昨年、ラオスからタイに行って来た。
仕事仲間が「ラオスに何があるのですか」と聞いてきた。いい質問だ。
その質問はそのまま村上春樹の本となっている。
そしてタイのウドンタニを経由してバスで揺られてラオスに入り、メコン川をまたぐ「平和の橋」を通り、首都のビエンチェンに到着した。
ここには本当に何もない。
「何もない」ことが僕に精神的な安らぎを与えてくれる。
おそらく、僕の記憶では今のラオスは、昭和年代の日本に値するのだろうと思う。ようやく長いタイとの戦争が終わり、車が走り、道路が整備された。
ここでは少女や少年が10歳程度からもう働いている。学校に行くよりも、そのほうが有効的な時間の使い方だからだという。
ここではインフレが起きていて、じつは食べ物は100円以下。マッサージだって500円程度だ。単位は「キープ」なのだが、日本政府の怠慢で換金すると銀行では、25%ほどが手数料でとられてしまう。そうした意味では、タイのほうが日本円が使えて便利だろう。
しかしそれにしてもラオスは軍が政治を仕切っているからか治安がよく、町でも不良らしきものがまったくない。
ラオスでは夜のマーケットで、さまざまな屋台がメコン川沿いに並んでいた。印象的なのは「地雷を解体して、その部品でネックレスやキーホルダーなどを作っていた連中がいたこと」だろう。
ラオスの歴史は悲惨のひとことだ。とくにフランスに侵略されて、子供や女性など多くの人たちが有無を言わさずに殺された。
そうした侵略から立ち上がり、繁栄へと突き進むのはいいことのように思う。だがその一方で、「中国資本」がつぎつぎと入ってきて土地を買いあさり、イオンのようなデパートをいくつも作ろうとしている。
こうして世界の都市は、どこも平均的になっていき、日本だろうとミャンマーだろうと地球の裏側にあるような国でもイオンのようなショッピングモールが建ち並ぶのだろうか。だとしたら悲しい出来事である。
ラオスの魅力をもうひとつだけ語る。東南アジアの中で唯一、海を持たず国土の約70%が山間部を占める緑豊かな国ラオスでは、2000年代に入り観光産業に注力し、今では年間300万人以上の外国人観光客が訪れるようになったゆえ「観光客プライス」というものが存在する。だからツアーリスト向けのレストランはパリ、東京なみに髙い。
ビエンチェンの『NEW ROSE HOTEL』という一流ホテルに宿泊したが、ここいらでは月に1万円もあれば裕福な暮らしができる中、さらに裕福だと思われるここでは、チップという概念があまりないが、差し出せばとても喜ばれた。また、ナイトマーケットでは、ダーツを投げて風船を割るゲームがあったり、焼きそばが激安で売られていたりもする。
メコン川に兵士がいた。おそらく国境を無理矢理に渡ってタイに行こうとする人を止めるためだろう。かつて、貧しい国だったころに違法に国境を越えようとする人はたくさんいただろうが、今はそんなことはない。
ラオスは発展途上だが、立派にインフラが進んでいる。頭がいい人は、ここに住んでTシャツや短パンなどを大量に買い込んで日本に輸出しているようだ。なにしろ月1万円で暮らせる国。僕らの年では、月に年金が6万円前後という計算だから、ここでは36万円の暮らしが月にできる計算になる。ここで暮らすのも悪くない。もちろん愛する女房が納得すればの話だが。
この旅の最中に、「メコン川で待つ」などとハッカーらしき人から居場所を特定するメールが多数入ってきた。これはこれですべては警察に提出してあるが、弁護士も今入っており、捜査が始まる寸前だ、とだけ報告しておこう。いずれにしろ、僕はたくさん武器をもっている。それは、ある複数の「組織」なのだが、いずれここで明らかにしていこう。
また、タイでは不思議な経験をいくつもしたが、それもまた次回に展開することにする。いずれにしても、ラオスは物価が日本の6分の1、タイは日本の3分の1。月に6万円の年金でも十分に暮らせる。老後を贅沢に暮らしたいむきは、「移住」を検討してみてもいいのではないだろうか。
▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。