2002年の大阪市平野区母子殺害事件で、一度は死刑判決を受けながら2012年に逆転無罪判決を勝ち取っていた大阪刑務所の刑務官、森健充さん(59歳・休職中)の第二次控訴審で3月2日、大阪高裁は検察側の控訴を棄却し、無罪判決を支持した。このことはすでに大きく報道されたが、実は見過ごされている重大な問題がある――。

朝日新聞2017年3月2日付

毎日新聞2017年2月27日付

◆乏しかった証拠

大阪市平野区のマンションの一室で住人の主婦(当時28歳)とその長男の1歳児が何者かに殺害されたのは2002年4月のこと。主婦の義理の父だった森さんは殺人の容疑で逮捕され、裁判では第一審で無期懲役、控訴審で死刑を宣告されたが、一貫して無実を訴えていた。そして最高裁が審理を差し戻した2度目の第一審でまさに起死回生の逆転無罪判決を獲得。検察がこれを不服として控訴したが、第二次控訴審で無罪判決が追認されたことにより、逮捕から14年余りの年月を経て、ようやく無罪が確定しそうな見通しだ。

この事件は元々、証拠が乏しく、現場マンションの階段踊り場の灰皿から見つかった森被告のタバコの吸い殻が事実上唯一の物証だった。しかし、その吸い殻は変色の仕方などから事件当日に森被告が吸ったものかは疑問が残り、本来はおよそ有罪の証拠にならないものだった。しかも第二次控訴審では、検察が逆転有罪を期して被害者の着衣などから採取した試料をDNA型鑑定したところ、森さんのDNA型は一切検出されず、逆に身元不明の第三者のDNA型が検出される結果に。このように審理の中では森さん以外の真犯人が存在する可能性まで浮上しており、無罪判決が維持されたのは大方の予想通りだった。

では、見過ごされている重大な問題とは一体何か。それは、森さんが捜査段階に大阪府警から「拷問」のような取調べを受けたと訴えていたことである。

森さんの取調べが行われた平野署

森さんの無罪を追認した大阪高裁

◆頭部にナイロン袋までかぶせられ・・・・・・

事件発生まもない時期から警察に疑われた森さんは、何度も平野署に呼び出されて「任意」で執拗に取り調べられていた。そして事件から約4カ月後の2002年8月には、睡眠薬を飲んで自殺するまで追い込まれ、一命を取りとめたあと、大阪府を相手に500万円の国家賠償を請求する訴訟を起こしている。結果的に森さんは請求が認められずに敗訴したが、この訴訟で森さんが訴えていた暴行被害の内容は実に凄まじかった。

何しろ、取調べを担当した3人の刑事は森さんを大声で怒鳴って自白を強要したり、顔や頭を殴る、下半身を足蹴にするなどの暴行をはたらいたばかりか、森さんの頭部にナイロン袋かぶせ、酸欠で気を失うまで追い込んでいたというのだ。結果、大阪地裁の第一審判決は「本件暴行の事実を認めるに足りる証拠はない」と森さんの主張を退け、森さんは控訴、上告も実らずに敗訴したのだが、本当にそれでよかったのか――。

この事件では、最高裁が審理を第一審に差し戻したのち、もっとも重要な争点だった「タバコの吸い殻」を大阪府警が紛失していたことが判明するなど、警察捜査はあまりにひど過ぎた。森さんが取調べで拷問があったと訴え、国家賠償請求訴訟まで起こしたことはあまり知られていないが、無罪確定が確実な状況になった今だからこそ、捜査の問題も改めてイチから総括すべきではないか。

いずれにしても逮捕から15年、死刑の恐怖に苦しめられながら、不屈の闘志で無罪を勝ちとった森さんがこれからの人生で幸多からんことを願う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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