元祖ぶりっ子にして80年代を代表するアイドル歌手の松田聖子は数多くのスキャンダルに見舞われたが、その中でも最も大きな試練となったのが1989年に起きたサンミュージックからの独立事件だった。
聖子は78年にCBSソニーが主催したミス・セブンティーンコンテスト九州地区大会で優勝し、79年、サンミュージックに所属し、上京。80年、『裸足の季節』でデビューすると、瞬く間に人気歌手となった。
そして、サンミュージックに所属してから10年後の89年6月6日、聖子はサンミュージックの相澤秀禎社長を自宅に呼び出して、独立を宣言。6月末、契約解除となり、CBSソニー関係者の協力を得て、8月に東京都港区乃木坂の近くに新事務所、ファンティックを立ち上げた。
◆独立直後に始まった業界ぐるみの「聖子排除」
独立の決断について聖子は、インタビューで「自分の生き方、仕事、そういうものに対して、“自分で”責任を持ちたいと思ったんです」(『週刊明星』89年8月31日)と説明している。聖子は90年になると、「Seiko」の名でアメリカに進出しているが、独立はその布石だったのだろう。
だが、売上の多くを占める聖子の独立はサンミュージックには大きな痛手だ。相澤社長は、昼から飲めないビールを飲み、周囲に「寂しい」と漏らした。他の芸能プロダクションにとっても、聖子の独立は所属タレントに影響を与えかねず、断じて許すことはできない。業界全体で「聖子排除」の動きが広がっていった。
『週刊大衆』(89年9月4日号)によれば、芸能リポーターの梨元勝は「彼女の場合は強引さが問題なんです。音事協(日本音楽事業者協会)の中にも、個人的見解として、今後同じようなことが起こっては問題、といっている人が何人かはいると聞いています」と、芸能評論家の藤原いさむは「相沢さんが彼女の今後の活動を邪魔するなんてことはないだろうし、そんな人間ではありません。しかし、周囲や業界はどうみますかね」とコメントしている。
音事協加盟の各芸能プロダクションは、聖子と自社所属タレントとの共演拒否をテレビ局に申し入れたため、聖子はテレビ出演の機会を失った。『紅白歌合戦』も落選し、CMの契約も次々と打ち切られた。
サンミュージックは聖子に独立に際して、他のプロダクションの協力を借りないことを条件として課していたから、聖子は芸能界で孤立した。
サンミュージックの会議室から聖子の写真が取り外されると、マスコミは号令をかけられたかのように聖子バッシングに走った。89年7月11日には、中森明菜が自殺未遂事件を起こしたが、「明菜の恋人である近藤真彦と聖子がニューヨークで不倫していたのが原因」などと、男性関係の噂話が次から次へと取り沙汰された。そして、「独立の難しさを思い知らされた聖子は、詫びを入れた上でサンミュージックに復帰する」という記事が次第に増えていった。インタビュー記事で聖子は当時を振り返って「人と会うのが恐った」と語っているが、独立の信念を曲げなかった。
◆音事協とマスコミのネガキャンが作り出した
「聖子=性悪女」というパブリックイメージ
89年11月15日、聖子は『夜のヒットスタジオSUPER』(フジテレビ)に出演し、新曲『Precious Heart』を歌った。前年の『紅白』以来、約1年ぶりのテレビ出演となったが、聖子以外の出演者は聖子と同じCBSソニー所属の歌手や俳優ばかりで、レコード会社はCBSソニー所属でも音事協系芸能事務所所属タレントは出ていなかった。音事協の幹部は番組の責任者に「どうして聖子を出したんだ」と激しく抗議したという。それだけでは飽き足らなかったのか、後日、週刊誌で「音程が外れていた」という相沢社長などのコメントが多数、掲載された。
松田聖子といえば「性悪女」のイメージが強い。2000年代までは週刊誌が「嫌いな女ランキング」を掲載すると、必ず上位につけていた。だが、そのイメージの大部分は聖子が独立した際、芸能界の意向を受けたマスコミが過剰なバッシングをした結果、大衆の脳裏に刻まれたものなのである。
▼星野陽平(ほしの・ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。
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