8月24日午前0時50分頃、相模原市の米軍関連施設「相模総合補給廠」で起きた爆発火災事故──。事故直後の報道によれば、「米軍側の規制のため警察や消防は出火現場に近づけず」現場近くに消防車と救急車が計13台が出動したものの放水活動さえできなかったという。その後の経過情報に関しても、24日13時時点では詳細な情報が見当たらない。
◎[参考動画]相模原市米軍基地爆発(2015年8月24日mo si氏公開)
◎[参考動画]相模原・米陸軍総合補給廠で爆発火災(神奈川新聞@カナロコ2015年08月24日公開)
そこで相模原市消防署へ電話取材を行った。同消防署総務課の吉平(よしひら)氏が対応をしてくれた。
・怪我人はいないか
・相模原消防署による消火活動は行われたのか
・鎮火したか
・事故の検証は消防や警察が行うのか
を尋ねた。吉平氏によると「怪我人の報告は入っていない。詳細はわからないが相模原消防署による消火活動は行われた。現在は鎮火したと思われる。出火原因の検証などは火災現場が米軍敷地内なので、消防・警察ではなく米軍が行うことになる」そうだ。
◆沖縄であろうと首都圏であろうと、米軍基地内に手出しができない日本政府
196ヘクタールという広い敷地ながら、相模原市の住宅街に隣接する場所に位置する米軍施設内での火災(爆発?)にしては、あまりにも情報や報道が少なすぎる。そして周辺住民は不安で不安で仕方がないのではないだろうか。原因が公表されなければ、今後また同様な、いやそれ以上の火災や爆発が起こるのではないか、と心配になるのは自然な心理だ。(2015年8月24日付朝日新聞)
事故原因の検証や究明が日本の行政機関によって行われないことは、相模原消防署に電話取材する前から解りきっていたが、敢えて質問をぶつけてみた。沖縄であろうが、本州であろうが米軍基地は米軍基地。その敷地内で火災や事故、爆発や核兵器の誤爆があっても、日本政府は何の手出しも出来はしないし、多くの事実が隠される。
◆日本の私有地でも米軍ヘリが墜落した現場を日本の警察は捜査できない
基地の中だけではない。2004年8月13日沖縄国際大学という明白な日本の私有地に米軍ヘリが墜落した時でさえ、初期消火以外、日本の警察は捜査に手を出す事すら許されなかった。(2015年8月14日付琉球新報)
世の関心は、辺野古の基地建設問題だけに関心が集中しがちな傾向が見られる。相模原米軍基地爆発事件が示すことは、言わずもがな「米軍基地内は日本の治外法権」であるばかりでなく、周辺住民に危険が及ぶ可能性がある事故が発生しても、その実態や情報すら、日本の行政機関(いわんやマスメディア)は掴むことが出来ないという現実だ。
こういった米国と日本の関係を「主従関係」という。
日本政府は米国を「同盟関係」の国だというが、それは明らかな誤りだ。米国内で米国行政機関が強制的に立ち入ることができない「日本政府」が占有する場所は、日本大使館と日本領事館だけだ。日本は「軍隊」は持っていない(防衛省見解)から米国に日本軍基地が存在する根拠はないが、「対等な日米関係」というならば、この島国が差し出しているのと同等、もしくは等価の土地提供を日本政府は米国に行うべきだ。「対等」とはそういう実践があって初めて使える言葉だろう。しかしそのような要求は過去になされた実績はないし、未来においてもほぼ可能性はゼロに近いだろう。
◆最も身近な「戦争」の破片は米軍基地の中に眠っている
米軍基地などこの島国のどこにも必要ない。
「集団的自衛権反対」、「戦争推進法案反対」、「戦争反対」であれば、その延長戦上に「日米安保破棄」が自然に浮かび上がって来るはずだ。最も身近な「戦争」の破片は米軍基地の中に眠っている。
嘉手納基地やキャンプハンセンなど無数の基地を抱える沖縄。かつては「基地がないと経済が成り立たない」という理屈が人々を押さえつけていたけれども、美しい海・自然という人間の手では創造することが出来ない貴重な天然資源が、観光業だけで充分沖縄が自立できることを証明し、今や「基地がなければ・・・」などと言う人はごく少数派となった。
◆基地も原発も「止めるメリット」は「存在を許すメリット」よりも大きい
やってみればわかる。やらないだけだが「原発廃炉」も全く構造は同じだ。
基地があることを認めていた人たちは「経済的」理由のみによって基地の存在を肯定していた。「経済的」なうまみが無くなれば、基地は騒音を毎日振りまき、航空機やヘリコプター落下の危険性をはらむ厄介者。そして米国が戦争を起こすたびにいつ標的にされてもおかしくない存在だ。これほど危険なものはない。ただの邪魔者だ。
原発だって「再稼働したら町が活性化した」というタクシー運転手のコメントなどを新聞は紹介しているけれども、彼らには福島第一原発事故が起こったことの記憶がないのだろうか。川内原発では早速の動作トラブルが起きている。事故が怖くないのか。いつまでも「経済」、「経済」と言っているうちに事故は必ずまた起こる。目の前のちょっとした「経済」と多額の補助金中毒になった人たちは住家を失う。
馬鹿げたことはもう止めよう。原発を廃炉にしたって誰もいなくなるわけではない。「廃炉作業」が待っている。「廃炉作業」は2,3ヵ月で終わるものではない。でも廃炉にすれば永遠に「原発事故の脅威」から抜け出すことが出来る。
基地も原発も同じだ。止められる。止めるメリットは存在するメリットと比較にならない。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
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