講談社の漫画雑誌「モーニング」の編集次長が妻を殺害した容疑で警視庁に逮捕された事件が世間の耳目を集めている。まだ冤罪を疑う声はほとんど聞こえてこないが、私はこれまでの冤罪取材の経験からこの事件はとりあえず、冤罪を疑いながら動向を注視すべき事案だと思っている。そこで、この事件に関する報道の情報を読み解くポイントをいくつか挙げてみよう。

警視庁は朴氏が妻の殺害を自殺と偽ったと疑っているという(TBS「News i」より )

◆警視庁は事件の構図をどう描いたか?

報道によると、妻殺害の容疑で逮捕された編集次長は、東京都文京区の自宅で妻や4人の子供と暮らしていた韓国籍の朴鐘顕(パク・チョンヒョン)氏、41歳。2009年に編集長として「別冊少年マガジン」の創刊に携わったほか、様々なヒット作に関与した優秀なマンガ編集者なのだという。

そんな朴氏の逮捕容疑は、昨年8月9日に自宅で妻の佳菜子さん(当時38)を殺害した疑い。朴氏は同日午前2時45分頃、自ら119番通報し、当初は警視庁に「妻は階段から転落した」と話していたが、その後に「自宅にある服で首を吊って自殺した」などと説明が変遷。司法解剖により佳菜子さんの首に絞められたような跡が見つかり、部外者が侵入した形跡もなかったことから、警視庁は他殺との見方を強めていたという。

また、朴氏が子育てのことで佳菜子さんとトラブルになっていたとか、佳菜子さんが3年前、文京区の子育て支援センターに「夫が子育てを手伝ってくれない。教育観の違いからけんかになり、平手打ちをされた」などと複数回相談していたなどの情報も報道されている。朴氏は容疑を否認しているとされるが、警視庁は朴氏が子育てをめぐるトラブルから佳菜子さんを殺害したとみているのだと思われる。

◆警視庁が5カ月も逮捕に踏み切れなかった事情は何か?

では、こうした報道の情報からどのような冤罪の疑いが見出させるのか。

何よりまず、非常に単純なことだが、警視庁が妻の死亡から朴氏の逮捕まで5カ月も要していることである。報道されているような証拠が仮にすべて実在するとしても、その大半は事件から1カ月もあれば収集できるようなものである。にも関わらず、警視庁が5カ月も朴氏を逮捕できなかったのは、朴氏が妻を殺害したとは断定しがたい事情があったということだ。

では、その事情は何なのか。

それは第一に、朴氏には、妻の佳菜子さんを殺害する確たる動機が見当たらないことではないかと思われる。先述したように警視庁は子育てをめぐるトラブルを殺害の動機とみていると思われるが、子育てをめぐるトラブルなど、どんな夫婦にもあることだ。まして事件の起きた時間帯は深夜だから、佳菜子さんが死亡した時、家には4人の子供も在宅していたと思われる。そんな状況下で、朴氏がたとえ佳菜子さんと子育てのことでトラブルになって頭に血がのぼったとしても、殺害行為にまで及ぶかというと疑問だろう。

また、朴氏が「自宅にある服で首を吊って自殺した」と供述する前、「妻は階段から転落した」と証言していたことも疑われた理由になったとみられるが、妻に自殺された夫が妻は事故死だったと偽ろうとするというのは、良し悪しは別として普通にありそうなことである。朴氏が「妻にヘッドロックをした」と供述しているとの報道もあるが、この供述は司法解剖で見つかった妻の首の傷について、朴氏が妻の首を絞めたことをごまかすために嘘の弁明をしていると解釈できる一方で、朴氏が自分に不利になることを承知で真実を告白しているとも解釈できるものである。

警視庁は「子育てをめぐるトラブル」が動機とみているようだが……(毎日新聞HPより)

◆逮捕の決め手と考えられるのは2点

こうやって報道の情報を1つ1つツブしていくと、警視庁が朴氏の逮捕に踏み切る決め手となった証拠や事実関係もおのずと浮かび上がってくる。それはおそらく、

(1)佳菜子さんが亡くなった時間帯、朴氏宅に外部から第三者が侵入した形跡はないという「現場の密室性」、

(2)佳菜子さんの死因は首つり自殺ではなく、他者に首を圧迫されたことによる窒息死だとする「法医学者の鑑定意見」の2点だろう。

このうち、(1)の「現場の密室性」については、裁判になれば検察は、防犯カメラの映像や子供たちの証言から何の問題もなく立証できると思われる。そもそも朴氏側も「妻は自殺した」と主張している以上、外部から第三者が侵入した可能性がないことにはついては、特に争わないだろうと考えられるからである。

そこで裁判になれば、最重要争点になるのではないかと思えるのが、(2)の「法医学者の鑑定意見」だ。これについては、現時点では確たることは言えないが、一般的に法医学者の見解というのは裁判で争いになりやすいのものだ。それはすなわち、この事件においても、司法解剖を手がけた法医学者が「死因は他者に首を圧迫されたことによる窒息死だ」という見解だったとしても、別の法医学者が解剖所見などをみれば「死因は首吊り自殺と推定しても矛盾はない」という見解になっても何ら不思議ではないということだ。

いずれにせよ、ここまでの報道を見る限り、有罪証拠が乏しい事件であることは間違いないと思われる。動向を継続的に注視したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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