母(当時50)と祖母(同81)を刺殺したとして、殺人罪に問われた横浜市の少年(16)に対する裁判員裁判で、横浜地裁(近藤宏子裁判長)は6月23日、「更生には、刑務所で服役させるより少年院で個別的教育を受けるほうが効果的」と少年を家裁に移送する決定を出した。報道では「殺人罪で起訴された未成年が家裁に移送されるのは、裁判員裁判では初めて」という点がクローズアップされたこの裁判で、筆者の印象に残ったのは、証人出廷した少年の父親(51)の悲痛な様子だった。

少年に対する裁判員裁判が行われた横浜地裁

◆「加害者が自分の息子でなければ・・・」

「私の姉が厳罰を望んでいることについては、気持ちはよくわかります。私も加害者が自分の息子でなければ、当然そういう思いになったはずです」

6月15日に横浜地裁であった初公判。少年の父親は複雑な思いをそう打ち明けた。実の母と妻を殺害された「被害者遺族」という立場でありながら、「加害者の親」でもあることの苦悩がこの言葉に凝縮されていた。

事件が起きたのは昨年5月18日の朝だった。少年は横浜市戸塚区の自宅で、母親と祖母を包丁でめった刺しにして殺害。犯行後は凶器の包丁を水道で洗ってタオルにくるみ、スポーツバッグに入れると、それを持ってJR戸塚駅西口の交番に「人を殺しました」と出頭した。こうして少年は殺人の容疑で逮捕されたのだ。

「日ごろから母と祖母に勉強しないことを叱られていた。事件当日も朝、家を出ようとした際に祖母に『勉強をきちんとしているか』と言われて口論になり、母と祖母の殺害を決意した」

少年は取調べでそう供述していたが、公判では、動機や事件のきっかけについて「興味がない」「知らない」と他人事のような供述に終始。逮捕当初の供述については「動機を言わないと面倒なので、そう言った」と説明し、母と祖母を殺害した思いを聞かれても「特別な感情はない」と言い放ったのだった。

そんな少年について、精神鑑定医は、「他者とのコミュニケーションが難しく、保護的な生活環境で対人関係の構築や共感性を育むことが必要」と証言。加えて、被害者遺族でもある父親が少年法に基づく保護処分を望んだこともあり、横浜地裁は少年の家裁移送を決めたのだが、公判で父親の証言を聞いていると、今回の事件が父親にとってもまったく突然の出来事だったことがよく伝わってきた。

「今思えば、息子は子供の頃、おもちゃの鉄砲で友だちを撃ち、妻に『なぜ、そんなことをしたのか』と聞かれた際に『別に』と言っていたことがありました。しかし普段の生活では、突然怒り出すようなこともなく、わりと活発で、友達もいる子でした。母と妻を刺すとは、想像もつきませんでした」

父親は事件の数か月前から他県に単身赴任しており、この間、2週間に1度家に帰る時以外は妻に電話もメールも一切していなかったという。息子の高校受験についても相談にのることはなかったそうで、家族とのコミュニケーションは乏しかったかもしれない。「息子と全力で向かい合っていれば、事件は防げたのではないかという思いもあります」との言葉からは父親が自責の念に苦しんでいることも察せられた。

◆「息子と一緒に生きていかないといけない」

父親は現在、自宅近くにアパートを借り、少年の妹である中学生の娘と2人で暮らす。働きながら家事全般をこなして娘の面倒をみながら、少年が収容された拘置所にも週1回、面会に通っているという。まだまだ事件の傷が癒えることはないだろうが、少しずつ前に進んでいる様子も窺えた。

「息子は一生、十字架を背負うことになりました。私も時折、気が滅入ることもありますが、これからも息子と一緒に生きていかないといけないという思いが今は強くなっています」

父親のそんな話を聞きながら、自分が同じ立場に置かれたらどう生きるだろうかと想像し、筆者はこの父親に尊敬の念を抱かずにいられなかった。公判では、少年の姿はツイタテで隠されており、表情などは窺えなかったが、母と妻を殺害した息子と共に人生を歩もうとしている父親の思いを少しでも感じ取っていて欲しい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』