2007年に上梓した著書「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬舎)がベストセラーになった元特捜検事で、元弁護士の田中森一氏が11月22日、都内の病院で死去した。享年71歳。2001年、巨額の詐欺事件の容疑で古巣の東京地検特捜部に逮捕されて懲役3年の実刑判決を受け、2008年にも別の詐欺事件の容疑でやはり古巣の大阪地検特捜部に逮捕されて懲役3年の実刑判決を受けた。2012年に仮釈放され、講演や執筆の活動をしていたが、胃がんを患い、闘病の日々だったという。
そんな逝去の情報がヤフーのトップニュースになるほど著名な田中氏だが、その名前が和歌山カレー事件の裁判でも取り沙汰されたことはほとんど知られていない。
それは2001年8月8日、和歌山地裁であった林眞須美死刑囚(53)の第73回公判で起きた出来事だった。証人出廷した林死刑囚の夫・健治氏が、この事件の捜査と第一審の公判を担当した小寺哲夫検事(現札幌地検検事正)にこんな不正があったと告発した。
「取り調べの時、小寺検事からこんなことを言われたのです。『お前の弁護士は愛犬家殺人で敗訴し、大阪府知事選に立候補して敗れた弁護士で、それを後押ししとったのが共産党や。お前、えらい目に遭うぞ。東大阪市長の収賄事件をやっとる、わしの知り合いの弁護士を紹介してやるから、今の弁護士はすぐに解任しろ』と」
取調官が被疑者に対し、弁護人の悪口を言って揺さぶりをかけるのはよくあることだ。しかもこの事件で検察は、自分でヒ素を飲んで保険金詐欺をしていた健治氏に対し、林死刑囚にヒ素を飲まされたというデッチアゲのストーリーを押し付けようとしていた。そのため、取り調べで調書作成を拒否し続けた健治氏に対し、小寺検事がこんな問題発言をしたというのは「いかにもありそうな話」だ。
しかし当然、小寺検事はこれを認めなかった。そして健治氏の告発を覆そうと、「あなたと初めて会った日、私は弁護士の話をした記憶はないですよ」「それはいつの話ですか」としつこく問い詰めた。すると、今度は弁護人の小林つとむ弁護士が「言った日が違うとか、そんな瑣末な尋問をしなさんな」と小寺検事を批判し、田中氏の名前を公判で明らかにしたのだ。
小林弁護士「そんなことをするなら、まずは私たちに謝ってからにしなさい。あなたのお知り合いの田中森一弁護士に弁護人を替えたらいいとかいう話をしたんでしょう」
小寺検事「何を根拠にそんなことを言うんですか。私は、田中先生とは関係ありませんよ」
田中氏は当時、大阪の有名ヤメ検弁護士だったから、小寺検事が田中氏と親しい間柄で、健治氏に弁護人として紹介しようとしたというのも「いかにもありそう話」だ。取り調べが可視化されていないため、この時は水掛け論にしかならなかったが、筆者は後年、都内で田中氏の講演会場に押しかけ、事実関係を確認したことがある。
結論から言うと、田中氏は自分の名前がこのような形で取り沙汰されたことはまったく知らないようだった。しかし、小寺検事のことはよく知っているようだった。
「小寺だろ。知ってる、知ってる。ずっと大阪(の勤務)だろ。後輩だよ」
田中氏はこのように実にあっさりと、「田中先生とは関係ない」という小寺検事の釈明は嘘だと言ったに等しい証言をしてくれたのだ。もちろん、小寺検事の釈明のうち、この部分が嘘であっても、小寺検事が取り調べ中に健治氏に弁護人の悪口を言い、解任を勧めたことまで事実だと証明されるわけではない。しかし、健治氏と小寺検事では、どちらが本当のことを言っていて、どちらが嘘つきかはもはや自明だろう。
それにしても、田中氏はこの時、突如押しかけた一面識もない筆者のぶしつけな質問にも実に気さくに答えてくれたものだと改めて思う。和歌山カレー事件が冤罪だという話を伝えると、「えっ、和歌山カレー事件も冤罪って話があるの!?」「支援団体とかあるの!?」と目を大きくして、興味津々という様子だった。この時はゆっくり話ができる状況ではなく、その後はもう会う機会はなかったが、そんな筆者でも田中氏には良い印象を今も抱いている。その死を悲しんでいる人、惜しんでいる人はきっと多いのだろうと思う。
▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。