軽量級らしいスピードとテクニックが魅了した試合の佐々木雄汰 vs 薩摩サザ波

薩摩のバックハンドブローがクリーンヒットし、佐々木雄汰がダウン

薩摩サザ波vs佐々木雄汰。右ヒジ打ちでダウンした薩摩

尚武会・今井勝義会長とツーショットの佐々木雄汰初防衛成功

タイでは国家イベントに起用されるWPMF世界戦、日本では乱立した中の一つでしかない存在ながら、選手の実力は高度なテクニックで試合を盛り上げた、この日の軽量級、中量級、重量級の技の競演は、どのカードも持ち味が活かされた展開で魅了。強い選手が揃っています。

メインイベント、佐々木雄汰(尚武会/17歳) vs 薩摩サザ波(TARGET/35歳)戦は、両者の展開速いテクニックを見せつつ、序盤の様子見から第3ラウンドに薩摩のバックハンドブローで佐々木雄汰がダウン、ここは年齢差からくる人生の経験値か。しかし第4ラウンドにはカウンターのヒジ打ちで逆転のダウンを奪った佐々木雄汰は、さすがに幼少期からのジュニアムエタイ時代から実戦で鍛えた勝負勘を感じます。薩摩にダメージが残る中、佐々木雄汰の攻勢がやや上回って、際どい2-1ながら判定勝利で初防衛成功。

武来安 vs 小嶋広樹戦は、パンチの重さは武来安やや有利。小嶋はパンチも打つが、やや見劣りする中、ローキック主体に攻める。接近戦では相手をパンチでグラつかせるラウンドが互いにあり。武来安が後ろ蹴りも多発した蹴りの多彩さとパンチの強さで上回ったかに見える判定勝利で王座獲得。

八神剣太 vs 鷹大戦は、3月20日に挑戦者決定戦で、アトム山田(武勇会)に判定勝利し、挑戦権を獲得した鷹大。互いに譲らない積極的な攻めも、鷹大のヒジ打ちで八神の顔面を切り、より激しい攻防が続く中、最終ラウンドは互いが怯まない相手を称え合うかのような、グローブタッチを繰り返しながらパンチと蹴りの思いっきりの攻防が続き終了。鷹大のヒジの攻勢が目立ったか、際どい2-0判定で王座奪取、WPMF日本王座2階級を制覇。

ゴンナパー vs 潘隆成戦は、ムエタイらしいゴンナパーの左ミドルキックと強烈なパンチが、徐々に調子を上げていき播隆成を苦しめる。3ラウンドまでの公開採点で、ダウンを奪わなければ勝てない潘隆成が攻勢に出るが、ゴンナパーが強い蹴りで凌ぎきる上手さが目立った。最終ラウンドも離れず攻勢を続けたゴンナパーが判定勝利で2度目の防衛。

T-98 vs ガムライペットは、再びムエタイ殿堂王座を目指すT-98が序盤、重いローキックと接近して圧力をかけてのパンチで出るが、ガムライペットのハイキックを受けたT-98はグラつき、2ラウンドにはヒジで切られる負傷負け。調子を上げる前に終わった感じの試合。王座陥落以降、復帰戦は勝ったが、この日敗北。試合ペースが短い現状から少々休養をとって更なる再起に期待したいところです。

◎M-ONE 2017.2nd
9月18日(月・祝)ディファ有明16:00~20:55
主催:ウィラサクレック・フェアテックス / 認定:WPMF

◆WPMF日本スーパーフライ級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.佐々木雄汰(尚武会/51.95kg)
vs
挑戦者.薩摩3373(=サザ波/MA日本フライ級C/TARGET/51.95kg)
勝者:佐々木雄汰 / 判定2-1 / 主審 チャンデー・ソー・パランタレー
副審 テーチャカリン48-47. ソンマイ48-47. 北尻47-48

ダウンを奪い返した佐々木雄汰の右ヒジ打ちクリーンヒット

◆第2代WPMF日本ライトヘビー級王座決定戦 5回戦

武来安(=ブライアン/J-NETWORKライトヘビー級C/上州松井/78.85kg)
vs
小嶋広樹(WSR・F幕張/79.3kg)
勝者:武来安 / 判定3-0 / 主審 北尻俊介
副審 テーチャカリン49-48. チャンデー49-48. ナルンチョン49-48

小嶋広樹vs武来安。重量級らしい重いパンチと蹴りが交錯した戦い、後ろ蹴りヒットさせた武来安

◆WPMF日本フェザー級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.八神剣太(レジェンド横浜/57.1kg)
vs
挑戦者.鷹大(前スーパーバンタム級C/WSR・F西川口/57.1kg)
勝者:鷹大 / 判定0-2 / 主審 ソンマイ・ケーウセン
副審 テーチャカリン48-49. 北尻48-49. ナルンチョン49-49

八神剣太を攻める鷹大の右ミドルキック、凄まじい試合となった両者

2度目の防衛を果たしたゴンナパー

 
◆WPMF世界スーパーライト級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.ゴンナパー・ウィラサクレック(タイ/63.5kg)
vs
潘隆成(前WPMF日本同級C/クロスポイント吉祥寺/63.5kg)
勝者:ゴンナパー / 判定3-0 / 主審 チャンデー・ソー・パランタレー
副審 ソンマイ49-48. 北尻50-47. ナルンチョン49-47

ゴンナパーの重いミドルキックが潘隆成を苦しめる

◆スーパーウェルター級3回戦

T-98(=今村卓也/元ラジャダムナン系SW級C/クロスポイント吉祥寺/69.85kg)
vs
ガムライペット・パーン26(タイ/69.85kg)
勝者:ガムライペット / TKO 2R 2:43 /
ヒジ打ちによる顔面裂傷、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審 テーチャカリン・チューワタナ

T-98vsガムライペット。調子を上げる前に終わったT-98(=タクヤ)

T-98負傷負け。1度目のドクターチェックでかなり危なかったが再開を許されるも数秒の攻防ですぐレフェリーに止められた、おびただしい出血のT-98

◆WPMF日本ピン級(-45.359kg)3回戦(2分制)

WPMF世界ピン級チャンピオン.Little Tiger(WSR・F三ノ輪/44.9kg)
vs
ヨーディン・シットヨーディン(タイ/45.6→45.3kg)
勝者;Little Tiger / TKO 2R 1:09 / 一方的展開に陥り、レフェリーストップ
主審 北尻俊介

◆55.0kg契約3回戦

小笠原 裕典(JKIスーパーバンタム級C/クロスポイント吉祥寺/55.0kg)
vs
ナッタチャイ・パーン26(元・ルンピニー系ライトフライ級C/タイ/54.6kg)
引分け / 1-0 / 主審 ナルンチョン・ギャットニワット
副審 北尻29-29. チャンデー29-28. テーチャカリン28-28

◆59.0kg契約3回戦

WPMF日本スーパーバンタム級チャンピオン.中向永昌(STRUGGLE/58.9kg)
vs
コブスー・フェアテックス(タイ/58.75kg)
勝者:コブスー・フェアテックス / TKO 1R 1:21 / カウント中のレフェリーストップ
主審 ソンマイ・ケーウセン

◆60.0kg契約3回戦

NJKFスーパーフェザー級チャンピオン.琢磨(東京町田金子/59.8kg)
vs
デンサヤーム・ルークプラバート(タイ/59.75kg)
勝者:デンサヤーム・ルークプラバート / 判定0-3 / 主審 チャンデー・ソー・パランタレー
副審 北尻28-29. ナルンチョン28-29. ソンマイ28-30

◆53.0kg契約5回戦

WPMF日本バンタム級チャンピオン.隼也ウィラサクレック(WSR・F三ノ輪/53.0kg)
vs
奥脇一哉(はまっこムエタイ/53.0kg)
勝者:隼也ウィラサクレック / 判定2-0 / 主審 テーチャカリン・チューワタナ
副審 北尻48-48. チャンデー50-48. ソンマイ49-48

他、3試合は割愛します。

《取材戦記》

WPMF日本ライトヘビー級王座は3年半ぶりのチャンピオン在位。日本の重量級では層が薄い現状も、全団体から集まれば昔以上のランカーが揃う人材があります。ミドル級を越える重量級でも交流戦を増やして、少しでも対戦相手不足を解消して欲しいところです。

キックボクシング系競技でアメリカ人日本チャンピオンも過去、何人か居たと思いますが、武来安の活躍は、かつての日本ヘビー級チャンピオン.ジミー・ジョンソン(横須賀中央)の存在を思い出しました。こんな外国人横綱のような、日本王座に君臨する外国人チャンピオンの存在も憎たらしくていいかもしれません。ボクシングのリック吉村のような日本人をことごとく潰していく存在も面白い存在となるものです。

やがて来年6月末にはこのメイン会場となったディファ有明も閉鎖されますが、その後はどこで開催されるのでしょう。M-ONEに限らず、ディファ有明を主要会場としていた各団体・興行プロモーションも新たな会場を探っているようです。M-ONE次回興行は11月26日(日)にこのディファ有明で開催となります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

今治市郊外に建設中の岡山理科大学獣医学部建設地に向けて抗議するデモ隊。建設中の建物は獣医学部(9月23日)

安倍首相が衆院解散の意向を表明した翌9月26日、大阪府豊中市で、安倍首相が最も恐れる2人の男、木村真氏(大阪府豊中市議会議員・森友学園問題を考える会)と黒川敦彦氏(今治加計獣医学部問題を考える会共同代表)が、安倍首相らを刑事告発する共同プロジェクト立ち上げの記者会見を行った。

10月10日公示・10月22日投票の「モリカケ隠し総選挙」への反撃措置としての記者会見と言えるだろう。

憲法53条の規定に則り野党は臨時国会の召集を要求していたが、3か月以上も放置したあげく、召集するなり冒頭解散をするということだから、憲法違反の解散になる。

憲法53条では、国会議員の4分の1以上の賛成で国会召集を要求した場合に内閣は国会の召集を決定しなければならない。それにもかかわらず解散総選挙に安倍首相は踏み切った。国会で審議すれば、安倍政権にとっての2大アキレス腱、森友学園疑惑と加計学園疑惑の追及に耐えられなくなるのは必至だ。
明らかな“モリカケ隠し解散”と言えるだろう。

◆灰色ではなく、限りなく黒に近い森友・加計疑惑
 
9月26日午後6時から、大阪府豊中市の元「瑞穂の國記念小学院」隣にある野田中央公園で、2人の記者会見は始まった。二つの疑獄事件は、かなり疑惑が明確になりつつある。

まず、森友学園事件。

第一に、国有地8億円値引きの根拠とされたゴミはなかったことが判明している。
第二に、財務省が上記のことをわかっていた。
第三に、1億3000万円程度という売却金額に合わせて、ゴミ撤去処理費を見積もっていた。
第四に、超格安の売却金額や異例の10年分納などのレールを財務省側が敷いていた。

加計学園事件はどうか。

第一に、行政がゆがめられたと指摘される異常な設立認可(正式認可は審議中)
第二に、建築費見積もりも内容もみないまま今治市が補助金支出決定。および建築費大幅水増しによる補助金詐取疑惑。
第三に、ずさんな設計によってバイオハザード(病原体や細菌の実験や研究で生じる危険)が100%起きると専門家が建築図面を見て指摘。

ここまで材料がそろえば、「知らぬ存ぜぬ」「記録は破棄しました」「記憶にございません」などの国会猿芝居は通用しなくなるはずだった。

黒川氏と木村氏は、臨時国会召集とともに、疑惑追及を一層強める予定だったのである。しかも、森友関連ではすでに告発が受理されている段階。そのタイミングでの解散選挙は、「あまりに露骨な“モリカケ隠し解散”だ」と2人は強く批判している。

◆獣医学部建築費水増し疑惑とは何か

「モリカケ隠しを許さない」とう国民世論を目に見える形にするために、加計問題に関して安倍晋三総理大臣を含む関係者への刑事告発運動を展開するとともに、総選挙の結果にかかわらず全国市民集会を年内に実施することを記者会件で明らかにした。

告発の内容は、獣医学部建設をめぐる建築費水増し疑惑だ。施設費148億1587万円を面積3万2528平方メートルで割って算出すると坪単価は約150万円となり、通常の鉄骨造の建物の倍近くになる。

これだけでも疑問だが、建築関係者からの内部告発の形で黒川氏は建物の設計図面を入手。それを専門家に見せると、「倉庫に毛が生えたような建物」「民間なら坪70万円」などという評価を得た。疑問に思った黒川氏はさらに調査を続け、E-statというインターネットで政府統計を閲覧できるサイトを閲覧し、疑惑を深めたという。

この中にある「建築着工統計調査」に愛媛県の教育施設が7件あるうち6件は加計学園のものだと確認できた。そこに加計学園側から提出された面積等のデータから割り出すと、坪単価は約88万1600円となる。

通常このようなアンケートでは、やや高めの数字を提出するという。坪単価80万円台ならば、納得を得られる数値だろう。

他の大学と比較しても加計獣医学部の建築費の高さが目立つ。「今治加計獣医学部問題を考える会」がまとめたところ、同じ国家戦略特区の事業として認可された千葉県成田市の国際医療福祉大学医学部は坪単価88万5200円、同じく成田市にある同大学成田看護学部(同学部は特区事業ではないが建築仕様が医学部に近い)の坪単価は76万円である。

では、いったい150万円という数字は何なのか。黒川氏が図面をもとに建築費水増し疑惑を指摘したことに対し、加計学園は、建築費は道路などの外構費や設計監理費等をのぞけば約126万2000円だとファックスで回答してきた。しかし、設計監理費は建築費に含まれるものである。

さらに、黒川氏が愛媛県知事に情報公開請求したところ加計学園が県に提出した「建築工事届」が9月12日に公開された。すべての建物の面積が記載されており、金額はすべて墨塗りされている。

しかし面積がわかるため、計算すると坪85・6万円。面積が前述のE-statと若干のずれがあるため坪単価にも違いがあるが、どちらも加計学園側が提出したものであり、坪単価は80万円台だと自分たちが書類を提出しているのだ。

「(建築費水増しを)自白しているも同然です」と黒川氏は指摘する。

今治市内で”モリカケ隠し解散”を批判するデモの先頭に立つ黒川敦彦氏(9月23日)

◆安倍首相告発1万人運動へ

今年3月3日、愛媛県今治市議会は、獣医学部設置と補助金96億円を支出すると議決している。水増した建築費をもと加計学園は補助金を申請したことになるため、「補助金詐取にあたるのではないか」(黒川氏)という重大な疑惑が湧いてくるのだ。

すでに告発状は作成されており、加筆修正のうえ公開し、告発者を募り、状況を見計らって提出するという。今治市の菅良二市長を背任容疑で、加計孝太郎理事長を補助金詐欺容疑で、安倍晋三総理を詐欺ほう助で告発する予定だ。

政権の爆弾である二大疑獄追及の当事者である木村真・黒川敦彦両氏による1万人告発運動は、“モリカケ疑惑隠し解散”に対する痛烈で実務的な批判である。総選挙にも影響するだろう。

森友学園問題のパイオニア木村真豊中市議が疑惑の現場、今治市の獣医学部建設地にやってきた(9月23日)

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

宇崎竜童さん

比嘉真優子さん

 

昨日の本コラムでご紹介した順番とは異なるが、宇崎竜童さんと宮沢和史さんがステージで暴れる前に、ネーネーズ、キヨサク(MONGOL800)、比嘉真優子、HYはすでに演奏を終えていた。

まだ終演の夜7時までかなりの時間がある。この時刻でこれだけのミュージシャンの演奏を聴く現場の聴衆たちは、どうなっていただろうか。

おそらく、主催者の精密な「読み」に基づく会場全体を包む雰囲気の行方がぴったりと(あるいは狙い以上に)ヒットしたのだろう。例年会場を埋める聴衆は常連の演奏をどちらかと言えば穏やかに聞く。

内心ワクワクしながらも、会場全体が立ち上がって、飛んだり、跳ねたりとなることはあまりない。アップテンポの曲でも、渋い島唄でもどちらかといえば、踊りだす人もいるけれども、多くの方々は座って手拍子で聞いている。

◆キヨサク、HYらがステージに登場して

ところが、今年は16時前までにキヨサクと、HYがステージに登場した。キヨサクはウクレレ1本で「小さな恋のうた」を奏で、島袋優(BEGIN)とウクレレで共演した。南国調の涼しい風と聴衆が「ウズウズ」するのが手に取るようにわかる空気の下地を作った。

キヨサクさん(MONGOL800)

島袋優さん(BEGIN)

HYは登場するなり爆発的な勢いで演奏をはじめ、彼らを待つステージ近くのファンは大喜びで踊りだす。そこへ宇崎竜童と宮沢和史が続くとどうなるだろうか。これぞまさに「チャンプルー」の恐るべき導火線効果である。

HYとネーネーズのチャンプルー!

何かが起これば、即爆発する、いや爆発したい2000を超えるひとびとの熱がステージ付近にいるとはっきり体感できる。「チャンプルー」爆薬装填作戦は予想を超える。

どんなことが起きるのか。HYが演奏中の聴衆はこんな感じだが、

HYの新里英之さん&仲宗根泉さん

2時間後にはこうなる。

新里英之さんとかりゆし58のチャンプルー!

◆トリにまわったかりゆし58の全開

前川真悟さん(かりゆし58)

新屋行裕さん(かりゆし58)

宮平直樹さん(かりゆし58)

トリにまわったかりゆし58はそれまで登場したミュージシャンが織りなしてきた「限界値を超える」聴衆の期待を見事に何倍にもして、聴衆に投げ返す。ボーカル前川真悟は全開だ。

「ハイサーイ!沖縄の人による、沖縄の人の音楽が、熊本の人の、熊本の人による、熊本の人たちが喜ぶイベントにこうやって、「琉球の風」にきました、かりゆし58です。よろしくおねがいします!」

「沖縄からは、海を隔てて何千キロも離れてるのに、自分たちの生まれた町の旗を掲げて、こんなにも喜んでくださる熊本の人たちのパーティーです。誰一人awayにすることなく、兄弟たちのホームパーティーにしたいのですが、ライブをはじめてもよろしいでしょうか?」

この入りは完璧だ。問いかけに聴衆も大声で応える。もう前列だけでなく会場に座っていられる人はない。特段の事情のある方を覗いて聴衆オールスタンディング状態だ。

HYの新里英之を呼び入れて演じる「アンマー」でステージは聴衆を、聴衆はステージを互いに制圧(こういった物々しい言葉はふさわしくない「互いに固く肩を組んだ」と言い換えよう)した。

▼前川真悟の語りは「天才」だ!

「近所で生まれ育って、4人でやってるバンドで最初にギターとか楽器を弾き始めたのが、中学生のころだから、もう20年前になります。20年まがりなりにも音楽にぶら下がって生きてきました。そういう話からすると、いまステージの上には20年の4人分。80年分の時間が乗っかってるわけです。そこにさらに時間を積み重ねたいと思います。HYからヒデ! そしてきょう「琉球の風」に響いた音楽のほとんどを支えてくれたヨシロウ!ヒデもヨシロウも年齢が近いから、いまステージ上の時間が120年になりました。「琉球の風」を立ち上げて、親みたいに可愛がって育てた知名定男さんは50年歌って続けてます。きょうのステージ上に立った人たちの、音楽に注いだ時間を足したら、何百年、下手したら千年に手が伸びるくらいの時間がのっかってるわけです。それが1曲5分足らずの中に注ぎ込まれて、目に見えないまま、風と時間と、あなたの心にながれていく。それが音楽です。何百年分の積み重ねを1つの曲にまとめて、そしてミュージシャンに与えられたのは、ステージ上の20分が僕らの寿命です。今日あなた方からもらった、音楽の寿命をまっとうしたいと思います」

ラップ調の語りはトレーニングすればある程度うまくはなるが、基本才能だ。前川真悟の語りはあるの種「天才」を感じざるを得ない。

◆エンディングで「島唄」解禁!

そして、いよいよエンディングだ。ステージと観客席の間には照明や音響、そして安全確保のために柵が設けられている。通常、聴衆は座って舞台を眺めるので、その前を横切るときは、邪魔にならないよう、腰をかがめて小走りで駆け抜けるが、聴衆が総立ちになったから遠慮なくステージの前に立てるようになる。本人の出番ではあえて演奏しなかった「島唄」を宮沢和史のボーカルを皮切りに次々と、ミュージシャンが歌い継いでいく。

◆来年はいよいよ10回目。また熊本で会いましょう!

「今年は最高だね」、「今までで一番素晴らしかったよ」、「会う人会う人みんな、最高だって」。終演後、出演者と関係者のみで行われた懇親会の席であちこちから同じような声が聞かれた。全員がボランティアで構成される実行委員会。委員長の山田高広さんは前日から会場に泊まり込み、想像を超える激務の疲れを微塵も見せず笑顔が絶えない。

懇親会ではミュージシャンが、これでもかこれでもかとセッションや出し物を披露する。みんな知名さんの健康を祈っている。宴は続く。最後まで見届けようと時計を見たらもう日付が変わっていた。出演者のかなりは、さらに3次会に繰り出すという。「プロ」は違う。

この日を良い日和にしてくれた、天気の神様、音楽の神様、ボランティアという名で無償の笑顔を絶やさなかった人間という名の神様、そして聴衆というなによりの神様に感謝をして、熊本を後にした。

「琉球の風」来年はいよいよ第10回を迎える。また熊本で会いましょう!

▼田所敏夫(たどころ としお)[文・写真]
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

 

「琉球の風2017」記念エコバッグをデジ鹿読者10名様にプレゼント!
写真のエコバッグは毎回「琉球の風」の会場で先着1000名様にプレゼントしているものです(版画=名嘉睦稔、題字=龍一郎、鹿砦社提供)。少し余分がありますので、このデジタル鹿砦社通信をご覧になっている方10名様にプレゼントします。ご希望の方は私宛メールアドレス(matsuoka@rokusaisha.com)にお申し込みください。(鹿砦社代表・松岡利康)

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』通常版(「琉球の風」実行委員会=編)

◆「声が出るか、それだけが心配なんだけどね」(宇崎竜童)

オープニングでステージに勢ぞろいしたメンバーは笑顔で一度楽屋に引き上げた。あれ? 宇崎竜童さんの姿は見落としたのかな? あの印象深い姿、そばにいればきづかないはずはないのだが。しばらくしてもう一度楽屋を覗くと、宇崎さんはどなたかと打ち合わせをしている。やっぱり自分の見落としだったな。と思い直し、打ち合わせが終わった宇崎さんにご挨拶にうかがった。

「いやーきのうから体調が悪くてね。オープニングは勘弁してもらったんですよ。いまも薬飲んだんだけど……」と、相当に体調が悪いようだ。

「ステージだけはね。なんとかやりますよ。声が出るか、それだけが心配なんだけどね」

弱音を吐かない宇崎さんがここまで言うのだからかなりしんどいに違いない。

◆「きょう島唄は歌いません。腹に力が入らないと歌えないからね」(知名定男)

体調の話では、知名定男さんも3月に大腸がんの手術を受けてから、初めてのステージだった。この日の知名さんは一味も二味も違っていた。優しさと喜びの中に鬼気迫る歌声。知名さんお一人での演奏では「好きにならずにはいられない」も飛び出すし、宮沢和史さんのステージではセッションでデビュー曲を歌う。HY、ネーネーズその他のミュージシャンのバックで何度三線を弾いていたことだろうか。

オープニング前にお話を伺った時には、「きょう島唄は歌いません。島唄は腹に力が入らないと歌えないからね。手術のあと抗がん剤治療がようやく終わったんだけど、まだ本調子ではないですね。味覚が鈍っていて味がわからない。タバコだけはうまいんだよね」と話していた知名さん。「ご病気のことは記事にしてもいいですか」と伺うと「まあ、いいんじゃないですか」とお許しいただいていたが、なんのことはない。宮沢和史さんとのセッションのなかで自分から「今年は大腸がんになっちゃって」と暴露してしまっていた(それを聞いて心配するでもなく笑いで返した聴衆も見事だった)。

◆「2曲目、サングラスでいくから」(宇崎竜童)

宇崎さんは出番が近づくと、舞台のそでで発声練習を始めた。やはり声に不安があるのだろう。「1曲終わったらすぐ引き上げて、2曲目、サングラスでいくから」とスタッフに声をかけ、ステージに歩を進めていった。

宇崎さんは知名さんと異なり、一切体調のことは語らなかった。そして、そでから数メートルしか離れていないが観衆の声援に迎えられたステージの中央は「別世界」なのだろう。

宇崎さんは暴れまくった。例年歌う「沖縄ベイブルース」を封印して、あえてアップテンポの攻めの姿勢だ。高い音域の声も通っている。聴衆の中で宇崎さんの体調不良に気が付いた人はいなかっただろう。

◆「今年は元気になりましたよ。去年とは全然違います」(宮沢和史)

大御所2人と正反対に、昨年と別人のように元気になった人がいた。宮沢和史さんだ。毎年さして長い会話を交わすわけではないが、同世代として「50代の体の不調」について言葉を交わすのが、私的にはひそかな楽しみなのだが、良い意味で今年は完全に裏切られた。

顔を覚えていて下さった宮沢さんと握手をすると「今年は元気になりましたよ。去年とは全然違います」と好調ぶりを強調。こちらは順調に右肩下がりに年齢を感じる毎日、同年齢相哀れみながらも、必死で頑張る姿をお互いに確認しようと思っていたら、なんのことはない。念入りな準備運動を仕上げて上ったステージでは走り回る、飛ぶ、跳ねる。これじゃあ20代のThe Boomの時より元気じゃないか!

宮沢さんのこんなにはじけた姿は初めて見た。でも彼は「人物」だ。オープニングでは第一列に姿を見せればよさそうなものだが、さりげなく第一列から少し下がり、沖縄のミュージシャンを際立たせていた。事前リハーサルで決めていたのではなく、きっと宮沢さんの配慮だろう。楽曲のすばらしさもさることながら、人間として誠実で、立派な人だと会うたびに感銘を受ける。

「歌うのが結構ストレスになっていましたね」と去年語っていた宮沢さん。この日は幸せを全身で表現していた。そして彼は「琉球の風」をわがものとして愛していることが言葉の端々に伺えた。声の艶がさらに円熟味を増したように感じる。

艶や後ろ姿や高音の伸びが全盛期(35年ほど前)の沢田研二にどこか似ているような気がしたので、演奏が終わった宮沢さんに「もしお嫌いだったら失礼ですけど、沢田研二さんにちょっと雰囲気が似てきましたね」と無謀にも語り掛けたら、肩を引き寄せられ、「それって、いい意味ですよね?」といたずらっぽい目つきで聞かれた。「もちろん。いまの沢田研二さんじゃないですよ。全盛期のね」と返したら。背中をポンポンと叩かれた。宮沢和史、稀にみる好漢である。

▼田所敏夫(たどころ としお)[文・写真]
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

 

「琉球の風2017」記念エコバッグをデジ鹿読者10名様にプレゼント!
写真のエコバッグは毎回「琉球の風」の会場で先着1000名様にプレゼントしているものです(版画=名嘉睦稔、題字=龍一郎、鹿砦社提供)。少し余分がありますので、このデジタル鹿砦社通信をご覧になっている方10名様にプレゼントします。ご希望の方は私宛メールアドレス(matsuoka@rokusaisha.com)にお申し込みください。(鹿砦社代表・松岡利康)

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』通常版(「琉球の風」実行委員会=編)

オープニングではステージに所狭しとミュージシャンたちが集まった

ミス沖縄2017の町田満彩智(まちだ・まあち)さん

開演前の会場「今年は空気感が違う」

9月24日熊本フードパルで9回目を迎えた「琉球の風~島から島へ~2017」が行われた。暑くもなく寒くもないすごしやすい天候の下、例年にも増して、多くの聴衆があっという間の6時間を堪能した。

会場は芝生の上に座る自由席なので、至近距離からステージを眺めることは容易であるが、この日入場を待つ列の先頭には朝6:30分から人が並び始めた(!)。会場を待つ最先頭の女性は「鹿児島からHYを見に来ました」と5時間以上の待機にも疲れの様子はない。

12時、ミス沖縄の方々が出迎えるなか、開場が始まると入り口からどんどん走ってくる人たちの姿が。広い会場でも少しでもステージに近い場所でミュージシャンの顔が見たいのは当然の気持ちだろう。

◆1週間前に前売り2000枚完売!

入場直後の聴衆の数は正確にはわからないが昨年、一昨年よりも目算でははるかに多い。実行委員会によると1週間前に前売りの2000枚は完売していたという。天気予報でも好天が予想されたうえ、今年は常連の大御所に加え、6:30から開門を待つファンを惹きつけたHYとMONGOL800の出演が明らかに観客数の増加に繋がっていたことだろう。

鹿砦社もスポンサーとして可能な限りの応援をしながら、毎年楽しませていただける貴重なイベントだ。まずは総合プロデューサー、知名定男さんにご挨拶に伺う。知名さんは楽屋外の屋外テントの机に「琉球の風」を始めた東濱弘憲さんの遺影とともに座っている。ここは知名さん毎年の定位置だ。

総合プロデューサーの知名定男さん(右)と鹿砦社松岡社長。東濱弘憲さんの遺影とともに

◆雰囲気も顔ぶれも素晴らしすぎる!

テントの横の合同楽屋では、和気あいあいと出演ミュージシャンたちが歓談を交わしたり、音合わせをしている。既にアルコールに手が伸びている人の姿もちらほら。宮沢和史、島袋優(BEGIN)、ネーネーズ、かりゆし58、HY、MONGOL800のキヨサク……。おいおい!これだけの顔ぶれが一部屋に揃うことは「琉球の風」の楽屋をおいて、ほかにどこかあるだろうか!

雰囲気も顔ぶれも素晴らしすぎる!

◆「琉球國祭り太鼓」のエイサーで喜びの地響きとともに開演!

13:00、「琉球國祭り太鼓」約50名のエイサー、地響きとともに「琉球の風」は開幕した。例年参加ミュージシャンからは異口同音に「ここは特別」、「こんなに楽しいイベントはない」と耳にするが、今年は最初から会場の空気感が違う。会場全体が開演前から数的な多さだけでない「喜び」のようなものに包まれている。エイサーを演じる「琉球國祭り太鼓」のメンバーの笑顔が素敵だ。

「琉球國祭り太鼓」メンバーの笑顔が素敵だ

「琉球國祭り太鼓」のっけから盛り上がる

会場で本を購入した人にもれなく無料で書家、龍一郎さんがお好みの言葉を書いてプレゼント!

鹿砦社も「島唄よ風になれ!『琉球の風』と東濱弘憲」を販売するブースを出し、松岡社長以下関係者が顔を揃える。ステージの字幕はじめ、鹿砦社関係のロゴなどの多くを手掛ける書家、龍一郎さんは本を購入した人に無料で色紙にお好みの言葉を書いてプレゼントするという特典付きだ。

メンバーがそろったところで、「これさ、ちょっとどうかと思うんだよね」ミュージシャン出演順の表を見ながら松岡が首をかしげる。ネーネーズ、キヨサク、HY、宇崎竜童、宮沢和史らビッグネームの出演順が比較的早い時間に割り振られている。たしかに盛り上がるミュージシャンがどうしてこんなに早く出てくるのだろう? もっとあとのほうがいいんじゃないのかなぁ、と一同松岡の意見に同意したのだが、そこには進行表上の文字面での出演順だけではない、もっと奥の深い意図が隠されていたことをステージが進む中で誰もが理解するようになる。

「琉球國祭り太鼓」の演奏に続いて、出演ミュージシャン全員が舞台に揃い、いよいよ本格的なオープニングを迎える。ステージの横には所狭しとミュージシャンたちが集まり、冗談が飛び交う。名前は秘すが、この日ステージで数々のセッションに絡み大活躍をした○○○さんはすでに出来上がっている。大丈夫か? と思うような状態だが、ステージに出るとそんな姿は微塵も見せない。司会に促されて出演者が順にステージへ出てゆく。

◆「琉球の風」初登場 HYの新里英之さん&仲宗根泉さん!

今回初登場のHYのお二人にオープニングが終わった直後にお話を伺った。

「ウチナーンチュでよかったなって思いました。いつも沖縄でステージをやるときは、来てくれる人も沖縄の人が多くて、いつもどおりみたいな感じなんですけど、違うところ(熊本)でスタッフとかミュージシャンも沖縄の人で安心感があるし、それを誇りにも思います」(仲宗根泉)

「これが沖縄の魂、力だよという生きざまを感じて、音楽で時代を繋げてきたと感じました。知名定男さんをはじめ、僕たちは30代。きょう一番若い子は21歳もいて、お客さんも小さい子からおじいちゃんおばあちゃんまでひとつになる瞬間は素晴らしいなと思います」(新里英之)

この日2000人以上の観客を総立ちにさせることになる、HYの二人は既に楽しそうに興奮気味だった。

「琉球の風」初登場! HYの新里英之さん&仲宗根泉さん

2017年9月25日付け熊本日日新聞

「琉球の風2017」記念エコバッグをデジ鹿読者10名様にプレゼント!

「琉球の風2017」記念エコバッグをデジ鹿読者10名様にプレゼント!
写真のエコバッグは毎回「琉球の風」の会場で先着1000名様にプレゼントしているものです(版画=名嘉睦稔、題字=龍一郎、鹿砦社提供)。少し余分がありますので、このデジタル鹿砦社通信をご覧になっている方10名様にプレゼントします。ご希望の方は私宛メールアドレス(matsuoka@rokusaisha.com)にお申し込みください。(鹿砦社代表・松岡利康)

▼田所敏夫(たどころ としお)[文・写真]
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』通常版(「琉球の風」実行委員会=編)

日本に現存する120人余りの死刑囚の中には、冤罪を訴えて再審請求している者が少なくない。事件発生からまもなく9年になる大阪個室ビデオ店放火殺人事件で死刑判決を受けた小川和弘(55)もその一人だ。私は小川とは、彼が最高裁に上告中の頃に面会したことがあるだけの関係だが、今もその時のことは忘れがたい。

◆めぼしい有罪証拠は自白だけだった死刑判決

事件が起きたのは2008年10月1日の未明のこと。大阪市の南海なんば駅近くにある雑居ビル1階の個室ビデオ店が燃え、店内にいた客16人が死亡するという大惨事だった。小川(当時46)は火災時、客として同店に滞在。出火直後に白いタンクトップのような下着とトランクスという姿で店内を出入り口に向かって歩きながら、テレビがどうのこうのとぶつぶつ言っている不審な様子が目撃されている。

そこで臨場した警察官が追及したところ、小川は「すみません」「死にたかったんですわ」などと犯行を認めたような発言をしたため、任意同行。取り調べでほどなく個室でキャリーバッグに火をつけて放火したことを自白、殺人などの容疑で逮捕された。のちに裁判では無実を訴えたが、2014年3月、最高裁に上告を棄却され、死刑判決が確定したのだった。


◎[参考動画]個室ビデオ店放火殺人 死刑判決(ichirou sei2015年7月3日公開)

今も小川が収容されている大阪拘置所

私が大阪拘置所で小川と面会したのは今から4年前、2013年の9月初旬だった。当時、小川は最高裁に上告していたが、大阪地裁の第一審で受けた死刑判決がすでに大阪高裁の控訴審でも追認され、土俵際まで追い詰められていた。私はかねてよりこの事件に冤罪の疑いがあるという話を聞いており、時間に余裕ができたこの時期、遅ればせながら小川を取材してみたく思ったのだ。

裁判では、小川は現在の自分を惨めに思い、衝動的に自殺しようと火をつけたと認定されているが、めぼしい有罪証拠は自白だけ。しかも現場の個室ビデオ店では、火災発生時に小川が滞在した18号室より、その近くにある9号室のほうがよく燃えており、火元は9号室だったのではないかという疑いが指摘されていた。

しかし小川との面会では、私は取材者としての未熟さを露呈する結果となった。

◆報道と別人のようだった容貌

まず、恥ずかしながら私は小川が面会室に現れた時、それが小川だとすぐにわからなかった。

というのも、マスコミ報道で見かけた逮捕当初の小川は、顔がやつれて血色が悪く、髪がぼさぼさで、いかにも生命力の弱そうな中年男に見えた。だが、この日の小川は顔がふっくらし、髪もすっきりと短く刈っており、精悍な顔つきの男になっていた。逮捕当初とはあまりに容貌が変わっていたため、私は目の前の小川を別人だと誤認し、何らかの手違いあったのではないかと戸惑ってしまったのだ。

「わかりませんか?」

小川に不機嫌そうに言われ、私は目の前の男が小川なのだとようやく理解した。とっさに「報道の印象とずいぶん違いますね……」と取り繕ったが、小川は逮捕当初よりふっくらした頬を手で撫でながら、「5年も経ちますからね」とだけ言った。事前に送った取材依頼の手紙では、小川に対する裁判の有罪認定に疑問を感じていることを伝えていたのだが、歓迎されていないことがひしひしと伝わってきた。

「いまさら取材に来ても遅いんじゃないですか。まあ、物見遊山で来られたんでしょうけど」

小川は私に対し、そんな厳しい言葉もぶつけてきた。報道からは気弱な人物のような印象を受けていたが、実物の小川はけっこう気が強そうだった。いずれにせよ、私に対する小川の批判的な言葉はまったくその通りなので、私は恐縮しながら「ええ、まあ……」とか、「小川さんがそう思われても仕方ないですが……」などと言うほかなかった。

「今さら記事にして欲しくないんです。今日は遠くから来られたんで、それだけお伝えしようと思って会いましたけど」と小川は言った。冤罪の疑いを抱いているという取材者に対し、「記事にして欲しくない」という被告人。奇異な印象を受ける人もいるかもしれないが、私は小川の気持ちがすぐ察せられた。次のような小川の逮捕当初の報道に目を通していたからだ。

《「戸籍まで売った」リストラ男の“狂気”》
《個室ビデオ店「放火犯」は人生を「マザコン」で狂わせた!》
《金髪、毛皮の46歳が見せていたリストカットの傷》
《46歳リストラ男「超有名企業」の過去と狂気 離婚、ギャンブル、サラ金…底辺をさまよった末に》

以上はすべて逮捕当初の週刊誌の見出しに踊った言葉だが、このように扇情的に書き立てられたら、小川がマスコミ不信に陥ったのも無理はない。裁判が大詰めになった時期になり、どこの馬の骨とも知れないフリーのライターがいきなり「取材させてください」とやって来ても、信じることなどできないだろう。

現場の個室ビデオ店は取り壊され、コインパーキングに

毎日新聞2016年11月29日付記事

◆最高裁に黙殺された鑑定書

ただ、小川は言うべきことは言う人物でもあった。

「はっきり言うて、冤罪ですから。最高裁にも『火元が違う』言うて、弁護士さんが鑑定書出してますからね」

堂々とした物言いだった。そこで私は一応、「じゃあ、状況が変われば、取材を受けてもらえますか?」と粘ってみた。だが、小川は「もう記事になりたくないんで」と素っ気なかった。そして、「もういいですか。帰りますよ」と言い、面会の終了時間を迎える前に刑務官と一緒に面会室を後にしたのだった。

小川が最高裁に上告を棄却されたのは、この約半年後のこと。その判決文は裁判所のホームページにアップされているが、わずか2枚の簡略な内容で、小川の弁護人が逆転無罪のために提出したという鑑定書に一切言及がなかった。一方で判決は小川のことを〈その犯行は、人の命を軽視した極めて悪質で、危険なものである〉と批判し、死刑判決を〈是認せざるをえない〉と言い切っていた。小川はこの判決文をどんな思いで読んだろうか・・・と私は小川の心中に思いをはせたものだった。

そんな最高裁の判決が出てから約3年半が過ぎた。この間、昨年11月には小川が死刑確定後も無実を訴え続け、2014年5月に大阪地裁に再審請求をしていたことが明らかになった。請求は2016年3月に棄却されたが、弁護側は大阪高裁に即時抗告。その後、火災の専門家の大学教授が弁護側の依頼をうけ、個室ビデオ店の20分の1の模型を用いて燃焼実験をしたところ、火災発生時に小川がいた18号室ではなく9号室が出火元だと改めて推定される結果となり、弁護側はその実験結果を新証拠として大阪高裁に提出したという。

私は面会した際、小川の堂々とした冤罪主張に正直信ぴょう性を感じさせられており、この再審請求の行方を気にかけている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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◆三帰依再び!

ムエタイ以外でタイで出来る伝統文化って何だろう。そんな思い付きから、あの黄衣を纏って歩いてみたいという安易な妄想を描いてしまった若い頃。

しかし何の信仰心も無く無宗教で育った私は、日頃、両手を合わせる時は、学校給食の「いただきます!」と、苦しい時の神頼みしかありませんでした。成績最悪だった私は、地元の評判悪い私立の仏教系高校に辛うじて受かり、そこで毎朝合掌して唱えさせられたのが、

「ブッダン・サラナン・ガッチャーミー、ダンマン・サラナン・ガッチャーミー、サンガン・サラナン・ガッチャーミー」で、この意味は習ったはずも全く覚えておらず、卒業後の人生、全く頭に過ぎらぬほど、三帰依などすっかり忘れていました。

藤川清弘氏の著作。人物像はここにあり!

子供の頃からキックボクシングを観ていなければ、あの千葉にあるジムに行かなければ、そこであのタイ選手に会わなければ、そのタイ選手のバンコクのジムに居候しなければ、その近くで藤川清弘氏が日本料理の幟旗を立てなければ、その店へ行こうと日本人選手に誘われなければ……、これらのどこかで運命がほんのちょっとでもズレていれば、藤川氏と出会うこと無く、私は出家には至っていなかっただろうと思うのです。

対する藤川氏も波乱万丈の人生を送り、タイで事業を始めた人でした。この人もどこかで運命がちょっと違った方向に行っていれば、あそこであの時期にお店を開くことはなかったでしょう。いろいろな原因が結果となって現れ、それが次の原因となって次の結果を生んで続いていくことを“因果応報”と言います。

そして高校卒業後15年も経ってこの三帰依を再び唱える時が来てしまったのです。もしかしたら、あの嫌で嫌で仕方なかった高校に通った日々が原点だったのでしょうか。

◆幟に釣られた我々!

そんな運命に導かれるまで呑気に生きていた私は、1993年7月、バンコクのタリンチャン地区にあるムエタイのゲオサムリットジム宿舎となるアナン会長宅に居候していました。アナンさんは以前、キックボクシングの習志野ジムでトレーナーをしていた選手で、そこで偶然知り合った仲でした。そのアナン宅のある集落からすぐ出た小道に「たこやき」「やきそば」といった露店の幟旗が5本ほど立った、日本料理店であることを察する、オープンカフェ風の小奇麗なお店があるのを何度か通りかかった際、目撃していました。私はタイに来てまで日本料理は食べたくなかったので、一度も立ち寄ったことはありませんでした。それまでは……。

イメージ画像、実物とは関係ありません。オープンカフェ風レストラン!

タイの日本料理店がお客を釣る手段として用いる幟旗のイメージ画像。写真はタイ現地のものではありませんがこんな感じです

日本人の心を知り、適切に指導できるアナンさんのところへ、日本人キックボクサーが修行にやって来るのは当然の流れで、私が来てから2週間後にやって来たのが当時、日本のキックボクシングトップクラスにいた立嶋篤史選手でした。彼とはデビュー前から知り合いで、以前にもバンコクの別のジムでも一緒に過ごしたことある気兼ねない仲間内でした。

ジムが練習休みのある日曜日、アッシー(=立嶋篤史)から「あの日本料理の店行ってみましょうよ」と誘われる運命へ。彼は元々タイ料理が苦手で、これより5年前のムエタイジムで出会った新人の頃は、味付け海苔とフリカケとインスタント味噌汁を日本から持って来て、これだけで白飯を食べていたほど。その後、タイ料理はほぼ克服していましたが、近くに日本料理店があれば、彼の本能が赴くのは当然のことでした。私は付き合いがてら見学目的で一緒に行くことになりました。

店に入ると、テーブルに着いていたオーナーらしきゴツイ顔のオッサンが、「あんたら日本人やろ、どこに泊っとるんや!」。いきなり関西弁で遠慮ない問いかけをしてくるのが藤川清弘(当時51歳)氏でした。アッシーも活発な青年で意気投合し、藤川さんのツバ飛ばしながらよく喋る関西弁との上手く噛み合う会話が続き、ほとんど喋らない私は聞き役に回る程度でした。日本料理のメニューをお願いすると、藤川さんは「日本料理なんかあらへんで!」とあっさり。我々は「幟に書いてあるのはメニューに無いんですか?」と聞くと、藤川さんは「幟は客釣りや、タイ人には珍しい旗やろ、ワッハッハッハッハ!」。我々も引っ掛かったことに笑ってしまいました。

◆仏門の話題が出た!

アッシーはバンコクでの試合が決まり、減量も始まり、藤川さんの店に行くのは私だけになっていました。従業員の女の子とも仲良くなり、そちらの方が楽しみな日々。それまでの藤川さんとの雑談も、京都で地上げ屋やってたビジネス話から仏門の話がチラッと出た頃でした。

「ワシなあ、今年の1月から6月まで坊主やっとったんや」と見せてくれたのが、巡礼先で撮ったと見える黄衣を纏った坊主頭の藤川さん。このお店での姿はポロシャツにスラックス。髪は短めの七三分け。地上げ屋やってた人とは思えぬ比丘姿でした。

「ワシなあ、もう3~4年したらもう一回坊主やろうと思とるんや、今度は還俗はせんで、一生仏門に居るつもりや、堀田さんも短期でええからやってみたらどうや、日本では絶対に体験できへん良い人生の勉強になるで、得度式かて口移しで教えてくれるし、経文も覚えんでええ、ワシの時もそうやった!」

そんな言葉を掛けられて、過去にラーブリー県で会った品ある日本人僧や、以前付き合っていた彼女の弟の得度式での姿と、TBSの新世界紀行で見た日本の若者二人が出家した姿、それらが一気に頭を過ぎると、あんな姿で歩いてみたいという、お調子者の自分も挑戦してみたい気になりました。

とりあえずそんな縁だけ繋いでおこうと「僕もやりたくなったら誘ってくれますか、藤川さんの居る寺で」と言うと藤川さんは、「ええよ、面倒見てあげる、何も難しく考えんでええから!」と前向き対応。先はわからない簡単な口約束でした。3~4年後なんて仕事が忙しくなってタイには来られないかもしれない。機会あってもその時はビビッて怖気ずくかもしれない。でもまだ起きてもいない先のことは考えず、また雑談に店を訪れる日が続きました。

◆祝勝会もお別れ会も無く!

「アッシーが勝ったら祝勝会やろう」と言ってた藤川さん。アッシーは見事にKO勝ちしたものの、試合直後は日本とタイの雑誌取材等に追われ、すぐに店に訪れることは出来ませんでした。

試合翌日、私だけ訪れると「勝ったんか、たいしたもんやなあ、でも来れんのか、何でや~!?」とガッカリした様子の藤川さん。知り合って間もない関係だけに後回しになるのも仕方無いことでした。それはわずか5日間ほどのことでしたが、その後二人で訪れると、お店から藤川さんの姿が見えなくなっていました。

店の女の子に聞いても「社長はどこに行ったのか、いつ帰るのか分かりません」という返答。いつ行っても状況は変わらず、アッシーは先に帰国し、2週間ほどして私も帰国日になり、「もう藤川さんに会うことは無さそうだな。口約束はあくまで確約では無いし、祝勝会はもしかして御自身のお別れ会のつもりだったのかな」と頭を過ぎりながら、私は帰国の途についたのでした。

やがて2ヶ月ほど経ち、郵便受けに藤川さんからの手紙が届いていました。そう言えば名刺を渡していたなと思い出し、ここから切っても切れない恐ろしい腐れ縁の始まりとなっていくのでした。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

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江幡睦vsマフアンレック。蹴り合いにも下がらず先手打ち、圧力掛けて出る江幡睦

アルゼンチン大使より、WKBA伊原信一代表へチャンピオンベルトの贈呈。これはWKBA加盟国の、アルゼンチンで活発に行なわれているアマチュア大会が、今後、周辺国と交流し、南米選手権、更にヨーロッパ、ロシア、アジアとの大陸間国際大会開催を目指したチャンピオンベルトとなります。アマチュア大会の裾野が広がって、プロへの基盤となればWKBA世界王座も真のメジャー化に繋がるでしょう。そんな険しい道程をどう切り抜けていくのかも応援したいところです。

江幡塁が12月10日、両国国技館で開催の「KNOCK OUTイベント」に出場決定! 10日程前に発表されていたことではありますが、この日、江幡睦が勝利したリング上でもマイクアピールされました。対戦相手は未定ですが、ここで話題の選手と対戦し、好ファイトを繰り広げれば、その後のムエタイ最高峰に挑んだ際にも、今まで以上の期待と声援が増すことでしょう。

江幡睦vsマフアンレック。右ストレートで1回目のダウンとなるクリーンヒット

斗吾vsファープラタン。パンチの強い斗吾が圧力を掛けていく、劣勢に陥るファープラタン

◎TITANS NEOS.22
2017年9月17日(日)後楽園ホール17:00~20:50
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

メインイベントは江幡睦のWKBA世界バンタム級王座初防衛戦。一度失敗している初防衛戦は、2015年3月に行なわれた、ラジャダムナン系バンタム級王座とのダブルタイトルマッチで、フォンペット・チューワタナに判定負けして奪取成らず、WKBA王座も陥落。その後フォンペットのWKBA王座返上で、江幡睦は再び王座決定戦を制し王座奪回。今回の挑戦者は元・ルンピニー系ライトフライ級1位.マフアンレック。

睦のパンチと蹴りのスピードがマフアンレックを上回り、タイミングをずらしたフェイントと、右ストレートと左アッパーで、2度のダウンを奪って快勝し、初防衛成功。

日本ウェルター級チャンピオン.渡辺健司は、憂也の若さでパンチで出る圧力に押される展開を見せるも、いつものしぶとさと粘りで凌ぎきる。どちらもあと一歩足りない手数に差が付かないまま終了。

日本ミドル級チャンピオン.斗吾は序盤にファープラタンの蹴りのテクニックに詰め難さがあったが、斗吾のパンチの威力に後退し始め、表情に現れるような劣勢とスタミナ不足。斗吾の威力が増していき、右ボディーブローでKOする。

アルゼンチンから伊原ジムに移籍したマウロ・エレーラとミドル級から階級を上げたショーケン、重いパンチを振るうエレーラに、負けず劣らず前に出たのはショーケン。右ストレートでダウンを奪い、エレーラを後退させるシーンが目立ち、判定勝利を得る。ミドル級時代より力強さを感じたショーケンでした。

日本フライ級王座奪還目指す泰史は、第1ラウンド終了近くにパワフルな攻めを見せる平野翼から右ハイキックでダウンを奪い、2ラウンド開始早々には右ローキックから瞬時に飛びヒザ蹴り一発で倒してKO勝利。

◆メインイベント WKBA世界バンタム級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.江幡睦(伊原/53.45kg)
VS
マフアンレック・チョー・ノーパルタン(タイ/53.1kg)
勝者:江幡睦 / KO 2R 2:25 / カウント中のタオル投入による棄権
主審 椎名利一

◆74.0kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.85kg)
VS
ファープラタン・ペットプームムエタイ(タイ/73.7kg)
勝者:斗吾 / KO 3R 0:59 / カウント中のタオル投入による棄権
主審 少白竜

ファープラタンvs斗吾。最後は斗吾ボディーブローが強烈に決まった

渡辺健司vs憂也。若い憂也も攻め倦む、両者あと一歩出れば勝機に繋がった惜しい試合

◆67.2kg契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン.渡辺健司(伊原稲城/67.15kg)vs
VS
憂也(魁塾/67.2kg)
引分け / 0-1 / 主審:宮沢誠
副審 椎名29-29. 仲29-29. 少白竜29-30

◆ヘビー級3回戦

日本ヘビー級1位.マウロ・エレーラ(伊原/95.3kg)
VS
日本ヘビー級4位.ショーケン(山田/94.5kg)
勝者:ショーケン / 判定0-3 / 主審 宮沢誠
副審 椎名27-30. 仲28-29. 少白竜28-29

マウロ・エレーラを後退させたショーケン、今後に期待

◆52.0kg契約3回戦

泰史(前・日本フライ級C/伊原/52.0kg)vs平野翼(烈拳會/51.5kg)
勝者:泰史 / TKO 2R 0:10 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審 仲俊光

平野翼vs泰史。飛びヒザ蹴り一発で平野翼を沈めた泰史

江幡睦と塁。WKBA、KNOCK OUT、ムエタイ王座と新しい伝説へ突き進む江幡ツインズ

◆74.0kg契約3回戦

日本ミドル級2位.本田聖典(伊原新潟/73.6kg)vs同級3位.中川達彦(花鳥風月/73.9kg)
勝者:本田聖典 / TKO 2R 0:46 / 一方的展開の為、レフェリーストップ
主審 少白竜

◆62.5kg契約3回戦

日本ライト級3位.春樹(横須賀太賀/62.5kg)vs清水隆誠(烈拳會/62.5kg)
勝者:清水隆誠 / 判定0-3 / 主審 椎名利一
副審 少白竜28-30. 宮沢誠27-30. 仲28-30

◆ライト級3回戦

日本ライト級4位.ジョニー・オリベイラ(トーエル/61.1kg)
VS
同級5位.渡邊涼介(伊原新潟/61.15kg)
引分け / 0-0 / 主審 少白竜
副審 椎名29-29. 宮沢29-29. 仲29-29

他、5試合は割愛します。

《取材戦記》

江幡ツインズ弟・塁は10月22日にMAGNUM.45に於いてWKBA世界スーパーバンタム級王座2度目の防衛戦で、その後12月10日にKNOCK OUT出場となります。同日、兄・睦は後楽園ホールでの藤本ジム興行に於いてのビッグマッチが予定されており、同日に別々の会場でツインズ出場は初めてのことです。来年は睦も後々にKNOCK OUT出場予定されている模様です。

伊原代表に贈られたWKBAアマチュアチャンピオンベルト中央には「King of The King」と刻印されており、鷹と王冠もデザインされています。この鷹と王冠は旧・日本キックシング協会系のチャンピオンベルト(沢村忠さん達の時代のベルト)にも王冠に掴まる鷹が描かれており、同一デザインではありませんが、何かキックの老舗のこだわりがあるような気がします(鷹か鷲か不明ですが)。

今回の興行テーマとなった「メジャーは王道の先にあるならば、この道を突き進む!」にはTITANS NEOSの強化と、海外から発信のWKBAアマチュア大会や、KNOCK OUTイベントに江幡ツインズ出場といった王道の先にメジャーがあり、それが2018年に大きく開花していくのかもしれません。

アルゼンチン大使と伊原代表を囲む。南米担当・川久保悠さん、リングアナウンサー・生島翔さんも加わって

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

◆みんなちがって、みんないい?

有名な金子みすゞの童謡の一節だ。「みんな違ってみんないい」。あるべき理想として多分正しい。しかし、鈴と小鳥は人間と違って金遣いは荒くないし、ましてや子供の親権を奪おうとはしない。

金子みすゞの最期が家庭内の事情により悲惨なものだったことはそれほど知られていない。みなそれぞれ違っていること、それゆえに分かり合えない苦しさ悲しさを一番痛感していたのが金子みすゞであっただろうことが悲しい。この詩の一節は単なる実感ではなく振り絞る祈りのようなものだったのかもしれない。

松本侑子『みすゞと雅輔』(2017年新潮社)

◆金子みすゞの遺書

「あなたが楓ちゃんを連れて行きたければ、連れて行ってもいいでしょう。ただ私はふうちゃんを、心の豊かな子に育てたいのです。だから母が私を育ててくれたように、ふうちゃんを母に育ててほしいのです。どうしてもというのなら、それはしかたないけれど、あなたがふうちゃんに与えられるのはお金であって、心の糧ではありません」

夫宛ての遺書の一部だ。当時の社会情勢を考えると極めて珍しい単刀直入な抗議文だ。戦前の強力な家父長制下では権限は父親にあった。金子みすゞ再評価に貢献した矢崎節夫氏の解説(金子みすゞ童謡集、ハルキ文庫)によると、離婚当時の約束は反故にされ、戸籍上母ではなかった金子みすゞは娘を引き取りにくるといった元夫の要求を断ることはできなかったとある。そもそも離婚の原因になったのが夫の遊郭遊びによる散財で、金子みすゞは性病まで移されていたという。

創作さえ夫に禁止されていた金子みすゞは晩年まだ幼い娘の片言をノートに書き連ねた。意味のつながらない言葉を一つ一つ採集していったものが『南京玉』として残されている。

1924年にシュールレアリストのアンドレ・ブルトンが自動記述を提唱していたが、意味のつながらない言葉を膨大に記録した(雰囲気は大きく異なるけれども)という点では、金子みすゞもよく似ているかもしれない。

◆アジアの人々に向ける眼差し みんな違ってみんないい!

山下清「観兵式」(1937年)

研究者の片倉穣氏の論文『金子みすゞのなかのアジア インド・中国・朝鮮』によれば、金子みすゞがその当時の社会情勢・学校教育と比較しても独自の視点を持っていたことを指摘している。

そもそも金子みすゞの父親庄之助は清国で客死しており、現地人に殺されたのではないかという伝聞があったそうだ。そのようななかで『一番星』という作品にみられる平等性を片倉氏は高く評価している。他にもこの論文では朝鮮人の暮らしぶりを描いた『木屑ひろひ』にも詳細な解説を加えているのでぜひお読みいただきたい。

◆隠れた傑作?『男の子なら』

ここであまり知られていない金子みすゞの作品を引用する。

男の子なら

もしも私が男の子なら、
世界の海をお家にしてる、
あの、海賊になりたいの

お船は海の色に塗り、
お空の色の帆をかけりゃ、
どこでも、誰にもみつからぬ。

ひろい大海乗りまわし
強いお国のお船を見たら、
私、いばってこういうの。

「さあ、潮水をさしあげましょう。」

弱いお国のお船なら、
私、やさしくこういうの。
「みなさん、お国のお噺を、
置いてください、一つずつ。」

けれども、そんないたずらは、
それこそ暇なときのこと、
いちばん大事なお仕事は、
お噺にある宝をみんな、
「むかし」の国へはこんでしまう、
わるいお船をみつけることよ。

そしてその船みつけたら、
とても上手に戦って、
宝残らず取りかえし、かくれ外套や、魔法の洋燈、
歌をうたう木、七里靴………。
お船いっぱい積み込んで、
青い帆いっぱい風うけて、
青い大きな空の下、
青い静かな海の上、
とおく走って行きたいの。
(略)

JULA出版局HPより

金子みすゞの亡くなった年は1930年。すでに朝鮮半島翌年に満州事変が勃発し、日本の中国侵略が本格的に始まる。戦時体制は強化されていき、すでに施行されていた治安維持法で特高警察の影響力が拡大していく。

影響を受けたのは童謡の世界も同じだった。金子みすゞが敬愛してやまず、またみすゞを高く評価してきた西城八十は1932年に「愛国行進曲」を作詞する。以降八十を中心とした童謡作家は軍国歌謡や愛国詩を量産していくことになる。

その後の社会情勢を考えると何か予言めいた響きを感じるのは気のせいだろうか。

◆都合により二行分省略 JULA出版局が怖い!

ところで話は変わるが金子みすゞは著作権の関係で非常に引用が厄介なので有名だ。
「金子みすゞの作品および写真の使用については、金子みすゞ著作保存会(窓口・JULA出版局内)の了承を得ていただきますよう、お願い申しあげます。」(JURA出版より)

筆者非常に小心につき怒られたらどうしようかと夜も寝られないので『男の子なら』の上記引用部分は最後の二行分は削除している。

「許可いるの」っていうと
「許可いるの」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、JULA出版局です

シャレになりません。非常に怖い。

とはいえ、すでに金子みすゞの死後50年以上経過していて、著作権は消滅している。『男の子なら』の主題が「いちばん大事なお仕事は、お噺にある宝をみんな、『むかし』の国へはこんでしまう、わるいお船をみつけること」なのだから、金子みすゞがもしも現代に生きていたらJULA出版局に断固抗議しているに違いない。

歴史上存命中に評価されずに死後再評価された例は数多い。J・S・バッハやフランツ・カフカなど枚挙にいとまがない。それらの人物を再評価して世に広めた人物・団体は高く評価されるべきだ。ただし、それで本来気軽に読めるはずの作品が読めなくなるのはおかしい。再評価の功績に与えられるのは社会的評価だけであるべきだ。具体的な利権であっていいはずがない。即刻JULA出版局は不当な権利独占をやめ、青空文庫にも全作品を公開すべきだ。この排外主義の吹き荒れる現状のためにも、われわれに続く世代の感性のためにも。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

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1999年に起きた桶川ストーカー殺人事件で、“首謀者”とされて無期懲役判決を受け、現在は千葉刑務所で服役中の小松武史(51)について、先日、以下(千葉日報2017年9月9日付記事)のような報道があったのをお気づきになられた人はいるだろうか。

千葉日報2017年9月9日付記事

記事の内容をかいつまんで紹介すると、「小松武史とフリーのルポライターが手紙のやりとりを禁じた千葉刑務所の処分は違法だとして国を相手取り、損害賠償などを求めて千葉地裁に起こした訴訟で勝訴した」ということが書かれており、共同通信も同様の記事を配信している。この記事に出てくるフリーのルポライターとは実は私のことで、私は当事者だから当然だが、この訴訟のことを一から十まで知っている。そこで、このほど違法性が認定された千葉刑務所の処分がいかに悪質だったかをここでもう少し詳しく報告しておきたい。

◆裁判で実行犯が証言した小松武史の「無実」

まず、前提として知っておいてもらいたいのは、小松武史には「冤罪」の疑いがあることだ。いきなりそう言われ、「え、この事件に……」と驚いた人もいるだろう。無理もない。この事件は大変有名だが、冤罪の疑いがあることはこれまでほとんど報道されていないからだ。

しかし実際のところ、この事件はむしろ、これまで冤罪の疑いが指摘されてこなかったのが不思議なくらいだ。

というのも、裁判の認定によると、小松武史は経営する風俗店の店長・久保田祥史(52)[懲役18年の判決をうけ、宮城刑務所で服役中]に対し、弟・和人[事件当時27。事件後に死亡]の元交際相手の女性・猪野詩織さん(同21)を殺害するように依頼し、刺殺させたとされている。

しかし、小松武史はこれまで殺害依頼の容疑を一貫して否認している。加えて、あまり知られていないが、取り調べなどでは「小松武史から殺害を依頼された」と供述していた久保田も実は小松武史の裁判中に従来の供述を撤回し、次のように「真相」を証言していたのである。

「本当は小松武史から殺害の依頼はなかったのです。私は、猪野さんに振られて落ち込む小松武史の弟・和人の無念を晴らすため、猪野さんの顔にナイフで傷でもつけてやろうと思ったのですが、現場で猪野さんに近づいた際、誤って背中やみぞおちを刺し、死なせてしまったのです。そして逮捕された後の取り調べでは、普段から快く思っておらず、事件後の態度にも腹が立った小松武史を首謀者に仕立て上げる供述をしたのです」(久保田の証言の要旨)

私はあるきっかけからそんな事件の構図を知り、小松武史や久保田と手紙のやりとりをしながら、この事件の真相を見極めるために取材を進めていた。刑務所は受刑者に対し、一般面会をほとんど認めていないため、私が小松武史や久保田に事実関係を確認するには手紙のやりとりが唯一の手段だった。また、小松武史としても、私に冤罪を訴えるための手段は手紙しかなかった。

そんな状況下、千葉刑務所は私と小松武史の手紙のやりとりを禁じる処分をしたのだが、その理由は言いがかりとしかいいようがないものだった。

私と小松武史の手紙のやりとりを禁じた処分が違法認定された千葉刑務所

◆7回の手紙のやりとり禁止処分はすべて違法と認定

というのも、今回の訴訟では、被告の国は「片岡は小松武史の意向に従い、久保田をはじめとする共犯者3名と手紙をやりとりし、共犯者たちの動向を小松武史に伝達・仲介していた」と指摘し、それゆえに千葉刑務所が私と小松武史の手紙のやりとりを禁じた処分は適法だと主張した。しかし実際のところ、私は実行犯の久保田や現場に同行した2人の共犯者(いずれも受刑者)に手紙を出し、事実関係を取材したうえ、小松武史にも事実確認をしていただけだったのだ。私が行っていたのは複数犯事件の真相を見極めるためには、当然必要な取材である。

そもそも、仮に私や小松武史がやりとりしていた手紙に何か問題点があれば、その部分を黒塗りするなどすればいいだけだ。千葉刑務所が私と小松武史の手紙のやりとり自体を禁止する必要などまったくないのである。

千葉刑務所の処分を違法と認定した千葉地裁

千葉地裁の阪本勝裁判長は今回の判決で、千葉刑務所が小松武史に対して計7回に渡り、私との手紙のやり取りを禁じた処分はすべて違法だと認めたうえ、
(1)千葉刑務所長が小松武史に対して平成4月8日付けでした私への手紙の発信を禁じる処分を取り消すこと、
(2)国が小松武史に慰謝料5000円などを支払うこと、
(3)国が私に慰謝料3万5000円などを支払うこと――の3点を命じる判決を出した。事実関係に即した適切な判決をしてくれたと思う。

国は当然、控訴などすべきではなく、千葉地裁の判断に素直に従うべきだ。また、全国の他の刑務所・拘置所でも同様の違法な処分が行われないように何らかの対処をすべきである。

かくいう私は今回の勝訴判決を無駄にしないように今後、この事件の真相について、さらなる取材を進める予定だ。また取材結果をここで報告させてもらう機会もあるだろう。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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