フアランポーン駅からこの列車に乗ってノンカイへ向かいます

二等列車の雰囲気、まあまあいい席です

得度式を見届けた後、その日のうちにバンコクに戻ると、早速の渋滞に巻き込まれました。バンコクでタクシーに乗れば昔と違いメーターが使われますが、それを使わず、値段交渉で高値を言ってくる運転手もいます。それはボッタクリと狙いがちょっとだけ違い、渋滞に巻き込まれたら時間のロスのみでメーターはさほど上がらず、利益に繋がらない様子です。それでやたら高速道路を使いたがり、当然、高速料金は乗客持ちですが、その方が利益率が上がるようです。

◆ラオス国境の街、ノンカイへ

ノンカイ行き列車で注文した弁当カオパット(焼飯)

そんな鬱陶しいバンコクを離れ、この翌日からタイ東北部のラオス国境の街、ノンカイに向かいました。シンガポールに行っていた友人も合流しました。

前日のうちにバンコクのフアランポーン駅近くのホテルに泊まり、翌朝には友人が近くの寺を見に散歩に出掛けた様子です。

「大勢の托鉢僧が歩いていましたよ」という戻って来た友人の言葉。「しまった、俺も行けばよかった」と思ってもすでに遅し。早起きが苦手は損です。

ノンカイは私が比丘の時、ラオスへビザ申請に行くため、「オモロイ坊主」藤川清弘さんと立ち寄った街でした。その時泊めてもらったのがノンカイ駅近くのメコン河沿いにあるミーチャイター寺でした。

そこの和尚さんは藤川さんと私がラオスに渡る際に、ビエンチャンにある知人僧の寺に行って泊まれるよう紹介してくれて少々のお金を持たせてくれた和尚さんでした。そこが懐かしく、今回はただ立ち寄るだけですが、いろいろ想いが過ぎります。

ガイヤーン(焼鳥=鶏の炭火焼)を売りに来たちょっとオカマっぽい兄さん

◆快適な二等列車でノンカイへ

時間も迫り、8時20分発のノンカイ行き列車に乗るため、早めに駅に入りました。駅に着いてしばらくするとタイ国歌が流れました。毎朝8時の国家行事、歩いている人は立ち止まり、座っている人は起立し皆、直立不動になります。

比丘として藤川さんと一緒にノンカイに向かった日も、夕方6時に国歌が流れたことを思い出しました。比丘と俗人では立場違う、緊張感も異なる瞬間でもありました。

以前は夜行寝台一等列車で行きましたが、今回は二等列車。乗り込んだ車内を見ると、総武線快速のような粗末な座席の並び。「これは違うぞ」と察知し隣の車両へ、するとありました旅行者向きリクライニングシートの座席。さっきの“総武線”は3等車、ここは快適な二等車と納得。

やがて昼飯の注文を取りに来る列車乗務員かわからない立ち振舞いのお兄さん。終点ノンカイ到着は夕方5時30分頃の予定。長旅をのんびり風景を楽しみながら行くには快適な列車の旅でした。

外の風景はバンコクのドンムアン空港を過ぎると、この辺から都心を離れた田んぼや畑に山や川の自然が続きます。地域毎に物売りも乗って来て、賑やかに勧めてくるも、鳥の炭火焼やもち米御飯、あまり欲しいとは思えないものばかり。注文した弁当はチャーハンでしたが、作り置きらしさはあっても旅の中で食べれば美味しいものでした。

タイの車窓から、コーンケーンを過ぎた辺りでしょうか

ホントに誰とも出会わない新ノンカイ駅周辺

◆寺が見当たらない

午後を回ると、そろそろ到着後の事を想定しました。

「18時から読経があると思うので、荷物持ったまま寺に行きましょう」と友人に断り、予定より若干の遅れて17時50分頃ノンカイ到着。この終着駅近くにミーチャイター寺が“あるはず”でした。

列車を降りると小綺麗な駅の構内と駅前風景。建て替えられたと思うも、駅前通りも広くて綺麗な道。とりあえず寺のあるはずの方向へ向かいました。

「人通りが全く無く、車も少ないぞ」と思ってもまだ「こっちだ」と固定観念から覚めぬ愚かさ。

少々歩くと団地の前で、赤ちゃんを抱いた主婦と幼い子を連れた主婦が、どこの国でもあるような井戸端会議をしている姿を発見。「こんな佇まいっていいなあ」と思う光景でした。

早速道を聞き、「ミーチャイター寺はどこにありますか?」と聞いてもわからない様子で、「寺はこの辺には無いよ……」と言う不可解そうな表情。

「メコン河沿いにあるんですが……」と付け加えると、「ああ、あの寺ね!」と気付いてくれ、「方向が違うよ、もっとあっちの大通り……」と指差し表情豊かに、説明が気さくで私らを旅行者と思っていないような振舞い。

「地元民らしさが滲み出ている、いい奥さんだなあ」と思いつつ、御礼を行ってその場を去りました。

◆寺はちゃんとあった

「ここに住んでどれぐらいですか」とか「日本人に会ったことありますか」と聞いてみたいところ、人通りの少ない道で、どこの馬の骨かわからないオッサン二人が長居するところではない。それより私らは寺に行きたいのだ。すると、道端に止めた休憩中のトゥクトゥクの運ちゃんに声掛けられ、ミーチャイター寺を交渉。今度はすぐにわかってくれました。

乗ってみればスイカが幾つも雑に置かれた足のやり場の無い荷台席。運ちゃんは「マイペンライ(大丈夫、気にするな)」と言われても、これが何とも勝手気ままなタイらしさが出ている運ちゃんでした。

寺の方向が違う時点でやっと気付いた、“ノンカイ駅は移動した”ことである。なんて愚かな私。来る前にyahooで調べておけば済むことでした。トゥクトゥクが寺の方向に向かうとやがて脳裏に記憶が蘇りました。旧ノンカイ駅があってその前の道が人通り多い活気ある“ケーウ・ウォラウット通り”で、少々街中側に歩けばミーチャイター寺があります。そのとおりにトゥクトゥクは寺の門をくぐってクティ(僧宿舎)の前で止まりました。

「寺はちゃんとあった」と言うまでもない安堵感。やはりこの寺も20年も建てば改築され、綺麗なクティとなっていました。メコン河沿いにあるので、寺のすぐ横は川幅1kmほどあると言われる泥水の大きなメコン河です。そこは元は船着場となっていて、“ター”はそれを意味し“ミーチャイター”と呼ばれる寺なのです。以前は土手だった川沿いも、今やコンクリート敷きの歩道と柵があり綺麗になった分、自然が減った感じがしました。

ノンカイのミーチャイター寺本堂、私にとってだけ思い出深い寺

◆比丘として訪れた懐かしい寺

外に居たネーン(少年僧)に「和尚さんは居ますか? 和尚さんはこの僧ですか?」と22年前に撮った和尚さんの写真を見せると「ハイ、この僧です。でも和尚はインドネシアに行っているので今は留守です。6月1日に帰って来ます」と言われてガッカリ。

われわれは帰国日が迫っているのでひとつの箇所で長居は出来ない。恩返しもあってぜひ会いたかった和尚さんでしたが、和尚さんが以前と変わりないことだけ分かっただけでも次に繋がったと喜べるのでした。以前居た他の比丘は誰も居ない様子で、挨拶をメモ書きしたその写真をネーンに渡し、「22年前の日本人が尋ねて来たことを伝えてください」と伝言しました。

ホテルに行ってチェックイン後、夜の街を散策。市場が幾つかあるようで、そのひとつに導いてくれたトゥクトゥクの運ちゃん。賑やかな屋台が並ぶ街中でしたが、その日の晩飯をそこで摂りました。

寺巡りは単に私が比丘として訪れた懐かしい寺でしかありませんが、観光地では行かない土地巡りという視点も重要な目的でやって来たノンカイの街。翌日には、当初は予定になかった対岸のラオスに向かうことになります。

ノンカイ側から見たメコン河

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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