僕は原発の専門家ではないし、ジャーナリストとしてピタリ、と「原発についての問題」をマークしているわけではないが、どう見ても原発は再稼働すべきではない、と考えている。そんな中で、高浜原発再稼働を差し止める決定を福井地裁がしたのは大きな出来事だと考えている。(福井地裁仮処分決定の要旨全文=朝日新聞2015年4月14日)

そして、原発については諸先輩たちが鹿砦社の月刊誌「紙の爆弾」や季刊「NO NUKES VOICE」にも書いているし、このブログでも展開しているので、とくに言うべきことは見あたらなかったが、久しぶりに「救われた」ニュースを見たので、あえて原発について書こう。

そう、まずはスタンスを決める。「原発推進者はすべて処刑せよ」と叫んでみよう。あなたに叫べとは言わない。僕は僕の中で、「原発推進者はすべて処刑せよ」と何度も叫んでいる。

鹿砦社は、松岡社長が「ペンのテロリスト」であり続けると宣言している。その端くれである僕も、少しではあるが原発推進に抵抗しよう。

◆2009年頃、東京電力は「電力自由化阻止」の執念でマスコミ各社を接待攻めにしていた

身近な話では、週刊誌のデスクをしている知人が「電力自由化をなんとか阻止すべく」、何度も東京電力に接待を受けていたのを思い出す。それは、おそらく2009年ごろの話で、当時のデスク氏は「今になってみると、何を懐柔してきたのかはようやく意味がわかる」と語る。

要するに、太陽光などで一般の人たちや企業が発電を始め、エネルギーを買い取るようになるケースは避けたいと、いう執念にも近い、電力会社の懇願だ。エネルギー買い取りは、電力会社をまちがいなく消耗させる。だがそうした「懐柔」はむなしく、来年の4月から電力会社を選べるようになる。もう東電の一方的な料金設定や、原発再稼働にイライラしなくてもすむのだ。再生エネルギーについては、詳しいライターの方がたくさんおられるので自分が注目している「震災直後」の部分に触れる。本題だ。

◆震災直後、年収2000万円超の社外取締役や監査役は誰一人、東電本店に出社しなかった

まず、「3.11の直後」の東電に何回も記者会見に行ったが、あの場所では、ガンマだの、シータだの難しい数字が並ぶ放射能拡散の可能性についてのデータを手渡され、まるで大学の理化学部の講義のような会見が繰り返されていた。同時に、原子力保安院でも似たような説明がなされていたが、各マスコミは、理科系の記者を配置して「はたして東電の広報が何を言っているのか」を読みとく作業に僕たちは腐心した。そう、翻訳者が必要な事態で、東電の人たちは、どう見ても日本語で話しをしているようには感じなかったのだ。

震災直後、東電本店の記者会見場で、確か3月12日の午後3時すぎに、あくびが出るような数字の説明が続くなか、記者のうち誰かが「これ、爆発だよね」と後ろのほうで声に出した。今思えば、あれこそが1号機原子炉建屋が水素爆発した瞬間だった。吉田所長(当時)が2号機、3号機の弁と準備開始を指示、まさに命がけのハンドリングを開始して、18時25分に政府は20キロ圏内に対して、ようやく退避の指示を出した。

確か「爆発」という言い方は、東電も保安院もしていない。「爆発」という言葉を使わず、東電や保安院は数字の説明だけで逃げようとしていたのである。

さまざまなジャーナリストやルポライターが、原発についてあらゆる角度で語っている。核をどう処理するのか、アメリカとの原子力協定をどうするのか、あるいは原発とメディア、そしてエネルギーミックスについて……。だが、僕自身は、焦点を当てるべきは、「3月11日から15日まで何が起こり、私たちは何について無抵抗で、何について抵抗のしようがあったのか」だと思う。むろん、自分自身が東電の「極めて理科系チックな説明」に翻弄されたのも「震災直後」にこだわる一助になっているが、我々は「原発事故をハンドリングできなかった」ことを、素直に認めるべきではないだろうか。

さらに、このとき、年収2000万円を超える「名ばかり社外取締役」や「監査役」などもたくさんいたが、誰一人、この非常時に出社していない。それどころか、後に「年間に10日も出社していない」ことが判明していくのだ。

◆事故当時の東電社長、清水は天下り先から報酬を得ながら入社3か月間、出社してしなかった

このときに東電の社長だった清水は、後に民間会社に天下るが、知るかぎりでは入社3ヶ月は会社に顔を出していない。きちんと給料は出ていたのを、取材で確かめてあるし、出社すべき初日に僕は朝から張り込んでいたが来る気配はない。
清水が住んでいる赤坂の高級マンションにも行ったが、優に1億円を超える豪華さだった。常にこのマンションでは震災に備えて1ヶ月ぶんの食料が備蓄されていた。こいつら東電のお偉いがたは、つくづく一般市民とはかけ離れた存在なのだなと思う。

水素爆発が起きたにもかかわらず、東電本店では、東電の役員たちに夜になると1個3000円以上もする仕出し弁当が運びこまれていたのを見た。しかも地下から運ばせるから確信犯だ。要するに彼らは貴族であり「庶民に電気をくれてやっている」という感覚なのだろう。

仮に、東電の下請けであっても、けっこうな高給だ。僕は東電系の工事会社で警備をしたことがあるが、ただたんに「工事に違反がないように見張る」東電のOB(ここでは保安員と呼んでいた)に日当3万円も払っていたのだ。まさに「神様、仏様、東電様」で、東電こそが電力のヒエラルヒーの王様なのだ。

◆どう考えても事故当時の東電役員たちはことごとく処刑されるべきである

そして僕が何よりも福島原発について書くときにはばかれるのが、「なんだよ、東京にいて原発記事を書いて。君たちは福島に住んでからモノを書きなよ!」という現地の被災した人の叫びが耳に残っているからだ。

たとえば、僕が交流しているA氏などは、58歳だが「なんとか原発を再稼働させない方法を探す」と宣言して、会社を退社して、家族の反対を押し切り、福島大学に入り直した。もし震災と原発事故がなければ、彼は65歳まで勤めただろう。この一点とってみても、原発事故は人の生活を、人生を、家族を破壊した。

一時期、事故の渦中に現場から東電が「撤退する」と言ったとか言わないとか、くだらないレベルの論争があった。だが「撤退すべき」なのは原発建設そのものであったのだ。しつこいようだが繰り返す。

「原発推進者」はことごとく処刑せよ!

「原発」はエネルギーの問題だろうか。ちがう。命の問題だ。もし原発を推進しても許される者が、かろうじていたなら、あの事故を経験し、事故処理をハンドリングした吉田所長だと思うが、すでに亡くなった。だが生きていて仮にリンチされても原発を「俺が保証する。原発を再稼働せよ」とは言わないだろう。あの事故直後のことはまた機会があればレポートしたい。もう一度言う。

「原発推進者」はことごとくすべて処刑せよ!

(小林俊之)

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