7・12鹿砦社弾圧10周年復活の集い

朝日新聞広告掲載拒否に関連して、この事件に関与した人たちのその後を想起してみました。

まずは神戸地検にリークしてもらって“官製スクープ”で紙面を大きく飾った平賀拓哉記者。当時彼は27歳、その後、2010年、大阪地検特捜部による厚労省郵便不正事件の取材チームに入り、証拠改竄で当時の大坪弘道大阪地検特捜部長を逮捕・失職に追い込み、これは新聞協会賞を受けています。

この大坪検事が神戸地検特別刑事部長に就任して最初の事件が鹿砦社弾圧事件ですが、この時、平賀記者は神戸地検からリークしてもらい“官製スクープ”をものにするわけです。こういうことを、三井環氏によれば「風を吹かせる」というそうですが、平賀記者にリークしたのが、大坪検事か、それとも主任検事の宮本健志検事か判りませんが、いずれにしろリークしてもらった神戸地検特別刑事部のトップが大坪検事でした。

その5年後、平賀記者は大坪検事を追い落とす朝日の取材チームの一員となります。因果なものです。

大坪検事は鹿砦社弾圧の後、大阪地検特捜部長に昇り詰めますが、上記したように、厚労省郵便不正事件証拠改竄に連座し、東京地検と並び検察の雄、大阪地検特捜部長が逮捕・失職に追い込まれるという前代未聞の事件に巻き込まれます。

鹿砦社弾圧事件を指揮したのは大坪検事ですが、その直下の主任検事が宮本健志検事で鹿砦社の地元の甲子園出身です。

宮本検事は2005年7月12日当日、神戸地検に連行された私に直接手錠を掛け、取調を行った検事です。

その後、宮本検事は徳島地検次席検事に栄転し、その際、深夜に泥酔し一般市民の車を傷つけ平検事に降格、戒告処分を受けています。車の持ち主が示談に応じなかったならば懲戒免職ものです。なんとか検事の身分は守ったものの、その後、当時大坪検事が居た京都地検に平検事として赴任しています。

さらに、私をブタ箱送りにした大手パチスロ会社「アルゼ」(現ユニバーサルエンターテインメント)はフィリピンカジノ建設について汚職が報じられて、FBIなどの捜査がいまだに続いているといいますし国税も入っているそうです。これをスクープしたのが、これまた朝日、そしてロイターでした。「ユニバーサル」は朝日、ロイターを訴え、私たちの時とは桁違いの熾烈な裁判闘争が続いています。さらに巨額の株主請求訴訟も起こされています。早晩、なんらかの“結論”が出るものと思います。

平賀記者はともかく、私をハメた人たちには不幸が続きました。「マツオカの呪いか、鹿砦社の祟りか」と揶揄される所以です(苦笑)。「因果応報」――古人もよく言ったもので、人をハメた者は、いつかはみずからもハメられるということです。

先の私の逮捕記事と併せ、画像でアップした3つの新聞記事をご一覧ください。

(鹿砦社 松岡利康)

① 朝日新聞2010年10月2日付け 大坪検事逮捕記事

② 徳島新聞2008年3月26日付け 宮本検事泥酔事件記事

③ 朝日新聞2012年12月30日付け ユニバーサル比カジノ汚職記事

◎7・12「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧から10年──鹿砦社は復活した!朝日新聞、当社広告を拒否!

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