1年ぶりに墓参に出かけた。市営墓地は歴史が古く、昨年までは無縁仏の墓石のほとんどが一か所に集められピラミッド状に積み上げられていた。どなたのお墓か存じ上げない数々の戒名を刻んだ墓石のピラミッドは、ちょとした異様ではあった。今年になって無縁仏のピラミッドは跡形もなくきれいさっぱり撤去されていた。誰に充てるともなく記された「市」による無縁墓石撤去の「公報」は、すでに雨水が沁みて読みづらくなっている。
88歳を筆頭に墓参に参加する私たちの一団。年のわりには元気というべきだろう。相応にあちこちガタがきているけれども口数の元気さだけは変わらない。ともあれここ数年身内から葬式を出すことはなかった。身内にとってはありがたい数年間だったというべきだろう。
◆22歳ニューギニアで戦死した叔父の墓
先祖代々の墓の隣に、ひときわ背が高く先端が四角碓の墓石がたっている。22歳ニューギニアで戦死した私の叔父の墓だ。叔父は送られたニューギニアに到着直後に戦死している。1942年戦死の叔父は不幸中の幸いか、遺骨となって帰国を果たし、祖父や親戚が高知港まで出迎えに赴いたと聞いている。
叔父の戦死を知らせる新聞記事が残っている。「お国のために命を捧げた息子を誇りに思もふ」と、気丈に語ったとされる私の祖母は、叔父の遺骨を受け取った駅でただただ泣き崩れ、言葉を発することなどできなかったそうだ。新聞記事はまったくの嘘を書いている。
墓参後の食事の話題は、毎年もっぱら昔話である。傍で聞いていると、何年も同じような話をしているように聞こえる。でもみな楽しそうで嬉しそうだから結構なことだ。連休中で道が混んではいたけども、例年と何変わらぬ墓参の1日が無事過ぎた。
◆誰も「戦争」の思い出を語らなかった
でも思い返せば今年、年長者たちは直接、間接に「戦争中」の思い出を語らなかったことに気が付いた。保守的な土地柄に長らく商売を営む本家の主は、温厚で教養にもあふれる優しい人柄だけれども、こと国防や戦争に関する考え方は私と全く異なる。不義理な私は年に1度平均でしか顔を合わせない叔父と、意味のないいさかいを起こしたくないから、もちろん微妙な話題は避ける。
今年春先からやや体調を崩したためであろうか、昨年よりも叔父はすいぶんと小さくなったように見えた。食事の席で酒が入ると叔父の元気が戻ってきた。あれこれ亡き親戚の思い出話や、近隣住民の悪口、と話しは尽きない。
でも、やはり今年は誰も「戦争」の思い出を語らなかった。かといって「戦争推進法案」の成立が話題になることはない。
私の思い違いでなければ例年と異なっていたのは高齢者の誰もが「戦争」を語らなかったことと、市営墓地のそこここに満開の曼珠沙華の花弁が去年より薄く感じられたことだけだ。ひやっとさせられるほどの毒にさえ近いあの鮮明な曼珠沙華の血色の花が、柄にもなく遠慮深そうに何かを恥じているように色を控えていた。私の錯覚だろうか。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
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