今年は衆議院の解散、総選挙があるようだ。解散は総理大臣の専権事項だから、いつ解散されるのかは、安倍のみが決めることではあるが、永田町の住人たちに聞くと、「おそらく今年中で確実だ」の声が多い。
◆英国EU離脱もトランプ大統領選勝利も二者択一の中での選択
さて、そうなれば衆議院の議会構成図を変える機会が訪れるのだから、常々「最低・最悪」と現政権をなじっている私からすれば、前のめりに、無根拠でも何らかの変化と、できうることであれば自公政権の終焉を夢想したりしてみるのだが、その可能性はあるのだろうか。「いくらなんでもそれはないだろう」と言われた。
ドナルド・トランプが大統領選に勝利し、英国がEUから離脱する決断を2016年世界は目にした。どんなことにだって可能性はあることを私たちは見たのだ。けれども、それらは二者択一の中での選択だったことを忘れてはならない。米国大統領選挙は、ヒラリー・クリントンかドナルド・トランプの選択で、英国のEU離脱は「EU残留」か「EU離脱」を選ぶ。それ以外の選択肢は「棄権」以外にはない投票行動だった。
◆一票の意思表示が妥当な価値で扱われない小選挙区制度
解散、総選挙となれば有権者は、支持する候補者と政党の名を書き、それが意思表示(投票)となる。しかし小選挙区制が導入されている現在の選挙制度の下では得票率が獲得議席に比例しない、という構造上のからくりがある。選挙結果がどのように表れたとしても、一票の意思表示が妥当な価値で扱われない制度であり、まずはこの大問題を正すべきではないか。
「金がかかる」といって中選挙区制から移行された小選挙区制であるが、「金がかかる」理由を質したら「自民党内の候補調整に金がかかる」というのが、本当の理由だった(田原総一朗氏談)。まず中選挙区に戻したら少しは不平等が解消されるだろうが、読者はどうお考えだろうか。
◆絶望する根拠[1]──野田佳彦が幹事長の民進党に票が集まる理由なし
そして2017年総選挙になったら、私の期待とは正反対の結果が導かれるであろうことを、残念ながら私はほぼ確信する。それ第一の理由は野党第一党の民進党には、現政権に対する明確な対抗政策がなく、党内には「隠れ自民党員」とレッテルを貼りつけても不足ではないダメダメな奴らが相当数見当たるからだ。原発事故後に「終息宣言」を口にし、再稼働の暴挙を強行した野田佳彦。素人が見たって、最悪のタイミングで「自滅解散」に打って出た大馬鹿者。こんな奴が幹事長として党の中枢でまたぞろ大きな顔をしていれば、自公政権に嫌気がさしている有権者の票が集まる理由がなかろう。
◆絶望する根拠[2]──自民と維新の二者択一に投票意欲がわくはずなし
そしてさらに絶望的な根拠の象徴として、大阪を中心とする関西地区での維新勢力の定着である。大阪府11の小選挙区では自民と維新が実質的に議席争いを繰り広げることになるが、現状どうやらそこに他の野党候補が食い込む余地は全くないようだ。自民と維新の選択? 地元大阪では、橋下徹に牽引された「大阪都構想」をめぐって、維新(一部公明)対他の政党という、地域限定のトピックがあったけれども、国政に送り出す候補者を自民か維新のどちらからしか選べないのであれば、そんなものに投票意欲がわくはずがない。
◆絶望する根拠[3]──東京・大阪・大都市圏票の急激な保守・反動化
かつて国会議員の選挙では、都市部では革新勢力(今ではこの言葉すら目にしなくなった)が強く、地方では主として農協に支えられた保守が強いという構図が長く続いたけれども、東京都知事に石原慎太郎が就任して以来、この構図は崩れた。
都市部ほど保守・反動が強くなり、野党の小選挙区で議席獲得はむしろ地方に広がりを見せている。これは21世紀に入り、確実に歩みを進め、その速度を増し、右傾化が都市部において地方を凌駕していることの表れでもある。
大した議論もなく、選挙権を18歳に引き下げた、自公政権の自信には「若者の洗脳は完成した」とのメッセージが込められていると、深刻に受け止めなければならない(事実昨年の参議院選挙で18-20歳の投票行動はその通りになった)。
◆元憂歌団の内田勘太郎さんの至言──「(時代を)作っていくのは若い人」
正直に言えば、どうにもならないだろうという結論しか私にはない。しかし、私は我が身一人でがっかりしていればよいのであって、状況が厳しくとも、なんとか打破を実現しようと、汗をかいておられる方々を冷めた目で見るわけでもないし、その逆だ。『NO NUKES voice』第10号で、元憂歌団の内田勘太郎さんが優しい物言いの中、鋭敏なメッセージを発している。
「俺は俺でずっと頑張りますけど。知ったこっちゃない。でも(時代を)作っていくのは若い人だから自分のことを年寄りだとも思ってないですけど『頑張ってね』とだけ言いたいな」
至言なり! さすが芸術の才のある人の言葉は違うと感じ入る。「(時代を)作っていくのは若い人」なのだ。私たち中年や老人がああだの、こうだの言っているあいだは「時代が死んでいる」のだ。新しい発想や行動、そして何よりも、この社会の理不尽に体を震わせるほどの「怒り」が若者から発せられたとき、ようやく時代は動き出すのだろう。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。