女性タレントの話題が続いたが、ここからは男性タレントと所属事務所の紛争についても触れてみたい。

『週刊アサヒ芸能』の10月30日号で「干された芸能人100大事件」という10ページの特集記事が掲載された。週刊誌がこの種のテーマでこれだけのページを割いたケースは過去にないが、内容は、これまでの芸能マスコミの論調を踏襲したものに過ぎなかった。つまり、芸能事務所の論理を代弁し、違法で不当な芸能界の構造にまでは踏み込んでいない。
この特集は表紙でも大きく扱われていたが、そこには「干された芸能人」の筆頭として爆笑問題の名が記されていた。

太田光と田中裕二のお笑いコンビ、爆笑問題は、日大芸術学部で知り合い、1988年に結成された。渡辺正行主催のラ・ママ新人コント大会に出場したところ、太田プロダクションにスカウトされた。

爆笑問題はテレビに出演すると、たちまち視聴者からの人気を集め、若手芸人のホープとなった。そのまま行けば看板番組を任される目されていた爆笑問題だったが、90年に突如、太田プロから独立し、その後、徹底的に干された。それ以降、爆笑問題は、数年間にわたってテレビに出られなくなり、その間、太田はパチンコ三昧となり、田中はコンビニのアルバイトに精を出した……。

◆「たけしを育てた男」に騙された

爆笑問題DVD『2014年度版 漫才 爆笑問題のツーショット』(2014年6月アニプレックス)

この話は、爆笑問題のファンなら誰でも知っているだろうか。では、なぜ爆笑問題は太田プロから独立したのか。その経緯については、これまでほとんど明らかにされてこなかったが、10月6日放送の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)で、出演した太田と田中が初めてこれに触れた。

大竹まこと 最初は、事務所を移るどうのこうので、10年くらい出れなかったもんな?
田中 3年くらいです。太田プロから。
太田 元々、たけしさんが悪いんですよ、アレは。
大竹 なんで?
太田 俺らをスカウトしたヤツがいて、「俺がたけちゃんを育てた」って言うから、その人に付いて行ったんですよ。そしたら、後でたけしさんに訊いたら、「あんなヤツ、知らねぇよ」って。
阿川佐和子 ああ、サギにあったんだ。
太田 それで、一回、たけしさんに初めて会った時に、たけしさんの担当だったっていうマネージャーが、「たけちゃんに会ったことないだろ?」って。
田中 僕らが新人の頃ですよ。たけしさん、お正月の『ヒットパレード』の時で。
太田 フジテレビの特番で、それこそたけしさんが白塗りして何かやってたんですよ、相変わらず(笑)。
田中 コントみたいなのね。
太田 あの頃から、本当に進歩してないですね(笑)。
たけし うるせぇよ(笑)。
太田 フジテレビが、まだ河田町の頃ですよ。それで、俺らが緊張してたら、そのマネージャーだったって人が、「大丈夫だよ。俺が育てたようなもんだから」って。
阿川 友達みたいなね。
太田 それで、「今からたけちゃんのところ行くから」って言って、「殿!」って言ったんですから、そいつ(笑)お前、さっきまでと全然違うじゃねぇかって。「殿、すみませんけど、今、よろしいでしょうか?」って。
たけし だって、アイツはその後、「たけしと爆笑問題を育てた男」ってなってんだよ。それで、お笑い塾なんてやってて。
阿川 まだご存命なんですか?
太田 ご存命ですよ。
田中 どっかで息づいてます。どこかで。

◆「オレらのギャラの3割は学会の寄付」

この話については、『噂の真相』(95年3月号)に掲載された「吉本興業が独走するお笑い業界の群雄割拠の構図」という匿名鼎談記事でも触れている。記事に以下のような発言がある。

B(芸能記者) 太田プロの敏腕マネージャーだった瀬名に誘われ一緒に独立。瀬名も敏腕というわりには、太田プロを辞める理由が「家業を継ぐため」と、今時、転職するOLでも使わない手口。狭い業界なんだから、太田プロが怒って爆笑問題を2年も干したのも無理ないか。
C(若手芸能タレント) 独立後、ようやくテレ朝の「ガハハキング」で復活したとき、爆笑に話を聞いたら「オレらはだまされたんだ」といっていた。実は、瀬名が太田プロを辞めた理由が、なんと、瀬名が創価学会の会員で、もっと献金を増やすために独立し、その稼ぎ頭として爆笑を引っ張ったというんだから、爆笑の太田光がいっていたけど、「オレらのギャラの3割は学会の寄付」だって。このほうがよっぽど、“爆笑問題”だよ(笑)。

太田プロの自称「ビートたけしを育てた敏腕マネージャー」の「瀬名」というのは、瀬名英彦氏のこと。同氏のツイッターのプロフィール欄には、「過去にお笑いタレントをスカウトしてました。ツービート、若人あきら(現在の我修院達也)、コロッケ、ダチョウ倶楽部、爆笑問題他多数… 今でも新人のお笑いで売れそう人を見るのが楽しみです」とある。

◆経営陣の公私混同が酷すぎてタレントが逃げ出す「東の老舗」太田プロ

太田プロは創業は1963年と歴史が古く、老舗の部類に入る。「西の吉本、東の太田プロ」と呼ばれるほど伝統的にお笑いに強い。

だが、芸能事務所の場合、由緒ある大手だからといって、タレントにとって信用できるわけではない。太田プロは、昔からタレントとのトラブルが絶えず、爆笑問題やビートたけしなど独立していったタレントも少なくない。

なぜ、タレントは太田プロから、離れてしまうのだろうか。

『噂の真相』(2000年6月号)に掲載された記事「お笑い番組ブームで稼ぎまくる太田プロの搾取と公私混同の裏事情」に太田プロの内幕が詳細にレポートされている。

それによれば、たとえば、1000万円のCM契約が取れても、事務所はタレントには500万円と伝え、差額はまるまる事務所の収入となる。タレントに契約書を見せる必要はないから、バレることもないという。

では、ピンハネされた金はどうなるのか。記事によれば、「驚いたことに、太田プロ社内では、幹部クラスですら、はっきりとした金の流れを把握できない」という。

特にひどいのが磯野社長と泰子副社長の公私混同ぶりだ。磯野社長は2000万円もする碁盤を衝動買いして会社の経費で落とし、泰子副社長は洋服や宝石など月に300万円以上も衣装代に費やし、事務所に請求する。また、太田プロには、草津温泉や北海道、アメリカなど各地に社員寮を持っているが、実質的には社長夫妻が個人的に使っている別荘であり、社員は利用できないという。

経営トップにならって、幹部社員も横領に余念がない。「猿岩石の全盛期のマネージャーは都内に一軒家をキャッシュで建てた」という噂が流れたほど、太田プロの経営はどんぶり勘定だったという。

当然、そうした資金の出所は、タレントからの搾取だ。「バカらしい」と思って逃げ出すタレントも後を絶たない。

ビートたけしや爆笑問題、伊東四朗、大川豊総裁率いる大川興業、電撃ネットワークの南部虎弾、春一番など、これまで多くの芸人が太田プロから逃げ出していった。

ただし、太田プロは事務所の規模と比べて業界での政治力は強くない。デビュー直後の爆笑問題程度であれば、独立後、何年も干すことができたが、大物タレントだったビートたけしの独立は防げなかったのである。

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

—————— 星野陽平の《脱法芸能》——————-
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