引寺は事情をこう説明した。
「歯は元々、シャバにおった時から差し歯じゃったんが、ごっそり抜けたんよ。ごつい差し歯しとったんじゃけどね。最初は逮捕されて、警察の留置所におった時じゃった。そん時は歯医者に連れて行ってもろうて治ったんじゃけど、広拘に移れされてからまた抜けてね。それからはもうマスクをすることにしとったんよ。マスコミが面会に来た時もそうじゃし、弁護士面会の時もそうしとったんじゃけど、ここ(岡山刑務所)じゃマスクができんのよね」

筆者はそんな話を聞き、「ああ、そういえば」と思い出した。広島拘置所にいた頃の引寺は常にマスクをしていたな、と。当時、引寺がいつもマスクをしていたのは、ほこりや病原菌などに神経質な性格なのだろうと勝手に想像していたが、引寺は前歯が無いのを隠すためにマスクをしていたのだ。そのマスクが無くなったことにより、ようやく筆者は引寺の前歯の状態に気づいたわけである。引寺は岡山刑務所に来てから前歯を無くしたのではなく、元々、前歯が無かったのだ。

「片岡さん、お土産無いん?」と引寺が聞いていた。「お土産」とは、本や雑誌のことである。引寺は広島拘置所にいた時から、面会に行くたび、「お土産」を催促してきた。刑務所や拘置所で拘禁された被告人、受刑者を取材していると、本や雑誌の差し入れを頼まれることは多いが、引寺はとくにそうだった。そのことをすっかり忘れ、筆者は手ぶらで面会に来てしまったのである。

引寺は「お土産は無いんかあ。楽しみにしとったんじゃけどのお」と心底残念そうに言うと、こう続けた。
「じゃあ、日用品の差し入れを頼んでええかね。80円切手を何枚か。それと、ボールペンの替え芯。三菱とゼブラのやつがあるんじゃけど、三菱のほうね。間違えんとってね。あと、石鹸が1個欲しいんじゃけど、ええかね」

筆者は「ええ、いいですよ。わかりました」とメモしながら、ふと気になったことを引寺に尋ねた。
「家族は誰も面会に来てないんですか?」
広島拘置所にいた頃は、父親がよく面会に来てくれていると聞いていた。それが判決が確定し、岡山刑務所に移されて以降は誰も家族が面会に来なくなったのではないか。だから、筆者に日用品の差し入れを頼んできたのではないか――と思ったのだ。引寺はこう言った。
「親父が3月に1回、面会に来ただけじゃね。そん時は1万円入れてくれたけどね。広拘おった時みたいに毎月は来てくれんのんよ。まあ、遠いけえね」
父親も大変だな、と思わずにはいられなかった。

◆「逮捕当時の思いはまったく変わらない」

筆者は引寺に対し、引寺から届いた手紙の当欄への掲載許可を求め(※前回紹介した手紙のこと)、承諾を得るという用件を済ませると、今回の面会でどうしても訊いておきたかったことを質問した。
「被害者や遺族に悪いことをしたという思いは、まだ無いんですか?」

引寺は筆者の目を見すえ、きっぱりとこう言い切った。
「逮捕当時の思いはまったく変わりません」
引寺は逮捕当時、「マツダで期間工として働いていた頃、他の社員たちから集スト(集団ストーカー行為)に遭い、恨んでいた」と犯行動機を語っていた。その当時の思いが今もまったく変わらないというのは、つまり、引寺は今も被害者や遺族に対する罪の意識がまったく無い、ということだ。

引寺は「(反省しているなどと)嘘ついても、しょうがないけえね」とシレっと付け加えると、今度はこんな話を始めた。
「ワシはここに来てわかったんじゃけど、刑務所ゆうのは“更生”する施設じゃのうて、(他の受刑者と)“交流”する施設じゃね。まあ、贖罪の気持ちを持っとる人(=受刑者)も少しはおるんじゃろうけどね。(受刑者は)みんな、心の中では、『出たい』『出たい』ばっかりよ。みんな仮釈(放)が欲しいんじゃと思うわ」

そして引寺はこのあと、被害者や遺族が聞いたら卒倒してしまいそうな本音発言を次々に繰り出してきたのである。[つづく]

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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屁世滑稽新聞(屁世26年10月12日)

松島みどり法務大臣は

なぜエリマキ着用で国会登壇できるのか?……の巻

全国の大きなお友だちのかたがた、ごきげんよう。
屁世滑稽新聞のお時間です。

犬エッチケーテレビの「花子とアン」は終わってしまいましたが、
こちらは終わりません。あちらは作り物のお芝居ですけれども、
こっちは現実世界のお話しなのですもの。
お話しのおばさんは、これからもますます、がんばりますわよ。

さて今日のお話しですが、このあいだの続きで、やはり永田町の
国会動物園のお話しです。

国会動物園が、先月末に再開されましたが、そこでちょっとした騒動が起きました。
ボボ・ブラジルとの名勝負で知られるプロレスラーのアントニオ猪木さんも
いまや71歳とすっかり高齢者のお仲間入りをされたわけですが、
そういう理由からでしょうか、現在は「爺世代の党」所属の参議院議員を
やっておられます。

……え? あゝ、うっかりしておりましたワ。ここまで書いて、わたくし、
間違いに気づきましたワ。「爺世代(ぢいせだい)の党」でなくて「次世代の党」でした。
老人ホームみたいなお顔ぶれなのですもの。どちらを名乗っても同じなのにね。

で、お話しに戻りますが、アントニオ猪木先生は真っ赤なマフラーを
“闘魂のシンボル”として、いつも着用していらっしゃいます。

アントニオ猪木さんは、昨(2013)年夏の参院選挙で「日本維新の会」
から出馬し、18年ぶりに政界復帰を果たしました。
しかも今回は議員名として「アントニオ猪木」を名乗ることも
許されたの。当選直後の開催された臨時国会には、もちろん
“燃える闘魂”を象徴するマフラーを着用してやってきたの。
だけど参議院規則では「襟巻は着用禁止」なので、やむなく
マフラーを外して入場したのよ。きゅうくつで理不尽な規則よねえ。
まるで出来のわるい小学校みたいだわ。

ところが参議院には、こんな規則があるのよ……。

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第16章 紀律及び警察
第1節 紀律

第207条 議員は、議院の品位を重んじなければならない。
第208条 議員は、議場又は委員会議室において、互いに敬称を用いなければならない。
第209条 議場又は委員会議室に入る者は、帽子、外とう、襟巻(えりまき)、傘、つえの類を着用し
又は携帯してはならない。ただし、国会議員及び国会議員以外の出席者にあつては
議長に届け出て、これら以外の者にあつては議長の許可を得て、歩行補助のため
つえを携帯することができる。
第210条 議場においては、喫煙を禁ずる。
第211条 何人も、参考のためにするものゝ外は、議事中、新聞紙或は書籍の類を閲読しては
ならない。
第212条 何人も、議事中、濫(みだ)りに発言し又は騒いで、他人の発言を妨げてはならない。
第213条 何人も、議長の許可がなければ、演壇に登つてはならない。
第214条 議長が振鈴を鳴らしたときは、何人も沈黙しなければならない。
第215条 散会又は休憩に際して、議員は、議長が退席した後でなければ、退席してはならない。
第216条 すべて紀律についての問題は、議長が、これを決する。但し、議長は、討論を用いないで、
議院に諮りこれを決することができる。
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お読みになればわかるように、議場や委員会室では「帽子、外とう、襟巻、傘、つえの類を
着用し又は携帯してはならない」ことに決まっているの。たとえ“闘魂のシンボル”でも、
真っ赤なエリマキを着けたままでは、議場に入れないってわけなの。
これって、たとえ“日本の国家と国民のシンボル”の天皇陛下でも、銭湯じゃ、服を脱がなきゃ
洗い場に入れないのと、同じようなことよね。
……え? 同じじゃないって? こりゃまた失礼いたしました。

それにしてもこの参議院規則って、よい子たちが守らなきゃならないお行儀ごとを
細々(こまごま)と書き連ねたどこかの小学校のコーソクみたいだわ。
ここに書かれたことなんて、ふつうに礼儀が身についている大人なら、誰に言われなくても
守れることでしょ。それをこうやっていちいち列挙しなきゃ成り立たないのなら、「参議院」
なんて名乗るのをやめて「矯正院」とか「教護院」とか「少年院」に呼び名を変えなくちゃ
ならなくてよ。なかの議員センセイのお歴々の顔だけみれば「養老院」なのですけどね。
「元老院」じゃなくて「養老院」ね。
なのに行儀やしぐさが「少年院」並みだなんて、悲しすぎるわ。

さて、参議院にはこんな細々(こまごま)した規則があって、生徒さんたちは守らなくちゃ
ならないの。でもこうやって規則をながめてみると、実際の国会議事堂で、お年を召した
生徒さんたちは、実際には日常的に規則違反を繰り返していることがわかるわ。
とくに目立つのはヤジ。ちゃんと参院規則で「議事中、濫(みだ)りに発言し又は騒いで、
他人の発言を妨げてはならない」と定められているのに、まったく守られていないどころか、
今年の春にはセクハラ野次騒動がきっかけで国会での野次罵声が問題化したおりに、
安倍総理みずから答弁に立って、こう言ってヤジを擁護したほどですものね――「ヤジにも
いろいろありまして、これは議場の華とも言われる場合もありますし、正直、私も若いころは
けっこうヤジった方でございます」。……ルール違反を自慢してどうしたいのでしょうね?
これじゃ不良少年が仲間に吹聴する“万引き自慢”と変わらないわ。……やっぱり衆議院でも
参議院でもなく、「少年院」と呼ぶべきよね。

鳩山由紀夫さんが首相だったときなんか、総理大臣みずからが、議事の真っ最中にみっともない
“内職”をしていたほどですもの。
このときの新聞記事と写真を、あらためて掲げておきますわね。
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誰へのサイン?=鳩山首相
(時事ドットコム 2009/11/26)
鳩山由紀夫首相が26日午後の衆院本会議の最中、扇子に「鳩山由紀夫」「友愛」などと書き込むのに熱中する場面があった。首相は周囲も目に入らずサインに没頭していたが、カメラを向けられると、上を見上げて思わず手で覆い隠した。
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ご自分のファンのために議会で“サイン扇子”づくりの内職にはげんでいた、落第坊主みたいな
鳩山首相の体裁の悪さは、当時インターネット上ですぐに“絵文字”マンガにされておりましたわ。
それがこれよ。

こんなぐあいに、鳩山総理みたいに自分から率先してルール違反をやらかし、安倍総理みたいに
ヤジ暴言で無法地帯に成り果てた国会のルール無視の悪習を讃える不届き者までいるのですもの。
いっそのこと参議院規則の「規律」の定めなんて、やめてしまうのはどうかしら?
とにかく、規則をやぶることが風習になっている不良高校みたいな国会なのですもの。
ヤジを飛ばすチンピラたちが、他人の規則違反をとやかく言うなんて、チャンチャラ可笑しいと
思うわ。

ところが猪木センセイ、お可哀想に、“闘魂マフラー”のことで因縁をつけられて、
けっきょくマフラーをはずして議場に入ることになったのよ。……大人の態度よね。

★          ★          ★

……と、ここまでのお話しも、常識的な大人の目から見てじゅうぶんに馬鹿バカしいと
思うのですけど、今回は国会冒頭から、もっと阿呆くさい騒動がおきたってわけ。

この阿呆くさい事件の主人公は、なんと日本のルールをつかさどる法務大臣、
松島みどり法務大臣だったのよ。

松島みどりセンセイも、シンボルカラーは赤なんですって。「アカが大好き!」とか
「あたしのシンボルカラーは赤よ!」なんて公言したら、世が世なら特高警察に逮捕
されて拷問されて殺されちゃうわ、小林多喜二さんみたいに。……それはともかく、
みどりさんが赤をシンボルカラーにするというのは、あたかも「黒ずくめの岸部シロー」
みたいで面白いわよね。名前と正反対の色を好む心理状態というのは、どういうもの
かしら? あまり赤いものばかり身につけて「赤色」を強調しすぎると、選挙のときに
「松島アカ」って書く人がふえて、無効票ばかりで落選するかもしれませんわね。
よけいな心配ですけれども……。

さて、松島みどり法務大臣は、このたびの国会に、規則で禁じられている真っ赤な「襟巻」を
着けて登場したのです。当然、彼女の襟巻すがたをみた議員たちが、そのルール違反を咎(とが)め
ましたが、この法務大臣は奇妙キテレツな反論をして、開き直ったのでした。


自民党の松島みどり議員については、大臣に任命されて
参議院規則で着用が禁じられているハズのスカーフを
着けて登壇することが許されたのでした。これは後進国の
政界にありがちな、理不尽なえこひいきなのでしょうか?
……いいえ。たぶん違います。彼女にかぎっては、この格好
で国会登壇しても許されるのです……動物愛護の精神ゆえに。

なにが 馬鹿バカしいって、彼女の言い分ほど可笑(おか)しなことはないわ。
騒動後の記者会見で、松島みどりさんは、自分は猪木議員のような「マフラー」ではなく、
「スカーフ」を着用しているのだ、と主張したうえで、こんなふうに自己弁護したのよ。

「女性が洋服にセットで付いているスカーフを巻くことは、(参院規則にある)
『外套および襟巻の禁止』にはまったく当たらない。日本の女性のファッション
からスカーフというものを全部追放したいとおっしゃる方なら、そうでしょうけど。
(猪木議員がトレードマークにしており議場で外さざるを得なかった)マフラーは
だめですよね。女性のファッションのためのスカーフとマフラーは違う。」

この反論の意地の汚さと、あまりの無知蒙昧(もうまい)ぶりには、呆(あき)れてしまうばかりだわ。
「スカーフ」もやはり立派な「襟巻」だということを、法務大臣はご存じないのかしら?

ご参考までに、「襟巻」のことを英語でなんと言うのか、ここに列挙しておくわね。
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「襟巻」を意味する英単語
(典拠:研究社リーダーズ英和辞典)

【1】muffler〔マフラー〕:マフラー, 襟巻, 首巻 (【4】のSCARFを参照); 《古》 《顔をおおう》ベール, スカーフ; 二叉手袋 (mitten), ボクシングのグラブ
【2】neckerchief〔ネッカチーフ〕:首巻, 襟巻, ネッカチーフ.
【3】neckpiece〔ネックピース〕:《毛皮などの》襟巻; 《甲冑の》首隠し, 喉輪(のどわ).
【4】scarf〔スカーフ〕:スカーフ; 襟巻, マフラー; ネクタイ (necktie, cravat); 【軍】 飾帯, 肩章 (sash); テーブル掛け, ピアノ掛け《など》; 《古》 【英国教】 頸垂(けいすい)帯《祈祷の際に牧師が着用する黒の長いスカーフ》
【5】wrap〔ラップ〕:包み, 包装(紙), 外被, おおい, ラップ, 肩掛け, 襟巻, ひざ掛け, 外套; 毛布
—————————————–
これを見ればお分かりのとおり、マフラーもスカーフもネッカチーフも「襟巻」なのよ。
それにしても松島みどりセンセイは、「日本の女性のファッションからスカーフというものを
全部追放したいとおっしゃる方なら、そうでしょうけど」などという、まったく論理性のない
言いがかりを、どうして言ってしまったのでしょうか? 40年前のウーマンリブのゲバルト
闘士じゃないんだから、こんな捨て台詞を吐くこともないでしょうに……。これってヤクザ語
に翻訳すると、こんな含蓄をもつのでしょうね――「ワシを責めたら日本中の女を敵にまわす
ことになるデぇ、ワレ!」

★          ★          ★

……と、まあ、たかが参議院の規則とはいえ、この法務大臣にかかったら、そんなもん
端(はな)から無視なのですからコワイものです。
規則や法律を、自分の都合でどうにでもネジ曲げる法務大臣……。腐りきったニッポンに
ついに最凶最悪の法務大臣が出てきましたわ。今年の夏はハリウッド版ゴジラ映画が
大ヒットしましたが、国会動物園にもゴジラ並みのバケモノが発生した、ということでしょう。

でも、私はこうも思いますの。
衣服はからだから着脱可能なアクセサリーにすぎません。
その意味では、たとえば「かつら」は脱いだり、かぶったり出来るわけです。
けれども地毛だと着脱するのは無理ですわ。

松島みどり法務大臣の真っ赤なエリマキが、彼女のからだの一部だとしたら……。
からだの一部なら着脱なんて出来なくてよ。

きらびやかなエリマキをもつ動物として、みなさんはエリマキトカゲをご存じでしょう。
オーストラリアの北部と、その北にひろがるパプアニューギニアの南部に暮らしている
イグアナの仲間です。そういえば、イグアナの形態模写で知られるタモリさんは
郷里の福岡に移住されるそうよ。「笑っていいとも!」で一世一代の富を築き上げ、
虚飾の人間関係にも飽き、東京そのものだって最近ではデング熱や、舶来の毒グモの
セアカゴケグモや、さらに加えて福島方面からいろいろな形で入り込んでくる放射能汚染物質
のせいで生活環境が劣悪化していますから、“最暗黒の東京”を見限って落ち着いたところに
引っ越すというのは、人として賢明な選択だと思うわ。


みなさんはエリマキトカゲをご存じですか?
今からちょうど30年前、三菱自動車のテレビCMに、豪州原産の
珍獣エリマキトカゲが登場して、日本では国民的な人気者に
なったのでした。
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★エリマキトカゲが主役の、三菱ミラージュのCM

あゝ、イグアナじゃなくて、エリマキトカゲの話でしたわ。
エリマキトカゲは、いまから190年ちかく前に大英博物館の動物専門学芸員だった
ジョン・エドワード・グレイさんが正式な学名をつけたの。動物分類学では
「クラミドサウルス・キンギイ(Chlamydosaurus kingii)」というのよ。
英語では「フリルド・ネック リザード(Frill-necked lizard)」と呼ばれてきたの。
日本語になおせば「首をフリルで飾ったトカゲ」、文字どおり「襟巻とかげ」という意味よ。

そのエリマキトカゲの変種が、なんと日本の国会に現れたようなの。
この珍動物には、「クラミドサウルス・ミドリイ」という学名がつけられたわ。


これは貴重な映像です。エリマキトカゲの亜種「クラミドサウルス・
ミドリイ」です。現在、東京永田町の国会動物園に収容されています。

エリマキトカゲの「ミドリ亜種」は本来は大自然のなかで暮らす動物ですから、
不健康な国会動物園に入れておくのは、可哀想だと思うの。
人知れぬ野原で気楽な暮らしをするのが、野生動物のしあわせだと思うの。


エリマキトカゲの「ミドリ亜種」が、エリマキを広げて
疾走しているところです。エリマキトカゲはめったに
こうした疾走をしません。生死を分ける危機的状況のもとで
命がけで疾走するのです。

……そういう事情ですから、エリマキトカゲの襟巻をむりやり剥(は)がして
動物園の大型オリに入れる、というわけにはいきません。
動物愛護の精神に反しますからね。

★          ★          ★

それにしても国会動物園というのは奇妙なところね。
どうせ服装規定をつくるのなら、日本の国会なのだから、男子は羽織袴(はおりはかま)、
女子は晴れ着を「制服」にすればいいと思うの。国民の代表である議員さんたちが
率先垂範(そっせんすいはん)して和服を着れば、もうそれだけで生糸生産から始まって
和服屋さんに至るまで、和服の生産・流通・販売にたずさわる人々が安心して生業を
営めるし、髪結いさんや着付け師さんのような和装のプロフェッショナルたちの生活も
安定するのにね。日本では大人が、それも国会議員がそういうことをせずに、成人式に
参加する子供たちと、その親御さんにぜんぶ負担を押しつけているのですから非道いものです。
それでいて「日本文化を守れ!」とか叫んでいるのだから、国会議員センセイたちの
恥知らずな愚かさを見るにつけ、オヘソでお茶を沸かしてしまいそうになるわ。

日本の国会は、本来、イギリスの議会制度をマネたものです。
イギリスでは議会のことを「パーラメント(Parliament)」というけれど、
この呼び名は、「話す」という意味のフランスの昔ことば「パルレ(parler)」に由来してるの。
だから「パーラメント」を日本語に直訳すると、まあ「シャベリ場」ということになるわね。
実際、イギリスでは「会議や交渉を行なう場」として議会が発達したわけですから。

イギリスでは裁判所や国会では、お歴々がカツラをかぶるという歴史的な風習が今も
残っているのよ。銀髪のカツラは「権威のシンボル」ということになっているから、
大事な場所でのカツラ着用は、少なくとも男子の「正装」なのです。
マナーとかドレスコード(服装規定)というのは、つまらない人たちが顰(しか)めツラして
鹿爪(しかつめ)らしく、他人に強制する“大層なもの”になっていますが、それらの
起源をさぐると案外、たわいのないものなのよ。
西洋の“権威づけのカツラ”にしても、元々は、世の中が不潔でノミやシラミが蔓延していた
時代に、頭に毛ジラミがはびこるのを防ぐため、地毛を短く刈って、人毛を編んで作ったカツラを
かぶった、という習慣から始まっているのですから。

そんなたわいのない“権威づけのカツラ”ですけれども、日本がお手本にしたイギリスで
いまだに続いている伝統なのですから、洋装好きの政治家さんたちは、いっそのこと
これも真似すりゃいいじゃない。
すだれ頭のセットで苦労しているセイセイがたには朗報ですわよ。


国会の服装規定は、さすがに後進国の議会だけあって、
問題が山積しています。議会政治の先進国であるイギリスでは
開会日に、昔のように金髪のカツラをかぶって出席するという
奇習が残っていますが、日本の国会もここからパクった制度なの
だから、イギリスみたいにカツラをかぶればいいのです。

きょうはこれでおしまい。
また今度、お話しましょうね。
では皆さん、ごきげんよう。 さようなら。

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=5035)から引用》と明記して下さい)

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