「本文からではなく、解説から読む癖のある読者諸兄姉のために、ひとこと申し上げる。あなたの身は間違いなく本書の放つ劫火(ごうか)に焼かれ、その力に薙ぎ倒されるであろう。勝利者たちのこしらえる『正史』に激しく抗う者たちの瞋恚(しんに)の炎が、頁という頁にめらめらと燃えているからだ。真実の『外史』が、虚偽の正史を力ずくで覆しているからである。しっかりと心の準備をしておいたほうがいい。備えが済んだら、ひとつ深呼吸をして『飾り棚のうえの暦に関する舌足らずな注釈』から、目を凝らして、ゆっくりと読み進むがいい。熱くたぎる中東の坩堝に(るつぼ)に足もとから徐々に呑みこまれてゆくだろう。そして、読破した時、あなたの見る世界はそら恐ろしいほどに色合いを変えているはずだ。以上のみを言いたい。以下は蛇足である」
船戸与一代表作『砂のクロニクル』の解説に辺見庸が寄せた文章の書き出しである。
辺見のこの絶賛に誇張はない。大方の船戸作品の解説にも援用できそうな比類ない名解説だと思う。
とうとう船戸与一が鬼籍に入ってしまった。いつかこの日が来ることは覚悟はしていたけれども、ニュースサイトで船戸の訃報に接したとき、「え!」と声を上げてしまった。
◆船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差し
私は船戸に何度も思いっきり殴られた。喧嘩の仕方も教わったし、語学習得のコツも教わった。気が付けば銃器の扱いの基礎も船戸から教わっていたので初めて自動小銃に触れた時も思いのほか違和感がなかった。
船戸は私にとって歴史、政治学、地理学、人類学の教師でもあった。意外かもしれないが「倫理学」も時々示唆してくれた。どちらかと言えば「左巻き」の私の思考傾向をいつもハンマーでぶち壊してくれた。船戸の内部には「正義」などなかった。もちろん「革命」への幻想など持ち合わせていなかった。でも船戸は「正義」を信じ行動する人間や「革命」に命を懸ける人間を決して軽蔑しなかった。
船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差しがある。それは船戸が(自身がそうであるように)「硬派」を一貫して支持つづけた姿勢だ。「硬派」は右にも左にも国家の中にも国家の滅亡を目指すものの中にもいる。船戸の着眼は常にそういった「硬派」へ向けられていた。
◆「彼らを日和らせたくないから、そのためには殺すしかない」
船戸作品にあっては主たる登場人物は必ず死ぬ。私自身勝手に「船戸ファイナル」と名付けていた極端も過ぎるダダイスティックな結末が必ず準備されている。不謹慎ながら読者としては愛すべき「硬派」達が最後には破局に向かうのが必定と解りながらもそわそわしながらページをめくる。
そしていざ導火線に火が付けば、それこそ書籍の中から戦場が立ち上がって来る。ありもしないヘモグロビンの血生臭さや、硝煙が生のように感じられるから不思議であることこの上ない。
あるインタビューで船戸は最後に登場人物を何故殺してしまうのか、と問われて答えていた。
「生きていると人間は日和るんです。彼らを日和らせたくない。その為には語らせないように、つまり殺すしかないわけです」
随分と恐ろしことを平気で言ってのける。さすが船戸だと感じいった。
船戸の中にはよって立つべき「主義」や「主張」など一切なかった。ただ船戸自身の皮膚感覚と常人を逸した取材力の賜物が奇跡を可能にせしめたのだろう。
「私は船戸に何度も思いっきり殴られた」と書いたが、勿論実際に殴られたわけではない。書物を通しての一方的受信しかなかった。
ただ一度だけ船戸と短い時間電話で言葉を交わしたことがある。講演を依頼しようと思い自宅に電話をかけたのだ。講演の趣旨とに日程を伝えると船戸は、
「その時は日本にいません」
とだけ語り電話を切った。
船戸に語らせるなど、無粋に過ぎる。断られてよかったと思っている。前出の辺見庸が『屈せざる者』(角川文庫)で船戸に人生論を語らせようとして、見事に失敗している。読んでいて心地よい失敗は珍しい。
船戸は自身の時代認識を時折登場人物に語らせる。
『炎流れる彼方』(集英社文庫)で元ブラックパンサー活動家が語る。
「1960年代の終わりから70年代のはじめにかけて、1日たりともぐっすり眠る暇なくおれたちは動きまわった。燃えさかる炎のようにな。状況は厳しかったが、精神は躍動していたんだよ。ところがいまはどうだ?80年代は最低だ。ほとんどだれもが健康のことしか考えていない。ジョギングと禁煙、ライトビールだけの時代だ。それで百歳まで生き延びたから何だというんだ?もうすぐ90年代にはいるが、それがどういう時代になるのかわからねえ。だがな、あのころのようにはなるまい。おれたちがめまぐるしく動きまわったあの頃みたいにはな」
『炎流れる彼方』の中で「最低だ」と言われた80年代から20余年、船戸は私の勘ではたぶん自覚的に人生の集大成として『満州国演義』(新潮社)を10年がかりで昨年完成させ力尽きた。『満州国演義』を読み進むうちに私は懇願にも似た気分になった。
「分かった。情熱は痛いほどわかった。でも船戸与一にはもっともっと世界を書いてほしい。
『満州国演義』こんなに入れ込んだら次書けるのだろうか」
懸念が現実になってしまった。もう新しい船戸作品は読めない。悲しい。
『満州国演義』全9巻(新潮社2007-2015年)の広告コピー文(新潮社HPより)
▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号本日発売!
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す