新年を迎えると、誰もが心を新たに今年の目標や誓いを立てる。志望校への合格、就活の成功、結婚、妊娠、商売繁盛、禁煙、ダイエット……。定める目標、誓いは人それぞれだろうが、おそらくは人生で残された時間が短いという意識が強い人ほど、定めた目標や誓いを実現したい思いは強いのではないだろうか。

事件現場の国松長官が住んでいたマンション。長官は出勤のために出てきたところを狙撃された。

そんな話を持ち出したのは、ある高齢の男性受刑者の悲願が今年こそ叶って欲しいと他人事ながら思っているためだ。中村泰(ひろし)という。現在84歳。あの歴史的未解決事件、国松孝次警察庁長官狙撃事件の「真犯人」とめされる男である。

1995年3月、地下鉄サリン事件の10日後に発生したこの事件では、捜査を主導した警視庁の公安部がオウム真理教の犯行を執拗に疑い続けた一方で、刑事部は中村を本命視していたと伝えられている。中村は別件の現金輸送車襲撃事件の容疑で身柄拘束中、国松長官狙撃事件の犯行を詳細に自白。さらに獄中にいながらマスコミの取材を受け入れ、自分が国松長官を撃った真犯人だと認めたに等しい証言を重ねていた。だが結局、警視庁は中村の逮捕に踏み切らず、2010年3月に時効が成立した。

筆者は一昨年の秋頃、岐阜刑務所で無期懲役刑に服している中村に取材を申し込み、手紙のやりとりをさせてもらうようになった。この間、中村の証言に基づいて関係現場の状況も検証し、やはり中村は国松長官を狙撃した真犯人なのだろうという思いを強めている。

◆医療施設で闘病中

中村によると、国松長官の狙撃を企てたきっかけは、地下鉄サリン事件発生後、オウム真理教の捜査に及び腰だった警察に業を煮やしたことだった。オウム信者の犯行を装って警察組織のトップを狙撃すれば、警察はオウム制圧に動くと考えたという。中村は元々武力革命を志向する人物で、実際に長年そういう活動もしていた。

ただ、国松長官を狙撃後、警察が自分の予想以上に奮起してオウムを制圧したのをうけ、中村は身を挺して実行し、大成功した作戦が人知れず消えていくのを残念に思う気持ちになったという。それが、犯行を告白するに至った理由なのだそうだ。

そんな中村の悲願とは、言うまでもなく自分のことを国松長官狙撃事件の犯人だと世間に広く知らしめることだ。そのために中村はマスコミとの接触を続けた。昨年8月、取材協力したテレビ朝日の「世紀の瞬間&日本の未解決事件スペシャル」という特番で真犯人同然の扱いを受けた際にはとても嬉しそうだった。だが、実を言うと、現在は心配な状況にある。中村は病に冒され、移送された医療施設で闘病中なのである。

その連絡は昨年12月中旬、代理人の弁護士を通じてもたらされたのだが、中村は闘病中であることと共に「このような事情で取り込み中ですので、年賀のご挨拶は失礼いたします」ということまで律儀にことづけてくれた。事件は3月30日で発生20年を迎えるが、中村がそんな人間味のある人物だからこそ、筆者は願わずにいられないのだ。中村が命あるうちに少しでも多くの人に国松長官を撃った「真犯人」だと認知されて欲しい、と。

▼片岡健(かたおか けん)1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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