日本に現存する120人余りの死刑囚の中には、冤罪を訴えて再審請求している者が少なくない。事件発生からまもなく9年になる大阪個室ビデオ店放火殺人事件で死刑判決を受けた小川和弘(55)もその一人だ。私は小川とは、彼が最高裁に上告中の頃に面会したことがあるだけの関係だが、今もその時のことは忘れがたい。

◆めぼしい有罪証拠は自白だけだった死刑判決

事件が起きたのは2008年10月1日の未明のこと。大阪市の南海なんば駅近くにある雑居ビル1階の個室ビデオ店が燃え、店内にいた客16人が死亡するという大惨事だった。小川(当時46)は火災時、客として同店に滞在。出火直後に白いタンクトップのような下着とトランクスという姿で店内を出入り口に向かって歩きながら、テレビがどうのこうのとぶつぶつ言っている不審な様子が目撃されている。

そこで臨場した警察官が追及したところ、小川は「すみません」「死にたかったんですわ」などと犯行を認めたような発言をしたため、任意同行。取り調べでほどなく個室でキャリーバッグに火をつけて放火したことを自白、殺人などの容疑で逮捕された。のちに裁判では無実を訴えたが、2014年3月、最高裁に上告を棄却され、死刑判決が確定したのだった。


◎[参考動画]個室ビデオ店放火殺人 死刑判決(ichirou sei2015年7月3日公開)

今も小川が収容されている大阪拘置所

私が大阪拘置所で小川と面会したのは今から4年前、2013年の9月初旬だった。当時、小川は最高裁に上告していたが、大阪地裁の第一審で受けた死刑判決がすでに大阪高裁の控訴審でも追認され、土俵際まで追い詰められていた。私はかねてよりこの事件に冤罪の疑いがあるという話を聞いており、時間に余裕ができたこの時期、遅ればせながら小川を取材してみたく思ったのだ。

裁判では、小川は現在の自分を惨めに思い、衝動的に自殺しようと火をつけたと認定されているが、めぼしい有罪証拠は自白だけ。しかも現場の個室ビデオ店では、火災発生時に小川が滞在した18号室より、その近くにある9号室のほうがよく燃えており、火元は9号室だったのではないかという疑いが指摘されていた。

しかし小川との面会では、私は取材者としての未熟さを露呈する結果となった。

◆報道と別人のようだった容貌

まず、恥ずかしながら私は小川が面会室に現れた時、それが小川だとすぐにわからなかった。

というのも、マスコミ報道で見かけた逮捕当初の小川は、顔がやつれて血色が悪く、髪がぼさぼさで、いかにも生命力の弱そうな中年男に見えた。だが、この日の小川は顔がふっくらし、髪もすっきりと短く刈っており、精悍な顔つきの男になっていた。逮捕当初とはあまりに容貌が変わっていたため、私は目の前の小川を別人だと誤認し、何らかの手違いあったのではないかと戸惑ってしまったのだ。

「わかりませんか?」

小川に不機嫌そうに言われ、私は目の前の男が小川なのだとようやく理解した。とっさに「報道の印象とずいぶん違いますね……」と取り繕ったが、小川は逮捕当初よりふっくらした頬を手で撫でながら、「5年も経ちますからね」とだけ言った。事前に送った取材依頼の手紙では、小川に対する裁判の有罪認定に疑問を感じていることを伝えていたのだが、歓迎されていないことがひしひしと伝わってきた。

「いまさら取材に来ても遅いんじゃないですか。まあ、物見遊山で来られたんでしょうけど」

小川は私に対し、そんな厳しい言葉もぶつけてきた。報道からは気弱な人物のような印象を受けていたが、実物の小川はけっこう気が強そうだった。いずれにせよ、私に対する小川の批判的な言葉はまったくその通りなので、私は恐縮しながら「ええ、まあ……」とか、「小川さんがそう思われても仕方ないですが……」などと言うほかなかった。

「今さら記事にして欲しくないんです。今日は遠くから来られたんで、それだけお伝えしようと思って会いましたけど」と小川は言った。冤罪の疑いを抱いているという取材者に対し、「記事にして欲しくない」という被告人。奇異な印象を受ける人もいるかもしれないが、私は小川の気持ちがすぐ察せられた。次のような小川の逮捕当初の報道に目を通していたからだ。

《「戸籍まで売った」リストラ男の“狂気”》
《個室ビデオ店「放火犯」は人生を「マザコン」で狂わせた!》
《金髪、毛皮の46歳が見せていたリストカットの傷》
《46歳リストラ男「超有名企業」の過去と狂気 離婚、ギャンブル、サラ金…底辺をさまよった末に》

以上はすべて逮捕当初の週刊誌の見出しに踊った言葉だが、このように扇情的に書き立てられたら、小川がマスコミ不信に陥ったのも無理はない。裁判が大詰めになった時期になり、どこの馬の骨とも知れないフリーのライターがいきなり「取材させてください」とやって来ても、信じることなどできないだろう。

現場の個室ビデオ店は取り壊され、コインパーキングに

毎日新聞2016年11月29日付記事

◆最高裁に黙殺された鑑定書

ただ、小川は言うべきことは言う人物でもあった。

「はっきり言うて、冤罪ですから。最高裁にも『火元が違う』言うて、弁護士さんが鑑定書出してますからね」

堂々とした物言いだった。そこで私は一応、「じゃあ、状況が変われば、取材を受けてもらえますか?」と粘ってみた。だが、小川は「もう記事になりたくないんで」と素っ気なかった。そして、「もういいですか。帰りますよ」と言い、面会の終了時間を迎える前に刑務官と一緒に面会室を後にしたのだった。

小川が最高裁に上告を棄却されたのは、この約半年後のこと。その判決文は裁判所のホームページにアップされているが、わずか2枚の簡略な内容で、小川の弁護人が逆転無罪のために提出したという鑑定書に一切言及がなかった。一方で判決は小川のことを〈その犯行は、人の命を軽視した極めて悪質で、危険なものである〉と批判し、死刑判決を〈是認せざるをえない〉と言い切っていた。小川はこの判決文をどんな思いで読んだろうか・・・と私は小川の心中に思いをはせたものだった。

そんな最高裁の判決が出てから約3年半が過ぎた。この間、昨年11月には小川が死刑確定後も無実を訴え続け、2014年5月に大阪地裁に再審請求をしていたことが明らかになった。請求は2016年3月に棄却されたが、弁護側は大阪高裁に即時抗告。その後、火災の専門家の大学教授が弁護側の依頼をうけ、個室ビデオ店の20分の1の模型を用いて燃焼実験をしたところ、火災発生時に小川がいた18号室ではなく9号室が出火元だと改めて推定される結果となり、弁護側はその実験結果を新証拠として大阪高裁に提出したという。

私は面会した際、小川の堂々とした冤罪主張に正直信ぴょう性を感じさせられており、この再審請求の行方を気にかけている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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