藤原敏男さん(左)とシリモンコン・ルークシリパットさん(右)。両者のチャンピオンベルトはすべて御本人の名前入り、本物です。アマチュアボクシングのメダルはシリモンコンさんの物

名勝負を展開した名チャンピオン同士の戦い。シリモンコン・ルークシリパット(タイ)vs 藤原敏男(黒崎)戦はムエタイの後世に語り継がれる激闘でした。ムエタイ殿堂チャンピオンの名勝負の中に日本人が絡む試合はごくわずかな中でも、ベストファイトはこの試合しかないでしょう。

◆7月17日「ムエタイの日」、41年ぶりの両雄再会

昨年から始まり、今回で8回目となる、月刊ゴング誌・元編集長の舟木昭太郎(現・株式会社アッパー代表取締役)氏が主催する「キックボクシングを語るトークショー」のひとつ、「ムエタイの日」が7月17日(月・祝)に銀座セントポールズサロンにて開催されました。

参加者には、藤原敏男氏と対戦経験ある二人である佐藤正信氏と増沢潔氏、重量級では猪狩元秀氏、軽量級ではアトム鈴木氏、ミッキー鈴木氏のツインズ、若い世代では土屋ジョー氏、ソムチャーイ高津氏も列席されました。

ムエタイを重視する意味で催されたワイクルーを舞う土屋ジョーさん

◆伝説のムエタイボクサー、シリモンコン・ルークシリパットさん

特別ゲストで来日された伝説のムエタイボクサー、シリモンコン・ルークシリパット氏は、藤原敏男氏との再会を祝し、乾杯の音頭をとり「ムエタイの日」は開幕。
両者は1976年(昭和51年)3月8日にラジャダムナンスタジアムで、ノンタイトルで対戦。当時、シリモンコン氏はルンピニースタジアム・ライト級チャンピオン(ラジャダムナン系同級2位)、藤原敏男氏は全日本ライト級チャンピオンで、激しい攻防の末、僅差でシリモンコン氏が勝利しました。その映像もこの“ムエタイの日イベント”で上映されました。

この試合の採点は後々タイでも話題になり、「どちらが勝っていたか」の意見が盛り上がった大接戦の展開で、「引分けが妥当だったのではないか」という意見も多かった激闘でした。

引分けの少ないムエタイにおいて、珍しく引分けとなった試合は、月間ベストバウトや年間ベストバウトに選ばれる可能性が高いと言われます。それは公式記録の同点とは違う意味で“両者とも勝者”という評価の表れということです。

シリモンコン氏は「もしこの試合結果が、引分けだったとしたら、ムエタイ界において藤原もシリモンコンも、もっと高く評価されていたのではないかな。引分けだったら、この試合が私のベストバウトだったかも知れない」と話されたようです。

シリモンコン氏は現役当時に、プミポン国王からムエタイ国民栄誉賞を直々に授かっており、タイ国のスポーツ殿堂入りをも果たし、藤原敏男氏も1997年頃、ムエタイを世界に広めた功績により、タイ国のスポーツ殿堂入りしています。

シリモンコン氏はこの以前に、ルンピニー系フェザー級王座も奪取している2階級制覇チャンピオンで、藤原敏男氏はこの試合の2年後の1978年3月18日に、ラジャダムナンスタジアム・ライト級王座を奪取し、外国人初のムエタイ殿堂チャンピオンに上り詰めています。

左から藤原敏男さん、ソムチャーイ高津さん、シリモンコンさん。通訳のソムチャーイ高津さんは藤原さんの愛おしい弟分であり、シリモンコンさんともお友達、羨ましい!

◆1977年元旦の佐藤正信 vs シリモンコン戦

このイベントに参加された中の一人に第8代全日本ウェルター級チャンピオン.佐藤正信氏がいらっしゃいましたが、この二人の再会も興味深い因縁がありました。

藤原敏男戦の翌年の1977年元旦、後楽園ホールでシリモンコン・ルークシリパット(タイ)は、佐藤正信(山田)にノンタイトル戦でKO負けしており、その意外な敗北にファンも関係者も驚いた様子だったと言われます。寒い日本で体調を崩されたことが敗因と言われますが、タイでの制裁は厳しいもので、シリモンコンは王座剥奪の運命を辿ってしまいました。

続く土佐源(山田)戦にも判定負けしたシリモンコンは、これで後に控えていた藤原敏男との再戦は無くなりましたが、後々の引退後来日し、東金ジムでトレーナーを務め、越川豊選手や山崎通明選手を日本チャンピオンまで育てた功績は有名です。

佐藤正信さん、シリモンコンさん、佐藤夫人。佐藤さんへの敬意を表して最初に握手を求めたのはシリモンコンさん

藤原さん(右)は佐藤正信(左)さん、増沢潔(中央)とも対戦した戦友

またトレーナーや通訳、日本選手のタイ遠征やムエタイツアーなどの世話役で、タイと日本の関係者のパイプ役も果たし、両国の多くの関係者から尊敬されているという名誉挽回した話題もあり、シリモンコン氏の人懐っこい性格から、世代を越えて若いファンからの声援も多いようです。

ウェルター級では猪狩元秀さん(右)も現地で現役チャンピオンを倒したことがあります。毎度「荒くれ者多いキック界には珍しい人格・品格・性格No.1の猪狩元秀さん」と主催者の舟木昭太郎さんに紹介され、毎度“ひがむ”藤原さんがいます(笑)

◆藤原敏男氏のような日本人ムエタイ選手はいつ現れるのか?

こんな名勝負が行なわれていたことに当時、地方に住んでいては観れないファンも多かったでしょう。後々語り継がれる“激闘の名勝負”は、名選手同士がぶつかってこそ出来上がる名勝負となります。何十年後かに、このようなイベントが開催されて再会が出来るような感動の試合を、タイの殿堂スタジアムで展開できるか、今後そんな選手が日本で何人現れるかが、日本のキックボクシング系競技の重要な鍵となるでしょう。

ムエタイ選手に於いて、戦うのは対戦相手だけではない、レフェリーとプロモーターと、ギャンブラー(賭け屋)に好印象を与えていかわねばならないプレッシャーとの戦いが多くの名選手を生む土壌が出来上がっているタイ国です。

日本に於いて、国民栄誉賞を受けられるのはメジャー競技のスーパースター級選手でなければ有り得ないことで、日本人選手としては、タイ国のムエタイ殿堂入りを、藤原敏男氏に次ぐ選手が現れることを期待したいものです。

舟木昭太郎さん(中央)のインタビューに応じ、最後は握手する盟友

[撮影・文]堀田春樹
※以上での一部はソムチャーイ高津氏の通訳によるシリモンコン氏のコメントを引用しています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』