国民的歌手、加藤登紀子氏の「百万本のバラコンサート」を観た。渋谷のNHKホールは満員であり、ラトビアの「リエパーヤ交響楽団」を従えての加藤は、風格を漂わせつつも、迫力がある声を披露。もしかしてまだ30代なんじゃないかと思うほどのパワーを見せつけた。

6月5日から始まった「百万本のバラコンサート」は、ラトビアとの友情を結ぶという意味合いがある。加藤はコンサートを行うにあたって、ホームページでこう呼びかけている。

リエパーヤはラトビアの西、バルト海に面した美しい港町。 文化の豊かさを誇るリエパーヤ交響楽団は、1881年に設立されヨーロッパで高い評価を得て活動しているオーケストラです。1991年に独立国となり、今自信に満ちた発展を遂げているラトビア、いろんな歴史を潜りながら、ひたすら美しい音楽に愛を込めてきたラトビア。その魂に込められた艶やか管弦楽とともに、心ゆくまで熱く、深く歌いたいと思っています。今回は23名の特別編成で演奏します。どうぞ、お楽しみに! ? ?登紀子(http://www.tokiko.com/100/index.html


◎[参考動画]2015 加藤登紀子ラトビア訪問

◆「私たちには未来に生きるという選択肢しかないのですから」

加藤氏は、反原発論者でもある。『NO NUKES voice vol.4』のインタビューでは、こう答えている。

「私たちには未来に生きるという選択肢しかないのですから、心の中にある希望の火を絶やさないことが大事です。そして生きようという決心を持つこと。でも、最近では何を求めていけばよいのか、希望が見えにくいんですよ。もっともっと胸を張って、皆が希望を持つためには、日本が原発をやめる決心をすることが必要不可欠だと声に出したいですね。私は、2014年の3.11に、イベントで福島に住む18歳の少女が書いた手記を朗読しました。彼女は父親が東電の社員なのですが、事故以来両親は口を利かなくなったし、友だちや親戚とは絶縁状態になってしまい、家族がバラバラになってしまった。それでも父親は毎日福島第一原発に行って事故処理にあたり、くたくたになるまで働いています。彼女と家族をこの辛い現実から解放するためには、原発を止めて原発の被害にまっすぐ向かい合い、廃炉に向かって皆で頑張る。そういう真っ当な目的に向かって人々が一つになるしか答えはないですよね。なのに政府は再び『福島は完全にアンダーコントロール』と、事実ではないことを言ってウソで塗りかためた安全神話を作り出そうとしています.。(以下略)」(『NO NUKES voice vol.4』より)

かつて学生運動に参加して、その中心にいた藤本敏夫を伴侶にしていた加藤氏は言う。

「私はかつて学生運動にも参加しましたし、その中心にいた藤本敏夫と暮らしてきましたが、当時も学生の側にだけ立って歌っていたわけではありません。時代の奥に流れている共通の想いを歌いたかったのです。私が大好きなマレーネ・ディートリッヒは、少女時代に第一次世界大戦が始まり、その時母親に『戦争をしている時、多くの人が『自分たちは神様に守られている』という感覚を持ちます。でも、神はどちらか戦うものの片方の応援をすることはない』、と」?(『NO NUKES voice vol.4』より)

◆ラトビアとロシア語──二つの命を生きることになった歌

コンサートのクライマックスは、やはりひな壇に200人ものコーラス隊が並んだ「百万本のバラの物語」だろう。ラトビアと日本をつなぐ加藤氏の執念が見える。たとえば加藤氏はブログで以下のように書く。

―ブログより

「コンサートのパンフレットに詳しいラトビアの紹介を書くために、随分沢山の本を読み、ラトビアの歴史のディテールが見えてきて、何度も鳥肌が立つような事実に出会いました。

帝政ロシアが第一次世界大戦で崩壊した後、独立国家となったラトビアを、革命後のソ連が侵略したのは1939年、スターリンとヒットラーの密約によるもの。翌々年の1941年、たった一夜で1万5千人の人がシベリアに強制移住させられた恐怖の日、それがよりによってNHKホールで歌う6月14日だった、ということも驚きです.

戦前戦後を通して、ハルビンにはロシアから亡命したり、移住したりしたポーランド人やユダヤ人が沢山住んでいたことは知っていましたが、ラトビアの人たちも数百人住んでいたそうです。私の家族はそうした移住者たち、イミグラントの人たちと強い繋がりがあったので、感慨無量です。

敗戦後、国を失った私たちは、彼らと同じように無国籍者となった訳ですが、「それでもめげずに堂々と生きられたのは、イミグラントの人たちの姿を見ていたからよ」と母は言います。どんな時も素晴らしい音楽を楽しみ、生活スタイルを守り、文化の高さを失わなかったラトビアを知れば知るほど、母の言葉が伝わってきます。

その時代のことをこよなく愛した父も、もう此の世にはいないし、100歳の母も今年はコンサートに来られない!でも、心の中では、今やっと対話できている、その気持ちを歌に託したいと思います。(http://ameblo.jp/tokiko-kato/)」


◎[参考動画]ラトビア・ リエパーヤ交響楽団リハーサル風景(2015.1加藤登紀子撮影)

加藤氏はコンサートのパンフにこう書く。

「ラトビアという小さな国で生まれた歌が、ソ連という大きな国に広がっていくためには、どうしてもロシア語に翻訳されなければならなかった。これもこの歌の運命です。結果的には、この二つの違った歌詞を持つことで、二つの命を生きることになったのです。ラトビア語では、母親が幼い娘に贈った子守唄だった歌が、ロシア語の詩ではグルジアの貧しい画家の恋の物語に生まれ変わりました。どちらにも幸せへの尽きせぬ祈りが込められ、いつしかソ連の各地でそれぞれの祈りを託された。何本もの花が一つの花束になるように、「百万本のバラ」は大きな花束になり、それぞれの国が独立して行くための闘いに、勇気を与えました。そして、この歌に運命を託した小さな国たちは今、別々の国になった。それはこの花束がもっともっと大きくなったことなのだと思います。国境線は国を分けるためにあるのではなく、繋げるためにある。大きな国から独立した小さな国のそれぞれが自信をもって輝こうとすることで、お互いへのリスペクトが生まれる。『百万本のバラ』に託された祈りは、今こそ国境線を越えて、人の心を束ねることだと思います」(50th Anniversaryコンサートのパンフレットより)

加藤氏の外交は、もはや傲慢で私利私欲の経団連主導の外務省の何倍にも価値がある。大衆よ! 加藤氏の声を聞け、震えよ!

秋には、このコンサートの模様を収めたDVDが販売される。興味があるむきは、ぜひ買っていただきたい。

◎加藤登紀子HP http://www.tokiko.com/index

(小林俊之)

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普通の人こそ脱原発!──世代と地域を繋げる脱原発情報誌『NO NUKES voice』Vol.4好評発売中!

戦後70年を憂国と愛国から問う!──内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』

 

過日ある大学の先生とあれこれ雑談を交わしていた時の事だ。

前段で「(内容が)社会的発言力を持つ若い世代の話者不足」が話題になった。原発、格差社会、貧困、差別、報道の惨状、そして暴走する悪政。どのテーマでも安心して一定レベルを満たした論を展開出来るのは、若くて50代。下手をすると70代、80代の人しか見当たらないという惨憺たる人材不足に2人で溜め息をついてしまった。貧困などではまだ比較的若い活動家が見当たるけれども、「改憲」反対の大きな集会で登壇するのは大江健三郎、澤地久枝、落合恵子、鎌田慧といった方々で失礼ながらその平均年齢は70を超えているだろう。

逆の立場から発言する者は、1つも2つも若い世代にいくらでもいる。古い言葉を持ち出せば「反動保守」という範疇にあたる主張を声高に(しかも早口多弁に)語る連中は世代を問わず溢れている。

それがこの救い難く絨毯爆撃を受けたかの如き、惨憺極まる言論状況の理由であり原因だ、と結んでしまえばそれはそれで的中しているのだが、それを甘受するほど屈辱的な現状肯定は無い。先生と私はこの惨禍をもたらした犯人探しをどちらから切り出すともなく試みてみることになった。

犯人は横にも(同時代)縦にも(今に近い過去)前にも(近未来)幾らでも転がっていて、どいつが主犯かを見立てる仕分けに手間取りそうな予感がしたが、そのあやふやな作業を、先生は極めて明確かつ深い含蓄を込めバッサリ斬り捨てた。

「こんな時代なのに大学の中で声が上がらないのです。憲法が無き物にされようとしているのに、学生がまた戦場に引きずり出されようとしているのに教授会決議どころか議論すらない。社会的存在として今の大学の有り様は罪深いですよ」

「自省を込めて」と切り出して先生が批判された「総体としての大学批判」は寸分狂いなく的中していると私も同意する。そうだ。大学の沈黙こそ大罪だ。

◆建学理念を放棄してまでなぜ大学は文科省(国)に隷属したがるのか?

ところで、最近の大学経営陣は何を指向しているのだろうか。大規模総合大学は、文科省がぶら下げる「補助金」というエサに競って食い付こうと血眼だ。公平性も哲学も微塵もない、言葉の用法からして誤っている「スーパーグローバル」なる実質的公共事業の入札競争で「補助金」を獲得すれば、あたかも当該大学の価値が上がると勘違いしている。採択されると選挙に当選した利権政治屋みたいに大はしゃぎ。

何故そこまで分別を棄てるのだろう。何故各大学が持っている建学理念を放棄(または諮意的曲解)してまで文科省(国)に隷属したがるのか。そこまでお上に従おうというなら私立大学としての存在意義なんてないじゃないか。羞恥の感覚はないのか。

教員は何をしている。この時代憲法学者、法学者や近代史専攻学者は勿論、工学であろうが、経済学であろうが専門領域など関係ない。大学に職を持つ研究者、教育者は自らの専攻を差し置いても、状況の危険性を学生に示唆しているか。

何故「戦争」を目前にしても何も発語しないのだ。全てに優先して学生を守るのが大学の責務ではないのか。「昔のことは知らない」と言い放ったバカ閣僚がいたが、万が一奴と同じような心境の大学教員がいるのであれば断ずる。そんな教員は「大学を去れ」と。

◆「安全保障関連法案に反対する学者の会」の否めない「出遅れ」感

安全保障関連法案に反対する学者の会HP

実はここまでを今月初旬に書き殴っていたのだが、6月中旬「安全保障関連法案に反対する学者の会」が始動し、この会の趣旨に賛同する学者・研究者は6月17日の時点で4000人超に達している。こういった行動や意思表明は意義深い。この活動を始動したか方々には深い敬意を払うものである。

だが、誠に身勝手な私見を述べれば、この法案群が本国会で審議されることは昨日今日に判明したことではなく、かなり前から解っていたことだ。市民レベルでは昨年から警戒心や抗議行動もあった。

「安全保障関連法案に反対する学者の会」の活動には敬意を払うけれども、国会の審議入り前に研究者や学者はその危険を察知し、活動を始めることは出来なかったのだろうか。

「特定秘密保護法案」の際も同じような「出遅れ」が気になった。気骨のあるジャーナリスト達が法案成立に反対の意を表明し、署名などを提出したが、その半年以上前から市民レベルで「特定秘密保護法」の危険性は認知されていて、反対の行動も相当激しく行われていた。市民の行動に比すれば、「ジャーナリスト」の行動が遅きに失した感は否めない。

研究者・学者をことさら市井の人々より「お偉い方々」と崇めるつもりはないが、社会問題については日々企業に勤務する給与所得者や、一般庶民より職務上深い洞察力と考えをお持ちの方々であるはずだ。そういった資質があるからこそ教壇に立っておられるのであろう。大学教員・研究者の皆さんには署名だけではなく、その「行動」により為政者達の悪意を暴く「覚悟」を是非見せて頂きたい。


◎[参考動画]「安全保障関連法案に反?対する学者の会」の代表会見(2015年6月15日東京・神田の学士会館)

◆大学の主役たる学生は何を考え行動しているだろうか?

そして、大学の主役たる学生は何を考え行動しているだろうか。残念だが極少数の例外を除き、学生は自らが被害者(または加害者)となる「戦争」の危機を察知出来ているとは言いがたいだろう。最高学府で学ぶ学生は自らの考えと言葉で、毎日浸っているこの社会を独自に解析する事が出来るだろうか。そうしたいという欲求があるだろうか。学生の暮らすこの島国の社会は、戦争や暴虐、放射能から十分に安全な場所だと安息していられるだろうか。回りくどい?なら直言する。

普段は封印していて、余程のことがなければ本当は使いたくない表現を敢えて文字にする。

「昔の学生の中には君達と違い、社会に深く関心を抱き、責任すら感じていた人が少なくなかった」のだよと。

更に言おう。

「昔の学生の中には命がけで社会的不正と闘い、本気でより良い社会の実現を目指していた人がいたのだ。今日本の大学の学費はとても高いけれども、それでも『学費値上げ反対』を戦った多くの学生がいなければもっと高額に引き上げられていただろう」と。

学生の言い訳は聞かない。うらぶれた年長者が如何に対抗しようとしても、絶対に叶う筈がない「若さ」と言う無限のアドバンテージを持っている学生に、懐古趣味(本当は私自身大嫌いなのだけれども)がボヤく戯言など本質的に敵うはずはないのだ。


◎[参考動画]全共闘 日大闘争 東大闘争 – 1968

「若さ」たる無限の可能性の前で年長者の戯言など無力以外の何物でもないことを私は知っている。だから私は学生に(それが限りなく難儀な注文だと解っていながら)目を覚まして欲しい。その可能性に期待する。変革のエネルギーの源泉が若者になければ、そんな社会は早晩破綻が宿命づけられているだろう。

かように、総体として大学は沈黙してしまっている。大学が沈黙するような時代だから、こんなに傍若無人がまかり通るとも言えよう。社会の中で「大学」が果たすべき役割は企業と一緒に商品開発に熱を入れることではない。社会的存在である大学(並びにその構成員である、教員、学生)は研究や学びを通じてよりよい社会の実現に寄与するものであるべきだ。

その正反対が、文科省の下僕に成り下がったり、企業と不埒にいちゃついたり、警察や役人のOBを教員として学内に迎え入れる姿勢だ。さらに言えば声を上げた学生をあたかも「危険分子」のように扱う大学などは看板を「学生収容所」と架け替えるべきだ。こんな時代だからこそ大学の果たすべき役割は大きい。期待するだけに私の要求水準は嫌が上でも高まってしまう。妄想と言われるだろうが、私の願いが少しでも誰かに反響してくれないだろうか。


◎[参考動画]日大闘争の記録「日大闘争」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎加速度を増す日本の転落──なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

自由なはずのアメリカで、自由なはずの日本で、
何も言えない、何も行動できない、
ガンジガラメの時代が始まっている!
闘う心理学者、矢谷暢一郎の心情溢れる提言に心が震えた!
──加藤登紀子(歌手)──

大学人の必読書!矢谷暢一郎『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』(鹿砦社)

 

実時間の進行速度はいかなる場所でも時代でも、人間の意思などとは全く無関係に、平等に、中立に、正確に不変であるはずだ。

「ヒト」という一生物種として400万年程の歴史しかない人間が、一見地球上全生物の支配序列の頂点に立っていると私達は日々無感覚に勘違いしているけれども、高度に機械化された文明が今、目前で創造しつつある近未来の像は、人間の進歩を示すそれとなるのだろうか。

こんな漠然とした物言いから始めたのは、直接語ればどうあろうと荒っぽい単語だけの羅列になってしまいそうな、自身の内心を警戒してのことである。「実時間の進行」などと大上段に切り出したが、他でもないこの島国の為政者達が行っている乱暴狼藉を目の前にして、私はそれに全く同意しない。だが問題はその意を表明するにあたり、この状況に即した適切な「言葉」が見つけられないことだ。専ら自身の不勉強に起因するのだが、私の獲得した語彙ではもう追いつかないのではないかという焦りが日々高じる。

書き出せばテーマは掃いて捨てるほどある。そのどれを採ってもニッコリとした表情になれるような穏便な話題はなく、ひたすら暗渠に留まり「時間進行」に対する自分の感覚が、いつの頃からかおかしくなったのだろうかと繰り返し反芻してみるしかないのだ。だが、どうやら「時間進行」と自身の不調和を感じているのは私だけではないようだ。「おかしいよな」の声は確かに広がってはいる。

○1999年05月28日──「周辺事態法」成立(後方支援の法的枠組みを整備)
○1999年08月13日──「国旗及び国歌に関する法律」公布・即日施行
○1999年08月18日──「住民基本台帳法」改正(住基ネットの導入決定)
○2002年08月05日──住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)稼動
○2003年05月23日──「個人情報保護法」成立(2005年4月1日に全面施行)
○2003年04月01日──郵政民営化(郵政事業庁が特殊法人日本郵政公社に改組)
○2003年07月26日──イラク特措法(時限立法。2009年7月に延長期限切れで失効)
○2006年12月22日──新「教育基本法」公布・施行
○2007年01月09日──防衛庁が防衛省へ昇格 ……

◆小泉政権と比べても転げ落ちる速度が速すぎる安倍政権

20世紀末から一連のキナ臭い流れの一部を参考までに抽出したが、「周辺事態法」から「防衛庁の省への昇格」までは8年を要している。主としてコイズミというあのペテン師が躍った8年間だって「時間の速度が増してやしないか?」と感じたものだが、その当時と比較してすら眩暈がしそうなほど、仮に「国家」と言う名の「石」があったとすれば、それは「ゴロゴロ」と轟音を鳴らし急傾斜を転げ落ちながら、地響きをここまで伝えて来ている。

○2011年03月11日──東日本大震災・福島第一原発事故
○2012年06月16日──大飯原発再稼動を正式決定
○2012年12月26日──第2次安倍内閣成立(~2014年9月3日)
○2013年03月15日──TPP交渉参加表明
○2013年12月13日──「特定秘密保護法」公布(2014年12月10日施行)
○2014年04月01日──消費税8%へ引き上げ
○2014年04月01日──「武器輸出三原則」が撤廃され「防衛装備移転三原則」制定
○2014年06月29日──トルコとの原子力協定発効
○2014年07月01日──解釈改憲閣議決定・集団的自衛権容認
○2014年07月10日──UAE(アラブ首長国連邦)との原子力協定発効
○2014年09月03日──第2次安倍改造内閣成立
○2014年12月24日──第3次安倍内閣成立
○2015年06月04日──衆院本会議で選挙権18歳へ引き下げ(公職選挙法改正案)可決
○2015年06月17日──参院本会議で公職選挙法改正案可決成立
○2015年06月現在──有事関連法=戦争準備法成立の画策が進行中

※[参考資料]平成27年1月から現在までに公布された法律一覧(内閣法制局)(2015年6月5日現在)

◎[参考動画]SEALDs戦争法案に反対する抗議行動での小林節=慶応大学名誉教授(2015年6月5日国会前)

◆3・11による放射能被害を大音響で消し去るかのように転げ落ちる安倍政権という「狂乱の石」

4年前、3・11による放射能の影響はどんなに深刻化しているだろうか、とチェルノブイリを知る人々は心配したものだった。が、あろうことか、その深刻な懸念を大音響で消し去るかのように「起きることが前提とされた戦争」が目の前に堂々たる「既成事実」として据えられて、為政者達や武器商人は既に武器の商談に忙しい。一刻も早く「集団的自衛権」と言う名の「自爆行為」に自衛隊を参加させたくて、関連法案の審議では「参考人」の憲法学者が「違憲だ」と声を揃えても「賛成の学者もいる!」(菅官房長官)とガキ大将並の屁理屈を堂々と披歴して恥じることさへない。支配しているのは「狂乱」と言うほかない。

「国家」と言う名の「石」は4年間で以前は8年掛かった距離の何倍もを転がり落ちている。

加速度を増す「石」の転落に対して、この島国に住む人々はどう反応しているだろうか。誰もが無関心でいる訳では勿論ない。いや、形に見える為政者達・権力者達への異議申し立て行動は3・11後確実に増加してはいる。いささか俄かに過ぎる態度の変化と言えなくもないけれども、「破滅を目指す」為政者への対抗行動が強まるのは当然過ぎるほど当然だ。だが、対抗行動の量は勿論必要だけれども、質はどうだろうか。

権力者や武力強者間による執権の移行は、歴史上数限りなく経験しているこの島国だが、残念ながら庶民が旧体制を転覆させた経験は持ち合わせていない。2015年6月、「戦争を前提とした」法制審議にあたり、対抗言語や行動の「質」は「狂乱」に見合っているだろうか。

論理上、為政者達の破綻を看破するには「憲法違反だ!」の一言で十分足りる。何のことはない。立憲制の国にあり根本法を犯すことは行政、立法にとっては明確な「禁じ手」なのだから。

だが、奴らに正論は通じない。「解釈改憲」などという「反則」を平然と行う連中とは、整然とした論理だけでは戦えない。では何が必要なのか。推測するにそれは恐らく、もっともっと真剣かつ冷徹な「怒り」だ。極普通の生活を送ることすらままならない収入を得る事しか出来ていない非正規労働者、増税により生活苦を強いられている低所得層や、「戦争」に駆り出されることが必至な若年層が、感応しなければ、転落を加速させる「石」は止めることは困難だろう。

そのために一体自分には何が出来るのかを行動しながら考え続けたい。


◎[参考動画]小林節=慶応大学名誉教授、長谷部恭男=早稲田大学法学学術院教授「憲法と安保法制」①(2015年6月15日日本記者クラブ)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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自民党青年部・青年局による「全国一斉街頭行動」が6月4日から14日にかけて全国約100ヶ所で行われた。
あまりにも国民をなめきっている自民党に反対するべく、日本各地で市民が集まり意思表示を行った。
福岡市中央区・天神ツインビル前でも自民党の街頭演説があり、反対する市民カウンターが集まって「戦争立法」に反対するプラカードを掲げたり、怒号をぶつけていた。

[2015年6月7日(日)・福岡県]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

◎《ウィークリー理央眼001》150回目の首相官邸前抗議
◎《ウィークリー理央眼002》福島/名古屋ヘイトデモ反対行動

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『NO NUKES voice』Vol.4

戦後70年の節目である。さまざまな角度から「反戦」を叫んでいこうと思うのだが、「731部隊の功罪」を暴いていくのにあたり、非常に歴史的な発見をした奈須重雄さん(NPO法人731部隊・細菌戦資料センター理事)に会ってきた。

警備員をしながら、国立国会図書館に通い続けて、「731部隊」の関係者で名前をひたすらに検索、膨大な資料を仕事の合間に探し続けて、2011年夏についに発見したのが、「金子順一論文」だ。

◆元731部隊員の金子順一が東大医学博士論文に記した事実

「金子順一論文」を発見した奈須重雄さん

奈須さんは語る。
「名前と単語で検索するのです。100人以上の名前で検索をかけましたね。博士論文は、国立国会図書館の関西図書館にあるのですが、東京(の国立国会図書館)からは5つ単位で取り寄せることができるのです。勤務はローテーションでしたから、あいまあいまに調べていました。金子論文は、8本まとめて閉じてありました。露骨に人体実験をしていた人などは、論文を隠したと思うのです」

金子順一氏(以下、金子という)は、元731部隊員(1937年~1940年7月)で、敗戦時は防疫研究室員。 戦後、金子は米軍から731部隊の活動について事情聴取を受けている。

『金子順一論文集(昭和19年)』は、東京大学に博士論文として申請され、1949年1月10日に医学博士号が授与された。

金子順一の博士論文は、以下の①(①)ないし⑧の「防疫研究報告」に掲載された8本の論文を合冊して表紙をつけたもので、その表紙には[(秘)]とある。

①(①)「雨下撒布ノ基礎的考察」
②(②)「低空雨下試験」
③(③)「PXノ効果略算法」
④「しろねずみヨリ分離セル「ゲルトネル菌ノ菌型」
⑤「X.Cheopisノ落下状態ノ撮影」
⑥「滴粒ニヨル紙上斑痕ニ就テ」
⑦「X.高空撒布ニ於ケル算定地上濃度」
⑧「火薬力ニ依ル液ノ飛散状況」

上記8本の論文は、「軍事機密」と記された防疫研究報告第1部が7論文と、[(秘)]と記された防疫研究報告第2部が1論文だ。

金子論文が発見されるまで、防疫研究報告第1部で発見されていたものは、平澤正欣の論文他数冊の論文のみであった。

また上記の防疫研究報告第2部第791号は、不二出版から復刻された防疫研究報告第2部の中に入っていない未発見の論文であった。

要するに、旧日本軍は、細菌兵器としてペストを中国にばらまいていたのだ。この一点をもってしても「細菌の研究や人体実験の資料はない」などという政府のその場しのぎのいいわけはとっくに瓦解しているのだ。少なくとも金子論文の中の、「PXノ効果略算法」論文(陸軍軍医学校防疫研究報告第1部第60号)で、731部隊により少なくとも6カ所、細菌戦が行われていたことが明らかになったのだ。

◆2012年には「金子論文」を基に服部良一議員(社民党)が国会で追求

これをもとに服部良一議員(社民党)が国会で追求。2012年8月21日提出の質問だ。以下は質問書の抜粋だ。

————————————————————————-
金子論文の八本の論文のうち、最初に綴じられている「雨下撒布ノ基礎的考察」の「緒言」には、「(前略)部隊ニ於テハ斯カル見地ヨリ既ニ創立以來研究ヲ續ケ、昭和十三年、雨下用法草案トシテ其ノ一端ガ示サレタ所デアル。予ハ昭和十三年秋命ゼラレテ此ノ方面ニ於ケル理論的研究ヲ擔當シ今日ニ到ツタ。此ノ間石井部隊長ノ指導ニ依リ鋭意之ガ基礎實驗ヲ重ネ來ツタガ、顧ミルニ淺學非才何等加フル所ノ無カツタ事ヲ甚ダ遺憾トスル。今般從來ノ成績ヲ總括シテ將來ノ参考トスベキ命ヲ受ケ、此処ニ主トシテ昭和十四年以降ノ實験考察ヲ羅列シ更ニ若干將來ニ對スル希望ヲ開陳シタ(後略)」との記述がある。右の記述は、七三一部隊が細菌戦の実施手段である雨下ないし撒布実験を繰り返して研究開発していたことを推認させる重要な証拠である。

また「PXノ効果略算法」には「第一表 既往作戰効果概見表」があり、同表には、①昭和十五年六月四日に吉林省農安においてペスト感染蚤五グラムを撒布したこと、②昭和十五年六月四日ないし七日、吉林省農安・大賚においてペスト感染蚤一〇グラムを撒布したこと、③昭和十五年十月四日、浙江省衢県においてペスト感染蚤八キログラムを撒布したこと、④ 昭和十五年十月二十七日、浙江省寧波においてペスト感染蚤二キログラムを撒布したこと、⑤昭和十六年十一月四日、湖南省常徳においてペスト感染蚤一・六キログラムを撒布したこと、⑥昭和十七年八月十九日ないし二十一日、江西省広信、広豊、玉山においてペスト感染蚤一三一グラムを撒布したことを示している記述がある。右の記述は、七三一部隊が昭和十五年から昭和十七年にかけてペスト感染蚤を用いた細菌戦を中国国内で実施したことを強く推認させる重要な証拠である。

右のように七三一部隊が細菌戦部隊であり、中国に対して細菌戦を実施したことを強く推認させる金子論文の存在が明らかになった現在、政府は同論文及びアジア歴史資料センターが公開している公文書等を研究対象として、七三一部隊の活動内容を検証する作業を、内外の歴史学等の研究者と協力して開始するべきであると認識するが、政府の見解を示されたい。(http://www.mod.go.jp/j/presiding/touben/180kai/syu/situ377.html
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◆「金子論文」発見の衝撃──政府が存在を否定していた『細菌実験の資料』が見つかった!

奈須さんは語る。
「農安・大賚でペスト菌がばらまかれたことが初めて金子論文で出てきたのです。政府は731部隊があったと認めているのですが細菌被害や人体実験があったとは認めていないのですから、大きな発見だったと思います」

この金子論文の発掘は、731部隊の研究者たちにも衝撃を与えた。世界中で報道されたのだ。もしも中国人の遺族が起こした731部隊の賠償請求裁判(2007年最高裁は結審。請求棄却)に、金子論文の発見が間に合っていたら、裁判の流れが変わり、結果が変わったのかもしれないのだ。

「服部さんの質問にも政府の回答は『細菌戦の資料はない』とのことでした。今後も、図書館に通って731部隊があったことを文書でもさらに証明していきたい」と奈須さんは語る。

「私たちは活動の一環として、731部隊の関連施設が世界遺産に認定されることを応援しています。アウシュビッツとはいかないまでも、それで世界中の関心をかなり集めるはずです」

世界の戦争の常識では、細菌を空から落とすのは、禁じられているが、日本軍は平気でやっていたことがようやくわかった。戦後70年を迎える今年、大きく731部隊について動きだそうとしている。奈須さんは今もなお、「少しずつ隊員の名前がわかってきていますから、今も博士論文を探しています」と奈須さんは言う。
これからも「731部隊」関連の報道に注目していきたい。

※ 「731部隊映像コンテスト ホームページ」(http://731-vc.wix.com/compe
※ 「当時の新聞記事」(http://www.anti731saikinsen.net/img/nicchu/bunken/kaneko/asahi/20111016asahi.pdf

※[参考資料]『金子順一論文集(昭和19年)』紹介(NPO法人731部隊・細菌戦資料センター)
http://www.anti731saikinsen.net/nicchu/bunken/index.html
※[参考資料]]『金子順一論文集(昭和19年)』(PDF 14MB)(NPO法人731部隊・細菌戦資料センター)
http://www.anti731saikinsen.net/img/nicchu/bunken/kaneko/kaneko.pdf

(小林俊之)

◎731部隊の「ガチンコ人体実験」跡をユネスコが「世界文化遺産」と認める日
◎占領期日本の闇──731部隊「殺戮軍医」石井四郎はなぜ裁かれなかったのか?
◎追跡せよ!731部隊の功罪──「731部隊最後の裁判」を傍聴して
◎反原発の連帯──来年4月、電力は自由化され、電力会社を選べるようになる

戦後70年を憂国と愛国から問う!──内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』

 

 

5月21日の本コラム「『医薬分業』や『お薬手帳』で利を得ているものは誰なのか?」でこの制度への疑問を述べた。22日の各紙朝刊は「かかりつけ薬局」制度導入を政府が模索していることを報じた。

共同通信によると、「厚生労働省は21日、全国に約5万7千カ所ある薬局を、2025年までに患者の服薬情報を一元管理できる『かかりつけ薬局』に再編する検討に入った。薬の飲み残しや重複を防ぎ、膨らみ続ける医療費の抑制にもつなげる狙い。患者各人がかかりつけ薬局を決め、どの病院を受診してもその薬局に処方箋を持ち込める環境を目指す。24時間調剤に応じたり、在宅患者に服薬指導したりする機能も整備する。塩崎恭久厚労相が26日の経済財政諮問会議で、将来に向けた『薬局構造改革ビジョン』(仮称)を作成すると表明する。16年度の診療報酬改定で、かかりつけ薬局普及に向けた考え方を反映させる」そうだ。

先の記事で私は「医薬分業により薬の過剰投与が抑制されることはない」と指摘したが、この疑問に答える形で「かかりつけ薬局」制度が準備されようとしているらしい。

◆「かかりつけ薬局」制度で投薬の一元管理が進み「国による個人の監視」は強化される

だが、何気ない記事の中でさらりと言及されているが「かかりつけ薬局」導入の目的は「患者の服薬情報を一元管理」することだ。これは一見合理的で患者本位のようにも受け取られるかもしれないがその実「国による新たな個人の監視」に他ならない。

個人の健康状態や通院、服薬状態が包括的に把握された上での処方は「過剰投与」防止の観点から一定程度は有効だろう。しかしそれを国に管理される理由はないし、これぞ正に秘匿性が高い「個人情報」ではないのか。また「どの病院を受診してもその薬局に処方箋を持ち込める環境」は現状の制度でも全く問題なく行える。処方箋を受け取った患者のほとんどは実質的な「かかりつけ薬局」を既に持っているだろう。

◆医薬をめぐる一連の流れは個人の「健康」に主眼を置いたものではない

ここで厚労省が目指しているのは現状のような「選択的かかりつけ薬局」ではなく「どの病院を受診しても特定の薬局に処方箋をも持ち込まなければならない」制度だ。投薬の一元管理により個人の健康、通院、服薬状態を国が把握しようとするのが真の目的である。

国が目指す「かかりつけ薬局」制度導入の背景には前述の通り、「医薬分業が実質的には過剰投与や薬価抑止にはつながらない」という明白な批判をかわす狙いがあろう。また「医薬分業」自体が厚労省、製薬会社の牽引の元推進され、それに文科省も大学に「薬学部」の新設を促す形で便乗し進められてきた「国策」との背景を見れば、一連の流れが個人の「健康」に主眼を置いたものではないことは明らかだ。

しかし、「医薬分業」は当初「どこの薬局でも処方された薬がもらえるようになります」とその利便性を広報していたではないか。患者にとって最も役に立つと宣伝されてきた「どこの薬局でも」は早々に姿を消して、「かかりつけ薬局」という名の「特定の薬局」へと患者は囲い込まれようとしている。

外資系の製薬会社に勤務する知人によると「薬価」自体が実はかなりあいまいで、発売直後(特許有効期間)の薬は開発費や諸経費で高価だけれども、いわゆる「ジェネリック」になると価格が大幅に下がる。さらに「ジェネリック」の価格であっても利益率は途方もなく高いらしい。「どう転んでも大手製薬会社は儲かる仕組みになっている」と知人は言う。利益率に費えは企業秘密だそうだ。

◆来年1月から始まる「癌登録制」──どう転んでも大手製薬会社が儲かる仕組みは変わらない

一方「癌登録制」が来年から始動することを読者はご存知だろうか。「国立がん研究センター」によると、「『全国がん登録』とは、日本でがんと診断されたすべての人のデータを、国で1つにまとめて集計・分析・管理する新しい仕組みです。この制度は2016年1月から始まります。『全国がん登録』制度がスタートすると、居住地域にかかわらず全国どこの医療機関で診断を受けても、がんと診断された人のデータは都道府県に設置された「がん登録室」を通じて集められ、国のデータベースで一元管理されるようになります」とのことである。

「かかりつけ薬局」強制を前に、来年度から癌患者の情報は国に一元管理されることになる。「癌登録制」には様々導入理由が述べられている。どれもこれも「ああ、そうなのか」と一見合理的にその利点を述べてはいるが、その全てが本音ではないだろう。

完全な私見だけれども、福島原発事故による癌患者増加とその動向を国は「観察」したがっているのではないか。純粋に癌治療の向上を目指すのであればともかく、この議論が原発事故後俄かに盛り上がり、ほとんどの国民が認知しない中で来年早々に導入されるのはあまりにもうさん臭くはないか。福島だけでなく食物の流通により内部被曝は全国に拡散している。その結果を探りたいのではないのか。

医療と、製薬・薬局業界は利にまみれている。彼らの本音を見抜いておかないと我々は必ず美名を冠した制度の犠牲者となろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」
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◎私が出会った「身近な名医」高木俊介医師は精神科在宅治療のパイオニア

「普通の人」こそ脱原発!──『NO NUKES voice』第4号が5月25日発売!

 

ポール・マッカートニーがついに武道館に帰ってきた! 連日満員の東京ドームと、49年ぶりに戻ってきた日本武道館での「体験」を700枚超の写真とともに記録した本が出た。

ポール自身も「とてつもなくクレージーで、最高の夜だった」と評した日本での出来ごとを振り返るフォトブックだ。

『2015 PAUL in Japan』(鹿砦社2015年05月25日) 板坂 剛=編著 B5判/128ページ/オールカラー/カバー装 定価:本体1600円+税

◆YouTubeがまだなかった1990年、ポールの初来日ライブ体験は衝撃だった!

初めてポールのコンサートにでかけたときは、就職を4日後に控えた90年3月13日のことだ。初来日に日本中が涌いている中、ポールは次の演奏曲をやった。そして私と友人は、ボロ泣きしながら、完全にポール・フリークとなっていた。

1990年3月13日のポール来日コンサートのセットリスト

そして次にポールと接触するのは、留学の本を作っていたときに、ポールが自費を投じて作った音楽学校の紹介記事なのだが、とにかく、ここで語るのははばかれるほど、ポールが音楽界に果たした功績は大きい。

今でこそ、YouTubeで楽しめるが、その昔は音源が手に入りにくい「ウイングス」時代の曲「グッドナイト」などは、探すのが難しく、ここ10年ほどは聴けなかったが、今年、YouTubeで10年ぶりに聞いた。そうした意味で今はなんでも聴けていい時代だと思う。

◎[参考動画]Paul McCartney – Out There Tokyo Japan 2013 東京公演HD完全版
Tokyo Dome, TOKYO 2013年11月21日

◆ポール日本公演実現までの長く曲がりくねった道

編著者の板坂剛氏は、「リベンジの来日!」と題して前がきでこう書く。

ポール・マッカートニーは、今回の来日を〝リベンジ〟だと位置づけた。この言葉には、複雑な情感が込められているような気がする。

これまで、ポールの日本公演は決して平和裡に実現したわけではなかった。1966年のビートルズ(初来日にして最後の来日となった)武道館公演からして、「ビートルズを日本から叩き出せ」という右翼団体の罵声を浴び、「神聖な武道館を河原乞食に使わせるな」と、あるテレビ番組から悪質な中傷を全国に流布された。(〝河原乞食〟の芸が歌舞伎座で上演されることは許されるのか?)

そこに当時の首相の佐藤栄作首相までが「(ビートルズは)武道館にふさわしくない」と発言。この〝佐藤発言〟はそれほど辛辣なものではない。しかし、たかが(と言ってはポールに悪いが)ロックバンドの公演に一国の首相が言いがかりをつける大人気なさに、当時の若者たちは皆「国家権力の正体見たり」と冷ややかに反応したものだった。

(中略)日本公演に続くフィリピンでの受難、あるいは、ウイングス時代の麻薬がらみの公演中止事件も、カリスマ性を持つ人間が大衆をリードすることに対する国家権力側の嫉妬に充ちた嫌がらせだったとしか思えない。1966年、『時事放談』というテレビ番組で暴言を吐いた小灯利得も細川隆元も、また首相の佐藤栄作も、もちろん「ビートルズを日本から叩き出せ」と言い切った大日本愛国党の赤尾敏も、その後、武道館がコンサート会場として常時、数多くの〝河原乞食〟に使用されることに対しては全く非を唱えようとはしなかった。彼等は、ただただビートルズという巨大カリスマが憎かったのである。

だから今、ポールの口から〝リベンジ〟という言葉を聞かされると、どうしても彼等のふてぶてしい顔が、まず目に浮かんでしまう。彼等は既にこの世にはいないが、死者に鞭打つなという批判を退けても、私は、佐藤栄作、赤尾敏、小灯利得(おばまとしえ)、細川隆元の4人がもし今も生きていたら、首に縄をかけて武道館に連行し、ポールの前に土下座させたい気分でいることを正直に記しておきたい。

4.28 日本武道館にて (板坂剛「まえがき」より)

鬼才・板坂の文章はこの本ではコラムとしてスパークする。そこにはポールとジョンがなぜ仲違いしたのか解説しているが、これは買ってのお楽しみとしてとっておきたい。ポールファン、ビートルズのファンは見逃せない一冊だといえるだろう。

(小林俊之)

◎[参考動画]Paul McCartney – Out There Japan Tour 2015 大阪公演HD完全版
Kyocera Dome, OSAKA 2015年4月21日

『2015 PAUL in Japan』

「誰かがMERSにかかったら皆に感染するかもしれないので、週末は街に出ないでください」

6月5日、韓国の地方都市にある大学の留学生宿舎で、こんな通達が出た。この2、3日前より韓国内では「MERS」(中東呼吸器症候群)の流行が懸念されるようになり、「ラクダと密接な接触は避ける」(韓国内の一体、どこにいるのか)「せっけんと水でよく手を洗う」「滅菌してないラクダの乳や、生肉を摂取するのは避けて」(韓国内の一体、どこで売っているのか)などと書いてあるお知らせが、公共の場所に貼り出されるようになった。

この街ではまだMERS患者が出ていないため、ウィルスを持ち込ませないようにするための措置だと、学校関係者は語った。通達が出た直後、アメリカやカザフスタン、ウクライナなどからの留学生たちは、一斉にマスクをし始めた。この地方都市でも、繁華街にあるセブン・イレブンやダイソーの店頭からは、既にマスクは消えていた。

翌6日の土曜日、ソウル市のカンナム地区にあるバスターミナルは、休日の午前中にも関わらず閑散としていた。マスクをして歩いている人が、時折姿を見せる。女性や高齢者の割合が高かったものの、男性もいないわけではない。バスターミナルがある駅から、14番目の患者となった男性が入院するサムソン・カンナム病院までは地下鉄でわずか6駅。この病院には6月8日現在、34人もの感染者が入院しているという。

マスク姿の女性が目立つ、高速バスターミナル

「こんなに人がいない清潭洞は、見たことがありません」
“シモンズ”など高級家具のブランドショップやカフェなどが並ぶ、ハイソな街の清潭洞界隈も、正月の丸の内並みに閑散としていた。ウォン高円安による不景気で、買い物に来る人が激減したのもその理由だろうか?

「いや、全部MERSの影響ですよ。本当に今日は街に人がいない」
そう語ったのは、清潭洞でハンバーガーカフェを経営する男性だ。ちなみに彼は、かつて日本語を学んでいたことがあり、「もうほとんど忘れてしまいましたよ~」と言いながらも、なかなか流暢な日本語を話してくれた。

ガラガラすぎる、日曜日午後の清潭洞

「政府が情報をきちんと発表しないのが、全部悪いんですよ!」
ソウル近郊に住む40代の女性は、マスクをしたまま怒りをあらわにした。彼女によるとサムソン・ソウル病院にはサムソンの李健煕会長が心臓の病気で、昨年から長期入院している。感染者がいる病院の情報が週末まで公開されなかったのは、サムソンと会長の名誉を守るためではないかと疑っているそうだ。

「国民がこんなに大変な時なのに朴槿恵大統領は、14日から18日まで訪米するんですよ。彼女は何が起きても側近任せで「私は知らない、わからない」と言うばかり。あと2年半も、この政権が続くなんて……」

弘大でばらまかれていた謎のチラシ。「MERSよりも大統領が怖い。責任を取らない政府、国民たちは自分の力で生き残らなければならない現実。これが国家か?!」と書いてある

韓国政府によると、6月11日現在の感染者は122人で、死者は10人。前述の大学ではこの日頃から留学生たちのマスクは、N95対応のものまで見られるようになった。

▼サ・ウナ
韓国の地方都市にある某大学に留学中の女子大生。世界中から来ている学生たちによる、ミックス言語で繰り広げられている「かわいい~」「○○さんかっこいい~」「○○が××のことを好きだって言ってたよ~」などの会話に、日夜イライラしながら学業に勤しむ25歳。

◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎第3回「前田日明ゼミin西宮」──田原総一朗氏を迎えて聴衆120人の大盛況!
◎《ウィークリー理央眼002》福島/名古屋ヘイトデモ反対行動
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!

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最近は回数が減ってきてはいるものの、今でも街に出てヘイトスピーチを繰り返し行なう人々がいる。
しかし、それ以上にヘイトスピーチに反対する人々もいて、今ではレイシスト(差別主義者)達はヘイトをする度に各地のカウンターに叱られまくっているのだ。

5月30日(土)は東京と福島、31日(日)は東京・愛知・大阪、2日間5ヶ所でヘイトスピーチ・デモ/街宣が行われた。
今回は私が撮影に行った福島駅前と愛知県名古屋市のカウンター映像を紹介しようと思う。


[動画]2015.5.30福島ヘイト街宣へのカウンター(6分47秒)

この街宣は、『在日特権を許さない市民の会(在特会)』の桜井誠・前会長が4月25日に福島県郡山市で主催した
ヘイトスピーチ街宣に共産党員が反対の声を上げに来ていた事にかこつけた、共産党批判を目的とした街宣であった。
…のはずだったのだが、実際には共産党とは全く関係のない人種差別や妄想を連発するばかりであった。

そんなレイシストは9名(+子供2名)、反対の声をあげるカウンターは7名。
レイシストの差別発言を物理的に打ち消す為、あるいはデマ発言を訂正する為、カウンターの人々は大声を張り上げる。
この映像はそういった直接的なカウンター行動しか捉えていないのだが、福島駅前で差別街宣が始まる前に、これからヘイトスピーチが行われる事への注意喚起と、ヘイトスピーチに関する理解を深めてもらうための事前周知行動のチラシ配りもちゃんと行っている。
さらに言えば、午前中から機動隊を使い、在特会の差別街宣の「場所取り」を行っていた福島県警察に対しての抗議も行っている。
私たちは自分にできる事をできる範囲で行うといった、差別主義者たちに対してのあらゆるカウンターをどんどんしてやるべきなのだ。

[2015年5月30日(土)・福島県]


[動画]2015.5.31名古屋ヘイトデモへのカウンター(12分24秒)

ここではかなり激しいアクションが行なわれているが、名古屋で毎回こういう反対行動が行なわれているかと言えば決してそうではなく、むしろこれまでは非常に小規模なカウンターしか行われてこなかった。
今回は桜井誠・在特会前会長がわざわざ名古屋にヘイトスピーチをしに来たので、東京からも大阪からもカウンターが集まり、過去最大のアクションになった。

今まで様々な方法でカウンターはレイシストの差別を止めさせようとしてきたが、今回のこの映像には桜井誠・在特会前会長に文句を言いにきた右翼の街宣車が登場している。
カウンターも新たなフェーズに突入したという考え方もできると思うが、以下、右翼街宣車のスピーチ部分の文字おこしを読んでもらいたい。

『デモ隊のみなさん、大変暑い中での保守行動、ご苦労様でございます。
私どもは、中部地方を中心に民族活動を展開しております○○○○○有志一同です。担当は○○でございます。
今日はみなさんの保守行動を展開するにあたりまして、一つ、二つ、お願いごとをしにやってまいりました。
普段ですね、テレビや新聞などで見かけるヘイトスピーチなる差別的な行動は今日は絶対にやめて頂きたい。
私どもも日章旗そして旭日旗を掲げ、日々民族運動を展開しておりますので、みなさんの意向は分かりますが、一部の人間を差別するような言動は同じ日本人として、もちろんそれは、人間として見苦しい行動であると考えております。
今日のように不特定多数のみなさんがいる、このような環境では啓蒙活動だと信じておりますが、みなさんの行なっている行動が抗議行動であるというのであれば、是非、名古屋市内にあります、領事館、また役所などに出向いて頂きまして、抗議行動を展開してください。
このような場所で、死ねだ、バカだ、そのような見苦しい言動をされますと、同じ日本人として私は本当に恥ずかしいので絶対にやめてください。
デモ隊のみなさん、暑い中で、わざわざ恥をさらす必要はございません。
もう少しですね、良識のある日本人として恥ずかしくない行動をとって頂きたい。
日の丸を掲げて、旭日旗を掲げて、恥ずかしい思いは絶対にしないでください』

右翼といえば皆、自分たちの仲間だと思っていたヘイトデモ参加者も多かったはずで、まさか自分たちのデモが右翼の街宣車に追いかけ回されて注意を受けるとは思ってもみなかったはずだ。
差別主義者は右翼からも見放され、もう完全に孤立してしまった。

ただし、上の書きおこしを読めば分かるように、この右翼街宣車の中の人は決して本来の意味での「カウンター」をしに来ているわけではなく、自分達の「保守」活動の足を引っ張る、いわば調子に乗りすぎている「桜井誠」や「在特会」に(優しく)「お仕置き」しているだけなのだ。
実際、彼らは「差別はやめろ」と同時に、在特会のデモではおなじみの「日韓断交」や「中共が嫌い」との言葉も発している。
また、カウンターに対しては攻撃的な態度をとっており、ヘイトデモを「保守行動」と表現しているところから、一応は在特会を「保守」仲間として捉えてはいるようだ。

「カウンター」と呼ばれる人々は、要は「差別を許さない市民」のことで、共通する何らかの思想があるわけではない。
中には右寄りだったり左寄りだったりする人はいるが、ヘイトスピーチをなくす為に大体同じ方向を向いているだけの大雑把に分類された人々のことを言う。そういう意味では、今回のこの右翼の街宣車も、大枠ではある種の「カウンター」であったと言えよう。
やはりレイシストの居場所は日本にはないのだ。

[2015年5月31日(日)・愛知県]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

◎《ウィークリー理央眼001》150回目の首相官邸前抗議

月刊誌『紙の爆弾』は毎月7日発売です。

 

これまで本連載で何度も指摘してきたが、芸能界の問題の核心部分は主要芸能プロダクションのほとんどが加盟する業界団体である日本音楽事業者協会でタレントの引き抜きが禁じるカルテルを結び、独立阻止で一致団結していることだ。

タレントが他の事務所に移籍できず、独立もままならないとすると、所属事務所の言うがまま隷属状態に置かれることになる。実はこのことはタレントにもあまり知られていない。

安室奈美恵オフィシャルサイトより

◆「芸能界の掟」に阻まれ頓挫したサンミュージック小島よしおの人力舎移籍

もう何年も前のことになるが、サンミュージックに所属するお笑いタレントの小島よしおが他の事務所への移籍を画策した時期があったという。

サンミュージックといえば、1980年代は松田聖子がブレイクし一世を風靡したが、86年には所属タレントの岡田有希子が事務所が入居していた四谷のビルから投身自殺をし、大きなイメージダウンとなった。さらに稼ぎ頭だった聖子が89年に独立してしまった。この時は業界をあげて聖子を干したが、聖子の離反でサンミュージックが受けた打撃が回復することはなかった。

90年代になると、トレンディドラマのブームになり、特に野島伸司脚本のドラマではサンミュージック所属タレントが多く起用されたものの、2000年代に入るとそれも失速し、大きく方針を転換し、お笑いに力を入れるようになった。そこで出てきたスターがダンディ坂野やカンニング竹山、小島よしおなどだったが、事務所全体の勢いは伸び悩んだ。特に稼ぎ頭の小島には、事務所に対する不満が募っていったという。

そこで小島は、おぎやはぎが所属する人力舎への移籍を打診したという。だが、人力舎側からは「サンミュージックさんとはお付き合いがありますので」と体よく断られてしまった。

◆「事務所のメンツ」を潰したタレントの復帰は難しい

また、「事務所に迷惑をかけた」と烙印を押されたタレントの芸能界復帰は難しいという。

最近でいいえば、たとえば、オセロの中島知子のケースだ。中島は2011年ごろから家に引きこもって仕事ができない状態が続き、同居していた占い師との関係が取りざたされ、洗脳騒動が持ち上がった。

2013年3月、中島は『ワイド!スクランブル』で洗脳騒動以来初のテレビ出演を果たし、洗脳騒動の真相を明かしたが、これは所属事務所、松竹芸能の意向を無視した中島の独断だった。松竹芸能は中島に対しただちに契約解除を申し渡した。

それ以降、洗脳騒動以来中島のメンタル面をサポートしてきたという脳科学者の苫米地英人が中島の連絡窓口となることが明らかとなった。この時の説明では、「次の事務所が決まるまでの間」とのことだったが、未だに移籍先が決まっていない。
現在、中島が出演しているのは、苫米地が出演しているMXTVの番組に限られ、本格的な芸能界復帰には至っていない。

この間、中島自身も事務所移籍の希望はあったようだが、他の芸能事務所からは「松竹さんとはお付き合いがありますので」という理由で受け入れを拒絶されたという。結局、松竹の許しを得たということが確約されなければ事務所の移籍はできないようなのである。芸能界にとっても最も重要なのは事務所のメンツであり、そこに経済合理性はない。たとえタレントに需要があったとしても事務所の論理によって潰される。


◎安室奈美恵 / 「Stranger」 (from New Album「_genic」)

◆なぜ安室奈美恵はライジングからエイベックスに移籍できたのか?

芸能界ではタブーとされる「引き抜き(移籍)」だが、今年1月には大きな動きがあった。ライジングプロダクションからエイベックスへの安室奈美恵の移籍した一件だ。

安室奈美恵といえば、昨年8月に独立騒動が表面化し、安室に独立を炊きつけ、“洗脳”した人物として音楽プロモーターの西茂弘氏の名前が取りざたされ、所属事務所、ライジングプロダクションとの関係悪化が深刻化していた。

12月には怒り心頭のライジング側は「独立するなら安室奈美恵の名前は使わせない」として7月、特許庁に「安室奈美恵」の名前を商標登録として出願していたことが報じられた。だが、「安室奈美恵」は芸名ではなく本名であり、本人の承諾を得ずに商標として登録されることはない。

そんな報道があった矢先、電撃的にエイベックスへの移籍話が持ち上がり、2015年1月14日付で安室とライジングの専属契約は終了し、その翌日から安室のマネジメント業務窓口がエイベックス内のレーベル「ディメンション・ポイント」で行うことになったという。

芸能記者は「これは大揉めするなと思っていましたが、関係者に取材すると『全然揉めていない』とのことで拍子抜けしました」と語る。

その後の報道によれば、安室の移籍に関連して、エイベックスがライジングの要望を聞き入れる形で、違約金や一定期間の活動停止処分、CDなどの印税収入の分配などを受け入れたともいうが、安室の芸能活動には支障はないようで、この6月には未発表曲のアルバムが発売され、9月から2016年2月まで全国ツアーが予定されている。

また、安室に独立をそそのかしたとしてやり玉に挙がった西氏は安室の移籍後も引き続き、安室のコンサート制作に携わるという。


◎安室奈美恵 / 「Birthday」 (from New Album「_genic」)

◆音事協は安室の「独立」を防ぐために「引き抜き」を認めざるをえなかった?

あまり大事とはならなかったこの移籍劇は、芸能界にとって大きな意味があるように思える。というのも、安室を引き抜いた格好のエイベックスも引きぬかれたライジングもともに音事協に加盟する芸能事務所だからだ。

そもそも音事協はタレントの引き抜きを防止するために設立された組織だ。私が知る限り、音事協内でタレントが移籍したケースは、過去に一度もない。タレントが独立するのは仕方がない。だが、徹底的に干すというのが芸能界の流儀だったはずだ。安室の移籍は、音事協の存在意義を否定するものであり、「引き抜き解禁」というパンドラの箱を開いたことになりかねず、芸能界にとって極めて重大な禍根を残すことになる。

筆者の考えでは、音事協は安室の独立を防ぐために引き抜きを認めざるをえない状況に追い込まれたのではないかと推測する。コンサート運営のプロである西氏が安室の独立の黒幕だとするならば、西氏には「安室が独立したとしてもコンサートはできる」という読みがあったはずだ。

近年、安室はテレビ出演を抑え、芸能活動の軸足をコンサートに移していた。コンサートさえできれば、安室は芸能界で生き残れる。さらに、近年はYoutubeなどを始めとするインターネットの新興メディアが勃興しており、仮にテレビに出演できなくとも新曲のプロモーションは可能だ。

安室ほどの大物であれば、テレビなどの既存のメディアに頼らず、独自の芸能活動ができた可能性が高い。だが、実際に安室の独立が成功してしまうと、音事協の存在意義が問われることになる。芸能事務所はタレントになめられたら、おしまいだ。音事協に力がないと思われれば、タレントの独立が相次ぐようになるはずだ。それは「芸能界液状化現象」を意味する。安室の移籍は、そのような事態を恐れ、言わば次善の策として認められたのではないだろうか。だが、それは芸能界の決壊を先送りしただけに過ぎない。


◎安室奈美恵 / 「Fashionista」 (from New Album「_genic」)

◎安室奈美恵オフィシャルサイト http://namieamuro.jp/

◎安室奈美恵New Album「_genic」サイト http://dimension-point.jp/amuro/_genic/

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》
◎『あまちゃん』能年玲奈さえ干される「悪しき因習」の不条理
◎ヒットチャートはカネで買う──「ペイオラ」とレコード大賞
◎宮根誠司──バーニングはなぜミヤネ独立を支援したのか?
◎松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説

芸能界の歪んだ「仕組み」を綿密に解き明かしたタブーなき傑作ノンフィクション『芸能人はなぜ干されるのか?』

『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』

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