文科省は1月19日、公立小中学校の統廃合に関する手引き案を公表した。小学校は6学級以下、中学校は3学級以下で統廃合するかどうかの判断を自治体に求めるという。
このコラムでは日頃、大学の問題を中心に論じているが、少子高齢化は当然初等教育にも大きな影響を与えている。紹介した文科省の手引き案で言われる所の、小学校6学級とは、1学年に1クラスしか構成できない児童数を意味する。
◆児童数が激減する大都市郊外の巨大ニュータウン
都市集中で過疎地や限界集落にはそのような小学校があろうとぼんやり考えていたが、意外な場所にも児童数激減小学校があった。
それは多摩(東京)、千里(大阪)、高蔵寺(愛知)などの「ニュータウン」と呼ばれる地域だ。ニュータウンはこの3つに限ったわけではなく、全国に規模の大小はあれ、点在する。
そこで今、凄まじい人口減少が進行している。その結果ニュータウン内の小学校は児童数が激減し、既に廃校になった小学校も出てきた。ニュータウンはかつての住宅年整備公団が開発運営をしていたが、賃貸の団地が地域の多数を占める。
大規模ニュータウンの開発は1960年代終盤から始まり、全盛期にはニュータウンだけで、市が構成できる程の人口が溢れていた。小学校は1学年5クラス、6クラスは当たり前で、それでも児童を収容出来ない小学校が続出し、運動場の隅や校舎の間にプレハブ校舎が建てられた。
当然いつまでもそんな環境で子供に勉強させるわけには行かないから、新しい小学校が開校する。そうやってニュータウンは人口減など想像もせずに学校を増やしていった。
しかし、居住面積の割に高額な家賃、また設備の老朽化などが嫌われ、バブル辺りから団地には空室が目立ち始める。その後も人口減少に歯止めがかからず、現在は最盛期の4割程の居住者しかいない団地も珍しくない。当然、子供の数も大幅に減る。
◆3000名近くいた児童数が300名以下に激減!
私自身が数年間通ったニュータウンの小学校は当時1学年最低5クラスあり、総児童数は1000名を超えていた。だが昨日調べてみたら、なんと2年前に児童数減少で閉校していた。お隣の小学校に吸収されたようだが、それでもようやく各学年2クラス維持できる児童数しかいないようだ。
かつて2つの小学校で3000名近くいた児童が今では300名もいないわけだ。少数精鋭で教育できると言うプラス面もあろうが 、あまりに急激な人口の増減である。
小学校は児童数が減っても、教育ができないわけではない。でも街としてのニュータウンはもう限界近いだろう。空室だらけの団地は気持ちのいいものではない。安全面からも問題が多いだろう。
ニュータウンへ引っ越した後、幼ごころに感じたものだ。
山を切り開きコンクリートの団地を立てた地面からは、土地のすすり泣きが、切り開いた山に再度植えらえた街路樹からは、動物園の檻の中にいる飽きらめきった動物の哀愁のようなくぐもった声が。
新興住宅街とはそんなもんだよ、と思われるかもしれないが、ニュータウンの無機質ぶりは、人が長く住めるそれではなかった。結局、私の通った小学校は42年で閉校したそうだ。ニュータウンも人口減と高齢化が進展し、かつての新しい街が過疎化に苦しんでいる。
人間の歴史は400万年位らしい。あちこち移動しながら住みやすい場所に落ち着いていったのだろう。落ち着くにあたっては試行錯誤があったのだろう。何も古い街が優れていると言いたいのではない。古い街にだって過疎は起きているし、高齢化は全国的現象だ。ただニュータウンは余りにも乱暴をしすぎた為に街自体の寿命が極端に短かったのだろう。
利便性や経済性への配慮はあっても、人間の営みヘの視点が欠けていた。
それは今日我々の生活に通底することでもある。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ
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