タイトルの通り、今回は国立新美術館を紹介します。そんなもんメディアで紹介されてて超有名だしネットにも写真いっぱいあるしそもそも何度も行ってるんだけど!なんて声が聞こえてきそうですが、写真については他のどんなものよりもカッコよく撮ったつもりなのでとりあえず見てもらいたいということと(ああ怖い……)、すでに紹介されているとはいっても建築の思想に触れたものは少なく、そのあたりのオモシロイところを軸に改めて国立新美術館を紹介します。

◆1960年から黒川紀章が育んだ2つのキーワード

2007年に完成した国立新美術館は、森美術館・サントリー美術館とともに六本木界隈の美術館の中心として迫力ある大規模な展示を行っています。国立新美術館を設計したのは〈メタボリズム〉運動や〈共生〉思想で知られる建築家・黒川紀章。黒川は国立新美術館のことを「1960年から続けてきた〈共生〉と〈メタボリズム〉の集大成である」と表現しています。この2つのキーワードを追いかけてみましょう。

◆機械的潮流の終焉

20世紀以降の主流であるモダニズム建築[※1]は、近代社会的な工業化の潮流のなかで科学技術や経済の発展と共に築かれたものであると言えます。第一次世界大戦後の都市再生を目指したル・コルビュジエの画一的な建築様式や、普遍的な空間としてのユニバーサルスペースを夢見て尽力したミース・ファン・デル・ローエの仕事は、やがて圧倒的な量産によって徹底的に工業化されていきます。

もはや出番のなくなったル・コルビュジエは1958年、日本の丹下健三へ宛て大人が子供を肩に乗せた象徴的なスケッチを送ります。ここには「次の世代へ」というメッセージが添えられていました。建築を安価に量産することができるようになった今、機械的・工業的な建築に変わる新しいムーブメントが必要なのであり、それをあなたたちに託します、といった意味なんじゃないでしょうか。

「普遍的価値で世界が均一化されてしまって良いのだろうか」という疑問がいたるところで噴出しはじめた時代。丹下健三門下として活動していた黒川紀章は、この時期から〈共生〉思想を発展させていき、また1960年の世界デザイン会議[※2]を目前にして黒川紀章らは壮大な建築運動〈メタボリズム〉を提案します。

◆〈共生〉思想とは

〈共生〉というのは黒川紀章によって1960年に提唱された概念で「対立・競争・矛盾を抱えつつ互いを必要とする関係」と定義されています。世界には多様な価値が存在し、それらは互いに対立・矛盾する。そうした要素の間に中間領域を置くことによって共に生きることができるのではないか、という考えです。

ここからは筆者の勝手な解釈ですが、国立新美術館に入ると、最初に歩くことになるのがその中間領域にあたります。展示室やレストランといった異なる部分が直接繋がっているのではなく、一度中間領域としてのフロアを歩いてから別の世界へ足を踏み入れることになります。共有空間としての中間領域ですね。また、円錐型のコンクリート塊を地面にブチ込んでつくられた要素の天辺がレストランになっているのですが、そこへと繋がる橋のような部分も同様の、しかし微妙に異なる役割を果たしています。これは、種の多様性を維持するためには孤立した生態系間を結ぶ道が必要だとする考えに基づいて作られたもので、生態回廊としての中間領域と捉えるべきです。

国立新美術館周辺の緑は近隣の青山公園や青山霊園といった森との境界を、透明な外壁は内部と外部の境界を弱めており、これは曖昧領域としての中間領域だと考えることができます。このように、矛盾・対立するもののあいだに置くべき中間領域にも様々な種類や機能があり、それらを適切に配置することが重要なんじゃないでしょうか。

◆〈メタボリズム〉について

〈メタボリズム〉というのは1959年に黒川紀章や菊竹清訓といった建築家や都市計画家が始めた運動で、社会の変化に対応することができる柔軟な建築・都市を目指そうというものです。筆者は2011年に森美術館で開催された「メタボリズムの未来都市」展をきっかけに強く興味を持つようになり、映画「風立ちぬ」に登場する黒川が黒川紀章に似ていて(しかしなぜか誰もそのことに触れていない)大笑いするくらいにはハマった運動です。

代表作としてあげられるのは1972年の黒川紀章作品「中銀カプセルタワービル」でしょう。この建築は各個室の独立性が非常に高く“部屋ごと取り換える”ことが可能な構造になっています。実際に取り替えは行われていないものの、時間的な変化に応じて部分を“新陳代謝”させることができるというわけです。ちなみに、この中銀カプセルタワービルを原型として1979年に登場する世界初のカプセルホテル「カプセルイン大阪(2017年現在営業中)」は黒川紀章の設計です。

◆共時的多様性と通時的多様性

先ほど〈共生〉のところで多様性について書きましたが、多様性というもののなかには共時的多様性(現在、東京とキエフでは食生活が異なる)とは別に通時的多様性(10年後、東京にはますます多くの外国人が溢れているだろう)というものが考えられます。社会の通時的な変化つまりは多様性に対応することがメタボリズムの目的なのであれば、多様なものの共存を目指す〈共生〉思想と〈メタボリズム〉は不可分であるはずなんですね。というよりも、〈共生〉思想のなかに〈メタボリズム〉は包括されていると言った方が正確です。黒川は国立新美術館を「〈共生〉と〈メタボリズム〉の集大成である」と言いましたが、「〈共生〉の集大成である」と表現すべきだったのではないでしょうか。

◆思想との同調

1960年頃というのは、思想的にも大きな転換期でした。カント、デカルト、ヘーゲルといった西欧の二元論に代わり、サルトルの実存主義やメルロポンティの両義性といった新しい哲学体系の流れが始まり、そして多様性を構造的に捉えたレヴィストロースやデリダ、バルトへ、フーコーへと紡がれていきます。〈共生〉思想や〈メタボリズム〉運動はこのような哲学的潮流と同調していました。というか、絵画も音楽も経済も文学も全てが同調しているのであり、これは当然のことです。こうした全てに先んじて一歩を踏み出すのがアーティストの仕事なのであり、今の時代に対する筆者の不満はこのような……とこれはまた別の機会に。

国立新美術館で9月4日まで開催されている「ジャコメッティ展」は強力にオススメです。ダイレクトに実存に働きかけてくるので、他者の少ない平日午前に観覧すべし!

[※1]モダニズム建築=機能的、合理的な造形理念に基づく建築。産業革命以降の工業化社会を背景として19世紀末から新しい建築を求めるさまざまな試行錯誤が各国で行われ、1920年代に機能主義、合理主義の建築として成立した。

[※2]世界デザイン会議=1960年5月7日から16日まで、27カ国、二百数十名のデザイナー、建築家を集めて東京・産経ホールなどで開催された。勝見勝、坂倉準三、柳宗理、亀倉雄策、丹下健三らが中心となり、デザインの分野の違いを超えて討論を行ない、世界のデザイン界との国際交流の場を生み出そうという意図から開催された大規模な会議

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい) [撮影・文]
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
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いっしょに寝そべって撮りたくなるユニークさを誘います

サーラケーウクーの世にも奇妙な石像たち

国境を越え、入国手続きを済ませてタイ領土に戻ると安堵感がありました。タイの方が慣れた土地、まだ広くて静かなノンカイに居ることが幸せな気分でした。

「ビエンチャンの街はどうでした?」と大阪弁オジさんに感想を聞かれ、率直に「楽しかったです!」が本音であり大雑把過ぎる返答をし、ビエンチャン談議もそこそこにノンカイの見所を教わって出発準備。

そこでオジさんに呼ばれた隣の店で休憩中のトゥクトゥクの色黒の運ちゃん。観光地3箇所と最後にミーチャイター寺を巡ってノンカイ駅前に戻って来るコースをお願いしてくれました。

◆ノンカイで寺巡り

願い事、占いも人気のポーチャイ寺、祈る女性が奇麗だと見とれてしまいます

聖水を掛けられる願掛け、有難さが増します

最初に向かった先は、サーラー・ケーオ・クー(ケーク寺)、ビエンチャンにあるブッタパークと同じような形でノンカイにも造ったらしく、仏教とヒンズー教が入り混じったと言われる、多くの奇妙な石像が立ち並び、見応えある寺の庭園でした。

写真を撮るなら何を主役に撮るか、彼女や友人が一緒なら、人と多くの石像をどう捉えるかなど撮影のいい勉強になる、そんな利用価値ある広い庭園です。

2番目に向かったのが、ポーチャイ寺。ここも大きな寺で観光スポットとして女性が多い賑やかな寺でした。願掛けや運勢を占う者、比丘から説法を受ける者多く本堂が広いので、仏陀像の前に長く座って我人生の在り方を心で問いかけてみるのも心安らぐ場所でしょう。

◆過去を振り返るノンカイの街

3番目に向かったのはメコン河沿いにあるターサデット市場で、メコン河沿いから対岸のビエンチャンを眺めたことで両岸から眺める目的も果たせ、運気を上げる充実の時間でした。河沿いにあるラムドゥアン寺に近寄ると、掃き掃除をしていたネーンに「上まで上がっていいですよ」と誘われ、高い本堂の最上部に上がって眺めるメコン河もいい眺め。この寺もいいなあと、“隣の芝は青く見える”状態でした。

ノンカイには幾つか市場があり、このターサデット市場は広い敷地で22年前、ビエンチャンで知り合ったアメリカ人青年がこの市場で簡易湯沸かし器を買っていましたが、古く懐かしい電化製品も日用品も何でも揃う市場です。

平日の昼では人通りが少ないですが、夜や日曜日は賑わう市場です

多くの仏陀像が売られるお店、タイにはまった者は仏像には興味をそそられます

ターサデットは船着場でもあり他の箇所でも、“矢切の渡し”のような船の発着場がありますが、観光客は出入国手続きのあるところしか乗ることはできません。でもそんな矢切の渡しで国境越えを経験したいものです。

昔、托鉢で歩いた懐かしい道をトゥクトゥクで走り、一昨日に続き、ミーチャイター寺へ訪問。

本堂が開いていたので勝手に入り、一人で三拝。朝4時と夕方6時に始まる読経に藤川僧と加わった数日や、先のアメリカ青年をここで出家させた記憶が蘇りました。「あれから22年だぞ」と時間の大切さを実感させる仏陀の目線でした。

この日は和尚さんのお兄さんという俗人のお寺の世話人と偶然対面。タイ人は信頼ある友人は皆、兄弟みたいな呼び方をするので、和尚さんとは血縁関係は無さそうな風貌。この日も念の為、この寺で撮った昔の写真を持って行ったので、この兄さんに見せながら22年前のことを話してみました。

「和尚は明日戻るけど来るかい?」と言われても、私らは明朝の列車でバンコクに帰らねばなりません。「じゃあまた来てくれ、和尚に伝えておくから」と、わずかな信頼関係を作って、同行友人から奪ったマイルドセブンをプレゼントし、この寺を後にしました。

ミーチャイター寺本堂、壁画は仏陀の一生。ここでの思い出も蘇ります

どこの屋台でもこんな光景が日常的

ノンカイ駅に佇む地域犬

プラットホームに入って来ても追い払われないのどかな田舎の駅、馴れたものです

この道路を挟んだ向かい側の路地の奥に“ミーチャイトゥン寺”があり、今は改築されて建物の造りが変わり、ミーチャイトゥン寺と気が付かぬほど。色黒運ちゃんがなぜか機転が利いて最後に立ち寄ってくれましたが、この寺は22年前、比丘としてノンカイに来た際の最初にお世話になった寺でした。より交流が深まったミーチャイター寺から比べれば記憶から外れてしまいましたが、いずれまた来なければならないと誓って最後の訪問地を去りました。

◆再び煩わしいバンコクへ

「ノンカイ観光はどうでした?」と大阪弁オジさんに聞かれて、率直に「楽しかったです!」と本音であり大雑把過ぎる、同じこと繰り返す返答をした後、雑談に花を咲かせる飲み会状態。この店では簡単なバミー(ラーメン)や炒め物など5種類だけのメニューをやっているという大阪弁オジさんの奥さんが切盛りする屋台で、ノンカイ・ビエンチャンの旅では最後の晩餐となりました。ビエンチャンで使ったトゥクトゥクやタクシー値段は「ちょっとボラレとるね!」というオジさんの率直な回答。ちょっとどころではなかったかもしれません。

翌日早朝は、6時40分に駅に入り、列車の到着を待ちました。前日、ノンカイ駅で列車乗車券を買っておきましたが、早朝7時発なのに窓口で「明日は6時30分までに来なさい」と言われ、その意味深く考えず見過ごしていましたが、バンコクからやって来る寝台列車が折り返して行くのだと思って、6時45分頃到着した寝台列車の切り離しや清掃を待ち、乗車できるタイミングを見計らっていたら、なんとトゥクトゥクの昨日の色黒運ちゃんが突然やって来て、「君ら、この列車じゃないぞ、向こうの列車だ」と言われ慌てました。

知らなかったら乗り過ごすところでした。日本と違い低いプラットホームで、通常は線路を渡れるものの、手前に列車がいては2番線に行くには大回りになるので、車掌さんに頼んでくれて両側のドアーを開け、2番線の列車に導いてくれました。乗車券窓口での「6時30分までに来い」と言う意味がこの時初めて分かる、鈍感な我々。

「色黒運ちゃんには感謝する、ビエンチャンのタクシー運ちゃんよりいいオジちゃんだ、また会いましょう」と簡単な御礼を言って笑顔で別れました。この色黒運ちゃんもまた使ってやりたいオジちゃんです。

この地で生きるトゥクトゥク色黒おじさん。また思い出の仲となりました

◆バンコクでムエタイ関係者との最後の晩餐

列車はやや定刻遅れの17時20分にバンコク・フアランポーン駅に着き、最終宿泊地、スクンビット通りのホテルへ、早速の煩わしい渋滞を避け地下鉄で移動は大成功。夜はムエタイ関係者と旅最後の晩餐となりました。

帰りの列車の中で振り返ったこの10日間のタイ・ラオスの旅では、ペッブリーでの得度式に出会い、行かないつもりだったビエンチャンに渡り、予定より2日間を費やした為、昔バンコクでお世話になった人のところやサムットソンクラーム県のお寺へ行けず、更に再会したい人も増え、もう一度行かねばならないところかなり増えた旅となりました。

「またお会いしましょう」と何人に言ってきたことか、この先また“22年後”にならないよう急ぎたいものです。その頃は生きてても長旅は無理かもしれません。

今回は過去に比丘として訪れた街を再訪問しただけの単純な旅でしたが、ノンカイへ向かう列車の中で、「途中下車したらどうなるだろう」と頭を過ぎるも、過去に訪れた地方都市を通過しました。過去にはムエタイ選手が、試合が終わってロッブリー県への里帰りに同行したことや、試合取材で訪れた地方都市などを再訪問するムエタイ絡みの旅も機会あればしてみたいと思います。

単なる日記形式の羅列でしたが、この旅で偶然出会った地元の人達との触れ合いが強烈に記憶に残る楽しさがありました。これから、現在のこんな出会いに繋がった22年前のタイで出家した物語に移りたいと思いますが、興味御座いましたらお付き合いくださいませ。

夕陽のメコン河、対岸からやって来る船、見ていて飽きない風景です

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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アテネオリンピックの開催が間近に迫っていた2004年8月、兵庫県加古川市で一夜のうちに隣近所の7人を骨すき包丁や金づちで惨殺する事件を起こした男がいた。名は藤城康孝(当時48)。裁判では2015年に死刑が確定している。確定判決によると、藤城やその家族は長年、隣家の伯母一家らから見下されており、藤城は復讐のために凶行に及んだとされている。

しかし、事件から10年余りを経た2015年9月、現場を訪ねたところ、私は藤城の犯行動機が復讐だったという話には疑問を感じずにはいられなかった。

藤城が使っていたプレハブ小屋

◆今も犯人を恐れる地元の人たち

JR宝殿駅前で借りたレンタル自転車をこぐこと約15分。田園地帯と住宅が混在した田舎町の一角に、藤城康孝(61)がパン作りをしていたというプレハブ小屋はあった。 

その白いプレハブ小屋は入口の周辺に草が生い茂り、長いこと誰も出入りしていないのは一目でわかる状態だ。同じ敷地内には、かつて藤城が生まれ育った家が建っていたが、今は影も形もなく、その代わりに家の残骸らしき多数の石材が積み重ねられていた。

東隣の広々とした敷地には、かつて藤城の伯母一家が住んでいた大きな家があったが、今は跡形もなく消え失せ、多数の太陽光パネルが並べられていた。一方、プレハブ小屋とは細い道路を挟んだ西側にある更地は雑草が伸び放題だ。この更地にもかつては、藤城とは血縁関係のない同姓の家族が住む家が建っていたが、その面影すら窺えなかった。

私がこの日、この地を訪ねた目的は、この数カ月前に裁判が終結して死刑が確定した藤城の実像を知りたいと思ったためだ。だが、案の定というべきか、地元で藤城のことを積極的に語りたがる人はいなかった。

藤城のプレハブ小屋があった北側の家から中年男性が出てきたのを見つけ、取材に来たことを説明して話を聞こうとしたところ、男性はぎょっとした顔になり、「も、もう関わりたくないんでっ。すみませんけど」とすぐさま家に引っ込んでしまった。

藤城の家から少し離れた民家の前にいた初老の女性は、「あの事件の時は、うちの息子の家も壁が焼けて、修理が大変だったんですよ」と淡々と話した。藤城は7人を殺害したのち、自分の家に火を放って燃やしてしまったのだが、この女性の息子の家は藤城の家の近くにあり、被害をうけたのだという。

藤城の死刑が確定したことについて、どう思うかと聞くと、女性はしみじみとこう言った。

「死刑が決まって良かったです。無期になったら、どうしようかと心配でしたから」

判決が無期懲役ならば、いつか仮釈放されることもありえると思い、女性は地元に藤城が戻ってくる可能性を恐れていたのだろう。私は女性の話を聞きながら、2年前、藤城と面会した日のことを思い出していた。

藤城に殺害された伯母一家が暮らしていた家の跡地。多数の太陽光パネルが並んでいる

◆犯人は「いじめ被害」を切々と訴えてきたが……

2013年9月、大阪拘置所の面会室。アクリル板越しに向かい合った藤城はTシャツに短パン、サンダル履きというラフな格好だった。身長は160センチあるかないかというほど小柄で、衣服に包まれていない両の手足は骨と皮しかないほどにやせ細っている。報道の写真では険しい顔つきをしていたが、目の前の藤城は憑き物が落ちたように穏やかな表情で、一夜に7人を惨殺した凶悪犯にはとても見えない人物だった。

そんな藤城は取材のために訪ねた初対面の私に対し、拘置所の職員たちから「いじめ」を受けているのだと切々と訴えてきた。

「弁当を買いますやろ。職員がそれを(小窓から)房に入れる時、上下や横に揺するんで、中身がどっちかに寄ってるねん」

「わしが(房内の)トイレで用便しよったら、房の前の廊下を何度も行ったり来たりして、ジ~と見てくるんや」

「わしは病気の後遺症で言葉がちゃんとしゃべれへんのやけど、『そんなしゃべり方しかできんのか』と言われるねん」

本人が言うように、たしかに藤城は滑舌が悪かった。しかし、それを差し引いても、藤城の話は意味がわかりにくかった。本人は、「弁護士にいじめのことを相談する手紙を書いたら、職員らに逆恨みされて、余計ひどいことになっとるんですわ」と真顔で言うのだが、どんないじめを受けているのかという具体的なイメージが全然湧いてこなかった。

藤城は「もう2年近くもこういう状態が続いてるんや」というのだが、私には藤城が訴える「いじめ被害」は妄想としか思えなかった。実際、藤城は複数の精神鑑定医から妄想性障害に陥っていると判定されているのだが、実際に本人と会ってみると、その妄想性障害は事前に想像していたより重篤であるように思えた。

そして私はこの時、裁判で藤城の犯行動機が「長年、被害者らから自分や家族を見下されていたこと」への恨みだったかのように認定されていることに疑問を抱いたのだ。

◆完全責任能力が認められて死刑になったが……

裁判記録によると、藤城は幼少のころから短気で、些細なことにカッとなって興奮しやすい性格だったという。けいれんや意識障害などが発作的に起きる脳の病気「てんかん」という持病があり、そのために表出性言語障害にも陥っていたことが人格形成にも影響を与えていたという。

そんな藤城は小学校の低学年のころには、自分にいやがらせをした相手を包丁を持って追いかけていたとされる。高校のころには、因縁をつけてきた同級生を刃物で刺したこともあったという。

そんな物騒な男に対し、近所の人たちがあからさまに見下すような態度をとったりするだろうか。こういう藤城のような男に対しては、むしろ周囲の人たちは刺激しないように細心の注意を払うのが普通ではないだろうか。

藤城は伯母の一家から見張られたり、西隣で暮らす同姓の一家の人たちから陰口を言われたと認識していたとされる。しかし、拘置所で面会した際、藤城から非現実的ないじめ被害を訴えられた私には、それらはすべて藤城の妄想だったように思えてならない。

実際、現場を訪ねた際、地元の人たちが藤城のことをいまだに恐れている様子だったこともこの見方を裏づけていると思える。藤城に殺害された被害者たちが藤城にいやがらせをするような怖いもの知らずだったとは到底思い難い。

藤城に会った際、私はこの男が本当に完全責任能力を有しているのかと疑問に思ったが、裁判では結局、完全責任能力があると認められ、死刑になった。しかし、裁判官たちが藤城を死刑にするため、被害者たちから見下されていたという藤城の妄想を事実だと認めてしまったのだとしたら、被害者たちも浮かばれないだろう。

藤城に殺害された西隣の一家の家も今はもうない

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

今話題の地に暮らす人たちがいて、支援活動でそこを訪れた仲間が帰国したので、9月3日、報告を聞いた。話題の地とは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、そこに暮らす人たちとは1970年のハイジャック事件でおなじみ、元赤軍派のよど号メンバーだ。彼らについて『紙の爆弾』本誌などに寄稿させていただいたわたしの拙文をご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。彼らはハイジャックについては反省しているが、ヨーロッパ拉致疑惑については『えん罪・欧州拉致 よど号グループの拉致報道と国賠訴訟』(社会評論社)ほかで明確に否定している。

◆インターネットに接続できない彼らのIT活用法(は支援者の奴隷化←嘘)

現在も平壌・日本人村に暮らすよど号メンバーの方々(2016年訪朝時に筆者撮影)

同上

現在も4名とその妻2名の計6名が、平壌・日本人村に住む。わたしたちは現在、彼らのTwitter支援を継続しており、公式サイト開設に向けた準備も進めている。今回のメンバーは、主に公式サイト開設のための打ち合わせや彼らのプロフィール画像・映像等の撮影のために訪朝した。

そもそも彼らとのやりとりはメールと電話のみであり、彼らはインターネットに接続することができない(にもかかわらずメールのやりとりだけはできることがわたしはいまだによく理解できない)。ちなみに朝鮮では一部、一般の方でもイントラネットは使用している。また、外国人観光客がネットを使える場所もあるようだ。だがいずれにせよ、彼らはつなげることができない。

そのためTwitterでは、フォロワーさんの反応をそのまま彼らに送り、それに対するコメントに加え、彼らからの新規投稿分のメッセージを6名分送ってもらっている。それを毎月繰り返しているわけだ。

そのようなアナログ(?)な方法でSNSをしているにもかかわらず、今度は公式サイトをできるだけ自らの手で作りたいとおっしゃる。聴いたわたしたちは当初、「Twitterをやりたい」とお聴きした時同様唖然とした。だが、これもTwitter同様、考えるとできる方法はあり、できるだけ主体的にやってもらうサポートに徹するという方針を貫けるという結論に達した。

具体的には、彼らはパソコンをもっていて、ホームページを見るためのブラウザはそこに入っているのだから、デザインができればホームページを作ってもらうことも可能だということになったのだ。メンバーの1人・赤木志郎さんは以前、ホームページをデザインしたこともあるという。1944-48年生まれの彼らだが、国内の同世代の方よりも運動や勉強に熱心なのか、引退して暇なのか、フレッシュでナチュラルなものを食べているからか、若々しい面がある。というかむしろ、中身は大学生のようだと、わたしはいつも口にしている(褒めているとはかぎらない)。

現在も平壌・日本人村に暮らすよど号メンバーの方々(2016年訪朝時に筆者撮影)

閑話休題。

Web制作に携わったことのあるわたしたちとしては、今日までもやもやすることもありながらも、とにかく今回の訪朝メンバーがしっかりと話し合ってきてくれ、帰国直後にホームページ担当の赤木さんから以下のようなメールが届いた。

◆真面目な会議を重ね、あえて不真面目なアウトプットを目指す!?

「訪朝団の皆様、お疲れさまでした。疲れがとれましたか? 皆様が帰国してから晴れるとは皮肉なものです。仕方がありません。いずれにしても有意義な討議をしたと思います。メールだけはもどかしい面もあり、集まっての議論で適切な案が確定したと思います。どうも有り難うございます。」

「さて、ここで確認事項を整理して述べたいと思います。
1,TOP頁は第3案で、撮影した集合写真をイメージに貼り付け、その中で『ようこそ よど号日本人村へ』の文字を入れる。
2,コーナーの『議々論々』、『よど号LIFE』は配置を入れ替える。そして、それぞれに『コメント』欄を設ける。『議々論々』、『よど号LIFE』は月2回更新する。
3,新たなコーナーとして、声明文など公式発表の文章を掲載するコーナーを設定する。コーナーの名称は今後考える。
4,『寄ってらっしゃい』(広場)のコーナーは、寄稿を主としてコーナーの名称を変える。コーナーの名称は今後考える。寄稿は訪朝記が主となる。
5,帰国運動のコーナーの中に、旅券再発行闘争の項目を設ける。
6,『私たちのこと』コーナーの中の自己紹介欄で各自の写真を入れる。動画の自己紹介をユーチューブにリンクさせるか、ユーチューブのよど号関連の中に入れるか、どちらかにする。
7,村の絵は、『私たちのこと』コーナーのなかの文章の適当な位置にはめる。4の『日本人村って』という項目にはめるが適当だと思います。
8,よど号フォトギャラリーには、よど号グループが撮影した写真と歴史写真(後日、編集)、国内の人が撮影した写真で構成する。
9,ツイッターとユーチューブにリンクする。ユーチューブにリンクした動画は、よど号グループ(赤木)が撮影した動画、支援メンバーが撮影した動画を掲載する(編集はいずれも支援メンバー)。
10,宣伝は、開設後になんらか集いを考える。みなさんのブログでも紹介、拡散する。宣伝が10月訪朝団の主テーマとなる。
11,期日は9月末ないし10月初とし、その立ち上げをもって知り合いの方に知らせ、意見を募り、そのうえで修正し、本格的に運営する。
12,サイト閲覧者の意見、感想はそのままピョンヤンに送ってもらい、ピョンヤン側で集約し、答える。
13,資料コーナーに『お元気ですか』バックナンバー(PDFファイル)を加える。
14,国賠関係単行本2冊の紹介、および『かりはゆく』バックナンバーは、後日、送る。
 以上だと思います。何か欠けているとか、補充することがあれば、メールでお知らせお願いします。
 皆さん、それぞれの得意分野で力を発揮してくだされば、非常に良いものができると思います。また、意見を寄せてくだされば、さらに改善できると思います。どうか宜しくお願いします。
 2017年8月20日                     ピョンヤン かりの会 赤木志郎」

ううむ……。みなさんにとっては「なんのこっちゃ」という感じかもしれないが、彼らもわたしたちも意外と地道に話し合いを重ねてここにいたっていたりするのだ。

サイト開設時にはイベントも手がける予定なので、ぜひ、頭の片隅に、『ようこそ よど号日本人村へ』のことを置いておいていただいたら……ご迷惑だろうか……。それでもまた追って、この件やTwitterの裏話なども、お伝えしたい。

何でもアリ!? よど号のyobo-yodo Twitterより

何でもアリ!? よど号のyobo-yodo Twitter

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文/写真は2016年訪朝時]

1972年生まれ。フリーライター、エディター。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』などに寄稿。労働や女性などに関する社会運動に携わる。本日発売の『紙の爆弾』10月号では「生かさず殺さずの労働政策 派遣法改悪、そして狙われる労基法」を執筆。支援活動で2013・14・16年と3回訪朝。仲間の中には訪朝60回を超える、あの猛者も! なぜこのような活動に参加しているのかは、とてもひとくちにはいえない。最低でも3日3晩くらいは語り合わないと……。

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添付のチラシが拙宅に入っていた。どうも内容が怪しい。そこで8月18日関西電力のコールセンターに電話をして質問をした。なお、対応いただいた方は関西電力の正社員ではなく(電力会社や原子力規制委員会は正社員や正職員を使わずに、非正規労働者を質問や批判の矢面に立たせている。卑怯な態度だ)誠実にご対応いただけた。会話の終盤に本音が聞けた。前回に続き今回はその後編を公開する。

「関西電力はお客様の電気料金を8月1日から値下げいたしました」というチラシ

関電 ええ。あと一つだけ申し上げておきたいことがございまして、先程27年6月の原油価格の水準というふうにおっしゃっていただいていたんですけれども、原油価格の算定につきましては、例えば今8月ですので8月分の燃料費調整単価の適応期間というのがありまして、今月分は今年の3、4、5月の平均をしたものが当たるようでして、ですので8月分と言っても8月の市場価格とは異なるのですね。

田所 それは調整でお返し頂いたりするものですよね。ですから今話題にしている「基準燃料価格」とは別の問題ですね。お尋ねしたいことは極めてシンプルです。40,700円がなぜ、1月で20,500円まで下がるかということです。その理由は文章で書かれているわけです。「原発を動かしたから値下げができたと」。だけれども「燃料調達費」が「基準燃料価格」に反映するというご説明と、関係のない説明じゃないですか? 原発が動けばウラン燃料が新たに必要になりませんか?

関電 そのあたりになるとこちらではわからないですよね。

田所 コールセンターの方にお尋ねをするのは酷かとは思うのですが。「基準燃料価格」にウラン燃料が入っていない。高浜でしたらMOX燃料を使っていますから、高浜原発が動き出したということは、その分の燃料を新しく買って燃やしているはずですよ。ですからこれまでの火力発電の燃料以外に原発の燃料が追加されていなければおかしいですよね。

関電 はあはあはあ。

田所 と、素人ながらに感じるのですが。

関電 私もそのあたりはかなり技術的なところで……。

田所 いえいえ極めてシンプルですよ。水力発電、水はタダですから。燃料費はいりませんよね。しかし、火力発電や原子力発電は、なにかを燃やすので燃料費がかかってくる。燃料費の「基準価格」になぜウラン燃料が含まれていないのか?

関電 私もウランが燃料と言われれば、そう言えばそうだなと今思たんですけど。確かにそういわれてみれば、そのあたりはちょっとどう答えていいかわからなくて……申し訳ないです。

田所 丁寧にご対応いただいていますので結構ですよ。ただ「基準燃料価格」の算出基準が怪しいなと感じざるを得ないです。

関電 お客様は「基準燃料価格」にウラン燃料も普通であれば含まれているんであろうという考え方でしょうか。

田所 それが1つですね。原発の燃料はウラン燃料ですからウラン燃料の価格が含まれていなければおかしいとなりますし、含まずに現在算定されているものが高浜原発が動いたら半額近くに下がるのは、いったいどういうからくりなのかと。原油も天然ガスも石炭もこの数カ月で下落しているという事実はありません。逆に平成27年6月の段階で、40,700円/キロリットルという高い値段で買わなければならなかった理由がわかりませんし、料金体系の基準は原発が止まっている時はとても高い設定をしていて、原発が動き出すと途端に半額近くに下げてしまう。

関電 ただ一応手元の使用にある分では2016年の9月が最も安い時期でして、この時の平均燃料価格が21,500円ですね。

田所 そうでしょ。ですからいずれにしても40,700円は高すぎる設定なんですよ。40,700円を超えたことはないんでしょ?

関電 そうですね。27年6月1日以降は41,100円。

田所 41,100円!ほー。

関電 それ以降は下がっていますね。

田所 暫時下がってきているということですね。27年の6月、7月は原子力規制委員会などで原発を動かそうと関電が苦戦していた時期なんですね。感想だけで結構ですが「基準燃料価格」に入っているのは火力発電所で燃やす燃料費ですね。

関電 そうですね。先ほどお客様がおっしゃったように、原発でも燃料を燃やすというのは、私も見取り図でタービンとかあるのは見たことがありましたので、何かしら燃料は燃やしているのではないかと思いますけれども。

田所 燃やさないことにはお湯を沸かせませんから。ウラン燃料をお使いになるわけですよね。一部の報道ですが燃料1本あたり、1億円すると言われているんですね。これを数百本入れて燃やしている。ということは数百億円燃料費がオンされなければおかしいですね。

関電 ウランを燃料という基準で考えるのであればということですね。

田所 高浜の3号機はプルサーマルといってプルトニウムを混ぜて燃やしていますが、基本的にはウラン燃料を燃やすわけですよね。その費用はなぜ加算されないのでしょう?

関電 うーん

田所 原発が動き出せば当然そこで燃料が要るわけですよね?

関電 はい。

田所 その燃料費がどうして計算されず値下げされるのか。値下げしていただくことはあいがたいんですよ。でも、火力発電を止めた分原発を動かすのであれば、原発の燃料費が生じなければおかしいですね。「基準燃料価格」にも入っていないですね?

関電 そうですね。先ほど確認したら3つ以外入っていないと聞いていますので。

田所 この算定はちょっと「変だな」とは思われませんか?

関電 いやー。そうですね。そこまでシビアにこれが、燃料がいくらでと私自身が追い求めてなかった部分もありまして。

田所 市場原理によって燃料調達にかかるお金が高くなれば、電気料金が高くなる、ということはわれわれに分かるわけです。ですが、頂いているチラシでは「大飯発電所3、4号機の本格運転が実現しましたら、さらに電気料金の値下げを実施し」と書かれているわけです。いまご説明頂いた「基準燃料価格」云々関係ないわけですよ。「原発が動けば値下げします」と明言しているわけです。これは理に合わない説明ではないでしょうか?

関電 すいません私ピンとこなくて、ちょっと申し訳ないんですけれども。

田所 燃料価格やその他の経費とは全く関係なしに、「とにかく原発が動けば電位料金は下げますよ」と書かれているわけです。そうであるならば「基準燃料価格」は全く意味をなさないとなるわけですよ。例えば原油や天然ガスが高騰する可能性はありますね?

関電 ありますね。

田所 そんなことは関係なしに「大飯原発が動けばさらに値下げをする」と言っているわけですから。「原発が動けば値下げしてやる」と。それ以外に理解の仕方があるのであればご教示賜わりたいと思います。

関電 すいません。大飯原発について値下げがどの部分になるのかの落とし込みはされていないんですけど、ただ「検討はしてまいりたい」とご案内はしていましたので。

田所 どういう根拠でですか?

関電 それと燃料価格の因果関係はなくですね。

田所 そう! 今おっしゃったとおり、ないんですよ。燃料費と電気代関係ないんですよ。燃料が上がろうが下がろうが、原発を動かしたら電気料金は下げますよと、仰っているわけですよね。それがおかしい、と申し上げているわけです。逆に言えば原発を動かさないと、本当はそれほどかかっていない料金でも取るよと。原発を動かさてくれたら、値段は下げてやるよとしか読めないですね。

関電 はー。私の方でお答えできる範囲ではないので申し訳ございませんが。今のことはなるべく私も理解しようとしているんですけど。たしかにここまでシビアに考えてみると、ちょっと私の方でも説明できない部分がありますので。

田所 原発を動かせば燃料費がかかるはずですが、そのことについての言及がどこにもないんですね。それは合理性を欠いていますね。またドイさんもお調べいただいて検証いただければと思います。

関電 この分はご意見としてまとめさせていただければと思います。

田所 長時間ありがとうございました。 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

添付のチラシが拙宅に入っていた。どうも内容が怪しい。そこで8月18日関西電力のコールセンターに電話をして質問をした。なお、対応いただいた方は関西電力の正社員ではなく(電力会社や原子力規制委員会は正社員や正職員を使わずに、非正規労働者を質問や批判の矢面に立たせている。卑怯な態度だ)誠実にご対応いただけた。会話の終盤に本音が聞けた。その質疑応答を2回に分けて公開する。

「関西電力はお客様の電気料金を8月1日から値下げいたしました」というチラシ

関電 お電話ありがとうございます。担当のドイでございます。

田所 恐れいります。「関西電力はお客様の電気料金を8月1日から値下げいたしました」というチラシを入れて頂いておりまして、そこにこの番号があったので教えて頂きたくお電話を差し上げたのですけれども。

関電 はい、どうぞ。

田所 その文章の2行目に「弊社はこのたび、高浜発電所3、4号機の本格運転の再開を受け、平成29年8月1日から、関西のすべてのお客さまの電気料金を、平均4.29%値下げすることといたしました。」とご説明をしていただいています。ちょっと馬鹿な質問で恐縮なんですが、原発が本格運転をするとどうして値下げをしていただけるということになったんでしょうか。

関電 平成25年(2013年)に原発を全て停止して、それから原発が稼働するまでの間どのように発電してたかというと、火力発電とかそういったものに頼ってたんです。今回原発を再稼働させていただくに伴って、火力発電で必要だった燃料をある程度抑える形にできましたので、その分をお客様に値下げをするという形で還元させていただくというような形になるんでございます。ただ完全に火力が止まったというわけではないんですけれども、元々10基動いていた原発のうち、今高浜の3、4号機の2基だけで賄っている状態ですので、まだ値下げ幅としてまださほど大きな下げ幅はない。平均でご家庭であれば3%前後にはなるんですけど、そちらの値下げをさせて頂きましたという内容になりますね。

田所 ということは、火力発電の方が原子力発電よりも燃料が高いという理解で。

関電 もちろん燃やす燃料に応じて発電させて頂いてますんで。原発が動くことによって原油を使う量が大幅に削減できるといった解釈でいいかと思いますね。

田所 原油ですか? 最近の火力発電所の7割以上が原油ではなくて天然ガスで発電をしていると。
(関西電力保有火力発電所(12箇所)の出力合計は1941.94kw。そのうち停止中の発電所もあるが、原油を燃料としない発電所の総発電能力は1,119kw)

関電 ちょっと詳しい内容に関しては私も存じ上げないんですけれども。

田所 お電話に出て頂いている方は関西電力の社員の方でいらっしゃいますか?

関電 こちらの方でコールセンターはさせて頂いてますけれども。

田所 社員の方ではいらっしゃらないということですね。

関電 そうですね。ただ、一応値下げに関しては、値下げ幅に関するお問い合わせは受けさせていただくようになってます。

田所 (値下げ)幅についてはお答えいただけるけれども詳しい内容については厳しいということでしょうか?

関電 そうです、申し訳ない、その辺りの知識不足はありますけれども、わかる範囲では原発の再稼働に伴って使う燃料に関しては大幅に削減できた分が今回の値下げになってるという説明はこちらの方でさせて頂いております。

田所 それ事実に反しますね。

関電 と言いますと。

田所 関西電力も公表してますけれども、先程申し上げたように今大雑把に言って、全国では7割強天然ガスを燃やしてるんですね。ですから原油の値段が上がろうが下がろうが天然ガスの値段はずっと下げ止まりしています。原油よりずっと安い天然ガスを燃やしていらっしゃるんですね。これは関西電力さんだけではなくて全国の電力会社のもう主流になってる。天然ガスです。安くて原油よりもエネルギー効率よく発電できますから。そうなりますと冒頭にご説明いただいた、燃料費が安くなったから値下げができるというそもそもの根拠が崩れてしまうんではないかと思うんですけれども。

関電 その辺りになってくると、こちらでご説明させていただく範疇はちょっと超えてしまいますので。

田所 ちょっと難しいですね。

関電 すいません。

田所 例えばですが、火力発電、水力発電それから原子力発電と発電方法はいろいろありますが、1kwあるいは1Wあたりを発電するにあたって、それぞれの発電に費用がどのくらいかかるかということはそちらに資料お持ちでいらっしゃいますでしょうか?

関電 そちらの計算式というのは頂いてますけれども、例えば7月31日までの値下げ前の基準の燃料価格というのは、40,700円を基に料金単価を算定しているものとお聞きしています。

田所 40,700円は、どれだけの料の値段ですか?

関電 こちらは1キロリットル当たりの基準燃料価格ですね。この中には先程申し上げて頂いた天然ガス、原油、石炭、こちらの分をキロリットルに直した分をまとめての金額と聞いてます。

田所 つまり1000キロリットル当たり40,700円ですね。それが値下げ後は?

関電 値下げ後は25,500円。

田所 ここに含まれるのは、天然ガスと原油と石炭ですね。

関電 それをキロリットルに直したものになるようです。

田所 どうして原発を動かすことによって、原油などの市場価格は変わらないのに燃料価格はそのように安くなるのですか?

関電 値下げ前に関しましては、毎月々平均燃料価格という形で金額を出させていただいてるんです。そのため毎月々のご請求の中に燃料調整費と言った形で、7月31日まではマイナス請求がずっと続いてたかと思うんです。一応その分が、例えば40,700円の時に例えば先程申し上げた25,500円で買えてる様な状態だと、それだけ燃料が安くなってる、関西電力ではお金が浮く状態になりますので、そちらの分を燃料調整費として毎月々返させて頂いていたのがずっと続いていたかと思うんです、ここ最近なんですけれども。それが8月1日以降、25,500円といった形で基準燃料を出させていただいてますので、今までみたいに燃料調整費でマイナス分、結構多かったと思うんですが、これが出にくくなるといった感じになりますね。

田所 ということは「石油・石炭・天然ガス」を調達される時の、買われる時の価格が前よりも安くなったと。

関電 この辺りは、毎月々変動費になってはいるので……。

田所 いやいや、ものすごい減額でしょ。40,700円から25,000円。そんなに原油とか天然ガスとか石炭が市場で下落しているということは、価格を見ている限り無いのですけれども。ご説明いただいた通り「高浜発電所の3、4号機の本格運転の再開を受け」と書いてあるわけですよね。高浜原発が動いたから燃料の調達費が40,700円から25,000円に落ちてるということなんでしょうか?

関電 ま、そうですね。ただ8月にいたってはこちらの燃料価格が1キロリットルあたり25,900円になってますので400円高くなりますよね、その分の燃料調整費はプラスで請求されて、8月分は1kwあたり0.08円をプラス請求させていただくような形になってますね。

田所 値下げしたけど上がるわけですか?

関電 これは燃料調整費の分でプラス請求されるといった内容になっています。

田所 恐れ入ります、先程ご説明いただいた「基準価格」とおっしゃいましたか?

関電 基準価格は今回料金改定に伴って25,500円そのままでずっと行くんですけれども……。

田所 その前は25,500円じゃなかったわけですよね。

関電 その前は40,700円でした。

田所 そこなんです。私が今お尋ねしてるのは。40,700円から25,500円、なんでこんな急激に4割ぐらい安くなるのですか? 調達先の値段はそんなに下落してないと思いますけれども。

関電 一応こちらの方で聞いているのは、原油価格の大幅な下落と聞いているのですけれども。元々市場価格で取引されているのが、1バーレルあたり100ドルを超えてたものが、今では50ドルを切るような状態になってるというふうには聞いてるのですが。

田所 それは別にここ数か月ではなくて去年からずっと40ドル台ですよ。

関電 そうです、ですから去年も含めて燃料調整費をマイナス請求させていただいてたかと思うんです。

田所 だけども基準の燃料価格は40,700円だったんでしょ。

関電 基準燃料価格ですね。おそらく今、お手元にある資料に、こちらの価格が書いてあると思うんですが、多分同じものを見てると思うんですけれども。

田所 これ拝見しますと、1ページ目は電気料金水準のイメージという図表が出ていまして、開くとお得な料金メニューでのご案内ということでこれはあまり値下げ値上げとは関係なしに宣伝と言いますかサービスの案内が出てるんですね。最後のページに値下げ額例というのが出ていまして……。

関電 そうですね、それの半分よりちょっと下あたりに書いてあるのを私読み上げたのですけれども。

田所 なるほど。「基準燃料価格」と「基準単価」というものの定義をもう一度教えて頂けますか。

関電 こちらは毎月々燃料調整費として今までお返しさせていただいていた燃料調整費の1kwhあたりの単価を計算する上で、こちらの基準単価というのが必要になってくるのですけれども。

田所 いえいえ、私は「基準単価」がどういうものなのかということをまず教えて頂きたいということでお尋ねしているのです。そもそもその前に「基準燃料価格」の正しいところを教えて頂けますでしょうか。

関電 基準燃料価格はですね、こちらのホームページ上に詳しい内容が載っているのですけれども、今もう更新されて25,500円を基準にした内容になっているのですが、毎月々の燃料調整費を計算する上で25,500円から高かったのか安かったのかによってマイナス請求する分のkwhあたりの……。

田所 現状のプラスかマイナスかということを今ご説明いただいているのですが、それがいくらかっていうことではなくて、「基準燃料価格」というのはどういった性質の金額なのか、これは /キロリットルになってますよね、だから1000リットルあたりいくらかということなんだろうなと推測はするわけなんですけれども、これはどのように決められて、どのようなものは含まれて、どのようなものは含まれないのか。そういったことを教えて頂けないかということでお尋ねをしてるのです。

関電 まず含まれるものについて説明しますと、先程申し上げた原油と天然ガスと石炭ですね。この三つが含まれています。

田所 では、ウラン燃料は含まれていない。

関電 ウランですか? 原発のウランですか。これは私の見る限りでは書いていないんですけれども、これはお答えするのはちょっと確認させていただければと思うんですが。少々お待ちいただけますか(相談に数分)。お客様、お待たせいたしました。こちらウランは含まれていないということです。

田所 ウラン燃料は含まれていない。ほお。では含まれているのは原油、天然ガス、石炭の三つですね。

関電 この三つになります。

田所 そうするとですね、これは再度同じ質問で恐縮なのですけれども、値下げ前というのは7月のことですよね、7月40,700円であったものが、8月なぜ半額近く25,500円まで下がるのでしょうか?

関電 元々この基準燃料価格というのは、過去に2回目の値上げをさせて頂いた時があったと思うんですけれども、平成27年の6月に決めさせていただいたこの基準燃料価格40,700円というのは7月31日までずっと変わらずそのまま続いたんです。

田所 ずっと40,700円だったわけですね。

関電 40,700円に対して安くなってる分を毎月々燃料調整費としてお返しさせて頂いてたものになるんです。

田所 マイナスになってる分は返していただいてたという訳ですね。それが先月、今月あるいは去年から今年、先物取引の値段を見ても原油にしろ天然ガスにしろ大幅な下落の傾向は見られないのですが、なぜ基準額がこれ程極端にさがることになったのでしょうか?

関電 これはまず40,700円という基準価格が平成27年6月に決めさせていただいた値段で、その後この基準燃料価格に対して実際いくらの燃料価格だったかというのが、今手元にあるのが28年になって申し訳ないんですが、28年1月にいたっては33,200円になってました。ですのでこの時に1kwhあたりマイナス1.58円というマイナス請求をさせて頂いてたということになります。それが2月になったら31,900円、3月が30,500円、4月が28,700円といった形で、なんか見た感じだと毎月々コンスタントに下がっていってる傾向にありまして。

田所 そうなんです、それが実勢価格だからですよ。つまり前に定められた40,700円という数字は市場価格からすると破格に高い額で設定されていたわけですよね(著者注:2015年原油価格は1バーレルあたり48ドル)。私の疑問は、なぜこの平成27年6月に市場価格はそんなに高くもないのに40,700円という基準価格を設定したかということです。

関電 ちょっとその辺りはちょっと詳しく……。

田所 その答えはここに書いてあるんですよ。次のところに「弊社といたしましては、引き続き、高浜発電所3、4号機の安全・安定運転に努めるとともに、大飯発電所3、4号機をはじめ、安全性が確認された原子力プラントの再稼動に、安全最優先で取り組んでまいります」と。これを読むと、要するに「原子力発電所が止まってしまったから基準燃料価格を上げた」んだと。だけども実勢価格はそれより低いから私たちにお返しいただいていて、8月1日から何かと言ったら、高浜原発が営業運転始めて発電始めてるわけですよね。それで25,500円に下げていると私たちは理解してしまうんですけれども、それは誤りでしょうか?

関電 これは、ちょっと私の方では……。

田所 難しいですね。私の申し上げてる疑問についてお分かりいただけますでしょうか?

(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

乃木神社は明治の軍人乃木希典と妻の静子を祭神とする神社だ。場所は東京都の港区赤坂にある。乃木希典夫妻の明治天皇にたいする「殉死」にたいし、その死を悼んだ区議会が乃木坂と改称したことから、この地域一帯は乃木坂と呼ばれるようになっている。秋元康のプロデュースするアイドルグループの乃木坂46はこの乃木坂に由来している。メンバーが新成人になると成人式が乃木神社で行われ、毎年報道されている。

乃木神社・宝物殿に展示されている乃木夫妻の殉死刀

関係書籍コーナーには「武道教育」(日本武道教育新聞社発行)という冊子が置かれていた

◆物騒な展示とドルオタの絵馬

昨年10月に筆者は乃木神社に行った。境内に入り二の鳥居をくぐると右側に宝物殿がある。宝物殿の入口付近には憲法改正について賛同を求めるポスターと署名用紙が置かれていた。ポスターには東京都神社庁の名がある。

宝物殿には乃木希典ゆかりの遺品や乃木希典の死を報じたニューヨークタイムズの記事の切り抜きなどが保管されている。宝物殿では乃木希典にちなんで軍歌「水師営の会見」がずっと流れていた。この宝物殿の中でとりわけ目を引くのが大小二振りの刀だ。乃木夫妻が自刃したときに用いた刀が抜き身のまま展示されていた。

関係書籍の展示コーナーには日本武道教育新聞社が発行している「武道教育」という冊子が置かれていた。寺井愛宕という自衛隊の海将をつとめた人物のインタビュー記事が掲載されていた。

昭和48年の指揮官時代に上官に相談なく自衛隊機を二機竹島上空に飛ばしたのだという。韓国政府の抗議を誘発させることでマスコミを騒がせ竹島問題を周知させたかったのだという。韓国軍がその当時竹島周辺の海域にいなかったため、大事にはいたらなかったが、明白なシビリアン・コントロール違反だろう。記事の他の小見出しには「竹島問題だけでも韓国は侵略国家だ」ともあった。

研究者の添田仁の論文「壬辰・丁酉倭乱における朝鮮人被虜の末裔」によれば、豊臣秀吉による朝鮮侵略により強制連行された朝鮮人の末裔が乃木希典にあたるという。日露戦争の過程で日本が韓国の内政・外交権を骨抜きにし、植民地化を進めていったことをあわせて考えればあまりにも悲惨だ。

宝物殿を出て正面向かい側に大量の絵馬が飾られている。願い事の多くが乃木坂46に関することで、推しメン(応援しているメンバーのこと)の名前を絵馬に書いてもっと人気がでるよう願っている。この神社の神徳とされる「忠誠」「文武両道」「夫婦和合」に関連する願い事は比較的少数だ。これほど大量に自分自身や身近な人間以外の他人の幸福にたいしてお金払って願い事をしている光景は違った意味で圧倒される。Twitterで「#乃木神社」と検索してもらえばアイドルオタク(いわゆるドルオタ)が境内の写真や絵馬を掲載しているので、その雰囲気は把握できる。

ただし、祭神である乃木希典は学習院院長時代、生徒の末広ヒロ子が時事新報社主催「日本美人写真募集」(日本最初のミスコン)に参加したことを理由に彼女を退学処分にしている。ドルオタの願いはむしろ祭神の怒りに触れそうだ。

いずれにせよ同一施設内でこれほど落差がある光景が見られるところは珍しいだろう。

乃木神社・宝物殿の入口付近に置かれていた憲法改正への賛同を求める署名用紙

乃木坂46「命は美しい」(2015年3月18日発売)

◆経済的利益と改憲誘導

絵馬は一枚500円で販売されており、お守りなどの関連する品物をあわせると相当な売り上げがあるだろうと推測される。アイドルオタクは年間通じて来るので、神事などの特定の時期にしか収益が発生しないということもない。他の神社と比較しても財政状況は良いのではないかと推測される。実際2016年の矢野経済研究所の調査によると、アイドルオタクの年間平均消費金額は他の種類のオタクと比較してもかなり多いようだ(年間平均79,783円)。この購買力は魅力だろう。

こうして見てみると、乃木神社にとって秋元康のプロデュースするアイドルグループとタイアップするのは一般大衆にソフトな形で存在を周知し、アイドルオタクの購買力を取り込める絶好の機会だったに違いない。なぜなら戦後一貫して乃木希典のイメージは一般的に悪かったといっていいからだ。

乃木希典は戦前にはそれこそ「神」のように崇拝されたものの、敗戦によってその評価は180度転換した。戦後長い間乃木希典を信奉する人は中央乃木会に代表される熱心な国粋主義者に限られていた。リベラルな価値観を持つ人々からは乃木希典は軍国教育を想起させるものとして蛇蝎のように嫌われた。また、「国民作家」として人気のある司馬遼太郎からも小説「坂の上の雲」の中で多数の死傷者を出させた「愚将」として描かれていた。

戦争の悲惨さを知る戦前戦中世代が高齢のため亡くなっていく中、若年層で「乃木」と聞いて戦前の軍国主義や忠孝精神を想起する人は少ないだろう。乃木神社のイメージ戦略は成功したと言っていい。

一方乃木神社だけでなく秋元康らにもメリットがあったと思われる。乃木神社も所属する神社本庁や安倍首相をはじめとする改憲勢力に若年層を無意識に大量に誘導することで恩を売れるからだ。また前出の中央乃木会は戦前の有力な政治家や軍人の子孫を招いて定期的に講演会を行っているが、その講演者は様々な分野で要職についているものも多い。

◆ナチスはアウト、大日本帝国はOK

昨年乃木坂46の姉妹グループで、同じく秋元康プロデュースの欅坂46がナチス風衣装を着用したことで大問題となった。しかし以上の乃木神社とのつながりをみればもともと右派的な勢力への迎合は既定路線であったことがわかる。国際社会の当然な批判を浴びたので秋元康は謝罪したものの、東京五輪組織委理事として安倍政権を筆頭とする改憲勢力・国粋主義勢力に対する迎合はこれからも続けていくだろう。
秋元康に限らず、高須クリニックの高須医師や麻生副大臣のようにナチスに関する発言で弁解や謝罪をする者たちが後を絶たないが、戦前日本にたいする肯定や癒着はナチスと比較して全く問題になっていない現状がある。

この現状が変わらない限り、日本の根深い様々な社会問題は根本的には解決しないだろう。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25

トゥクトゥク後方から見たビエンチャンの街

かつてお世話になったチェンウェー寺を後にし、優雅なメコン河沿いを歩いて、名残惜しくもトゥクトゥクに乗って観光地巡りのひとつ、シーサケット寺に向かいました。バンコクと違った静寂な空気に酔っていられるのも今のうちです。

シーサケット寺はラオス最古と言われる寺院で、その歴史は何も学習していませんが、ここも22年前にチェンウェー寺の少年僧に連れて来て貰った、そんな思い出が意識に残りました。

◆ラオスのタクシードライバー“荒勢運ちゃん”と市内観光

タラーサーオショッピングモールは覚えやすい、待ち合わせにもいい場所。近隣に市場もあります

街中で売られる焼きバナナのお兄さん

更にここから歩いてタラーサーオ市場へ向かう途中、街中に高いビルは無く、バンコクとは大きく違う人の少なさでした。この辺を散策した後、夕暮れになり他の観光巡りは明朝に回し、トゥクトゥク集団から少し離れたところに小奇麗なタクシーが止まっていて、ちょっと強面な元関脇・荒勢みたいな運転手でしたが、これに乗ってホテルに戻りました。

このタクシーの“荒勢運ちゃん”が「ラオスに来たらまた呼んでくれ」と名刺をくれ、「機会があればまた」と言いつつ、これっきりになるであろう荒勢運ちゃんと別れました。

翌日、ノンカイに戻る前に予定に残った観光地に向う為に出発準備。チェックアウトは12時なので、それまでに戻る予定で昨日乗ったタクシーを呼んで観光巡りを提案した友人。

二度と会わないだろうと思った昨日の荒勢運ちゃんの名刺の番号に電話し、「今、空いているならとりあえず来てくれ、話はそれから」と言って切りました。

早速10分ほどでやってきた荒勢運ちゃん。意外な再会をしてしまったこのオッサンにもう友達感覚で、パトゥーサイ(凱旋門)、シームアン寺、タラーサーオ市場を巡ってホテルに戻ってくるコースをお願いするとすぐ了承。昨日より笑顔が増えた荒勢運ちゃん。

◆鳥を逃がして徳を積む

パトゥーサイ(凱旋門)も以前、少年僧に連れて来て貰ったことがある門。フランスの凱旋門を真似て建てられたと言われるモダンな建物です。「30分ほどで戻ります」と言ったのに最上部で物想いに耽り1時間ほど経ってしまいました。

アヌサワリー(記念碑)パトゥーサイ(凱旋門・勝利の門)資金難で未完成のままの営業だそうで

パトゥーサイ(凱旋門・勝利の門)最上部から見たビエンチャンの風景

次に行ったのがシームアン寺。若い女性に人気ある寺らしく、賑やかな境内、華やかな仏像や動物像が目立ちました。比丘に幸運のバーシー(糸)を巻いてもらう願掛けはなかなか効き目ありそうです。

女性が訪れるシームアン寺で、幸運を呼ぶバーシー(糸)を巻いてもらう参拝女性

シームアン寺の幸運を呼ぶドラ。マレットで三回叩くそうです

寺の外には、鳥を逃がして徳を積む善行を売り物とするお店もあり、これは逃がしてもやがて戻ってくると言われる習性のいい雀で、商売上手い善行。

最後に土産物物色にタラーサーオ市場ショッピングモールを散策してホテルに帰りました。これで荒勢運ちゃんともお別れです。今度こそ本当に、「またラオスに来たら呼んでくれ、タクシー運転手はずっと続けているから」と言われて昨日と同様に「またお会いできること願っています」といい加減なこと言って別れました。やっぱり縁は無さそうですけど。

鳥を放してやる善行で徳を積む行為もラオスでは古くからの習わしです

徳を積む為の鳥を掴もうとして一匹逃げましたが、何の心配も無く次を捕まえていました

国境越えのバスの正面から、ひび割れも気にしない日々の営業

◆空気が読める荒勢運ちゃんとサパーンミタパープ(友好橋)を渡る

ホテルに戻ると部屋のドアーは開いていて室内清掃がほぼ終わっている感じ。しかし不快な点がひとつ。私はアトピーで少々腕を引っ掻いてしまうのですが、シーツに少々血が付いているのにそのシーツは替えずにベッドメーキングが終わっていました。次の客にこのまま使わせるのか、私らが連泊と思っているのか、「なんと大雑把なホテルだろうか」と思ってしまいました。しかし理不尽な想いはタイでもいっぱいして来ましたし、日本の常識で愚痴っていても仕方無いと妥協。

12時を回る前にチェックアウトし、外に止まっているトゥクトゥクにサパーンミタパープ(友好橋)まで交渉すると、「500バーツ!」と言ってくる(100バーツ=約300円)。昨日今日と市内をだいたい100~200バーツで済んできたのに、あまりの高値に苛立った友人。「さっきのタクシー呼びましょう」そういう友人に、これで最後と別れたばかりの荒勢運ちゃんをまた呼ぶことになり、「もう一回来てくれますか?」と電話しました。3度目の利用となる荒勢運ちゃん。「彼にとって名刺の効果は凄く効いただろうな」と言いつつ待っていると、

「あっ!タラーサーオ市場のバス乗り場に行くんじゃなくてサパーンミタパープ(友好橋)だよな。あの橋からタラーサーオまでバスで30分ぐらい掛かったんだから20kmぐらいあるな。500バーツはそんなべらぼうな高値じゃなかった!トゥクトゥクの運ちゃんに悪いことしたなあ。」と後悔しつつ、せっかく呼んだタクシー荒勢運ちゃんを待ちました。

何の因果か、「また呼んじゃいました。サパーンミタパープまでお願いします。」
笑っている運ちゃん。「これで本当の最後」と内心思って乗り込みました。
サパーンミタパープに向かう途中、荒勢運ちゃんに「他に観光はしたの?」と聞かれ、

「観光は無いですが、チェンウェー寺を知っていますか?」と聞き返すと運ちゃんは、

「ああ知っている、中まで入ったことは無いが。」と応えられ、そこで「あの寺、私が坊主やってた頃、ビザ申請の為にビエンチャン来た時、泊めて貰った寺なんですよ、昨日22年ぶりに寺を訪れたんですが、いろいろ世話になった当時の比丘は誰もいませんでした。和尚が代わったかもわかりませんでした。」と言うと、「俺が聞いて来てやろうか、今から行くか?」

一瞬迷いつつも、「先を急ぐので今回は諦めます。今度ラオスに来た時、当時の写真を持って来るので、当時の比丘やデックワット(寺小僧)らの居場所など手掛かり掴めたら、車で一緒に尋ねに行ってくれますか?勿論ビジネスとして」とやる気を誘うと、「わかった、ぜひ連絡してくれ」と願うことは伝わり、協力者を準備しておけば心強いものだと感じました。

ただこの荒勢運ちゃん、会って丸1日足らずのドライバーと客の関係です。信頼関係が保てるかは全く分からず、ただ効率的に稼げるなら損なビジネスではないはず。こちらの負担は大きいものの、空気の読める荒勢運ちゃんは利用価値はありそうでした。

しかし「果たしてまたラオスに来ることがあるだろうか」という可能性低い中、実際必要無い旅でも、新たな出会いが次の旅を面白くさせるかもしれないのです。
藤川(かつての先輩僧)さんが導いてくれた運命なのか。いつも私に「前向きな行動せえよ」とくどいこと言っていました。藤川さんはいつも活発に、ある時は厚かましく人を頼り、その新たな出会いから更に旅を重ねた巡礼の旅の知恵を持った僧生活でした。私と藤川さんも不思議な運の積み重ねでの出会いでしたから、そんな思想まで潜在意識の中で身に付いたのかもしれません。そんなこと考えている間に国境のサパーンミタパープが見えてきました。

二度と会うことは無いだろうと思ってた荒勢運ちゃんとやっと本当の別れがやってきました。「またぜひお会いしましょう。連絡します」と腐れ縁になるかもしれない予感を残し、握手して別れ、イミグレーションに向かいました。

また導かれるまま無事国境を越え、ノンカイへ戻って来ました。時間が無いので、寝台列車でバンコクへ戻る計画もあった中、「ノンカイの街はほとんど観光していないのでもう一泊しましょう」と友人に勧められ、ノンカイ駅前のホテルへ再度泊まることになりました。空き部屋は問題無い時期で無事チェックイン後、駅前の屋台の大阪弁オジさんのもとへビエンチャン談義に花を咲かせに行き、ここから最後の旅、ノンカイ観光へ移っていきます。

国境越えのバスの中から。ラオス・ビエンチャンからタイのノンカイへ戻る

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

酒井柚樹vs石川直樹。ヒザ蹴りは得意技、勢いづくと飛びヒザ蹴りもこなす石川直樹

酒井柚樹を首相撲で崩した石川直樹

圧勝でメインイベンターを務め終えた石川直樹

初のメインイベンター石川直樹は上背を活かした首相撲からの崩しで背の低い酒井柚樹を圧倒、初回は酒井の首相撲からの崩しに倒されていた石川が次第に自分のペースに持ち込みヒザ蹴を多用し逆転。第5ラウンドのヒザ蹴りからの崩しはノックダウン扱いとなる大差で一方的優勢の勝利となりました。

昔の選手なら崩され続けると次第に立ち上がるのも苦痛なほどスタミナを無くしたものでしたが、酒井は崩され倒されながらもすぐ立ち上がる戦意とスタミナは充分でした。石川直樹は昨年10月に泰史から日本フライ級王座奪取して以来の勝利。

瀧澤は3連敗から脱出。5月にはHIROYUKI(藤本)に日本バンタム級王座を奪われるどん底から這い上がりました。開始からのローキックは有効的ながら、スネブロックされると、観る側からすれば痛そうな印象。ローキックよりは長身を活かしたパンチでの攻めは蹴りに繋がる効果的油優勢。ラストラウンドに不覚にも、ヒジ打ちで眉間辺りを切られるも劣勢に反省は残るも優位を保ったまま判定勝利。再び王座を奪うまで負けられないでしょう。

今野顕彰が強引さはあるがパンチ連打でロープに詰めての攻勢も、オトヤスックが再三狙っているヒジ打ちを受けて負傷負け。攻勢が一転、惜しい敗戦となる。

政斗はパンチとローキックで圧力掛けるが、ペットピサンヌの距離の取り方が上手く蹴りの強さで政斗の勢いを止め、三者三様の引分け。

櫓木淳平は好戦的にパンチのヒットはあるが、アミーが蹴りの距離感と首相撲のテクニックで主導権を譲らず、櫓木は巻き返し成らず終了。

瀧澤博人vsルアンタイ。接近戦でヒザ蹴りで優位に立つ瀧澤博人

◎WINNERS 2017 3rd
2017年8月27日(日)ディファ有明16:30~20:35
主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

《試合結果9試合》

◆第13試合 メインイベント 52.0kg契約 5回戦

日本フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/31歳/52.0kg)
VS
酒井柚樹(はまっこムエタイ/21歳/51.85kg)
勝者:石川直樹 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:和田50-45. 宮沢50-46. 桜井50-46

◆55.0kg契約 5回戦

日本バンタム級1位.瀧澤博人(前・C/ビクトリー/55.0kg)
VS
ルアンタイ・ダッポンヌンガーウヌン(タイ/54.9kg)
勝者:瀧澤博人 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:仲50-48. 宮沢49-47. 桜井49-48

ルアンタイvs瀧澤博人。長身を利して右ストレートをヒット、瀧澤の積極性はより進歩した

KO賞三人目、日本vsタイ国際戦、オトヤスックはヒジ打ちで今野を下す

◆ミドル級3回戦

日本ミドル級1位.今野顕彰(市原/72.2kg)
VS
オトヤスック・シンセンデート(タイ/72.2kg)
勝者:オトヤスック / TKO 3R 1:55 / 和田良覚
ヒジ打ちによる負傷、ドクター勧告を受入れレフェリーストップ

◆69.0kg契約3回戦

日本ウェルター級1位.政斗(治政館/68.8kg)
VS
ペットピサンヌ・ダッポンヌンガーウヌン(タイ/67.35kg)
引分け / 三者三様 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 和田29-30. 仲29-28

ペットピサンヌvs政斗。政斗は一歩及ばず、もう少し圧力掛ければ勝利を掴んだか

◆59.0㎏契約3回戦

日本フェザー級7位.櫓木淳平(ビクトリー/58.7kg)
VS
アーミ―・サシプラパー(タイ/58.6 kg)
勝者:アーミ―・サシプラパー / 判定0-3 / 主審:宮沢誠
副審:椎名28-30. 和田28-30. 桜井28-30

アミー・サシプラパーに蹴られても勇敢に向かった櫓木淳平選手

◆62.0kg契約3回戦

日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/62.0kg)
VS
長谷川健(RIKIX/62.0kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / 判定3-0 (29-27. 30-27. 29-27)

◆61.5kg契約3回戦

日本ライト級4位.ジョニー・オリベイラ(トーエル/61.5kg)
VS
日本フェザー級5位,拳士狼(治政館/61.05kg)
引分け / 0-1 (28-30. 29-29. 29-29)

KO賞二人目、アンダーカードで勝利、馬渡亮太選手

◆54.5kg契約3回戦

日本バンタム級4位.逸可(トーエル/54.4kg)vs馬渡亮太(治政館/54.5kg)
勝者:馬渡亮太 / TKO 3R 1:41 / ヒジ打ちによる負傷、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ

◆54.5kg契約3回戦

日本バンタム級5位.田中亮平(市原/54.3kg)
VS
ラジャサクレック・ムエタイジム(タイ/54.3kg)
引分け / 0-0 (29-29. 29-29. 29-29)

他、2回戦4試合は割愛します。

ラジャサクレックが引退、先生として人気者らしく子供たちに囲まれて

《取材戦記》

今回の興行タイトルとなった「打倒ムエタイに心はひとつ」、対抗戦と銘打たれた興行でしたが、一つ一つは個人の戦いで、厚い壁に阻まれること多いムエタイ戦であります。

アンダーカードでは在日選手のラジャサクレック選手の引退とされる国際戦も行なわれていました。41歳となってもテクニックは一級品。ラストファイトはスタミナ切れの引分けでしたが、日本で経営するジム練習生の子供たちとファンも多く、声援に送られました。

志朗と麗也が抜けた形のWINNERSは、昔の治政館ジム興行に戻ったような印象。これから次なるスターの石川直樹と瀧澤博人には期待が掛かります。

11月19日のビクトリージム興行「Kick Insist 7」には瀧澤博人が出場濃厚と考えられるところ、今後、ムエタイ強豪対決路線と王座奪回に向けて更なるアピールを続けたいところでしょう。頂点を目指す選択肢の多い時代で、進む方向も気になる“歌うキックボクサー”瀧澤博人です。

連敗脱出成功の瀧澤博人

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

星野陽平「独占禁止法をめぐる芸能界の諸問題」(2017年3月、公正取引委員会競争政策研究センターでの筆者講演レジュメ)

筆者は今年3月に公正取引委員会競争政策研究センターで「独占禁止法をめぐる芸能界の諸問題」と題する講演をさせていただいた。
※当日の講演レジュメのPDF 

その後、7月以降、公取委が「芸能界で広く行われてきた契約が独占禁止法に抵触する可能性がある」と調査を進めているという報道が相次いだ。

筆者は2014年に『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』を鹿砦社より刊行させていただいて以来、一貫して芸能事務所との関係からタレントが干される現象は独占禁止法に違反し、芸能界を蝕んでいると主張してきたが、ここに来て具体的な動きが出てきた。

その事自体は芸能界と視聴者の利益にとって望ましいものだと言えそうだが、芸能界との繋がりの強い民放や週刊誌などでは、依然として芸能界の問題は採り上げられにくいということもあって、世間の反応は鈍いとも思う。

◆デーブ・スペクターの日本芸能界批判

そんな折、8月21日配信の『デイリー新潮』の記事「日本のテレビは2年間ドラマ制作をやめよ――デーブ・スペクター」(https://www.dailyshincho.jp/article/2017/08210802/?all=1)でアメリカ人テレビプロデューサー、デーブ・スペクターが芸能界批判を展開していたのが気になった。その一部を抜粋する。

筆者講演レジュメより

筆者講演レジュメより

筆者講演レジュメより

筆者講演レジュメより

「ドラマだけは本当にひどすぎる。20~30年前と比べて進歩するどころか、どんどんクオリティが下がっている。特に問題なのは役者の演技力」

「何しろ、日本のドラマに出演してるのは、芝居経験に乏しい、モデルやアイドル上がりの素人同然の芸能人が多すぎるから」

「原因は、日本のドラマがキャスティング先行で進められるから。テレビ局がドラマ制作で大事にしているのは、視聴者ではなく芸能プロダクションとの関係です。テレビ局の幹部がプロダクションに接待されて、『うちの子、頼みますよ』と言われたら断れない」

デーブは、ここ10年ほどで「黄金時代」を迎えている海外ドラマと比較して日本のテレビドラマが低迷している原因がテレビ局と有力芸能事務所との癒着にあると喝破している。
「僕もテレビ業界で仕事をしてるから、あんまり厳しいことは言えませんが」としながらも、なかなか的確かつ辛辣な論評ではないだろうか。

筆者講演レジュメより

筆者講演レジュメより

◆渡辺淳一とデーブの対談(『現代』1989年4月号)

デーブと言えば、SMAP騒動の折もジャニーズ事務所批判をテレビで堂々と述べていたが、芸能界批判は今に始まったものではなく、来日してテレビに出演し始めた頃から、日本の芸能界に違和感を覚えていたようだ。

『現代』(1989年4月号)に掲載されている「にんげん透視図」で作家の渡辺淳一とデーブの対談が掲載されている。その中で次のようなやりとりがあった。

デーブ ぼくがおかしいと思うのは、日本人って芸能人は程度が低いと思っている。マスコミやテレビ界の人、あるいは本人だって『どうせオレは芸人だからな』って自分から消極的になっているから、それをよくしないと……。

渡辺 しかし、日本って国は、芸能というものを最初からやや低い位置に見てきた国で、それには歴史的な背景もあるのです。

デーブ そこが暗いんだ。

渡辺 日本の芸能脳発生をたどると、かつては歌舞伎役者だって河原乞食と呼ばれたようにアメリカのエンターテインメントとは歴史が違うんです。

デーブ そういう見方はもう時代遅れだから、いい加減にやめるべきです。

渡辺 時代遅れではあるけれども、その暗さとか差別からさまざまなものを生み出してきたので、それ自体が日本の特性なんだからしようがない。

デーブ その「しようがない」という単語をまず日本語から外さないと進歩がないでしょ。リクルート事件にしたって、「しようがない」という言葉を使い続けるのだったら、文句いっちゃいけないと思う。

渡辺 それは一理あるけど「しようがない」というのも日本という国の一つのあり方なんで、あなたは芸能人とばかりお付き合いしているからそう思うのでしょう。けれどもみなが芸人を尊敬するようになればすむという問題ではないでしょう。

デーブ でも、芸能人のレベルは上げないと……。

渡辺 多くの日本人は、そうは思っていないと思うな。

デーブ それは差別。江戸時代の残りだよね。だって、渡辺貞夫みたいなジャズマンは世界中に認められているし、森繁久彌さんだって立派だし、美空ひばりは程度の低い人間ですか。

渡辺 いや、頭が悪いとか程度が低いといっているのではありません。しかし、日本人の感覚からすれば、芸能界というのは浮き沈みの激しい当てにならない世界で、そこにいる人々はそのことに不安と潔(いさぎ)さを感じている。つまり、自分をおとしめているから芸人なのであって、観客はまたそこに惹かれて観ているわけです。もし芸人が威張るようになったら、日本人はいまのような率直な気持ちでは観なくなるでしょう。

デーブ それはどこの国でもそうですけどね。ただ、日本ではちょっと異質な芸能人観が残っているように感じる。

渡辺 それは、なにごとも歴史的な背景があるわけでね。一口にいって、日本は情緒の国で、論理的な西洋的発想と明らかにちがうところなわけです。その証拠に、日本語には季節の移り変わりに関わる言葉が多いけど、逆に論理を語る単語が少ないんですね。

デーブと渡辺の芸能界論議は一貫して噛み合わず、最後に渡辺は都合が悪くなったのか「日本人は論理的ではない」と言って逃げてしまった。

筆者講演レジュメより

◆そこには差別の問題が深く関わっている

なぜ、「日本の芸能界は低レベルなまま放置され、これまで改革が進まなかったのか?」ということを考えると、デーブと渡辺の対談でも争点になっているように、そこには差別の問題が深く関わっている。 日本では中世から芸能に携わる者は卑賤視の対象とされてきたという歴史的背景があり、タレントが権利を主張することは認められてこなかった。日本人はそれを直視できないのである。

江戸時代、歌舞伎役者など芸能に携わる者は穢多・非人身分として扱われ、浅草など「悪所」と呼ばれる地域に隔離され、弾左衛門と呼ばれる穢多頭の支配を受けていた。現在においても、芸能界で不公正な契約慣行がまかり通ってきたのは、そうした歴史的な背景があるためだろう。芸能界は一刻も早く「芸能界のドン」が掟を決める治外法権から脱却しなくてはならない。

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

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