LCC(格安航空会社)の遅延の多さやサービスの悪さが世界的に問題となっている。11月末に成田空港から「スクート航空」(シンガポール)でタイのドンムアン航空にとんだ50代会社員A氏は怒り心頭だ。

「2時間前の午前8時に空港に着いたのに、到着するや否や10時00分発の便は『2時間遅れ』と表示が出ていました。ドンムアンへの到着予定時刻は14時55分で、計算するとどう見積もってもドンムアン空港から17時15分発のウドンタニ空港行きへの便がまにあわなくて、一緒にいった友達ともどもドンムアンからウドンタニ行きのチケットを2枚捨てて、もっと遅い便を買いなおすはめになりました」

遅れの原因は、「使う航空機が来ていない」とのことだが、当日、「つぎの便にまにあわないが補償してくれるのか」との問いに成田空港のスタッフは「遅延証明書なら出します」と問いとはまったくかみ合わない答え。

ただでさえ遅れていてイライラしているのに、飛行機内では座席上部のバケットが閉まらずに荷物が落ちそうになったり、そもそも「遅れたことに対して謝罪すらもない」とA氏の怒りは収まらない。

A氏の悲劇はさらに続く。帰りもスクート航空を使ったのだがドンムアンから成田空港への便でも55分遅延を食らった。

「私たちはさておき、配席がめちゃくちゃで、同じ席を2枚発行して振り分け直していたり、トイレの後ろの存在しない座席番号を渡された客が立ち往生して泣きそうになっていました。女子大生っぽいグループが『せっかくいい旅をタイでしてきたのに、帰りの便が友達とバラバラにされて幻滅です』と泣きそうになっていたのです」

後日、この2つの便については「一度くらいまともにつけや」「亀よりも遅いスクート航空へようこそ」などと炎上していたが、海外に出かけることが多い人たちに取材を続けるとスクート航空については悪評ばかりが飛び込んできた。

「機内食を運ぶキャリーにたたき起こされたが謝罪の言葉がまったくない」

「シートベルトを着用するように言われたが、なかなかしなかった客に対して断りもなく僕の眼の前にCAの腕が伸びてきて、強引に隣の客のシートベルトを締めた。スリかとおもった」

「積み込んだ荷物をなくされたが、『ラック(運)にもよります』とスタッフが言い放った」

などなど。とにかく「スクート航空を使って5月にシンガポールからシドニーへのチケットで乗りましたが、30分ほど遅れたのですが、到着したシドニー空港からラゲージが出てくるまで1時間30分待ちました。なぜ遅れているのかと聞くと『混んでいるから』という禅問答のような答えがスタッフから返ってきまいた。私も人間というよりも、荷物扱いをされているような感覚になりました」(40代デザイナー)

サービスが悪くとも、きちんと時間につけば文句は出ないはずだが、スクート航空は遅延の多さでネット上では炎上しているほどだ。日本支社に電話したが「日本語がわからないんでシンガポール本社に電話してください」とのこと。スクート航空のシンガポール本社に問い合わせて「遅延については改善しようとしているのか」と日本語専門ダイヤルに電話取材してみた。

「プレスですけど、会社としては遅延について改善、努力をするつもりはあるか」と聞いてみたが担当はなんと「このこたえは上司がもっていますが、英語のみになります」と日本語専門ダイヤルとしては予測しなかった答えがかえっきた。逐一、こちらが質問すると「上司に聞いてきます」という担当の女性は、「飛行機である以上、遅延はどうしようもないと上司が言っています」「3時間を超えれば遅延の補償の対象となりますが、それ以内は補償できかねます」と言い張るのみ。

それでは「遅延の補償はするつもりもないし、『I’m sorry』でもないのですね。それは会社としての見解ですね」と聞くと「いえ、もうしわけございません。なるべく時間を守るようにいたします」ととってつけたような答えが返ってきた。2013年には「Terrapinn Holdings」が発表した、アジアの「ベスト ローコスト キャリア」に選出されたこの航空会社。まさに看板に偽りあり、だ。

2020年の「東京五輪・パラリンピック開催」に向けてシンガポールから東京への便を増やすべく、ロビイ活動に精を出して自民党議員などに接触しているようだが、まずは時間通りに客を運ぶ努力から始めたほうがよさそうだ。

(伊東北斗)

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商業出版の限界を超えた問題作!

『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

東京スポーツ2017年1月26日付

女性ボーカルデュオのPaix2(ぺぺ)が2001年からほぼ無給のボランティアで続けてきたプリズンコンサートが、昨年12月10日の千葉刑務所で400回を達成したという。これは世界的にみても例がなく、すでに幾つものメディアがこの偉業を伝えているが、なんとあの東スポまでもが(東スポ様、失礼!)が1月26日付けの紙面で記事にした。そこで私は、彼女たちの歌を塀の中で聞いた元受刑者としての思いを書いてみたい。

◆慰問公演は娯楽のない受刑者にとって貴重な機会

刑務所では懲役作業がない週末に、様々な人々が慰問に訪れる。歌手はもちろん、劇団やアマチュア楽団、落語、伝統芸能団体など多岐にわたり、月によっては毎週末に予定が組まれていることもある。娯楽がない受刑者にとって、同囚と刑務官以外の人々と接する貴重な機会だ。

Megumiさん

Manamiさん

翌月の慰問予定はその前の月にはプリントに印刷され、ムショ内の食堂等に掲示される。私がいた黒羽刑務所は2008年当時、過剰収容で2300名もの受刑者がいたから、こうした慰問への参加は自主的な申し込み制だった。受刑者はそれぞれ参加したい演目に申し込むが、定員オーバーの場合は、受刑年数が長い者が優先される。シャバから隔離されている年月が長いものへのささやかな配慮というわけだ。

だが逆に、残念ながら不人気の演目もある。毎年来てくれるのは有難いが、あまりにも前衛的すぎて何をやっているのか分からない劇団や、超高齢で全く声が聞こえない演歌歌手などは敬遠されて席が埋まらない。わざわざ慰問に来てくださっているのに無礼千万ではあるが、受刑者側にも好みがあるから仕方がない。でも空席があっては慰問に来てくださる方に失礼だということで、そういう場合は逆に入所年月が浅い者から強制参加させられ、会場を満員にするのだ。

◆古参受刑者ほど一日千秋の思いで待ちわびるぺぺのコンサート

そんな中で、ぺぺのコンサートは間違いなくダントツ1位の人気演目で、毎回申し込みが多すぎて抽選となり、それでも収容しきれずムショによっては午前・午後2回公演という所もあるという。私は入所時、迂闊にもぺぺを知らなかったのだが、同僚が「本間さん、今年もぺぺが来てくれます。これは絶対にオススメですよ!」と興奮気味に語ってくれたのを今でも思い出す。

彼女たちがほぼ1年に一回慰問に来てくれるのを受刑者たちは皆知っており、古参受刑者ほど一日千秋の思いで待ちわびるのだ。さらに、「ぺぺのコンサートの前は懲罰が減る」という伝説がある。これは懲罰を受けると慰問にも参加できなくなるから受刑者同士の喧嘩や諍いが減るというもので、確かに黒羽でもその通りだった。

『逢えたらいいな』の一文を朗読するManamiさん

Megumiさん

◆受刑者たちの心を捉えるMC(語り)の絶妙さ

ではなぜ、彼女たちは「刑務所の女神」と称されるほど人気があるのだろうか。その秘密は、美しいハーモニーもさることながら、受刑者たちの心を捉えるMC(語り)の絶妙さにある。年輪を重ねたことで、受刑者たちに向けたトークが彼らの心をわしづかみにするのだ。

例えば、舞台登場後すぐに、「こんにちは、ぺぺです。今年もここ○○刑務所にお邪魔することが出来ました。さて、私たちのコンサートが初めての人は挙手をお願いします。2回目の人は? 3回目の人は?・・・え、5回目の人もいる? ダメですよ、早く出所しないと!」などと言って笑わせる。

そうかと思えば、受刑者からの手紙を読んだり、出所してからぺぺに送られた感謝の手紙を読んだりして、涙を誘う場面もある。その緩急が絶妙なのだ。私も黒羽刑務所で彼女たちのコンサートを体験したが、一緒に声を出して歌い、手を振り上げ、体を揺らして楽しむなど、他の慰問の演目では考えられないほどの自由さに驚いた。そして、「早く家族や待っている人の元に帰ってくださいね」という優しい語りかけに、そこかしこですすり泣きが聞こえ、涙をぬぐう受刑者がいた。

◆慰問を続けてきた彼女たちに対する官側の信頼と敬意

慰問に訪れる人たちは多いが、ここまで受刑者の心に寄り添い、語りかけを続けてきた存在は稀だ。念のために言っておくが、このコンサート中の「挙手」などもぺぺだけに許されている特別な行為だ。通常、受刑者はコンサート中に手を振りかざしたり、体をゆすったり、声援を送ることは禁止されている。つまりはひたすら手を膝の上に乗せた姿勢で「拝聴」しなければならないのだが、ぺぺは話の仕方も上手く、経験も積んでいるのでムショ側も安心して受刑者たちとの「交流」を許しているという訳だ。これは10年以上に渡って慰問を続けてきた彼女たちに対する、官側の信頼と敬意の表明でもある。

「元気出せよ」を歌い始めると、刑務所内では通常、許されないアクションが起る

罪を犯した受刑者といえども家族がいて、待つ人がいる。だが長く辛いムショ生活で自暴自棄になり、その存在を忘れそうになる者も多い。そうした中で毎年、手弁当でムショに来てくれるぺぺは、自分たちの悩みや苦しみを本当に分かってくれている、と多くの受刑者が感じ、感謝している。ぺぺのお二人は意識していないかも知れないが、実は受刑者たちに人の心の温かさを思い出させ、もう一度社会に戻る勇気を与えるという、非常に重要で難しい役割を担っているのだ。プリズンコンサート400回に心からの感謝と、今後もさらに受刑者たちの心の拠りどころとして、活動を続けていって頂ければとせつに願う。

Manamiさん(左)とMegumiさん(右)


◎[参考動画]Paix2 逢えたらいいな 第二回 東京拘置所矯正展

Paix2(ぺぺ)公式チャンネル

▼本間龍(ほんま りゅう)
1962年生まれ。著述家。博報堂で約18年間営業を担当し2006年に退職。著書に『原発プロパガンダ』(岩波新書2016年)『原発広告』(亜紀書房2013年)『電通と原発報道』(亜紀書房2012年)など。2015年2月より鹿砦社の脱原発雑誌『NO NUKES voice』にて「原発プロパガンダとは何か?」を連載中。

Paix2『逢えたらいいな―プリズン・コンサート300回達成への道のり』(特別記念限定版)

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『NO NUKES voice』第10号本間龍さん連載「原発プロパガンダとは何か?」新潟知事選挙と新潟日報の検証!

「炭火焼肉An」は、六本木のミッドタウン・イーストの南側にある。大江戸線7番を降りて駅を背にして「東京ミッドタウン前」の信号で[PARS]を左に曲がると坂路を下り、徒歩3分のアクセスだ。

筆者はSMAPのメンバーが大晦日に慰労会を行った焼き肉屋に女性記者と潜入してみた。入り口を入ると、一流ホテルの受付のようにカウンターがあり、女性店員が席へと案内してくれる。1階は平日はすべて禁煙で、2階を喫煙可としている(土日は、1階の一部を喫煙としている)。

昨年、SMAPのメンバーの中居正広、草なぎ剛、香取慎吾、稲垣吾郎と森且之が「慰労会」を大晦日に行った個室は2階にあったが、店としては「よく聞かれますが、場所は教えていません」とのことだ。

案内された1階は、4人席がずらりと10並び、土曜のランチどきにすべて席が埋まっていた。2Fにはテーブル席と掘りごたつ式とテーブル席を含み、大小個室を揃える。1Fは大胆に外を眺めることができるレイアウトながらも和風の室内は、薄暗い雰囲気で、大人の隠れ家的な雰囲気をかもしだしている。

客はおおむね40歳以降の富裕層で、夫婦、女性どうし、男性どうしと組み合わせはばらばらだが、「くつろぎやすい」雰囲気。入ってすぐ左側に、肉の部位をしめす牛のイラストが描かれた黒板が飾られてあり、肉の値段が「赤身トウガラシ1880円」「ランプ1980円」「ユーク1980円」などとわかりやすくメニューを説明してあり、子供が喜びそうだ。

煙をほとんど吸い込まないですむ強いファンがまわり、リラックスした雰囲気で、食事を楽しめる。テーブルはシックに黒、壁はクリーム色で、バーカウンターが4席。水のコップが大きく、600ミリリットルははいりそうだ。

常連と思われる隣の50代夫婦が「SMAPが来てから、ここは混むようになったわね」「SMAPのプロモーションビデオクリップ集見てて泣けてきたわ。5人そろってこそやっぱりSMAPよね」と話しているのが耳に入ってきた。

窓側のカップルは、40代に見えたが、小さめのトングで焼肉をつつきながら、「やっぱ『オリジナルスマイル』が私のベストシングルだわ」とSMAPの思いで話に興じていた。そこかしこで「スマバナ」、つまりファンの間で「SMAPの思い出話」が語られていた。

沖縄県産の黒毛和牛は、上カルビ2000円(90グラム)、上ロース2000円(90グラム)、上タン塩2500円などが人気のようだが、常連によると「通は6種類の焼肉がセットになった【もとぶ牛一頭盛り】(1人前4827円)を頼むんですよ」(常連客)と聞いた。これは、6種類の肉に「三角バラ」「ハラミ」「黒シ」「シャトー」「ヒレ」「リブ」などとタグがついており、いかにも焼肉通が好みそうな肉の部位を集めた逸品だ。

白シャツに黒エプロンをしている店員たちの接客は丁寧で、水が半分になるとすぐにつぎに来てくれる気遣い。(チーフらしき男性店員は、シャツが黒で全体をしきる)。ドリンクはソフトドリンクはコーラ、カルピスなど450円、ジムビームハイボールが480円、レモンサワー480円にワインや「シャルドネ」や「シラーズ」など480円。ビールはプレミアムモルツが480円、焼酎は眞露ドライや480円など。 

筆者はコースランチで「黒毛和牛もとぶ牛 カルビ&ロース定食」(1700円)と、連れの女性記者は「宮崎県産 鶏もも&沖縄県産豚カルビ定食」(1500円)を注文した。カルビは口あたりがよく、とろけそうなほどやわらかい。ロースは、キレがよく、締まった繊維が食欲をさらにそそるようだ。

ちなみに、もとぶ牛は「2013年度、農林水産大臣賞や全国畜産農業協同組合連合会主催の肉用牛枝肉用共進会で最優秀省」を受賞している。女性店員に聞くと「今年に入って客が増えていますね」と聞くと「おかげでさまで」と笑顔で答えてくれた。「SMAP効果ですかね」と重ねて質問すると、またその問いかというような表情を一瞬したが、すぐに「どうでしょうかね」とうまくかわした。

この焼肉店から、外苑東通りを皇居方向に歩くと300メートルくらい先、『ミッドタウン・ウエスト』の斜め向かいに1月4日に発売されたジャニーズの『舞祭組』の4枚目のシングル『道しるべ』の広告看板を発見した。中居正広は、SMAP最後の夜に、自らがプロデュースしたこのユニットの看板を横目で見ながら、家路についたのだろうか。

(伊東北斗)

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中居正広 MERAMERA★メラメラ★PRINCE

 

[増補新版]ジャニーズ50年史

 

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いちばん若い歳での引退式かもしれない22歳でリングを去る翔栄(2017.1.8)

エキシビジョンマッチながら迫力ある蹴り合いを見せた長江国政と藤原敏男(1983.6.17)

「引退テンカウントゴングで送ってやりたい」と願う所属ジム会長や後援会などの信頼関係で実現する最後の勇姿を披露する選手たちの引退式──。名チャンピオンなど功績や存在感を残した選手が現役を去ることを決意した時、そこで引退を宣言し、引退式に臨む選手の在り方を過去の例から振り返ると、いろいろな思惑の引退式に繋がりました。

◆外傷性くも膜下血腫のため22歳で惜しまれながら引退した翔栄

過去行なわれた引退式には予期せぬものもありました。特に最近では、今年1月8日、治政館ジム興行WINNERSに於いて引退式を行なった元・日本ライト級チャンピオン.翔栄(治政館)がそうでした。外傷性くも膜下血腫のため現役を続けられなくなり、そんな原因で引退する運命は実に残酷。22歳での惜しまれながら早過ぎる引退でした。

引退式は役員からの記念品贈呈と他のゲストは王座決定戦で戦った勝次(藤本)が駆けつけたのみで簡潔に終了しましたが、治政館ジムの長江国政会長の計らいがあって実現したささやかながら引退式でした。

テンカウントを聞いた後、戦い慣れた後楽園ホール場内を見つめる富山勝治(1983.11.12)

リングにそっとグローブを置いて戦いに別れを告げた飛鳥信也(1995.12.9)

◆名チャンピオンたちの盛大な引退式

過去には存在感大きかった名チャンピオンの引退式は、引退そのものがメインイベントとなり、藤原敏男引退記念興行や富山勝治引退試合興行は盛大に行なわれました。

1978年、外国人(日本人)初のタイ国ラジャダムナン王座を奪取した藤原敏男氏は1983年2月の1000万円争奪オープントーナメント62kg級準決勝で、足立秀夫(西川)を3ラウンドKOに下し、決勝進出を決めたその場のリング上で突然の引退宣言、これは驚きの波紋を呼ぶ中、同年6月の引退興行に繋がりました。

過去に名勝負を展開した元・全日本フェザー級チャンピオン.長江国政(ミツオカ)との異例の3ラウンドのエキシビジョンマッチは思いっきり攻めた展開で終え迎えた引退式で、数々の名チャンピオンやプロモーション関係者が贈呈品を持って花を添えに訪れた盛大な引退式でした。

同年11月の東洋ウェルター級チャンピオン.富山勝治引退試合は永遠のライバル、元・日本ライト級チャンピオン.ロッキー藤丸(西尾)との公式5回戦をKO勝利で締め括り迎えた引退式も過去の業界を支えた興行関係者が熱く語らい、富山自身も全国のファンへメッセージを残す式となりました。

◆業界低迷時代にも選手の引退式は個性的だった

この二人を前後する業界低迷時代にも過去の隆盛期を支えた池野興信(目黒)、木村保彦(目黒)、猪狩元秀(弘栄)、内藤武(士道館)など幾人もの引退式があり、寂しい時代の中でもそれぞれの個性が発揮されていました。

特に多いのが昔からあるエキシビジョンマッチを行なう引退式は、最後のファイト姿のお披露目として最も多いやり方でしょう。しかし2分制の1ラウンドのみという場合もあり、動けるギリギリの体調かもしれませんが、あくまでも試合をするコンディションで正式2ラウンドで臨む姿勢が欲しいところではありました。

昔からあったパターンかもしれませんが、スーツ姿で登場する引退式のみのパターンも増えました。これは翔栄の場合と似た形で、アンダーカードの合間で行なうセミファイナル的な手法。怪我や病気でリングを去る場合は仕方ないにしても、力ある選手はスーツ姿よりもう少しファイト姿のお披露目が欲しい選手もいました。

大月晴明との激闘は引退式を考えぬ捨て身のファイトとなった蘇我英樹(2016.4.10)

小泉武会長に見守られて挨拶する蘇我英樹(2016.4.10)

◆過酷だった蘇我英樹の引退式

さらに最も過酷なパターンが、昨年4月に市原臨海体育館でWKBA世界スーパーフェザー級チャンピオン.蘇我英樹(市原)が前年激戦の末敗れている大月晴明と公式3回戦をKO負けして迎えた引退式でした。

これは怪我すれば引退式は中止になる可能性があり、試合後、立ち上がった直後では呂律がうまく回らない状況でダメージが心配されましたが、次第に回復し、挨拶とテンカウントゴングまでしっかりした足取りで踏ん張りました。

挨拶で笑わせ、セレモニー全体の調子を狂わせた竹村哲。応援に駆けつけたベイビーレイズJAPANに囲まれて(2015.12.12)

◆ラストファイトに最強の相手を選んで引退式に臨む目黒ジムの選手たち

過去には飛鳥信也(目黒)の公式戦引退試合5回戦も最強の相手、ギルバート・バレンティーニ(オランダ)を迎え、2ラウンドKO負けの後、他の試合を挟んでの休憩後の引退式でしたが、これも控室に帰ってから「あっ試合だ、行かなきゃ」とKO負けしたことが記憶に無く周囲に止められた状況で、ようやく現実にハッと気が付く目覚めでしたが、引退式は無事に、熱く語るメッセージを残しテンカウントゴングに送られました。

この試合から目黒ジムの選手はラストファイトに最強の相手を選んで引退式に臨むことを目指し、後輩の新妻聡は2000年7月にタイの現役チャンピオン、ノッパデーソン・チューワタナと対戦し、ボロボロに蹴られ5回戦判定負け(引退式は2003年12月)。更に小野寺力も2005年10月、大田区体育館でタイの現役チャンピオン、アヌワット・ゲオサムリットに2ラウンドKO負け後の引退式に臨みました。

2015年12月にはNKBウェルター級チャンピオン.竹村哲(ケーアクティブ)が同級5位.マサ・オオヤ(八王子FSG)を4ラウンドにKO勝利後、ロックバンド仲間が応援に大勢集う中、40分に渡る長い引退式。

涙ある語り口がある中、会場係員のトランシーバーが鳴り響くアクシデント、それを突っ込む竹村哲や、労いの言葉を途中で忘れ「……とにかくお前はよく頑張ったなあ、長い間ご苦労さん!」と苦笑いで締め括った渡辺信久連盟代表の意外なスピーチに、こんな笑える引退式も珍しいと思える展開となりました。

テンカウントゴングを聴く大和大地(2014.9.21)

◆家業を継ぐため引退した大和大地

若くして引退した場合は、復帰の可能性も大きいため、安易に引退式は行なわないようですが、23歳で引退したNJKFスーパーフェザー級チャンピオン.大和大地(大和)は家業を継ぐための引退で、周囲も温かく見送りました。

逆にかなりの期間を置いて引退式を行なう場合もあり、3年以上ブランクを空けるのは“復帰は完全に出来ない”と自覚して臨むことに時間を掛ける必要があるのかもしれません。

また、復帰は思うほど簡単ではないことを自覚し、復帰の気持ちが絶対沸かないように“ワザとブクブクに太る”という手段を使う選手もいたようですが、これでは引退式でその姿を見せるのは嫌で行なわないパターンもあったかもしれません。

◆多くの選手たちは静かにリングを去っていった

その反面、仲間内以外には告げることなく静かにリングを去っていった大多数の選手がいました。「いつの間にか見なくなったなあ」とファンが思える選手はそんな存在かもしれません。大会場で自主興行を打てないジムが団体(連盟主催)の興行に要望してもチャンピオンになっていないなど実績の無い選手の引退式は却下された例もありました。

加藤竜二も事故で脳挫傷になり引退を決意し若くしてリングを去った(2015.9.27)

そんなジム側が苦肉の策の自主興行で、キックボクシング興行は滅多にない小さな会場などで引退式を行なうこともあり、想い出の聖地、後楽園ホールでの試合が最も想い出深い選手が多いところで、叶うならここでやってあげたい想いはジム会長側にもあったことでしょう。

◆選手自身にとっての“有終の美”を第一優先に

また自ら引退式を望まない名チャンピオンも多く存在しました。愛弟子にはやってあげても自らの引退式は行なわなかったジム会長も幾らか存在します。

今活躍する名選手もいずれリングを去る日がやってきます。実績を残した選手の中では、引退式より、最終試合が完全KO負けであっても強い相手や戦い果せなかった相手と戦い悔いなく燃え尽きる、選手自身にとっての“有終の美”を第一優先に飾らせてあげたいものです。

大和ジム盟友が揃ってのエキシビジョンマッチを終えた大和3人衆、大和大地、大和哲也、大和侑也(2014.9.21)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

CPEが主催するキャットファイト15周年イヤーの締めくくり大会「女祭り2016―寒中お下品キャットファイト」が、去る2016年12月29日(木)、新木場1STリングで開催された。今回はCPEのオリジナルメンバーのみを募ったメモリアルイヤーの総決算大会だ。年の瀬押し迫る中、写真撮影OKという条件の下、ファンがカメラを手に会場に詰め掛けた。エロと笑いと真剣勝負はどこまで寒さを吹き飛ばしてくれるのだろうか――。

各試合は股開き3カウント、顔騎3カウント、ギブアップ、レフェリーストップで決着がつくというルールで進行する。

◆第1試合:クラシカル競泳水着キャットファイト3分3R勝負 
びりりあんみりんだ VS 鳳華

第1試合(上が鳳華)

キャットファイトと銘打ちながら、第一試合にいきなりニューハーフファイターであるびりりあんみりんだが登場すると、MCが思わず「キャットファイトなのに男がいきなり登場しました」「本当にくだらないイベント」「お客さんはチケット代をドブに捨てました」などと強烈に煽り、観客席は笑いの渦に包まれた。戦いの中に「笑い」の要素がふんだんに盛り込まれているのもキャットファイトの魅力の一つだ。

黒の競泳水着に身を包んだ鳳華が豹のように俊敏に動き、終始試合をコントロール。びりりあんみりんだは鳳華の隙の無い攻撃に「痛い」と素直に叫んでいた。
(2R 1分3秒 鳳華選手の勝ち)

◆第2試合:敗者官能小説朗読! 3分3R勝負
きゃんでぃぺろみ VS 羽柴まゆみ

第2試合(官能小説朗読中)

敗者は官能小説をリング上で読まなくてはならないという恥辱を受ける勝負。両者罰ゲームを回避すべく、リングを俊敏に動き回る。幼稚園児のような黄色い帽子を被ったきゃんでぃぺろみが機先を制して飛び掛るが、羽柴がきゃんでぃぺろみの動きを先読みし、あっさり勝負を決めた。羽柴は一言「弱かった」とクールに言い放ち、リングを去っていった。

勝者の羽柴が退場し、うす暗くなったリングでパチスロライターであるきゃんでぃぺろみがパチスロにちなんだ官能小説を朗読する。勝者よりも敗者にスポットライトが当たるシュールな戦いであった。
(1R 2分19秒 羽柴まゆみ選手の勝ち)

◆第3試合:アダルト凶器公認! セクシーアートマッチ
みでぃ VS 白玉あも(審査員・三代目葵マリー)

第3試合(上が白玉)

この試合は3Rフルで戦い、試合での「美しさ・セクシーさ・エロさ」を審査員である三代目葵マリーが判定し勝者が決定する。

女王様ルックの三代目葵マリーが登場するなり、アダルトグッズをリングにばらまいた。このアダルトグッズは試合で使用が認められているのだ。

戦いの火蓋が切られると、みでぃと白玉あもの両者はお互いのブラジャーを脱がしにかかる。MCは思わず「これがキャットファイトだ!」と絶叫。そう、この試合は3Rフルで戦うので、二人の入り乱れる姿を存分に楽しむことができるのだ。鞭でスパンキングをし合う二人。両者のおっぱいが露になると、お互いのブラジャーをつけて攻防を続ける。みでぃが隙をついて白玉あもの股間をバイブで責めた。たまらず白玉あもはイキ果て、勝負は決したかに見えた。

しかし、ここで三代目葵マリーが異議を申し立てる。
「セクシーアートマッチだろ? イった方が勝ちに決まってるじゃないか!」
 まさかの異議申し立てで白玉あもの勝利が決まった!
(白玉あも選手 「昇天」により勝ち)

◆第4試合:スペシャルバナナマッチ
せつなあやめ VS 福山理子 VS さちこYOKOZUNA

第4試合(福山バナナPF)

休憩を挟み、第四試合。選手は水着で闘い、股開き3カウントまたはギブアップをとると全日本プロレス所属のバナナおじさんこと木原文人が身に付けているバナナを使ってセクシーパフォーマンスを行う。バナナおじさんの裁定で勝利者が決まる。

開始早々、せつなあやめと福山理子がバナナを男性器に見立てて交互に艶かしいフェラチオパフォーマンス。しかしさちこYOKOZUNAも黙っていなかった。170キロという自慢のわがままボディを武器に二人を圧倒。嫌がるバナナおじさんを捕まえて無理やりパフォーマンスをしようとする。さちこYOKOZUNAに顔騎されてバナナおじさんは悶絶。裁定不可能となり試合は不成立となった。
(裁定不可能により試合不成立)

第4試合

◆セミファイナル:ノーブラノーパン白Tシャツ水鉄砲マッチ
雛りな VS ディジーマイン

選手は白Tシャツ一枚で闘う。試合前、最前列VIP席に座る観客に水鉄砲が配られた。試合中観客が選手めがけて水鉄砲を発射し、白Tシャツが濡れて裸体が透けていく、というエロティックかつバラエティー感溢れる趣向の試合だ。VIP席の観客は持参した水鉄砲を使用してもよいことになっている。

セミファイナル

1Rでは両者ビンタの応酬。観客が選手に水鉄砲をこれでもかといわんばかりに発射する。リングと観客が一緒に試合を作っていくという、会場の一体感すら感じる。ものの1分で両選手のTシャツはびしょ濡れに。格好のシャッターチャンスだ。カメラのフラッシュがいっせいに焚かれた。

2Rに入ると、濡れて破れやすくなったTシャツが引き裂かれ二人の上半身が露に。観客は食い入るようにリングを見つめ、MC曰く会場は「水を打ったような静けさ」に。

VIP席の観客の持参した大型の威力充分な水鉄砲も登場し、喝采が沸き起こる。最後は裸の両選手がリング上にできた水たまりの中、もみくちゃに。これぞキャットファイトという一戦だった。
(3R 0分20秒 雛りな選手の勝ち)

メイン(奥=鏡、手前=紫龍)

メイン(奥=若林、手前=伊織)

◆メインイベント:追い剥ぎ5WAYマッチ
鏡カノン VS 紫龍みお VS 柔道ちぢみちゃん VS 伊織涼子 VS 若林美保

いよいよメインイベント。時間無制限で五人がそれぞれのコスチュームを脱がし合う。バトルロワイヤル形式でコスチュームを全て脱がされず勝ち抜いた選手の勝利だ。

この日デビュー戦の鏡カノンと伊織涼子が試合当初から組み合うが、分け入ったのが柔道ちぢみちゃん。一見脱げやすそうな柔道着を着ての参戦だが、経験が違うといわんばかりにデビュー戦の二人を寝技に持ち込んであっという間に追い剥ぐと、紫龍みおの着ぐるみに飛びかかる。しかし熱くなり過ぎたか、柔道ちぢみちゃんはレフェリーを背負い投げで投げ飛ばしてしまう。ここで反則負けをとられ、紫龍みおと若林美保が残った。初代追い剥ぎトーナメントチャンピオンの若林美保が、長い手足を器用に繰り、紫龍みおのコスチュームをリング上に投げ捨てたところで勝負が決した。
(13分1秒 若林美保選手の勝ち)

年の瀬迫った、凍えるような夜でも新木場1ST場内は熱気が溢れかえっていた。エロと笑いと真剣勝負。この三つの要素がふんだんに盛り込まれていて、3時間半の尺では足りないほどだ。15周年というミレニアムイヤーを無事完走したCPEは今年2017年もバラエティ豊かなイベントを予定している。逃さずチェックだ。

全員集合

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター/NEWSIDER Tokyo)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、書籍企画立案&編集&執筆、著述業、漫画原作、官能小説、AV寸評、広告製作(コピーライティング含む)とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。

 

〈帰ってきた! キャットファイト【プレミア】道場マッチ~視姦距離マット祭り2017~〉
at/新宿御苑Rosso(東京都新宿区新宿1-19-8 サンモール第7ビルB1)
日程:2017年 2/13(月)・2/14(火)・4/10(月)・4/11(火)
全日程とも19:00開場/19:30開演(21:30終了予定)
チケット:●VIP座布団席(最前列・DVD付き) 10,000円  ●SSイス指定席(2列目・DVD付き) 8,000円
      ●RSイス指定席(3列目以降・DVD付き) 6,000円 ●立見 5,000円
チケットはイープラスにて発売中! https://eplus.jp/ath/word/39699/ 

 

 

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

 

 

 
私たちの奮闘及ばず芥川賞受賞を逃した岸政彦先生であったが、朗報だよーん!  2月5日(日)紀伊國屋書店グランフロント大阪店でトークショーとサイン会が行われるんだ。

2月7日(火)には東京の紀伊國屋でもサイン会が予定されており、まさに「向かうところ敵なし」の勢い。嬉しいですね。大阪のトークショーは既に満員だそうですが、特別取材班は既に整理券を入手しているので、岸先生からどんなお話が聞けるのか、今からワクワクが抑え切れません。

トークショーのお相手が奥様の齋藤直子さん! やけちゃう! 「夫婦漫談」だなんて。岸先生こんなところでも愛妻振りのイチャイチャ披露しちゃうんですか! 特別取材班が嫉妬し過ぎて倒れたら岸先生のせいですからね! もう!!

サイン会は岸先生の『ビニール傘』新潮社 1512円(誰だ! 高いなーなんて失礼なことを言っているのは! )を買えばだれでも参加できそうだから(整理券がいるらしいがまだ余裕はありそうだ)。Do not miss it ! これ、関西の人は行くしかないしょ。そう岸先生はご自身のツイッターでも宣伝なさっているから、私たちは絶対に行かなくちゃ!

特別取材班はトークショーはもちろん、サイン会には二桁の人数でお邪魔して、貴重な『ビニール傘』に各自の名前を、直接岸先生に書いてもらおうと思ってるんだ。もちろんツーショットの写真撮影もお願いしちゃお(岸先生、今度は顔を隠さないでネ)。握手して頂いてた手は1年は洗わない。キャーあの岸先生に会えるんですもの!

 

 

特別取材班にはむくつけき男ばかりではなく20代の女性もいるんです。ジェントルマン岸先生は女性には優しいですよね。でも要注意ですよ。うちの若い女の子、ひょっとしたら取材班中で一番過激かも。見た目はおとなしいけど、突っ込みだすとベテランが顔色変えて止めないとどこまでも突っ走っちゃうんですよね。もちろん紀伊國屋様や岸先生にご迷惑をおかけすることはありませんよ。

でも仕事じゃなくてあくまで個人的に出かけて行って、岸先生にお話するのを私たちは止められません。言論の自由は憲法で保障されているのですから。

どんな質問をするのかなぁ。

「岸先生、初恋はいくつでしたか? 」

「4年間も肉体労働をされていたんですよね。ちょと胸の筋肉触ってもいいですか?(ウフッ)」

「『派手でもコテコテでもなく、希望やいいことはなく、貧しい高齢者が多い、そんな大阪が好き。この街に死ぬまで付き合っていきたい』っておっしゃっていましたが、『大阪に希望やいいことはなく』って大阪人のアタシからすると、ちょっと? やねんけど……」

「おいらも『大阪に希望やいいことはなく』って大阪ヘイトじゃないかと思う。岸さんを見損なった。マイノリティーの気持ちがわかってたらこんなこと言わないよね」

「とにかく『M君事件』ですよ。『M君事件』岸先生は事件直後に知ってたというじゃないですか。『ビニール傘』買いましたけど、『反差別と暴力の正体』持ってきたからこちらにサインもらえません? 」

「岸先生お久しぶりです。この顔写真と僕の顔見たら思い出してくれますよね」

何十発も殴られても、ひたすら耐えたM君

「岸先生お久しぶりです。この顔写真と僕の顔見たら思い出してくれますよね」

ワオ!

あたりまえだけどどこかの団体と違って「日当5万円」などというデマを流されるような資力も能力も鹿砦社にはないから、交通費も『ビニール傘』購入費用も特別取材班は全部自腹だよー。なけなしの細い腹を切ってでも岸先生に会いたい!

君に会いに行くよ~
君に会いに行くよ~
愛してます 好きにしてよ~
君に会いに行くよ~

The Boomの「星のラブレター」を口ずさみながら、日曜午後は紀伊國屋書店グランフロント大阪店にみんな、集まろう!


◎[参考動画]多部未華子出演のTHE BOOM「星のラブレター」MV(Short.ver)

(鹿砦社特別取材班)

在庫僅少『ヘイトと暴力の連鎖 反原連-SEALDs-しばき隊-カウンター』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

在庫僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

私はこれまで死刑判決を受けた様々な被告人に会ってきた。ここで紹介するA(50)は、その中でもとくに印象深かった1人だ。2年前にAの死刑判決が確定して以来、面会や手紙のやりとりができない状態が続いているが、私は春の訪れを感じる今日このごろ、「ある事情」からAのことを思い出す機会が増えている。

死刑囚Aが収容されている東京拘置所

◆凶悪犯のイメージとかけ離れた実像

裁判の認定によると、Aは2004年に不倫相手の女性(当時22)の金を使い込んだうえに殺害し、2010年にも別の不倫相手の女性(当時25)を別れ話のもつれから殺害したとされる。こうした犯行の概要だけを見ると、まぎれもない凶悪犯である。インターネット上には、色つきの眼鏡をかけた遊び人風の面持ちのAの写真が流布しているが、あれを見て、いかにも悪そうな男だと思った人もいるはずだ。かくいう私も最初はそうだった。

しかし、実際に会ってみると、Aの実像は凶悪犯のイメージからかけ離れていた。

私がAに取材依頼の手紙を出したうえ、Aが収容されている拘置所まで初めて面会に訪ねたのは2013年の秋のこと。Aは静岡地裁沼津支部の裁判員裁判で死刑判決を受けたのち、すでに控訴も棄却され、当時は最高裁に上告中だった。この日、面会室に現れたAの姿を一目見て、私ははっと息を飲んだ。Aは背こそ高かったが、髪が真っ白で、頬はこけ、半袖半ズボンの囚人服から伸びた手足はやせ細っており、あまりにも弱々しい雰囲気だったからである。

私が「突然訪ねて、すみません」と謝ると、逆にAのほうが深々と頭を下げてきた。「以前より痩せられましたか?」と聞くと、「はい。25キロくらい痩せました」と申し訳なそうに言い、「体調でも悪いんですか?」と尋ねると、「いえ、大丈夫です」とやはりまた申し訳なそうに言う。かえってこちらが恐縮させられるほど、Aはとにかく腰が低かった

「これまでマスコミの方とは一度もお会いしていないんですが、片岡さんがくださった手紙を読ませて頂き、心情を気づかってくださっている内容だったんで、一度お会いするだけお会いしようと思ったんです。正直、事件のことはお話できるかわからないんですが・・・」

Aはそんなことを話しながら、目をみるみる潤ませた。私が「事件のことを話すのは精神的に難しいですか」と尋ねると、「そうですね。正直、難しいです。『こうなんで、こうです』と簡単に話せることではないですから」とまた申し訳なさそうに言うのだった。

◆裁判で伝えたいこと

Aによると、裁判員裁判で死刑判決を受けた時、最初は控訴せずに刑を確定させようと思ったのだという。その考えが変わったきっかけは判決公判後、子供たちが面会に来てくれたことだったという。

「子供たちと色々話しまして、自分がなぜ、こんなことをしてしまったのかということを子供たちに残したいと考えるようになったんです。そして控訴審では実際、そういうことを話したんですが・・・判決ではそれに触れてもらえなかったんです」

私が「だから、最高裁に上告したんですか」と問うと、Aはまた申し訳なさそうに頷いた。

「判決に不服があるわけではないんです。私がしなければならないのは、責任をとることだと思います。死刑になったからといって、ご遺族の方々に許してもらえるわけではないですが・・・ただ、(犯行は)したくて、したことじゃなかったということ、なぜこういうことをしてしまったのかということを私は伝えたいんです」

そう声を振り絞るように話したところで、Aの両目から涙が溢れ出してきた。私はこれまで様々な殺人事件の犯人に会ってきたが、Aほど罪の意識に苦しむ様子が強く伝わってくる者はいなかった。とにかく私にとって、強烈な印象を残した初面会だった。

◆「今思い出すのは広島のことばかり」

私はこの日以降、断続的にAのもとに面会に訪ねるようになった。ただ、案の定というべきか、Aは事件のことを何も語れず、面会中の会話は当たり触りのない話題に終始せざるをえなかった。ただ、Aは必ずしも私に事件のことを話したくないわけではないようにも思えた。事件に関することは話したいが、話せない。面会中のAの様子からは、そんなもどかしい心情である様子が窺えた。

そんなAが「片岡さんが私のことをどこまでご存じかはわからないんですが・・・」と切り出したのは3回目の面会の時だった。

「私は元々、広島の人間なんです。それで親近感を覚えたのが、このように片岡さんと面会できるようになるうえで一番大きかったと思うんです」
 
後掲のプロフィール欄に書いてあるように私は広島市在住だが、Aは広島県の観光地として知られる尾道出身なのだという。Aは「私が広島で過ごしたのは高校までで、もう広島を離れてからの人生のほうが長くなりました。しかし、今思い出すのは広島のことばかりなんです」と懐かしそうに言うのだった。

多くの広島県民がそうであるように、Aも広島カープファンであるとのことだった。広島にいたころはよく旧広島市民球場に野球観戦に行っていたそうで、「最近一番うれしかったのも、カープがクライマックスシリーズに出られたことなんです」と心底うれしそうに言った。

また、Aは事件を起こす前、自分で車を運転して静岡の友人たちを広島に連れて行き、平和記念公園などを案内することがよくあったという。元々、友人は多い人物だったのだろう。

「今は弁護士の先生が面会に来てくれて、話ができるのが唯一の楽しみです。いつもは誰とも話さないので、ここの職員の方に話しかけてもらっても、うれしく感じるくらいですから」

Aはこの時、目に涙を浮かべながらも笑顔で話していたが、私はAの現在の境遇に思いを馳せ、身につまされた。

◆事件のことを話せなかった事情

最高裁は通常、公判を開かずに書面のみで審理を行うが、控訴審までの結果が死刑の事件については、弁護人と検察官の双方から意見を聴くための公判を開くのが慣例だ。Aの上告審で、この公判が開かれたのは2014年の秋のことだった。

その公判では、他の裁判所とは一線を画する最高裁の荘厳な法廷で、2人の弁護人が弁論し、Aの死刑回避を懸命に訴えた。殺害行為に計画性はなく、冷酷な犯行だとか残虐な犯行だとは言えないこと。Aは内省を深めており、更生の可能性があること。そしてAが最も訴えたかった「事件を起こした経緯」についても、弁護人は弁論の中で詳細に説明していた。

それを聞いていると、Aにとって、被害者2人の殺害はやりたくてやったわけではないことはよく伝わってきた。そしてそれと同時にわかったのが、Aが面会の際、事件のことを私に話せなかった事情である。A本人の意向を忖度して書くことは控えるが、要するにAは被害者の尊厳や遺族の心情への配慮から私に対し、事件のことを詳細に語ることができなかったのだ。それもまたAの罪の意識の深さの現れだと私には思えた。

Aも言うように、被害者の遺族はAが死刑になっても、決してAを許せないだろう。一方でAがこれ以上ないほど内省を深めているのは確かだ。だが、この日から約40日後の2014年12月2日、最高裁がAに宣告した判決は「上告棄却」。これによりAの死刑は事実上、確定したのだった。

◆最後の面会

私が最後にAと会ったのは、最高裁が上告棄却の判決を出した翌日だった。Aはこの日も面会室に静かな面持ちで現れた。死刑が事実上確定した直後であっても、取り乱した様子は見受けられなかった。

「(死刑という)結果が変わることを望み、上告したわけじゃないですから。伝えておきたいこと、言ってきたいことがあって、そのために上告してきたことですから。ただ――」

Aはそこまで話すと、感極まった。

「なぜ、こういうことをしてしまったのかを伝えたのに、それに何一つ返答がないというか――」

最高裁の上告棄却判決はA4でわずか3枚の短さで、弁護側が法廷で説明していた「Aが事件を起こした経緯」には何ら触れられていなかった。Aは、それが悔しかったのだ。

「こういうことなら、片岡さんに事件のことをお話しておけばよかったかもしれないですね」とAは言った。もしもAから事件のことを詳細に話されても、私に何かできたとも思えないが、たしかに私としてもAがなぜ事件を起こしたかはもっと聞いておきたかった。

「片岡さんがいつも面会の際、面会申請書で私との関係の欄に“友人”と書いてくれたでしょう。あれがうれしかったです。今の自分には、弁護士の先生以外に、そんなことを言ってくれる人がいないですから」 

そこまで言ったところで、Aは再び感極まり、泣き出した。私は何か言葉をかけたい思いだったが、適当な言葉が思い浮かばなかった。この日からしばらくして、弁護人が最高裁に行った判決訂正の申し立ても退けられ、Aの死刑は確定した。これにより東京拘置所におけるAの処遇が死刑確定者のものとなり、私はAと面会や手紙のやりとりができなくなってしまった。

◆「生きているうちにもう1回」

最後に面会した日から2年余りが過ぎた。日々の生活にかまけて、私の中から正直、Aに関する記憶は少しずつ薄れつつある。そんな私が再びAのことをよく思い出すようになったのは昨年、広島カープが快進撃を続けて社会現象にもなったことによる。前述したようにAがカープファンだったこともあるが、Aが面会中に述べた次のような言葉が私には大変印象深かったからである。

「生きているうちにもう1回、カープの優勝を見られればいいんですが」

カープは昨年、25年ぶりにセリーグのペナントレースを制し、このAの願いは叶った。しかしその後、カープが日本シリーズでパリーグ覇者の日本ハムに負けてしまったことをAはどう受けとめたのか。今はもう一度カープが日本一になる日を見たいとの思いを心の支えにしているのだろうか。プロ野球12球団の春季キャンプが始まり、プロ野球のニュースを目にする機会が増えた今日この頃、私はまたAのことをよく思い出すようになっている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

「元SMAPの中居正広がジャニーズ事務所を辞めて移籍するなんてありえませんよ。あるならジャニーズ事務所内で分社を作るのが、ジャニーズ事務所にとっても中居にとっても“節税になるし、有益”なのです。事業部制にしてね」と語るのはベテランの芸能関係者。

 

中居正広 MERAMERA★メラメラ★PRINCE(ジャニーズ研究会)

ジャニーズ事務所の動きがにわかに漏れ伝わってきた。

「SMAP」が解散して1週間もたたないうちに、風雲急を告げるか。平成17年に「SMAP」のためにジャニー喜多川氏と元マネージャーの飯島三智で設立した株式会社ジェイ・ドリーム(以下、ジェイ社)を解散させ、「SMAP」のCDやDVDの出版権についてはジェイ社からジャニーズ出版にすべて移しつつも、中居は、元メンバーの草なぎ剛、香取慎吾、稲垣吾郎らのこれからのマネジメントの面倒をみるというもの。

「そもそもある方向から見れば、『SMAP』の分裂劇は、飯島女史が、『SMAP』の肖像権や曲の権利をジャニーズ事務所がもっていて、メンバーを連れてほかの事務所に移籍してもそれらの“財産”が使えると思っていた脇の甘さが失敗の決定打となった。そうした権利関係について、ビジネス感覚がある木村拓哉は、工藤静香との結婚をバックアップしてもらって依頼、『命綱」として懇意にしている藤島ジュリー景子から『事務所を出てもSMAPの権利は動かせない』ことを聞いて知っていたから独立話を蹴ったのが不幸な劇の始まり」(同)

キャッシュフローも分裂劇に影響した。「SMAP」については、ギャラの流れがほかのグループとはまったく異質で、ギャラはいったんジェイ社に入り、その粗利の一部をジャニーズ事務所に上納する、という形になっていた。これを快く思っていなかったのが、“次期社長”と言われ、『SMAP』の元マネージャーの飯島女史とライバル視されていた藤島ジュリー景子だ。

だからこそ、昨年の分裂、独立騒動時に藤島ジュリーは木村に「権利がとれないからジャニーズに残れ」とささやく。ところが、木村は当然、この「肖像権や曲の権利がジャニーズ事務所にある」とメンバーたちも知っていると思っていたふしがあるという。

 

[増補新版]ジャニーズ50年史(ジャニーズ研究会)

「そこで木村は独立から『いち抜けた』となるのですが、中居はずっとあとになって、木村が『曲の権利や肖像権や、【SMAP】のネーミングライツを事務所外に持ち出せないことを“すでに知っていた”と聞かされて頭にくるのです。ですから、今回、ジャニーズ事務所内で分社を作るにあたっては、中居は曲や肖像権を完全には抑えるのはもちろん無理ですが、少なくともジェイ・ドリームがもっていた権利をすこしでも引き継ぎたいと考えています」(同)

もともとジェイ社がもっていたのは、おもにSMAPの映像権。もともと横のつながりがないSMAPの木村と中居ゆえ、分裂騒動時にわざわざ木村が「SMAPの商業権利」について中居にレクチャーすることはなかった。昨年の『独立騒動』がもし成功したとしても、『SMAP』の曲は歌えないし、曲の二次使用権や映像使用権も入らないと学んだ中居は、今「タレントの権利」や「会社経営」について知人の起業家などから猛烈に勉強中。

ジャニーズ事務所と条件を詰めていく中居は「じょじょにおおむね話はまとまりつつある。事業部制の分社化を希望している」と同放送作家。

これを裏づけるのが、中居と親しい別の放送作家。

「報道されているように、中居が木村以外の4人を引き連れて独立するなんてありえません。周囲には『ジャニーさんに恩返ししたいよな』と語っているようですよ」とした。

芸能プロダクションを顧客にもつ税理士は語る。

「中居の目線から見れば、事務所を出たってかつてのSMAP時代にたいへんな思いをして培った曲の権利の使用料などは馬鹿にならないし、放り出すのは損。いっぽうで、ジャニーズ事務所にとっても、まだまだ『SMAP』のベストCDや残った映像で稼ぐ方法はあるにちがいないので中居らに事務所を出られたら、金銭的にはロストとなる。中居にもジャニーズ事務所にとっても『WINーWIN』な関係でいられるのが中居の『ジャニーズ事務所内分社化』なのです」ジャニーズ事務所に「中居氏が独立して分社を作ると聞いたが本当でしょうか」とファックスで質問したが、期日まで(7日)までに返答はなかった。この話題はナーバスで触れられたくないところだろう。

「具体的には、中居がジャニーズ事務所との契約を更新を決める6月の寸前、5月あたりで中居の会社は立ち上がるのでしょう」(前出・放送作家)

一部報道で噂されるように、飯島女史が中居の新会社に合流することは「200%ない」と事情を知る業界関係者は軒並み口をそろえる。となると腕ききのマネージャーが必要だが、どの程度、ジャニーズ事務所はマネージャーを「新中居事務所」に貸し出すのかも成功のキーとなる。

ジャニーズ事務所の稼ぎ頭、中居が、ほかのメンバーたちと昨年の今頃1月18日に「SMAP×SMAP』(フジテレビ)で伝説の『謝罪』をしてから1年。ついに「MCの天才」が「社内独立」という形で事務所に残る決断をした。ジャニーズ幹部の覚えがめでたく“木村優遇”の状況下、元リーダーの意地をかけてリベンジを始めたといえるだろう。

(伊東北斗)

 

商業出版の限界を超えた問題作!

『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

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