本コラムをお読みいただいている皆さんには言うまでもないことだが、鹿砦社は月刊誌『紙の爆弾』を発行している。『紙の爆弾』は創刊直後の2005年7月に名誉棄損の咎で松岡社長が逮捕されるという前代未聞の「言論弾圧」を乗り越えてこの4月で創刊10周年を迎えることになる。
◆2004年に休刊した『噂の眞相』と2005年に創刊した『紙の爆弾』
『紙の爆弾』が産声を上げる一年ほど前まで、やはり「タブーなきスキャンダりズム」を標榜する『噂の眞相』という月刊誌があった。「ウワシン」と愛読者から呼ばれた『噂の眞相』は政治経済から芸能、風俗までを扱う反権力・反権威雑誌としての立ち位置を確立し、広告収入に頼らずに20万部の購読者を持つ雑誌だった。
編集長は岡留安則氏で彼の個性が強く反映された『噂の眞相』は黒字経営だったが「2000年に廃刊」を宣言していた。だが岡留氏の美学の実践ともいうべき「2000年黒字廃刊」は検察の弾圧の前に実現を阻まれる。後の『紙の爆弾』弾圧に範を示すように、岡留編集長と同誌編集者が「和久俊三・西川りゅうじん」への名誉棄損の刑事被告人とされ、起訴、有罪が確定する(松岡社長のように逮捕はなかったが)。そのため『噂の眞相』の「休刊」は最高裁判決を待ち2004年にずれ込む。とはいえ、2004年時点でも20万部を売り上げる月刊誌は『文芸春秋』をおいて他にはなく、各界から惜しまれながらの「黒字休刊」となった。
◆『噂の眞相』岡留編集長が「読んで欲しくない」と封印した対談本
「ウワシン」を襲った「和久・西川」事件が争われている最中2001年9月に『闘論・スキャンダリズムの眞相』と題した岡留氏と松岡氏の対談本が鹿砦社から出版されている。これがとてつもなく面白い。
「反権力スキャンダル」雑誌の編集長を自認していたはずの岡留氏が同書「はじめに」で腰を抜かしている。
「『してやられた!』というのが、率直な感想である。表紙のキャッチコピーには『これが究極の闘争白書だ?』とあり、『これが最強のタッグだ?』と続く。前者はともかく後者は『エッ!』と絶句してしまった。かねてより鹿砦社の芸能界暴露本シリーズと『噂の真相』の反権力・反権威スキャンダリズム路線は似て非なるものと考えてきたし、ジャーナリズムの志や指向性にいては天と地ほどの差があると認識してきた。それが『最強のタッグ』などと言われるのは実に心外である」
この原稿のゲラを読んで松岡社長は「フフフ」とほくそ笑んだことだろう。4頁にわたる岡留氏の「はじめに」は次のように結ばれる。
「正直言ってこの本は裁判官や検察官には読んで欲しくない。個人的には完全に封印したい本である。『噂眞』読者にもなるべく読んで欲しくないし、口コミで宣伝することは一切やらず、くれぐれも自分ひとりの密かな蔵書としておさめて欲しい。筆者にとってはブランキスト・松岡利康に挑発されて本音本心を吐露した生涯一度のハズカシイ本だからである」
「読んで欲しくない」と絶叫する巻頭言など読んだ記憶がない。それほどに松岡社長の「岡留籠絡作戦」は完全に成功を収めていたというだ。
もっとも本書の中で岡留氏から繰り返し松岡社長の「イケイケ」振りに注意が促されたにもかかわらず、前述の通り『紙の爆弾』創刊直後に逮捕までされるという前代未聞の苦難に直面することになったのだから、岡留氏の「指導」は命中していたということにはなる。
さて、『噂の眞相』なきあと読者は放り出された形になった。読者として接する限り、創刊当初から『紙の爆弾』は『噂の眞相』の意思を引き継ぐ、という心意気が伺えた。が、正直実力的にはかなりの差があるように感じた。
◆惨憺たる時代の中で「タブーなきメディア」を貫くこと
それから10年余りが過ぎた。週刊誌の凋落ぶりは目を覆うばかりだ。ごくまれに政治家のスキャンダルをネタにすることはあってもそれに腰を据えて権力を撃とうという姿勢はない。固い姿勢を維持しているのは『週刊金曜日』くらいだろうか。月刊誌に至ってはもう右翼の宴会議事録か、ヒステリックな排外主義だけがモチーフの雑誌しかない。
『紙の爆弾」は検察による社長逮捕という弾圧を乗り越え、じわじわと実力を高めてきた。『噂の眞相』は次期検事総長確実と見られた「則貞衛」の首を飛ばしたり、元首相森喜朗の学生時代の売春防止法違反による逮捕を実質的に暴いたりと、華々しいスクープも数々モノにしてきた。
『紙の爆弾』には検察や国家権力に対する十分な反撃理由がある。販売部数はまだまだ『噂の眞相』には及ばないが読者層は確実に広がっている。当然だろう。だって読むに値する月刊誌がないのだ。それに販売部数以上に『紙の爆弾』の存在感が増してきていることには言及しておかなければならないだろう。
これまた、社長のキャラクターによるところであろうが、多彩な講師を招いての「西宮ゼミ」は毎回盛況ながら営業的には赤字のはずだ。イベントを後援したり、昨年にはコンサートを主催したり、地道ながら出版業にとどまらない活動に鹿砦社はウイングを広げている。
◆「石原慎太郎は必要悪」と漏らしてしまった岡留編集長の脇の甘さ
実はその際にぜひ「他山の石」として頂きたい岡留氏の脇の甘さを他ならぬ『闘論・スキャンダリズムの眞相』の中に発見した。第5章「御用文化人の仮面を剥ぐ」の中で岡留氏は以下のように発言している。
「青島幸男なんか、結局何もできなかった。石原慎太郎は嫌いなんだけど、慎太郎の手法はある種必要悪の部分もあると思う。あのくらいやんなきゃ官僚政治は変わらない。県議会、都議をうまく操るくらいしたたかにやらないとね」
この部分、岡留氏にしては珍しく取り返しのつかない過ちを犯している。
石原慎太郎が嫌い、まではよしとしても「慎太郎の手法はある種必要悪の部分もあると思う。あのくらいやんなきゃ官僚政治は変わらない。県議会、都議をうまく操るくらいしたたかにやらないとね」は今日的ファシズム土台作り猛進してきたファシスト=石原への賛意に他ならない。岡留氏にしてこのような初歩的な危機意識の欠如に陥れた「時代」を無視してはいけないのかもしれないが、まかり間違っても私は同意しない。「青島幸男なんか、何もしなかった」のは事実にしても悪政の限りを働いた石原に比べれば、何もしない青島の方が数倍ましだったと私は考える。今岡留氏に当該部分を見せて意見を聞けば彼は撤回するのではないだろうか(それとも沖縄で綺麗なねーちゃんに囲まれた暮らしが気に入り、「そんなことはどーでもいい」と一蹴されるか)。それほどの地雷源が言論の世界だということをこの「岡留の石原部分肯定発言」は雄弁に語っている。
10年ひと昔というが、『闘論・スキャンダリズムの眞相』を手にすると時代の速度が加速しているのではないかと感じるとともに、その間の読者諸氏個々の変化にも思いが至ることだろう。今日の言論の惨憺たる状況を理解する「教養書」としても是非ご一読をお勧めする。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ
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