もうだいぶ前の話になるけれども、仕事の関係で半年間ほど外務省と「喧嘩」をしたことがある。まだ当時の日本が余り関係を持ちたくない人物についての案件で、それまで顔を合わせた事のなかった「外務官僚」と何度も交渉する機会を得た。私の相手をしてくれた主たる人々は一人を除いて東大卒のエリート(残りの一人は京大卒)だった。皆さん私よりも幾つか年上ではあったけれども、世代が違うというほどに離れてはいなかった。
◆「チャイナスクール」は実在する
たまたまか、あるいは必然だったのかその方々は全員「チャイナスクール」系列の方々だった。「チャイナスクール」とは外務省入省後2-3年程度語学研修を主として中国に滞在した経験のある人々を意味する。彼らのほとんどは語学力だけでなく「政治的」思考の影響も受けて帰国し任務にあたる、と産経新聞あたりは決めつけている。でも、「チャイナスクール」出身者の多くはその後米国、若しくは英国で同様の期間研修兼、実務を経験する。
最初の交渉相手は外務省の某課、課長補佐だった。電話でアポを取り、関西から外務省に向かうとパーテーション区切られた打ち合わせスペースに案内された。分厚い近眼メガネをかけた課長補佐氏が出てきた。名刺を交換し、こちらの相談、依頼事項を告げると表情を変えずに「少しお待ちください」といってどっかに消えていった。近眼メガネ氏はもう一人少し下腹が出た人間と共に戻ってきた。彼がその課の課長だった。彼の年齢を今から考えれば40前後であるから、出世する中央官庁のエリートは、本当に飛び石のように階段を上がっていく。
「お話は承りました。こちらの要請に沿って進めて頂ければ、何とかならないことはないです。でもお願いしなければいけない内容がかなり多いですよ。クリアできますか?」
口調は丁寧だが、こちらを試していることは明らかで、しかも舐めきっている。私も外務省に出かけるのにアロハシャツとジーンズという姿で訪問しているので、舐められても仕方がなかったのかもしれないが、私自身というよりは私の勤務先である大学の力量を軽視した発言としか取れなかった。
「なにぶん経験もありませんし、ご指示やご指導には全て従うつもりですからよろしくお願いいたします」
としか言い返すことが出来なかった。
かくして、半年間の「喧嘩」が始まった。
◆言いがかりに近いような難題半年間の「喧嘩」
私たちが画策していたのは中国が敵視するある有名な仏教指導者を大学に招こうという計画だった。
「チャイナスクール」は実在するんだなー。と思い知らされたのは「喧嘩」の最中ではない。当初の「通告」通り課長補佐、課長氏はこれでもかこれでもか、と無理難題を投げかけてきた。こちらは意地になるから彼らの出す難問にも何とか準備をして答えた。それでもまた言いがかりに近いような難題を押し付けてくる。ある時私は我慢が限界を超えた。
「わかりました。今からお伺いして詳細を説明しますよ。いいですよね」
そう電話越しに伝えると、日常業務を同僚に頼み新幹線へ急いだ。外務省に着くと近眼メガネ氏が応対に出てきた。
「Aさん。ご要請には全て応じていますけど、今日の話は嫌がらせですよね」
「心外ですね。そんな言われ方をすると。我々はあくまで我が国の外交戦略に基づいてお願いをしているだけですよ」
「何言ってるんですか!それなら前に提出した計画書に全て網羅されているでしょ。え!だいたい貴方たちのような世間知らずの官僚は自分が国を動かしていると勘違いしてますよ。その分厚い眼鏡!鏡で見たことありますか!そういう姿と物言いを『官僚的』と言うんだ!わかりますか!」
私は怒鳴りはしなかったけど、少し大きな声で彼に食って掛かかった。話の内容はともかく自分の容姿や物言いを批判されたのはA氏にとっては驚きだったようだ。
その後「喧嘩」が終わるとA氏も、課長氏も仕事としてではなく、個人として打ち解けて付き合ってくれるようになった。
◆「日本人には国民としての自覚がない」という官僚A氏の価値観
後年、たまたま上京中に時間が空いたのでふとA氏のことを思い出し、電話をしてみると時間を割くから会いに来ないかと言ってくれた。
霞が関のあるビルでA氏に会ったのは初体面から10年近く経っていた。でもA氏どこか以前と印象が違う。
「お元気そうですね、それにお若くなられたようですけど」
「ええ、田所さんに『その眼鏡姿が官僚的』と言われたのがショックで、レーシック手術を受けたんですよ。眼鏡要らなくなりました」
「(えええ!)」
今は思い出した順番に事実を書いているので「その眼鏡!」と私が言ったと書けるが、実はその日A氏から指摘されるまで長年忘れていたことだった。手術を受けさせるほどショッキングなことを言ったのか反省とをした。
彼は外務省からの出向で官庁の中でも中枢部にいた。
「いやー日本の国民は分かりませんね」
「どういうことですか」
これ以上の内容を詳述すると現在彼の所属が分かってしまうので内容は曖昧にするが要は、「日本人には国民としての自覚がない」、「中国や米国の方が国家としては優れている。国民の意識もそうだ」、「時々日本人として恥ずかしくなる」・・・と言う愚痴だった。
A氏は勿論右翼ではないし、左翼でもない。米国が優れていると言い、中国も優れているという。うーん?米国と中国はあらゆる意味で随分違うように思えるのだけれども、A氏の頭の中では両方評価に値する国だという。
「体制は違いますよ。でもね、中国も、アメリカも国民が国に誇りを持っているんです」
そうか、それはそうなのかもしれない(私は同意しないけども)。A氏の価値観においては、国のあり様ではなく、「国民がどれほど国民であることを自覚しているか」が尺度となっていると分かった。
この不可思議な感覚は今某国で大使を務めている元課長氏にも聞いたことがあった。
「国民が国民である意識」
A氏の事も、元課長も人間としては嫌いじゃないけども、やはりこの考えに私は馴染めない。要は「国家主義」の言いかえではないだろうか。この2人に限らず外務省に勤務する人からは何度か同じニュアンスの話を聞いた。
私と彼ら。仲良くしてもらっても考え方の乖離は埋められそうにない。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ
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