今年は1966年(昭和41年)4月に日本でキックボクシングの初興行が行なわれて“満50周年”を迎えます。そこで、この競技の発祥から置かれた立場の移り変わりを愚痴を込めながら独断と偏見で振り返りたいと思います。
◆発祥前史は1959年に遡る
キックボクシングが生まれる以前、その前身(あくまでも大雑把な経緯ですが)ともいえるのが1959年に行われた日本で初めてのタイ人同士のムエタイ試合でした。そして、1964年にはプロボクシングのプロモーターだった野口修氏がムエタイに着目し、日本の空手家3人を引き連れてタイに乗り込み、ムエタイ選手との試合をバンコクで行いました。こうした流れがその後のキックボクシング発祥に繋がっていきました。
その数々の歴史と前身の経緯を含め、一昨年8月に伊原プロモーション代表の伊原信一氏がキックボクシング創設50周年記念式典を都内ホテルで行ないました。創生期からの懐かしい顔ぶれの中、若い女性は現在のトップスター江幡ツインズに群がり、時代の狭間を感じる光景でした。
◆1967年2月のテレビ放映は野口氏のしつこいTBS通いで始まった!
日本キックボクシング協会設立後、野口氏が半年以上かけてほぼ毎日、TBSテレビの運動部へ売り込みに出向き、キックボクシングの将来性を熱く語ったり、話す相手がいない日でもソファーに座った日々で「あの人今日も来てるよ」と囁かれても、そのしつこさに折れたTBSテレビが「1回やってみるか」と放映を1967年2月26日に開始しました。
そこから沢村忠の活躍でキックボクシングブームを巻き起こし、当初は国内に新風を巻き起こす順風満帆たる船出から始まりました(キック創設50周年記念式典で司会を務めた元・TBSアナウンサー石川顕氏の語り口より一部引用)。
その後は紆余曲折を経て約15年続きましたが、マンネリ化した日本vsタイの試合もブームは去り、アメリカンプロ空手を取り入れるなど再浮上を狙っても長く続かず、老舗・野口プロモーションも力尽きた感じで興行から遠ざかりました。
◆テレビ放映無き後──地上波テレビ以外の媒体を模索し続ける
団体分裂で分散しつつも業界全体の底力が粘り、赤字経営の苦難の年月を経て何とか小さな軌道に弾みを付け、一時的にテレビで取り上げられる特番はあっても、プロボクシングの世界戦すらゴールデンタイム放映が危ぶまれる時代に入り、一般家庭の茶の間にKO劇を轟かせた時代の再来は不可能な現在。しかし、地上波テレビには及ばぬも、逆に衛星放送やインターネットなどの通信網は利用価値ある時代に入っていきました。
◆プロボクシング界から“邪道”と言われた時代の後、K-1に対しては嫉妬する時代へ
こんな経緯に至るキックボクシングの創設後のブームの時代、プロボクシング界からは“邪道”と言われた時代がありました。そんな時代の後にアメリカンプロ空手の普及やシュートボクシングの創設があり、特に後のK-1において、今度は逆にキックボクシング界がそれらを“邪道”と言う時代に移り、そんな後発のブームに追われる立場になりました。とはいえ、そのブームに便乗するキック関係者が多くいたのも事実です。
便乗はせず、声には出さぬも、そのイベント人気に嫉妬する関係者も少なからずも存在しました。「キックボクシングなんて発祥自体が間違っていたんだ。最初からムエタイに倣っていたら組織も構築していたろうに」と言う意見があったり、「キックボクシング創生期にきちんと構築した組織創りをしておけばプロボクシングと肩を並べるメジャーな競技になっていただろう」という意見もありました。
◆「キックボクシングは不滅です」──“打倒ムエタイ”を掲げ続けた50年
そんなキックボクシングにおいて、数々の世界王座はあるものの、どれもマイナーな存在の中、最高峰と言われる王座に行き着くのは、やはりムエタイとして存在するタイ国ルンピニースタジアムとラジャダムナンスタジアム認定の王座。これらはいまも不動の世界王座です。
その王座を奪取した日本人は過去50年間で、ラジャダムナンのみで4人。藤原敏男、小笠原仁、武田幸三、石井宏樹。今後の50年間で、キックボクシングが完全にムエタイを超える実績を積み重ね、更なる魅力と権威を増した競技に成長していけるか、キックボクシングそのものが衰退するか発展していくかは今後の舵取りに掛かっているでしょう。
キックボクシングは新興格闘技ではなく、すでに50年の歴史を持つ“打倒ムエタイ”を掲げてやってきた格闘競技です。「キックボクシングは不滅です」──。長嶋茂雄氏を真似た訳ではないでしょうが、キックの帝王・沢村忠氏も引退式でこう語りました。
キックボクシング創設50周年記念式典でお会いした方々は創成期からの顔ぶれが中心でしたが、この人たちがいてこそ、今がある。これからの50年後に向け、業界全体で打倒ムエタイを果たし、そのプライドを持ってキックボクシングをスポーツの帝王へと成長させていきたいものです。
[撮影・文]堀田春樹
▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」
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