前回(7月27日掲載)に引き続き、2014年10月7日に発行された『#安寧通信』vol.0の解析を続ける。関西学院大学教授金明秀に続いての登場は、南ソウル大学日本語科助教授の桜井信栄だ。

◆南ソウル大学日本語科助教授の桜井信栄

「皆さんこんにちは。私は2013年から東京の路上でデモ隊に直接抗議をしてきたほか、ソウル光化門(クァンファムン)で日本の反韓でデモに反対するプラカードデモを続けてきました」
から始まる桜井の文章は、「私自身も『がんばります』という精神で信恵さんの支援を続けていきたいと思います」で結ばれている。桜井信栄といっても、それほどの著名人ではないので、取材班も桜井の名前と人となりについては全く知識がなかったが、取材を進めるうちに、「M君リンチ事件」のあと、ツイッターに「M君」の実名を明かし、誹謗する書き込みを行っていた人物であることが判明した。しかも桜井はこの書きこみの中で、神戸大学木村幹教授を皮肉り、鹿砦社の名前まで持ち出している(桜井のこの書き込みは南ソウル大学で問題化し、南ソウル大学の担当者が神戸大学まで謝罪に訪れたという噂もある)。桜井はいわば、「しばき隊」ソウル支局長といったところか。このように二重加害は国境を越えて行われていたのだ。

桜井信栄=南ソウル大学日本語科助教授のツイッターより

◆龍谷大学法科大学院教授の金尚均(キムサンギュン)

そして「京都朝鮮学校襲撃事件」の原告であり、龍谷大学法科大学院教授の金尚均(キムサンギュン)がコメントを寄せている。ここではっきりと断っておかなければならないが、金尚均は「M君リンチ事件」の隠蔽や二次加害には一切加担していない人物である。自身の子息が通っていた「京都朝鮮学校」が在特会などの、質の悪い団体に襲撃された事件では原告となり、堂々とした闘いの末に勝利(民事訴訟で1200万円を超える損害賠償金)を勝ち取っている人物である。業績も多く学者としての評価も高い。

「京都朝鮮学校襲撃事件」原告である金尚均は原則に立ち返れば、「救援」8月10日号に東京造形大学教授の前田朗が論じたような立場を明確にできる人物ではないか、との期待を込めて紹介したまでである。

 

 

ちなみに、金尚均の文章のあとに「京都朝鮮学校襲撃事件」の解説文が掲載されている。この文章には「あらま」と署名がある。「あらま」は「M君リンチ事件」前はM君と交流があったものの、事件後は一転して加害者側に転じた人物である。

◆李信恵を「パイオニア」と評する野間易通(C.R.A.C)

次頁は本年逝去した泥憲和の「李さん泣くな、一緒に生きよう」が登場。次いで登場の野間易通(C.R.A.C)は、
「この裁判を起こすのに、どれだけの労力と勇気、そして何よりも精神的なタフさが必要だったか。李信恵さんの気持ちを日本人支援者は簡単に「わか」ってはいけない。我々は、裁かれる側でもある。だから、パイオニアを孤立させない」
と殊勝なメッセージを送っているが、野間の人間性を知る取材班としては、この言葉を額面通りには受け止めることはできない。事実、野間はその後「M君」の実名や所属大学をツイッターで晒し、「M君」から民事訴訟を起こされ1審で敗訴。9月から大阪高裁で控訴審が始まる人物である。

野間の寄せた短文の結び「パイオニアは孤立させない」は、これまで在日コリアンとして、様々な生活防衛あるいは、差別に対する攻撃と闘ってきた先人に対して失礼ではないだろうか。李信恵がこの裁判を起こすにあたって、相当な覚悟や嫌がらせを覚悟したことは想像できる。しかし李信恵を「パイオニア」と評するのは、例えば入管闘争、日韓条約反対闘争(日・韓両国における)、指紋押捺拒否の闘い、朝鮮高校卒業生への大学資格を認めさせる闘いなど、緒戦線を闘ってきた先人が眼中にない表現だ。

◆「M君リンチ事件」実行犯の一人「凡」

そして同じ頁の下段には「ぼんさん 凡ドドラジオ」、つまり「M君リンチ事件」実行犯の一人「凡」が登場する。「凡」の文章は短い。
「俺の友達がまた勇気を振り絞った。その隣に立つ以外の選択肢はない」
コリアNGOセンターの金光敏による詩的文章にも通ずるこの一文。注目すべきは主語がないことだ。「俺の友達がまた勇気を振り絞った」、いいだろう。これはだれが読んでも李信恵のことだ。だが、「その隣に立つ以外選択肢はない」のは誰だ?李信恵の友人全員か? それとも、「凡」個人か? そしてなぜ「隣に立つ以外選択肢はない」のだ?

このような細部にこだわるのは、この短い文章が「M君リンチ事件」現場における、「凡」が果たした役回りとそっくりだからである。「凡」の言葉はこう書き換えることができる。
「エル金がMに暴力を振るった。その隣に立つ以外の選択肢はない」

事実事件はそのように進行し、「凡」は長時間にわたる「エル金」が「M君」に振るう暴力をいくらでも制止できたにもかかわらず、積極的制止を行っていない。それどころか「凡」自身も「M君」の顔を殴っている。
これらは、『#安寧通信』vol.1が発行された2カ月ほど後に「M君リンチ事件」が起きたがゆえに、遡り解読を試みているのである。もし事件が起こらければ、単なる「言いがかり」と切り捨てられるかもしれないが、残念ながら事件は起きてしまったのだ。「闇の奥には何があったのか」解き明かす作業は奇異であろうか。

◆安田浩一と西岡研介の態度と行動

続いて登場は安田浩一だ。14行にわたる文章の中で安田は、
「差別と偏見の最前線で、もっとも激しく傷ついてきた信恵さんに、もっともつらい選択肢を強いてしまったんじゃないかという思いが僕にはある。だから僕は、ありったけの支援をしたい。いや、一緒に闘いたい」
と、非常に強いトーンで李信恵への共感と共闘を宣言している。それは結構だ。何度も繰り返すが、相手は在特会などの差別確信犯なのだから。

しかし、だからといって、この裁判を李信恵が闘うことが、ほかの生活や発信、なかんずく「M君リンチ事件」への関与を免罪するものでは全くない。この裁判で李信恵は原告であり、被害者だ。しかし、2か月後には「言葉」だけでなく、「暴力」も伴った長時間の「M君リンチ事件」に李信恵は「加害者」として関与した。そのことは李信恵が「M君」に送った「謝罪文」で明らかだ。あの「謝罪文」は嘘、虚構というなら話は別だが。

安田は取材班田所の電話取材に対して「どうしてこんなことに興味をもつのか」、「運動に分断を持ち込むもの」、「誰が喜ぶか顔が見える」などと「李信恵無謬論」を展開したが、事実の前では無茶が過ぎるのだ。事実に忠実に価値判断ができなければジャーナリストとして(それ以前に人間として)誤った道を選択してしまう。いまそれを体現しているのが安田浩一だ。

 

 

そして、同頁下段に登場は、やはりジャーナリストにして「M君リンチ事件」隠蔽において大きな役割を果たす西岡研介だ。西岡は9行の文章の最後をこう結んでいる。

「だから私は李信恵の闘いを率先して、そして最後まで支援する。これまでにも十分すぎるほど傷ついた彼女を最前線に立たせる――ということに忸怩たる思いを抱えながら」

読者の皆さんはお気づきであろうか。西岡の文末と安田の文章。相談などしたわけではなかろうが、訴えようとしている内容が非常に似通っている。好意的に判断すれば、彼らの立場で李信恵を裁判闘争に向かわせることへの、呵責(かしゃく)を同じ立場の人が感じた、ただそれだけのことかもしれない(たぶんそうだろう)。

問題は、李信恵の裁判支援だけならば結構であった二人の類似性と行動が、「M君リンチ事件」に対する態度でも同様に表出したことだ。そして「ジャーナリスト」として一定以上の知名度のある安田と西岡の行動は、取り返しのつかない「深い沼」へと結果として李信恵を導いてしまう。 (つづく)

(鹿砦社特別取材班)

 

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