イオングループが不振であるようだ。日本経済新聞(2015年1月9日付)によると「価格政策など消費増税後の対応を失敗した」(岡崎双一=イオン専務執行役)そうで、「消費者の支持を得られなかった」という。結果、食料品や衣料品などを幅広く扱う総合スーパー(GMS)事業の不振からイオンの連結営業利益は493億円と前年同期から48%減少。連結対象に加わったダイエーの業績悪化も響き、営業損益で289億円の部門赤字(前年同期は65億円の黒字)を計上した。

◆「AEON」増殖風景の気持ち悪さ

それにしてもあっという間に「AEON」の看板や店舗が日本全国にあふれるようになった。イオンは「イオンモール」を経営する「イオン株式会社」もと「イオンリテール株式会社」が中核をなす。大型ショッピングモールを経営するのは「イオンモール株式会社」で、スーパーマーケット等小規模店舗を経営するのが「イオンリテール株式会社」である。

同社のHPによると、営業収益6兆3951億円(3期連続で日本小売業営業収益NO.1)で、モール型店舗は国内外で168、小型店舗は611に上るという。「イオン」を名乗らないけれども「TOP VALUE」や「ダイエー」と言った小売店も資本系列としてはイオン傘下なので、全国に展開する「イオン」関連の店舗数は数を数えるのが難しいほどだ。

元は「ジャスコ」の名前でさほど派手な印象はなかった「イオン」だが、大規模「イオンモール」を全国に展開し始めてから俄然存在感が高まった。当初は土地の安い都市部から遠隔地に大規模モールを建設し、専ら自動車利用の顧客中心の店舗展開だったが、その後駅前など利便性の高い場所への出店も相次ぎ、「営業収益6兆3951億円」企業へと成長した。

関連会社は、銀行から保険不動産まで。財閥の体をなしてイオンであるが、その増殖振りはやや気持ち悪い。

長距離移動の電車に乗れば10分とおかず、車窓からは「イオン」の名前が目に入って来る。そしてイオンモールを訪れると、どの店も同様の仕様で建築されていて、専門店街に入っているテナントの種類も大差ない。

専門店街テナントは高級ブランドというわけではなく、価格的には中間層のやや上から低所得者層を想定しているようだが、平日に訪れると、イオン自体はともかくテナントに集まっている客がことのほか少ないことが分かる(程度の差こそあれ私が訪問した10店舗ほどのイオンモールは全国いずれもそうだった)。

聞くところによるとテナントとして入るにはかなり厳しい審査があるほか、テナントで働く人々への管理も相当うるさいらしい。更にテナント料が高く、一度は出店したものの、収益が期待期待できず撤退するテナントが後を絶たない。

まあ、それは「イオンモール」内のいざこざだ。本質的な問題はこのように巨大かつ画一的な「ショピングモール」が出来てしまえば、個人商店など到底太刀打ちできないことだ。東京、大阪といった大都市でも駅前商店街には閉店した店が並ぶ。地名を上げて申し訳ないけれども、岐阜などは駅前商店街がほとんど死滅状態だ。

◆つくづく感じる「資本の寡占」

個人商店の危機は深刻というレベルを通り越している。かつて「ダイエー」が栄華を誇った時代に、ダイエーの発祥の地である神戸では「ダイエーが神戸を壊した」と言われた。安価な大規模小売店は商店街や個人商店を直撃し多くの商店主が職を失った。しかし皮肉なことに飛ぶ鳥を落とす勢いで中国進出を本格的に画策していた「ダイエー」は経営破綻に陥りイオンの傘下に収まっている。近く「ダイエー」という屋号も消えるという。

コンビニエンスストアチェーンや「イトーヨーカードー」そして「イオン」を見ていると、何かしら「画一的な購買」しか許されていないような気がしてくる。

品ぞろえは確かに豊富だろうし、価格だって大量仕入れだから高い訳ではない。価格では個人商店より確実に優勢だ。

でも、顔見知りの魚屋さんで、おやじに「今日は何がいい?」と聞いたら「今日はハマチがええよ、お造りでばっちりや」、「ほなそれ貰うわ」といったやり取りや、こちらの嗜好とと懐具合を知り尽くしている店主に「お勧めを」任せられるような買い物は大型店では出来ない。イオンモールのような「怪物」が続出すれば、地域に根付いている商店文化も壊滅してゆくだろう。

資本の寡占が進むというのはこういうことだと「AEON」のロゴを目にするたびに感じる。商店街が懐かしく思い出される。

私たちの生活は本当に便利で、豊かな方向に向かっているのだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」
◎リクルートの「就活」支配──なぜ国は勧告指導しないのか?
◎人質事件で露呈した安倍首相の人並み外れた「問題発生能力」こそが大問題
◎安倍内閣は「人質の身代わり」に大臣を派遣すべし!
◎「イスラム国」人質事件で見えてきた「人命軽視」の安倍外交
◎2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる
◎なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

今日4年制大学の学生が卒業後一般企業への就職を考えているならば、彼らが勉学に集中できる期間は2年あまりしかない。就職先を見つける活動を遅くとも3年次の中盤には(それでも遅いという説もある)始めなければ、「内定」を得ることは難しい。これが短期大学生になれば更に忙しことになり、ろくろく勉学をしている時間などない。

大学側は企業経営者連中に対してもう少し常識を持った「採用活動」を要請すべきだと私は思うのだが、そのような声を耳にすることは少ない(一部国立大学が経団連に要請を行ったことはある)。時期が多少ずれはしたけれども、かつては大学と企業の間に「就職協定」と呼ばれる「約束」が一応結ばれていた。例えば「学生の企業訪問解禁は4年生の10月1日とする」といった具合に、就職活動によって学生の学業への影響が出ないように配慮がされていた。水面下ではそれより早時期にが学生と企業の接触があり「青田買い」も起きてはいたが、それでも一定の節度が建前としてはあった。

◆一民間企業が学生に内定獲得の「苦行」を強いている現実

ところがなし崩し的に「就職協定」は廃止にされ、前述の通り、今の大学生は2年もかけて「就職活動」をしなければならない。しかもその方法も煩雑を極めている。「エントリーシート」なるフォーマットに自身の情報や志望動機を書き、企業へ提出するところから「就職活動」は始まるらしいが、その後も「SPI検査」(正確な名称は「SPI総合検査」)、筆記試験を経てようやく面接にたどり着く。面接は大企業なら最低3回はクリアしなければならず、学生が「内定」を得るのは苦行とも言える。またそれに要する費用も大きな負担となっている。

しかしこのような形態での「採用活動」や「就職活動」は自然発生的に定着してきたわけではない。ここまで私は敢えて使わなかったのだけれども学生の間で「就職活動」が「就活」と呼ばれるようになって久しい。私は日本人が不要と思えるほどに言葉を略して使う傾向があると以前から感じていたが「就職活動」を「就活」と言い換えるのはまさにその典型だ。そして自然発生ではない「就活」方法及び言葉としての「就活」は「リクルート」と言う一企業によって操作され作り出されたものだ。

◆「SPI検査」という「士商法」

大学生には入学直後から就職を意識した「キャリア」指導が行われる。ここで言う「キャリア」も正確な英語の意味から大きく外れているうえに、学生がどうして企業の目を意識して学生生活を送らなければいけないのか頭をかしげてしまう。そして多くの大学で行われている「キャリア」指導は的が外れている。企業就職を目指そうが、学者を志そうが大学時代に経験しておくべきは最低限基礎的な学問であり、自分の興味を持つことに時間を割き打ち込むことだ。大学1年生にとって「企業研究」や経済のにわか勉強など全くと言っていいほど不要である。そんなものにしか興味の持てない学生は結果として希望するような就職はできない。

にしても「リクルート」の罪は大きい。進学情報の根元を握っている同社は元々教育機関をメインの顧客に想定していたが、その対象を学生と企業にも広げ、両者の最も敏感である「採用活動」=「就職活動」を新たな儲けのターゲットとした。学生は「リクルート」を儲けさせているという意識はないのだが、前述の「SPI検査」を実施している母体は実質「リクルート」である。この試験が近年相当な存在感を持ってきたために、採用活動においては企業だけでなく地方公共団体も利用している。書店に行けば分かるが「SPI検査」対策の書籍が膨大に出版されている。

大学でも「SPI対策講座」などが行われる。テキストを販売しているのは「リクルート」だけではないがこれだけ「SPI検査」が社会認知を得ると受験対策テキストからの収入だけでも相当な儲けになろう。

「士(さむらい)商法」と呼ばれる手口がある。通信教育で資格取得を目的に教材を販売する商法だ。資格の多くには「税理士」や「行政書士」のように末尾に「士」が付くので「士商法」と呼ばれている。過去幾度も社会問題化しているこの商法、適当なテキストだけ作って売っておけば儲かる仕組みだ。

試験の実施母体がこの「士商法」を利用すればどうなるだろうか。試験を実施する企業や地方公共団体からは「試験問題」料金を徴収できるし、それを受験する学生は準備のためにテキストを購入する。テキストだけでなく「SPI検査トレーニング」を謳うセミナ―なども開かれており、中には参加費が20万円以上するものもある。

加えて「エントリーシート」はインターネット上で行われるのだが、そのフォーマット自体を特定サイトからしか記入できない仕組みを採用している企業が多い。そのサイト名は「リクナビ」、これまた「リクルート」である。企業も大学も学生も「就職活動」に関わる行程を「リクルート」に支配され、加えてリクルートはその過程ごとに儲かる仕組みになっている。

◆リクルート商法と巨大利権の闇

リクルートは江副元社長が贈賄で逮捕された過去を持つ会社だが、「就職活動」に関わる「リクルート」過剰ともいえる支配と商法は明らかにあくどい。単に露骨な金もうけに走っているだけではなく、学生生活の貴重な時間を奪い不要に長い「就職活動」を強制していることも許しがたい。

一民間企業の過剰支配にどうして厚生労働省や文部科学省は勧告や指導をしないのであろうか。また大学側もなぜ声を上げないのだろう。

巨大利権の裏に常に横たわる「政治」がここでも暗躍しているのではないかと疑われても仕方が無かろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論29》小学校統廃合と「限界集落化」する大都市ニュータウン
◎《大学異論28》気障で詭弁で悪質すぎる竹内洋の「現状肯定」社会学
◎《大学異論27》「学ぶ権利」を奪われたマスプロ教育の罪──私的経験から
◎《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文
◎《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
◎《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等

 

1.17と3.11を忘れない!鹿砦社の震災・原発書籍

 

たった二人(うち一人は既に処刑されたとの報もある)の人質解放に対して、現政権はこれほどまでに対応能力がなかったのかと多くの方々が呆れていることだろう。

◆子どもの感想と変わらぬ発言を繰り返す安倍首相

対策本部をヨルダンに設置してみたところで、実際には何の成果もない。人質交換は「自国の人間が優先だ」とヨルダン政府が発表した通り、日本の存在は完全に無視されている。現地本部の面目は見事に潰された形だ。安倍は人質の画像公開されるたびに「許しがたい暴挙だ。今すぐ人質を解放すべきだ」と繰り返しているが、子供の感想と変わらない。首相なのだから感想を述べている暇があれば解決に向けて尽力して欲しい。

などと、安倍に望むのは間違っている。安倍には問題解決能力はない。人並み外れた「問題発生能力」を備えているが、自分のまいた種で問題が発生すると立ちすくんで小学生並の感想を述べることしかできない。安倍だけでなく現在の自民党はそういう政党であり、公明党も同様だ。さらに言えば野党各党もこの種の問題に対する能力という点では大差ない。共産党の志位は同党の池内沙織衆院議員がTwitterで安倍政権の人質問題対応を批判したことについて「政府が全力を挙げて取り組んでいる最中だ。今あのような形で発信することは不適切だ」と述べ発言を削除させた。さすが「民主集中制、日の丸つけた「スターリン主義政党」の本領発揮だ。

◆ISIS人質事件でなぜ「自己責任論」は語られないのか?

政治家は大方が外交現実対応において必要な能力や経験を備えていないことが分かる。

外交対応能力とは、外国語が話せることを意味しない。むしろ語学力などは二の次だ。世界には多様な価値観が存在し、私たちが「正しい」と考える判断も別の文化では「間違い」にあたることがあること。口頭の「約束」はほぼ必ず破られることが原則であること。「賛同」や「同意」は一時的なものでしかないこと。日本の常識がある国では「死刑」に該当する場合もあること。国際的に「日本人は交渉に弱い」と思われていることを知っておくこと。対応策は1つではなく最善策がダメな場合を想定し最低2つの次善策を用意しておくこと。など民間の大学職員であった私ですら経験的に学んだものだが、政府の対応にそのような痕跡は見られない。

外交評論家と自称する人々で的を得た指摘をしている人がどれほどいるだろうか。東京都知事のねずみ男は国際政治が専門の東大教員だったが、「世界各国回っていてわかったことは、どの国でも売春婦の値段は大学新卒給与の3分の1程度なんですよ」としたり顔で語っていた事を思い出す。売春婦の値段調査に世界中を回っていたのがねずみ男だ。その程度の人間が東大で国際政治を教えていたのだから卒業生である官僚たちの国際感覚も推して知るべしだ。

言い方は悪いが「たった二人」の人質解放に直面してこの体たらくだ。しかも現在人質にされている方は政府の意向でシリアに出かけた可能性が高いと消息筋の未確認情報もある。なるほど、だから今回は「自己責任論」が全く政府側から語られないのか。

◆安倍政権に「集団的自衛権」を担う能力はないことが露呈した

「集団的自衛権」=米国追従の「どの国に対してもの『宣戦布告』」は今回の人質事件と同様の、いや更に困難な事件を多発させるに違いない。それに政府は対応能力が全くないことを今回露呈した。

運転免許書を持っていないのに運転目的で自動車を購入するようなものだ。エンジンをかけて数分後にはどこかにぶつかるか、悪くすると死亡事故を起こすだろう。

勘弁してくれと言いたい。そんな連中が操縦桿を握るあやふやな船で一緒に沈没させられるのは御免だ。

願わくば今回政府の「無為無策」を多くの国民が認識し、それが経済政策や社会保障政策にも通底していることに気がついてほしい。こんな出来の悪い連中に執権を握らせていたら本当の破滅を招き入れる。それを希望する人はいないだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎安倍内閣は「人質の身代わり」に大臣を派遣すべし!
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◎「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?
◎2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる

マクドナルドの売り上げが思わしくないらしい。世界中に店舗を展開しコカ・コーラやディズニーと並んで、米国の代名詞に近いマクドナルド。関東では「マック」関西では「マクド」と呼ばれすっかり日本の外食社会に浸透して日の浅くない同社だが、昨年末には店頭で販売するポテトが品薄になり一時「S」サイズしか販売できなくなった、とニュースで報じられていた。

なんで、たかがファーストフードチェーンの商品販売ごときがニュースになるのか、とパソコンの画面を眺めながら、アホ臭いなぁと思っていたが、どうやら業績全体もかなり落ち込んでいるようだ。

◆マクドナルドを成功に導いたのはアメリカ料理のレベルの低さ

日本マクドナルド初代社長の藤田田が「親の舌をハンバーガーに馴染ませたら、子供も食べに連れてくる。徹底的に日本人の舌を変える」と宣言した通り、ハンバーガーは日本で日常的に買える商品になった。開業当初はハンバーガー1つが300円以上していたけども、デフレに合わせて100円バーガーを販売すると、中高生の利用者が爆発的に増え店舗数も3000を超えている。店内には無線インターネット環境も整えられ、ジャンクフードを食べながらそこで長時間過ごすことが出来る、ある種の独自空間にもなっている。

ところが、販売製品に異物が混入したり、他社との競争で劣勢に陥るなど、マクドナルドは全体に元気がない。

喜ばしいことだと思う。

ハンバーガーはきちんとしたハンバーグを作り、それを質の良いパンにはさんで新鮮な野菜を添えて食べれば立派な「料理」といえるが、マクドナルドで売っている、くず肉を使いどこで取れたのかわからない原材料を混ぜこぜにして出来上がった、薬の匂い臭いハンバーガーを喜んで食べるのは自由だけども、それが国民食になるような代物ではない。

この商売が米国で生まれ、そこそこ成功したのにはわけがある。商売方法のうんぬん以前の話だ。

米国には「まずい」食べ物が溢れていて、その中でマクドナルドは、比較的ましな味であったからだ(同様の現象は「ケンタッキーフライドチキン」にもあてはまる)。

多くの方はお気づきだろうが、「フランス料理」や「イタリア料理」、あるいは「地中海料理」などを耳にすることはあっても「アメリカ料理」という言葉を聞いたことはない。米国にちょっと滞在すればすぐにわかる。南部の黒人が独自の「ソウルフード」を伝統としている以外に、米国には「人に出せるような味の料理はない」ことを。

料理にかけて、米国のレベルは世界中でもかなり下位にランクされるだろう。これはひょっとしたら使用言語との関係があるのかもしれないと私的には感じている。英国、豪州、ニュージーランドでも「美味しいその国オリジナル料理」を聞いたことがない。つまり英語を母国語としている国共通の現象なのだ(私の限られた経験からは)。だからそれらの国では中華料理を筆頭に、和食、フレンチ、イタリアン等「外国料理」の店が繁盛する。

◆「アメリカ的」文化への憧憬が消滅すれば、ただ不味いだけのシロモノ

日本にマクドナルドが初出店したのは1971年だ。大阪万博の翌年で、庶民レベルでは文化的にも経済的にも米国はまだ憧憬の的だった。日本人はたぶん「味」にではなく「雰囲気」に惹かれてマクドナルド文化に引き寄せられていったのだろう。またソ連時代のモスクワに1990年マクドナルドが開店した時、何時間も待つ客の列が出来た。これも心象は日本と同様に「アメリカ的」な物への興味が為させた現象だったと想像できる。

マクドナルドの衰退は、他の米国資本のハンバーガーチェーンの日本参入や、コンビニエンスストアの爆発的増加など複合的な原因があろうが、私に言わせると、過剰に流行りすぎたのである。

あんなまずいも、そして体に悪いものを子供の食べさせてはいけない。

手造りのお握りを食べさせている方が余程体にいいだろう。

よくそこまでマクドナルドの悪口が言えるなぁとの声が聞こえてきそうだけども、これは私だけの尺度ではない。

「世界遺産」に「和食」が指定されたではないか(「世界遺産」などという胡散臭い権威を私は微塵も信じてはいないけれども)。

子供の頃からマクドナルドのハンバーガーを与えられて、味覚が形成されてきた方々にも一度試していただきたい。

「これは本当に旨いのか」と疑いながらマクドナルドで最も安いハンバーガーを買う。そして店内に腰かけて周りを見回す。交わされているのはどんな会話だろう。漂っているのはどんな匂いだろう。隣の人はどんな顔をしているだろう。くさぐさ面倒くさいことを敢えて考えた挙句に、覚悟を決めてハンバーガーにかぶりつくのだ。

そこから先のご感想を誘導するつもりはない。私も昔はマクドナルドを食らっていたのだし。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎安倍内閣は「人質の身代わり」に大臣を派遣すべし!
◎「イスラム国」人質事件で見えてきた「人命軽視」の安倍外交
◎「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?
◎2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる

【復刻新版】近兼拓史『FMラルース 999日の奇跡』1月15日発売!

2010年6月、12人が死傷する惨事となった広島市南区のマツダ本社工場暴走殺傷事件。犯人の引寺利明(当時42歳)は犯行動機について、「マツダで期間工として働いていた頃、ロッカーを荒らされるなどの集スト(集団ストーカー)に遭い、恨んでいた」と一貫して主張し、2013年に無期懲役判決が確定した。だが、現在も服役先の岡山刑務所で無反省の日々を過ごしているのは当連載ですでにお伝えした通りだ。

実名顔出しで取材に応じた暴走犯の元同僚・藤岡範行氏。広島の裁判所前にて

そんな引寺が事件前、派遣社員として自動車部品の会社で働いていた頃の同僚だった男性が筆者の取材に応じ、殺人犯になる前の引寺の意外な素顔を語ってくれた。その男性は藤岡範行氏、43歳。現在は広島市内の会社で警備員として働きながら、筋力トレーニングと裁判傍聴を趣味にしている男性だ。そのインタビューを通じ、取材では窺い知れなかった凶悪事件犯の意外な素顔が見えてきた。

◆「引寺さんは本当に普通の人でした」

── そもそも、藤岡さんは引寺とどんな関係だったのでしょうか。

事件の10何年前、ぼくと引寺さんは自動車部品会社の工場で一緒に働いていたんです。当時24、25歳だったぼくは派遣社員で、引寺さんも別の派遣会社から派遣されてきていました。引寺さんは当時たしか29歳か30歳くらい。ぼくら2人とNさんという正社員が3人で1つのラインで働いていました。

── 藤岡さんの目から見て、引寺はどんな人物だったんでしょうか?

普通のオニーサンという感じでしたね。性格は柔らかく、おとなしかった。気を使わなくていい雰囲気の人でしたね。ぼくは妙に気が合ったというか、仲良くしてもらっていました。一緒に仕事をしていても、やりやすかったですよ。派遣社員は難しい人が少なくなく、派遣社員同士でケンカになることもあったんですが、引寺さんは本当に普通の人でした。

── 引寺と話すときはどんな話題が多かったですか?

引寺さんはしゃべらない人だったんですよ。冗談も全然言わないし、女性の話もしなかった。休憩時間も一人で煙草を吸っていることが多かったし、ご飯も一人で食べていました。それに作業の合間も、みんなが休んでいるのに、一人だけ掃除をしていたりする。『そのほうが、気を使わんでええけえ』と言っていました。

── それは意外ですね。私に対しては、面会でもよくしゃべるし、手紙でも「~であります(笑)」「ハハハハハハ~~~!!」などといつもハイテンションなんですが。

ぼくが知っている引寺さんとは全然違いますね。ぼくの印象では、引寺さんは決して明るい人ではなく、どちらかというと暗い人でしたから。そういえば、事件を起こしたときにテレビなどで姿を見た引寺さんは全体の雰囲気こそ当時と変わりませんでしたが、老けて、太っていましたね。ほくと一緒に働いていたころ、引寺さんは痩せていたんですよ。

── 引寺は趣味とかはなかったんでしょうか?

「車は、好きだったんでしょうね。自分から車好きだと話すことはなかったですが、スポーツタイプの凝った車に乗っていたんで、車好きだということはわかりました」

◆集ストは「被害妄想だと思います」

── 私に対しては、引寺は車が好きだという話は普通にするんで、ずいぶん印象が違いますね。引寺が事件を起こしたときは驚きましたか?

そうですね。警備の仕事で詰所にいたとき、事件の第一報をラジオで聞いたんですが、「ヒキジ」というのは珍しい名前なので、「えっ、ヒキジ!?」とすぐに引寺さんのことを思い出しました。まさか、あの引寺さんとは違うだろうと思いつつ、携帯でネット配信されているテレビのニュースを観たら、やっぱり引寺さんだった。「わっ、引寺さん」というのが率直な感想でしたね。ただ、事件を起こしたときも驚きましたが、それ以上に驚いたのが裁判のときでした。

── どんなことに驚いたんですか?

ぼくは当時、まだ裁判を傍聴する趣味はなく、引寺さんの裁判の様子は報道でしか知りません。でも、ずいぶんキレていたそうじゃないですか。先ほども話したように、ぼくが知っている引寺さんはおとなしく、やわらかい人だったんで、あんなにキレるのか、とビックリしました。裁判に行きたいとも思っていましたが、報道をみて、やめておきました。

── 私が引寺を取材したのは控訴審段階以降なんですが、第一審の頃から公判中に不規則発言を連発していたみたいですね。引寺は犯行動機については一貫して、マツダの工場で働いていたときに集ストに遭い、恨みがあったと主張していますが、あれはどう思いますか?

やはり被害妄想だと思います。

── 昔から被害妄想に陥るような人だったんですか?

いえ、一緒に働いていた時には、妄想とかは全然ない人でしたね。派遣社員は正社員に比べて待遇が悪く、低く見られていましたが、引寺さんは正社員のグチを言うこともそんなになかったように記憶しています。ぼくのことをよくいじめる正社員がいたんですが、そのことを引寺さんに話したときも『ああ、あいつか』という程度の答えしか返ってきませんでした。

── 旧知の仲である藤岡さんの目から見て、引寺はどうして、あのようになってしまったと思いますか?

社会の「ひずみ」のせいだと思います。極端な話、待遇のよい仕事に就いていて、お金に余裕のある人はあんな事件を起こさないと思うんですよ。秋葉原(通り魔殺人事件)の加藤(智大。)だって、そうでしょう。事件を起こしたわけじゃないですが、ぼくだって社会の「ひずみ」は感じていますよ。自分の現状については、誰のせいでもなく、自分が悪いだけなんですが、社会のせいだと思うこともありますし、親のせいにしたこともありましたから。いまの社会は仕事を自由に選べるとはいっても、正直、いい仕事も悪い仕事もありますからね。人のせいにしてはいけないんでしょうが、どうしてもしてしまうんです。

引寺が公判中に大暴れした広島の裁判所庁舎を悲しそうに見つめる藤岡範行氏

◆「ワシみたいになるなよ」と言われた

── 引寺もやはり、将来への不安などはあったと思いますか?

それはあったろうと思います。あれはたしか事件の2~3年前のことだったでしょうか。すでに引寺さんと同じ職場で働かなくなって随分年月が経っていましたが、立ち読みに行った本屋でたまたま引寺さんと会ったんです。会うのは久しぶりでしたが、引寺さんは「いまも派遣の仕事をしよるけど、よう休んどるし、クビになるじゃろう」「クビになったら、ワシはもうくたばるわ。社会保険も払っとらんし」などと暗いことを言っていました。国民年金も何年も滞納しているとのことでした。そういえば、ぼくと一緒に働いていたときも引寺さんは、仕事ぶりはマジメでしたが、風邪でよく休んでいましたね。そのときが引寺さんと会った最後になりますが、「藤岡くん、ワシみたいになるなよ」「手に技術を身につけとけよ」と言われたのが今でもとても印象に残っています。

── 藤岡さんは先日、引寺に手紙を出したそうですが?

岡山刑務所に手紙を書き、これで雑誌でも買ってくださいと少しお金を差し入れたら、丁寧なお礼の手紙が来ました。嬉しかったですね。引寺さんは以前、ぼくのことを「藤岡くん」と呼んでいたんで、「藤岡さん」と書いてあったことには少し違和感がありましたが(笑)。「~であります(笑)」とか「ハハハハハハ~~~!!」などということは書いてなくて、真面目な文面でしたよ。面会は刑務所が認めてくれるかどうかわからないそうですが、可能なら面会にも行きたいです。実は引寺さんから「手に技術を身につけとけよ」と言ってもらったこともあり、ぼくはいま、宅建の勉強をしています。試験はなかなか受かりませんが、このような勉強をしようと思ったのも引寺さんのおかげなんですよ。

以上、旧知の仲である藤岡氏の語った引寺利明像だ。事件の2~3年前に引寺が派遣社員の仕事に行き詰まりを感じ、悲観的な話をしていたという藤岡氏の証言が仮に事実だとしても、それを軽々と事件と結びつけるわけにはいかない。しかし、少なくとも「普通の人」だった引寺が「凶悪事件犯」に生まれ変わる過程で何らかの影響があった可能性が感じられた。また何か新しい情報が入手できたらレポートしたい。

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

《我が暴走01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省
《我が暴走02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
《我が暴走03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
《我が暴走04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
《我が暴走05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」

人質処刑のタイムリミット過ぎたが、本稿執筆現在までのところ悪い知らせは届いていない(1月24日に人質の一人、湯川遥菜さんが殺害されたとされるビデオ映像が動画サイトに投稿されたものの真偽は未確定)。条件や交渉内容はどうであれ人質の解放が切に望まれる。

そして、日本政府が思い知るべきは、今回安倍が5億ドルの「対テロ支援」を宣言したことにより、このような事件が引き起こされたという教訓である。

安倍は「いや、あれは人道支援だ」などと、この期に及んで言い訳しているが「このような過激集団には毅然と対応する」と事件直後に語っていたではないか。その時の安倍の内心は「よっしゃ! 思ったより早く仕込みが効いてきたわい」ではなかったか。もう取り返しはつかないけれども、国際政治で「敵」をわざわざ作り出すような愚かな行為を繰り返さないことだ。

日本国内でも安倍の気まぐれな「対テロ支援」については批判が高まっているし、人質解放に向けて際立った判断や交渉が進展しているふしはない。欧米列強も口では「支援」と言ってはいるけども内心「日本の事は日本で解決しろ」という態度が見て取れる。特に米国の日本無視は露骨だ。

◆「安保と危機管理」に精通した石破国務大臣を人質の身代わりにしてはどうか?

そこで、私は「イスラム国」も必ず飲む交渉方法を提案する。

石破国務大臣 (地方創生・国家戦略特別区域担当)を2人の人質の代わりに差し出すのだ。そうすれば交渉の時間は稼げるし、いくら武装勢力とて「簡単」に現役の大臣を処刑することは出来ないだろう。何故石破氏かと言えば、彼こそは最近の政権右傾化と軍事化を先頭でけん引してきた人間であるからだ。国防の重要性やテロの危機を常に口にして防衛大臣の椅子にも座った。本音を言えば「安倍本人を」と言いたいところではあるが、さすがに首相自らが現場を離れることは難しかろうから、大臣が適任だ。

即だ。石破氏をシリアに飛ばすのだ。石破氏は嫌がりは出来まい。これまで散々「テロの危機」を説いてきたご本人だ。その危機に対応するのは政治家としての道義的義務でもある。心配しなくとも「地方創生」の仕事など、石破氏は実際には何の興味もないのだし、彼がいなくともがなくとも代わりはい幾らでもいる。「戦争」や「テロ」を語るからには現場に赴き自分が体でその緊張感と現実を体験してくるのが何よりの勉強ではないか。「軍事オタク」としても戦場で人質になる、これ以上、刺激的な体験があろうか。

◆安倍自民は「よど号」ハイジャック事件に学べ!

私の提案は荒唐無稽に聞こえるだろうか。でも同様の人質交換には前歴がある。1970年赤軍派による「よど号」ハイジャック事件の際、ソウル金浦空港で膠着状態に陥った機内に民間人の人質に代わり、単身乗り込んでいったのは山村新治郎議員だった。彼が一人で人質となり「よど号」はソウルを離れそのまま朝鮮に飛んでいった。山村氏は朝鮮で数日を過ごしたが帰国し、春日八郎が「身代わり新太郎」という歌まで歌ったほど、一気に時の人となった。

どうだ。この歴史を見れば石破氏には「世界のイシバ」と名をはせる絶好のチャンスではないか。また、安倍も本心では石破を嫌っているから、最悪石破が銃殺されても「心外だ。石破氏の死を無駄にはしない」と一応沈鬱な顔で語ればいいだけの事で、目の上のたんこぶを除去できるではないか。おまけに武装勢力の恐ろしさもさらに誇張できる。これぞ誰もが損をしない最高の解決策ではないか。

冗談に聞こえるかもしれないけれども、武装勢力を敵に回すということはそういうことだ。少なくとも彼らはこれまで日本を敵視はしてこなかった。これは「イスラム国」に限らず「タリバン」しかり、あるいはアラブ諸国全般に言えることだ。日本は欧米と親密でありながら、アラブの側は日本を欧米と同列に扱ってはこなかった。とても幸いだったのだ。

ところが、この僥倖もまたしても安倍の愚劣な思い付きにより、破綻を見ることになった。安倍自身が言うようにこれから日本人を狙った同様の攻撃は増加するだろう。日本自身が「あなたたちに敵対します」と宣言したのだから仕方がない。

安倍! お前はどうやって責任を取れるというのだ!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎「イスラム国」人質事件で見えてきた「人命軽視」の安倍外交
◎2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる
◎「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?

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文科省は1月19日、公立小中学校の統廃合に関する手引き案を公表した。小学校は6学級以下、中学校は3学級以下で統廃合するかどうかの判断を自治体に求めるという。

このコラムでは日頃、大学の問題を中心に論じているが、少子高齢化は当然初等教育にも大きな影響を与えている。紹介した文科省の手引き案で言われる所の、小学校6学級とは、1学年に1クラスしか構成できない児童数を意味する。

◆児童数が激減する大都市郊外の巨大ニュータウン

都市集中で過疎地や限界集落にはそのような小学校があろうとぼんやり考えていたが、意外な場所にも児童数激減小学校があった。

それは多摩(東京)、千里(大阪)、高蔵寺(愛知)などの「ニュータウン」と呼ばれる地域だ。ニュータウンはこの3つに限ったわけではなく、全国に規模の大小はあれ、点在する。

そこで今、凄まじい人口減少が進行している。その結果ニュータウン内の小学校は児童数が激減し、既に廃校になった小学校も出てきた。ニュータウンはかつての住宅年整備公団が開発運営をしていたが、賃貸の団地が地域の多数を占める。

大規模ニュータウンの開発は1960年代終盤から始まり、全盛期にはニュータウンだけで、市が構成できる程の人口が溢れていた。小学校は1学年5クラス、6クラスは当たり前で、それでも児童を収容出来ない小学校が続出し、運動場の隅や校舎の間にプレハブ校舎が建てられた。

当然いつまでもそんな環境で子供に勉強させるわけには行かないから、新しい小学校が開校する。そうやってニュータウンは人口減など想像もせずに学校を増やしていった。

しかし、居住面積の割に高額な家賃、また設備の老朽化などが嫌われ、バブル辺りから団地には空室が目立ち始める。その後も人口減少に歯止めがかからず、現在は最盛期の4割程の居住者しかいない団地も珍しくない。当然、子供の数も大幅に減る。

◆3000名近くいた児童数が300名以下に激減!

私自身が数年間通ったニュータウンの小学校は当時1学年最低5クラスあり、総児童数は1000名を超えていた。だが昨日調べてみたら、なんと2年前に児童数減少で閉校していた。お隣の小学校に吸収されたようだが、それでもようやく各学年2クラス維持できる児童数しかいないようだ。

かつて2つの小学校で3000名近くいた児童が今では300名もいないわけだ。少数精鋭で教育できると言うプラス面もあろうが 、あまりに急激な人口の増減である。

小学校は児童数が減っても、教育ができないわけではない。でも街としてのニュータウンはもう限界近いだろう。空室だらけの団地は気持ちのいいものではない。安全面からも問題が多いだろう。

ニュータウンへ引っ越した後、幼ごころに感じたものだ。
山を切り開きコンクリートの団地を立てた地面からは、土地のすすり泣きが、切り開いた山に再度植えらえた街路樹からは、動物園の檻の中にいる飽きらめきった動物の哀愁のようなくぐもった声が。

新興住宅街とはそんなもんだよ、と思われるかもしれないが、ニュータウンの無機質ぶりは、人が長く住めるそれではなかった。結局、私の通った小学校は42年で閉校したそうだ。ニュータウンも人口減と高齢化が進展し、かつての新しい街が過疎化に苦しんでいる。

人間の歴史は400万年位らしい。あちこち移動しながら住みやすい場所に落ち着いていったのだろう。落ち着くにあたっては試行錯誤があったのだろう。何も古い街が優れていると言いたいのではない。古い街にだって過疎は起きているし、高齢化は全国的現象だ。ただニュータウンは余りにも乱暴をしすぎた為に街自体の寿命が極端に短かったのだろう。

利便性や経済性への配慮はあっても、人間の営みヘの視点が欠けていた。

それは今日我々の生活に通底することでもある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論28》気障で詭弁で悪質すぎる竹内洋の「現状肯定」社会学
《大学異論27》「学ぶ権利」を奪われたマスプロ教育の罪──私的経験から
《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文
《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

【復刻新版】近兼拓史『FMラルース 999日の奇跡』発売!

 

 

イスラム国は、日本人人質2名を条件を飲まなければ処刑すると宣言した。前日に安倍が、中東諸国に25億ドルの援助を発表した直後の発覚だった。

しかし人質にされている方は昨日今日に身柄を拘束されたわけではなく、昨年来イスラム国側から保釈の条件を交渉するメールが御家族に届いていたという。御家族はもちろん政府に相談をなさっていたようだが、結果的に政府は身柄釈放に配慮することなく、イスラム国への宣戦布告に等しい周辺諸国への多額の援助を発表した。

◆「命」を救う気があるのか?

私は不思議なのだが、首相とはいえ25億ドルもの援助を事前に国会や政府の了解がなくとも勝手に決めても問題はないのだろうか。巨額の援助は外交政策だけでなく、予算にも関わる事項ではないのか。

何よりも昨年来、身柄を拘束されている方の「命」について何らかの戦略や配慮があるのだろうか。

ジャーナリストでイスラム国と独自のパイプを持つ常岡浩介氏は、人質解放のチャンスはあった、と述べている。もっとも常岡氏自身が大学生がイスラム国へ参加を計画していた嫌疑の協力者との咎により日本政府によりパスポートを没収されているそうで、動きが取れなかったようだ。

私は安倍が中東への対テロ対策援助を発表した時点から、安倍は意識的にイスラム国を刺激したがっているなと感じていた。そしてそれは現実のものとなった。イスラム国は人質開放の条件として中東援助と同額を支払え、と要求している。

武装勢力による人質事件の場合、解決には当事者同士ではなく、仲介役が大きな役割を果たす場合が多い。仲介役は表立って名前を出す時もあるけども、全く報道などに名前を出さないこともある。

日本政府は「英国や欧州の国と情報交換を行って」などとほざいているが、イスラム国からすれば、それらの国はいずれも敵国だ。素人目には全く成果が望めないのではと考えてしまうが、安倍や外務官僚には秘策があるのだろうか。

◆イスラム国から敵視されていない交渉役を抜擢せよ!

安倍は一応、人命尊重と口にはしているけれども、その前後の文脈から人質の命についての真剣味は感じられない。安倍は最初から、過激主義とイスラム教は違う、など的外れも甚だしい無知を毎日のように披歴しているけれども、私は訝る。

安倍の本心はイスラム国による邦人の犠牲者を期待しているのではないか。国内でもテロを警戒するよう指示したというが、その原因を作ったのは誰だ? テロが起これば軍事化へ向けた格好の口実に利用できる。安倍はテロを期待してはいまいか。

イスラム国の本質について私は正確な分析を行う情報を持ち合わせていない。しかし、自分がイスラム国の人間であれば、と仮定して考えれば自ずと展開は予想できる。

今、常岡さんやイスラム国に繋がりがある同志社大学客員教授の中田考さんが交渉役を担っても良いと表明している。人質の解放を望むなら彼らに交渉を依頼すべきではないか。

少なくとも彼らはイスラム国からは敵視されていない。彼らを猜疑的に疑い、前述の大学生がイスラム国参加問題が起きた時二人の自宅を家宅捜索したのは、日本の警察だ。

無能な外務官僚や安倍より交渉に於いては期待できる方々だろう。だが、それを政権が許容するだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる
「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?
なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

前回の記事で「マスプロ教育」私的経験、「心理学」を担当していた高橋某を引き合いに出した。さて本丸はこの男、「竹内洋」である。

竹内は関西訛りが全くなかったので調べてみたら、東京生まれの佐渡島育ちらしい。1942年生まれだが現在でも写真を見ると年より若く見える。彼の講義を受けたのは約30年前になるが、そういえば「ぼんぼん」の如き顔つきと振る舞いだった。

竹内洋=関西大学東京センター長

◆80年代の大学時代に感じた竹内洋の「現状肯定」主義

竹内は我々の1年次「必修科目」である「社会学」の後期担当だった。前期の担当は徳岡秀雄でこの方は堅実に「社会学」の基礎を語って頂いた記憶がある。真面目一直線で面白味はないけども、彼に教室で教わった学術用語の深みを今でも記憶してるので実直な方だったと思う。

それに対して竹内は「ハイカラ」さんだった。自分のことを「ボク」と称し、こんなところに英語必要なのか?と思うほど話に横文字が多用された。

「つまりさ、ボクの言ってるササイエティーっていうのは、ポピュラーな意味でのそれとはだいぶ違うんだよ。コンセプトのコンフリクトを除外したらメークセンス出来ないんだよ」

ってな具合で、巨人の長嶋が知ってる限りの英単語を多用してカール・ルイスに話しかけたのと少し似た(勿論竹内の英語力を長嶋と比較するのは失礼だけれども)「竹内ワールド」が展開されていた。

でも「竹内ワールド」時々見落とせない片鱗を表出してもいた。彼は様々な社会的制度を例に挙げ、それを彼なりの解釈で読み解いてゆくことを独自の話法としていた。旧来の社会学者の見解を紹介しながらも最後には実に個性的な解釈で事象を解読するのだが、私にはその結論のほとんどが「現状肯定」に落ち着いているように聞こえて仕方がなかった。ある時竹内は「共通一次試験」について語った。今日の「センター試験」と名称を変えた統一大学入試の原型だ。

「ボクはさ、『共通一次』って可愛そうだと思うんだ。だってね導入された時から批判されることが分かりきっていたんだから」

はて、何故かわいそうだのだろうか?と私は彼の真意を理解しかねた。今日の「センター試験」は国公立だけでなく、広く私立大学も利用している。竹内が語った「共通一次」への批判とは「全国の国公立大学受験者が、異なる大学を受験するのに同じ試験を受験しなければならないのは、大学の個性を無視するのではないか。また私立大学の存立の意義に立ち返れば『入試』を『統一試験』に頼るなど、建学の精神を異にする大学間で理念的に可能であるはずがない。文部省(当時)はいずれ私立大学支配の足掛かりに私立大学へも『共通一次』への参加を迫って来るのではないか」という懸念だった。

当時の懸念は、不幸なことに見事すぎるほど的中してしまっている。私立大学で「センター試験」を全く利用しない大学の方が現在では少数になってしまった。竹内が「可愛そう」と言ってみせた「共通一次」はとてつもない成長をとげ、弱小私立大学に重荷を背負わせることになっている。

◆安全地帯から一歩も出ない学者論法

ことほど左様に竹内の論法は紆余曲折した挙句、現状制度を何らかの方便で擁護する、あるいは暗にではあるが革新的な言辞への批判が込められていた。竹内が巧妙なのは「時代」をしっかり認識して、危険を冒さないところだった。その竹内は21世紀に入り小泉が首相に就いたあたりから、本性を見せ始める。『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』 (中央公論新社、2005年)ではまだおとなしく、昔ながらの竹内論法から大きく離れてはいなかったけれども、『革新幻想の戦後史』 (中央公論新社、2011年)では旧来の回りくどさを排除して、革新勢力への総合的な批判を展開するようになる。

私は革新勢力全体を支持するものではないが、2015年1月を生きている身としては、革新勢力が懸念、抵抗していたしていた数々砦が崩壊する姿を安穏と無視できない。現政権権力が行っている政治、あるいは改憲と戦争へ加担する勢力は極めて悪辣だと誇張なく感じる。のっぴきならない時代だ。

30年前から今日的危機の萌芽を竹内はちらつかせていた。自身は常に安全閾に止まりながら。

◆格差社会の現実を「フラット化」、「権威なき時代」と呼ぶ詭弁

そして、行き着くところがこの1月5日の京都新聞朝刊に掲載された「戦後70周年を語る」シリーズにおける、竹内による「日本は限りなくフラット化する社会になっている」だ。

竹内は「昨年11月の衆議院本会議で、議員の万歳三唱をやり直す場面がテレビに映し出された。議長が『日本国憲法第7条により、衆議院を解散する』と解散勅書読み上げ、天皇陛下の署名と公印を示す『御名御璽』という前に、万歳三唱が始まったからだ。戦前ならば考えられない光景だ」と述べ、次いで「議員たる人たちが与党も野党もそろっていた。特別な意識はなかったと思うが、天皇でさえも、さらっと流されてしまう。ヒエラルキーなき、権威なき時代になった」のだと言う。

そうだろうか? 国会解散の際の「万歳三唱」は馬鹿げた習慣だ。にしても「解散」となると与野党問わずに「万歳三唱」は毎度行われる。その意味するところは竹内が指摘するように「解散勅書」、すなはち「天皇」の命を受けての「万歳」である。少なくない数の議員と一部(いや、かなりか?)や国民は、ただの習慣でまたは「またここに帰ってこよう」との意味で万歳をしていると誤解しているが、そうではない。あの万歳は「天皇陛下万歳」に他ならない。

だから「万歳三唱」自体が極めて反動的な行為なのだが、その「フライング」をやり直した光景を見て竹内は「ヒエラルキーなき、権威なき時代になった」と言う。ここだ。竹内流詭弁の骨頂だ。

議員の中には万歳の意味を知らぬ人間が多数いる。だから万歳の「フライング」が起きたのだろう。にしても、「万歳三唱」をやり直させた議長の行為を竹内はどう解説するのだ。天皇の「権威」に慮った伊吹文明(衆議院議長)がやり直しをさせたのではないのか。国会における前代未聞の「天皇」への忠誠行為=万歳三唱のやり直しと見るのが素直ではないか。なにが「ヒエラルキーなき」だ。これほど露骨な国会における「天皇制」の露出はないではないか。これ以上ない「ヒエラルキー」を目にして「天皇さえもさらっと流されてしまう」と語る竹内は単なる詭弁使いではないようだ。

更に竹内は言う。

「一方、論壇では天皇制に対する批判が起こり、天皇制こそが戦争の元凶であり、あがめるシステムこそ問題だとする考えが主流を占めた。戦前の天皇制について丸山真男は『無責任の体系』だと厳しく批判し、大きな影響を与えた。そうかといって庶民感覚からすれば、『天皇制』という言葉さえ受けつけにくい。どちらかと言えば『孤独でおかわいそうな存在』だったのではないか。論壇は草の根の感情を捉えきれなかった」そうだ。

長年本音を隠してきた悪人が本音を吐露するとこういう言葉になるのだなと、大学1年次に感じた違和感の完成形を目にして得心が行った。

「庶民感覚からすれば『天皇制』という言葉さえうけつけにくい」というが、ここでの「庶民」は一体どの時代、どの地域の庶民を指しているのか。竹内は調査や研究の結果を一切示さずに断言している。全く根拠なき独断的な決めつけには呆れるほかない。竹内は学問の世界に長く身を置き「京都大学名誉教授」の肩書を持つ人間なのだから、論理の整合性や論拠の重要性は知っているはずだ。学者という者は根拠を示して論を展開しなければ相手にされない世界であることは基本中の基本。それを30年前に教壇から私たちに説いたのは他ならぬ竹内だったではないか。

しかし、ここで竹内が述べている天皇制に関する「感想」は軽薄な評論家が軽々しく語っている程度の説得力も持ち合わせない。

私は幼少の頃より祖父母や両親、あるいは多くの年長者から戦争中の話、「天皇」あるいは「天皇制」の話は何度も聞かされてきた。また同世代の人間と「天皇制」について議論を交わした。私は自分が「庶民」だと思っていたが竹内の論によると私や私の関わってきた人々は「庶民」ではないことになる。

また、今の天皇はともかく明治憲法下太平洋戦争の最高司令官であった「昭和天皇」の戦争責任は竹内がのんびり語るほど悠長な問題だったのか。竹内の本音はこれに次ぐ文章で完成を見る。

「天皇への人々のまなざしは理屈で割り切れない感情という側面があった。日本には、主体的に自分の頭で考える理念があまりなかった」

「日本には、主体的に自分の頭で考える理念があまりなかった」と仰せられるが、かなり覚悟をして腹を括らなければ吐けない挑発的発言だ。これを読んで民族派右翼の諸君は立腹しないだろうか。「昔の日本人は馬鹿だった」と言っているのに等しい。これこそ本来的な意味で「自虐史観」じゃないのか。また「天皇へのまなざし」は明治維新以降天皇が「現人神」との強制に基づくものであるという事実への視点が竹内には決定的に欠如している。「天皇制」は自然現象ではない。「富国強兵」を進めようとした明治政府が方便として持ち出した「神話」を根拠とする「国家宗教」だったことは誰でも知っている。いわば国家的カルトだ。

「理屈で割り切れない感情」などと竹内はお気楽に解釈するが、反抗すれば命を落としかねない権力構造(三権の長を天皇と定めた明治憲法)と法体系(大逆罪、治安維持法)の中で育ったのが「天皇制」である。実際大逆罪で死刑にされた人間が少なからずいることを竹内は知らないわけではあるまい。「理屈で割り切れない感情」とは敗戦後もその「洗脳」が解けず、後遺症が様々な形で残存してしまった「天皇制PTSD」と言い換えた方がいいのではないか。

竹内によれば「日本は限りなくフラット化する社会になっている」そうだ。所得格差が広がり、差別が平然と横行し、アジア諸国を罵倒する言辞が横行するこの時代。「反日」という言葉(「非国民」と言い換えられる)が若者の間にもあふれる時代が「フラット化する社会になっている」らしい。

合掌

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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1.17と3.11は忘れない──鹿砦社の震災・原発書籍

 

大学に進学する学生に学習意欲があろうがなかろうが、大学が学生の「学ぶ権利」を奪ってはいけない。が、近年は少なくなったものの大規模大学や学生数の多い学部を持つ大学では、時に大学側から学生の「学ぶ権利」を奪うに等しい「ズル」が行われる。

教室の収容定員を大幅に超える履修者を配置すると学生の意欲は短期間で低下する。やかましくて講義を聴くどころではなくなるからだ。私は学生として、また大学職員としてこの「定員オーバー」講義に直面した。職員の立場からすれば、大学側が言い訳をしたくなるケースもない訳はない。選択科目で予想をはるかに超える履修者が偏ってしまい、他に使える教室がない場合はやむを得ず「定員オーバー」の教室を配当することしかできない。学生には申し訳ないと思いつつも他に手の打ちようがない。

◆定員オーバーの教室で「講義を静かに聞け」の無茶矛盾

だが逆もある。悪質なのは最初から履修者数が教室の定員を上回ることを承知で、しかも「必修科目」(卒要するためには必ず取得しておかなければならない科目)を「定員オーバー」の教室にあてがう行為だ。「必修科目」は1年次に配置されていることが多いので、入学間もない学生は真面目に教室へ足を運ぶ。そこには出勤時間の満員電車のような混雑が待ち受けている。詰めて座っても到底全員は席に就けない。それどころか立ち見の学生も同じ場所に立っているのがままならず体がぶつかり合う。

そんな状況で「講義を静かに聞け」と要求するほうが無茶だ。またどうあろうとも教室に収まらない学生の講義を担当させられた教員も気の毒と言えなくもないけれども、やはり被害者は学生である。

私の学んだ学部は「社会学」と「心理学」が1年次の「必修科目」だった。収容定員300名の教室に400名以上の学生が詰め込まれた。もっとも「必修科目」と言っても毎回の出席が取られるわけではなく「試験だけ通れば単位が取れる」と学生達が知るに従い教室の混雑は解消されていくのであるが、「全員学ぶように!」と大学が決めておきながら、まともに学べる環境を意図的に提供しなかった大学の姿勢は褒められたものではない。

◆学生の私を幻滅させた「心理学」「社会学」大講義のお粗末さ

しかもだ。その講義の内容が見事にお粗末だった。

まだ真面目な学生だった私は「心理学」、「社会学」とも初回から最終回まで欠かさず出席した。両科目とも前期と後期を別の教員が担当する形式だったが忘れられない教員が2人いる。「心理学」の前期担当で元少年刑務所の所長などを歴任していた高橋某(正しい名前は失念)という男と、後期「社会学」の竹内洋だ。

前置きが長くなったが、本音を明かすとこの二人の批判を書きたくてウズウズしていたのだ。だが彼らの講義がどんな状況下で行われたかも知っておいて頂きたかった。メインターゲットは竹内なのだが竹内は今日に至るも言論活動を続けている。竹内は近く徹底的に叩くこととして、名前を出したから高橋某の事に触れておこう。

高橋はヒステリックだった。初回講義で教室に入って来るなり「うるさーい!、だまれー!」と叫んでから講義を始めた。確かに教室はうるさい、というよりも押し合いへし合いだからざわついている。でもそれは学生の責任ではない。文句があるなら彼は教授会で問題を指摘すべきだった。怒鳴りつけられた学生の方が「なんでやねん」という気分だった。こんなに受講生がいるのであれば、クラスを2つに分けるなり時間をずらして同じ講義をするなりの対応を何故とらないのか、とやや腹立たしかったことだけは記憶している。

高橋の講義を聴き彼の素振りを見て、行政機関上がりの心理学者の権威主義ぶりと、ゆがんだ人間性を思い知った。講義を進めながら高橋は周期的に「うるさーい!、だまれー!」と叫ぶ。その言葉以外は決して喧騒を咎める言葉を口にしない。「話したいんだったら教室の外で話せ」とか「静かにしなさい」だとか言い回しは他にもありそうなものだが、十数分毎に突然発作のように「うるさーい!、だまれー!」と叫んだあとはまた何事もなかったかのように淡々と話を続けていくのだ。同じ言葉を叫ぶことが彼にとってはカタルシスになっていたのだろうか。精神科医に診せれば何らかの病名がついたことだろう。

◆自慢話と勘違いばかりの「心理学」講義が学生を絶望に誘う

高橋には自慢話があった。歴史的政治テロ事件として有名な社会党党首浅沼稲次郎が講演中に刺殺された事件の犯人、山口二矢(おとや)が逮捕された後、高橋が所長を務める東京少年鑑別所に送られてきたそうだ(匿名報道の観点から山口の名前の扱いにつては議論があろうが、もう有名なので実名にしておく)。大江健三郎が山口を主人公に描いた「セブンティーン」は高校時代に読んでいたので、この時は珍しく高橋の話に興味がわいた。

高橋は「こういう事件を起こした少年は自殺をする傾向があるから注意深く見守っておくように」と部下に指示を出したそうだ。だがご承知の通り山口は首を吊って自殺してしまっている。不思議なことに高橋は山口の自殺を防止できなかったことを少しも後悔していなかった。それどころか「自分は適切な指示を出したのに、現場の人間が不出来だった」と語り「どうだ、私は人を見抜く力があるだろう!」とばかりに神経質そうな顔をこの時ばかりはにやつかせ、眼鏡をかけた痩身が教壇の上で胸をはった。何という神経の持ち主か。こんな性格の人間が所長を務める少年鑑別所の中の地獄模様を想起せずにはいられなかった。

また高橋は「毎日5合ほど酒を飲んでいると必ず目の前に虫が飛ぶような幻覚を見るようになる」と頻繁に口にしていた。左党に聞かせたら「何をあほゆうとんねん」と一蹴されるだろうが高橋はそう信じていた。高橋は下戸だったのだろう。もしくは酒に絡んだ嫌な思い出があったのか。

どちらにしても、学生の学習意欲を削ぐために準備されたのではないか、と訝らざるを得ない教員と教室環境だった。高橋の講義を聞いて「心理学」に幻滅した学生は少なくなかったろう。「心理学」だけでなく「大学」そのものへの絶望を誘うに十分な「必須科目」であった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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