「李信恵さんの裁判を支援する会(リンダの会)」が2014年10月7日に発行した『#安寧通信』vol.0が手元にある。「M君」が集団リンチを受ける2月ほど前に発行された『#安寧通信』。10号までは、誰でも手に取れる場所に置かれていたので入手可能であったが、本来なら街角に置かれていたはずの11号の姿は見つからない。『#安寧通信』自体の発行が休止されたとは考えにくいので、何らかの事情で、一般への公表を控えるようになったのではないか、とも推測される。
vol.0はご覧の通り表紙はカラー印刷で、次号以降は白黒の簡易印刷だ。『#安寧通信』は李信恵(リ・シネ)の裁判を支援するために発行されている媒体であるが、同時に詳細にこの冊子を読み解くと「M君リンチ事件」と李信恵、あるいは周辺人物の関連を読み解くことができる。これから数回にわたり『#安寧通信』の解読を試みる。
なお、このような作業を安田浩一などは「運動に分断を持ち込むもの」などと批判するやもしれないが、われわれの目的はあくまでも「M君リンチ事件」の真相や背景解明にある。「結果としてだれが喜ぶか」(安田)などは関係ないことをあらかじめお断りしておく。繰り返すが編集班はいかなる「差別」も「排除」も肯定する立場にない。断じて「差別」も「排除」も「リンチ」も肯定しない。
◆「差別を裁く法律」があれば問題は起きなかったか?
『#安寧通信』、vol.0は李信恵が、在特会元会長の桜井誠と保守速報を相手に2014年8月18日に損害賠償を求める裁判を起こしたことを紹介する李自身の「反ヘイトスピーチ裁判に向けて」から始まる。この文章に書かれている訴えには虚偽はなく、李自身かなりの被害を受け訴訟に踏み切ったことが窺い知れる。相手は狂気の差別集団「在特会」なのだから。
しかしながら、すでにこの文章の中には李信恵自身の問題ではないにしても、この「運動体」が指向する方向性の危険性の萌芽がある。
「日本には差別を裁く法律はありません。名誉棄損や侮辱にしても、刑事事件での告発はハードルが非常に高い」
李が述べていることは事実だろう。しかし「差別を裁く法律」があれば問題は起きなかったであろうか。そもそも差別とはなんだろう。同様な形で人々に共有され言語や行動で表現されることもあるけれども、もとは個々人の心の中に住処を持つ「こころのありよう」ではないだろうか。どんなに卑劣なことを考えていても表現しなければ相手を傷つけることはない。心の中で悪質極まりない大量殺人を夢想していても、それを発言したり、行為に移さない限り、その人が指弾の対象になることはない。「内心の自由」はどんな犯罪や不幸行為、道徳的に非難される行為であろうが、心の中に留め置いておく限り批判の対象とされることはないし、あってはならない。
◆裁くための概念が曖昧すぎる「ヘイトスピーチ対策法」
よって「差別を裁く法律」などという概念は、それ自他が「表現の自由」どころか「内心の自由」にまで踏み込んで個人の思考や思想を制限する性質を有することを必然的に併せ持つ「規制」や「弾圧」に利用される恐れが高い。ある国が犯した罪を永遠に赦免しないとするのであれば、欧州のように「ナチス禁止法」(俗称)を設け、対象を限定して二度と過ちを犯さないような法律を制定することには意味があるだろうが、「差別」一般を裁く法律では概念が曖昧すぎ、恣意的な乱用がなされる危険性が高い。
その証拠に、制定されてしまった「ヘイトスピーチ対策法」はすでに現行法の定める範囲を超えた作用を及ぼしている。昨年川崎市で差別者が主催したデモの際、取り囲んだ大勢の反対者との衝突を懸念したのか、現場の警察官は「これ以上は無理だ、これが国民の意思だ」と語った。差別に反対する人の中にはこの警察官の発言に大喜びをした人が大勢いた。そこにこそ「ヘイトスピーチ対策法」の最大の危険が在るのだ。あの光景を目にしながら私は背筋が寒くなった。当該警察官の「これが国民の意思だ」という言葉が、「安倍政権反対デモ」、「戦争反対デモ」、なかんずく「東京オリンピック反対デモ」で発せられたらデモ参加者はどう感じるだろうか。法律などなくとも警察はデモ弾圧の際には散々な暴言をこれまでも発してきたが、それに「お墨付き」を与える法律を作ってしまえば、どんな惨禍が引き起こされるかの想像ができないのだろうか。
◆伊藤健一郎(C.R.A.C.WEST)と伊藤大介(C.R.A.C.)
李信恵の2頁にわたる「反ヘイトスピーチ裁判に向けて」に続くのは、ITOKENこと伊藤健一郎(C.R.A.C.WEST)の「差別を扇動する在特会、桜井誠そして保守速報」である。ITOKENこと伊藤健一郎は「M君リンチ事件」後、元鹿砦社社員藤井正美へのメールで「M君リンチ事件」の加害者を擁護し、あたかも「M君」に非があったかの如く「口裏合わせ」を企図する「説明テンプレ」とそれを伝える「声掛けリスト」を作成した人物である。噂によればこの春大学院を修了し学位を修得したとのことだ。伊藤はその文章の中で、
「街頭で繰り広げられているヘイトスピーチは人目を引きやすく一部では報道もされていますが、彼らの活動の中心はインターネットであり、路上の活動は氷山の一角にすぎません。ネットでは『在日』を主なターゲットにした差別的書き込みが多く見られます」
と分析をしている。主語を「M君」に置き換えてみよう。
「街頭で繰り広げられている『カウンター』の活動は人目を引きやすく一部では報道もされていますが、彼らの活動の中心はインターネットであり、路上の活動は氷山の一角にすぎません。ネットでは『M君』を主なターゲットにした攻撃的な書き込みが多く見られます」
ほとんどの部分を直さなくとも文章が合致してしまう。これが何を示すのかは、読者に考えていただこう。ちなみに『#安寧通信』の#(一般的には「いげた」と呼ぶが、ツイッターでは「ハッシュタグ」と呼ばれる)もツイッター上で用いられる符号である。ツイッターを使わない人には意味が分からないだろうし、意味を持たないが、彼らはそれほどにインターネットを重視していることの表れであろう。
次いで登場は、肩書が「旧しばき隊(現在解散)、現反レイシズム行動集団「C.R.A.C.」の伊藤大介による「『#安寧通信』創刊に向けて」である。
内容は取り立てて言及する必要はない、凡庸なものだ。
◆金光敏(コリアNGOセンター)と金明秀(関西学院大学社会学部教授)
そして、金光敏(特定非営利活動法人コリアNGOセンター)の登場だ。『反差別と暴力の正体』で電話取材にあいまいな返答に終始しながら、実は「M君」が李信恵、エル金、凡、伊藤大介、松本英一を訴えた裁判で「被告」側に「M君」との私信を証拠として提供しているのがコリアNGOセンターだ。
金光敏は幾分詩的な文章を寄せている。全文を掲載するのは馬鹿らしいので割愛するが、ナルシシズムにすぎる文章は、金が「M君」に対した暴虐とはずいぶんバランスが悪い。
さらに金光敏同様、『反差別と暴力の正体』で、在外研究で1年間韓国にいるはずなのに、不思議なことに日本国内にいて電話が繋がった、関西学院大学社会学部教授の金明秀も登場する。「ぼくは、この裁判を最後まで支援します」と金は宣言し文章を結んでいる。ツイッターに「泥酔して」(本人談)上記書き込みを行った金明秀は「M君」を一貫して「支援しない」ようである。(つづく)