4月7日午後6時30分から、鹿砦社が主催しての『月刊「紙の爆弾」創刊10周年記念の集い』が東京・水道橋のたんぽぽ舎で催された。一般の読者の方も参加し、90人を超える参加者たちで会場は熱気にあふれていた。

中川志大「紙の爆弾」編集長

中川志大「紙の爆弾」編集長

冒頭、この10年をふりかえって中川志大編集長がこう話した。

「創刊から一貫して約束していることは、『自粛をしない』ということです。松岡社長の逮捕が創刊直後(2005年7月12日)にあり、さまざまな方に助けていただいてやめるにやめられなくなりました。助けていただいた方に感謝していますし、これからも雑誌の方向性として『自粛していかない』というスタンスをとりたいと思います」

◆「コンビニに置いてもらえるように部数増を!」(ミサオ・レッドウルフさん)

また、この日のメインゲストである反原発活動家のミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)は、反原発活動の現状をつぶさに語る。とりわけ、出版関係者が多いからか、「メディアと運動論」という話になっていく。

ミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)

ミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)

「インターネットの使いかたがこれから大切になってきます。みんながメディアになれるので、誹謗中傷だけしている人もいれば、まっとうな意見もある。これからネットは改革しだいでテレビや新聞を超えるメディアになっていく可能性があります。使いかたしだいでは、おもしろいと思うのです。自分たちでは、何もできないことがある。みんなで声をあげていくことが大切なのです。一番、大切なのは『意志の力』です。それと、いつも思うのは、新聞などで選挙前に『どの党を支持していますか』と聞く世論調査を止めてほしい。あれこそ誘導だと思います。あれで(多勢に無勢と)諦めて選挙に行かないという人が増えていると思います」

また「NHKはダメだ、などメディアをひとくくりにしてはいけないと思う。大手の新聞記者なども隙間を縫ってなんとか反原発について書こうとしている人もいる」とした。さらに『紙の爆弾』については「なんとかコンビニエンスストアに置いてもらえるように部数増を」とエールを飛ばしてくれ、喝采が起きた。

◆「事件を乗り越えて、鹿砦社も『紙の爆弾』もむしろ元気になった」(松岡利康社長)

松岡利康鹿砦社社長

この日、鹿砦社の苦境を支えた業界人や弁護士、ライター、印刷業者などたくさんの心ある方が集まっていたが挨拶にたった松岡利康社長は、

「私が逮捕されるという事件がなければ、今『紙の爆弾』はなかったかもしれない。あの事件を乗り越えて、鹿砦社も『紙の爆弾』もむしろ元気になった。今『紙の爆弾』から派生している反原発雑誌『NO NUKES voice』も一層の充実を図っていきたい。あんな事件を起こして、なおかつ再稼働させようというのは常識外だし、子供を安心してプールで泳がせることもできない事態にしてはいけない』と気を吐いた。

また、レッドウルフさんの講演が終わってから、鹿砦社を支えた人たち、鈴木邦男さんや、元赤軍派議長の塩見孝也さん、ライターの板坂剛さんや星野陽平さんなどが次々とスピーチを述べていた。

◆10年前の7月12日──「これは不当逮捕だ」と直感した

鹿砦社を支える人たちに囲まれつつも、僕は2005年7月12日を思い出していた。

「松岡社長が逮捕されたみたいよ」と、テレビのニュースを見て妻が僕に伝えたのは午前10時を少し回ったくらいだった。

いくつか原稿を受注していたので、中川編集長にあわてて電話したが、あとで聞くと検察が東京支社に来ていたせいか、なかなか繋がらず、ようやく11時30分頃、「大丈夫ですか」と聞くと「ありがとうございます。とりあえず状況が把握できていないのであらためてお伝えします」という答えが返ってきた。

様々な情報をかき集めると、パチンコ会社のアルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)、プロ野球チーム・阪神タイガースの元職員を中傷したというのが容疑の内容で、名誉毀損で逮捕された、という。

憲法21条には「表現の自由」が定められており、日本ほど言論の自由が保障される国家はないと信じてきた僕は、少なくとも直感的に「これは不当逮捕だ」と感じた。『紙の爆弾』が創刊された頃、メディアの訴訟は名誉毀損で基準が300万円となっており、これもメディアが萎縮する原因となっていた。僕自身は、「なんでも書いていい」というスタンスの『紙の爆弾』に、濁流の中に立てた旗のごとく佇む「孤立性と強さ」を感じていた。その姿は、「今が潮時」とさっさと休刊した『噂の真相』とは対称的だった。ただし、僕自身は、何度も『噂の真相』を引き継ぎたいと岡留氏に談判していたが。

その『噂の真相』の岡留編集長も(すでにリタイヤしていたが)「これは不当逮捕である」と松岡社長の逮捕時にテレビでコメントを出した。

◆「戦う意志の集積」としての言論メディアへと変貌していった『紙の爆弾』

1審の神戸地裁は松岡社長に「懲役1年2カ月、執行猶予4年」の有罪判決を言い渡している。松岡社長側は「この裁判は無罪でなければ意味がない」として直ちに控訴した。

こうした間『紙の爆弾』は単なる「タブーなきスキャンダルマガジン」ではなく「鹿砦社として戦う意志の集積」としての言論メディアへと変貌を遂げていった。

逮捕直後、「いつギャラが出るかわかりませんよ」と中川編集長はライターたちに告げた。鹿砦社は経営的にも煮詰まり、いつ再び前進するかわからぬ暗礁に乗り上げたのだ。このとき「それでもかまわない」とした人たちが、今、鹿砦社を支える人たちとなった。

僕自身も「ギャラなんかいつでもかまいませんよ」と返答した。払ってもらうにこしたことはないのでやせ我慢だ。ただ、「このままわけがわからない権力なるものに負ける」ということは、今後も言論が制限される可能性を示す。鹿砦社の戦いは、他人ごとではなかったのだ。もちろん、僕は中川編集長や松岡社長ほどの苦労は浴びていないが。

◆「人を嵌めようとすると自らも嵌められる」(松岡利康社長)

「ふざけるなよ。鹿砦社とかかわってとんでもない目にあったよ」と吹聴するふざけた輩もいた。今、思えばこのとき去っていった人たちは、業界そのものから軒並み姿を消した。そんなものだろうと思う。

「雨天の友」こそ、味方としてそばに置くべきなのだ。そしてあの逮捕は「本物」を洗い出したのだ。

あの2005年7月12日に松岡利康社長を取り調べた大坪弘道 は、後に大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件において、懲戒免職となり、大阪地裁は大坪に懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡している。また、手錠をかけた宮本健志(たけし)・徳島地検次席検事 は深夜に酔っ払って市民の車を蹴り戒告処分を受けた。

鹿砦社を追い詰めたかに見える悪徳パチンコ業者のユニバーサルエンタテイメント(旧アルゼ)はフィリピンのカジノにおける賄賂問題でFBIの追及を受けている

松岡社長は「人をはめようとすると自らもはめられる」と語る。因果応報とは、彼らのためにあるような言葉だ。

鹿砦社は事件を乗り越えて「蘇生」したのだ。その象徴が、『紙の爆弾』なのである。(小林俊之)

◎『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在

◎反原発の連帯──来年4月、電力は自由化され、電力会社を選べるようになる

◎追跡せよ!731部隊の功罪──「731部隊最後の裁判」を傍聴して

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小学校、中学校、高校で教師として教壇に立つためには「教員免許」を取得していなければならない。幼稚園や保育園は地域により「幼児園」への統合の動きがあるが、やはり「幼稚園教諭」や「保育士」といった資格を保持していることが条件となる。「教員免許」はあくまで「資格」であり、それを取得したからといって教師や保母の職場が約束されるわけではなく、採用試験を受験して合格しなければ職には就けない。

このように教壇に立ったり幼児教育にかかわるには「教員免許」が必要だが唯一例外的に「教員免許」がなくとも教鞭をとることができる教育機関がある。
大学(短期大学も含む)である。

◆「大学教員免許」は存在しない

例外的に、大学(新設の大学を含む)が新しい学部や学科を設立する際には文科省による「認可」を受けなければならず、その際には施設、財政計画、教員の資質などが審査されるため、担当予定の科目に相応しい学問的業績や研究成果がある人物であるかどうかが見極められる。

文科省(実際は文科省が委嘱する諮問委員会)から研究業績不足などを指摘されると就任予定であった人物を入れ替えなければならない場合もある。このように新設大学や新設学部の教員として働くためには「例外的」に「外部の目」により審査を受けることになるが、大学は設置後4年(短期大学は2年)を経過すると「完成年度」と呼ばれる「文科省からの厳しい監視下」を外れるので、教員の採用なども 大学独自の判断で行うことができるようになる。

「大学教員免許」は存在しないから、大学は極端に言えば「誰を」採用してもよい。近年は博士号取得者の増加により、「学位」(博士、修士)重視の傾向が顕著だが、それでもある分野で秀でた仕事をしていると認められたり、あるいは世に名の知れる仕事をなしたりした人で「学位」のない人が大学教員に就任することはある。東大名誉教授で建築家の安藤忠雄氏は工業高校卒業で大学を出てはいないし、大阪芸術大学芸術計画学科教授で元マラソンランナーの増田明美氏も最終学歴は高校卒だ。

安藤氏のように建築家として十分に名前が売れた後に大学からお声がかかるケースと、増田氏のように専門領域というよりは単に「知名度」から就任にいたるケースもある。

◆問題が多い「公募」という名の「出来レース」採用教員たち

前述のとおり近年通常のルートで大学教員を目指せば、一定以上レベルの大学では「博士号」がほぼ必須という時代に突入し、教員を目指す方々にとっては非常に厳しい時代である。が、時折不思議な人事を目にすることがある。

多くの大学は教員採用にあたり、応募者の学位(博士、修士、学士、あるいは学位「ナシ」)、研究業績、教歴(過去教鞭をとった実績)など総合的に判断し採用を決める。有名大学であれば教員募集をかけると100名近くが応募して来ることも珍しくはないが、何故にこの人が採用されたのかと首をかしげるケースがある。

そのようなケースのほとんどは「公募」の形を取りながら、実は採用する大学が内々に最初から採用予定者を予め決めている「出来レース」である。そこで採用される人物はその他の一般応募者に比べて業績や教歴で見劣りしていても、なんだかんだ理由をつけて採用される。わかりやすく言えば「縁故採用」のようなものだ。

企業でも「縁故採用」された人間にまともな奴がいないのと同様、大学教員でも「縁故採用」で職を得た人間はほとんどといっていいほど、その後研究者として業績が伸びないし、学生の指導についても問題を発生させることが多い。

もとから学者としての能力がそれほど高くないので、学内政治に熱心だったり、誰でも金さえ払えば加入できる「学会」に数多く所属して「見栄え」は取り繕おうとする。でも肝心な研究者としての質がいつまでたっても成長してこない。こんな教員をあてがわれた学生は不幸としか言いようがない。

私は大学教員に「資格」を設けていないことは良い事であると考える。「資格」といった画一的な基準ではなく大学個々の哲学や姿勢が教員採用の実態で明らかになるので、内実を評価しやすいからだ。それに「学位」取得者は確かに相応の努力と専門知識を身につけているけれども米国の私学などでは金さえ払えば「博士号」を気軽に出してくれる大学はいくらでもあるという事情もある。

◆文科省選定の「スーパーグローバル大学」=「独り立ち」出来ていない大学

教育機関(とりわけ高等教育機関)は行政からの縛りが少ないにこしたことはない。文科省が教育内容に嘴を突っ込んでろくな結果が出たためしがない。最近では懲りもせずに「スーパーグローバル大学」の選定に熱心なようだが「スーパーグローバル」といった「間違った英語」を冠した文科省の施策に乗じようとせっせと努力する大学は、本質的に「独り立ち」出来ていない大学「独り立ち」出来ていない大学と言っていいだろう。

教員も大学も個性豊かで多様な方がいい。パソコンとスマートホンが学生の生活を1日何時間も拘束する時代においては、せめて人間には多様性があることを示した方がためになるだろう。だから「大学教員免許」がないことを私は歓迎する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎関西大で小出裕章、浅野健一、松岡利康らによる特別講義が今春開講!
◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」
◎不良と愛国──中曽根康弘さえ否定する三原じゅん子の「八紘一宇」
◎恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている

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4月2日、ケニアではアルカイダ系とされる「アルシャバーブ」の襲撃を受け大学で148人もの犠牲者が出る凄惨な事件が起きた。

国連安保理事会では4日イエメン情勢を巡り、非公開の緊急会合が開かれた。首都サヌアなどを占拠するイスラム教シーア派の武装組織「フーシ派」への、サウジアラビアなどによる空爆の停止などについて討議が行われた。イエメンでは、フーシ派の武力攻勢でハディ暫定大統領が出国する事態に陥り、サウジアラビアなど周辺10カ国の有志連合軍が先月下旬からフーシ派への空爆を開始する一方、フーシ派を支援してきたイランが攻撃の即時中止を求めるなど混乱が続いている。

◆チュニジア、シリア、パレスチナ──実態以上に混乱している理解力

3月18日には、チュニジアの首都チュニスで国立博物館が襲撃され、日本人3人を含む外国人観光客など21人が殺害される事件が起こった。

日本人の負傷者の中には自衛官がいたことが後に明らかになり問題視されたこの事件、現場で射殺された2人の実行犯はチュニジア人、26歳と20歳の若者で2人はアルカイダ系のイスラム過激派組織「チュニジアのアンサール・シャリーア」の中でも、最も過激なグループに属していたとみられている。チュニジア政府は事件後複数の外国人を含む23人を事件の容疑者として逮捕している。

チュニジアは「アラブの春の数少ない成功例」とも言われ、政変が起こった国の中では治安も安定しており、2月には世俗派政党からイスラム系政党も加わった挙国連立内閣が成立し、政権の形態としても安定を迎えているはずだった。

一方シリアでは4月5日現在、ダマス近郊のヤルム―ク・キャンプで、イスラム国(IS)対パレスチナ勢力と反政府軍の攻防が続いているが、シリアからの消息筋によるとイスラム国(IS)がキャンプの90%を占拠していると報じられている。同じく消息筋はシリア空軍機がヤルムークキャンプに複数回の空爆を行い、住民に死傷者が多数出ていると報じている。

他方、パレスチナ大統領府は同キャンプでの戦闘停止のために、国際社会、アラブ社会、国際機関と接触して、働きかけていると表明した。大統領府は、「パレスチナの立場はシリア内戦に不介入と言うことで一貫しており、パレスチナ人を紛争に引きづり込んではならないと語った」ということだ。

◆ISの後ろ盾はイスラエル?──俯瞰できない「イスラム国」をめぐる各地の政情

私はこれらの国々の混乱を前にして、「大義」や「正義」とは何かが改めて解らなくなっている。おそらく報道している方々もそうではないだろうか。正直なところ俯瞰が出来ないのだ。ことにシリア情勢は混乱の極みだ。イスラム国は文字通りイスラム信仰のはずなのにパレスチナ勢力と交戦してる。パレスチナはイスラエルから散々いじめられ続けている「悲劇」の国ではなかっいたのか。

「過激過ぎる」と避難される「イスラム国」の後ろ盾にはイスラエルがいるとの情報にはあちこちで接する。イスラム教徒にとって許すことのできないはずのイスラエルがこともあろうに「イスラム国」を援助しているのが事実だとすればその真意は何だろう。

シリア政府は国連から散々非難を浴び、米国から空爆を受けその残虐振りが伝えられているけれども、反政府勢力とパレスチナ勢力は必ずしも友好的ではないらしい。

有志連合各国はその名の通り「有志」に過ぎず正式な軍事同盟ではないから、この混乱ぶりを前に抜け出す国も出てくるのではないだろうか。

◆「知ること」を怠り、ただ「忘れていく」だけの日本社会

日本人人質がイラクで殺害された事件がもう遠い昔のように、次々と局面が転換してゆく。「イスラム国」は絶対悪だと声を揃えて非難をしていた報道も、このような混乱を前に声のトーンが落ちて来た。

中東やアフリカで起こっている数々の襲撃事件や交戦は確かに悲惨極まりない。そのすべてが「テロ」である。

だから我々はもう一度考え直す必要はないだろうか「テロとの戦い」、「テロは絶対に許さない」という言葉がぜんたいどれほどの意味をもつというのか。2者の対立ではない。伝えられない細かな分派闘争も現地ではあるだあろう。そんな状況に向かって「テロは許さない」という言葉を投げかけることに意味があるのだろうか。シーア派とスンニン派の違い、同じイスラム教を信仰していても民族文化の違いなど私達は事態を正しく理解する知識を持っているだろうか。

◆紛争地帯へ「武装して行く」と言えるほど私たちは世界が分かってはいない

私に言えることは「私たちはこれらの紛争地帯へ武装して行くなどと言えるほど世界が分かってはいない。仮に出しゃばれば混乱を悪化させるか、不要にまきこまれるだけではないか」ということのみだ。

その態度を「弱気だ、国際社会に対して無責任だ」と言われても構わない。責任を取って自体を収束させる処方箋を持つ !と自負する国が腹を据えて首を突っ込めばいい。そういう国は「有志連合」に既に参加している。勇ましさよりも、慎ましやかさが賢明な選択肢であることが、国際紛争ではしばしばある。と言ったら日和見主義と誹られるかもしれないけれども、いいじゃないか。「テロ合戦」延長の戦争に加わるよりも──。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎労働者にメリット・ゼロの「残業代ゼロ」法案を強行する「悪の枢軸」企業群
◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常
◎『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在

自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年号発売開始!

 

産経新聞は3月24日の【主張】で「道徳教科化『愛国心』を堂々と育もう」を掲載した。この表題自体、記事の見出しとはいえ、日本語として語感がおかしいが、内容は更に凄まじい。抽象的で論理が一貫していないだけではなく、誰に向けて書いているのかも不案内だ。自分で吠えて満足をしているのか、読者に訴えたいのか、あるいは特定の対象がいるのか。新聞の社説としては内容以前に文章の体裁から問題からしてレベルに問題がある。

◆産経新聞は「政府の広報紙」以下の宣伝ビラ

私は産経新聞をまともな新聞であるとは考えていない。出来の悪い歴史改竄主義者と差別者の宣伝ビラのようなものだととらえている。しかし少ない実売部数の割にはネットニュースなどで幅を利かせているので無視はできない。

この際いかにも産経新聞らしいエッセンス満載の【主張】が掲載されたので全文を逐語的に叩かせていただく。産経新聞内にも良心的な記者がいるのかもしれないが、少なくとも下記のような主張を乗せる新聞は「政府の広報紙」以下だ。尚、こんな徒労は出来れば今回限りにしておきたいのが本音である。
(※以下、文頭の「産経」は産経記事引用文、「喝!」が私の見解である)

◆「愛国心」を強制する道徳教育から「多角的」な視点などは生まれはしない

産経 道徳の教科化に対し、相変わらず「価値観の押しつけ」などと反対意見がある。

喝! 当然である。「道徳」の概念は単一ではないのだから国家が義務教育で強制するような性質のものではない。

産経 しかし、道徳は、立場による価値判断の違いを知るなど物事を多角的にみる力を養う。

喝! 物事を多角的にみる力は「価値の強制」によって育成されるものではない。また「愛国心」を強制するような教育から「多角的」な視点などは生まれない。

産経 公共心、愛国心などを否定する偏向教育こそ改め、子供たちの心を捉える指導を工夫したい。

喝! ほら、もう本音が出た。「公共心、愛国心などを否定する偏向教育」の逆は「公共心、愛国心を強制する偏向教育」だ。「公共の理念」ならばいざ知らず、「愛国心」など何故強制されなければならないのか。そもそも「愛」は強制の上に成り立つものなのか。強制しなければ成立しない「愛」などは本来の「愛情」と相いれないじゃないか。さすがに昔のように軍歌を教えて教育勅語を暗記させるわけにはいかないから「子供たちの心を捉える指導を工夫したい」のか。今度はいったいどうやって騙そうとしているのだ?

産経 道徳は、小学校で平成30年度、中学で31年度から教科書を使い、記述式で成績評価が行われる「特別の教科」に格上げされる予定だ。

喝! 勝手に決めるな。迷惑千万だから御免こうむる。

産経 この指導指針となる学習指導要領改定案について文部科学省が意見公募(パブリックコメント)したところ、6千件の意見が寄せられる関心の高さをみせた。賛否の割合は集計されていないが、賛成では「正直、誠実」など徳目を例示した改定案について「分かりやすくてよい」など評価する意見があった。

喝! 組織動員以外は反対意見が多かったのだろう。だから賛否の割合を公開しないのだ。中には賛成意見もあろうが、「分かりやすくてよい」とされた「正直、誠実」など徳目を評価の基準にすれば「嘘つき」で「不誠実」な自公をはじめとする多くの政治家は不合格になるが、それでもいいのか。

産経 一方、反対意見では「偏狭なナショナリズムにつながる」「国の考え方を子供に植え付ける危険性が極めて高い」などの批判があったという。

喝! それ以外に「道徳教科化」の目的があるのであれば教えてほしい。嘘、偽りばかり毎日述べている政治家や文科省の口から出る「道徳」など思想洗脳以外に何の目的があるというのだ

産経 しかしこうした特定の考え方を押しつけるような指導は、教科化を提言した中央教育審議会の答申で、道徳教育とは「対極にある」と明言されたことを知ってほしい。思いやりや正義、公正さなどを教えるのは押しつけではなく、戦後教育に欠けていたことだ。

喝! 中央教育審議会は文科省の意向に沿った答申しか出さない。文科省が隠れ蓑に使っている中教審「答申」が何を「明言」しようと、そんなものが信用できる道理がない。「思いやりや正義、公正さなどを教えるのは押しつけではなく」とある。それはそのとおりだ。根本法である憲法では「思いやり」という言葉自体は用いられていないが「公正と信義」という表現が前文にある。憲法の精神を教育現場で教えることはいわば義務教育の責務であり、それが欠けていたとすれば正されなければならない。但しこの文脈から読み取れるのはそのような批判ではないようだ。産経新聞にとっての「思いやりや正義」主語に「国に対して」がつく「思いやり」や「自己撞着的」な「正義」ではないのか。

産経 改正教育基本法で教育の目標として明示された「国と郷土を愛する態度」も、道徳教科化に伴い重視されているが、「愛国心の押しつけ」と反発がある。だが自国の伝統文化を知らず誇りを持てなければ、他国への尊敬の念も生まれず、国際社会で信頼も得られないだろう。

喝! 改正教育基本法自体が悪意に満ちた悪法だ。前回の安倍政権最大の負の遺産と言ってもいいだろう。またぞろ登場する「国と郷土を愛する態度」などどのような尺度で測るというのだ。「愛する態度がよろしい」、「愛する態度に問題あり」などという馬鹿げた議論や評価は義務教育の場で行われてよいものではない。「自国の伝統文化を知らず誇りを持てなければ」とはとんでもない論理破綻である。

◆日本文化に誇りを持つか否かはあくまで「個」の領域

喝! 産経新聞によると「自国の伝統文化を知れば全員が誇りを持つ」という前提で議論が進められている。勿論日本文化の中に優れた要素はたくさんある。また逆に恥ずべき歴史だってある。それらすべてを知った上で個人がどの程度この国に思いを寄せるかは完全に「内面」の問題であって、いかに親兄弟であっても立ち入ってはならない「個」の領域だ。

さらにその前提がないと「他国への尊敬の念も生まれず、国際社会で信頼も得られないだろう」などと勘違いも甚だしい暴論が展開される。そんなバカなことがあるか。当の産経新聞自体が「日本の歴史文化を充分に理解して他国を尊敬」しているのか。中国や韓国への剥き出しの差別と憎悪を日々誌面に刻んでいる自分の態度をどうやって正当化するのか。

よその国にだって「愛国心」を教育で扱い、あるいは「強制」している国もある。はっきりしていることは「愛国心」を強制しなければいけない国のほとんどは「独裁国家」やそれに近く「自由」の少ない国たちであることだ。民主化が実現され、多様性を認めている国では「愛国心」教育など行われていない。なぜならばそういった国では国家が教育機関で「愛国心」を教えなくとも、多くの国民が自然に自国に好意を抱くからだ。

産経 内閣府の世論調査をみても、「国民の間に『国を愛する』気持ちをもっと育てる必要がある」と考える人は75%と多い。

喝! 恣意的な質問項目によって誘導された数字ではないか、そうでなければ少なくとも調査名くらいは掲載するのが新聞のルールだ(産経新聞に期待しても無理かもしれないけれども)。

産経 これまで学校では、愛国心や公に尽くすことの大切さを教えることを避けてこなかったか。

喝! 「避けて」と表現すると、あたかも卑怯なことをしているかの如き響きだが義務教育の公立学校で、「愛国心や公に尽くすことの大切さを教える」ことなどは間違っても「やってはならない」ことである。この部分の産経新聞の本音を代弁してやろうか。「国のために死ねる国民精神の育成がなされていなかったのではないか」じゃないのか。

産経 先人の偉業だけでなく失敗も含め、社会のために苦闘した物語などを積極的に取り上げ、考えることを通し、育んでいきたい。

喝! こういったことは「道徳」でなく「社会」あるいは「生活」の中で教えればよいことであり、ことさら道徳を教科化する根拠には全くなりえない。

◆「平成男」の小渕でさえ「教育現場で国旗は義務付けられない」と公言していた

産経 意見公募では、道徳の授業を成績評価することについて「教師の求める発言をする子供が増える」など懸念する意見もあった。道徳は教師の資質、指導力が何よりも問われることを肝に銘じ取り組んでほしい。

喝! そんな些末な問題では済まないことはもう実例が証明しているじゃないか。「教師の求める発言をする子供が増える」以前に偏狭な「愛国心」教育を拒否する良心的教師が処罰され、職を追われてゆくだろう。

1999年に成立した国家国旗法審議に当り、当時の首相小渕は国会で以下のように述べていた。

「学校におきましては指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。」

「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。

この答弁によれば教育現場で国旗は義務付けられないはずだし、ましてや君が代を歌わない教師への処罰などないはずだが、現状はどうだ? 子供の教育云々の前に教師が校長から監視され処罰を受けているではないか。小渕の「空手形」は懸念通り完全に反故にされているではないか。

「道徳は教師の資質、指導力が何よりも問われることを肝に銘じ取り組んでほしい」という産経新聞はこの【主張】を小学校の教師に向けて書いているのか。だとしたら思い上がりも甚だしいと言わねばならない。「お前は何様なんだ」と。

部数は少なくともこういった極端な分子を利用しながら権力は更に教育の統制を進めようとしている。道徳教育教科化策動は正にそれを証明している。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎労働者にメリット・ゼロの「残業代ゼロ」法案を強行する「悪の枢軸」企業群
◎「強きを助け、弱きを挫く」で一貫する曽野綾子と産経新聞の差別エネルギー
◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
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◎『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在

自粛しない、潰されない──創刊10周年『紙の爆弾』5月号本日発売!

自粛しない、潰されない──創刊10周年『紙の爆弾』5月号本日発売!

2月10日の本コラムで4月1日から「健康な食事を普及するマーク」が導入されることを紹介した。この制度は販売者が「勝手に」自分の売る商品に「健康な食事マーク」を表示できるという、あまりにも無責任かつ無意味な制度で、消費者に誤解を与えることが必至であることを批判した。

ところが3月22日になって厚生労働省は「基準や認証に関する議論が不足している」との批判をが相次いだのを受け4月からの制度導入を先送りすることを決定した。

ほらみたことか。

しかし導入間近になっての「ドタキャン」だ。弁当会社やコンビニチェーンでは既に「マーク」の印刷などを終え準備してた業者もあろう。

「何やってんだ国は!」と無駄な業務に追いまくられた担当者の恨み節が聞こえてきそうだが、一般の消費者にとっては必ず誤解を生む迷惑以外の何ものでもない「健康マーク」導入が延期されたことは、当たり前とは言え歓迎すべきニュースだ。

◆4月1日実施の「機能性表示食品」は「特定保健用食品」となにが違うのか?

ところが、国が同時に導入を決めていて既に4月1日から実施された同様の制度がある。「機能性表示食品」がそれだ。現在、食品について効果や機能を表示することは原則として認められていない。「健康食品」と呼ばれる類で、国がそれを認めているのは、「特定保健用食品」(トクホ)と「栄養機能食品」だけだ。そこに「機能性表示食品」が加わった。これはいったいどんな代物だろう。

「特定保健用食品」(トクホ)は国の販売許可を得る必要がある。材料や栄養価などの資料を国に提出し、許可を得ないと「トクホ」を名乗ることは出来ない。時間もかかるしメーカーとしては費用もかさむ。一方の栄養機能食品は、国の基準さえ満たせば使えるが、成分ごとに使える文言が決まっている。そこに登場したのが「機能性表示食品」だ。届出制ではあるが、国による個別審査はなく、企業自身の責任で科学的根拠のある機能性を食品に表示できるのが最大の特長とされている。つまり「トクホ」よりも手続きが簡素で、「栄養機能食品」よりも表示の自由度が高い、これまた「あやふや」な制度である。

「○○をたくさん含んでいて、胃腸の働きを良くする効果があると言われています」

といった具合の表現で商品を宣伝することが可能になるらしい。だが、これはあくまで、「健康」に関してだけであり「病気」の治療や予防に効果があるといった表現は認められないようだ。

しかしこの制度も一見「健康」という隠れ蓑を被っていながら、やはり導入の動機は不純なものだ。「栄養機能食品」は安倍政権の成長戦略の一環と位置付けられているのだ。おいおいまた「経済かよ」とげんなりする。

◆成長市場の健康食品分野で許認可や届出制度を増やし、利権を漁る政官癒着

健康食品関連市場は年間売り上げが二兆円ともいわれる成長分野だ。農産物の海外展開も視野に入れたいとの腹黒い思惑で「機能表示制度」制度は、米国の例を参考に導入が決まったのだ。1990年代に同様の緩和を行った米国でサプリメントや健康食品市場が拡大したことを、安倍の取り巻きの誰かあざとい奴が耳打ちしたのだろう。

決して「健康」や「体にいい」ことを真剣に精査しようというのが制度導入の理念ではない。検討委員会の議事録にはあれこれ御託が並べられているけれども、あくまで「売上増加」のためのいわば「広報戦略援助」として同制度が導入されることを私たちは知っておいたほうがよい。

◆新自由主義者は何でも米国のまねをしたがる

新自由主義者は何でも米国のまねをしたがるし、すれば成功すると思っている。しかしそれは勘違いも甚だしい。これも以前、本コラム(粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」)で述べたが、米国には「アメリカ料理」と呼ばれるようなものはない。その代りにスーパーマーケットに行けば夥しい量の缶づめや冷凍食品が売られている。生鮮食品も売られてはいるがバランス良い料理を自分で上手に料理できる人は少ない。

だから肉食に偏りがちで、カロリーを摂取し過ぎ高血圧や肥満が横行するのだ。そこでバランスのとれた栄養を得ようとビタミンやミネラルのサプリメントが80年代前半から売り上げを伸ばし始めた。同時期に健康に良さそうな豆腐など日本食への興味も高まった。そして90年代の制度変更で更にサプリメントの売り上げが上昇した。背景にある食文化が日本とは全く異なるのだ。

「機能性表示食品」は、表示の科学的根拠を示す臨床研究結果や論文を、販売の60日前までに消費者庁に届け出るだけでいい。お手軽な制度だ。「食」に関してこの国は健康や「体に良い」ことよりも明らかに「経済効果」を中心に考えている。

政府の物差しを信じていると健康さえもどうされるかわからない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎制度は作るが責任は取らない厚労省「健康な食事を普及するマーク」の怪
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◎関西大で小出裕章、浅野健一、松岡利康らによる特別講義が今春開講!
◎『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在

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3月21日、午後3時から開催されたアマチュア、セミプロによる総合格闘技大会「THE OUTSIDER vol.34」 に行ってきた。場所はディファ有明。格闘技としては初めて25試合すべてを見たが、数年前に、知人にビデオで見せられたときよりも数段、キックも締め技もパンチも技術的にはあがっていて、驚いた。

◆「不良の大会」から「鯉が滝を登って竜になる登竜門」へ

この「THE OUTSIDER」は、格闘技団体として立ち上がった頃「不良がやりなおす再生の場所」として多くのファンや識者が捉えていた。だが、今の「THE OUTSIDER」は、主宰している前田日明氏がいみじくも語っているように「プロ選手と比べても遜色がなく、ただの不良の大会ではなく、鯉が滝を登って竜になる登竜門であり、誇りをもてる場所」となった。

ボクシングやキックボクシング、または空手の試合をさんざん見てみた僕にとっては、やはり注目するのはディフェンスだ。「戦う弁護士」こと堀鉄平を破った佐野哲也や、ランボルギーニ・ヨシノリなどの防御力は目を見張った。

ルールを解説すれば、1ラウンド3分間の2ラウンド、噛みつきや後ろからの殴打、チョーク攻撃、ひじ打ち、指つかみ、あるいはロープを掴んでの攻撃など。おおよそノックアウトかテクニカルノックアウト、または締め技によるギブアップで決着がつく。

残念ながら、ディファ有明の会場で大会が開催されることに、地元の自治会からは疑問符がついているようだ。理由は、タバコの投げ捨てや路上駐車、違法駐車が多く、クレームが多数、入っているからだという。心ある人たちはぜひともそうした行為をやめてほしいと思う。また、会場での心ないヤジも興ざめだ。具体的には書かないが、必死に戦う選手への暴言はやめていただきたい。

試合終了後の記念ショット

◆格闘技イベントの運営資金調達は「クラウドファイティング」へ向かうか?

前田日明氏は大会のパンフレットにこう書いている。

『今年、「THE OUTSIDER」は大きな岐路に立たされている。一昨年の大阪で起きた事件をきっかけに、コンプライアンス上の問題でスポンサーの撤退が相次ぎ、会場使用が困難になるという問題が発生しているのだ。THE OUTSIDERはアマチュアの大会ながらプロと同じ演出・設営をすることに意義がある。そのため他のアマチュアの大会と比べて、どうしても運営費が必要になる。当初、東京と大阪で交互に大会を行って年間12大会、そのチケット売り上げと協賛金を中心にイベントや事務局を運営していく計画を立てていたのだが、大阪での事件を機にそれが難しい状況になった。これからTHE OUTSIDERを応援していただける企業を一つでも増やしていかなくてはならない。』

今、格闘技はニコニコ動画やUストリームなどでも配信でき、女子プロレスなどは、そちらから収益が出るビジネスモデルが立ち上がっている。もはやチケット代で収益を組み立てるのは古いのだ。この大会もそうした「クラウドファイティング」の方向に向かっていくだろう。

試合後の総評で、前田氏がこう語る。

――来年度4月から今後の展望は?

「今アプリでね、アウトサイダーアプリってやっていつでも昔のやつみれるとか、そういうふうに移行するのか考えてますね。いずれにしても今までの運営の仕方自体が、結構あれあれあれっていうところで追いかけられるような形でやってたんで、一回腰据えて色んなもんが誤差になるので、ピンチといえばピンチに見えるかもですが、新たに今のiPhoneのアプリだとか、動画配信も参入するとか、考えながら、スポンサーがなんだって色んな事あって、自分知らなかったんですけどネットに事業計画を出して一般の出資を募って一口いくらで、そんなんでなんかうん千万稼ぐ人もいるとか。そういうのもあるんだっていうね。クラウド?クラウドファンディング。クラウドファンディングでやってもいいんですよ、その中でアウトサイダーやってもいいし。いろんな方法で、なんか昔ながらのスポンサー集めるっていうか、更生事業なんでその名目でスポンサー集めてかかるお金をチケットの収入で回していきながらどうのこうのという時代ではないんでしょうね。ちょっとね、色々考えますよ」(『THE OUTSIDER』ホームページより)

ひとつだけ苦言を。『THE OUTSIDER』で楽勝だとしてもプロのリングはそう甘くない。ここで勝ってきた選手がプロのリングで苦戦しているのもまた現実だ。

ぜひとも、選手たちにはレベルアップをめざし、ひたすらに鍛錬していただきたいものだ。つけ加えると、ラウンドガールのレベルはかなり高い。これもまた、興奮ものだと、お伝えしておこう。

20試合以降の試合結果はhttp://battle-news.com/?p=6916の通り。
次回の大会「THE OUTSIDER 第35戦」は、5月17日、ディファ有明で15時開催予定。詳細はリングス公式サイトにて。

[youtube]The Outsider Promotion
[facbook]株式会社リングス

(伊東北斗)

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プロ野球が開幕した。3月28日、14時開始のプロ野球「巨人―横浜DeNA」 戦を、東京ドームの「内野アルプス」席で初めて見た。かなり急角度に作られた観客席は、まさに登山している途中のような席だ。3塁側だったが、内野を見下ろす感覚で、文字通り「下界で野球をやっているなあ」という感覚だ。ただし、球場全体が見渡せて、ひじょうに気持ちがいい。

東京ドーム「内野アルプス」席は球場全体が見渡せて、気持ちがいいのだが……

それにしても腹がたつのが、ビールやソフトドリンクの売り子たちが目の前の通路を横切ると、プレイが瞬間的にせよ、見れなくなる点だ。横切られると、選手たちが視界に入らなくなる。

カウントしていたが、平均すれば30秒に一度「ビールいかがでしょうか」「ワインクーラーいかがでしょうか」「アイスのモナカはいかがでしょうか」とやられる。

もちろん、ドーム球場の売り子たちは雑誌でグラビアが組まれるほどかわいいコぞろいで、とくにビールの売り子は、ほかのドリンクを売る子とは明らかに質がちがう。かわいいコ選抜で「芸能界への登竜門」とも言われる。まあ実際は大学生や専門学校生など18~22歳がほとんどだ。

売り子たちは確かにかわいいコぞろいだが……

売り子たちは確かにかわいいコぞろいだが……

◆スタンドはまるで売り子と会話をするキャバクラ

試合は、開幕第2戦で、私がお気に入りの横浜DeNAの山口俊投手が投げているというのに、売り子のせいで何度もボールを見失った。「抑え」で挫折し、「先発」へと再転向した苦労人の山口のボールは150KM近いスピードに乗り、凝視しないと玉筋がわからない。それなのに、売り子のせいでしばしばボールを見失う。

スタンドは、まるで売り子と会話をするキャバクラのごとく

スタンドは、まるで売り子と会話をするキャバクラのごとく

頭に来ることに、このスタンドは、まるで売り子と会話をするキャバクラのごとくなっていて、「大学生? 何曜日に来ているの? 今日は何時まで?」とお気に入りのギャルからしか買わない客もいるから「おまえら、何しに来ているのか」と問い詰めたくなる。

7回裏をすぎて、私はついに頭にきてスタッフに「おい、プレイ中はせめてビールの売り子に通路を通るのをやめさせろ」と怒鳴っていた。売り子のせいでロペスのホームランを見失ったのだ。もっと言えば、巨人の阿部のフェンス直撃の二累打も見逃した。

「えーと、売り子にはなるべく通路で立ち止まらないようにと指導しているのですが」とスタッフは弁解する。

もちろん、球場で酒を飲むなとは言わない。かわいい売り子を目当てに球場に来ているというのも、男としてわからなくはない。神宮球場では、「美しすぎるビールの売り子」としてアイドル顔負けに人気を集める子もいた。だが、「ボールの動きが追跡できない」という観戦環境は、もはや論外だ。

ひるがえって、先日、後楽園ホールで観たボクシングでは、視界に運営スタッフが入ってきたので「リングが見えないからどいてくれないか」と申し入れると、すぐにしゃがんでくれた。

「興業でのサービス」とは何だろう。かわいいコを集めて、これでもか、これでもかとドリンクを売りつけていくことだろうか。ちなみにハイボールが800円だったが、これも値段の根拠がわからない。もしも球場に足を運んでほしいなら、500円で売るべきである。ちなみにコーラは260円だ。

◆打線陣に30億円を浪費する金満野球の巨人にあきれてファンをやめた

さて、ドームの試合は巨人のポレダ投手が打ち込まれ、巨人が大負けした。私は、かつて巨人を応援していたが、もはや昨年から応援していない。金満野球にあきれたのだ。

今年のメンバーを見ても、ここ4年ほどと変わっていない。阿部が捕手からファーストに転向し、いまだに高橋由伸、坂本、長野、亀井だ。くわえて、セカンドが弱点と分析するや、西武から片岡をとり、中日から井端を移籍させた。相変わらず金で勝利を買おうとしている怠慢な姿勢がみてとれる。

今、野球は「走る」というスタイルに戻りつつある。楽天のデーブ大久保監督は、「走る野球」を明確に打ち出している。走ることを忘れ、ひたすら長打を待つ巨人の野球がどう終戦を迎えるか楽しみにしたいところだ。

はっきりいって、打線で30億円も使って優勝できなければ恥知らずである。ちなみに西武ライオンズは10億円も使っていない。

◆球場の選手もスタッフも「プロ」と呼べる仕事をしてくれよ!

さて話をプロ野球観戦に戻す。久しぶりに球場に言ったが、鳴り物が少なくてホッとした。メジャーリーグでは、打球音を楽しむために、鳴り物などもってのほか。選手の応援歌を繰り返して歌うなど、 せっかくの「野球音」が聞こえずに台無しである。

こうしてみると、自分は野球よりも、本場アメリカの「ベースボール」のほうが好みだということに気がつく。なによりもボールが動くスピードが段違いだし、選手の配置も戦略も理論だっている。ファンだって野球を知っているし、選手をリスペクトしていてブーイングはするものの、個人攻撃的なヤジはしない。

あいかわらず、日本の優秀な選手は海外へと流れているが、「どうして日本のプロ野球に残ってもらえないか」をNPBのみならず、すべての野球関係者は考えてみるべきであろう。

「野球をチームでなく、注目の選手で追跡する」タイプの私は、今年は日本ハムの大谷や、メジャーリーグから帰ってきた「ストライクしか投げない男」黒田や、実はまだ現役を続けている、今後、5年で日本でただひとり200勝を達成しそうな西武の西口、はたまたソフトバンクからヤクルトに移籍した成瀬などに注目している。

果たして、球場のスタッフも選手も「プロ」と呼べる仕事をぜひ見せていただきたくない。少なくとも私たちは、決して安くないチケットを購入して観戦に行くのだから。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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3月18日、午後5時半から光文文化財団が主宰する『第18回「日本ミステリー文学大賞・特別賞・新人賞」「鶴屋南北戯曲賞」贈呈式が東京・日比谷の帝国ホテルで開催された。この式典は、あいかわらず豪華で、作家、文芸評論家、編集者、装丁家、デザイナーや文芸雑誌関係者ら400人近くが会場に訪れた。

今年の日本ミステリー文学大賞に選ばれた船戸与一氏の歴史巨編『満州国演義』(新潮社全9巻)。執筆には10年の歳月を要し、第1巻『風の払暁』(2007年4月刊)に始まり、ついに今年2月刊行された第9巻『残夢の骸』(2015年2月刊)で完結

『日本ミステリー文学大賞』に輝いたのは、さまざまな外国に出かけ、辺境や少数民族、そして常に虐げられる弱者を力強い筆致で描く船戸与一氏、『日本ミステリー文学大賞特別賞』には2013年10月に急逝した連城三紀彦氏、『日本ミステリー文学大賞新人賞』には、『十二月八日の幻影』を書いた直原冬明氏が、そして優れた戯曲に送られる「鶴屋南北戯曲賞」には『跡跡』を書いた桑原裕子氏が選ばれた。どちらかといえばこの賞は、「大賞」は功労に対して贈られ、「新人大賞」には可能性に対して贈られる。大賞は佐野洋、笹沢佐保、森村誠一らの大御所が、新人賞は大石直紀や緒川怜など、後に活躍することになる新鋭が受賞してきた。

◆出版不況で軒並み廃止されていく文学賞

それぞれにめでたいことだが、このところの文学賞は出版不況のあおりを受けて「審査員を減らす」「下読みを減らす」「賞金を減らす」の三重苦時代に入っており、老舗の賞がつぎつぎと廃止されている。

たとえば、椋鳩十児童文学賞が2013年の第24回をもって廃止されることが決定、長い歴史があり、「角川三賞」と呼ばれた角川小説賞、日本ノンフィクション賞、野性時代新人文学賞も2010年に廃止となった。島清恋愛文学賞は2011年に廃止、黒川弘行を生んだサントリーミステリー大賞は、2003年にとっくに廃止されている。また、一説によると「大賞作品が売れなくなってきているので、江戸川乱歩賞も存続が危ぶまれている」(中堅作家)のだとか。

「日本ミステリー文学大賞」の受賞パーティの様子(帝国ホテル)

会場で配られた光文社の文芸雑誌「ジャーロ」春号をめくつていると『本格ミステリー新人発掘企画 「カッパ・ツー」!』の募集要項ページがあり、『応募するのに、ページの応募券が必要で、しかも先着20名しか応募を受け付けない』とある。

「これこそ、審査を最小の単位でやりたいという出版社の消極的態度の表れです。応募中が多ければ多いほど、秀逸な作品があるわけですから。まあ審査する出版側も金がないからでしょうね。下読みの人たちの人数も減らしているわけですが、人数は減っても読む応募作の分量は変わらないわけですからね」(日本推理作家協会員)

◆「作家を育てる」文学賞が「自費出版ビジネス」にシフトしかねない本末転倒

まずいな、と感じるのは、出版社たちの間で「文学賞にエントリーするのに手数料をとったらどうか」という議論がなされ始めた事実だ。その背景には、文学賞を(一義的には)募集しておいて落選者に対して「惜しい作品なので自費出版をしませんか」という『自費出版ビジネス』へとシフトしたい版元の意向が透けてみえる。

自費出版を批判したいわけではなく、文学賞が「作家を育てる」という観点から、「応募者の純粋な執筆欲を利益に変換する」ことにシフトしていくなら、もはや本末転倒である。

「作家を育てることができる編集者が減っている。作家を育てるはずの私塾は、森村誠一氏が主宰の『山村正夫記念小説講座』(略称 山村教室)やおびただしい数の作家を輩出している『若桜木虔小説教室』などが気を吐いているが、ほとんどの小説講座は金儲けのためにやっているだけで、育てようなどという気はさらさらない。はっきりいって文学というか小説は、もはや死んだも同然だね」(文芸雑誌編集者)

「賞には届かない」が、将来にブレイクしそうで、叩けば伸びる才能がある小説家を見つけたときの編集者の対応はこうだ。

まず、「次は賞がとれるように根回しするから」と言われて、小遣いを作家志望者に渡して抱え込み、個人的に「ほかでは書かないようにアドバイス」を重ねる。それで賞がとれないと「ごめん。でも次はきっと根回しをするから」と再び志望者を丸め込んで、ひたすら書かせていく。厚顔無恥とはこのことだ。
「そんなに抱え込みたいなら、毎月の生活費を払え、と言いたいですね」(中堅作家)

不景気なわりに、大手の作家の抱え込みかたはもはや尋常ではない。講談社は、大御所作家の宮部みゆきや京極夏彦などの人気作家に、毎年1月に「とりあえず、今年もよろしくという意味で(書くか書かないかわからないのに)前金を2000万円振り込みます」(事情通)という都市伝説がはびこるほど。

まあ、それは話として眉唾だが、銀座に行くと、いまだに大御所作家と編集者が数十万円を落としていった話をよく聞く。

先月も「文藝春秋ご用達の作家が300万円も銀座で落とした」と聞いた。文芸の編集者たちなど、まったくもって、金の使い道がわかっていない連中なのだ。

◆新たなプラットフォーム「E☆エブリスタ」の可能性

しかし希望もある。スマホ小説サイト「E☆エブリスタ」なるプラットフォームの登場だ。これは、携帯やスマートフォンから投稿できる新しいタイプの読み物だ。ここから「王様ゲーム」(金沢伸明)や「奴隷区」(岡田伸一)などのヒット作品が生まれた。また、文学賞を投稿する際「投稿フォームは、E☆エブリスタの形式で」などと応募要項が明記されている。

時代は大きくうねりあげて変わりつつある。もはや文学賞という概念は古いのかもしれない。その証拠に文学賞なんかとれなくても、「本屋大賞」をとった小説は「海賊と呼ばれた男」(百田尚樹)や、「村上海賊の娘」(和田竜)などはバカ売れしたし、「奴隷区」などは口込みで爆発的に広がったのだ。

いずれにせよ、文学賞はもう「権威」ではない。ただ、「商売の道具」ではなく、「レガシー」として残ることを願う。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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本コラムをお読みいただいている皆さんには言うまでもないことだが、鹿砦社は月刊誌『紙の爆弾』を発行している。『紙の爆弾』は創刊直後の2005年7月に名誉棄損の咎で松岡社長が逮捕されるという前代未聞の「言論弾圧」を乗り越えてこの4月で創刊10周年を迎えることになる。

◆2004年に休刊した『噂の眞相』と2005年に創刊した『紙の爆弾』

『紙の爆弾』が産声を上げる一年ほど前まで、やはり「タブーなきスキャンダりズム」を標榜する『噂の眞相』という月刊誌があった。「ウワシン」と愛読者から呼ばれた『噂の眞相』は政治経済から芸能、風俗までを扱う反権力・反権威雑誌としての立ち位置を確立し、広告収入に頼らずに20万部の購読者を持つ雑誌だった。

編集長は岡留安則氏で彼の個性が強く反映された『噂の眞相』は黒字経営だったが「2000年に廃刊」を宣言していた。だが岡留氏の美学の実践ともいうべき「2000年黒字廃刊」は検察の弾圧の前に実現を阻まれる。後の『紙の爆弾』弾圧に範を示すように、岡留編集長と同誌編集者が「和久俊三・西川りゅうじん」への名誉棄損の刑事被告人とされ、起訴、有罪が確定する(松岡社長のように逮捕はなかったが)。そのため『噂の眞相』の「休刊」は最高裁判決を待ち2004年にずれ込む。とはいえ、2004年時点でも20万部を売り上げる月刊誌は『文芸春秋』をおいて他にはなく、各界から惜しまれながらの「黒字休刊」となった。

◆『噂の眞相』岡留編集長が「読んで欲しくない」と封印した対談本

『闘論・スキャンダリズムの眞相』2001年鹿砦社

「ウワシン」を襲った「和久・西川」事件が争われている最中2001年9月に『闘論・スキャンダリズムの眞相』と題した岡留氏と松岡氏の対談本が鹿砦社から出版されている。これがとてつもなく面白い。

「反権力スキャンダル」雑誌の編集長を自認していたはずの岡留氏が同書「はじめに」で腰を抜かしている。

「『してやられた!』というのが、率直な感想である。表紙のキャッチコピーには『これが究極の闘争白書だ?』とあり、『これが最強のタッグだ?』と続く。前者はともかく後者は『エッ!』と絶句してしまった。かねてより鹿砦社の芸能界暴露本シリーズと『噂の真相』の反権力・反権威スキャンダリズム路線は似て非なるものと考えてきたし、ジャーナリズムの志や指向性にいては天と地ほどの差があると認識してきた。それが『最強のタッグ』などと言われるのは実に心外である」

この原稿のゲラを読んで松岡社長は「フフフ」とほくそ笑んだことだろう。4頁にわたる岡留氏の「はじめに」は次のように結ばれる。

「正直言ってこの本は裁判官や検察官には読んで欲しくない。個人的には完全に封印したい本である。『噂眞』読者にもなるべく読んで欲しくないし、口コミで宣伝することは一切やらず、くれぐれも自分ひとりの密かな蔵書としておさめて欲しい。筆者にとってはブランキスト・松岡利康に挑発されて本音本心を吐露した生涯一度のハズカシイ本だからである」

「読んで欲しくない」と絶叫する巻頭言など読んだ記憶がない。それほどに松岡社長の「岡留籠絡作戦」は完全に成功を収めていたというだ。

もっとも本書の中で岡留氏から繰り返し松岡社長の「イケイケ」振りに注意が促されたにもかかわらず、前述の通り『紙の爆弾』創刊直後に逮捕までされるという前代未聞の苦難に直面することになったのだから、岡留氏の「指導」は命中していたということにはなる。

さて、『噂の眞相』なきあと読者は放り出された形になった。読者として接する限り、創刊当初から『紙の爆弾』は『噂の眞相』の意思を引き継ぐ、という心意気が伺えた。が、正直実力的にはかなりの差があるように感じた。

◆惨憺たる時代の中で「タブーなきメディア」を貫くこと

それから10年余りが過ぎた。週刊誌の凋落ぶりは目を覆うばかりだ。ごくまれに政治家のスキャンダルをネタにすることはあってもそれに腰を据えて権力を撃とうという姿勢はない。固い姿勢を維持しているのは『週刊金曜日』くらいだろうか。月刊誌に至ってはもう右翼の宴会議事録か、ヒステリックな排外主義だけがモチーフの雑誌しかない。

『紙の爆弾」は検察による社長逮捕という弾圧を乗り越え、じわじわと実力を高めてきた。『噂の眞相』は次期検事総長確実と見られた「則貞衛」の首を飛ばしたり、元首相森喜朗の学生時代の売春防止法違反による逮捕を実質的に暴いたりと、華々しいスクープも数々モノにしてきた。

『紙の爆弾』には検察や国家権力に対する十分な反撃理由がある。販売部数はまだまだ『噂の眞相』には及ばないが読者層は確実に広がっている。当然だろう。だって読むに値する月刊誌がないのだ。それに販売部数以上に『紙の爆弾』の存在感が増してきていることには言及しておかなければならないだろう。

これまた、社長のキャラクターによるところであろうが、多彩な講師を招いての「西宮ゼミ」は毎回盛況ながら営業的には赤字のはずだ。イベントを後援したり、昨年にはコンサートを主催したり、地道ながら出版業にとどまらない活動に鹿砦社はウイングを広げている。

◆「石原慎太郎は必要悪」と漏らしてしまった岡留編集長の脇の甘さ

実はその際にぜひ「他山の石」として頂きたい岡留氏の脇の甘さを他ならぬ『闘論・スキャンダリズムの眞相』の中に発見した。第5章「御用文化人の仮面を剥ぐ」の中で岡留氏は以下のように発言している。

「青島幸男なんか、結局何もできなかった。石原慎太郎は嫌いなんだけど、慎太郎の手法はある種必要悪の部分もあると思う。あのくらいやんなきゃ官僚政治は変わらない。県議会、都議をうまく操るくらいしたたかにやらないとね」

この部分、岡留氏にしては珍しく取り返しのつかない過ちを犯している。

石原慎太郎が嫌い、まではよしとしても「慎太郎の手法はある種必要悪の部分もあると思う。あのくらいやんなきゃ官僚政治は変わらない。県議会、都議をうまく操るくらいしたたかにやらないとね」は今日的ファシズム土台作り猛進してきたファシスト=石原への賛意に他ならない。岡留氏にしてこのような初歩的な危機意識の欠如に陥れた「時代」を無視してはいけないのかもしれないが、まかり間違っても私は同意しない。「青島幸男なんか、何もしなかった」のは事実にしても悪政の限りを働いた石原に比べれば、何もしない青島の方が数倍ましだったと私は考える。今岡留氏に当該部分を見せて意見を聞けば彼は撤回するのではないだろうか(それとも沖縄で綺麗なねーちゃんに囲まれた暮らしが気に入り、「そんなことはどーでもいい」と一蹴されるか)。それほどの地雷源が言論の世界だということをこの「岡留の石原部分肯定発言」は雄弁に語っている。

10年ひと昔というが、『闘論・スキャンダリズムの眞相』を手にすると時代の速度が加速しているのではないかと感じるとともに、その間の読者諸氏個々の変化にも思いが至ることだろう。今日の言論の惨憺たる状況を理解する「教養書」としても是非ご一読をお勧めする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている
◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号発売!
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4月7日発売の『紙の爆弾』は特別付録付きの創刊10周年号!

4月7日発売の『紙の爆弾』は特別付録付きの創刊10周年号!

 

4月、まもなく関西大学で「事件」が起こる。「事件」といってもキナ臭かったり、危険なものではない。この時代に大学が失いかけている存在理由を根本から問う劇的に素晴らしい「事件」が起こるのだ。

科目の名は『人間の尊厳のために』で春学期に15回行われる。「グローバル」だの「キャリア形成」だの薄っぺらいことばが大手を振るう大学界で、この講義名を目にしただけで胸が熱くなる。『尊厳』という言葉からはドイツ憲法における以下の文言が想起される。

ドイツ基本法(憲法)の第1条 [人間の尊厳、基本権による国家権力の拘束]として、
(1)人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である。

日本国憲法も前文は素晴らしいがドイツ基本法(憲法)は第1条で人間の『尊厳』に言及している。あらゆる場面で人間の『尊厳』など忘れ去られているかの日本においてこの科目名はとりわけ異彩を放つ。

◆脱原発、犯罪報道、タブーなきメディア──衝撃の講師陣が「尊厳」を論じる

京都大学原子炉実験所助教を定年退職されたばかりの小出裕章氏がこの4月から関西大学の教壇に立つ

さらに同講義のシラバスをご覧いただければ読者も腰を抜かすであろう。

科目名 「人間の尊厳のために」
担当者名 新谷英治/浅野健一/松岡利康/小出裕章
授業概要 戦争や被曝、不当な報道などによって多くの人々が人間としての尊厳を踏みにじられ苦しんでいることは厳然とした事実でありながら必ずしも社会全体に正しく知られていません。失礼ながら大学生などの若い世代の皆さんはとりわけ認識が薄く、ほとんど問題意識を持っていないかに見えます。本講義は、深刻重大でありながら(あるいは、それゆえに)隠されがちな社会の問題を、現在第一線で活躍するジャーナリストや出版人、科学者の目で抉り出し、学生の皆さんに自らの問題として考えてもらうことを目指しており、皆さんの社会観、世界観を大いに揺さぶろうとするものです。

到達目標 人間の尊厳が踏みにじられている現状を正しく認識し、現実を踏まえつつ実効ある解決策を考えようとする姿勢を身につけることです。

関西大学文学部の新谷英治教授がコーディネーターとなり、元共同通信記者で『犯罪報道の犯罪』の著者である同志社大学大学院社会学研究科博士課程教授(京都地裁で地位確認係争中)浅野健一氏

浅野健一=同志社大学大学院社会学研究科博士課程教授は現在も京都地裁で地位確認係争中

そして驚くまいか鹿砦社社長松岡利康の名が!さらに3月で京都大学原子炉実験所を定年退職された小出裕章氏も教壇に立つ。このような「神業」に近い講義を開講する関西大学の慧眼と叡智は全国の大学が学ぶべきものだ。

「事件」という表現を使った意味がお分かりいただけるだろう。関西大学共通教養科目の中のチャレンジ科目として開講されるこの講義には『哲学』の香りがする。そして生身の人間の迫力が講義内容紹介の文章からだけからでも感じられる。吹田、千里山の春にアカデミックな風が薫ることだろう。受講学生は「覚醒」するに違いない。

 

 

関西大講師として松岡利康=鹿砦社社長も教壇に立つ!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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